「――はぴばぁああすれぇぇとぅゆ〜〜、はっぴばぁすでぇとぅうゆ〜〜・・・」
目が覚めたら、甘くて懐かしい匂いとふわふわした暖かさに身体をくったり預けてた。
誰かが歌っていたはずだけど、もう聞こえない。楽しそうに口ずさんでたのは、誰でも知ってるお誕生日のあの歌だ。
舌足らずで甘い女の子の歌声は、ついさっきまで見ていた夢と一緒にどこか遠くへいってしまった。
ふあぁ、って小さくあくびを漏らして、甘い匂いを吸い込んでみる。
身体中に纏わりつくみたいにして漂ってる、これって何の匂いだろう。
どこから流れてくるんだろう。何も見えないからわかんないよ。
ここはどこまでもぼんやりとおぼろげで、何一つはっきりしていない。着物の裾や衿元から忍び込んでくる空気や、頬を撫でる風がちょっと冷たい。
それでもあったかくて居心地がいいから、何も見えなくてもちっとも不安に感じないけど。
頭ごと預けてたあったかい何かに顔をすりすりこすりつけて、瞼をのろのろ上げてみる。
右や左を眺めてみれば、見回したあたりは暗くて静かだ。かさ、がさ、って乾いた音がたまに鳴って、やけに大きく響いてて――
「・・・ここ、どこぉ・・・?」
足元からうねうね続く細い歩道沿いには、たまにぽつぽつと街灯が立ってる。建物らしい影はどこにもない。
左右には高く背を伸ばした木立がわさわさ生えてて、地面に濃い影を落としてる。
眠くて開かない目を擦りながら見上げてたら、ぱさ、って何かが肩に落ちた。炎みたいに色鮮やかな赤い葉っぱ。
さくらの葉、なのかな。ざぁっと冷たい風が吹き抜けていくと、暗闇は掠れた音でざわめく。地面に広がる落ち葉の絨毯が舞い上がる。
どこかで見たよーな景色だけど・・・あたし、どーしてこんなとこにいるの。
いつのまに瞬間移動したんだろう。ついさっきまで居酒屋のにぎやかなお座敷にいて、みんなで飲んでたはずなのに。
だけど周りにはお座敷どころかお店もない。いくら見回しても誰もいない。
それに、なんだか頭がどんよりしてる。どーしてなのか眩暈もするよ。しかも、なぜか身体がゆっさゆさ上下に揺れるんだよね。
揺られながらどこかに運ばれてるみたいなんだけど・・・どこに行くの。あんまり揺らさないでよ気持ちわるい。
きつく目を瞑ってうぅぅ〜、って唸りながら、目の前にあったやわらかい何かをむぎゅっと掴む。
ふあぁぁぁ、ってあくびしながらぐいぐい引いたら、
「――んぁー、起きたぁちゃん。目ぇ覚めたぁ?」
「ふぇ・・・?」
座らない首をかくかくさせながら顔を上げると、そこには風にそよいでふわふわしてる見慣れた色の癖っ毛頭が。
ぼーっと見つめたその髪を、何も言わずに引いてみる。くいくい、くいっ。目元が赤い酔っ払いの顔は、ちろっとこっちに視線を向けた。
ああ、やっぱり。やっぱり銀ちゃんだ。あたし銀ちゃんにおんぶされてる。
銀ちゃんもやけに眠そうだ。今にも瞼が閉じちゃいそうなとろーんとした半目が、あたしをぼーっと見つめながら何度もぱちぱち瞬きしてる。
「あーあー、ぽやーんとした顔しちまって。お前まだ酒抜けてねーだろ、着くまで寝てろや」
「ぎんひゃぁあん。ここ、どこぉ」
・・・・・・あれっ。なに、今の声。今のってあたしの声だよね?
