月に願いを。



。満月はね、あまり長いこと眺めてちゃいけないよ。』 まだ小さかった頃。 通いの家政婦だったお駒さんが、月を見上げてあたしにそう言った。 ちょうど今、見上げているような。 くっきりした満月の夜。 触れたら指の温度で溶け出しそうな、冷たそうな月が出ていた。 雲に隠れることもなく、きれいに満ちた丸い月が。 お駒さんは、女手の無い家で育つあたしにいろんなことを教えてくれた人。 てきぱきと立ち働く合間を縫って、役に立つ話をたくさんしてくれた。 どの話も、女の人からしか教われないようなことばかり。 着物の着方のコツだとか、普段の立ち居振る舞いだとか。 武家の女の子にだけ要求される、細かな作法の色々まで。 寺子屋で苛められて泣いて帰ってきたあたしに 『男なんてね、従順なふりして喉でも撫でてやりゃイチコロだよ』と 手に負えないガキ大将とその金魚のフンたちを、どうやって丸め込むかまで指南してくれた。 あたしはよくお駒さんについて回った。 折を見ては「それはね」と話してくれる、お駒さんの「女の格言」はどれも楽しかった。 戦争を乗り越えてきた人の知恵とたくましさと、女の人らしい愛嬌に満ちていた。 「お駒さんがね、言ってたんですよ」 見れば見るほど、きれいな月。 雲ひとつかかっていない。 夕方まで滝のように降っていた、激しい雨が嘘みたい。 「満月をじっと眺めているのは、女の身体には良くないよ、って。 だから、いくら満月がきれいでも、ずーっと眺めてちゃいけないからね、って。」 「・・・だからどこの誰だ、お駒さんってのは」 低い声が、面倒そうに訊き返してくる。 この声の主に、あたしはさっきから背負われている。 外灯ひとつ無い、両側を竹藪に挟まれた暗い田舎道。 そこから入った竹藪のぬかるみの中で、立ち回りの最中に足を滑らせてしまった。 相手はなんとか討ち取ったし、斬られてもいない。 けれど、滑った拍子に足を酷くひねった。 動けなくて、どうしようかと途方に暮れながら、月を見上げてぬかるみの中に座り込んでいた。 そこへ、土方さんが探しに来てくれた。 『・・・んだよ。ピンピンしてんじゃねえか』 足を取られるぬかるみをものともせずに踏み込んできた人影は、苦々しい顔でこっちを見下ろした。 どう見てもご機嫌斜めだった。 『どこにも姿が見えねえと思えば・・・てっめェ。 パシリのくせして上官差し置いて休憩たぁ、いい度胸だな。』 『あれっ、アハハ、誰かと思ったら土方さんじゃないですかぁ。お疲れ様ですぅ〜〜』 『お前が言うな』 『ひゃっっ!!!』 ぬかるみから、土方さんの足が跳ね上がった。 あたしの顔まで泥だらけになった。 『おお。っっとに疲れたぜ。 足元ァ取られるわ、総悟の野郎はドサクサに紛れて斬り込んでくるわ。 泥まみれで終わってみりゃあ、今度はパシリの姿が見えねえときた。っとによ。散々だぜ』 目にまで入った泥に憤慨しながら、あたしは足をひねったことを話した。 口の悪い副長は、散々だと悪態をつきながらも背負ってくれた。 竹藪に挟まれた砂利だらけの田舎道を、背中に負われて戻る。 灯りは真上から差し込む月の光だけ。 このあたりには家もないから、外灯も人通りもない。 竹藪はひっそりと静かで、ほんの小さな音も逃さず吸い込んでしまいそう。 「だからァ。お駒さんは、小さい頃うちに通ってた家政婦さんですよ。 もう忘れちゃったんですか?この前話したじゃないですか」 「知るか。」 「副長・・・聞いてなかったでしょ?やっぱりィ。おかしいと思ったんですよ! 「寝てねェよ」とか言ってたけど、目がしっかり閉じてたもん。寝てたでしょ!!」 「うっせーな。見たこともねェバアさんの名前まで、いちいち覚えてられっ・・・ おい、コラ。何やって・・・。 てめ、背負われた分際で蹴るんじゃねえ!」 あたしを抱えていた土方さんの腕が、ぱっと離される。 油断しきっていたあたしの身体は、ドスッ、と砂利道に腰から落ちた。 「っっ痛ァァァァっっ!!」 「いいか、次に落ちたらそのまま放置だ。朝まで泥にまみれてろ。」 「えええ!!この辺りは野良犬が多いんですよ!? 食べられちゃうぅ!