かわいいひと
『似合うじゃんそのコート。マジ可愛い。なんかァ、お前のために作ったみたいじゃん』 『えええ〜〜、ウソォ、ホントにィ?ホントにそう思ってるう?』 『いやマージーで思ってるって。マジカワイーって。あれっ、んだよ、何だよォ。 何。疑ってんの?俺がお前に、嘘ついたことあったかァ?』 『えええ〜〜。なーいけどォ。ええ〜、もうっ、やーん、嬉しいっっ』 『でもよォ。コレ、なんか薄くね?寒くねーの?俺、あっためてやろっか』 『やァ〜〜ん、寒うぅ〜〜いいィィ、あっためてェェ!!』 「こっちが寒みーよ」 馬鹿にしきったツッコミが、背後で冷たく響く。 振り向くとそこにはポケットに手を突っ込み、無愛想極まりない顔で煙草を咥える上司の姿。 煙草の煙と一緒に吐き出される吐息も、すっかり白い。 もう十二月だ。しかも夜八時。 さっきからここに立ちっ放しのあたしの手も、芯まで凍りついてしまっている。 土方さんは、あからさまな憐みのこもった目であたしを眺めている。 何か言われたわけじゃない。ただこっちを見てるだけ。 でも、その顔にはムカつくくらいにはっきり書いてあるのだ。「馬鹿は拾うもんじゃねえ」と。 「、てめえ。何の嫌がらせだ、その馬鹿コントは。やめろ。通行人が見てんだろ」 「コントじゃないです。ただのオチャメな暇潰しですよ」 「ただでさえ冷えるってえのに、んなクソ寒みィモン見せんじゃねえ。 見せられる側の迷惑ってもんを考えろ」 「アフレコですよアフレコ。ほらぁ、あそこ。いるでしょ、噴水の前に。 あそこでイチャついてる、人目を忘れた寒ーーいカップルが」 指した方へ、土方さんが目を向ける。 このあたりの定番待ち合わせ場所として有名な、ベンチが並んだ広場の噴水前。 そこには温かそうなオレンジ色の洪水みたいな電飾や、 キラキラと照らされるオーナメントがきらめく、目映い光のモニュメント。 近くのビルの三階くらいまで届く高さの、大きなクリスマスツリーが輝いている。 待ち合わせ場所としても定番スポットだし、昼間だって混んでいる。けれどこの時期、夜はさらに混み合ってる。 イルミネーション満開の夜の街で、ラブラブなクリスマス気分を盛り上げたい二人にとっては まさにぴったり、ロマンチックで派手派手な、真冬のデートの定番スポットだ。 そこにいる一組のカップル。あたしが指したのは、その二人だ。 ここに立ってから、かれこれもう30分以上。ずっとイチャついているあの二人。 皆より少し離れたこの店の門前に見張りとして立たされ、暇だった上にさみしくなってしまったあたしは、 二人の会話を妄想しては声に出す、という虚しくおバカな遊びを続けていた。 ツリーは綺麗だし、クリスマス気分は盛り上がるし、周りはオシャレなお店がいっぱいだし。 「江戸のデートスポット ベスト10」とか、テレビや雑誌の特集でよく見かけるけど。 当然だよね。イチャつきたくなる気分もわかる。だって、あたしだって一緒に歩きたいもん。 ・・・一緒に歩いてくれる彼氏がいれば、だけど。 まあ、いいんだけど別に。わかってるんだけど。 そんな特集、いくら羨ましがって眺めたたところで。今のあたしにはぜんぜん意味がない。 クリスマスもイルミネーションもライトアップもラブラブも、今のあたしには何の関係もない。 だってあたしは、江戸の平和を護るオマワリさんだから。皆が遊んでいるときほど忙しいのだ。 市民が平和に遊んでいるのを、こうして地道に護るのがお仕事なのだから。 ああ、あたしって。なんて偉いんだろう。なんて仕事熱心なんだろう。 自分の幸せは二の次にして、市民の平和のために地道な努力を重ねる。これこそ警官の鏡だよ。 ホントいいコだよ、偉いよ。あんたって、なんてけなげな女なのっ。 「あ、そーだ。 あのムカつくカップル逮捕してきていいですか。命令下さいよ副長権限でっ」 「やめろ」 「えーーっ。いいじゃないですかあ。 ちょっとした不当逮捕くらいいつものことだし、全然平気ですよ土方さんなら。 ヤバくなったら、いつもみたいに刀抜いて脅せばいいじゃないですか土方さんが」 「・・・・・・・・」 「っとにもう。何ですかアレっ。いくらクリスマス前で舞い上がってるからって。 ちょっとは人目気にしろっての、日本人なら少しは恥じらいを覚えろっての!!あ〜ムカつくうぅ」 「俺はカップルよりお前にムカつく」 「ええ!?何で!?どうしてですかぁっ。あたしが何したってゆーんですかあァ!!」 「・・・テメ、ちったあ副長直属って立場考えろ。 