夢を見た。 夢にうなされた。 自分の声に驚いて、目を覚ました。 いつのまに眠ってしまってたんだろう。 机に広げて眺めていたはずの、枕替わりの本を閉じる。 肩がすっかり冷えて、ぎこちなく硬くなっていた。 障子を透かして差し込んでくる夕日のまぶしさに、目が慣れない。 もうとっくに夕方になってしまったみたい。 部屋の中は、赤く染まっていた。 ぱちぱちと息吹をあげて爆ぜる炎に、嘗め尽くされたような赤い色。 鮮やかすぎて薄気味が悪い。 身体を焼かれそうな色。すべて焼き尽くしてしまいそうな色。 棚上にある時計を探す。 落ちかけた夕暮れの暗さで、文字盤が見えない。 額からこめかみに、冷えた汗がすうっと伝っていく。背筋が冷えて、身体を竦めた。 あれは夢。 こっちが現実。 この冷えた汗が。赤く焼け堕ちた部屋の中があたしの現実。 そうわかっているのに。 うなされた夢の続きが始まってしまいそうな錯覚に、身体が竦んでとらわれそうになる。 動けなくなって、連れて行かれそうになる。 夢の奥から手招きしているものに。 夢の中身はいつも同じ。 あたしの目の前で突然崩れ落ちる、あの背中。 夢はうつつ。うつつは現実。 夢は現実を映す鏡。 夢だけれど、夢じゃない。 あれは現実にあったこと。 あれは本当にあったこと。 消せない記憶。消しちゃいけない記憶。 あたしの身体に、あたしの心に。深く、抉るように刻まれた記憶。あたしの罪。


