純愛狂騒曲!

12

「てめえといい、ガキどもといい。相変わらず暇そうなこった」 こっちは寝る間も無えってのによ。 つぶやいた声音は、さっきまでより険しさを増していた。 階段を下ると、土方さんはあたしを肩から下ろした。 踏んだ細かな砂利が、足に刺さってひどく痛い。 玄関前で砕けていたガラスで、足裏を切ったのかもしれない。 風呂上りのままで草履も履いていなかったことに、今頃になって気がついた。 「他人のことに口挟む前に、てめえんとこのガキどもを躾けたらどうだ」 「おいおいィ。誰が他人?未来の嫁が泣いてんだぜ?放っとくようじゃ、男じゃねーよ」 薄く笑う旦那の顔が、ぼんやりと滲む。 泣きすぎて目が腫れてしまったみたいだ。 目の前に立った姿まで、輪郭がぼやけて見える。 「他人はてめーだろ。いつまでも彼氏ヅラでしゃしゃり出てくんのァ、見苦しいだけだぜ」 身を低く屈めて、旦那があたしの顔を覗きこむ。 肩を落として、あーあ、と大げさに嘆いてみせた。 「・・・まぁーた泣かしやがって」 横目に眺めた土方さんに、ボソッと投げつける。 あたしも横に立つひとを見上げた。 滲んで見える横顔は、旦那を睨み据えたままで動かない。 「口挟むのも野暮ってえから、こっちも今まで黙っちゃいたがよ。もうおめえにゃ任せらんねーよ」 旦那の肩が目の前を塞いだ。 土方さんとあたしの間に割って入ろうとする。 目の色を変えた土方さんが、旦那の衿元を鷲掴みにして。強引に引き寄せた。 「土方さん!」 「。ちょっと黙っててくんね?」 間に入ろうとしたあたしを片手で制して、旦那が土方さんの腕を硬く掴む。 掴んだ腕をちらっと嫌そうに眺めると、平然と続けた。 「もういいだろ。もう、を自由にしてやれよ」 二人とも、お互いに目を逸らそうとしない。 どちらがいつ殴りかかってもおかしくないほどに、目の前の空気は張り詰めている。 止めに入ろうとしたら、腕一本で簡単に拒まれた。間に入らせてもらえない。 「オメーがそーやって追い詰めるから、このコは一人で苦しむんだよ。 忘れたくても忘れらんねーモンを、誰にも言えずに一人で抱えて。思い出すたび泣いてんだ。 見てるこっちがやりきれねーよ」 「・・・ちがうの。違う、そうじゃないの」 止めたいのに、掠れた泣き声しか出てこない。 旦那の腕に縋りついて、着物の袖を掴んで、滅茶苦茶に引っ張った。 こんなことをしてもどうにもならないって、わかっているのに。 「ちがうの、違う、あたしが悪いの、旦那っ」 土方さんは悪くない。追い詰めたのはあたし。 自分で自分を追い詰めて、勝手に苦しくなって逃げ出しただけ。 そう言えばいいのに。 泣きじゃくりながらかぶりを振って、壊れてしまったみたいに何度も同じことを繰り返す。 違う、そうじゃない。そうじゃないんです。 ただそれだけを、駄々をこねるみたいに、ひたすらに繰り返すしか出来なくて。 縋りついているうちに、また涙が溢れてきて。いつのまにか地面に座り込んでいた。 旦那の袖を引いたまま、声をあげて泣きだしてしまった。 掴んでいた袖がゆっくり動く。 あたしの頭にぽん、と手を置いて、髪を撫でた。 冷えちまったなァ。 ひとことだけ、低くつぶやいた。 「テメーがべったり張り付いてたら、忘れられるもんも忘れられねーだろォが。 のためを思うんなら、テメーは消えろ。この子のために諦めろよ」 「はっ。誰がてめえの思惑通りに」 「そんなんじゃねーよ」 土方さんの腕を、大きく振り払う。 旦那は静かに笑った。 「そんなんじゃねえんだよ。こーやっててめえにモノ頼むくれェならよ。 俺ァ最初っから腕の二、三本、喜んでくれてやるぜ?」 聞き慣れないその口調も、笑いと同じに静まり返っている。 周りの空気をすうっと引き込んでしまう。 旦那の言葉を境に、場の空気が一気に変わってしまった。 いつのまにか、涙まで止まっていた。 見慣れない旦那を目にしたのに驚いて、黙って見上げていた。 