見張りくれーきっちりこなせ。この程度の仕事で、俺の顔潰すんじゃねえ」 要人警護の最中に堂々煙草を咥えたオマワリさんが、当然だと云わんばかりに厳しい顔で説教を垂れてくる。 おかしい。何かおかしい。絶対世の中間違ってる。 そもそも、このふてぶてしい人の顔は、部下のオチャメなサボり程度で潰れるようなヤワさだろうか。 そう思っても口にはしないけど。言わないけど。 真選組に入って数か月。あたしだって日々、それなりに成長している。 これでも進歩したんだから。余計なことを言って殴られるのが、一日三回に減るくらいには。 「ええー。このくらい見逃してくれたっていーじゃないですかァ。 要人警護って、・・・まあ、出入りよりは楽だけど。性に合わないんですよ、もォ退屈で退屈で。 それに寒いし。あたしだけスカートだから、みんなよりもずっと下半身冷えるんだもん」 「厠なら行って来い」 「えェ〜〜。じゃあついでに○ックでお茶してきていいですか、一時間くらい」 「ざけんな」 ぴしゃりと言い切られて、オマケに上から重い拳骨が降ってきた。思わず、いたっ、と声が出る。 痛い。めちゃくちゃ痛い。女相手だろうと手加減なんて無いのだ、このひとには。 痛む頭を抑えながら、悲しい溜息を吐いた。吐いた息が凍りそうに白い。 それを見ているだけで、身体が冷える気がする。体感温度が勝手に下がる。 ホカホカの使い捨てカイロはポケットに入ってる、だけど脚が寒い。ブーツの足先も、かじかんできた。 「あーあ。いいなあ総悟は。ちゃっかり中に入っちゃうんだもん」 「山崎ィ」 呼びかけた土方さんは、いつのまにか無線のトランシーバーを取り出していた。 「お前、俺の代わりに店内入っとけ。それから近藤さんに、……」 指示を出してトランシーバーをしまうと、土方さんは短くなった煙草を指で摘んだ。 口から外したそれが地面に落ちる前に、あたしは黙って携帯灰皿を差し出す。 副長サマも、何も言わずにそれを受取る。吸殻を突っ込んで返してくる。いつものことだ。 だけど今は、その「いつものこと」までなんだか面白くない。自然と顔がむくれてしまう。 「・・・・いいなあ、山崎くん。あたしだって中がいいですよォ」 「あァ?今日の警護対象、誰だかわかってんのか」 「わかってますよそれくらい。上様ですよ上様っ。 さっき、恐れ多いことに「そのほうが副長付隊士か」って、お声をかけていただきましたっ」 「わかってんじゃねーか。上様だから山崎だ。お前にゃ務まらねェよ」 わかってます。面と向かって言われなくたって、そんなことくらいわかってる。 そう思いながら、渋々で頷いた。 同じように毎日小突かれっ放しでも、扱いの手荒さが同じでも。 山崎くんはあたしよりずっと有能だし、土方さんにも頼りにされている。 違うのに。そういうコトじゃないのに。 面白くないのは、山崎くんと比べられたことなんかじゃない。 きっとこの仕事馬鹿なひとにしたら、話にもならないだろう。 また拳骨を振り下ろしたくなるような、くだらない理由だ。 「・・・少しは、寒がってる女のコを労わろうって気持ちは無いんですか」 「どこだよ。寒がってる、労わりたくなるような女は」 「・・・どーせあたしなんて。 モテモテな副長サマにしたら、女の数にも入らないですよっ」 「寒けりゃ動いてろ。上様は当分出て来ねえぞ」 木刀でもありゃ、稽古くれえはつけてやるが。 二本目の煙草に火を灯した鬼は、笑い混じりにつぶやいた。 互いの腰に下がっているのが、真剣だけだということに感謝したくなる。 世間の女の子の99.9%は「真冬のロマンチックデートの定番スポット」を前に、 素振りだの打ち込み稽古だのをしたいとは思わないはずだ。 暗闇を照らす、眩しく温かなオレンジの光が目に入る。 あのツリー、たしかライトアップは深夜十二時までのはず。 それまでの間、光に誘われた人達の群れが途切れることなく押し寄せるんだろう。 さみしい女のヒガミかもしれない。さっきまでよりも、カップルの数がやけに増えた気がする。 寒さで冷えた手で、口元を覆いながら擦り合わせた。 手袋くらい持ってくれば良かった、と後悔しながらふと隣を見ると。 隣の土方さんも、温かそうな色をした光の木を黙って眺めていた。 ツリーを楽しげに見上げている人達とは違って、何の感慨も無さそうな厳しい顔だけれど。 ・・・傍から見たら、どう見えるのかな。 どうなんだろう。 こうして二人で立っていると。このひととあたしって、どんなふうに見えるんだろう。 ・・・・・・・・・・ 間違っても恋人になんて、見えないだろうけど。 まあ、実際違うし。そんな雰囲気どこにもないし。ただの仕事バカ上司とパシリ部下だし。だから当然なんだけど。 それに二人とも隊服だし。どう見たって楽しそうじゃないもん。あたしはともかく、土方さんが。 それに。あのムカつくカップルと違って、ラブラブオーラなんてどこにも出てない。 ・・・・・・・あたしはともかく、土方さんが。 「土方さん」 「何だ」 「・・・何でもないです」 「んだよ。気味悪りィから、云え。」 「・・・上様って、どんな方なんですか」 「さあな」 「さあな、って。土方さん、いつも警護のときは側についてるじゃないですか」 「ああ」 「だったら、少しは話しますよね」 「しねーよ」 「えー。そうなんですか? だって車の中も厠もキャバクラも、いつも一緒じゃないですか」 煙草をくゆらせていた隣の上司は、がっかりしたような深い溜息をついた。 イラつき気味に指がフラフラ揺れて、煙草の煙も一緒に揺れる。吐く息が白く流れる。 その姿を眺めながら、ふと気づいた。 あたしって。このひとの仕草のひとつひとつを、いちいち細かく目で追ってる。煩いくらいに。 「たりめーだろ。江戸の最重要警護対象だぞ」 「でも。近藤さんや松平様とは気さくに話してましたよ、上様」 「あいつらはな。」 淡々と言って、ツリーの天辺を見上げる。 「あちらさんは。俺らとは格も品も、棲む世界も違う。文字通りに雲上人じゃねえか」 広場のツリーからここまで射してくる強いライトの光に、眩しげに眼を細める。 それからその下に集う人達を無表情に眺めて、 平和なこった。光につられりゃ羽虫みてえに沸くもんだな、と独り言のようにつぶやいた。 「そういうお方と話すことなんざ、近藤さんみてえな奴ならともかく。俺にはねえよ。 本来、俺らみてえな氏も素性も知れねえ芋侍どもが、側付になるってえのが間違ってんだ」 「ふーん。・・・結構人見知りですよね、土方さんて。こんなに図々しいのに」 「・・・お前よ。聞いてねェだろ、人の話を」 「聞いてますよォ」 吐息で手を温めながら、あたしは不満げに言い返した。 ちゃんと聞いてるのに。だって勝手に耳に残るんだもの、土方さんの声って。 それに。今のを聞いたら、なんとなく。少しだけ解ったような気もした。 雲上人の上様も、目の前で輝いている、綺麗なあのクリスマスツリーも。 このひとにしてみれば自分とは関わりのない、夜空に浮かんでる星みたいなもので。 目の前にあっても遠い存在だっていうことについては、どっちも似たようなものなのかもしれない、って。 「関わりゃ関わっただけ、増えるからな」 「何がですか?」 「関わる奴等を増やしちまえば。増やしたぶんだけ、面倒も増える」 云いながら、土方さんはなぜか上着を脱ぎ始めた。 脱いだものを手にすると、そのまま放り投げるようにあたしに被せる。 頭が重みに覆われて。目の前が、真っ暗になった。 「・・・土方さん」 「何だ」 「・・・何ですか、コレ」 もぞもぞと、被せられた隊服を引っ張りながら顔を出す。 すると被せた人と目が合った。なのに、合った途端に素っ気なく逸らされた。 「・・・寒いだの労われだの、煩せえんだよ。大人しくそれ被って、黙ってろ」 人肌の温かさと煙草の匂いが、周りをふわりと漂う。 ふわふわしすぎて、くすぐったい。 自分の体温とは違う、上着に残った人肌の温かさだ。 他の誰かの体温って、こんなにくすぐったいものだっただろうか。 「土方さん」 「んだよ、まだ寒みィってのかよ。もう何も出ねえぞ」 「コレ着てると、あたしの服まで匂い移っちゃうんですけど。 後でちゃんとクリーニング代、出してくださいね」 「・・・てめえはよ。」 「はい?」 「可愛気ってもんが無え」 そんなこと、あなたにだけは言われたくないです。そう思いながら。 腕を組み、ツリーの天辺を睨んでいる。苦々しい顔の人を見上げる。 いつも通りにすっと伸ばされた姿勢の良さなのに、上着が無いぶんだけちょっと寒そうに見えた。 見慣れているはずの、暗がりに浮かぶようなシャツの白い肩が、何故かいつになく眩しく見えてしまう。 胸がとくん、とちいさく弾んで、隣で黙っているひとが眩しくて。 見ていられなくなってしまった。 あーあ。可愛くない。 ほんとに可愛くない。このひとも、あたしも。 面倒だ、ってきっぱり言ったくせに。どうしてこんなことするんだろう。 何なんだろう、このひとって。笑っちゃいそうになるくらい可愛くない。 そんな難しい顔してたって、解るんだから。 