どーしてだろ、呂律がぜんぜん回らない。なに今の声。ぎんひゃあん、なんて言っちゃった。
自分の口から出たとは思えないよーな、ふにゃふにゃ声で呼んじゃった。
思った通りに動いてくれない唇の端を、ふにっ。摘まんでぐいーっと引っ張ってみる。
めいっぱい力を籠めながら、あれぇ、変だなぁって首を傾げた。
どーしてだろ、こんなにぎゅーぎゅー引っ張ってるのになぜかちっとも痛くない。
急に鈍くなった痛覚に首を傾げながら、もう一回唇を引っ張ってみる。
ぎゅぎゅーっ。するとなぜか銀ちゃんが「いでででで!」って飛び上がって、頭を振って暴れ出して、
「〜〜ちょっっっっっ切れる!口切れる!つーか裂けるぅぅ!」
「あ、ごめぇん。まちがえちったぁ・・・」
「間違えちったぁ、じゃねーよ今のマジで危なかったよ?え、ひょっとしてちゃん怒ってる。寝てる間に触りまくってたのバレてた?」
なんて言ってる間にも、お尻の下を支えてる手が着物越しに撫でてくる。
さわさわ、すりすり、むにむにむに。女の子の身体のデリケートなところをがっちり掴んでやらしく蠢く感触には、「バレたからもうやめよう」って気はどこにも、まったくなさそうだ。
ほんと、酔っ払った銀ちゃんて悪質だ。横から睨みつけてもぷらぷらしてる草履の先で膝とか脚をがしがし蹴っても、ちっとも手が止まらない。
それどころか「うへへやーらけー」なんて、今にもよだれ垂らしそうなでれでれ顔で笑ってるし。
あたしをおんぶするため、っていう口実を最大限に悪用してる痴漢の腕の皮を、ちょっとだけ摘まむ。
きゅーっ、っとおもいっきり抓ってみたら銀ちゃんはまた飛び上がった。「いでででで!」って耳をつんざく高い悲鳴が暗い道中に鳴り響いて、
「〜〜っっちょっやめっいでっいでででっっ」
「銀ひゃんいたい?あのねこれぇ、こないだお妙さんに習った痴漢の撃退法なのー。いつでも実践できるよーに練習してくらさいねって言われたのー」
「いやおかしくねちゃん、何で毎回俺で練習すんの!?」
「文句言うなせくはら侍ぃぃ。人のおしり触る銀ひゃんがいけないんれしょー」
それにお妙さんも言ってたもんね、「練習するなら銀さんを相手にしたらどうですか」って。
「銀さんは馬鹿みたいに頑丈だから、サンドバッ…練習台にはもってこいですよ」って、笑顔で太鼓判押してたし。
だけどお妙さん直々の指名を受けた銀ちゃんはといえば、練習台扱いが不満みたいだ。
「っだよ割に合わねーよ」って、面白くなさそうに口を尖らせてた。
道を覆った落葉の層を、がっ、と乱暴に蹴り上げる。
赤や黄色の鮮やかなかけらがぶわっと足元で舞い上がると、どこかで嗅いだことがあるような甘い匂いも舞い上がってた。
・・・目が覚めたときと同じ匂いだ。何だっけ、この匂い。頭がぼーっとしてるから思い出せないよ。
「いーじゃんケツ触るくれーよー、負ぶってやってんだからそのくれーの役得あったっていいだろぉ?」
「だめー、だめれすふざけんなぁぁ。銀ひゃんちょっと許すとすーぐつけあがるじゃぁあん」
「ちぇっ、んだよのケチぃぃ。おめーこそふざけんなよ覚えてろよ帰ったらアレしてコレして嫌ってぇほどあんあん啼かせてやっっっでででで!」
だめだ、ぜんぜん反省してないよこの痴漢常習犯。
仕方ないから第二段階を実行、お妙さんの指導どおりにさらに捻りを加えてあげる。
えいっ、って思いっきり指先でスクリューかけたら、悪質な痴漢が「んぎゃあああ!」って叫ぶ。
しまいには、あたしを啼かせるどころか自分がひーひー泣き始めた。
「うそうそもうしません銀さんが悪かったですっっ、やめて千切れるっ、肉千切れるうぅ!」
「千切られたくないなら堂々とやらしーことするなせくはら侍。てゆぅかここどこぉ、せくはら侍ぃぃ」
脱げそうになってる草履の足先を振り上げて、じたばたしながら尋ねてみる。
抓られつづけて腫れちゃった肘のところにふーふー息を吹きかけながら、銀ちゃんは痛そうに眉を顰めて振り返って、
「どこってお前、わかんねーのぉ?あーあーこれだから酔っ払いはよー」
「えぇー、あたひ酔ってないよぉぉ」
「いやいや酔ってんだろぉ、口回ってねぇしどこにいるかぜんぜん判ってねーだろぉ。ここはあれだよあれぇ、長谷川さんちの庭ぁ」
「えぇぇぇ〜〜。すごぉいこんなに広いのぉ、長谷川さんちのおうちって」
「そーだよぉ、全部おっさんの庭だよすげーだろー。そんでー、あれな、っっく、向こうにあるちっせー白っぽいやつがぁ、おっさんの家な」
ひっく、ひっく、ってしゃっくりを繰り返してる赤ら顔の酔っ払いと話しながら進んでいくと、左右から迫っていた木立が途切れて広場みたいなところに出た。
真上に上がったお月さまに照らされてる石畳の広場には、どこかで見たよーな高い台座付きの彫像が。
それと、これまたどこかで見たよーな気がする噴水の飛沫が街灯の光できらきらしてた。
ざぁぁー、って涼やかな音を響かせてる水辺の周りだけが、真っ暗な景色の中でほんわり明るく浮かび上がってる。
遠めに見てもなんだか幻想的なかんじがして、きれいだなぁ、ってぼんやり見惚れた。
「噴水きれいらねー銀ちゃぁあん。涼しそうだよーちょっと泳いできなよー」
「ちゃんいま何月だと思ってんの。死ぬよ、銀さん凍え死んじゃうよ」
「平気らよーそのくらい、銀ちゃんなら一週間くらい冷凍庫に入ってても死なな・・・・・・ん?あれぇ・・・?」
噴水の傍を通りすぎると、そこでやっとあたしの目にも銀ちゃんが言ってたものが見えてきた。
家っぽく見える白い何かが、ぼやーっと輪郭を結び始める。
―― えっ、でも、あれって家?ほんとに家?
