純愛狂騒曲! 10
お風呂から上がると、総悟がソファに寝転がっていた。 目元はいつものアイマスクで覆われている。 眠ってるのかと思って近づいたら、無言で着物を掴まれた。 「いい匂いさせてどこ行くんでェ、姫ィさん」 「総悟。起きてたんだ」 「寝てやしたぜ。けどの匂いで目が覚めちまった。」 「あれっ。ァんだよ。もォ上がっちまったの風呂」 厠の扉が開く音がして、中から旦那の声がした。 「あ、旦那。お風呂先に頂きまし・・・」 お礼を言おうと振り向いた瞬間、目が点になった。 「あーあーあー、何だよ、なんで神楽と入るんだよォ。 俺と入ろうっつったじゃねーかよォ、身体洗ってやるっつったじゃねーかよォ。 あーあー、つまんねーなァ。銀さん一人?んだよ淋しいじゃんかよー」 お尻のあたりをボリボリ掻きながら歩いてくる旦那は、いつもどおりにダルそうな顔。 だけどその額からは、タラタラと血が流れ続けている。 つまらなさそうに愚痴る旦那の背後には、ご主人様の頭にがっちり噛みついた定春が。 牙を剥いて唸る定春は、脱ぎかけたキグルミのようにズリズリ引きずられていた。 「旦那ァ。そんなに淋しいんなら俺が一緒に入りやすぜ」 そう言ってアイマスクを外した総悟の顔には、旦那と同じに大量の血が。 前髪から透けて見えるおでこには、巨大な歯形がついている。 「うっせーよ野郎はお呼びじゃねんだよ。つーかよォ沖田くーん?キミ、なんでウチにいるの? なーんでキミまで泊まってくの、なーんでウチでタダ飯食ってんの。 いや、俺はんなこたあ言いいたかねーけどよォ?せめて払うモンしっかり払いやがれこの税金泥棒」 「・・・・・旦那?総悟?」 「なんでィ」 「どーゆーことですかその流血沙汰」 「何でもねーさ。暇潰しにバカ犬とじゃれてただけでィ」 「そーそーそー。何でもねーよ。食後の運動に遊んでやったんだよ。 近頃じゃペットのメタボも増えてるっていうしよー。飼い犬の健康管理も飼い主の義務のうちってもんだろ? こーやって身体張って運動させてやってんだよ、身体張って」 「イヤ身体ってゆーか。命張ってますよねそれ」 「覗いたアルか、風呂覗こうとして定春に噛まれたアルかオマエら」 「なーに言ってんだよ、違げーよバカ、ふざけんじゃねーよ。 冗談じゃねーよ覗いてねーよ。誰がそんな姑息なマネするかっつーの。 俺は正々堂々見に行ったよ?冗談じゃねーよなんで自分んちの風呂コソコソ覗かなきゃなんねーんだよ」 「そうでさァ。まったく冗談じゃねーや。 失敗するってわかってても正々堂々と正攻法で攻めるのが、覗きの美学ってもんでさァ」 「最悪ネ。捕まった痴漢だってもっとマシな言い訳スルネ」 「ウルセーよ、乳臭い小娘に男のロマンがわかってたまるかってんだよコノヤロー。」 「そーいうオメーは何やってんでェ、チャイナ」 「私はいいネ。は私のものヨ、今夜もいっぱいムニムニするネ」 また一緒に寝るネ、と抱きついてきた神楽ちゃんが頬を擦りよせる。 うん、とひとこと言えばいいだけなのに。そのたったひとことが出てこない。 神楽ちゃんが頭から被っていたバスタオルを、不満げな顔で総悟が引っ張る。 するっと外れたそれを肩に下げると、廊下に向かって歩き出した。 「さーて。たまには長風呂でもしてみるかねィ」 「オマエが入る風呂なんてないネ、図々しい」 大きく頬を膨らませた神楽ちゃんが文句を投げつける。 足を止めた総悟は、わざとらしくニヤけた顔で振り向いた。 「なんでィ。一緒に入りてーのかチャイナ」 「セクハラか、セクハラアルかチンピラ警官。私のタオル返せ!お前に使われると気分悪い」 「うっせえ小娘。変な勘繰りすんなィ。俺ァ乳臭ェガキにゃキョーミねえぜ、安心しろィ。」 総悟はタオルをすばやく被せて、一瞬で神楽ちゃんの頭を抑え込んだ。 嫌がって暴れる神楽ちゃんをそのままズルズル引きずって、お風呂へ向う。 「フゴッ、放せオルァァァ!!何するアルか変態!!」 