仏の顔も三度まで、という言葉がある。 たとえばこれを解釈するにあたって、現在某高校で教鞭をふるっておられる、 「死んだ魚のような目をした国語教師」坂田先生にご登場願ったとしよう。 その場合坂田先生は、こんな説明をするかもしれない。 「んなカビくせー質問しに、わざわざ俺んとこに来ないでくれる。ノリでわかれよ辞書引けよ面倒くせーよ。 よーするによー。どんなに気が良く温厚で、情け深い人であっても、 そう何度もアダルトサイトの架空請求繰返されりゃー、怒るに決まってんだろォ? たりめーだろ、こっちだってもォ金ねーんだよ。いいカモ掴んだとか思ってんだろーけど、いーかげんにしとけよ? せめて請求は一人三回以内で納めとけ?みてーな意味だよ。 わかったか?わかったな、つーことで放課後、可哀想な先生にパフェを奢るよーに」 かなり大雑把で乱暴な咀嚼ではある。だが、しいて現代風にガツガツと噛み砕いてみれば まあこんなカンジの意味合いもアリかもしれない、この言葉。 要するに、いにしえの賢人たちは、仏様という徳や慈悲の塊のような存在にですら、 いい加減にしやがれ、とブチ切れかかるような我慢の限度というものはあるのだ。 ましてやそれが、人ならば。 ということを説きたかった、はずである。・・・イヤ、多分。 いにしえの賢人たちが推し定めた、仏の我慢は三度まで。 慈悲と忍耐の権化であろうはずの仏にして、限度は「三度」までだとされている。 ならばそれが仏ではなくて、鬼であった場合はどうなのか。 しかし直接仏に「三度までは有りなんスか、え、マジすか」と問えるわけもないのと同じく、 その問いかけを直接鬼に向けるのは難しい。しかも怖い。 相手は「慈悲も情けも、ミジンコ程にも持ち合わせない屁怒絽くん」…怖すぎる。 なのでここは代返者として「鬼と呼ばれる男」に登場願うことでご勘弁いただきたい。 ということで、質問です。 鬼の副長土方さん。どうか今の状況を正直に、ありのままにお答えください。 今のソレ、今月何度目の我慢ですか?
触れる指先の我儘を 1
「ひィィィィゃあァァァっっ!!ダメ!触っちゃダメェェェ!!」 あわてふためいて甲高い女の悲鳴が、屯所の夜に鳴り響く。 荒くれ揃いの隊士たちも既に仕事を終え、それぞれの自室に戻り。 彼等の殆どが布団に潜り始め、この騒がしい男所帯が静けさに包まれる唯一の時間。 突拍子もなく響いたその声に、彼等は皆一様に「またかよ」と酒も入れずにクダを巻きたい気分にかられた。 皆一様に黙って布団を引き被り。「ちっ、いーよなァ俺も彼女欲しいなァ」と舌打ちする。 そうして彼等のほぼ全員が何の驚きもなく、フテ寝を決め込もうとするのは何故なのか。 それは、悲鳴の主の突拍子もないあの叫びが、今に始まったものではないからだ。 宵闇の静けさを切り裂いた、悲鳴の出所。 それは副長、土方十四郎の部屋にいる女。 彼とは別れて一年近く。 しかしいまだに「副長の女」と一目置かれる元真選組隊士。のものである。 「・・・え、やだ、違う、違うのォォ!今の「イヤ」は違うのっ、 今のは土方さんがイヤとか、そういう意味じゃ!」 瞳を潤ませ泣きそうな顔で、しかし抱きついてきた土方をあたふたと避けながら訴えかける。 彼女は今、いわゆる「押し倒される寸前」な状態にある。 彼女を背中から押し倒し、布団に組み敷こうとしたその男。 彼は何も言わずに彼女を抱きあげ、自分の前に座らせた。 拒否されてしまったことに文句も言わなければ、続きの行為を強いたりもしない。 だが、どこからどう見ても納得のいかなさそうな、不満タラタラで爆発寸前な顔をしている。 とはいえ、それも数秒足らずのこと。 手にした煙草に火が灯され、煙を上らせる頃には、不機嫌そうな気配どころか 押し倒そうとして失敗した気まずさまでもが、無かったことにされていた。 だから違うの、イヤとかじゃなくて、と傍で訴え続けるを尻目に、ぷいと表情の薄い顔を逸らしてしまう。 彼女の言い訳など聞く耳無さそうに、黙って煙草をふかし続ける土方。 そんな彼に切々と訴え続けるは、気まずさと焦りに表情を曇らせている。 