うさぎ小屋の間違いじゃないの。どう見ても六畳一間しかなさそうな、かなりのコンパクトサイズなんだけど・・・?
「だめらよ銀ちゃあん、どうしよう。あんなちっちゃい家じゃ、長谷川さんまた奥さんに逃げられちゃうよぉぉ」
「いやいやあんなもんだろ、つーかあのおっさんにしちゃ上出来だろぉ。
先月まで段ボールが家だったんだぜ?路上生活者だったマダオの新居にしちゃ上々だろぉ」
「どこがマダオの新居ですか。違いますよあれは公衆トイレです、公園の」
そこへ後ろからぱたぱたぱたぱた、誰かが走って追いついてきた。
銀ちゃんが今にもつんのめりそうなグラグラな姿勢で振り向けば、そこには呆れ顔した新八くんが。
「まったく、ちょっと目を離したすきにこんなところまで来ちゃうんだもんなぁ。少し待ってくださいって言ったじゃないですか、銀さん」
なんて言いながら息を切らしてる男の子は、腕に何かを抱えてる。
あれって銀ちゃんのスカジャンかなぁ、背中のところに変な趣味の刺繍入ってるし。
「んだよ邪魔すんじゃねーよ新八ぃ。あーあー、おめーらがモタクサしてる間にそこのラブホにシケ込もうと思ったのによー」
「公園にラブホなんてありませんよ。それより大丈夫なんですか、足元フラフラですよ。だから飲み過ぎないでくださいって言ったのになぁ・・・」
よたよた歩く銀ちゃんを横に並んで支えながら、新八くんはなぜか後ろをちらちら見てる。後ろの何かが気になるみたい。あっちに何があるのかなぁ。
不思議に思って目をこすりながら新八くんの様子を眺めていたら、広い背中におんぶされてるあたしよりも少し低い目線とぶつかる。
どうしたんだろ。眼鏡越しに笑いかけてくれる目は、なんだかちょっと心配そうだ。
「大丈夫ですかさん、気分悪くなったら言ってくださいね」
「きぶん・・・?えぇとねー、ええとー、ねむい、ねむいよ?あたまくらくらしてー、すごぉーく眠いの」
「あはは、そうですか。よかった、さん大丈夫そうですね。けらけら笑って飲んでたのに突然ぱたっと倒れちゃうから、お登勢さんとキャサリンさんが心配してましたよ」
「えぇぇ、そぉなのぉ・・・?」
何度か後ろをチラ見しながら説明してくれた新八くんの言葉に、きょとんと目を丸くする。
なんだ、瞬間移動じゃなかったんだ。あたしお店で寝ちゃったんだ。なんだ、そっか。それじゃあ何も覚えてないはずだよね。
「だぁーかぁーらぁ、心配ねーって言ったじゃん。はそこそこ酒強ぇーけどー、限界超えると急に寝ちまうんだって」
「はいはい、そうですか。それよりもさんを落とさないよーにしてくださいよ、あんたも相当酔ってるんですから」
「ばーか違げーよ酔ってねーよ、これぁあれだよ酔拳だよ?酔えば酔うほど強くなるっつー、中国三千年の歴史が生んだ幻の拳でよー」
銀ちゃんは酔っ払い特有の変に上擦った大声で喋りながら、よろつきながら片足を上げる。
この前観た香港映画の役者さんみたいなポーズを取ろうとしてるんだけど、どう見ても拳法じゃない。
これで頭にネクタイ巻いて手に持ち帰り寿司の箱とか持ったら、絵に描いたよーな酔っ払いの完成だよ。完成度高すぎて呆れるよ。
なんて思って横から白い目で眺めてたんだけど、新八くんもそんな顔して銀ちゃんを見てた。
「はいはいもうわかりましたからじっとしてて下さいよ」ってあーだこーだと喋りまくってる酔っ払いを宥めつつ、あたしの首元に何かをふわりと掛けてくれた。
冷えきった首やほっぺたを柔らかく覆ってきたのは、銀ちゃんの匂いが移った赤のニット地。
毎年使い倒しているせいか、編地がところどころ毛羽立ってきたマフラーだ。
「さん寒いでしょう。着くまでこれ巻いててくださいね」
はにかんだ表情でにっこり笑うと、丁寧な手つきであたしの首に巻きつけてくれる。それから銀ちゃんのスカジャンを背中から、ぱさり。
さすが新八くん、気が利くなぁ。実はちょっと背中が寒かったんだよね。人のお尻撫でるのに夢中になってたどっかの痴漢とは大違いだよ。
「ありがとー新八くーん、どーしてそんなに優しいのぉ」って感激しながら御礼を言ったら、えっ、と眼鏡の奥の瞳を丸くする。
照れたみたい首を竦めて、
「い、いえ、このくらいのことは…!今日はあの、ええと、特別な日ですし。そっ、それに女性を気遣うのは男として当然のことで…!」