旦那は何も無かったみたいに、いつも通りのとぼけた半笑いを浮かべた。 「ここでオメーと勝負つけようなんて思っちゃいねーよ。俺ァ頼んでんだよ、土方くん。 まァ、どーしてもってんなら土下座くれーはつけてやるぜ?有難く受け取りやがれバカヤロー」 旦那の顔から、土方さんの顔に目を移す。 あたしほどではないように見える。けれど、土方さんの顔にも戸惑いは浮かんでいた。 じっと旦那を窺っている。 「・・・てめえも御同類か。変わり者ってやつの」 苦々しい口調でそう言って、隊服の懐に無造作に手を突っ込む。 潰れ気味な煙草の箱を取り出すと、少し曲がった煙草を噛み潰しそうに硬く咥えた。 その嫌そうな態度が気に食わなかったのか、旦那は声を荒げて詰め寄った。 「あァ?」 「しょーがねえ。偏屈親父の決めつけだけでも不本意だがな。 これ以上フザけた面拝む不愉快さに比べりゃ、たいしたことでも無ェしよ」 「ァんだよ。やんのかよ。喧嘩売ろうってのかァ?」 「認めてやろうじゃねえか。よりによっててめえと同類たあ、反吐が出るが」 「上からモノ言ってんじゃねーよ。偉っっそーに意味不明語ってんじゃねーぞテメェ。 反吐こらえてんのはこっちだっての。気分悪りィっつの。つか吐く。マジでそのツラめがけて吐くぞ、あァ!?」 「るせェ。寄るな。胸クソ悪りィ」 苛々した口調で叩きつけて、煙草に火を点ける。 座り込んだままのあたしをじろっと見下ろすと、腰に差している刀に手を掛けた。 「おい。手ェ出せ」 鞘ごと抜き取ったそれを、土方さんはあたしに向かって突き出した。 これを取れ、ということだろうか。黙ったままで、何も言ってくれない。 困ってしまって、ムッとしているひとを見上げる。 それからまた刀に目を戻して。そこでやっと気がついた。 手が、考えるよりも先に刀に向かって伸びていく。 指先が触れる。自然と柄を握った。 ぎゅっと握った感触が、手のひらから腕へ伝わっていく。 しっくりと手に馴染んだ重み。自然と手に添う掴み心地。 これ、土方さんの刀じゃない。 あたしの刀だ。 あの日、このひとの部屋に置いていった刀。擦り切れて刃毀れして、血まみれだった刀。 毎日のように手にしていたものなのに、わからなかった。 すっかりきれいになっている。柄も、鞘まで磨かれて。 もう二度と持たないつもりで置いていった、ボロボロだった刀とは別物みたいだ。 途中で止まってしまったあたしの手を、土方さんが掴む。 鞘を押しつけて、握らせた。 「他は好きにしろ。だが、こいつだけは手放すな。 てめえの身くれえ、てめえで護れ。いいな。こんな野郎に任せてんじゃねえぞ。」 一声で隊士たちを黙らせてしまうときと同じ。 厳しい気配。険しい表情。刀を握らせたときも、言い聞かせている間も。一度もあたしを見ようとしない。 表情の薄い顔には隙が無くて、こうして視られることすら拒んでいるみたいだ。 あたしは、呆然と問いかけるしかなかった。 「・・・これ。研ぎに出してくれたんですか」 問いかけてみても、返事は無かった。 ただほんの少し、煙草の煙が揺らいだのに紛れる程度に、かすかに口許が緩んだだけ。 あたしの声なんて届かなかったような、何も無かったような態度で、煙を吐いた。 「研ぎに耐えられねえほど錆びつかせちまってからじゃ、遅せえんだ。刀も腕も。 ・・・どうせここんとこ、竹刀すら振っちゃいねえんだろうが」 旦那を横目にじろりと睨む。 下げていたバズーカを担ぎ直すと、土方さんは踏み出した。 「たまにはそいつも振っておけ。この野郎が相手なら、そう錆びつくこともねえだろう」 座り込んだままのあたしには、目もくれようとしない。 横を通り過ぎるひとを、呆然と見上げる。 息の詰まるような煙草の匂いが、土方さんの背中を追って。離れていく。 あのひとと一緒に、遠くなる。あたしの身体をするりと抜けて、逃げていく。 このまま涙に呑まれて、何も解らなくなってしまいそう。 わかっているのは、確かなのは。あの背中が遠くなっていくことだけ。 あっけない終わり方。 