傍から見る限り、その必死な様子からして「違う」と否定した彼女の言葉に嘘は無さそうだ。 傍から見る限りでは、そう察せられる。 が、気の毒なことにその真剣さは、訴えられている当人には微塵も通じていなかった。 「違うの、今のは別に、あの。そう、・・・じゃなくて!」 オイ待て。待ちやがれ。何だそりゃ、どういうことだ。 何だ今の「・・・」三拍分の、微妙でハンパな間はどういうことだ。 イヤだからどっちだ。今のは否定か、それとも肯定か。 仮に、いやあくまで仮にだが。 仮にアレが百歩譲って、「そうじゃない」と言いたかったことに。仮に否定だったとしよう。 だったらアレは何だ。「そう」で一旦切ったのは何故だ。 何故そこで切る、何故そこで「・・・」この微妙な間を空けて動揺する。 あれがもし本音が漏れた結果だとしたら、てえしたもんだ。 いい度胸じゃねーかこの女。俺にケンカ売ってんのかコラ。 ・・・という内心のボヤきが、彼女に知れるわけもなく。 は弱りきった声で「違うの」を繰り返す。 とある事情で今、普段からして辛辣な彼の観察眼は輪をかけて鋭く、日々疑り深くなっているのだ。 それに加えて、残念なことにもタイミングが悪かった。 こういった時にああも一所懸命に、真剣に否定されてしまうとかえって疑い詰めてしまうのが、ヒトの心理の複雑さ。 否定されればされるほど、不審がまるでテーブルマジックのシルクハットから出てくる万国旗のよ−に、 数珠つなぎになってヒラヒラと、止め処なく沸いてくるのだから不思議なもので。 格好つけで負けず嫌い、という生来の性分に隠されたその感情の揺れや振り幅。 それをこの感情を表に現そうとしない、冷淡そうな表情から窺い知るのは難しい。 けれどこの部屋の天井に向かって、モクモクと上り続ける白煙の咳き込みたくなるほどの煙たさが、 普段のこの男であったら成り立ちそうもない、この仮定を立証づけている。 珍しいことではあるし、傍目にはかなり解りづらくもある。 だが今の土方は、拒まれたことにあからさまに拗ねていた。 「違うのっ、そーじゃないの、だから・・・・そ、そう、アレなの! 昨日から『女の子の日』が来ちゃって。だから今日は、あの・・・ごめんね?」 頬を赤らめてうつむき、それから申し訳なさそうな表情で彼を見上げ。 土方の着物の袖の端をそっと掴み、どこを見たらいいのかもわからない、といった様子で視線を彷徨わせている。 本人に自覚は無さそうである、だが。それは惚れた弱みにつけこむようなもの。 そんな頼りなげで可愛らしい仕草を見せつけられてしまえば、土方が無理を通せるわけもなく。 彼は不承不承に頷き、不機嫌さをわずかに解いてみせた。 怒りの気配が幾分納まったことにほっとしたのか、も表情を和らげる。 立ちあがって、いつも彼の箪笥に入れてある自分の寝間着やタオルを取り出す。 「お風呂入ってくるね」とにっこり笑い、ささっと部屋を出て行った。 「ありえねー・・・・・」 女の後姿を見送りながら、ぼそっと一言。 力無くつぶやき、力無く肩を落とす男が、この場に一人取り残されることとなった。 煙草を咥えた土方は、どんよりと暗い面持ちでひとり溜息をついている。 またかよ。 何だってんだ、あれは。どういうこった。俺が一体、何をした。 キレそうになる自分を懇々と宥めては、拒まれ続けるやりきれなさをふと思い返し。 見た者が凍りつきそうに冷えた自嘲の薄笑いを浮かべては、手にした煙草を灰皿にぐしゃっと捻り潰す。 そんな不毛でおバカな男の葛藤を繰り返す合間に、土方は二度目の重苦しい溜息に肩を落とした。 いや。まあいい。今日はいい。もう疲れた。良しとしよう。もう何も追求するまい。 こっちにしたって、経験や余裕に欠けるガキではないのだ。 見え透いたごまかしがあろうと、不条理があろうと。ここは黙って目を瞑ろう。 理由がアレでは仕方が無い。そうだと本人が言っているのだ。蒸し返すことなく呑み込もう。 ・・・・・たしか先々週も「女の子の日」だったような気もするが。 さて。まったく唐突ではありますが。 ここで思い返していただきたい。