真選組屯所、とある日の夜。 食堂に集うのは、晩飯を済ませた血気盛んな野郎共の群れ。 壁際に設けられた黒板の前に、彼等はなぜか団子状態で固まっていた。 本来ならその日のメニューが書かれているはずの黒板。 だが、今そこに書かれているのは「じゃがいもの煮付け」だの「豚肉生姜焼き」だのという おふくろの味への郷愁と、食欲をそそるような言葉ではなかった。 郷愁や食欲をそそる言葉ではない。 けれども、食欲とは別の「欲」をそそる言葉。 幾つになっても変わらない、無邪気な性質を持った男という生き物たちの 「欲」をそそる言葉が、そこには書き綴られていた。 誰しもが持って生まれる、人間の三大欲求のうちのひとつ。 ヤロー共が一生、中二の夏から離れられない原因。永遠のリビドーがそこにある。
男はそれを我慢出来ない 1
「コスプレランキングだぁ?なーにやってんだてめえら」 黒板に綴られた文字を冷えた目で眺めながら、丼飯にマヨネーズを搾り出す男が一人。 残務整理を終えたばかりの副長、土方十四郎は、遅い時間に食卓についていた。 彼の手にした丼の中、たぷたぷと揺れて波打つマヨネーズの海。 誰もが冷えた目で彼とその好物を眺めているのを気にもせず、鬼の副長は苦言を呈した。 食堂の黒板に書き綴られたメニュー。 それは晩御飯のお献立ではなかった。いわゆる「淋しい男の夜のお献立」。 この夜は、予定されていた要人警護の仕事がキャンセルになり。 突然浮いた時間を持て余していた彼等は、晩飯後の食堂に集ってランキング投票を催している。 今日のお題は「彼女に着てほしいコスプレランキング」。 ちなみに現在、ダントツでトップに輝いているのは「ナース服」。 その後をキャビンアテンダント、俗称スッチーと、セーラー服、メイド服が追っている。 「まァまァまァまァ。いいじゃないですかい。ほんの息抜き、お遊びじゃありやせんか」 飯を掻き込む副長の横に座り、淡々と茶を啜る男。 一番隊の隊長、沖田総悟が気の無いとりなしを入れる。 「はっ。女の着物に拘る奴の気が知れねえぜ。脱がしゃ同じだろ」 真選組副長、いきなりのセクハラ発言である。 しかしこの場に彼を諌める女はいない。女そのものが不在なのだ、この屯所には。 「脱がすまでの楽しみってヤツがありやすからねェ。 メス犬が嫌がってるとこに無理矢理身着させた服を、焦らして焦らして剥がしとっていくんでさァ」 一番隊隊長、いきなりのドS発言である。 しかしこの場に彼を満足させるメス犬はいない。生物学上の本物のメス犬すら不在なのだ、この屯所には。 「土方さん。」 「おう」 「どうなんですかィ」 「あァ?」 「アレでさァ、アレ。コスプレランキング。土方さんはどれがいいんでさァ」 んなもん、てめえにだけは死んでも吐くか。 腹の中のつぶやきは口にせず、土方は答えた。 「お前が先に言ったら俺も言ってやる」 「アンタが言ったら俺も吐いてやるよ土方」 「うっせえ。さっき言っただろーが。んなもんどーだっていいんだよ」 「まったく興味無しですかィ。面白味の無ェ男だねェ」 「ほっとけ」 一言投げつけ、丼飯にまたマヨを投入する彼。 醒めた目をして頬杖をつき、沖田は彼から顔を逸らす。 「まったく、も変わった女でさァ。 こーんな遊び知らずで頭の硬ェ、つまんねェ男だってのによォ。 息抜きの洒落ひとつ解んねえ奴の、いったいどこがいいんだか」 ちらりと横目で土方を眺め、沖田はフッと馬鹿にしたような顔をした。 「おっと、こらァすいやせん。とうにフラれてたんでしたっけね、土方さん」 表面的には謝った沖田だが、その口調と顔は嘲笑に満ちていた。 しかし言い返すことも殴りかかることもなく、土方はマヨネーズと一緒に悪態を飲み込む。 軟派な洒落に付き合うなんて、ガラじゃねえ。そう思いながら。 真選組を陰から牛耳る男、土方十四郎。 どちらかといえばストイックさが売りの、格好つけたがりな男である。 遅い晩飯を済ませ、土方は自分の居室へと戻った。 腰を下ろそうとする前に、ふと室内のある場所に目が留まる。 箪笥の引き出しがひとつ、半開きのままになっていた。 開けた覚えはどこにもない。無いのになぜか開いている。 彼は、男性としては片付けを怠らないほうである。 箪笥や押入れを始終開けっ放しにするような、あけっぴろげな無用心さも見られない。 それだけに、その半開きは目についた。 箪笥に近寄り、その前に立つ。