触れる指先の我儘を

10(後編)

「・・・もぉ、絶対、ぜっっったい、土方さんとはお風呂に入らないっ」 固い決意を唱えながら、はバスタブの中で不満気に唇を尖らせた。 縁までたっぷりと張られたお湯に口の高さまで顔を潜らせ、 子供のようにブクブクと口から泡を漏らしている。 わずかに吊り上がった猫のような目には涙が溜まり、お湯で温まった頬は赤く色づいていた。 いったいあたしの人権はどこに行ったんだろう。 シャワーのお湯やボディソープの泡と一緒に、排水溝から流されちゃったんだろうか。 さっき台所で土方に許してしまって以来、自分の言い分など何一つ通っていないのだ。 抱き上げられたかと思ったら脱衣所まで運ばれて「風呂に入れてやる」と一方的に宣言され。 拒もうとすれば深いキスで脱力させられて、ぼんやりしているうちに襦袢も脱がされ。 気が付けばシャツの腕を捲り上げて準備も万端な土方に、風呂場へ引きずり込まれていた。 それから先はもう、あまり思い出したくもないことの連続だ。 とにかく死にそうに恥ずかしかった。いや、死んだほうがマシなくらいに屈辱的だった。 自分で洗うから、とシャワーの水飛沫をバシャバシャ飛ばして暴れても抑え込まれ、 頭から爪先まで、それこそ身体の隅々までゴシゴシと洗われてしまった。 強いて例えるとするなら、その騒動はご主人様と風呂嫌いな飼い犬の強制入浴と言ったほうが相応しい。 所謂恋人同士らしさというか、甘さなどどこにも見当たらなかったのだ。 「おいそこ、今何つった。コソコソ言ってんじゃねーぞ。何だ、あれだけ喚いた奴がまだ文句でもあるのか」 「別に。誰も文句なんて言ってないですよォ。ただの独り言ですから気にしないでください。 いーじゃない独り言くらい言わせてくれたって。せめて独り言くらい好きにさせてくださいっ」 「そこまでデケぇ独り言があるか。つーかいつまでいじけてやがる気だ。 身体ァ洗われたくれえでいつまでも、女の腐ったみてえにグダグダと」 「は!?何よ、腐った、って!腐ってないし!てゆーか元はといえば土方さんが、っっ」 勢いよく脱衣所へと振り返ったの口は、大きく開いたままで言葉を失くした。 ガラス張りの扉越しに見える背中が、シャツを脱ごうとしている。 湯気に曇って水滴を伝わせているガラスに、引き締まって硬そうな肩の線が映っていた。 「・・・え。あの。なっ、何で?・・・・・・何で脱いでるの」 「あァ?脱がねえでどうする。風呂に服着て入る奴があるか」 曇ったガラスを正視できずに、はあたふたと身体の向きを変え、扉に背を向ける。 見慣れたはずの身体なのに、見るのがなぜか恥ずかしい。 うつむいて見下ろせば水面が大きく波を打って、狭い浴槽の中を揺らめかせていた。 近藤からの電話を受けた時と同じようにそわそわして、胸のざわめきが気になった。 心臓がとくん、と小さく鳴る。 膝を抱えてじっとしてみても、急に高まった鼓動が気になって仕方がない。 そういえば、服を脱いだ土方を見るのは久し振りだった。 斬られた傷を見てしまって以来、部屋で着替えをしている間も目を逸らしていたからだ。 どきどきしながら背中を強張らせていると、扉の開く音がした。 閉まる音と一緒に、近づいてくる気配を感じる。 後ろから伸びてきた手に、は肩を掴まれた。 無言で浴槽に入ってきた土方は彼女の腰を抱くと、お湯からざっと引き上げる。 後ろから抱かれる恰好で彼の膝上に収められ、またお湯に浸された。 二人の身体を埋めた浴槽には収まりきらずに、揺れたお湯が行き場を失くして外へと溢れ出す。 しっとりと濡れたの長い髪は右肩に寄せられ、後れ毛が土方の目の前の水面でゆらゆらとざわめいていた。 「いつ入っても狭めぇ風呂だな」 「せ、狭くないですよ、普通ですっ。・・・一人用なんだから。二人で入ったら、狭いに決まってるじゃん」 「ここもなぁ・・・お前、引っ越したらどうだ」 「・・・・・イヤです。土方さんは部屋探しなんてしたことないから、そんなこと言うんですよー。 このへんの同じ広さのアパートで、ここより好条件で安い部屋なんて絶対ないんだから。 大家さんにも気兼ねしなくていいし、中も広いから気に入ってるんだもん。屯所だって近いし」 「安かろうが近かろうが意味無えんだよ。 あんな根性無しの青瓢箪に、あっさり屋探しされちまう安普請じゃねえか」 風呂の狭さや周囲の治安よりも、まず大家そのものが気に食わねえ。 …という実のところの本音は口にせずに、土方は彼女の肩にぐったりと顎を預ける。 手に馴染んだ抱き心地の良さとお湯の程良い熱さに身体が緩み、一瞬にして睡魔にさらわれそうになった。 目を閉じたら最後、ここで眠ってしまいそうになる。それほどに心地よかった。 「ねえ。土方さん。・・・大丈夫?」 「・・・あァ?」 「もしかして。すごーく疲れてる?」 気遣わしそうに振り向いたに見上げられても、返事をする気力が湧いてこない。ただ頷いた。 ここ数日、昼夜もなく仕事に追われる毎日だった。 真選組だけに留まらず、警察組織全体が。いや、江戸全体が爆弾テロに翻弄され、彼も騒ぎに忙殺されていたからだ。 事件勃発以来、土方は屯所の自室には戻れても、布団に潜った覚えが一度もない。 爆弾発見現場の半数が真選組の管轄内だったために しつこい睡魔に根負けして仕方なく眠りに落ちる瞬間まで、事件の仔細で頭が埋っていた。 