冒頭に述べた例の質問を。 「鬼の我慢は何度までなのか」 一見まったく無意味かつどうでもいい、あのくだらない質問を。 もしも彼が、架空請求にも振込詐欺にもあっさりひっかかってしまうような 素直で善良、かつ抜け目だらけの男だったとしたら(それこそ「ありえねー」話ではあるが)。 今の彼は、迷わず「五回」とふてくされつつも即答するだろう。 つまり彼は、今月に入って「五回」の我慢を重ねているのだ。 鬼と呼ばれる男とすれば、仏以上の慈悲深さかもしれない。 しかし、土方本人はたとえ死んでも黙して語らないであろう、その我慢。 とりあえずそれは、某高校教諭坂田先生のような「アダルトサイトの架空請求被害」 などという怪しげなモノでは決して無い。無いのだが。 そのベクトルに、どこか坂田先生に共通する不純物を含んでいることだけは、 本人も黙って頷くか無視を決め込むより他に無い、まぎれもない事実であった。 現在彼が、はちきれそうな我慢の限界にブチキレかかって・・・・、いや失礼。 真摯な面持ちで悩んでいる、その原因とは。 ここまでの流れを見れば誰もが察する通り、実にくだらないことである。 要するに彼は、ずっとに手を出せずにいるのだ。 もっと正確に言うと、触らせてすらもらえないのだ。 それがどれくらいの長さかというと、かれこれ数週間。彼がを連れ戻したあの日以来。 そう、あの日に「青少年の視聴に配慮を要するアレ的な お目にかけづらい行為」があるにはあったが。 なぜかそのときを最後に、今日まで延々と「お預け」を喰らっている。 こうしてに手を出そうとするたびに、女の子の日だの疲れているからだのと、何かと理由をつけては断られる。 さっきも述べた「今月に入って五回」という回数。 あれはイコール、「今月に入って土方がにお預けを喰らった回数」というになる。 出来ることなら、どうか呆れずにいてほしい。 いや、そうではなかった。いいのだ。呆れていたって構わないのだ。 生暖かい目で、小馬鹿にした笑みを浮かべつつでもいい。それでもなんとか見守ってやってほしい。 たとえ男の生理に疎い女子からすれば 「・・・・え。それだけ?」と訊き返し、ハナで笑い飛ばしたくなる馬鹿らしさであっても。 だがそれが、我慢に我慢を重ねている最中の本人にしてみれば、どうなのか。 あくまで本人にしてみれば、の話だが、想像してみていただきたい。それはこんなカンジかもしれない。 たとえばケーキが食べたかったとする。しかし今、ダイエット中で甘いものは自粛中。 甘いものには餓えている。だが食べられない。 だがまあ、それも仕方が無いことだ。 ダイエット成功の暁には、ケーキバイキングに行って食べ放題。 そんな自分へのご褒美を思い浮かべつつ、ダイエットに励む人もいるだろう。 しかし。それがこんな場合であったなら、どうだろう。もしも、常に目の前に美味しそうなケーキが 馬の鼻先に下げられた人参よろしく「食べてください」と云わんばかりに置かれていたとしたならば。 話はまったく別である。それに手を伸ばすことなく欲求を抑え続けるとなれば、難易度レベルは跳ね上がる。 今の彼が置かれた状況。 それは、目の前に差し出された好物に手を伸ばしたくても伸ばせない、食べたくても決して食べられない。 しかもダイエットの必要など、一切どこにも無いヒトのそれなのだ。 そう思えば、随分と理不尽な話である。ふてくされたくなるのも無理はない。 そんな彼の赤マル急上昇中な荒みように隊士達が日々怯え、震え上がっているのも、まったく無理はない話なのだが。 そんな荒みきった男の心境を、一笑で伏せるには何か忍びないものがある。 人によっては背後からポンと肩を叩き、訳知り顔でマヨの一本も差し入れたくなる・・・かもしれない。 世間は広い。そんな慈愛に満ちた生き仏のようなヒトも、もしかしたらいるのかもしれない。 草の根分けて血眼になって探せば、いるかもしれない。まあ、広い宇宙に一人くらいは。 に触らせてもらえない。とはいえ、一度だけ例外もあった。 ぐでんぐでんに酔っ払ったが自ら、彼に甘えて抱きついてきたことが。 