思いきりうつむいて眼鏡の位置を直しながら、もごもご、ごにょごにょ。
何かと多感な16歳にとっては、こういう時にお礼を言われるのはかなり恥ずかしいことだったみたいだ。
あたしと目を合わせないようにしながらマフラーの端をあわてて掴むと、口元までしっかり覆うようにくるくる念入りに巻きつけてくれた。
うわぁ、あったかーい。背中と首が暖まっただけで随分違う。冷たい空気でじーんと痺れてた耳も、じんわりあったまって綻んでいきそう。
手足はやっぱり寒いけど、それでもなんだかほっこりしちゃうよ。
「あれっ、そーいえばぁ、長谷川さんちなのにどーして新八くんがいるのぉ」
「いやさっきも言いましたけど、ここは長谷川さんちじゃありませんよ、公園です。
ちなみに長谷川さんが先月まで住んでたのはトイレの向こうに見える段ボールハウスのどれかですけどね」
「ふ〜〜ん、そぉなんらぁぁ。ねぇ銀ちゃん、あいさつしに行こーよ長谷川さんに」
「おー、ちょっくら行ってくっかぁ」
「いやだから先月までの話ですよ、もうあそこにはいませんってば・・・ってちょっと、銀さんっ」
だらしなく崩れた顔でにやにやへらへら笑いながら、よろよろっと銀ちゃんが踏み出す。
「そんじゃおっさん家で呑み直しといくかぁ」なんて言い出したら、新八くんはなぜか急にあわてはじめた。
待ってください、って銀ちゃんの前に両腕広げて立ちはだかって、
「ストップ!銀さんストーップ!もうすぐ来るはずだからちょっと待ってくださいってば。困ったなぁ、どれだけ酔ってるんですか二人とも」
「えぇぇ・・・?ちがうよー酔ってないよー、ねぇ銀ちゃんあたし酔ってないよねぇ?まぁ銀ちゃんはべろべろに酔ってるけどー」
「そーだよ違げーよ、俺のどこが酔っ払いだっつーの。まぁは酔っ払ってっけど。腰抜けてへろへろになってっから今夜は銀さんが美味しくいただくけどぉ」
「いや、あんたたち二人とも紛うことなき酔っ払いですよ」
なんて冷えきった目で断言する弟分に「お前ら先に帰ってろや」なんて言った銀ちゃんは、新八くんの襟首の後ろをわしっと掴む。
そのままひょいっと、軽々片手で持ち上げて――ぽいっ。近くにあった木製のベンチに放っちゃう。
物みたいにポイ投げされた新八くんはベンチにお尻を打ちつけちゃって「ちょっとおぉぉぉ!」って痛そうに腰をさすりながら叫んでた。
それでも銀ちゃんてばまるっきり無視して、ふらふらよたよた歩いてく。
・・・ていうか、酔っぱらってるせいであんまり聴こえてないのかな。
最近流行ってるCMソングを機嫌良さそうに鼻唄で歌いながら、段ボールハウスのほうへふらふらふらふら。
おかげで新八くんはさらに焦りが増したみたいだ。何か覚悟を決めたみたいな顔で真上を向いて、大声で叫んだ。
「これ以上は無理だよっ、神楽ちゃーん!」
え、とあたしは目を丸くした。
神楽ちゃん?近くにいるの?どこにいるんだろ、どこにも姿が見えないんだけど。
淡い金色のお月さまがぽつりと浮かぶ夜空を突き抜けた声が、静かな公園に鳴り響いていく。
その声が徐々に消えていって、また何事もなかったみたいに公園中がしーんと静まり返ったころだ。
がさっっ、とどこかで音が鳴った。
「・・・・・・・・・・・とぅ〜〜ゆ〜〜、はぁっぴばぁぁすでぇとぅううゆぅぅ〜〜」
その歌声は少し遠くから聞こえた気がした。
くるりと首を巡らせて、きょろきょろ、きょろ。でも、誰もいない。誰の姿もない。
でも、あの声だ。また歌ってた。目が覚めるときにも聴こえた、女の子の声――
「ね、銀ちゃぁ、なんか聴こえなかった、今ぁ」
白っぽく光る癖っ毛をくいくい引っ張って尋ねたら、音が鳴った方向の空を眺めてた横顔が口許だけをにんまり緩める。
だけどそれだけ。何か知ってそうな顔した銀ちゃんは、何も教えてくれなかった。
新八くんにも尋ねてみたけど、にこにこ笑うだけで答えてくれない。
変なの、って目をぱちくりさせてた、その時だ。
ざああぁっ、と大きな水音が上がって、噴水がいっそう高く放水を始める。
広場の中央に立った時計から、時間を報せるメロディーが真夜中らしい控えめな音量で流れる。
音につられて見上げた時計の文字盤は、12時ちょうど――深夜0時を指していた。