無差別爆破テロという愉快犯的な悪趣味ぶりをほのめかした犯行は、そのすべてがたった一日に集中して起きている。 翌日以降は不審物が発見されることもなく、爆発騒ぎもぴたりと途絶えているのだが。 騒ぎが途絶えて、もう三日目になる。 局長以下、真選組総出で当たっていた警戒態勢も今夜になって解かれた。 しかし事件が鎮火へと傾きつつあっても、この事件に関連した残務整理は すでに書類の山となってそびえていて、毎晩屯所の部屋で彼の帰りを待ち受けている。 の顔を見に行けるのも、これから三日は先伸ばしになるだろう。 そう見越して諦めていた矢先に、先に屯所へ戻っていた近藤から なぜか「一晩戻って来るな」とニヤついた訳知り顔で締め出されてしまった。 近藤の顔を思い返しながら、うとうとしかけた頭ががくりと下がった。 今にも意識が飛びそうだ。しかしこのまま風呂で溺れる前に、なんとか布団に潜りたい。 迫る眠気に逆らおうとして、彼はの背中に流れた後れ毛を掻き寄せ始めた。 が、そのうちにほんのちょっとした違和感を感じ、手を止めた。 「・・・?何だ、お前。妙に固くなってねえか」 「だって。・・・・初めてだから」 「何が」 「・・・・・男の人とお風呂なんて、入ったことないんだもん・・・」 おずおずと言い出した涼音の手は、バスタブの縁に置いてあった黄色いアヒルの玩具を 落ち着かない仕草でいじっている。手の中に収めたそれを眺めながら、ふと気が付いた。 自分にとっては初めてだ。けれど、このひとにしたらどうなのか。 少なくともには、初めてだとは思えなかった どっちにしても、女と風呂に入るなんて、このひとにとってはたいしたことじゃなさそうだけれど。 「・・・・・・・・何人目ですか」 「あァ?」 「・・・女のひとと、お風呂に入るの。・・・・・・あたしで、何人目?」 つい本音を口にしてしまい、は気が抜けてしまった。 彼の手を放し、うつむくと、口許までお湯に浸かって黙り込んだ。 問われた土方は、湯気に曇った天井を見上げる。 眠気につられてぼんやりと一瞬考え込んで、正直に指を折りかけた。 しかし途中でその指を止め、何食わぬ様子で黙り込む。 しばらく沈黙が流れた後に、昇りつめていく湯気を目で追いながら、ボソっと言った。 「覚えちゃいねえな」 「・・・・覚えきれないくらい、いっぱい。・・・・・・いるんですか」 「馬鹿。くだらねえ勘定に頭割くくれえなら、他で使うに決まってんだろ」 欠伸混じりに「くだらねえ」と言い切られてしまえば、たしかにそうなんだろうなと思う。 それでも何か、割りきれない。 たっぷりと張られたお湯は熱く柔らかで、ひさしぶりに抱かれた腕の中は心地良い。 それなのに、どこかさみしい。空回りで一方的な嫉妬が、小さな穴を胸のあたりに空けてしまっている。 自分でも、そんなことを聞いたからって何にもならない、と思うのに。 軽く流され、はぐらかされたことも含めてつまらなくて、はふいと染まった頬を逸らした。 そんなのぎこちない拒み具合を前にして、土方は黙っていた。 妬いているのか、とは訊くまでもなかったし、妬かれることに悪い気はしない。 拗ねた女が頑なに逸らしている淡い色のうなじや、横顔からのぞく赤らめた頬を からかい半分に黙って眺めているのも悪くなかった。 子供染みた嫉妬の隠しかたすら知らない、いつまで経っても少女っぽさの抜けない女。 そういう女を、何も考えずに抱きしめている和らいだ時間。 自分とは無縁なものと決め込んでいた、温かな湯船の中で揺られるような穏やかさに浸っている自分。 そんな自分には未だに慣れないし、浸るたびに身に合わないむず痒さは沸いてくるのだが 抱きしめた素肌の柔らかさに感じている、この居心地の良さは否めない。 こうしているだけで、頭の片隅に残った事件の名残に張りつめていた身体の強張りも、勝手に緩んで解けていく。 拗ねる彼女に満足を覚えて、土方は膝上に抱いた身体を引き寄せる。 しかし彼とは対照的に、はすっかり膨れていた。 こうして身体を預けていることまでなんだかつまらなくなってしまう。 当然のように自分の腰に巻きついてきた腕まで、憎たらしくなってくる。 腰から太腿へと這っていった手を、やんわりと掴んで引き止めた。 「だめ」 「あァ?」 「いやですっ。・・・教えてくれないひとには、触らせま・・・」 言いかけたの耳に、何かが届いた。 何かが震えながら動いているような、かすかな音だ。 そのかすかな震えは、脱衣所から響いている。土方の携帯が鳴っているらしい。 「土方さん」 「ぁんだよ、しつけえぞ。だから覚えてねえって」 「そうじゃなくて。携帯、鳴ってませんか?」 言われるまでもなく音は聞こえていたのだが、土方は答えなかった。 返事の代わりに彼の手が、の首筋に伸びてきた。唇がうなじにそっと触れる。 指は鎖骨のあたりをゆっくりと往復しながら撫でて、唇はうなじを伝い、肩へと這っていく。 「聞こえない・・・ですか?・・・ね、あれ・・・土方さん・・・の」 ぴくん、との肩が揺れ、温かな水面がゆらりと波打つ。 肌を掠めるように撫でるだけの、焦らしがちな愛撫が続く。 お湯を弱く揺らす感触にまで、焦らされているようでもどかしくなる。 切なくなった身体は焦らされるたびにびくっと跳ねて、弱い震えを起こし始めていた。 