いつも後ろから、気づかれないように見てるから。 ちょっとした変化だって、解っちゃうくらいに見てるから。 ほんとは自分だって寒いくせに。 どうしてそんな、こっちが声掛けづらいような、難しい顔をしてみせるの。 実は痩せ我慢してるくせに。すごく寒いくせに。 だって。いつもよりもちょっとだけ、肩が竦んで見えるもの。 あんな言葉の後でこんなことをされたら、素直にお礼なんて云いづらい。 ほんとはすごく嬉しいんだけど。云いづらい。云えなくなる。 凍りつきそうな爪先も、さっきのムカつくカップルも。 女扱いされないことに落ち込みかけた、モヤモヤした気持ちも、全部。 どうでもよくなって忘れてしまうくらい、嬉しいんだけど。 どうしたらいいんだろう。 どうしたら、どうやって言えば。このひとに伝わるんだろう。 今のあたしには、このひとに「好きです」なんて云えそうにない。 恥ずかしいし、自信が無い。このひとに受け止めてもらえる自信なんて、どこにも無い。だから怖い。 なのに、心の奥では違うことを思ってる。知ってほしい、と願ってしまう。 このひとの隣にいられるだけでいい。それだけでいいと、思っていたはずなのに。 途端に欲が出てしまう。 このひとに知ってほしい。 あたしが抱えてる気持ちの、ほんの欠片だけでいい。少しだけでいいから、知っていてほしい。 「土方さん」 「ァんだよ」 「・・・あたしも、面倒ですか」 「・・・・・・一番面倒な奴が。何言ってやがる」 「面倒だとか言いながら、こーゆー寒いコトしないで下さいよ」 聞こえないように、そっと深呼吸して。 初めて自分から、土方さんの手を取った。 「こういうことされると。・・・嬉しくなっちゃうじゃ、ないですか。」 たまに偶然触れたりはしたけれど、自分から触るのなんて、初めてだ。 解っていたから、心臓が跳ねそうなくらいドキドキした。手が震えるんじゃないかと思って、ちょっと焦る。 掴んだ手は、やっぱり大きい。指をうんと開いてやっと掴めるくらいに、大きい。 外はこんなに寒いのに。凍りそうなあたしの手と違って、すこし温かい。 取った手を引っ張って。そのままスカートのポケットに押し込むと、入った手が少しだけ、びくっと動いた。 熱さに驚いたのかもしれない。中には使い捨てカイロが入っているから。 あたしのポケットに収まったまま。 土方さんの手は、動かない。 振り払われたりしなかったことに、今頃になってほっとする。思わず肩から力が抜ける。 視線の遣り場に困って、光に誘われるようにツリーを見上げた。 キラキラと眩しい光を放つクリスマスツリーが、やけに綺麗で。 眩しくなって、目を細めた。 さっきはここまで綺麗に見えていたのかな、このツリー。 どうだったんだろう。 掛けられた上着の重みが嬉しくて。手を掴んでも拒まれなかったことが、嬉しくて。 触れた手がじんわりと温まっていくのが、嬉しくて。 もう忘れてしまった。 「あの。・・・こういうのって。 ・・・一人で見るより、・・・誰かと、一緒に見たほうが。綺麗に、見えますね」 「そういうもんか」 「・・・そういうもん、ですよ」 こっちを向いた土方さんが、何か確かめるような顔であたしをじっと見る。 それからすぐに顔を逸らして。目を伏せた。 ほんの少しの間だけ、けれど、ひどく可笑しそうに。咥え煙草の口許を歪める。 その表情を見て、やっと気づいた。 ああ。やっぱりそうだ。 触ってみたら、頬が熱を出したみたいに火照ってる。 きっと今、あたしの頬は。 あのクリスマスツリーの天辺近くに架けられた オーナメントのボールの色と同じくらい、赤く染まっているんだろう。 ポケットに突っ込まれたままの土方さんの手が、熱を放つものを軽く掴む。 じんわりと温まり始めたあたしの手も、一緒に。 このひとらしくないくらいに、そっと柔らかく握った。 驚いたけれど、何も言えなくて。あたしは深くうつむいた。 だって、今まで知らなかった。 自分以外の誰かの熱。誰かの手。可笑しそうなあの表情。 たったそれだけのことで。 この大きくて温かい手で、直に掴まれたみたいに。 心も揺らされてしまうなんて。
「 かわいいひと 」text by riliri Caramelization 2008/12/01/ ----------------------------------------------------------------------------------- 次は現在 「純愛…」後の土方沖田。 next