ううん。このあっけなさは、きっとこれが最後だからだ。 これが本当の終わりだから。 もうこれで終わり。あの背中を見送るのも、きっとこれが最後。 これでもう二度と、あのひとは振り向かない。あたしを迎えに来ることもない。 だから、全部終わり。 あの手に触れることも。 馬鹿だと叱られることも。 いつだって速足にまっすぐ進む、あの背中を追いかけることも。もう二度と、ないんだ。 ああ。でも。本当にこれでいいの。 こうしているだけじゃ、あの部屋から逃げ出したときと何も変わらない。 後ろめたさを抱えて、あのひとに背を向けて逃げるだけで。あたしは、それでいいの? まだ終わってない。まだ終わりじゃない。 手を伸ばせば。追いかければ。今ならまだ、届くのに。 「土方さ・・・っ、」 立ち上がろうとしたら、足がずきっと痛む。 ぐらついたあたしは、また地面にへたり込んだ。 足の裏に、何かが刺さったような痛みがずきずきと走り始める。 見下ろすと、踏んでいた砂利の色がそこだけ違う。足裏から流れた血が、薄暗い色の砂利を赤黒く濡らしていた。 もう一度立とうとして、あたしは傷に食い込む砂利の痛さに呻いた。 「・・・ったぁ・・・・っっ」 「大丈夫か」 「あ・・・、はい・・・」 もう一度立とうとしたら、旦那が手を差し出してくれた。 手を伸ばしかけて、息を呑んだ。出しかけた手は固まってしまった。 何度もあたしを助けてくれた、温かい手。 あのひとと同じくらいに、ゴツゴツしていて。あのひとよりも古そうな傷がいくつも刻まれた、大きな手。 この手を掴めない。 これ以上にこの手を頼るなんて、もう出来ない。 この手じゃない。 あたしの頭を一杯にしているのは、目の前に差し出されたこの手じゃない。 ためらいながら旦那を見上げた。 けれど情けない。どうしたらいいのかわからない。 差しだされた手を取ることも、断ることも出来なかった。 あたしへ手を差し伸べている旦那の後ろに、土方さんの背中が見える。 迷っている間も、目は遠くなっていく背中を追ってしまう。 なのに身体が動かない。 喉の奥に詰まった塊が、声にならずに萎れていく。 何度も二人の間で視線を彷徨わせてみても、何も言えなくて。涙がぼろぼろ零れてきて。 ぐしゃぐしゃになったあたしは、顔を覆ってうつむくしかなかった。 「どーした。立てねーのか?」 旦那があたしの肩に手を置いた。 腕を引かれ、そのまま肩を抱えられる。 「・・・旦那」 「ん?」 呼びかけてしまってから気づく。 自分の浅はかさが心底嫌になってしまう。涙をこらえて、また深くうつむいた。 あれだけ叱られっぱなしだったのに。泣きたくなるほどバカだ。 今のあたしに、何が言えるの。このひとに、何を応えられるの。 「おい」 頭の上から、低い声が降ってきた。 「余計な真似すんじゃねえ」 どこにいても、何をしていても反応してしまう。 声のするほうを目で追ってしまう、聞き慣れた鋭い声。 考えるよりも先に、あたしは顔を上げていた。 そこには、もう行ってしまったはずのひとがいた。 旦那の肩を掴んでいる。 「んだよ。帰るんじゃねーのかよ」 「そいつに手ェ貸すな。てめえで立たせろ」 「ああァ?まァーた彼氏ヅラですかァ?つかもう遅せェから。今頃返せっつっても遅せェからな!?」 「違げーよ。いいから放せ。こいつには、てめえの助けなんざ必要ねえ」 掴んだ肩を強く引いて、土方さんが言い張る。 旦那の腕があたしから離れるのを見ると、今度はあたしに目を移す。 口端の曲がったむっとした顔で、目の前にしゃがみ込んだ。 「馬鹿野郎。てめえもてめえだ。擦り傷程度で腑抜けやがって。いつまでも座り込んでんじゃねえ!」 ぱしっ、と頭を叩かれた。 それでもあたしは何も返せない。訊きたいのに、訊けなかった。 あたしのことなんて、もう見放したんじゃなかったの。 どうしてまだ、目の前にいるの。 どうしてまた、戻ってきてくれたの。 ぼうっと見上げたら、「おい、聞いてんのか」と一喝された。 