かみ殺されちゃいますよォ!!!」 歩き出そうとする足に、あたしは必死で縋りついた。 振り返った副長は、ニヤリと意地の悪い笑いを浮かべた。 「安心しろ。墓前の花くれえは供えてやる。」 「そっ、そんなのもっとイヤですぅ!!てゆーかコレ、何のプレイですか!?どんな放置プレイ!?」 「はァ?どっちが放置プレイだ。俺をテメエの早とちりワールドに放置か? てめえの言うこたァ、突然すぎんだ。こっちはワケわかんねえんだよ」 「あたしだってわかりませんよォ!どこ?どこですか?どのへんにあるんですか? どこに副長のドSモード炸裂スイッチがあるんですか!!?」 「ねーよ、んなモン」 「ありますよォ!絶対ある!!総悟よりタチ悪いですよォォ!」 「黙れ馬鹿。マジで放置すんぞ」 「あっ、ひどっ。またバカって言ったぁ。 バカバカ言うのやめてくださいって、言ってるじゃないですかぁ。 ヒドいですよォ。あたし、副長と違って傷つきやすいんですよ!?」 「ったく。煩ェ女だな。黙れっつってんだろ」 相手にするのもくだらない、とでも言いたげな顔でこっちを見下ろす。 土方さんは煙草を取り出した。 青く灯ったライターの火を睨みながら、あたしは不満に頬を膨らませた。 副長直属になって数ヶ月。 この上官との二人きりにも、だんだん慣れてきた。 最初は緊張しきってろくに口も訊けなかったけれど、今じゃ口答えばかりするなと叱られてばかりいる。 叱られるたびに、あたしはこうして膨れる。それを見た土方さんに、態度がなってねえ、とまた叱られる。 だけど、何でも黙って鵜呑みにしているなんて割に合わない。 朝から晩までノンストップ、暴言だらけの上官だ。せめて口答えくらいはさせてほしい。 「おい。」 死にかけていたところを拾ってくれた、あたしの命の恩人。 そのひとが、まさかここまで口の悪い人だとは思わなかった。 「おい。聞いてんのか」 口は悪いしガラも悪い。 怒れば口より先に手が出てくる。場合によっては足や刀まで出る横暴さ。 毎日毎日こうしてバカ扱いされ、怒られていたら、 人の良いあたしだって一日一回くらいのは口答えはしたくもなる。 ・・・まあ、実を言えば、一日一回で収まったことなんてないんだけど。 「置いてくぞ」 「黙れって言ったじゃないですかァ!!」 伸ばした足をじたばたさせながら、あたしはむくれて叫んだ。 横暴な副長は涼しい顔で、細く煙を吐いている。 隊服は泥だらけ。顔にも泥が跳ねている。 それでも涼しげに見えるから嫌になる。タチの悪い人だと思う。 こんな静かなところに二人でいたら、つい隣の視線を意識してしまうくらいにはカッコいい。 中身はガラの悪い悪食マヨラーなのに。 三度のメシより喧嘩好きの、喧嘩バカなのに。 このひとを見ていると余計に腹が立つのは、こういう何気ない仕草までしっかり絵になるところかもしれない。 しかもなぜか、黙って立っていれば局内一マトモそうな男にさえ見える。そこがまた納得がいかない。 警官のくせに、それってある意味詐欺だと思うんだけど。 「静かすぎて薄気味悪りィ。いいからお前、何か喋れ。」 「えーっ。そんなにあたしのことが知りたいんですか、土方さん。うわ、キモっ」 「そーかよ。てめえとは短けェ付き合いだったな。迷わず成仏しろ」 「イヤァァァ!!! うそっ、ウソですウソォォ!!見捨てないで副長サマァァ!!」 間違いなく詐欺だ。 見かけ倒しにもほどがある。 縋る怪我人を夜道に置き去りにするような男が、マトモなはずはないんだから。 渾身の力で縋りつくあたしをズルズルと引きずって歩くこと、数メートル。 鬼はようやく立ち止まって、こっちを見下ろすとボソッとほざいた。 「しょーがねえ。さっきの続きで我慢してやる。おら、話せ」 「だからぁ!どーしてそこまで偉そうなんですか!?もうっ。 ・・・?あれっ。・・・ええと。何の話してました?あたし」 「もォ忘れたのかよ。ついさっきの話だろうが。」 「誰だって命が危うくなったら、他のことなんて忘れちゃいますっっ」 「ガキに男の転がし方まで教え込もうとしたバアさんの話だろ。 ロクでもねえババアだな」 「え。