お風呂場にまで小さく響く携帯の音も、平坦でかすかな振動を起こしている。 途切れることなく持ち主を呼び続けていた。 「・・・・っ、や、・・・ね、鳴って・・・・」 「いい。放っとけ」 「・・・・だって・・・・、急ぎの・・・・だった、ら」 「いいって言ってんだろ」 「・・・でも、・・・・・っ、ゃ・・だめ、・・・」 声を途切れさせたの顎に指を掛け、土方は彼女を振り向かせた。 されるままに引き寄せられたは、潤んだ目を恥ずかしそうに伏せている。 視線が土方の胸元から上へ。ちょうど肩のあたりへと向い、ぴたりと止まった。 そのとき、の霞んだ視界の中に映ったもの。 それは彼女がずっと目を逸らし続けていた、あの傷跡。 今は塞がって引きつった跡だけを残した、右肩を袈裟掛けに走る斬り傷だ。 目にしたは表情を硬くして、反射的にそこから顔を背けた。 ばっとお湯から手を跳ね上がらせて、まったく唐突に彼の顎をがしっと掴む。 「だ、だだだだだめって言ってるでしょーー!!?」 ほとんど不意打ち、しかも強烈な張り手状態。 首がムチ打ちになっても不思議はない勢いで押し返され、短く呻いた彼は仰け反った。 「・・・・・っってっめえ・・・・!」 何しやがる、と顎を抑えた土方は怒鳴る。 と同時に、は頭を天辺から鷲掴みされ、お湯に押し込まれた。 「っっ、ひっどい、なに、するんで、っ」 飲んでしまったお湯にケホケホと、肩を揺らして咳き込みながら髪を掻き上げる。 が顔を拭って目を開けると、バスタブの水面には大きな波が起こっていた。 そこにいたはずの土方の姿が、ぽっかりと消えていなくなっている。 「ああ。・・・・・いや、そっちには監察方を回す」 不機嫌そうな早口が、風呂場の中まで響いてきた。 「向こうさんは管轄外だ何だと上の口出しが多いからな。派手な動きは出来やしねえよ。 それよりお前、いい加減に・・・・・・・」 脱衣所との間にあるガラス張りの扉の向こうに、背中が見える。 早くも携帯を握った土方は、電話の相手に何かを指示していた。 雫を垂らした背筋には緊張感が戻っていて、お湯に浸かっていたときの疲れた気配は消えている。 湯気で曇った扉に背を向けて、ゆらゆらと揺れるお湯の中で膝を抱えてうずくまる。 横へ流したはずの前髪が額に落ちて、ぽたぽたと冷えた雫が垂れてくる。 本来は一人用に出来ているバスタブの中が、急に広く感じてしまう。 さっきよりも広くなったのだから、のんびり悠々と浸かれるはずなのに。 狭かったときのほうが心地良かった気がして、なんとなく手足を伸ばしてくつろぐ気になれない。 大波に溺れかけていた黄色いアヒルをバスタブの縁に上げて、つん、と指先で弾く。 は口許までお湯に埋めて泡を漏らしながら「・・・土方のバカ」と不満気につぶやいた。 自分から土方を拒んだのに。 ほっとしたような、なのにどことなくさみしくて物足りないような とても口に出す気にはなれない、言い辛い気分になっていた。 「・・・・土方さぁん。」 ずぶ濡れにしてしまった隊服を乾かして、自分の髪も乾かして。 もう眠っただろう頃合いを見計らって、顔だけを薄暗い寝室へ覗かせる。 思ったとおり、土方は部屋の壁際に置かれたベッドの上にいた。 布団を背中の半分まで被っただけの格好で、微動だにすることもなく眠っている。 うつぶせに投げ出された身体の横へ座り込むと、ベッドのスプリングがギイッと軋んで揺れた。 持ってきたタオルを広げて、濡れた頭にふわっと被せる。 ろくに拭かなかった毛先から染み込んだ冷たい雫が、薄い桜色のシーツを濡らしていた。 まだしずくを滴らせている真黒な髪をタオルで押さえ、ゆっくりと丁寧に拭いていく。 なるべく起こさないように気を付けてはいるのだが、風邪をひかないようにしっかり乾かそうとすると どうしても彼の頭はゆらゆらと傾いだ。揺らぐたびに小さく睫毛が揺れて、閉じた目元がきつくなる。 たまに背筋がびくっと動く。それでも目が覚める気配はなかった。 すごく疲れているみたい。 身体の底まで落ちていくような深い寝息を聞きながら、は眉を曇らせた。 熟睡しているせいなのか、枕から半分覗いた土方の表情からは普段の張り詰めた気配が消えている。 始終傍にいるでも、ここまで熟睡している姿はあまり目にしたことがない。 その寝顔を見ているだけでほっとする反面、彼の身体が心配になってしまう。 今ここで過ごしている時間だって、寝る間も仕事に費やした後で、やっと空いた貴重な時間のはずだ。 それを削って自分のところに来てくれるよりも、屯所で一晩ゆっくり眠ってくれたほうがいいのに、とも思うのだ。 それでも「屯所で休んでくれたらよかったのに」と言う気にはなれなかった。 こうやって傍にいることが出来てやっと、は自分が我慢していたことに気がつき始めていた。 会わなかった間は数日顔を見なくても平気なつもりだったし、実際平気でいた。 けれど本当は「忙しい時に行ったら迷惑だし」と、無意識に気持ちを抑えていたらしい。 いざ会ってしまうとくだらないことで拗ねたくなって、何かと文句をつけては怒らせて。 しばらく会えなかったぶんだけ甘えが出ている。結局のところは、甘えたくて拗ねているのだ。 それが解ってしまったら自分でも気恥かしくなった。 