なんとなく見ていた雑誌のページを捲っていったら なんとなくその一行が目に飛び込んできた。 あたしはそこが気になって じいっと見て だけど そんなところを見ていると気付かれるのは嫌だったから ページの端のショッピングサイトの広告に目を逸らした。「そんな記事は見ていません」てふりをした。 それから リビングのふかふかなソファで あたしの隣に座っている周ちゃんを見上げた。 ソファの背中に深くもたれた周ちゃんは つまらなさそうな涼しい目で再放送のドラマを眺めていた。 横から見ているあたしに気付くと つまらなさそうだった目は 柔らかめに眉を緩めてかすかに笑う。 ちょっと困っている時の周ちゃんの顔は いつもこんなかんじだ。 「どうしたの、」 周ちゃんは尋ねてきた。少し迷ったけれど 思いきって 脚の上で広げた雑誌を指してみた。 差した指先を覗き込んで 周ちゃんの頭はあたしの肩にくっついた。 「・・・・・『はじめてのエッチ体験談 募集中』・・・・・」 淡々と読み上げてから周ちゃんは顔を起こした。すぐ近くからあたしの目をじっと見る。 授業中に指されて教科書を読むような 静かに澄んだ声で読まれたのが可笑しくて あたしはぷっと吹き出した。 「周ちゃん」 「うん?」 「変だよ。今の周ちゃん、変」 「そうかな。どこが?」 「変だよ。だって、全然らしくないんだもん。そんな言葉が周ちゃんの口から出るなんて。 うちのクラスの子たちが聞いたら絶対びっくりするし、高等部の人達だってきっと引くし。女の子全員に幻滅されちゃうよ」 ああ そういうこと。 途端に表情が可笑しそうになって 肩を竦めてくすくす笑う。笑いが収まってきたころに 何気なく言った。 「意外。でもこういうの気にするんだ」 「・・・?意外って、何が意外なの」 「意外だよ。僕はずっと、の興味の矢印は洋服とお菓子にしか向かないんだと思ってた」 「えー。そんなことないよ。時々は他のことも気にしてるよ」 「ふーん。時々、なんだ」 「・・・・・・周ちゃん。最近意地悪くなったって言われない?」 怒った顔を作って目を覗き込んでも 周ちゃんは何も言わない。 ページの角に長い指を掛けて 次のページをさらりと跳ね上げて捲った。 目を伏せたままでかすかに笑う顔には そういうことは言われ慣れてます って書いてあるように見える。 最近の周ちゃんのひねくれぶりに釘を刺そうとしているのは もしかしたらあたしだけじゃないのかもしれない。 「ねえ。例えば、他の気になることって?どんなこと」 「どんなって・・・普通に、色々。」 ふぅん と 小さく相槌を打ちながら 周ちゃんの手はあたしの膝に置かれた雑誌を捲り続けている。 最近 あたしに近づいてるときのこの手の動きを 小さかった頃と違って ちょっと意識するようになってきた。 ページを捲る指の動きを目で追いながら でも 気にしていないふりで指を折って数える。 「日曜日はミカたちと遊園地に行くから、日曜日の天気はどうかなあとか。 期末テストの成績とか、昨日見たドラマの続きとか、昨日聞いた隣のクラスの子の失恋話とか」 「こういうことはどうしようかな、とか?」 パラパラと指を遊ばせるみたいに捲っていったページを逆に遡らせて 周ちゃんの手は またさっきと同じページに辿り着いた。これ見よがしにあの一行を指してくるから なんだか気まずい。 出来れば答えたくなかった。でも こんなことで怯んだと思われるのは嫌だ。 高等部に入ってぐんと大人っぽくなった周ちゃんに まだまだ子供だねって笑われるのも嫌。 だから なんとなく負けたくなくて 張らなくていい意地を張って答えてしまった。 「・・・違うよ。これをどうしようとかじゃなくて。