引き出しを押そうと手を伸ばす。その瞬間。 彼の動きが、凍りついた。 有り得ないものを目にしてしまったとき。 ヒトはみな例外なく、それに対して拒絶反応を起こすもの。 それは、見てはいけないものを見てしまった心のショックを抑えるために備わった、 ヒトという生物が有する、ごく原始的な自衛の本能。 鬼の副長と畏れられ、畏怖の念をもって血の気の多い隊士たちに崇められているこの男、土方十四郎。 そんな人並み外れた部分を持つ彼も勿論、生物学的にはただのヒト。 どこにでもいる普通の兄ちゃんである。 プリミティヴな自衛の本能に例外は無い。 当然彼は、驚いた。凍りついた。 そして、ベタでプリミティヴな拒絶反応を示した。 開いていた箪笥の引き出しを、叩きつけるように閉めた。 箪笥の前に立ち尽くす彼。表情こそ薄い。 数々の修羅場を潜り抜けてきた男だ。実に澄ましたものである。 しかしその心拍数の高まりが、早くも額に滲み出た冷や汗が、 鬼の副長と呼ばれる男には有り得ないほどの、かなりの動揺を示していた。 なぜ。 なぜコレが、ここにあるのか。 彼が目にしたコレ、とは。箪笥の中にあって何の不思議も無いもの。 それは服。変哲の無い服である。 変哲の無い服が、箪笥にあるのは当然のことだ。 しかしそれが誰のものなのか、ということになると、変哲の無いはずの話も様相が変わってくる。 彼が目にした服。それは彼のものではなかった。 土方から見れば「元カノ」という立場にいる女。 彼が、元カノという軽い言葉の響きでは言い表せない、複雑な思いをいまだに抱いている対象。 元真選組隊士で、半年前までは自分直属の部下だった女。。 彼女専用の、女性用隊服が。 なぜかきれいに折り畳まれて、彼の箪笥に収まっている。 あれを目にするのは半年振り。そう思うと、非常時だというのに感慨も沸く。 しかし、しかしだ。 の隊服が、なぜここに。 開いた引き出しを一瞥して、それが自分のものではないことが彼には瞬時に解った。 ミニスカートでワンピース仕様になっている以外は男性用のそれと同じに見えるの隊服なのだが、 唯一の女隊士だったの隊服は、局長の近藤が彼女のためにあつらえたフルオーダーメイド。 生地も男共のものとは違っている。 だから彼女の隊服だけ、男隊士のものとは光沢や色合いが微妙に違うのだ。 彼は瞬時にその違いに気づいた。 なぜ彼が、その微妙さに一瞬にして気づいたのか。 判断力、そして観察力にも長けた男である。動体視力もいい。 だがこの場合、そういった彼の優れた個人的能力は一切関係ない。 単に、の姿をよく見ていたからである。 遠目にも、仕事中にも。隣にいるときも、腕の中にいるときも。 人には言えないあんなときやらこんなときやら、とにかくありとあらゆる時に目にしていたから。 ただそれだけのことである。 彼にとってもさまざまな意味で思い出深い、元カノの隊服。 しかし、いったいなぜ。 いったいなぜ、ある意味ダイナマイトより物騒な、 いや、出入り後に没収したのをピン跳ねして、押入れにしまってあるジャスタウェイより物騒なこのブツが。 なぜ俺の箪笥に整然と収まっているのか。 彼の背筋を、冷たく嫌な感触の汗が一直線に走って行く。 混迷はピークを極め、怜悧なはずの彼の脳裏をグチャグチャと引っ掻き回した。 とにかく落ち着こう。落ち着かなければ。 いやだからとにかくアレだ、落ち着け俺。 こういった時は、状況を整理するのがまず最優先だ。 強張った仕草で、隊服から煙草を取り出す。 火を点け、とりあえず一服して煙を吐く。 すると、見る見るうちに、目前をくらます霧のようだった混迷は晴れていく。 とりあえず、表情に平静さを装う程度の余裕は生まれた。 煙草一本でこの変化。完全なニコチン中毒患者である。 ジャンキーと呼ぶに相応しいレベルに達していることは、本人も薄々自覚しているが。 煙草をふかし、心の平静を取り戻しつつ。 彼は閉じられた箪笥の中のブツをどう始末するべきかと悩みながらも、ふと思い返していた。 が入隊してきた頃のことを。
「 男はそれを我慢出来ない 1 」text by riliri Caramelization 2008/08/08/ ----------------------------------------------------------------------------------- next