月明かりの蒼く冴えた夜更けだった。 猫が落ちていた。 弱りきって身体を丸め、道端にゴミのように落ちていた。 泥や埃にまみれて薄汚れてはいたが、それでも際立つ毛並の美しさがあった。 それが、何気なく近寄った彼の目を引いた。 月明かりに目を凝らし、よく見てみれば。 それは雌猫だった。




月灯り はにかむ猫

1

彼はそれを拾った。 雌猫は、啼かない猫だった。 抱き上げても背負ってみても、されるがまま。びくりとも動かず、だらりと四肢を伸ばしたまま。 「家はどこだ」と声を掛けても、吐息ひとつ漏らさない。 背負った彼が歩き出しても、「ミャア」と不安げな声をあげることすらしなかった。 そのくせ目はぱっちりと開いている。意識はあるのだ。 しかしぱっちりと開けられたその目に沈む輝石のような瞳は、彼の影すら映し出そうとはしなかった。 輝石のように美しい。 しかし同時に、目にしたほうが気が滅入るような、空虚な瞳だった。 このまま自分がどこかへ連れ込んだとしても、悲鳴ひとつあげることなく犯されるだろう。 涼しげに整った容貌。しかし甘いその印象を、視線ひとつで打ち消すほどの殺伐さを瞳に漂わせた男。 無表情な顔に笑みを浮かべることこそなかったものの、それを思えば乾いた可笑しさはこみあげてきた。 男という生き物には、狩る側としての本能に適った酷薄なところがある。 彼もまた、そういう一面を内包した男。 しかし、こうしてつい小汚い猫を拾い上げてしまうようなところも、この男の一面ではある。 それもまた、男としての本能に植えつけられた、酷薄さとは別のことわりに適っているのかもしれない。 拾った猫を連れ帰った。 男の職場であり住処でもある場所へ。 機動警察「真選組」。 男はここで「副長」と呼ばれる立場に就いている。 副長の帰還を認め、門に駆け寄ってきた見張りの隊士が息を呑む。 雌猫を背中から抱き下ろすと、彼は下士である隊士に告げた。 「空き部屋に寝かせておく。朝になって女中が来たら、飯と風呂の世話をさせろ」 「はっ、はい!」 ひたすらに頷く隊士の目は、 厳格な副長を前にした緊張と、彼の腕に抱かれた汚れた雌猫への好奇心に満ちていた。 この粗暴な荒くれ揃いの屯所には、女気というものが慢性的に不足しているのだから仕方がないが。 隊士一人でその始末だ。 彼の拾った猫は、当然屯所に波紋を呼んだ。 副長である彼が、屯所に入ってまず最初に出さざるを得なかった厳命がこれだ。 「雌猫の眠る部屋に近づいた者は厳罰に処す」 波紋はそれでひとまず収まり、静かな夜は明けていった。

「 月灯り はにかむ猫 1 」text by riliri Caramelization 2008/07/25/ -----------------------------------------------------------------------------------                               next