覚えてたんですか」 「覚えるも何も。バアさんが憐れすぎて忘れられねェ。」 前にしゃがみこんだ土方さんは、じっとあたしを見た。 口許から昇る薄い煙の向こうの顔には、何の表情も浮かばなかった。 「老い先短けェ年寄りが、手塩にかけて仕込んだ挙句がこのザマだ。浮かばれねえな。」 伸びてきた手が、あたしの頬をごしごしと乱暴に拭う。 驚いて肩を竦めたら、気づいた土方さんは手を引いた。 頬にこびりついていた泥が、手の甲に移っていた。 「毎日毎日長ェモン振り回して、血まみれの泥まみれ。普通の女の生活にゃ縁遠くなる一方じゃねえか。 無駄な労力費やしたもんだな、そのお駒さんもよ。いまごろ冥土で嘆いてんだろ」 「はァ!?なんですか、このザマって。もうちょっと言い方ってものを考えてくださいよ。 てゆーかお駒さん、まだ生きてますから。勝手に殺さないでください」 拭われた頬が熱くなる。目を合わせづらくなって、顔を逸らした。 土方さんはこういうことを平気でするから、されたほうはいつも戸惑ってしまう。 やっているほうにしてみれば、総悟の頭をグシャグシャにするのと変わらないんだろうけど。 「・・・お前もよ。ちったあ先を考えたらどうだ」 「は?」 「俺みてえなもんに、恩なんぞ返してる場合か。 女の身の振り方なんて、他に幾らでもあるだろうが。 こんなとこで泥まみれにならねえで済む、もっとマシな生き方がよ。」 醒めた声音で面倒そうに、土方さんは話す。 突然腕を引っ張られて、あたしは振り返った。 こっちに背中を向けて、乗れ、と目で示してみせる。 けれど、あたしは動けなかった。さっきは何も考えずに乗れたのに。 「カスみてえな男掴んで路頭に迷っちまったからって、全部が全部失くしたわけでもあるめェし。 てめえもそれなりに痛ぇ目に遭ったんだ。 少しはましな男の選び方さえ覚えりゃ、まだやり直せんだろ。」 まごついていたら、土方さんはあたしの腕を引いた。 引かれるままに背負われる。 煙草の匂いが近くなった。 「迷惑なんだよ。いつまでも義理立てされてもよ。」 歩き出した背中の上で、身体が揺れる。 落ちそうになるから首に腕を回したら、ちょっとだけ背中がぎこちなくなった気がした。 真上の空を見上げる。 月にひとすじ、細くて千切れそうな雲がたなびいていた。 前から流れてくる煙草の煙みたい。 そう思って、背負ってくれている人の横顔を覗き見る。 いつもどおりに無表情で、まっすぐ前を見ていた。 「・・・土方さんって。ほんと、損してますよねぇ・・・・」 返事は返ってこなかった。 呆れたような溜息がひとつ、聞こえたけれど。 黙って背中に揺られる。 砂利を踏む足音だけが聞こえる。 土方さんは黙って歩いていく。 揺れる背中に、あたしも黙って頬を寄せた。 ぴったりくっついた背中が、温かい。 なんだか眠気がさしてきて、すうっと目を閉じた。 恩返しもしたかった。 それは本当だし、いつだって土方さんの役に立ちたいと思ってるのも本当。 だけどそれだけじゃない。口実がほしかったのだ。 あたしはこのひとの傍にいることの口実が、ほしかった。 最近気がついたことがある。 あたしはいつのまにか、このひとを好きになっていた。 毎日一緒にいるうちに、あたしは土方さんばかり見ているようになった。 よく見ているのは、一緒にいる時間が他の人より長いから。 最初はそう思っていた。 気がつくと、このひとの姿を目で追っている。 気がつくと、自然と隣に座るようになった。 見た目には厳しい顔を崩そうとしない、鬼の副長。 けれど、思い切って飛び込んでみれば、このひとの隣にいるのは心地がよかった。 素っ気無い態度の裏で、何も見ていないような顔をしながら新入りを気遣ってくれる。 なのに、その気遣いにあたしが気づけば、ふてくされたような態度で背を向ける。 不器用で優しくて、意地っ張り。 真選組にはそんな人ばかり集まっているけれど。 そんな中でもこのひとの優しさは、筋金入りに解りにくい。 わざと突き放すような言い方で、冷たい顔して憎まれ口を叩いてみせる。 さっきもそう。 ああいう土方さんを見るたびに、あたしはいつもこう思って口を尖らせるようになった。 