・・・これは、ただ、思っただけ」 「思ったって、何を」 「だから。これを見て、周ちゃんを見たら、なんとなく。・・・・・・・・思っただけ。 ・・・あたしが。そういうことをするなら。初めては・・・周ちゃんみたいなひとが。いいな、って。」 途中で 口が回らなくなってきた。やっぱり言わなきゃよかったと思った。 瞬きしながら 言葉を詰まらせながら言い終わったら ふーん そう とだけ 返された。 なんとなく会話の隙間を埋めようとしただけのような声だ。 すぐに周ちゃんはあたしから頭を離した。ぼんやりした目つきでテレビを眺めたあとで 口を開いた。 「じゃあ、僕にしてみたら」 「え?」 「の初めてが、僕みたいな奴がいいのなら。それはつまり、僕がベストだってことだよね」 「・・・・・・・そう、なの?」 「うん。そうだよ」 ひとことずつがはっきり耳に響くような 言い聞かせるような声で言って 周ちゃんはあたしの手を握った。 手を引かれてリビングを出て 階段を上がったら 背中に腕を回された。 すぐにドアが開けられて 二階の周ちゃんの部屋に入ると 手早く鍵がかけられた。 毎週遊びに来ていても 周ちゃんの部屋に入るのは久しぶりだ。薄暗い部屋の中は肌寒くて サボテンの鉢も去年より増えていて 見たことのない新しいコンポが置いてあって CDもたくさん増えていた。 積まれたCDを見ていたら 顔が近付いてきてキスされて 抱きしめられて あっという間にベッドまで押された。 仰向けにベッドに倒されて 身体が弾んで あたしは初めて 周ちゃんの部屋の天井の色を知った。 天井は淡いクリーム色。窓に近いその隅は 外の夕暮れが迫ってほんのり赤くて暗い色。 見上げるあたしの視界に被さって 全部遮ろうとする周ちゃんの目は 不透明なビー玉みたい。 表情がなくて硬そうで冷たそうで ぼんやりと曇っているのに それでも光を透して輝いている。 周ちゃんとあたしは あっという間にそういうことになった。 周ちゃんのベッドの 皺ひとつなくすっきり敷かれた真っ白なシーツは あたしたちと一緒に皺だらけのぐしゃぐしゃになった。 その真ん中には あたしの身体から流れ出てきた薄くて赤い染みが 夜の帰り道に灯る電燈の明かりみたいにぼうっと滲んだ。


 き み が ぼ く を し っ て る

  * 1

やっと周ちゃんが身体を離してくれたときには カーテンの外は暗くなっていた。 あたしはもうくたくたに疲れていた。お腹も腰も脚もどんより重くて 瞼が溶けて落ちてきて まだキスされているのに何をされているのかもわからなくなって そのまま眠ってしまった。 目が覚めたら 隣で横になった周ちゃんが あたしが起きるのを待っていた。 気恥ずかしいから毛布を深く被って おはよう とだけ言ったら。いつもの笑顔で どうして? と訊かれた。 「は、どうして僕みたいな奴ならいいと思ったの」 「・・・ねえ。周ちゃん。そういうことって。本当は最初に訊くんじゃないの。こういうことをする前に訊くんじゃないの」 「こういうこと、って。どういうこと?」 「・・・・・周ちゃん、きらい」 「そう。」 「・・・・・・・きらいだって言ってるのに。どうして怒んないの」 「どうしてって。・・・言われ慣れてるからじゃないのかな」 皮肉っぽく言って 周ちゃんは顔を逸らした。窓辺に置いたサボテンの鉢の方をじっと見ている。 肩が冷たくなっているのに気付いた。暖房の入っていない部屋の空気は くっきりと冷えていて肌寒い。 首を竦めながらそっちに目を向けると 外を走る車の音が近づいてきた。 通り過ぎる音と一緒に ブルーの遮光カーテンで覆われた隙間がぱあっと黄色く発光した。ライトの光が駆け抜けて消えた。 