深緋の回廊

1

灯りを点けようと立ち上がったら、携帯が震えだした。 表示は着信。総悟からの電話だ。 「。今、どこにいるんでェ」 「どこって。家だけど」 「今すぐ来なせェ・・・が・・・・割れて・・・・」 総悟の声に、近藤さんの大きな声が混ざって聞こえた。 よく聞き取れなくて、え、何?と聞き返す。 「近藤さんのご指名でさァ。浪士どもの集会場が割れた。これから急の出入りだ」 飄々とした総悟の声が、普段よりもどこか弾んでいる。 久しぶりの大捕物なのだと、その声音だけで判った。 「今日は出払ってる奴が多くてね。どうも人手が足りねェ。 日雇いのバイト代に飲み屋の奢りも付けるって、近藤さんが言ってやすぜ。」 除隊して半年。 あの屯所を出てからも、剣の稽古だけはずっと続けていた。 押入れにしまってあまり持ち歩くこともない刀も、手入れだけは欠かさなかった。 けれど、あたしにとっては半年振りの捕物だ。 しかも半年ぶりの現場復帰が、いきなりの大捕物。 突然の電話での呼び出しで、何の準備も無ければ心の用意も無い。 隊服を身につけ、刀を調べ、支度をする間も、あたしはずっと戸惑っていた。 その戸惑いが尾を引いて、出掛けの支度は要領を得ずに長引いた。 現場に着いたのは、電話で言われたよりも少し遅い時間。 一丁ほど離れたその場所の、裏手の路地に向かって歩く。 今日の現場はえらく豪勢だぜ、と総悟が皮肉混じりに言っていたのを思い出す。 離れた場所から目にしても、きっとあそこが現場なのだろうと見当はついた。 あたしはその建物を囲む、高く真っ白な土塀をちらりと眺めた。 それからすぐに、横の路地にすっと身を隠す。 花街から少し外れた、閑静な小路。そこに面した、広い敷地を囲む白い土塀。 この中にある大きな料亭が、今日の舞台。 攘夷浪士の宴の席だ。 飛び込んだ暗い路地は薄汚れていて、鼻につくような臭いの湿気が漂っている。 そこには、とっくに元同僚たちが顔を揃えていた。 挨拶しながらその奥へ進むと、その途中に近藤さんがいた。 小料理屋のゴミ箱らしい、大きな木箱にどっかりと腰を据え、 各隊の隊長を集めて話をしている。 見回してみたけれど、そこに総悟の姿はなかった。 近藤さんが何かに頷き、隊長たちが散っていく。 近くに寄って行く途中で目が合った。 こっちへ来い、と手招きされる。 「来たか。」 「すみません、遅くなりました」 「なあに、急に呼んだのはこっちだ。まだ連中に動きも無えし、充分さ。 ・・・しかし、なあ。」 近藤さんはあたしをじっと、無言で眺めた。 主に隊服のあたりを見ているらしい。 久々に着た服だ。何かおかしいところでもあったんだろうか。 あたしが自分の身体を見下ろすと、近藤さんはイヤイヤ、何でもねえんだ、と明るく笑った。 「たった半年前だってのになあ。 もう長えこと見てなかったような気がするもんだな。」 感慨深げな口調で言いながら、近藤さんは立ち上がった。 顎に手をやり、あたしの姿を見下ろしながら、何度も満足そうな表情で頷いた。 あたしが真選組を除隊した日から、もう半年。 隊服姿で局長室に赴いて、除隊の挨拶を奏した。 あの日からもう半年。半年も経った。 それだけの時間が経ったのに、あたしは何も変わっていない。 まだあのころと同じ迷いの中を、自分の行き先すら決められずに立ち尽くしているような気がする。 「あの、近藤さん」 「ん?」 「あの。・・・土方さんは」 「トシならいねえよ。朝から別働隊だ。とっつあんのお供でね。夜中まで帰らねえはずだ。」 「・・・そうですか。」 聞いたら自然と肩が落ちた。 あのひとはいない。それを知って、ほっとしたから。 けれど、ほんとはわかってた。 土方さんがいないことは。 用件を聞いたときにはもう、わかってた。 聞かなくても解ることだ。 ここには土方さんがいない。だからこそ近藤さんは、あたしを呼んだ。 それでも聞かずにいられなかった。 あのひとがいるのかどうか。 それを確かめないと、今のあたしは鞘すら抜けない。 白刃の中に、背筋にひやりとしたものが爪を立てるような、命を晒すやりとりの中に。 闘いに飛び込めない。 「なあ。戻って来ねェか、。」 あっさりした口調で言われた言葉で、あたしは我に返った。 いつのまにか余計な考えに浸っていたことに、やっと気づく。 刀を握る手が、妙に強張っていることにも。 目の前の近藤さんは、表通りの様子を伺っている。 緊張の無いゆったりした仕草で腕を組んだ。 隊を辞めてからずっと、近藤さんはあたしに声を掛けてくれている。 それはいつも、決まって他の誰も聞いていないとき。 こんなふうに何かのついでみたいに、さらっと切り出してくる。 たぶん、あたしの返事を薄々承知の上でのことなんだろう。 勝手な理由で辞めたあたしに、何もなかったかのような顔で声を掛けてくれる。 それだけでもすごく有難いのに。 なのに、あたしには、近藤さんへの恩に報いるような返事が出来ない。 あたしは黙って、深く頭を下げた。 「ありがとうございます。・・・でも。」 「そうか。」 「すみません。」 「いや。こっちこそすまねえな。いやあ、そりゃそうだよな。そりゃあ断わられて当然だ。 こんなムサくて血生臭い仕事に、わざわざ進んで戻りたがる娘はいねえよ、ハハハ」 大きな笑い声が、路地に響いた。 側にいた隊士に「局長ォ!静かにしてくださいよォ」とたしなめられる。 叱られた局長は「おお、悪りィな」と気まずさに頭を掻いている。 近藤さんには気取りが無い。 組織の上に立つ人なのに、偉ぶったところなんてどこにも無い。 この局長がこうして立っているだけで、周りの空気は晴れる。 薄汚い路地裏の濁った空気も、この人がいると気にならなくなる。 こんな人だからこそ申し訳なくて。 申し出を断るときは、いつも口が重くなる。 「・・・そんなこと。そんなことないです、ただ。あたしが」 「いいのさ。みなまで言うな。まったくしょーがねェ、俺も気が利かねェな。 いや、今のは忘れてくれや。」 パン、と肩を叩いて、近藤さんがあたしを前へと押し出す。 「さァ出番だ。その奥に総悟がいる。 お前とあいつの段取りが済み次第、速攻で押し入る。 ここはさっさと終わらせちまおう。で、早めに行くとするかァ?」 杯を口許へ持っていく仕草をしながら、近藤さんはあたしに笑ってみせた。 黙って頷き、姿勢を正して礼をする。 あたしは仄暗い路地へと向かった。

「 深緋の回廊 1 」text by riliri Caramelization 2008/08/26/ -----------------------------------------------------------------------------------                               next