「ちょっと付き合えチャイナ。裸で決着つけよーぜ」 「そ!総悟ォ!?」 お風呂にお持ち込みされる神楽ちゃんのバタバタ暴れる足が、風呂場のドアが閉まる音と一緒に消えた。 慌てて追いかけようとしたら、旦那はあたしの首に掛ったタオルを引っ張って止めた。 「放してください旦那!ちょっ、裸って総悟ォォ!!」 「あー、いーからいーから。放っとけや。いつものことだしよー」 「よくないィ!!全然ダメですよ!お風呂ですよ!?神楽ちゃんが」 「いーんだよ。どーせ口だけだろ、あの坊ちゃんはよ。それよりよー」 タオルをぐいっと引っ張ると、旦那はあたしの髪を手に取った。 あたしが驚いて見上げても、視線を気にする様子もない。 雫の垂れていた毛先をタオルで包むと、肩を押してくる。 「あいつらなんかどーでもいーから。早く乾かしちまえよ。風邪引くぜ」 包んだ毛先を抑えるようにポンポンと叩いてから、旦那はあたしをソファに座らせた。 「気になんだよなァこーゆーの」 さっきからポタポタ垂れてたし。そう言いながら、また毛先をタオルで包んだ。 ポンポンと柔らかく叩く音を聞きながら。 「旦那ってやっぱり、面倒見がいいんだなあ」なんて思う。 だいたい、前から疑問に思っていたのだ。旦那って、みんなが言うほど面倒がりな人だろうか。 あたしなんて、この「面倒がりな人」にもう何度助けられただろう。数え切れない。 こんなことをされるのは、たぶん子供の頃以来。お風呂上りだ。義父さんの膝の上。 今まで付き合ったひとにだってされたことがない。 ・・・中でも一番しそうにないのは、絶対あのひとだけど。 土方さんなら絶対しないよね、こんなこと。逆にあたしが拭いていたくらいだもの。 よく拭きもしないで、さっさとお風呂から上ってきて。 髪から雫をポタポタさせながら、そのまま机に向き合っていた。 近づいてきた旦那の顔が、ふっと楽しげに笑う。 「ウサギ」 「え?」 「目だよ目。真っ赤だぜ」 目元を指されても、咄嗟に返せない。 あたしは言葉にならない何かを、口の中でもごもごとつぶやいた。 湯船に潜ってさんざん泣いたことを、忘れかけていたのだ。 うつむいて目元を擦ると、瞼が厚ぼったくて重い。 すっかり腫れているのが指先の感触でも判った。 「これは、あの。・・・そうなんですよ、なんか腫れちゃって。 お風呂でふざけて潜ってたんです、それで」 「ごまかすこたァねーよ。つかよォ。痛々しいからやめてくんね、そーゆーの。 それともアレか?俺が慰めてやろーか?こう、ギューっときつく」 旦那は腕を大きく広げ、襲いかかるような格好をしてみせる。 でもポーズだけだ。顔を見ればわかる。ふざけながら慰めようとしてくれてるのも、よくわかる。 いつもの緊張感のカケラもないあの表情で、旦那はニヤニヤしながらあたしを見てる。 そんな顔をされたらやっぱり気が緩む。その優しさが嬉しくなる。あたしは声をあげて笑った。 「おっ。やっと笑ったなァ」 旦那はちょっと驚いたような言い方をした。 「やっと、って。ずっと笑ってるじゃないですか」 どーだろな。ぼそっとひとこと言うと、旦那はあたしの頭にタオルを被せた。 まるで美容師さんみたいに手際良く拭きとりながら、髪の毛をグシャグシャにしていく。 「まあ、顔じゃたしかに笑ってんだけどな、は」 せわしなく動いていた手が、ふと止まる。 「・・・そこがタチ悪いっつーかよォ。」 苦笑混じりにつぶやくと、旦那はあたしの頭に手を置いた。 タオルの上からでも、置かれたてのひらの温かさと重みがわかる。 旦那は何も言ってくれない。部屋の中が静けさに呑まれる。 何を言っていいのか。応えていいのかどうかすら、わからない。 あたしは膝に置いた自分の手を、黙って見ているしかなかった。 どうすればいいかと迷っているうちに、頭の上から重みが消えた。 固まってしまった空気を破るように、旦那の手が忙しく動き出す。 「・・・・すみません」 「いーって。