触れる指先の我儘を

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「キャアアアァァ!!土方さあァんん!!」 けたたましい嬌声をあげながら、女が数人、店の入り口に向かって駆けていく。 店内にざわめきが走る。酒と女の笑顔を楽しんでいた客たちも、何事が起きたのかと首を伸ばして眺め出す。 沸き起こった嬌声を聞きつけ、店の奥から一人、また一人と、華やかに着飾った夜の花たちが集い始める。 しかし、うそお、とか、やだァ、とか、口々に甲高く声を弾ませる彼女たちとは対照的に、 隊服姿で店に現れた男の表情は、いたって気乗りのしない醒めたものだった。 ここはかぶき町にあるスナックすまいる。 色めき立って群がるキャバ嬢たちの頭上を仰ぎ、土方は店内を一通り見回した。 その表情は醒めたままだ。捜している近藤の姿が、どこにも見当たらないからだ。 他の心当たりが有る場所は先に潰してある。それでここにもいないとなれば、さすがにもう見当がつかなかった。 せめて電話に出てくれりゃあいいものを。いったいどこに油を売っているのか。 早々に見切りをつけた彼は、すぐに踵を返した。 だが浮き立ったキャバ嬢の群れが、そう易々と彼を逃がしてはくれるはずもなく。 数人が、すかさず腕や背中にしがみついてくる。仕方なく彼も立ち止まった。 「土方さあん、こっちに来てェ!うんとサービスしますからァ」 「ちょっとォ!横入りしないでよ!土方さんっ、こっちのテーブルで飲みましょうよォ」 「いや。俺は」 「まあ。今日はお一人なんですか」 気抜けするほど朗らかな女の声が、彼を振り返らせる。 階段を下がったところにあるフロア中央の通路から、一人の女が進み出てきた。 「いらっしゃいませ。珍しいですね、副長さんがいらっしゃるなんて」 まるで菩薩のような喰えない微笑みを浮かべている。 近藤がすっかり入れあげてしまったこの店のキャバ嬢、志村妙。 よりによってあの万事屋の関係者。そこも彼にとっては喰えないところだ。 静々と進み出てきたお妙は得体の知れない笑顔を添え、慣れた仕草で「中へどうぞ」と促してくる。 しかし彼は、その申し出を素気無く断った。 「悪いが今日は客じゃねえ。ウチの大将探しに寄っただけだ。 あんた、心当たりはねえか」 「あら、嫌だわ。ゴリラの行方に心当たりだなんて。どうして私にお聞きになるんですか。 逃げたゴリラの行方なら保健所に問い合わせてください」 「・・・そうしてみるか。いや、邪魔したな」 土方は苦い顔で肩を竦め、纏わりついてくるキャバ嬢たちに鋭く冷えた目線を向けた。 途端に女たちの熱気と嬌声が、すうっと引いていく。 名残惜しそうに彼を見送る夜の花たちに混ざって、お妙は喰えない笑顔で佇んでいた。 が、途中で思い出したかのように、ああ、とつぶやき、声を掛ける。 「保健所に問い合わせる前に、あの人にお聞きになれば良いじゃないですか」 「あァ?あんたの周りをうろついてねえなら、屯所と保健所で充分だろ」 「まあ。御存知なかったんですか。お気の毒に」 再び彼は足を止めた。 セリフはいたって神妙なものだ。どう聞いたところで同情心も、欠片ほどの気遣いも無さそうだが。 それはいいのだ。この女の口調が空々しいのはいつものことだし、今更それが気になったりはしない。 ただ、最後の「お気の毒に」がひっかかる。どうも口調に何かほのめかすような、厭味が含まれていた。 見ればお妙は口許に手を当て、珍しくクスクスと楽しげな笑い声まで洩らしていた。 「近藤さん、最近ターゲットを変えたみたいですよ」 「・・・聞いてねえぞ。誰だ、そりゃあ」 訝しみながらも訊き返したが、お妙は何も言おうとしない。 ただにっこりと微笑んだ。 微笑む前に彼を見上げたその瞳には、どこか意味深な色合いが浮かんでいた。 「お疲れ様です、副長!」 屯所の門前でパトカーを降りた土方に、見張りの隊士が声を掛ける。 辺りを軽く見回すと、彼はその隊士に問いかけた。 「近藤さんは戻ったか」 「いえ、まだですが」 軽く頷き、土方はその前を通り過ぎる。 仕方がねえな、とでも言いたげな顔で煙草を咥えた口を尖らせ、足早に玄関を目指す。 が、途中でその足を止めた。 まだ日暮れ前。多忙な彼には珍しいことに、いつになく早い時間に屯所に帰りついたのだ。 そう手間のかからない雑用程度は残っているが、それさえ済めば他に予定は無い。 今のうちにを呼び出して、二人で飯でも食いにいくか。 そう思いついて、取り出した携帯を開く。 と、そこへ背後から車の停まる音が響いた。何気なく彼は振り向いた。 門前に停められたパトカーの、助手席のドアが開く。 中から女が一人降りてきた。見張りの隊士と親しげに挨拶を交わしている。 それは彼にも隊士たちにも、見慣れた女の姿だった。 「」 彼は声を掛けてみた。 が、反応は無かった。土方に呼ばれたことには気付かなかったらしい。