土方の髪が乾いていくのを眺めているうちに、ぎこちない嬉しさが少しずつ身体に広がっていく。 乾いた髪に触れてみると、ほんのりと温かい気持ちが指先から染みてくるような気がした。 さっき聞いたのと同じ、何かが震えて小刻みにぶつかっている音がした。 どこかで土方の携帯が鳴っている。暗い部屋の中を見回してみると 振動で小さくブレている携帯が、薄暗いベッドの端で着信を報せていた。 画面を白々と光らせながら、コツコツとぶつかっては壁を鳴らしている。 画面に示されているのは沖田からの着信だ。 いや、実際に示されているのは彼の名前ではなく「クソガキ」という四文字なのだが。 すこし出るのをためらったが、熟睡している背中を揺らして起こすのはもっとためらわれる。 寝ている土方をちらりと窺ってから、通話のボタンを押した。 電話の向こうからは、人の声や音楽の入り混じった騒音が流れてくる。 どこか賑やかな場所からかけているようだ。 『死ね土方』 「は?」 『テメーばっかいい思いしやがって。さっさと死ね今すぐ死ね、死ねや土方あああああァ』 「そ、総悟?」 『おいおい、もうよせって総悟、・・・・・・おう、かァ?いやあ悪いなあ、遅せェ時間に』 「え・・・、近藤さんですか?」 聞こえてきたのは沖田ではなく、近藤の声だった。 どうして近藤が、と一瞬不思議に思ったが、その疑問はすぐに解けた。 電話の向こうからは沖田の裏返ったような声がして「返してくだせェ」と不満気な抗議を繰り返している。 「ほらほら、そのくらいにしたらどうなんだい。あんまり邪魔しちゃあ、かえってあんたが嫌われるよ」と にも覚えのある朗らかそうな女性の声も聞こえて、声の主が沖田をたしなめているのがわかった。 他の隊士たちも行きつけにしている、屯所近くの飲み屋がある。そこの女将の声だろう。 『総悟がなぁ、ストーカー騒ぎで一番割食ったのァ俺だ、って拗ねちまってよー。 トシの後ついてお前ん家まで行こうとするから、引き止めるには止めたんだが。まァ、この通りだ』 ハハハ、と困ったように笑う近藤の声の隙間を縫って「別に拗ねちゃいねェや」とつぶやく沖田の声がする。 きっといつものように顔を赤くして、カウンターに頬杖でもついてコップの酒を舐めているんだろう。 その隣で沖田を宥める近藤の姿まで目に浮かんで、はくすくすと笑い出した。 『そういやお前、見たか?あれ』 「?あれ、って?何ですか」 『何だ、まだ見てねえのか。何やってんだトシの奴。案外だらしねえなぁ。 ほら、さっきも電話で話したじゃねえか。あれだよあれ、さっきのヤツだ』 「さっきの・・・・って、え。ええと・・・・」 しどろもどろに話を繋ぎながら、は首を傾げていた。何を話したかは思い出せそうにない。 さっきは土方が来ると聞いただけで落ち着かなくなって、その後はろくに話が頭に入らなかったのだ。 『トシはどうしてる。もう寝ちまったか?』 「はい。携帯鳴ってるのも聞こえなかったみたいで・・・」 『そーか、それならお前が探ってみりゃあいいさ。上着の裏ポケットだ』 「はあ。上着・・・ですかぁ?」 『ああ、そうだ。そこに煙草じゃねえモンが入ってるからな。なに、中身は見りゃあわかる』 じゃあな、と通話が途端に切られた。 は首を傾げたままで、土方の上着を干した脱衣所の方へと目を向ける。 立ち上がろうとしてシーツに手をついたが、その手首をぎゅっと握られた。 ひゃっ、と驚いて肩を竦め、それから背後を振り向いた。 いつの間にか目を覚まし、薄眼を開けた土方が、重たげな溜息を枕に吹き込んでいた。 「・・・まぁーたかけてきやがったか、総悟の奴」 「うん。・・・ごめんね、勝手に出て。結局起こしちゃったし」 「お前じゃねーよ。あれだけ死ね死ね言われりゃあ、寝る気も失せる。 ・・・それより俺の隊服、どこだ」 「隊服なら干してあるけど。・・・あ、煙草ですか?」 持って来るね、と立ち上がりかけたの手首を、軽く引き戻す。 うなじのあたりを掻きながら欠伸を噛み殺して起き上ると、土方はぼそっと言った。 「いや、隊服ごと持って来い」 屯所に帰る。 そう付け加えて、の手首を放した。 「・・・え、帰るって、・・・」 目を見開いたは、呆然と土方の腕を掴む。 無意識のうちに両手で縋っていた。 「だって、今から?・・・・こんな時間なのに?」 「今帰りゃあ、総悟の馬鹿も少しは大人しくなんだろ」 「・・・・・・でも」 が言いかけたその時。 彼女の手の中で、携帯が震え出した。 気付いた二人が同時にそれを見下ろして、それから無言でお互いを見つめた。 一瞬早く動いた土方が携帯に手を伸ばそうとする。するとはそれを拒んで、後ろ手に携帯を隠した。 大きくかぶりを振ると、乾いたばかりの髪がはらはらと揺れる。泣きそうな顔で訴えた。 「今帰らなくても。朝になってからでも、いいじゃない」 言いながら、うつむいたが携帯のボタンを押す。 押すと同時に振動が収まった。着信を勝手に切ってしまったのだ。 「・・・あ、・・・・」 切ってしまってからはっとした。 自分のしたことのきまり悪さを持て余して、おろおろとうつむく。 それでも土方の携帯は離さずに、胸のあたりでぎゅっと握りしめていた。 これを返したら、すぐに帰ってしまうかもしれない。 すぐに立ちあがって、部屋を出て。そのまま屯所に帰ってしまうかもしれない。 