しかしそれ一回きりである。それ以外の接触が無い。 特にここ一週間は、拒まれる側の土方も唖然とさせられるばかり。 始末屋さっちゃんもビックリの、忍者にもひけを取らない俊敏さを見せるようになった。 スイスイと巧妙に彼の手を避け、まるで背中にまで目がついているかのような離れ業の連続だ。 おかげでここ一週間、彼はに身体どころか、手さえ。指一本さえ触らせてもらえない。 焦らしに焦らされたまりかねた彼は、今夜ささやかな逆襲に出た。 彼の部屋でテレビにかじりつき、毎週欠かさず見ているドラマに夢中になっていた のわずかな隙をつき、押し倒そうとした。 その結果がさっきの、あわてふためいた叫びに変わったのだ。 触れさせてもらえない。つまり、キスのひとつもさせてもらえない。 それ以上については、本人に確かめるまでもないだろう。いや、確かめずにおくことをお勧めする。 土方は、おととい刀を新調したばかりだ。 「三度の飯より喧嘩好き」なうえに不機嫌が続いているこの男は、日夜うずうずと試し切りの機会を狙っている。 得物にさして頓着の無い彼が、珍しく行きつけの鍛冶屋で一目惚れし、大枚を惜しむことなく買い求めた一振り。 目にした者の背筋を冷やすような輝きを放つ、ブランドものの名刀だ。 血に飢えて冴えた刃の餌食とされたくないならば、黙っているのが賢明だろう。 冷静沈着な局内No.2としての顔は常に保ちつつも、喧嘩を売られて見過ごすような真似はしない男である。 素の好戦的な性分にいったん火がつき、にやりと笑えば。 彼に刃向かう相手に後は無い。いや訂正。未来は無い。 あるのは本物の地獄をその目に焼きつけるか、運が良ければ病院送りの末路くらいがいいところ。 そういう男が、おバカな理由とはいえ募るばかりの不満をこらえ、 女のつれなく不審な挙動を見て見ぬふりでこらえている。 そんな彼にどうしろと。これ以上をどう、我慢しろというのか。 このままでは危うい。リミッター崩壊のXデーは近い。本人ですら、投げやりな気持ちでふてくされているのだ。 しかし、それでも彼はを無理やり押し倒し、一方的に遂げる気にはなれずにいた。 ここまで拒まれる理由は解らない。 解らないが、自分の許に戻ってきたを、その気持ちごと踏みにじるような真似はしたくない。 そう思っている彼は、自身の葛藤に既にある程度の整理をつけ、特にこだわることもない。 だが、実はこの、一見男らしく毅然とした割り切りようの裏には、 この怜悧な男をもってしても自覚に至らない、彼女への気遣いに隠されたもうひとつの本音がある。 それはまったく鬼の副長らしくもなく、 かつ本人も認めたがらないような、弱気でちっぽけな理由から生まれていた。 どのみちそんな些抹さなどに頭を巡らせるような性分でもなければ、余裕もなく。 すっかりふてくされた土方は、他の隊士たちと同様に布団を深く引き被り、フテ寝を決め込む。 解っている。こうして布団に潜ったところで、どうせ眠れはしないのだ。 解ってはいても、それ以外にどうしようもない。 あと三十分もすればが戻ってくる。風呂上りの頬を桜色に染め、シャンプーの香りを甘く振り撒きながら。 温かくて柔らかな身体が、手を伸ばせば抱きしめられる距離に滑り込んでくる。 背を向けて押し黙るしかない男に、おやすみなさい、と囁いて。 何の疑問も持たずに、彼の隣で眠りにつく。 そうなってしまえば、寝たふり以外に彼が摂る道などない。 は安心しきっている。無邪気な誤解をしているのだ。 土方が、自分のバレバレなごまかしにも納得してくれているらしい、と。 それは彼も解っている。 解っているからこそ、ふてくされた顔で残酷な誘惑に耐え。 寝苦しい夜をやり過ごす以外に、何かと格好つけたがりなこの男が摂る道などないのだった。
「 触れる指先の我儘を 1 」text by riliri Caramelization 2008/01/16/ ----------------------------------------------------------------------------------- next