、 彼女は他の何かに気づいたかのように目を丸くして、くるっと車に振り返ったのだ。 助手席の窓をコンコンと叩くと、ガラス窓が降りていく。そこから近藤が顔を出す。 車のドア越しに、二人は何かを語り始める。 親しげな笑顔の近藤が、の肩へ手を置く。 それを目にした土方の表情が強張る。と同時に、ガリッと煙草を噛みしめてしまった。 自分には指一本触れさせようとしないが、近藤には易々と触れさせたのだ。 近藤の話に何度か頷いてから、は屯所の門を潜ってこちらへ向かってきた。 歩きながら、新品の携帯の画面をじっと見ている。 それはあの万事屋での騒動後に、土方が彼女に買い与えたもの。キレてブチ折った弁償に、彼女に贈った新機種だ。 うつむいた顔はいつになく真剣な表情で、画面から目を逸らそうとしなかった。 ふうっ、と少し疲れたように息をつくと携帯を閉じ、玄関前を見上げる。 そこで玄関前に立ち尽くし、自分を眺めている咥え煙草の男に気付く。えっ、と目を見開いて立ち止まった。 「うそっ、どうしたんですかぁ。 土方さんがこんなに早い時間に戻ってるなんて!」 「んだよ。悪りいのかよ」 「え?」 「・・・俺が早えー時間に戻ったら何かマズいのか」 「もう、違いますよォ。そんなこと言ってないじゃん。珍しがってるだけじゃないですか」 なに拗ねてるんですか、とわざと口を尖らせたがからかい気味に訊き返してくる。 んなもんこっちが訊きてえ、と彼は胸中で舌打ちした。 これで拗ねない男がどこにいるものか。もしもどこかにいるのなら、俺はその野郎の面が見てみたい。 なんなら断言してもいい。そんな野郎はこの世にはいない。 これだけ待たされ焦らされた男が、良い顔ばかり出来るわけがないのだ。度台有り得ねえ話じゃねえか。 仮にいたとしても、それはその男が女に対して、いくらか不実に振舞っている証拠のようなものだろう。 その女への興味が薄れてしまっているか、それとも既に他の女がいるか。二つに一つだ。 「あ、そーだ!あのね、駅前で近藤さんに会って、ここまで乗せてもらったんですけど。 近藤さんがお寿司奢ってくれるって。土方さんも行きますよね?」 「いや。あのな。今日は」 「えーっっ。行かないの?」 どうしてですかあ、と目を丸くしたは、土方の腕に手を伸ばしかけた。 が、途中ではっと気づいてその手を止める。 止めたまま数秒ほど迷っていたが、迷った末に彼の袖の端をちょこんと指先で摘んできた。 「もおっ、なんですかァ、何かあったの?ノリ悪いですよ土方さぁん。 せっかく早く終わったんだもん、一緒に行こ?総悟も来るってゆってたし! みんなでゴハンなんて久しぶりじゃないですかあ」 うきうきと楽しげに、は袖の端を摘んで揺らす。 無意識のうちに手が動くのだろう。自然と土方の袖を掴むのが、彼女の癖になっている。 その人一倍さみしがりな気質ゆえの、甘え気味で無邪気な仕草。しかしそれが今は面白くない。 いつもなら可愛く思わずにいられないその無邪気さも、今の土方にしてみれば喧嘩を売られているようなものである。 一見普段とそう変わらない、彼女の態度。だが、そこには目には見えない境界線がしっかり引かれているのだ。 目につく黄色地に黒で「KEEP OUT」と繰り返し大きく印された、越えられそうで決して越えられないラインが。 近藤にはあれだけ容易く触らせたくせに。は、彼にはあくまで「接触不可」で通すつもりらしい。 「何食べようかなあ。大トロとー、中トロと穴子とウニとォ。 あたしね、回らないお寿司食べるの久し振りなんですよォ」 「・・・・そんなに喰いてえんなら、言えってえんだ」 苛立たしげに低くつぶやき、土方は門前に停めたパトカーをじろっと睨む。 首を傾げたが、覗きこんで問いかけてきた。 「え?何?いま、何か言わなかった?」 「言ってねえ」 パトカーを降りた近藤が二人に気づき、彼に向けて手を上げた。 ムッとした顔で軽く頷いただけで、土方は玄関へと急いだ。 別に避ける理由などないし、屯所に急ぎの用事があるわけでもないのに。 そんな彼を不思議そうに目で追い、が後ろについていく。 ぱたぱたと背後から近寄ってくる軽い足音まで、なぜか神経に障る。 いっそ「ついて来るな」と拒みたくさえなった。 何だこいつ。たかが寿司で、ガキみてえにはしゃぎやがって。 そんなに喰いたかったんなら、近藤さんに言う前にこっちに言やあいいじゃねえか。 噛んでしまった時に口に残った煙草の葉屑が、舌の上で苦くざらついている。 さっき見たばかりのお妙の意味深な表情が、なぜか頭に浮かんできた。

「 触れる指先の我儘を 2 」text by riliri Caramelization 2009/01/22/ -----------------------------------------------------------------------------------             next