眉をひそめて黙り込んだ土方を前に、は再び大きくかぶりを振った。 「どうして帰っちゃうの。泊っていくって、言ったじゃない」 涙声で言葉を切らして、携帯を土方にぶつけた。 これ以上を言ったら「帰らないで」と言ってしまう。 言えば涙が止まらなくなって、困った顔をさせてしまう。 わかっているのだ。このひとの時間を自分が独り占めには出来ない。 我儘をぶつけて甘えても、困らせるだけなのに。 それでも一度言い出してしまえば、もう引っ込みがつかなかった。 二人の間に流れている強張った沈黙を破って、携帯は再び着信を報せ始めた。 白々と光る画面に目を向けて、土方は面倒そうに口端を下げる。 ベッドを通して伝わってくる振動を無視してに目を戻すと、言いたくなさそうな口調で問いかけた。 「・・・・嫌なんじゃねえのかよ、お前」 「嫌って、何が」 顔を上げた途端に迫られて、は唇を奪われた。 言いかけて半開きになっていた唇から、舌が中へと這っていく。 舌を捉えたそれは深く絡みついて、呼吸させることすら拒むかのように彼女を閉じ込めてしまった。 喉の奥で小さく喘ぎながら、きつく目を閉じたは彼の肩先を掴んだ。 土方の腕が、いつのまにか腰へ回されている。 身体がぐらりとわずかに浮いて、そのままベッドの接している壁際まで運ばれた。 投げ出すような荒さでシーツに下ろされ、身体を強く抱きしめられるうちに は塞がれた唇から火照った吐息を漏らし始めている。 甘えて絡みついてくるような女の口内を奥まで乱しながら、土方は手探りで腰に巻かれた帯を解いていく。 しがみつくように握っていた着物の衿を、その手から奪い取る。 薄布がなめらかに肩から滑り落ちて、淡い色をした素肌は腰まで露わになった。 「・・・・こういう真似が、だ」 唇を離しても、は目を閉じたまま、彼の腕にぐったりともたれていた。 半分開いた唇は長かったキスに息を弾ませている。 頬はうっすらと桜色に染まり、頬と同じに色づいて艶めかしい胸も、わずかに上下して揺れていた。 ゆっくりと開かれていく目がじっと彼を見上げている。 長い睫毛の影に隠れた大きな瞳は、熱を帯びて蕩けそうに潤んでいた。 土方の視線から逃れたさそうな様子で、ほんのり染まった顔を逸らす。腰を大きくしならせた。 「まだ痛てぇんだろ」 ぽんと頭に手を置いて、答えろ、と促してやると 腕で胸元を覆い隠したが、上目遣いに彼を見上げてくる。 深くうつむいて、ためらいながらもこくんと頷いた。 まだ下腹の奥に残っている重苦しさが、動くたびに身体を疼かせていたのだ。 「お前が嫌がるもんを、その。・・・あれだ。嫌がる女に無理強いするよーな真似ぁ、したかねえが。 ・・・・・・俺がここにいちゃあ、また痛てぇ目に遭わせるかもしれねえからな」 素直に応えてきた女を、土方はふっと目を細めながら眺めた。 宥めるつもりで彼女の頭に手を置いて、乱れた髪を撫でながら梳いてみる。が、どうにも落ち着かない。 帰る気になった本当の理由を明かした後では、何をしたところでまったく恰好がつきはしなかった。 気恥ずかしさから目を逸らしながら、土方はからも手を放した。 ふと思い出して横を見ると、そこではまだ携帯が震えている。 どうせ沖田の嫌がらせだろうが、このどうにもならない空気を紛らわすには丁度良い。 彼は手を伸ばし、それを取ろうとした。すると。 「・・・嫌じゃ、ないよ」 携帯に伸ばした手に、細い指先が重ねられた。 「嫌じゃないの。 ・・・ちょっと、・・・驚いたし、痛かったけど。・・・嬉しかったもん」 が頼りなげな小声でつぶやいた。 重ねられた華奢な手が、土方の指先をぎゅっと握りしめてくる。 必死に引き止めようとしているのが、温もりを通して伝わってくる。 その必死さが、すっかり帰るつもりになっていた彼を揺らして、戸惑わせた。 「帰っちゃやだ。帰らないで。もう嫌だなんて言わないから。だから、・・・」 涙声を詰まらせながら、まっすぐに飛び込んでくる。 胸に擦り寄せた唇から、帰らないで、と泣き声を漏らしながら顔を埋めた。 もたれてきた身体を抱きしめると、柔らかな胸を無邪気に押しつけられた。 薄暗い中でも淡く光るうなじからは、石鹸の香りが漂ってくる。洗ったばかりの髪の匂いが、甘く漂ってくる。 これはやばい。理性が保たねえ。 こらえきれずに苦笑した土方は、慌てて彼女を引き剥がそうとしたのだが。 そんな彼を、は瞳に涙を湛えたせつなげな表情で見上げてくる。 泣き顔で見上げられ、懇願されては、彼にはもう拒む理由も見つけられなかった。 困ったような顔で笑うと、土方は何も言わずに彼女の頬に唇を落とした。 の目元を濡らした涙を掬いながら、ふと気づいて、まだ手にしていた携帯を指で探り始める。 探り当てて電源を切ると、今度は遠い床へと放り投げた。 「・・・・ぁ、っ」 露わになった胸をぎゅっと掴んで、手に包んだそれをゆっくりと、大きく揉みしだいていく。 柔らかく弾む感触を手の中で確かめながら、薄く色づいて尖った先端に吸いつく。 舌先でゆっくりと丁寧に転がし、きつく吸ってやれば、は背を大きく捩じって身体をしならせる。 手の内で弾む感触に指を食い込ませながら、身体を後ろへ押していく。 快感に耐えきれず逃れようとする半身を抱きしめ、そのまま背後の壁に貼りつかせた。 