車の明かりが遠くなるのを目で追ってから 周ちゃんの横顔を覗き込む。 ほんの少しだけ すごく微妙に 口端が不機嫌そうになっていた。 笑ってばかりいる周ちゃんの表情は いつも見慣れている人じゃないと見落としてしまうくらいに ほんの少ししか変わらない。 「もう何度言われたかわからないよ。気に入らないことがあると必ずそう言うから、は」 「いいの。今日はいつもと違うの。本当にきらいになったの。・・・・・・・これからはもう、裕ちゃんとしか遊ばない」 「そう、が本気でそう思うなら仕方ないね。いいよ、わかった。もう僕からには近づかない」 「・・・嘘じゃないよ」 「嘘だよ」 「嘘じゃないよ。どうして決めつけるの」 「だって。嘘だよ。は昔から、裕太よりも僕のほうがずっと好きだ」 自信たっぷりに微笑んだ周ちゃんの口端は 言い返せないあたしの表情を確かめて もっと満足そうになった。 悔しくなって唇を噛んだ。でも 何も言い返せなかった。 それはそう。違わない。当たってる。 周ちゃんと裕ちゃんなら あたしは周ちゃんのほうが好き。断然好き。 あたしたちは幼馴染みで 小さい頃から一緒にいた。兄妹みたいに 当たり前のように一緒にいた。 何歳だったのかわからないくらい小さな頃から あたしの手を引いて公園に連れていってくれるのは いつも 周ちゃんの役だった。周ちゃんじゃないと嫌だったから 裕ちゃんじゃいやだいやだって 駄々をこねたこともある。 だから周ちゃんだってわかってるだろうし そんなことは たぶん裕ちゃんだって昔からわかってる。 だって周ちゃんは優しい。 他の男の子たちみたいにすぐイラついたりしないし 怒っているところなんて見たことがない。 同じクラスの男子たちとは全然違う。女の子が嫌がるようなことはしないし 乱暴なことだってしない。 あたしがどんなに子供っぽい どうしようもない我儘を言っても 馬鹿にしたりしない。 たまに呆れて意地悪を言うことはあっても 最後にはいつも しょうがないな って あたしのしたいようにさせてくれる。 だからさっきも 大丈夫だと思ってた。 もし途中で周ちゃんとするのが嫌になっても きっと大丈夫。 あたしが「いや」って言えば、周ちゃんはすぐにやめてくれるはず。 しょうがないな は って優しく言って。ほんの少し眉を曇らせて 困ったような顔をして笑って 頭を撫でて 許してくれる。 だけど違ってた。そういうことになってみたら ぜんぜん大丈夫じゃなかった。 それでも最初は平気だった。セーラー服を脱がされても 下着を外されても。 ぼうっとした目をしてる周ちゃんに 身体中をじいっと見られても いろんなところにいろんな触れかたをされても 撫でられても 遊ばれても 目を開けていられないくらい恥ずかしかったけど まだ平気だった。 変なところにキスされても。自分でも触ったことのないところに 周ちゃんの手が伸びてきても。そこを弄られても平気だった。 周ちゃんが舐めているところの奥がむずむずして なんだか感じたことがない もやもやして変な熱さで身体が一杯になって やぁ ああ っておかしな声が出た。それでもまだ平気だった。 平気じゃなくなったのは スカートを脱がされた時だ。急にさあっと背中が寒くなって 身体がすくんで すごく怖くなった。 必死で掴んだスカートを剥ぎ取られても あたしは何度も「やめって」って頼んだ。 何度「やめて」を繰り返しても 周ちゃんはやめてくれなかった。 身体が裂けそうに痛くて苦しくて 悔しくて悲しくて。抑えつけてくる周ちゃんが怖くて いっぱい泣いても。 涙の半分は 本気で痛かったから出てきた涙。後の半分は 勝手にあたしを揺らし続ける周ちゃんへのあてつけだ。 