深緋の回廊

4

天井まで赤黒く染まった座敷を後にして、廊下を進む。 一階に下りた総悟を探して、階段を降りた。 降りる途中で、最初に総悟がバズーカの爆撃を放ったあたりに目を向ける。 黒々と焦げた板張りの床には、数人の隊士が固まっていた。 その集団の中央で、自分の肩を抑えながら立っている人が。 ふと、こっちを見上げた。 目が合った。 あたしと同じように。他の隊士と同じように。 全身に血を浴びて、首元の白いスカーフを赤黒く染めたひと。 ここにはいないはずのひと。 こっちを見上げて凍りついたように動かない、土方さんが。 あたしは土方さんの、肩を抑えた手から目が離せなかった。 瞬きも出来ない。 見開いてしまった目を逸らすことも出来ない。 あたしも凍りついてしまった。 土方さんが、斬られた。 そう思った瞬間、心臓が大きく強く鳴った。 どくどくと脈を打ち、胸を強く打つ心臓の音。 どんどん速まる。どんどん呼吸が荒くなる。早くなる。 荒くなった息が口から漏れる。 深く息を吸おうとしても、胸が苦しくて吸えない。 苦しい。呼吸出来ない。 胸が苦しい。息が出来ない。 心臓の鳴りが速まるのが、音が大きくなっていくのが止まらない。 息苦しさに胸を抑える。握っていた刀が、音をたてて階段を転がり落ちて。 眩暈がした。 最初に膝から、次に足から力が抜けた。 このままじゃ落ちる。 そう思ったときには、手が階段の手摺りを掴んでいた。 縋りついた手摺りの下へと、ずるずると崩れ落ちる。 それでもあたしの目は、土方さんを追って離れない。 強張った表情で階段を駆け上がってくる、あのひとの姿を。 「・・・・・・・・どうしてお前、ここに」 目の前に立った土方さんが、うろたえた顔であたしを見下ろす。 あたしに向かって手を伸ばす。 「・・・・・・ひ・・・ケガ・・・・し、っっ、」 怪我したの? そう訊きたかった。 喋ろうとしても、息が続かない。呼吸が出来ない。 苦しい。苦しさに追い詰められる。この苦しさが、怖い。 肩で大きく息をしながら、土方さんに手を伸ばす。 けれど届かなかった。 伸ばす途中でその手を引っ込め、また胸を抑える。 ちょっと手を伸ばしただけなのに、また鼓動が早まった。もっと息が苦しくなった。 胸を庇うように身体を丸くして、階段の手摺りに寄りかかる。 荒くて早い呼吸を繰り返しながら、土方さんを見上げた。 怒ったような、険しい目であたしを見下ろしている。 こっちに伸ばして途中で止まった、土方さんの手。 その大きな手も、固められたかのように赤黒い。 あたしと同じだ。 「してねえよ、返り血だ・・・おい、いいから目ェ閉じろ、見るな!」 硬い声音で怒鳴られて、言われたとおりに目を閉じる。 バタバタと、何人かが階段を駆け上がってくる振動が身体を揺らす。 土方さんの張り詰めた声が、階下に向けて放たれた。 「おい!こいつを運んでくれ」 「えっ、・・・・しかし。そんな。いいんですか」 「手間かけるが、そうしてやってくれ。・・・総悟の奴ァどこだ」 「二階で局長と。あの、ですが副長。いいんですか、さんを俺らが」 「ああ。頼む。それと、運ぶ前に総悟を。奴が処置の仕方を知ってる」 「頼むって・・・さん、こんなになってんのに・・・」 「・・・俺ァ駄目だ」 「え?」 「駄目だ。俺ァ今、こいつに触れねえ。」 緊張に張っていた土方さんの声が、ふと緩んだ。 笑いの入った、苦々しい声。笑えない自分を笑っているような声。 暗い視界のむこうから響いたその声が、あたしの胸をもっと苦しくさせた。 すぐ近くで、空気が動いた。 動く気配と一緒に、煙草の匂いが遠くなっていった。 「!」 それからすぐに、総悟が来た。 身体を丸め、息苦しさに全身を揺らしながら目を開ける。 冷たい汗が、額や背中をびっしょりと濡らしていた。 目の前に座り込んだ総悟。 その姿は、顔まで血で染まった土方さんやあたしとは対称的だ。 頬に小さな血の飛沫がわずかに残っているだけ。 総悟はどんな激しい斬り合いの中でも、ほとんど血を浴びることがない。だから顔も綺麗なままだ。 けれどその顔色は、少し青ざめていた。 「・・・・ごめ・・・・そ・・・・、いい・・・の、だ・・・いじょう・・・っっ」 「喋っちゃいけねえ。黙っててくだせェ」 唇を噛んだ総悟が、滅多に見せない険しい顔で階下を見下ろす。 「・・・ちっ、あんの野郎ォ。なんで来やがった・・・!」 あたしは総悟の袖を掴んだ。けど、指にもう力が入らない。 弱った手はずるずると、総悟の腕を伝って床に落ちた。 「ちが・・う・・、やめっ・・・・あた・・っがっ、わるっ・・・・っっ」 声を絞り出すほどに、胸が苦しくなる。追い詰められる。 このまま息が止まって、死んでしまうんじゃないかという恐怖に囚われる。 だけど、嫌だった。 自分の呼吸が止まることよりも怖かった。 総悟が土方さんに飛び掛っていきそうな、激しい目をして階下を睨んでいたから。 あのひとのせいじゃない。 あたしのせいだ。 あたしがこんなふうになったのは。この「発作」が起きるのは、あたしが弱いから。 全部あたしのせい。あのひとは何も悪くない。 唇を噛んでいた総悟の口許が、すこしずつ緩んできた。 まだ怒っているようにも見える。 けれどこの顔は、たぶん心配しているからなんだろう。 それが解ったから少し安心した。また目を閉じた。 「わかった。もう喋るんじゃねェ。もういい、。」 「・・・・っ、そー・・・・ちがっ・・・・」 「ああ。わかってる。わかってるって。もういいんでさァ。さあ、それよりこれだ」 ゆっくり目を開ける。 総悟の隊服の懐から、小さく折られた紙袋が取り出されたところだった。 わざわざ持ってきてくれたんだ。 それを目にした瞬間、泣きたくなった。 それは、久々の出入りに浮き足立ったあたしが忘れたものだ。 どこにでもある、ただの紙袋。 あたしの「発作」を鎮めるには、これが一番手っ取り早い。 広げたそれを、顔に宛がわれた。 肩を抱きかかえるようにして、総悟があたしの身体を支えてくれる。 宛がわれたそれの中で、出来るだけ深く、長い呼吸を繰り返す。 まだ肩が大きく揺れる。冷や汗は止まらない。胸も潰れそうに苦しかった。 「そう。ゆっくり息して、・・・・そう、ゆっくり。」 「・・・・ふふ・・・・用意・・・・いい・・・ね・・・」 「笑う余裕があるんなら安心だぜ。けど、まだ黙っててくだせェ。」 ぎこちない口調でそう言って、総悟があたしの肩をぎゅっと抱いた。

「 深緋の回廊 4 」 text by riliri Caramelization 2008/08/30/ -----------------------------------------------------------------------------------        next