謝ってほしーんじゃねーし。つか、んなことくれーで謝られたらよー。 俺なんてアレだよ、この先一生謝り倒しだよ?ジジイになっても、墓の下でも冥土に行っても謝りっぱなしだよ?」 「はい。でも。・・・ごめんなさい」 マヌケな返事。自分でもバカみたいだと思う。でも、ほかに答えようがなかった。 そういえば。あのひとにもよく言われた。謝るな、って。 謝るくらいなら笑え。困ったような怒ったような、複雑そうな表情で。何度もそう言われた。 あのひとは、どんな気持ちで言ってたんだろう。 何を思って、あんなに何度も。真剣に、言いきかせるように繰り返していたんだろう。 すごく嫌そうに、けれど何度も繰り返してた。『謝るな』って。 言葉が続かなくて黙っていたら、グシャグシャと髪を掻き回していたタオルが止まった。 「いーよ。あんたを追い詰めるよーな真似はしねーよ。言ったろ。待ってるって」 「・・・はい」 「さっきのアレもよ。別に返事が欲しくて言ったんじゃねーしィ」 「!ひゃ・・・っ」 急に肩を押された。背もたれに倒れそうになった。 背中に腕を回されて抱き止められる。気づけば旦那の顔が、あたしの耳元にあった。 「けどよ。次に逃げてきた時はもう放さねーからな」 低く囁いてから、すっと離れて立ち上がる。 ふわっ、とタオルが頭に落ちてきた。 「・・・え、あの」 「神楽ァ。俺、ババアに呼ばれてっからよー。マジでヤバくなったら自力でなんとかしろよー」 「ウルサイモジャモジャ!!ココ開けろォ!!早く開けるネ!!!」 神楽ちゃんの怒鳴り声と、何かを蹴り散らす派手な物音。 全部しっかり聞こえているはずなのに、旦那はお風呂場にノンキな顔で声を掛けた。 あたしの頭をポンと叩くと、そのまま玄関へと出て行ってしまった。 玄関の戸がガラガラと開く音。すぐにピシャッ、と閉まる音がした。 神楽ちゃんの罵声に混じって、総悟が何かからかっているような声がする。 ソファで足を抱えて小さくなって、あたしはぼんやりしながらその声を聞いていた。 お風呂場に踏み込んで総悟を止めようか。扉の外から声を掛けてみようか。 そんなことは思うのに、そのどちらもする気になれない。立ち上がる気にもなれなかった。 しばらくしたら、神楽ちゃんの声がだんだん小さくなって。そのうち総悟の声も聞こえなくなった。 一人になるとつい考えてしまう。あのひとのこと。これからのことも。 これからどうすればいいんだろう。あたしはどうしたいんだろう。 今頃になって、こんなに迷い出すなんて。 『はどこに帰りたいアルか』 さっきお風呂で神楽ちゃんに言われたことが、頭の中でエコーつきで鳴った。 まだお風呂にいるみたいに、ブレた声がぼんやりと鳴る。まわりの音がだんだん遠ざかっていく。 ガンッ。ガンッ。 玄関のほうから、二回続けて音がした。戸を叩く音。ガラス戸が揺れた音だ。 お客さんだろうか。他に誰もいないし、あたしが出るしかない。 立ち上がって、部屋を出る。そのまま玄関へ急いだ。でも。 途中で気づいて、廊下の途中で立ちどまった。 格子戸の向こうの、ぼやけた輪郭と気配。 それだけで、そこに立っているのが誰なのかわかる。 暗く曇ったガラスの向こうに見える人影。 あのひとだ。 「」 ガンッ、と鈍い音が鳴る。また大きく扉が揺れた。 「・・・おい。とっとと出て来い。帰るぞ」 「・・・いや」 途中まで出てきた廊下を後ずさった。 一歩、二歩。足を引きずって、ぎこちなく下がる。 思うように足が動かない。 身体中が、固く強張ってしまった。 「いやです。さっきも言ったじゃないですか。嫌だ、って、・・・・・」 もう来ないでください。 そう言い張るつもりだったのに、最後の声は掠れて消えた。 唇が、寒さで強張ったみたいに震えている。お風呂上りで暖まっていたはずなのに。 扉の向こうからも、何も聞こえてこない。 暗闇と同じ色をした隊服姿のひとも、あたしと同じに黙ったままだ。 