たまに呂律があやしくなっちゃう舌足らずな声が、どんどんこっちに近づいてくる。でも、やっぱりどこにも姿が見えない。
この響き方だとけっこう近い距離にいるはずなのに。
どこから聴こえてきてるんだろ、って周りをきょろきょろしていたら、近くの生垣がざざっと大きくざわめいた。
何かがいる、あそこだ、って思った瞬間に、そこから小さな影がひゅんっと跳ね出る。
たんっ、たんっ、たんって数回跳ねた影は、石畳に積もった枯葉を蹴散らしながら勢いよく噴水の前へ飛び出した。
水に濡れた噴水の縁を蹴ってさらに跳んで、淡く輝く月を背にして高く高く躍り上がる。
空中でくるりと回転すると、赤い服の裾がひらりと舞う。あっというまにあたしたちの前にとんっと降りて、
「――はっぴばーすでーでぃーあー、はっぴばぁすでーとぅーゆ〜〜」
いたずらっぽく瞳を細めたピンクのお団子頭の女の子が、歌い終えてすぐさま口端を上げてにいっと笑う。神楽ちゃんだ。
神楽ちゃんは手に持ってた大判のハンカチみたいな布を広げて、ふわぁっと高く放り投げて――
「もう12時過ぎたネ!はっぴばぁすでーヨ!!」
まっくらな周りを照らしそうなくらい明るい笑顔を輝かせて、公園中に響き渡りそうな声で叫ぶ。
あっけにとられてるあたしの頭上で、ぱぁっ、と何かが舞い散った。
オレンジ色の、小さな小さなかけらたち。
お星さまみたいなかたちのかけらが、くるくると舞いながら降ってくる。
「・・・・・・ぅわぁ・・・・・・」
思わず両手を差し伸べる。
降り注いできたかけらの幾つかがてのひらに落ちて、髪にも落ちる。
縋りついてた銀ちゃんの首元にも、あたしの腕にも、はらはらと、ほろほろと、次々とこぼれる。
胸がきゅんとするような、不思議な懐かしさがある甘い香り。ようやく思い出したあの香りに包まれる。
――それはほんの一瞬のことで。
それでも、驚きでぱちりと開ききったあたしの目にはしっかりとその一瞬の光景が焼きついた。
ああ、花だ。この色。この甘い香り。秋も終わりに近いこの季節には、もう散ってしまっているはずの――
「――金木犀って、まだ咲いてるもんなんですね」
香りの余韻を全身で感じながらちょっと呆然としていると、新八くんが話しかけてきた。
銀ちゃんの肩に残った花のひとつを摘まみ取って、
「公園の入口で神楽ちゃんが見つけて、いい匂いだからさんにあげようって。たまさんと三人で拾い集めたんですけど、思ったよりも時間かかっちゃって」
「お花のシャワーみたいできれいだと思ったアル!、気に入ったアルかぁぁ」
お誕生日のサプライズを成功させた女の子は、うひひ、って満足そうに笑ってる。
神楽ちゃんの声はなぜかいつもよりも舌足らずだ。よく見れば、色白なほっぺたが林檎みたいに真っ赤になってる。
「あーあー、こっちも出来上がってんじゃねーか。誰だよ神楽に酒飲ませたの」
「誰も飲ませてませんって。姉上のカクテルを神楽ちゃんがジュースと間違えて飲んじゃったんですよ」
ぼそぼそ言い合う銀ちゃんと新八くんをよそに、神楽ちゃんは「はっぴばぁすで〜〜」って歌いながらぴょんぴょん跳ねたりくるくる回ったりで上機嫌だ。
そのうちにたたっと銀ちゃんの前まで寄ってきて、
「ねーねー、どーだったアルか、ー。楽しかったアルか?」
「・・・・・・っ」
「頭に花いっぱいついてるネ!似合ってるネ、お姫さまみたいヨ」
無邪気に笑った神楽ちゃんが、ぴょこ、って背伸びしてあたしの頬に触れてくる。
そこにくっついてた金木犀の花を取ってくれた女の子の手は、氷みたいに冷たくなってた。
この暗くて寒い中、一所懸命に拾い集めてくれたんだろう。
あたしをおんぶしてる銀ちゃんの足元は、小さな小さな花に埋もれてオレンジ色に染まってる。
黒いブーツの先が見えなくなるくらいに、たくさんの花で覆われてる。
こんなに――こんなにたくさん集めてくれたんだ。
そう思ったら感激しちゃって、じわぁっと目の奥が潤んできて――
「・・・うん、うん!すっごくうれしい・・・!ありがとう神楽ちゃん、だいすきっ」
涙をこらえて笑い返して、両腕を神楽ちゃんのほうへ差し出す。
するとくりっと丸くて青い瞳が、ぱぁっと明るく輝いた。
「私もだいすきヨ、っ」て腕を伸ばした神楽ちゃんが、ぴょーんっ、と跳ねる。がばっ、と真正面から飛びついてくる。