頬をぴしゃりと叩かれる。でも痛くない。痛みなんて感じない。 やっと目が覚めた。そんな気がした。 あたしの身体を覆っていた曇ったものが、消えてなくなっていく。目の前が、さあっと晴れていく。 「二度と庇われたかねえんだろ。俺にもこいつにも、他の奴等にも。 だったら立て。それともさっきのあれァ、口先だけの出任せか?」 「おいおい。説教か?罪も無ェ一般市民に説教ですかァ?副長サンよォ。 解ってんのか?はな、もうてめーの女でもなきゃ部下でもねえんだぞ」 「てめえにゃ言ってねェんだよ、黙ってろ。おい、!」 もう一度、ぴしゃりと頬を打たれた。 二度目のビンタで、やっと痛みが回ってくる。 じわっと涙が浮いてくる。またみっともなく泣きそうになって、唇を噛んだ。 もう目が逸らせない。 あたしを見据えるひとの視線は、揺らぐことがなくて真剣だった。 「これ以上誰にも背負われたくねえってんなら、てめえの足で立て。 それが出来なきゃ、這ってでも進んでみせろ。いつまでもうじうじと愚図ってんじゃねえ!」 耳がおかしくなりそうな、鋭い怒鳴り声が身体を揺らす。 条件反射で、びくっと肩が竦んだ。思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。 「いいか。この先、どこで何しようがてめえの勝手だ。勝手だが、これだけは忘れんな。 庇われたくねえってのがてめえの覚悟だってえんなら、もう二度と立てねェって面すんな。 どれだけ弱ろうが面に出すな!」 「やめろよ。だぁーからしつけーってんだよ、これだからポリ公ってのは」 怖々と目を開けると、土方さんが旦那と睨みあっている。 あたしを怒鳴った土方さんに、旦那が喰ってかかっているところだった。 「テメーとさえ縁切りゃ、はすぐにでも普通の女に戻れんだよ。それを何だァ? この期に及んでまだ隊士扱いかよ。士道不覚悟だ何だと説教垂れる気かァ?今すぐ切腹しろってか?」 「っるっっせーよ。違げーっつってんだろ。つーか、笑わせんじゃねえぞ」 土方さんのふてぶてしい表情が、ふっ、と笑いに歪む。 あたしを顎で指すと、もう一度呆れたように鼻で笑った。 「こいつに士道だと?」 口許はうっすら笑っているのに、強い口調はちっとも緩むことがない。 刺すような眼で睨まれた。 「元々こいつは、隊士としちゃあ欠けてんだ。 腕はともかく、中身がまるでなってねえ。ウチにいるどの野郎より、隊士にゃ向いてねえんだよ」 短くなった煙草が、口から落ちる。 落ちた吸い殻を手が追って、ぎゅっと地面に押しつけ、揉み消した。 その手がふと止まる。 溜息を漏らしながら、土方さんはつぶやいた。 「士道も大義も何も。あったもんじゃねえ。そんなもん、ハナから持つ気が無えときてる。 こっちにしてみりゃ何の筋も理屈も通らねえような、女の理屈で生きてんだ。 勝手に恩だの義理だの、決め込みやがって。動機からしてなっちゃいねえ。・・・」 ぽつぽつと語ると、途中で途切れさせて。 急に顔を上げた。 「だがよ。それでも、芯だけはきっちり通ってやがる」 じっと見つめられて、あたしは何も言えずにたじろいだ。 大きな手が、首元に巻いたスカーフに伸びていく。 「・・・今は弱って、鞘ん中で眠っちゃいるが」 するりと解かれたスカーフが、手に握られて。その手はそのまま、あたしに向かって伸びてきた。 へたり込んだままの、あたしの足に。 「てめえの命張ってまで、俺の隣に立とうって奴だ。 見た目ほどにゃ脆かねえ。護られるしか能のねえ、そこいらの鈍ら刀と一緒にすんな。 どれだけ泣こうが血にまみれようが、泥にまみれようが。くたばりゃしねえよ」 何も言わずに、右足を強く掴んでぐいっと引っ張る。 姿勢が崩れて倒れそうになる。あたしはあっ、と声をあげた。 腕が伸びてきて、土方さんがあたしを抱きとめる。 なのに、また乱暴に足を引っ張られた。それでも何も言ってくれないから、訳がわからない。 どうしたんだろう。