深緋の回廊

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「こっちだぜ、姫ィさん。」 暗がりの中から、口笛と総悟の声がした。 塔のように高く積まれた酒瓶箱の天辺に乗り、気負いもなく胡坐をかいている。 持ち場に向けて散っていく一番隊の隊士と挨拶を交わしながら、総悟の足元に向かう。 ふたたび姿勢を正し、礼をする。 「遅くなりました、沖田隊長」 「久々じゃねえですかィ。その呼び方も、その姿も。」 ガムか何かを噛みながら、こっちを見下ろしていた。 総悟の感情の起伏は、あまり表情には出てこない。 出ないけれど、顔を見なくてもわかる。 これは機嫌がいいときの総悟。 ふざけたときにみせるあの口笛の、乾いた鳴りの良さだけでもわかる。 あたしたちは、大きな捕物に出るときはいつもコンビを組んでいた。 背中を預け、命を預けて、何の不安もない相手。 この可愛い顔の一番隊隊長は、あたしにとってはいつも信頼出来る相棒だった。 他の隊士たちがもうここにいないことを確認してから、総悟に問いかける。 「あたし、今日は総悟と一緒?」 「ああ。二階が舞台さ。場所は階段上がった右奥の座敷。 どうも油断しきってるらしいや。見張りの一人も立てちゃいねえ。 酒と女に、すっかりいいように呑まれてるみてえだぜ。」 指されたほうを見上げると、これから突入する料亭の二階が見えた。 回廊に並ぶ瀟洒な飾り窓を見上げた、総悟の目が光る。 大きな瞳に、薄氷を張ったような冷えた輝き。 良く手入れされた刃の、身の震えを誘うような輝きにも似ている。 「表から入る。俺とは二階奥に直行だ。一階にたむろしてる雑魚には構うな。 あとはまとめて二番隊にくれてやらあ。 ヤツらお国のためを騙っちゃいるが、国の行く末にゃあ興味が無ェらしくてねェ。 質の悪りィ恐喝や、押し込み騒ぎで有名な連中さ。生かしておいたところで意味も無ェ。 ありゃあ、薄汚ねえ毒にしかならねーよ。」 細められた目が薄く笑う。蔑みを帯びて冷えた笑いだ。 総悟はいつもこうして楽しんでる。 身を削ぐような静けさを降ろす、突入前の緊迫感に包まれた空気を。 「向かってくる奴等をひとり残さず、叩き斬ってくだけでいい。 まったく、欠伸が出るほど楽な仕事さ。」 たぶん総悟は嬉しいのだ。 愚弄な相手に容赦は要らない。骨身の区別がつかないほどに斬り刻んでやる。 あの光る目は、そう言っている。 「久々のコンビ復活だ。 俺ァ楽しませてもらうぜ。もうんと暴れるつもりで行きゃいいさ。」 「うん。・・・そーだね。・・・・久々だし。総悟のお荷物にならないように、頑張るよ」 握った刀を見下ろした。 自分の手の感覚がぼやけているような気がして、また心許なさがひとつ増えた。 総悟からの電話を切ったときから、ずっとこんなカンジだった。 霧のように身体を包んでいるのは、訳のない、冬の朝に漂う冷気のような不安だ。 あたしの目をくらませるこの霧の出所は、人を相手に刀を抜くのが久しぶりだからなのか。 これから始まる久々の出入りに緊張しているからなのか。よくわからない。 「ヤローがいなくて不満ですかィ。」 言われて総悟を見上げると、ガムを膨らませながらこっちを見ていた。 「ヤロー」というのは土方さんのこと。 仲がいいとは言えない二人。なのに、年中示し合わせたみたいに一緒にいるから不思議だ。 土方さんがいなくて不満なのは総悟のほうじゃないの。 そう思って、なんだかおかしくなった。 「ううん。・・・あのひとがいたら、働けないもん。」 首を振って否定する。 少なくとも今のあたしは、あのひとがいないことに不満はない。 不満なんて少しもない。 それどころか、今ここで一番会いたくない人。 一番見たくない姿なのだから。 総悟が大きく膨らませたガムが、パチンと割れる。 薄く口許についたそれを摘みながら、かすかに笑った。 「ああ、今日は野郎にゃ出番は無え。 何があったっては俺が護るさ。擦り傷ひとつ負わせやしねェよ」 「うん、ありがと。でもね、怪我なんてしないよ? 土方さんと約束したもん。もう絶対斬られたりしないって。 無傷で帰らないと殴られちゃうよ、グーで」 斬られるより痛いんだよねー、アレ。 そう言いながら笑うあたしを、総悟は黙って眺めている。 「・・・総悟。総悟は、何があってもあたしを庇ったりしないでね。」 答えは返ってこなかった。 そのかわりに眉を曇らせ、膨らませていたガムをぱちんと割った。 今日初めて見せる機嫌の悪さだ。 「いつまでひきずるつもりかねェ。」 ひらりと酒箱の塔から飛び降りる。 総悟の表情はいつもと変わらない。けれど口調は苛立っている。 足元に置かれていた刀を握り、細身のバズーカを肩に担ぐ。 「。何度も言ったじゃありやせんか。 ありゃあただの偶然だ。お前ェさんのせいじゃねえ。」 路地の陰に染まった綺麗な顔は、不服そうな表情であたしを睨む。 けれどこれは、怒っているんじゃない。拗ねているだけ。 気まぐれでひねくれたドS少年の、滅多に見せない優しさがついこぼれてしまった時の顔。 総悟らしくもない優しさを、見られたことに拗ねた顔。 その顔、生意気な弟みたいですっごく可愛い。 前にあたしがそう言っただけで、三日も顔を合わせようとしなかった総悟。 あたしは総悟に甘いって、みんなが言う。 自分じゃそう思ってはいないけれど、もしかしたらそうなのかもしれない。 何をされても怒ってみても、最後にはつい笑って許してしまうんだから。 この拗ねた顔を思い出したら、怒る気になんてなれない。 何度となく質の悪いいたずらを繰り返されても、つい許してしまう。 「ありがと。でも、心配しないで?大丈夫だよ。 それにさー、総悟が優しいと後がコワいし。気持ち悪いよ?」 あたしは笑った。その場しのぎの、作り笑いだ。 笑ってから、無理に笑うのはやめておけばよかったと思った。 今のはすごく下手な笑顔。失敗だった。 総悟の顔を見たらすぐにわかった。表情が曇ったから。 「。・・・・俺ァ」 小さく言いかけて、総悟はやめた。 あたしの顔をじっと見て、それから刀を握った腕を差し出す。 差し出した刀で、あたしの刀を小突くようにして鳴らした。 「いや。いいさ。余計なこたァ言わねーよ。 あんたのこった。そいつさえ握っててくれりゃあ、何も心配あるめェ」 手にした刀を互いに合わせて、音を鳴らしてから現場に踏み込む。 これはあたしたちがいつも欠かさなかった、出入りの前の儀式だ。 「・・・さ、出番と行きやしょうか、姫ィさん」 「はい、沖田隊長」 横を通り過ぎた総悟を追って、表通りへと向かう。 いつのまにか、気にしていた手の強張りは消えていた。

「 深緋の回廊 2 」text by riliri Caramelization 2008/08/26/ ----------------------------------------------------------------------------------- 次の三話目は出入りシーンのため 描写が多少血生臭くなってます 苦手な方はご注意下さい        next