そこで、うおっ、ってあわてた呻き声が上がった。感極まっちゃったあたしたち二人が、銀ちゃんの肩上でひしっとお互いに抱きしめ合ったからだ。
よろよろ、よたよた。ただでさえ足元が危ないのにもう一人女の子を担ぐことになった酔っ払いの身体が、右へ左へふらふら揺れて、
「重っっっ!おい神楽降りろ、も一回離せって、なぁ、ちょっと!」
「銀ひゃんうるさいぃ。あたしたちラブラブなんらから邪魔しないで」
「そーネつべこべ言わずに女の一人や二人黙って支えてみせろやこの甲斐性なしが」
「っっいてっ神楽どこ蹴ってんだてめっ、早く降りろこれマジで倒れる!って聞いてるお嬢さんたち!?」
なんて銀ちゃんはわめいてたけど、お構いなしであたしたちはぎゅーぎゅー抱きしめ合った。
神楽ちゃんの気持ちが嬉しくて何の隔たりもない状態でぎゅーってしたくて、正直、銀ちゃんの分厚い胸板が邪魔だったくらいだ。
そんなこと言えば銀ちゃん拗ねちゃうから、文句つけたくても言わないけど。
「ありがと神楽ちゃん、ありがと、新八くんも・・・!」
「喜んでもらえてよかったです。さん、お誕生日おめでとうございます」
ていうかすみません、お金が全くかかってないプレゼントで。
申し訳なさそうに頭を掻いてる新八くんを、よたよたしてる銀ちゃんが横からべしっと叩いて、
「何がプレゼントだよ落ちてるもん拾っただけだろ、ったくシケてんなおめーらはぁ」
「ははは、シケてるなんてもんじゃないですよ。なにしろバイト先が給料もろくに払ってくれないブラック企業ですからね」
「そーだそーだぁぁ、新八くんにお金が無いのは銀ちゃんのせいれしょっ。・・・それに、あたしはいいの、これでいぃの。二人の気持ちが嬉ひぃからいいのっ」
だって、誕生日をこんなふうに祝ってもらえるなんて思わなかった。
ビーズの粒みたいに小さな花をこんなにいっぱい拾い集めるのは、きっと大変だったはず。
それでも集めて、届けてくれた。笑顔でお祝いしてくれた。その気持ちが嬉しいの。何より嬉しいプレゼントだよ。
ふんわりやわらかい女の子の肩をぽんぽんしたら、えへへ、って笑った神楽ちゃんがほっぺたをすりすりして甘えてくる。
だからあたしはお返しに頭を撫でた。お菓子みたいに甘そうなピンク色の髪からも、金木犀の移り香が漂ってくる。
「おいおい勘弁しろよもう銀さん限界だよ、降りろ神楽ぁぁぁ」
「これからかぶき町の女王神楽さまがお祝いに一曲歌ってあげるネ!オイ男ども、お前らも耳かっぽじってよーく聴くアル!」
「っって神楽ちゃん!だめだよあんまり高いところに登っちゃ、酔ってるんだから!」
銀ちゃんの肩から降りたかと思えば、神楽ちゃんはひゅんっと風を切って空中に高々と飛び上がる。
アクロバティックに何度か跳ねてしゅたっと着地した先は、広場の真ん中に建つ彫像のてっぺん。
この公園の待ち合わせ場所によく使われてるその像の、頭の上に器用に立った。
街灯の光をほんわり浴びた特設ステージで、神楽ちゃんは爪先立ちになってくるくる回る。
あれってマイクのつもりなのかな、手には酢昆布の小さな箱が。
ぷにぷにで色白なほっぺたを真っ赤に染めて、たまに重心を崩してふらりふらりとよろつきながら、それでもごきげんな笑顔で歌い始めた。
「はっぴば〜〜すで〜〜とぅーゆ〜〜」
「おいおいまたそれかよ。もう飽きたっつーの、他にレパートリーねーのかよ女王様よー」
すかさず野次が飛んだけど、ワンマンライブ中の女王様はどう見ても聞こえてなさそう。
「危ないよ下りて!」って、新八くんがあわてて走り寄っていく。
しばらくその様子を眺めてた銀ちゃんは、よろよろっと腰を下ろす。ぺたん、と冷たい地面にお尻が落ちたら、ふらふら、くらくら。
身体が揺れて眩暈がして、ちゃんと座っていられない。
「銀ちゃぁあん大変らよ地震らよー、揺れてるー、地面が揺れてるー」
「地震じゃねーって、お前の頭がグラついてんの」
「ふぇえ・・・そうなのぉ?」
そういえばなんだか頭もふらふらしてるよーな、してないよーな。
すると眠そうな顔で振り向いた銀ちゃんが、ほら、って両腕を差し出してきて、
「はいはいちゃん、危ねーからこっちおいでー」
「ふぇ・・・?」
「はいはい、いーからいーから」
両脇から身体を支えられて、そのままひょいっと抱き上げられる。
