純愛狂騒曲! 8
交差点を曲がり、万事屋の原付が右へ折れる。 小さくなったの背中が、彼の視界から消えた。 その場で縛られてしまったかのように、土方はじっと手を見つめて立ち尽くしていた。 初めてだった。 に触れて振り払われた覚えなど、今までに一度もなかったというのに。 「あの。土方さん」 呼ばれた彼は、顔を上げた。 顔見知りの万事屋のガキ。近藤が入れ込んでいる、あの凶暴なキャバ嬢の弟。 「・・・何だ」 表向きには静かなのに、内に籠ったものは荒れている。 土方の気配に、新八はひるんだ。 無言のうちに気圧される。が、こちらから声を掛けてしまった以上、いまさら引くわけにもいかない。 ぐっとこらえて口を開いたところに、定春に乗っている神楽が後ろから割って入ってきた。 「新八、そんな男に構うことないネ! そいつと話してると移るアル。オマエも股間の緩んだオッサンの仲間入りネ」 狙いすますように、土方を傘の先で指す。 じろっと大きな目で睨みながら、神楽は言い放った。 「あのモジャモジャも最低ヨ。でも、オマエはもっと最低ネ。 この世で一番悪い男は、女を泣かせる男ヨ。うちのハゲ親父もそうネ。オマエもそーネ!」 普段ならそっくりそのまま無視するか、厭味で返す程度で終わる。 だが。今の神楽の非難には、土方の耳に残る含みがあった。 彼が黙って睨み返しても、新八と違って神楽はひるむこともない。 それどころか剣幕ぶりをいっそう強めて、さらに激しく睨み返してくる。 なのに返ってきた口調は、どこかさみしげだった。 「、泣いてたヨ。夢の中でオマエ呼んでた。悲しそうな顔して泣いてたヨ」 土方の眉間が、わずかに曇る。 それぞれに苦労の多い子供二人は、その小さな変化を見逃さなかった。 そして苦労が多いだけに、何も言おうとはしなかった。 不満そうに口を尖らせた神楽。それでも土方を睨み続けることは止めようとしない。 その顔を眺めながら、新八は今朝からの神楽の姿を思い出していた。 妙に明るくはしゃいで、ずっとに纏わりついて。家の中では、ほとんど離れようとしなかった神楽。 さんが万事屋にいるのが嬉しくて、はしゃいでいるのかと思ってたけど。 神楽ちゃん。もしかして、さんの涙をずっと気にしていたのかもしれないな。 「最低男には渡さないネ。二度と私の前にツラ見せるな、ハゲ」 「イヤ神楽ちゃん、ハゲはないでしょ、ハゲは」 「うるさい新八、ウザい男はその次に最低ネ。お前もハゲさせてやるネ!」 べーっ、と凄い顔で舌を出し、定春に乗った神楽は言い逃げ同然に去っていった。 それを見送ってから、新八はやや遠慮気味に土方に話しかけた。 「神楽ちゃんはあんなこと言ってましたけど。でもね。ほんとはわかってるんだと思いますよ。 さんは、あなたのところに戻りたいんだって。」 煙草を取り出しかけた手が止まる。土方は険しい顔で新八を眺めた。 しかし新八も、もうひるむことはなかった。遠慮がちではあるものの、彼を見つめ返してくる。 こいつもあのチャイナ娘も、充分あの野郎に毒されてやがる。 ベラベラと無駄口ばかり叩くのは、万事屋の住人共通の悪い癖ということか。 ガキどもまで、揃って知ったかぶりな口を叩く。まったく可愛げがねえ。 「いーのかよ」 「え?」 「どういうこった。お前、テメエんとこの大将の肩持たねェつもりか」 「はい。僕はさんの味方ですから」 そう言って、新八は落ち着かない様子で眼鏡を直した。 さっきは銀さんについちゃったから、そのお詫びなんです。 しどろもどろにそんな弁解をして、土方に背を向ける。 「おい」 呼ばれた新八は、再び振り返った。 普段と変わらず無表情な土方が、目も合わせずに素っ気なく投げかける。 「伝えとけ」 「は?」 「野郎にだ。返さねえんなら、こっちから奪りに行く。そう言っとけ」 「・・・、はいっ」 嬉しそうに頷いた新八は、神楽の後を追いかけ走って行った。 後姿を目で追いながら、土方は歩き出した。 苛立ってはいる。の態度に、万事屋の面々に。 取り繕った無表情の裏で、怒ってはいるのだ。 しかし、こんなときなら必ず取り出す煙草のことすら、頭からすっかり消えていた。 「・・・ったくよォ。」 ヤキが回ったもんだ。 