『全然わかってないんだから。』 そんなことを言われたら、あたしはもっとここに留まりたくなってしまうのに。 ずっとこのひとの隣にいたくなる。勝手な望みを抱いてしまう。 変なひと。 近くで見ていて、知れば知るほどそう思う。 そんなことを考えているうちに、思い出したのだ。お駒さんの「女の格言」のひとつを。 聞いたときには意味すら解らなかった、あの言葉を。 『。優しい男には気をつけるんだよ。 そういう男にはね、女は用心しなきゃいけないよ。』 あのときどうしてそんな話になったのか、今はもう憶えていない。 物干し場に立つお駒さんの隣で、濡れ羽色の着物の袖を掴んでいたことは憶えているけど。 優しい男って、どういう人のことを言うんだろう。 それを聞いたとき、あたしは子供なりによく考えたつもりで、優しい男の人の姿を想像した。 育ててくれた義父さんのような、情に脆くて世話好きな人。 時々尋ねてくる父さんの友達のような、来るたびにお土産をくれる人。 いつも隣に座って読み書きを教えてくれる、寺子屋の友達。 指折り数えながら挙げていった「優しい男」像に、お駒さんは一度も頷こうとはしなかった。 『そうだねえ。男がみんな先生みたいなら、用心なんてちっとも要らないんだけどねぇ。』 そう言って手にした洗濯物を干しながら、お駒さんはカラカラと笑った。 先生、というのは義父さんのこと。 頑固なくせにお人好しな道場主。門下生でもない近所の人にまで「先生」と呼ばれてた。 死んだ友達の娘のあたしを引き取って、我が子と同じに育ててくれた人。 『そういうんじゃないよ。 用心しなきゃいけないのはね、どこから見ても、優しそうには見えない男のほうさ。』 物干しに広げられた真っ白な洗濯物が、パンパンと威勢のいい音をたてて延ばされて。 おどけた表情で最後にひとこと、こう言った。 『いつかにも、解る日が来るかもしれないねぇ。』 お駒さんの言いたかったことと、このひとに感じたことが重なるのかどうかは判らない。 けれど解ってしまった。 用心しなくちゃいけないのは、このひとだ。 あたしにとっての「優しい男」は、きっとこのひと。 今までどんな人に出会っても、誰と一緒にいても、お駒さんの言葉は一度も思い出さなかったのに。 このひとを前にしていたときに、記憶の片隅から急に浮かび上がってきた。 固すぎて解けなかった結び目のようなその意味は、一瞬でするりと紐解かれた。 突然あたしの身体中にふわりと延びて、広がった。 時限式の爆弾みたい。 この爆弾を仕掛けたのは、お駒さん。 あの言葉は、ずっと待っていたんだ。このひとに会う時を待っていた。 思い返すだけで幸せな、子供の頃の記憶の中で。温かい記憶の中で、じっと時を刻みながら。 あの家に戻る日なんて、きっとこの先も来ないだろう。 あたしのせいで、あの家は大事な未来を失くした。 また義父さんに会えるなんて、思っていない。 合わせる顔がない。それに、受け入れられても追い返されても、あたしは同じくらい後悔するだろう。 もう家には戻れない。だけど、もし。 いつかまたお駒さんに会うことが出来たら。聞いてみたいことがある。 お駒さんの出会った「優しい男」は、どんなひとだったの。 このひとを好きなのかもと気づいて、初めて解った。 きっとお駒さんも出会ってしまったんだろう。 そういうひとを好きになってしまった。 そういう覚えが嫌というほど身に染みていたから、お駒さんはあたしに忠告してくれたんだ。 『用心しなきゃいけないのはね、どこから見ても、優しそうには見えない男のほうさ。』 言われたときには解らなかった。けれど、今ならよく解る。 その言葉の意味が解けるのは、もうそういうひとを好きになってしまった後。 そのひとのことばかり考えてる自分に「どうしよう」って困惑しているときなんだって。 気づいたときにはもう始まっている。 誰かを好きになるって、自分と追いかけっこをしてるみたい。 気持ちは勝手にそのひとを追いかけて走り出して、どこまでも駆けていってしまう。 戸惑うあたしを待ってくれない。止まらない。 「おい。