だけど 最初は冷たいくらい表情が無かった周ちゃんの顔が すごく苦しそうな 辛そうな表情に変わって。 見たことのない表情にびっくりして 息を切らしたせつなそうな声で「」って呼ばれたら 周ちゃんが動くたびに身体を割いて暴れていた痛みは すうっと引いて 半分くらいはどこかへ消えてしまった。 ぎこちなく張りつめて硬くなった周ちゃんの身体が びくんと大きく震えて 力を抜いてあたしの上に落ちてくるまで 驚いたままで周ちゃんを見ていた。「やめて」って言うのも あてつけで泣きわめくのも忘れていた。 だけど。違う。あたしは周ちゃんを許したんじゃない。ただびっくりして言葉も出なくて 何も言えなかっただけなのに。 「違うよ。周ちゃんは。・・・好きだけど。・・・・・・・こういうことをするような好き、じゃないもん」 「うん」 枕に組んだ腕を投げ出して うつ伏せになっていた周ちゃんは あたしのほうへ顔を向ける。 睫毛の長い すっきりした目が細く開いた。柔らかい色をした瞳が ふっ と可笑しそうに変わった。 そう。そんなことはたぶん 周ちゃんだってよく知ってるはず。 あたしは 周ちゃんのことは好き。 だけど 違う。こういうことは もっと違うんだと思う。 こういうことをする相手は周ちゃんじゃない。お兄ちゃんみたいな周ちゃんとは違う。 こういうことは きっと もっと 好きで好きでしょうがないって思うくらいに 大好きなひとに赦すことのはず。 今のあたしにはまだ そこまでに好きだと思うひとはいない。周ちゃんだってそれは知っている。・・・なのに。 「好きだけど。・・・周ちゃんは、・・・・・・・・そういう「好き」じゃない。恋人じゃないもん」 「そうだね。なのには、好きでもない、恋人じゃない奴を、誘うようなことをした」 「・・・・・そう、だけどっ」 言い返せなくて悔しくなっていたら 周ちゃんの腕が枕を離れた。 あたしの頭を後ろから抱えた手が 自分の方に引き寄せる。柔らかくて長めな髪の毛先が おでこにふわっと当たってくる。 胸と胸がぴったり合わされて 腕が背中を抱いて 何も着ていない身体どうしがくっついた。 少し汗ばんで熱の上がった周ちゃんの身体は 服を着ているときにはそうは見えないくらいに骨っぽくて 硬くて重たい。 腕や肩の締まった筋肉の付き方も あたしとは全然違う。周ちゃんの身体じゃないみたい。 もっと他の ・・・こういうことをし慣れている 大人の男の人の身体みたい。 肌がくっつけばくっつくほど その熱さが嫌になる。周ちゃんの熱さがあたしの肌を占領して 染み込んでくるほど 頭の中が焼け焦げそうになる。周ちゃんを振り払いたくなるようなじりじりしたイライラが 身体をつついてくる。 ちょっとしたはずみで手を触ったときの 周ちゃんの低めな体温と 今 あたしにくっついている肌が伝える湿った体温は 肌触り以外は全然違う。どっちも同じ人だとは思えなくて 喉の奥が気持ちの悪い違和感でいっぱいになった。 「ねえ。好きじゃないのに、どうして僕みたいな奴がいいって思ったの」 周ちゃんの手が 汗が引いて少し冷たくなったあたしの背中を すうっと撫でて下がっていく。 ばかみたい。意味がわからない。どうして今になって そんなこと訊くの。 今までも 周ちゃんの言うことって 時々意味がわからない 変なの と思って笑ってた。でも 今日は笑えない。 いやだ。背中を撫でるこの手がわからない。 あたしの身体以外は何も見えていないような顔をして 夢中になってあたしにぶつけて あんなに痛くさせたくせに。 勝手に始めて勝手に終わったくせに。なのに 周ちゃんは一度も謝ってくれない。一度も ごめん て言ってくれなかった。 あたしはまだ周ちゃんが身体の中にいるみたいで 痛くてしかたがないのに。 