一度手を握られたくらいで、何かが劇的に変わるなんて。 そんな話は、ありえない。 いくら思い込みの激しいあたしだって、もちろんそんなことは思っていない。 土方さんは大人だし。ただでさえモテるんだし。 女の手なんて、飽きすぎて欠伸が出るほど握ってるのかもしれないし。 あのひとにとって、あれはたいした意味なんてなかったんだろう。 気まぐれとか、偶然握っちゃったとか。きっとその程度のことでしかないんだ。 それくらい、本人に訊かなくたってわかる。 だってあれ以来、何も無いし。いつも通りに厳しいし、失敗すると容赦無く鉄拳制裁だし。 それくらいわかってる。あたしだってもう、手を繋いだだけで勘違いしちゃうような子供じゃないんだから。 手を繋ぐ。たったそれだけで、何も無かったそれまでの関係ががらりと変わるなんて。 映画やドラマじゃないんだから。そんなところから恋が始まっていくなんて、お手軽すぎだし、安易すぎる。 そりゃあ他所でなら、よくある話なのかもしれない。ちらほらと、フツーによくある話なのかもしれない。 だけど今のあたしには、そんな甘い気配は無縁なはずだ。 そんなことはありえない。年末の忙しさに殺伐とした、この荒みきった屯所内ではありえない。 それに相手だって甘くない。 あの気難しい顔をした、仕事の鬼だもの。 パシリのあたしは女扱いどころか、人間扱いされているかどうかすら怪しいのに。 ・・・・・・・・なんて。今のは嘘。 嘘。ぜんぶ嘘。 そんなこと、本当は思ってない。 今のはぜんぶ、自分で自分に言い聞かせた嘘でしかないんだから。 本当はすごく期待しちゃってる。 毎日そわそわして、土方さんの視線が気になって。何をしていても落ち着かない。 だからこうしてブレーキを踏んで、一人上手に浮足立ってしまう自分を抑え込んでるんだけど。 そうでもしていないと、ふとした瞬間に何をしてしまうかわからない。だから余計に落ち着かない。 あの日からずっと、自分を宥めるだけで精一杯。 そんな自分が、危なっかしくて恥ずかしくて。自分でも、何だか見ていられなくて。 あたしはあのとき以来、あのひとをまっすぐ見れなくなってしまった。


Close to you

1

もうおやつの時間に近い、がらんとして人気のない屯所の食堂で。 あたしは一人座って、落ち着かない溜め息をついている。 今日はクリスマスイブ。 局内にはそんな賑やかな雰囲気なんて、どこにもないけれど。 門から外へ出れば街は賑わっているし、賑わうほどに警察は忙しい。そうなれば、局内は当然人の気配が薄くなる。 今日も繁華街の見廻りや、クリスマスイベントの警備に駆り出されている隊士がほとんどだ。 人気がないせいなのか、食堂がいつもよりも広く感じる。 ぽつんと一人座っているあたしの他には、夕食の準備をしている調理場のおばさん達しかいない。 手元には淹れてもらったお茶と、おばさん達に恵んでもらったお煎餅が山と盛られたお皿。 そして今日中にまとめてしまわないと鬼に蹴られかねない、年末締めの書類や報告書が三束。 三束とも、二回ずつチェック済み。念を入れて二回もチェックしたんだから、間違いは無いはず。 だけど自信はない。普段通りに出来ているのかどうか、実はぜんぜん自信が無い。 あたしは最近、屯所の中でも外でも、つまらないミスばかり繰り返している。 ミスの原因はわかってる。そわそわしすぎているから。集中出来ていないから。 そこまでわかってるのに、ミスは減らない。 減るどころか、土方さんが一緒にいたらもっとヒドい。ミスの頻度が倍になってしまう。 副長直属なだけに、今日みたいに離れて仕事をしている時間のほうが遥かに短いっていうのに。 ああ、どうしよう。 このままじゃ、好かれるどころか完全に呆れられちゃう。嫌われる。 これでもし、また「一番隊へ行け」なんて言われたら。 どうしよう。 今度こそ「直属」をクビになるかも。泣いて頼んだって、聞き入れてもらえないかもしれない。 一人でグルグルと悩みながら焦っていたら、背後から大きな声が聞こえた。 「おう、。今頃メシ食ってるのかァ?」 「あ、近藤ふぁーん。おふぁえりなふぁーい。」 口にお煎餅を詰めたまま振り向くと、目が合った近藤さんはプッと噴き出した。 ハハハハ、と豪快に笑いながら寄ってきて、あたしの頭をポンポン叩く。 「おいおい、口の回りが真っ赤だぞォ。 どうしたんだ、そのとんでもなく赤い山は。お前、昼飯だけじゃ足りねえのか?」 「違いますよォ。さっき戻ってきたら、お昼ご飯が一膳も残ってなくって。 