いつまで黙ってんだ」 「・・・え」 不機嫌そうな声に起こされて、はっとして顔をあげた。 いつのまにか、眠りかけていたらしい。 「お前、人に背負わせといて自分は寝てたんじゃねえだろな」 「え、あ・・・、アレ?お、おはようございます」 「そうか。また落とされてえか」 「違っっ!起きてますぅ!!ちゃんと起きてます!寝てませんんん!!!」 ここで置いていかれたらたまらない。 ぎゅっと首にしがみついたら、苦しい、と怒られた。 閉じかけていた目がまだはっきりしない。 霞がかかったようなぼんやりした視界には、土方さんの肩が揺れながら映っている。 「・・・恩返しのために、っていうのもあります。 だけど、そのためだけに隊士やってるんじゃありません。真選組が好きなんですよ、あたし。」 これもあたしの本音。 仕事は危険だし、周りは男だらけだし、それでも今の生活は気に入っている。 ・・・「普通の女の生活」が、どんどん遠のいていくのがちょっと痛い気もするけど。 「だから。あたしの身の振り方なんて、気にしないでください。 てゆーか、余計なお世話です。もし嫌になったらすぐに出て行きますから、ほっといてください」 ぱしん、と隊服の背中を叩く。 振り返った横顔は、じろっとこっちを睨んだ。 「そういえば。背負ってもらうの、二度目かも」 そう言うと、土方さんの視線が急に泳いだ。 不思議に思って見ていたあたしと目が合うと、顔を逸らす。 そのままふいと前を向いてしまった。 「ほら、拾ってもらったときに。こうやって、屯所に連れてってくれたじゃないですか。」 「知るか。いちいち憶えてられっかよ」 「・・・どーしてそういう言い方するんですかぁ」 あたしは呆れて溜息をついた。 今の目線の泳ぎ方といい、憶えていないとは思えない仕草だったのに。 「ほんっと損してますよね。・・・素直に『心配して探しにきた』って言ってくれればいいのに。」 ブツブツと、耳元で文句をつける。 すると急に土方さんの足の動きが遅くなって、止まりかけた。 「・・・?どうしたんですか」 不思議に思って問いかけたら、また歩き始めた。 覗き込んだけれど、顔を逸らされてしまった。 「自惚れてんじゃねえぞ。」 硬い口調で、ボソッと返された言葉。 思い切り否定されたけれど、そう冷たい口調にも聞こえない。 それを聞いたら、嬉しくなってしまった。思わず顔がほころんだ。 つい都合のいい考えが浮かんで、淡い期待をしてしまう。 もしかして。 少しだけなら、自惚れてもいいのかな・・・なんて。 「土方さん。またあたしが帰れなくなったら、探しに来てくださいね。」 「誰が行くか。面倒くせえ。」 「えーっ、いいじゃないですかぁ。 またこうやって月でも見ながら、散歩のついでに探してくれればいいですから。」 「・・・気が向いたらな」 「絶対ですよ、約束ですからね。そうだ、指きりしてください」 「うっせえ。気が向いたらだって言ってんだろ。」 どこかぎこちない、ぶっきらぼうな口調でそう言うと、土方さんは足を速めた。 砂利を踏む音も大きくなって、勢いが増した。 また指きりしてくださいってしつこくせがんだら、このひとはどんな顔をするんだろう。 そんなことを思ったら、可笑しくなった。 背中におでこを押し付けて笑っていたら、土方さんはほんのすこしだけ振り向いた。 口を大きく曲げて、なんだか不満気な顔をしていた。 かならず探しに来てくださいね。待ってますから。 口の中でつぶやいて、温かい背中に頬を寄せる。 背負われた身体は歩く速さでリズムを刻んで、心地良く揺れる。 ほんのすこしだけ見上げた月も、揺れていた。白く光る輪郭が、朧月のように滲んでみえる。 温かさと眠気に包まれて、あたしはそのまま目を閉じた。

「 月に願いを。 」text by riliri Caramelization 2008/09/10/ ----------------------------------------------------------------------------------- 次は現在 「白の…」つづきで主人公家出編 副長VS銀さん。        next