このベッドに敷かれたシーツよりも簡単に汚されて 元の形を留めていないくらいに バラバラのぐちゃぐちゃにされたみたいで 悔しくて泣きたくて混乱しているのに。 なのに すっかり自分のものみたいに引き寄せて 片手に収めて。 あたしの痛さも悔しさも ふてくされた態度も全部無視して 自分のものみたいに扱おうとする。 こんな周ちゃん知らない。全然わからない。ばか。きらい。ひどい。最低。周ちゃんの ばか。 あたしを見ているのに違う何かを考えていそうな この澄ました顔を 頬が腫れるくらい何度も叩いてやりたい。 そう思ってるのは本心だ。でも 口から出た声は違っていた。自分でも自分に呆れるくらい 甘えきっていて 媚びていた。 「ほんとのこと、言っても。・・・怒らない?」 「・・・心外だなぁ。僕がに怒ったことなんて、今までにあった?」 わからない。 勝手なことばかりする周ちゃんに こんな耳に絡みつくような声で話しかける自分がわからない。 ああ これもきっと周ちゃんのせいだ。 周ちゃんが急におかしくなったから それがうつって あたしまでおかしくなってるんだ。 戸惑いながら開きかけた口を止めたら 言いたいことで頭が一杯になって でも ひとつも口から出てこない。 目の周りがどんどん強張っていく。 このまま何もわからなくなりそうで 何も言い返せなくて 心細くて。周ちゃんの腕をそっと掴んだ。 「周ちゃんなら。・・・・・・・こわくない、から」 「うん」 「優しくしてくれそうだったから」 「うん」 「・・・痛くないようにしてくれそうだから。 周ちゃんは。付き合ってた女の子、一杯、いるでしょ。そういう人のほうが、・・・・・・・・」 「慣れてそうだから?」 「・・・・・・・うん。そう。」 「なんだ。・・・・・・そうか。うん。そうだね。そういうところは変わらないよね。は」 「そう・・・・・・なの?」 「そうだよ。小さい頃から少しも変わらない。・・・・・・・・変わらないよ。こっちが呆れるくらいにね」 呆れるよ。 笑いながら周ちゃんはそう繰り返した。 顔を強張らせているあたしの腕を掴んで 自分から外した。驚いて あたしはふっと息を呑んだ。 「我儘で意地っ張りで自分勝手で。強がって平気な顔はしてみせるけど、実は臆病で、怖がりで。 だから僕を選んだんだ。僕が怒らないから。に甘いから。他の奴には通らない我儘も、僕になら言えるしね。 でも、僕は言うことをきいてくれなかった。だからがっかりした。 泣いても言うとおりにしてくれなかった僕が嫌になった。 自分だって勝手なくせに、力ずくで勝手にを抱いた僕に腹を立ててる。そうだよね?」 そんなことを周ちゃんは ちっとも呆れてなんていなさそうな穏やかな声で ゆっくり喋り続けた。 途中で言葉を区切って 細く開かれた目があたしの表情に視線を集めて じっと窺う。 何度か視線を合わせた目が 軽く瞬いて どう思う?って訊いてきた。 それでもあたしが何も言わないから 何か言いたげに口を結んで しばらく黙ってから また口を開いて。 それを繰り返して 一方的に話し続けた。 しわくちゃなシーツに染み込んだ汗でむせ返るベッドの中は 息が詰まる。 まるで言い返さないあたしが全部悪いような 居心地の悪い空気になっていった。 見られるたびに 周ちゃんのばか って叫びたくなる。でも 何も言い返せない。 目が合うたびに うん と力無く萎れて頷いた。本当は何も聞いていないし 何もわかっていないのに。 聞いてるようなふりをして 何も聞いてなくても 口調や言葉尻のアクセントでなんとなくわかる。 全部否定だ。あたしに気を悪くした周ちゃんに拒まれてるんだ。 