どうしていきなり引っ張るんだろう。 それに。今のはひょっとして、もしかして。 このひとなりの、褒め言葉だったんじゃないだろうか。 訊くことも出来ずにいるうちに、掴まれている自分の足に目が行った。 あたしはまた、あっ、と口の中でつぶやいた。 引っ張られたのは、ガラスで切ったほうの足。さっきから血が流れていたほうの足だ。 「厄介なんだよ。こっちが気ィ揉んだところで無駄だ。思い込んだら最後、どうせ何も聞きゃしねェ。 どうしたっててめえの足で先へ進まねえと、こいつの気は済まねェんだ」 包帯代わりのスカーフが、あたしの足に一巻きされる。もう一巻きして、ぎゅっときつく縛った。 滲んだ血が、白地に赤い水玉を作る。白いスカーフを、少しずつ赤く染めていく。 足に触れた土方さんの手をぼんやりを眺めているうちに、我に返った。 手当してもらったのに、御礼も言っていない。 けれど、されていることと言われたことの両方に戸惑ってしまって、何も言えない。 結び終えた土方さんは、軽く眉を顰めた。 「こっちは馬鹿面下げて見てるしかねえんだよ。 いつだってこっちが知らねえうちに、勝手に腹括っちまってんだ。 てめえが見てきた他の女はどうだか知らねえが、こいつは、・・・」 面白くなさそうに話していた声が、ぴたりと途切れて消える。 あたしの足を掴んでいた手が離れる。土方さんは立ち上がった。 何かを言いかけて開いたた口許が、ぎゅっと結ばれて。 不機嫌そうに、大きく曲がった。 「は。・・・俺の女は、そういう女だ」 一言ずつ噛み締めるように。 土方さんは、きっぱりと言い切った。 心臓が、とくん、と高く弾んだ。 どんどん弾む。頬が熱くなってくる。 だって、初めてだ。初めて聞いた。このひとが、こんなことを言うなんて。 足の痛みなんてどこかへ消えてしまった。 痛みなんてどうでもよくなるくらい、驚いてしまった。 あたしはただ目の前に立つひとの横顔を、呆然とみつめていた。 あれだけきっぱりと言い切ったのに。 言い切ったひとはなんだか悔しそうな、ふてくされたような顔になっている。 素っ気なく顔を背け、こっちに背を向ける。けれど、その仕草もどこかぎこちない。どこか頑なで、強張っている。 「修理代は屯所宛てにして回せ。迷惑料も上乗せしていい。 ・・・迷惑ついでに。この馬鹿の気が済むまで、テメーんとこに置いてやってくれ」 珍しく目を見張り、黙って様子を窺っていた旦那が、ちっ、と舌打ちする。 肩を落として腕を組むと、土方さんの背中を呆れたような半目顔で眺めた。 「たいした余裕じゃねーか。いいのかよ。」 「フン。余裕ぶってんのァそっちだろーが」 隊服の上着に手を突っ込んで、懐を探ってる。 煙草を探しているんだろう。 なかなか見つからないらしくて、腕がせわしなく動いている。 背中しか見えなくても、焦り気味なのが伝わってきた。 なんてこのひとらしくないんだろう。 いつにない落ち着かなさも、慌てたような仕草も。この怖い顔をしたひとの肩書きには、似合わない。 「鬼の副長 土方十四郎」には、ぜんぜん似合わない。見ていて可笑しくなるくらい、見慣れない姿だ。 ああ、でも。 他の誰が知らなくても。あたしは知ってる。このひとのこういう背中を、知ってる。 土方さんのこういう姿を、何度も目にしてきたから。身体が、心が、憶えてる。 もう、何度見たのかもわからくなるくらいに。繰り返し目にしてきた。 このひとがくれる優しさは、いつもこうだ。 いつもこんな、どこか慌てていたり、ふてくされていたりするような姿と一緒になって。 無造作に、何の断りも無しに。解りにくいかたちのままで、あたしにぎゅっと押しつけられる。 今の言葉もそう。 突き出された刀も。引っ張られた足も。怒った顔して迎えに来たのも、全部そう。 無愛想でとっつきにくくて、乱暴で。けれど。触れるとどれも温かい。あたしにとっては、他の誰よりも温かい。 やっと煙草が見かったのか、土方さんは歩き出した。 