咥えた乳房の先を、舌先で弄りつくす。 揉むように捏ねて、強く弾いて。軽く噛んでみる。 わざと籠った水音を立てて吸うと、そのたびにの吐息が弾みを増していく。 こらえきれなくなった細い嬌声を漏らして、彼女は土方の頭に抱きついた。髪に顔を埋めている。 舌先に弄られただけなのに。たったそれだけが、久しぶりに彼を受け入れたには 耐えきれないほどの快楽を運んでくる。 「・・・・、土方さ・・・ぁ、っ」 久しぶりに聞いたこの声が、耳に鮮やかだからなのか。 いつにも増して甲高く、せつなげに呼ばれたように思えた。 彼の手が、シーツに投げ出された彼女の膝を掴んだ。 もう片方の手は太腿を滑って下着を掴み、剥ぎ取るようにして引きずり下ろす。 膝裏を高く持ち上げ、壁にもたれて動けない彼女の足を大きく広げようとしていた。 「・・・や、だめぇ・・・」 「駄目駄目言わねえんじゃなかったのか」 すでに透明な露を溢れさせている、紅潮して熱く狭まった彼女の秘所へ。 身体を伏せて近づこうとすると、は弱々しく身を捩って彼の肩を押し返し、太腿を閉じようと抗った。 「・・・でも、・・・っ、ね・・・やっ、待って、」 「もう、待てねえよ」 俺がどれだけ待ったと思ってやがる。 心の内でつぶやいた土方は下着を脚から抜き取ると、その脚を自分の肩へ乗せた。 脚を強引に開かされ、太腿の内側をぎゅっと掴まれただけで、濡れた奥はびくっと喘いだ。 は土方の頭に縋りつき、悲鳴をこらえようとする。だが、次の瞬間には甲高い声で泣いていた。 「ゃあ、そこっ、だめぇ・・・!」 紅潮した花芯に、舌先が意地の悪い刺激を何度も与えてくる。 膨らみが強く無造作に押し潰され、捏ね回されていた。 「だめ、じゃ・・・・ねえだろ」 「ゃあ、やめ・・・・もぉ・・・・あっ」 荒い刺激に、敏感になっていたの中は蜜を溢れされている。 溢れ出た透明な流れを舌でゆっくりと舐め上げると、土方は入口を指先で押し広げた。 迫ってくる内壁を割り進んで、長い指を付け根まで深く埋め込んでいく。 中で泳がせながらくちゅくちゅと、湿った音を繰り返し鳴らしてみせると、 熱く濡れた中はざわめいて、彼をきつく締めつけて応えてくる。途端にが艶めかしい声を上げた。 「やあ、だめぇ、やだ・・・・ぁっ」 「・・・・」 密やかな水音は土方を昂ぶらせ、の身体を震わせていく。 彼の頭にしがみつき、黒髪を鷲掴みにして、涙声を掠れさせて。 恥かしさをこらえるのが精一杯なは、押し寄せる快感まではこらえきれない。 はらはらと髪を舞わせながらかぶりを振って、喘ぎながら土方に求めるしかなかった。 「ひ・・・じかた・・・・さ・・・・おねが・・・、もう」 「我慢しねえで、言ってみろ。なあ。・・・お前、どうして欲しい」 「やあっ・・・そ・・・なの、恥ずか・・・しっ、出来、な・・・ぁ」 「我慢するなっつったのは、お前じゃねえか・・・・」 なあ。ほんとはもう、我慢出来ねえんだろ。 彼女の高まりを誘うような、抑えた口調で囁きながら、埋め込んだ指で粘った水音を鳴らし続ける。 の奥が微弱に痙攣し始め、土方の指をさらに締めつる。彼を深く呑みこもうとするかのように縮んでゆく。 そこへ中を突き上げるように、もう一本指を送り入れる。 奥の感じやすい部分を探り当て、何度も激しく、執拗に突いた。 「――っ、あん、ぁあっっ」 声を震わせ短く叫んで、は達してしまう。 彼の頭を抱きしめていた腕から力が抜けて、肩に乗せた爪先をびくん、と跳ね上がらせた。 絶頂に目を閉じたきり反応の無いの頭が、ぐらりと傾く。 細い背中が壁を擦って横へ流れ、長い髪を翻しながらベッドへ倒れた。 零れた涙が、上気した頬を伝って流れ落ちていった。 「・・・ぁっ、ぁあんっ!」 熱く潤んだの中を。奥深いところまでゆっくりと、腰を沈めて辿り着く。 甲高く叫んだは、埋め尽くされた衝撃をこらえきれずに白い首筋を仰け反らせた。 深く息を吐き出した土方は、シーツに手を突いて肩を起こした。 背中を弓なりにしならせた女の裸身を、薄く笑いながら見下ろしている。 桜色のシーツに投げ出された長い髪が、喘ぐ彼女の頭の動きにつれてさらさらと流れて広がっていく。 艶々と流れる流線も。腕の中で乱れる女の、まだどこかあどけない、苦しげな表情も愛おしかった。 唇を無造作に押しつけるようにして重ねると、彼女の頬に手を伸ばす。 涙に濡れた温かな頬から、反らされて張り詰めたままの細い首筋へと。 しっとりと手のひらに吸いつくような肌の感触を確かめながら撫でていった。 「」 「ぁ、・・・・・・な・・・ぁに・・・」 「・・・痛てぇか」 は黙ってかぶりを振るだけだったが、痛さをこらえているのは泣き出しそうな表情で判った。 腕に縋りついた彼女の手も、彼が中で動くほどに爪先を食い込ませてくる。 汗に濡れて貼りついた髪の毛を梳いて流し、ちいさな額に柔らかく唇を落とす。 さっきはの甘い声のおかげで、思わぬ暴発を誘われた。 その礼にさんざん焦らして、苛めてやりたいとも思うのに。 苦しげに呼吸を乱している、泣き萎れた花のような女が可愛くて。可哀想にもなってくる。 けれど、ここで止めてしまう気にはなれそうにない。 台所で見た彼女の、折れそうに反らせたしなやかな背中が。 喘ぎながら涙を零していたの、色づいた表情が。目に焼き付いて離れなかった。 