頭から「全部駄目」って言われてる。周ちゃんは今 怒ってる。 言われたことに腹が立って あたしを頭からぎゅうぎゅうと縮めて 圧縮した空き缶みたいに薄く叩き潰したいんだ。 でも その言葉がひとつも頭に入らない。 耳元でささやかれる声が 遠くの雑音みたい。壁を通した外から聞こえる声みたいにぼんやり聞こえる。 理解できない。周ちゃんが何を言いたいのかもわからないし わかりたくない。 わかりたくない。わからなくていい。何を言われたって同じなんだから もうどうでもいい。 だって そんなことはどうでもいいくらいに傷ついた。声が凍りつくくらい 驚いた。 喉の奥が震えて 目から涙がこぼれそうになってる。 手 外された。 あたし 周ちゃんに嫌がられた。拒まれたんだ。 今までに 一度だってそんなことをされたことはないのに。 目元が涙で埋まって 見えるところが狭くなって 最後にはぼやけて何も見えなくなる。 目から一粒がとろりと零れて 枕に押しつけたほうの目まで流れて 白いピローカバーにすうっと染み込んだ。 あらかじめ決められていたセリフみたいに 滞りなく続いていた周ちゃんの声が ぷつりと途切れて止まった。 声が消えて 部屋の中は音がなくなる。たちまちに空気が張り詰める。 たまに窓の向こうから聞こえる 外を通る車の音が すごく耳に響くようになった。 周ちゃんはあたしが何か言い出すのを待ってる。そういう風に聞こえる沈黙を作り出すのが 周ちゃんは得意だ。 そういう周ちゃんのずるさも 黙って仕向けようとする上手さも あたしはそんなに嫌いじゃない。でも 今日は違う。 気付かないふりをして 鼻をぐずぐずさせながらずっと泣いていた。 しばらく泣いて目がかあっと熱くなった頃 頭に周ちゃんの手が載った。 耳のところから指を入れて ごわごわにからまった髪を指で梳かしつけてきた。 「夏には肩までしかなかったのに。随分伸びたね、髪」 「・・・・・・・・・・・・」 「暗くなったから、後で家まで送るよ」 いつも通りの優しい口調でそう言われても あたしは何も言わなかった。 ただ泣いてるだけの自分が悔しくてたまらない。 謝ってもくれない あたしが泣いてもこんなことしか言わない周ちゃんが大嫌いだ。 ここでぐずった泣き声なんて 絶対に出してやらない。 周ちゃんが先に起き上がって服を着始めた。 その背中を睨みつけるうちに 何かすっかり諦めたような 泣くのもばかばかしいような気持ちになって あたしも 床に落ちた制服を拾った。 白いシャツの襟元のボタンを留めてる背中を見ながら スカーフを結んでいた時。 周ちゃんの背中も家具も 輪郭だけが光って見える暗い部屋の中が 衣擦れの音だけになった時だ。 ベッドの脇で立ち上がった周ちゃんが カーテンの端を被っていたサボテンの鉢に手を伸ばした。 被っていたカーテンを避けて 長い刺が立ち並んでいる緑色の天辺をじっと見つめて。 ほんの少しだけ可笑しそうに口端を上げて 自分の方へ鉢をそっと引き寄せた。 車の音と眩しいライトの光が 窓の外をさあっと走り抜けた。 分厚いブルーのカーテンの隙間と 優しげな目をして鉢を見つめる周ちゃんの横顔を照らして ほんの一瞬で消えた。 立ち上がったあたしは 何も言わずに周ちゃんに並んだ。その手を叩いて思いきり払った。 鉢が割れる重い音が 冷たい床から裸足の脚を伝って響いた。

「 きみがぼくをしってる *1 」 text by riliri Caramelization 2010/02/22/ -----------------------------------------------------------------------------------     next