そこから一歩も動こうとしない。まるで固まってしまったみたいに。 拙い言葉をいくら尽くしたところで、敵わないだろう。 このひとに、戻らない理由を聞き入れてもらえるとは思えない。 すごく情けないけれど、黙って飛び出してきたのだってそれが理由だ。 このひとを、口だけで納得させられるような自信が無かったから。 今だってそう。息を詰めて、祈るような思いで。ひたすらに念じるしかない。 お願いだからもう帰ってください、って。 ガラスを通してしばらく睨みあうような格好が続いた後で、土方さんの溜息が聞こえた。 「そーかよ」 疲れたような短い溜息が、もう一度聞こえて。 それからこっちに背を向けるのが見えた。 暗いガラスに映る黒い隊服の背中が、扉から一歩離れて遠くなる。 帰っちゃうんだ。 そう思ったら、それだけで胸がしめつけられたみたいに苦しくなって。扉を開けたくなってしまう。 どうしてこう矛盾してるんだろう。 帰ってほしい。あたしのことなんてもう、気にかけないでほしい。 そう願っているのは本心からのことなのに、違うことを叫びそうになってしまう。 もう少し。あとほんの少しでいいから、ここにいて。 怒っていてもいい。何も言ってくれなくていい。 ガラス越しでもいい。 扉を隔てて、それでも同じ場所にいる。近くにいる。ただそれだけでいいから。 でも。 それじゃダメだ。追いかけちゃダメ。 あのひとの顔を見てしまったら、もう。我慢が効かなくなる。それじゃダメだ。 「仕方ねえ。・・・穏便に済ましてやろうかと思ったが」 怒りを抑えながら絞り出したような、低い声。 その声が途切れると同時に。 目の前で、突然爆音が鳴り響く。鼓膜の破れそうな音が轟いた。 「っっっっ!!!」 突風に身体をなぎ倒される。 玄関前から廊下の奥まで吹き飛ばされて、あたしは床に腰から落ちた。 痛みをこらえて腰を擦りながら、なんとか起き上がる。 怪我はしていないみたいだ。けれど、それ以外のことは何も解らない。 いったい何があったのか。どうしてこんなことになったのか、それすらもわからない。 硝煙の匂いと煙に包まれて、すぐ目の前の視界さえはっきりしない。 「ここまでさせといてまだ逆らうってんなら、話は別だ。タダで済ますわけにゃいかねえな」 きな臭い煙の立ち込める中、咳き込みながら顔を上げて。 あたしは自分の目を疑った。 玄関が。玄関の扉が、粉々に吹き飛んでいる。外が丸見えになっている。 あたしは爆風に弾かれ、転んだ姿勢のままで 灰色の爆煙と扉の残骸の中をドカドカと進んでくる人影を呆然とみつめていた。 この状況で、あたしは何をどうするべきなのか。 それくらい解っている。なんせ命がかかっているのだ。 跡形なく壊れた扉の残骸と、このきな臭さだけで充分だ。 とっくに本能が紛れもないヤバさを嗅ぎとって、震えあがっている。 なりふり構わずここから逃げる。これがきっと、賢い回避の方法なんだろう。それはわかってる。 わかってるけど無理だ。普段ならともかく、今は無理。身体が動いてくれそうにない。 何事もなかったような無表情な顔。それでもなんとなく不機嫌そうな口許には、咥えた煙草。 肩にバズーカを担いだ土方さんは、堂々と万事屋の玄関を大破させて乗り込んできた。 あたしは警察の制服を着たテロリストを、プルプルと震える指で差した。 「は・・・・破壊神!!プチ破壊神!!!!プチとっつあんんん!!!」 罵倒を浴びたテロリストが、一瞬だけムッとした顔つきになる。 けれどすぐに苛立ちをすっと消して、不満気にボソッと吐いた。 「誰がプチだ。家庭内ストーカーと一緒にすんじゃねえ」
「 純愛狂騒曲!10 」text by riliri Caramelization 2008/11/07/ ----------------------------------------------------------------------------------- next