「・・・・っ、あ、ぁん、ひぁ、っ」 素早く引き抜かれて、奥を突くようにして貫かれて。 絶え間なく繰り返される荒々しい動きに、呼吸が止まりそうになる。 の頬は桜色に染まり、うつろな瞳は大粒の雫を孕んで、伏せた睫毛に塞がれていた。 大きく開かされた太腿には、もう力が残っていない。 寒気を感じているかのように、わずかな震えを刻みながら揺られている。 シーツに流れて乱れる髪から、淡い色の足先まで。彼女のすべてが、彼の動きに揺られていた。 本当は痛い。 少し無理をして挿れられたからなのか、久しぶりに受け容れたからなのか。 擦れるたびにひりひりと痛みが染みて、勝手に涙が湧いてくる。 それでも土方には気にしてほしくなかった。 覆い被さってきた身体をこうして苦痛ごと受け容れて、抱きしめてしまえば 掻き乱される痛みまで大事なもののような気がして。離したくなくなってしまっていた。 土方の腕の引き締まった硬い感触を、線をなぞるようにして撫でていく。 そこから背中へと手を伸ばし、彼の身体を自分へと引き寄せた。 倒れ込んできた身体の重みで、沈んだベッドのスプリングが深く軋む。 汗の滲む背中に腕を回すと、力強い腕にぎゅっと頭を抱きしめられた。 しばらく忘れていた感覚が、身体の奥から蘇ってくる。 熱くなった身体に押し潰されそうになって、背中が軋むこの感覚。 肌から香ってくる煙草の匂いも。逃げることも出来なくて、されるままに唇を塞がれるせつなさも。 ずっとこのひとから逃げていたから、忘れかけていた。 首筋やうなじを抑えつける大きな手の強引さとは裏腹な、優しいキスを注がれる心地良さも。 「・・・・・・ひ・・・かた、さぁ・・・ん」 「あぁ・・・?」 「・・・好き・・・・っ」 唇から自然に零れてきたのは、恥ずかしくて滅多に言わない言葉。 口にすると必ずといっていいほど赤面して固まってしまう。なのに今は、なぜか恥ずかしさを感じなかった。 息苦しくて喘いでいるのに。 男の身体の重みに押し潰された胸がせつないのに。 このひとに繋がれたままでいられるなら、胸が潰れて死んでしまってもいいと思ってしまう。 思いきり抱きしめてくれるこの腕の中でなら、何があっても怖くない気がした。 「馬鹿。・・・んな時に、言うんじゃねぇ。」 低く洩らされたせつなげな声の返事は、どこか悔しそうにも聞こえた。 さっきから耳元をくすぐっていた吐息が、抜き差しを繰り返すごとに荒くなっていく。 重なった胸から伝わってくる鼓動が高くなって、抱きしめた背中が汗に濡れ始めた。 すこしずつ、徐々に痛みが引いていく。 痛みから解放されて自由になっていく身体は、蠢くものに突き立てられる快感を追い求め始めた。 好き。大好き。 掠れた声でもう一度ささやくと、背中に回していた腕を解かれる。 シーツに押しつけられた手に、長い指が絡まってくる。 絡め合って隙間を塞ぐと、手の甲が折れそうなほどにぎゅっと握った。 一度も口にしてはくれないけれど、このひとも、たぶん。 こんなあたしでも、大事にしてくれる。 身体だけじゃなくて、心まで受け止めてくれる。 そう信じられるだけで嬉しかった。なのに涙がぽろぽろと零れる。 突き動かされるたびに、せつなさが身体を疼かせる。 疼きが高まっていくごとに感情の波まで昂ぶっていく。 思いが溢れすぎて、心が壊れてしまいそうになる。何も口に出来なくなってしまう。 「・・・・ぁっ、・・・・ゃん、いやぁ、っっ」 大きくかぶりを振って、は髪を振り乱す。 身体を波打たせるような快感が、背筋をぞくっと突き上げていく。 こらえきれずに漏らしてしまった涙混じりの嬌声は、部屋の中で響き渡った。 「ひ、ぁあっ、・・・・ゃあん、あっ、」 。 ひっそりと籠った声で耳元に呼びかけながら、最奥を深く責め立てる。 呼んだ後に、土方は何かをつぶやいた。だが、吐息のような言葉はの耳には届かなかった。 押し寄せる快感で達しそうになった彼女の声に、掻き消されてしまった。 ぶつけるように貫かれたの中へ、土方の放った濁流が迸っていく。 極まって叫んだ彼女の涙声が、暗い部屋の中を一杯にして。次第に細くなって、弱々しく力尽きて途切れる。 解き放たれた熱さが染み渡って、気持ちの良さに身体がじんわり痺れていく。 脱力して重みを増した土方の背中に触れながら、は溺れるような眠気にすうっと呑み込まれていった。 『見たか?あれ』 ぱちっと見開かれた瞳に映ったのは、まず最初に室内の薄暗さ。 それから、目の前で眠っている土方の横顔と、首を抱いてくれている腕枕だった。 けれどの目を覚まさせたのは、土方の声ではなく近藤の声。 夢の中に突如として浮かんできた、近藤から聞いた言葉だった。 電話で聞いたどこか意味深なあの台詞が、唐突に頭に浮かんできたからだ。 たしか近藤は、土方の上着を見てみろ。そんなことを言っていた。 そこに「煙草以外の何か」が入っているから、探して自分で確かめろ。 中身は見ればわかる、とも言っていた。 「ええと。・・・・上着の、裏ポケット・・・・だっけ?」 土方の持っているものを、どうして近藤が気にしているのか。そしてなぜ、自分にそれを知らせてきたのか。 不思議に思いながらも、気になったはもぞもぞと土方の腕を外しながら起き上がる。 はぁ、と小さく溜息をついて、辛そうに下腹のあたりを抑えた。 