その後は、二度と振り向かなかった。 速足に歩いて、戻って行ってしまった。目指す暗がりの先には、パトカーが停まっている。 離れていく背中を目で追いかけながら、あたしは立ち上がった。 ふらついて重みがかかった右足が、ずきっと痛む。 踏みしめた砂利が傷に食い込みそうで痛い。痛いのに、足は勝手に進もうとする。 一歩踏み出してから、こっちを見ていた旦那の視線に気づく。 あたしと目が合うと、何気なく土方さんのほうを横目に眺めて。ぼそっとつぶやいた。 「テメーの不始末まで経費で落とす気かよ、あンの悪徳警官。税金の無駄遣いしやがって」 やっぱり何も言えなくて。 あたしはまた、泣きそうになった。 「・・・あの坊ちゃんもよォ。趣味が悪りィぜ」 「え・・・」 「まァ、いいさ。なんでもねーよ。それより」 旦那はこっちへ来ると、あたしの肩をポンと押し出した。 「行けよ。追いかけてーんだろ」 万事屋へ上る階段にどっかりと腰を下ろすと、旦那は頬杖をついた。 ほら行っちまうぞ、とあのひとを指す。 こっちを眺めているのは、いつもと変りの無い表情。 気楽そうで緊張感のかけらも無い、にやついて見えるいつもの顔。 いつもと何も変わらない。だから、余計に泣きたくなってしまう。 ここまで迷惑かけたんだもの。 責められても、行くなと止められても、あたしには何一つ文句なんて言えないのに。 「・・・ごめんなさい。ごめんなさい」 思いきり深く、頭を下げる。 こんなときに謝ったって、何になるだろう。こんなのただの自己満足だ。 胸の底で澱んでいる申し訳なさを薄めるための、都合のいい免罪符でしかないのに。 「やめろって。謝られるよーなもんでもねーし。俺のことなら気にすんな。 つか、アレ気にして避けられたらよォ。俺、半殺しだよ?アイツら二人に袋叩きだよ?死ぬよ?」 「・・・旦那・・・」 「また遊びに来いよ。 あ、けどよー。アレは忘れねえでくれよ、さっきのアレ。な?」 明日遊びに行く約束でもするような、気楽な口調で念を押される。 けれど訊かれたほどの気楽さでは、応えられない。あたしは口籠ってしまった。 「でも。・・・あたし」 「来るさ」 おどけた仕草で肩を竦めて、それでも旦那は言い切った。 ちょっとだけ視線を上げて夜空を仰ぐと、まるで暗闇が眩しいかのように目を細めた。 「あんたは必ず俺のところに来る。俺ぁ、それまで首長くして待ってるからよ」 あたしに向けられたはずなのに、ひとりごとみたいに聞こえる。 声音は何気なくて柔らかい。 なのに、強い確信がこもっている。 万事屋の下にあるスナックの扉が、わずかに開いた。 開いた隙間から、中の声が漏れてくる。神楽ちゃんの笑い声がした。 「どこ行ったんだい銀時ィ!このボロビデオさっさと直さねーと、家賃待ってやらないよ!」 と、憤慨しているお登勢さんの声も。 「やっべェ」 面倒そうにつぶやくと、旦那は立ちあがった。 ボリボリ頭を掻きながら、目の前を通り過ぎて。 スナックの扉の向こうに消える。 「んだよ休憩くれーさせろよババア。やたらめったら気が短けえってのは、年取った証拠だぜェ?」 「休憩だけで出来た人生送ってるヤツに言われたかないんだよ。利息代わりに、きりきり働きな」 遠慮無しに言い合う声も、扉の閉まる音と一緒に途切れる。 あたしは閉まった扉に向って、深く頭を下げた。 それから、急いで頭を上げて。 慌てて後ろを振り返る。 通りの外れまで視線を彷徨わせているうちに さっきよりも小さく、遠くなった背中を、曲がり角にぽつんと立った街灯の下に見つけた。 街灯の柱にもたれている。 暗闇に溶けそうな色をした、隊服の背中を。

「 純愛狂騒曲!12」text by riliri Caramelization 2008/11/26/ -----------------------------------------------------------------------------------           next