下ろされたのは地面じゃなかった。地面に胡座で座り込んだ銀ちゃんの、脚の上で――
「〜〜〜ぎ、銀ひゃんっっ」
「んー?どーしたよなに焦ってんの。え、まさか吐くの、吐きそーなの」
「ちがうぅ!そーじゃなくて、ぃ、いつも言ってるれしょっ、新八くんたちが見てる前でこぉいうことしないでっ」
「はぁ?見てるってお前、誰も見てねーじゃん」
ほら、って銀ちゃんが顎で指した方向に目を移して、うぅ、って思わず口籠る。
そこには広場中のあらゆる場所に跳び移りながら熱唱してる神楽ちゃんと、そんな神楽ちゃんを心配してあたふたと追いかける新八くんが。
「な、見てねーだろ誰も」
銀ちゃんがけろっとした態度で念を押してくる。
くあああぁぁぁ、なんて大欠伸しながら、帯の上からお腹のところを抱きしめてきた。
あたしの倍は太さがありそうながっしりした腕は、ひんやり冷たい。
うー寒みぃ、なんて言いながら肩に顎を乗せてきた横顔は、あくびのせいで涙目になってる。普段通りにかったるそうで眠たげだ。
そんな表情を眺めてたら、恥ずかしがってた自分のほうが意識しすぎだったのかなぁって気になってきた。
・・・・・・う、うん。・・・そっか。そーだよね。いいよね、誰も見てないなら。
今日だけなら、少しくらいなら、いいよね?・・・銀ちゃんだって、こうしてるほうがあったかいだろうし。
説得力がない言い訳を、頭の中でぼそぼそ、もごもご。それでも赤くなってもじもじしながら、目元が薄く染まった酔っ払いの顔をちろりと見上げる。
あ、銀ちゃんの髪にもくっついてる。さっき神楽ちゃんが降らせてくれた、オレンジ色の小さな花が。
「銀ちゃあん」
「んぁ?」
「髪にお花ついてるよ」
取ってあげる、って手を伸ばすと、ん、ってお辞儀するみたいにして頭を突き出された。
ふわふわで気持ちいい感触の癖っ毛に指を埋もれさせて、絡まってた花を掬い取る。
ひとつ、ふたつ、みっつ――
一つずつ摘まんでいくうちに、可笑しくなってぷっと吹き出してしまった。これも「惚れた欲目」っていうのかな。
耳の上に引っかかってる一粒が髪飾りみたいで、ひっく、ひっく、って肩を揺らしてる酔っ払いがなんだか可愛く見えちゃったから。
肩まで揺らしてくすくす笑いながら、はい、取れたよ、って声を掛ける。眉をひそめた銀ちゃんは、怪訝そうな顔でこっちを見てた。
「んだよ、野郎の頭に花咲いてんのがそんなにおかしーの」
「そーじゃないよ、お花わりと似合ってるよ銀ちゃん。ていうか、あたしよりも似合ってるかも」
「何言ってんの、こんなもん男には似合わねーよ。やっぱ花は女に飾るもんだろ」
あー、そうそう、って何か思い出したらしい銀ちゃんが懐をごそごそ探り出す。
じきに懐から出てきた手には、ほんのり光る小さなものが握られてた。
えっ、てつぶやいたきり言葉が出なくなったあたしの首から、マフラーがするする解かれる。
急に冷気が触れて寒気が走った首元に、銀ちゃんは両腕を回してきて。
「ガキどもが掻き集めた小花もいーけどよー。はこーいうやつも似合うんじゃねーの」
可笑しそうに口端を上げてにやりと笑う。
すっかり冷えて粟立ってきた衿元に、もっと冷たい何かが触れる。うなじのあたりでざわざわ動いていた手が離れていく。
その手はあたしの手を握ると、ひんやりしたその何かに触れさせた――
「ほら、似合ってんじゃん。すっげぇ可愛い」
「・・・・・・」
衿の合わせ目に重なってさらさら擦れる銀色を――そこで揺れてる小さなお花のネックレスを、ぽかんと見つめる。
ぽかんとしたまま手のひらに乗せて、軽い感触を味わって――
「――これ、誕生日の・・・?」
「そーそー、そーいうアレな。安物だけど一応な。・・・って何、ぁんだよそのびっくり顔」
「・・・びっくりするに決まってるよ。らって、」
こーいうの貰うの、はじめてだし。
そう言おうとしたんだけど、あたしの言葉はきまり悪そうに頭を掻き始めた銀ちゃんに遮られた。
「まぁ、あれだわ。・・・今日のところはこれで我慢してくんね。本番はもーちっと値が張ったもん用意すっから」
視線を夜空のほうへふらふら泳がせながら、よくわかんないことをぼそぼそ言ってる。
・・・うそみたい。はじめてだよ。あの銀ちゃんが――服の趣味も持ち物の趣味もちょっと変わってる銀ちゃんが、こんな可愛いアクセサリーを贈ってくれるなんて。