あいつらはあいつらで、いっぱしにを気遣っているんだろうが。 それにしたって、この俺が。あんなガキにまで世話焼かれちまうたぁ。 どうも格好がつかない。いや、どうだったのか。これまでで、恰好がついたことなどあっただろうか。 あいつ絡みで恰好がついたことなど、無かったような気がする。これまでに、一度も。 そんなことを思って苦々しい顔になりながらも、考えていたのは子供二人が語ったの様子。 そして、原付が走り出す直前にが見せた、今にも泣きそうで強張った表情。 久しぶりに見たの顔は、彼の瞼の裏に刷り込まれたかのようにずっと思い浮かべていた顔。 が姿を消して以来、幾度となく思い浮かべてきた顔。あの表情そのものだった。 思えばが真選組に来て以来、こんなに長い間顔を見なかったことはない。 隊士だった頃は、顔を見ない日などなかった。あいつが屯所を出てからも、間を置かずに呼び出した。 反応に可愛げが無いのは、元からで。 だが、別れてからは可愛げの無さだけがやたらに強まった。 電話したなら「どっち」とだけしか訊いてこない。来たら来たで、見え透いた空元気が騒がしい。 こっちが疲れているのもお構いなしだ。しかも口煩いことばかり言う。 早く次の女を作れだの、いつまでも別れた女をこき使うなだの。煩えったらありゃしねぇ。 勝手なことをぬかしやがる。 次の女を探す気になれないのは、いったい誰のせいだと思っているのか。 出来るもんなら、とっくにそうしてらぁ。そう思うたびに、いまいましい気持ちにさせられて。 そうして腹を立てる反面、いじらしくもなった。 自分から言い出して別れたことを、気にしているんだろう。 無理をして、努めて気丈さを押し出そうとしているのは、言わずとも目に見えた。 いつ呼び出しても、どんなに遅い時間でも。 彼に呼び出されたが、屯所に姿を見せなかったことはない。 話しかければ笑顔を浮かべ。 抱き寄せれば戸惑いを浮かべる。 上目遣いに見上げる顔が、自分へ向けられるたびに『いいの?』と問われているような気がした。 土方さん、と呼ぶ声が耳の奥で回る。 耳に残っていた呼び声は、日毎に小さく萎みつつあった。 かすれながら遠くなっていく。日毎に小さくなって、消えていく。 たった半月だ。なのに記憶は確実に薄れ、足音もなく離れていく。 自分の女。 別れた女。 そんな呼び方の差異など、どうでもよかった。 ただ顔が見たかった。抱きしめたかった。声が聞きたかった。 腕の中から自分を見上げて、はにかんだように笑う。どこか幼さの抜けない、少女のようなあの顔が見たい。 どっちだって構わない。あいつが隊士だろうと、剣を奮うことのない只の女だろうと。 が発作を起こすほどに悩み、拘っていたことなど、俺にすればどうでもよかった。 そんなことはどうでもよかったのだ。を傍に置けるのなら。 こうなったことも、自分に責めが無いとは言わない。身に覚えがありすぎる。 ひとこと言ってやれば済むことを、これまで一切言わずにきた自分。 俺にはそのツケが溜まっていたのかもしれない。 それが一挙に全部まとめて、あの夜を境に裏目に出たのだ。 悪かったとは思っている。反省もある。 だが、それにしたって腹は立つ。 あの馬鹿ときたら。 あれだけ傍にいながら、いったいこっちのどこを見ていやがったのか。 俺の気苦労なんざ、これっぽっちもわかっちゃいねえと見える。 歩きながら携帯を取り出すと、土方は電話をかけた。 応えてきたのは、先に車で屯所へ帰した山崎の不審げな声。 『副長ォ?お礼参りじゃなかったんですか』 「山崎。今どこだ」 『はァ。こっちはじきに屯所ですけど』 「戻れ」 『は?』 「屯所に着いたらすぐ戻れ。それと―――」 『・・・ええェェェ!?』 やっと眠れると思っていたのに。信じられない。 「久々の睡眠時間」という待ち望んだ餌は、屯所を目前に奪われた。 呆然自失の山崎は悲痛な叫び声を上げ、車中で涙目になっていた。
「 純愛狂騒曲!8 」text by riliri Caramelization 2008/10/23/ ----------------------------------------------------------------------------------- next