お腹がすいて死にそう、って泣きついたら、食堂のおばさんが出してくれたんです」 あたしが食べているお煎餅には、唐辛子がたっぷりまぶしてある。 見た目は近藤さんの言う通りで、とんでもなく赤い。火山口でドロドロ煮えているマグマみたいに、危険な色。 「近藤さんも一枚、どうですか?見た目ヤバそーですけど、食べると意外にイケますよ。 あ、そーいえばこれって、総悟のお姉さんが送ってくるお煎餅だそうですよ」 近藤さんは差し出したお皿から、お煎餅を一枚手に取った。 それを笑顔で眺めながら、ああ、と納得したかのように深く頷く。 「成程、こりゃあミツバ殿からか。どうやら相変わらずのようだなあ、あの人も」 「ふーん、ミツバさんていうんですか。 総悟のお姉さんなら、きっとすごく綺麗な人なんだろうなー」 「ああ。総悟とも似ちゃあいるが。そりゃあもう、綺麗な姉さんでなあ・・・」 お煎餅を口に入れようとしていた手が、そこでぴたっと止まる。 止まった手も、近藤さんの顔も、なぜか微妙に強張って見えた。 「あ、ああ。いや、そうか、は、その。・・・聞いてねえよなァ」 うろたえたような、反応を窺うような口調でそう訊かれて、あたしは首を傾げた。 「聞いてねえよなァ」という問いかけはたぶん、総悟のお姉さんについてなんだろう。 そういう察しは、つくけれど。 「そーですねえ・・・・身内は病弱なお姉さんがいるだけ、ってことくらいしか。 あの子、お家のことはたまにしか話してくれないし。そんなに綺麗な方なんですか」 「お、おォ!?ああ、ウン、まあそのっ、いや、確かに美人だがなっ、 いやいや、だって負けたモンじゃないぞォ、落ち込むこたァねえんだぞ!?」 「・・・なんのことですか?負けるとか落ち込むとか。あたしは何も」 「イヤイヤイヤイヤイヤ、ななっ、何も無いぞォ! 何だそのよォ、ほら、アレだな、冬だってのにミョーに暑いなァ今日は、ハハハハハ!」 「はァ。あの。どーしたんですかその声」 「えっ、俺の声?どっ、どーした、この近藤の美声に聞き惚れたかァ? ま、参ったなァこりゃ!ウハハハハハ!!!」 「急に2オクターブくらい上がってますけど、声が」 固まってしまった近藤さんは、真夏の炎天下にいるみたいに額から汗をダラダラ流している。 おかしい。いくら暖冬だからって、ただ話しているだけでそこまで暑くはならないはず。 これは怪しい。何がどう怪しいのかもわからないけど、あからさまに、すごーく怪しい。 目を細めてじーっと見ると、不審なゴリ 容疑者は、あわててあたしの肩に手を置いた。 「!そういやアレはどうなった?とっつあんに上げる年末締めの」 「アレなら先週送ったじゃないですかァ。確認のハンコ貰ったじゃないですか」 「おっ、おォ!?そーだそーだ、そういやそうだったなァ!! テヘッ、やあ〜〜だァァ、勲ってばすっかり忘れてたァ!!」 「キモイです近藤さん。ミツバさんて、幾つくらいの方なんですか?あたしと同じくらい?」 「いやァ俺らと同・・・っ、!お前そっ、そうだト、トシはどこだ!?トシィィィ!?」 キョロキョロとあたりを見回すフリでごまかしながら、 あたふたとゴリラが脱走近藤さんが逃げ出そうとする。 あたしは咄嗟にその腕を掴んで、引き止めた。 「土方さんならイベント警備ですよ。朝の会議で連絡してたじゃないですかァ。 それで?ミツバさんって、どんな方なんですか?性格も総悟と似てるんですか?」 「そそそそっっっ、そーいや今日は、クリスマスイブだなァァ!!」 「はァ。そーですね、そうみたいですねえ。ココにいると全然そんな実感無いですけど。 それで?あたしがミツバさんのことを訊くと、何がそんなにマズいんですか近藤さん」 「イヤイヤイヤイヤ!マズくないっっっ、マズかないよォ!?マズくないからね全っっっ然!?」 「はァ。じゃあ、どーしてそんなに汗掻いてるんですかァ。」 「そそそそーだ、っっ、今年は俺がのサンタになってやろう! ケーキ買ってやるぞ、でっかいクリスマスケーキを!なっ!? クリスマスの実感はどうあれだ、女の子ってえのは、ケーキくらいは食べたいもんなんだろう!?」 「えええっ!いいんですかあァァァ!!ありがとうございますっっ!! じゃあサンタさんっ、ケーキのオマケに☆○×★の新作ウォレット五万二千円もつけてくださいっっっ」 「おお、オマケの五万二千円くらい任せとけ・・・・って、 えええェェェ!!?何ココどーゆー店!?ぼったくりバー!!?」 「ああっ、局長ォ!アンタこんなとこでサボってたんですか! もォ行かないと、間に合わないっスよォ」 入口の方から、山崎くんの焦った声がした。 そこには、山崎くんも含めて三人が固まっている。 