重苦しさは相変わらずで、明日バイトに出るのも億劫になりそうなほどにどんよりとしている。 隣で眠っている土方を見下ろすと、は彼の右肩へと目を移した。 さっきまでは夢中だったし、部屋の暗さでよく見えなかったけれど、 今は灯りの無い部屋の薄暗さにも目が慣れてきて、まだ生々しい赤みを残した線がはっきりと目に入る。 肩に残されている引きつった傷跡に、そっと触れてみる。跡に添って撫でてみた。 何度か繰り返してみても、もう怖さは沸いてこない。 その代わりに浮かんできたのは、自分でも不思議なくらいに自然な、顔が勝手にほころぶような嬉しさだった。 きっとこの先も。 土方の傍にいる限り、自分は同じ思いを繰り返す。 このひとが怪我をするたびに怖くなって、また逃げ出したくなるんだろう。 怖がっているのは、このひとの傷だけじゃない。 この傷から目を逸らしてしまったのは、たぶん、自分の中に刻まれた傷からも目を逸らしたいから。 自分の弱さから目を逸らしたいから。 それを思うと息苦しくなるし、やっぱり身体は竦んでしまうけれど。 自分の弱さはまだ直視出来なくても、土方の傷にはこうして触れている。 ここから目を逸らすことがなくなったぶんだけ。ほんの少しだけ、変われたのかもしれない。 怖さを抱えているうちに、その怖さも自分の一部になっていて、あたしの身体に馴染み始めているのかもしれない。 今触れているこの傷跡。まだ生々しく映るこの傷が、もうすっかりこのひとの一部になっているように。 しばらく彼の傷を撫でていたは、ふと気づいて顔を上げる。 わざわざ起き上がった本来の目的を、ふたたび唐突に思い出したのだ。 近藤さんの言っていた「あれ」って、何だろう。 そう思いながら立ち上がりかけたところで、後ろから髪を掴まれた。 ぐいっ、と思いきり引っ張られ、思わず「痛ぁい」と大声でわめく。 「コラ、待ちやがれ」 「えっ」 驚く間もなく腕を掴まれ引き戻され、訳のわからないうちにベッドに押し倒されていた。 眠っていたはずの土方に、なぜか馬乗りされている。なぜか険しい顔で睨みつけられている。 口端がぐっと大きく下がっていて、何かにムッとしているらしいとは判るのだが。 肝心の、何にムッとしているのかが判らない。 「・・・・え、あの、ほら、隊服もう乾いたかなあって思って。 朝までに乾かないと困るでしょ。気になったから、ちょっと見て来ようかなあって」 「」 「は、はい?」 「お前、近藤さんに何か吹きこまれてねえか」 妙に真剣な表情で詰め寄られて、は何か言いようのない危機感を感じた。 肩を竦めて身を縮め、恐る恐る白状する。 「吹き込まれたってゆーかぁ・・・・よくわかんないんだけど。 近藤さんがね、土方さんの上着に何か入ってるから、探してみろって」 「・・・で。てめえはこれから探すつもりだったのか」 「うん、・・・・っっ、じゃなくてェ!」 ちっ、と苦々しい顔で土方が舌打ちする。 眉の吊り上がった表情からは、さっきまで彼女に向けていた柔らかさなどすっかり消えてなくなっていた。 どう見ても怒っている。誰がどう見ても怒鳴り出す寸前の表情にしか見えないのだが 実際には、彼は怒ってなどいなかった。実のところ彼はただ、焦って怒ったふりをしているだけなのだ。 怒っているという体を無理に取り繕ってでも、の興味を隊服から引き離したい。 二度とが隊服を探ろうとする気を起こさないように仕向けたかった。 しかしいきなり押し倒されてしまったにしてみれば、そんな事情を知る由はどこにもない。 彼女は手足を振り回し、バタバタと妙な防御の構えをとりながら、しかし怯えて震え上がっていた。 「そうか。お前も随分大胆になったもんだなぁ。人のもん勝手に漁ろうたぁ、いい度胸じゃねえか」 「えェ!?や、違っ、違うのっ、今のはねちょっと口が滑ったってゆーかつい言っちゃったってゆーか」 「うっせぇ黙れ」 彼女の顎を乱暴に掴むと、土方は不気味な気配を漂わせた笑みを口許に浮かべた。 「俺を誑かそうたァ、てめーにゃ百年早ぇえんだ」 今夜は寝かせてやらねえからな。 きっぱりと断言されて襲いかかられ、涙目になったは縮み上がった。 「・・・ひっ、ぃやあぁぁぁぁぁあぁぁっ!!!」 ・・・・・と、「ちょっぴり不幸な監察の彼」に負けず劣らずの彼女の悲鳴は 寝室の暗闇を見事につんざき、扉を突き破る勢いで深夜のアパート内に轟いた。 自業自得のような理不尽なような、しかし本人にしてみれば理不尽以外の何物でもない目に 遭わされている彼女の悲鳴が、少しずつ甘くて溶けかかったものに変わっていった頃。 同じ室内の一角にある小さな脱衣所の壁で、土方の隊服はハンガーに吊るされ、ほぼ乾きかけていた。 扉の隙間から流れ込む、ほんわりとした風に袖を揺らしている黒い隊服。 その懐には、とある小箱が忍ばせてあるのだが。 それを彼女が目にするのは、もうしばらく先の話になるのだった。

「 触れる指先の我儘を 」end text by riliri Caramelization 2009/05/17/ ----------------------------------------------------------------------------------- 次は現在 「深緋…」前の話。           next