「あれっ、さんもここにいたんだ。何して・・・」 近寄って来た山崎くんが、あたしの前にあるお煎餅の皿に目を留める。 うわっ、と驚いた顔で後ずさった。 「えっ、それって沖田さんの姉上の煎餅じゃないの?」 「うん、ご飯の代わりに貰ったの。山崎くんも一枚、どう?美味しいよ」 「ウソっ、美味しいのォ!?ソレがァ!!?」 目を丸くしてあたしを指差す山崎くんの後ろから、他の二人が覗き込んでくる。 二番隊の永倉さんと、六番隊の井上さんだ。 煎餅を見た井上さんは、いつもの穏やかな口調で問いかけてきた。 「おっ、それはもしかして。アレじゃないですかァ。ミツバさんが送ってくる、例の煎餅」 「へーえ、ミツバさん。懐かしいねえ、あの別嬪さんがなァ。」 煎餅を手にした永倉さんは、大量にまぶしてある唐辛子を目にして、うっ、と呻いた。 「相変わらずみてーだなあ、あのヒトも」と、井上さんと呆れ顔で笑い合う。 そういえば、この二人も武州出身のはず。 近藤さんみたいに「ミツバさん」とも親しくしていたのかな。 「ははは、あのヒトも、あんな顔して恐ろしい味覚してるからなァ。」 言いながら煎餅を手に取って、井上さんはニコニコと近藤さんに振り向いた。 「やっぱりアレなんですかねェ、局長。 副長とは、おたがいに似た者同士ってことなんでしょうかねえ?」 井上さんの言葉を何気なく聞いて、それからもう一度、頭の中で繰り返した。 繰り返して、もう一度頭の中で唱えて。途端に手から力が抜けた。 持っていたお煎餅は、あたしの手からぽろっと落ちた。 「げげ源さんんん!!!!」 叫んだ近藤さんの声にはっとして、呆然と見上げる。 手を震わせている近藤さんはあからさまにうろたえているし、額からはさっき以上に汗が噴き出ていた。 顔を見合わせた永倉さんと井上さんが、怪訝そうな顔になる。 「どーしたんスか局長。何なんスかその汗」 「どうしました局長。私が何か?」 「・・・・そっかあ。・・・・そうなんだあ・・・・」 ぽつりとつぶやいたあたしの声で、永倉さんが振り返る。 不思議そうに床を指差した。 「ちゃん?床、床ァ。落ちてるよォ煎餅」 「ははは、辛すぎてショック受けてますねえ、さん」 二人が笑う声を聞きながら、あたしは強張った顔で笑顔を作ろうとした。 上手く笑えていないのは、自分でも解った。 でも。これ以上に上手くなんて、今は出来そうにない。 「ミツバさんねェ。未だに一人でいるって聞いたけどなあ。どうなってんのかねえあの二人。 まったくさあ。昔っからあの人ァ、綺麗どころは全部かっさらっちまうんだからよォ。 たまにはお零れ程度でも、こっちに回してくんねえかなあ」 「いやいやァ、諦めましょうや永倉さん。それこそ私らとは役者が違うってもんですよ。 しかし懐かしいですねえ。道場の縁側で、あの二人が並んでいるところをよく見掛けたもんです」 「あァ、そうそう!見た見た俺も。ミツバさんがまた、嬉しそうな顔しちゃってさあ。」 ・・・・なんだ。そっか。そうなんだ。 ああ。そっか。ミツバさんて。・・・・・・そういうひと、なんだ。 慌てて井上さんを止めようとした、近藤さんを見てしまったら。 いくらあたしがバカだって、気づかずにはいられなかった。 総悟のお姉さんが。 「ミツバさん」が、土方さんの。 そう思ったとたんに、頭の中が一瞬で真っ白になった。 それから周りの声が、急に遠くなる。 突然皆と引き離されて、どこかに連れていかれそうな怖さに身体が包まれる。 聞きたくないな。 このまま部屋に走って戻れば、話の続きを聞かなくて済むのかな。 聞きたくない。これ以上、聞きたくなんてないのに。 さっきの言葉だけで、もう。嫌になるくらいにわかってしまった。 これ以上「ミツバさん」の話を聞いたって。きっとあたしには、いいことなんてひとつもない。 わかっている。でも、なぜなのかわからない。 それでも知りたがる自分を、止められない。 それでも訊かずにいられない。訊きたくなんてないのに。 「・・・井上さん」 「はい?」 「あの。・・・・ミツバさん、って・・・・・」 知りたがる自分を。訊きたがる自分を、抑えきれなくて。 あたしは硬くなった喉から、声を絞り出した。 きゅっと握った手が、ぎこちなく震えた。

「 Close to you 1 」text by riliri Caramelization 2008/12/26/ -----------------------------------------------------------------------------------           next