ていうか、どれもこれもあたしにとってははじめて尽くしだよ。お付き合いしてる人からお誕生日のプレゼントなんか貰ったのも、男の人からアクセサリーを貰ったのも。
じわじわ湧いてくる嬉しさで胸をとくとく弾ませながら、手のひらにちょこんと乗った銀色の花に見惚れる。
・・・うわぁ、すごい。銀ちゃんがくれたってだけで、なんだかきらきら輝いて見えるよ。
そういえば、本番って何のことだろう。
それも気になるんだけど・・・ああ、でも、だめだ。それどころじゃないよ。やっぱりこんなの受け取れない。銀ちゃんの気持ちは嬉しいけど――
「・・・・・・ばかじゃないの」
「へ?」
「ばっっっかじゃないの、ていうかばかじゃん。これ買うお金で新八くんたちにお給料払えるでしょ・・・!」
「いや払えねーって、安物だって言っただろぉ?お前が持ってるやつと比べりゃ、ガキの玩具みてーなもんだって。
つーかあいつら、言ってたぜ。俺の誕生日なんざ祝う気しねーけど、の誕生日は盛大に祝うんだってよ」
あたしの手に乗ってる銀色の花に、きらきら光る水色のビーズが埋め込まれてる。銀ちゃんの指先がそこをつんつんつつきながら、
「これな、神楽が見つけたんだぜ。に一番似合うもん見つけるまで探すって言い張ってよー、結局、客が女しかいねー店ばっか5軒も回らされたわ」
「――え・・・そ。そぅ、なの・・・?」
「そーそー、外に出りゃあ酢昆布買えだの服買ってくれだの言ってくる奴が、その日は何も強請ってこねーしよー。
新八は新八で、いつもメシだ何だ世話になってんだから誕生日くれー何か贈れって一月も前からうるせーの何の」
何なのあれ。お前、俺よりもうちのガキどもに愛されてんじゃん。
こつん、っておでこを押しつけられて、ぐりぐり、ぐりぐり。
何か言いたげにぐりぐり押されて、目元が染まった酔っ払いの顔と見つめ合う。黙ってにらめっこするうちに可笑しくなって、ぷっ、と吹き出してしまった。
「ふふっ、どーしてわかんないのぉ、ばっかじゃないのぉぉ」
「あぁ?」
「それってぇ、銀ひゃんが、いるから、だよー?」
こつん、ておでこをぶつけ返す。
お酒のせいでうっすら赤い目は、不思議そうに瞬きしながらあたしを見つめた。
「だからねぇ、銀ひゃんのおかげなのっ。あたひぃ、いーっぱい、かんしゃ、してるんらからねっ」
「?んだよ感謝って、俺なんかしたっけ。ケツ触って怒られた覚えしかねーんだけど」
何言ってんのこの子、意味わかんねーって顔してる酔っ払いが、顔の前まで上げた右手の指をやらしいかんじにうねうね動かす。
・・・ほんと、わかってないんだから。何が「俺よりも」なんだろ。ばっかじゃないの。
銀ちゃんて、勘はいいくせにこういうとこは鈍いよね。…ていうか、人目をあんまり気にしない性格だからかな。
人のことには敏感なくせに、自分のことには無頓着。どれだけ自分がみんなに好かれてるかってことにも、いまいち鈍い気がするよ。
どーして銀ちゃんてば、気づかないんだろ。
二人があたしに懐いてくれたのは、銀ちゃんのおかげだよ。二人が大好きな銀ちゃんが、あたしを大切にしてくれてるからだよ。
だから二人もあたしを大切に思ってくれるようになったんじゃないかな。銀ちゃんを取り囲んでる、他の人たちだってそう。
新八くんに神楽ちゃん、お登勢さんたちやお妙さん。
銀ちゃんと知り合ってから仲良くなれた万事屋のご近所さんや、桂さんたちまで――今夜はみんながあたしの誕生日を祝ってくれた。
和気あいあいとした空気の中で祝ってもらえて、すごく楽しかった。楽しくってついつい飲み過ぎちゃったくらい嬉しかった。
銀ちゃんが大切に思ってるあの人たちとこんなに楽しい時間を過ごせるようになったのも、きっと銀ちゃんのおかげだよ。
あの賑やかで優しい人たちの輪の中に、銀ちゃんが「お前も来いや」って手を引っ張って連れていってくれたから。
こんなしあわせな思いが出来た今日があるのは、銀ちゃんがあたしの傍にいてくれるおかげなの。
――だから。だからね。
こんなふうにお酒の勢いを借りないと、恥ずかしくってなかなか口に出来ないけど。
ほんとはいつも感謝してるんだよ。銀ちゃんがみんなとあたしを繋いでくれたの。
とびきり嬉しい誕生日のプレゼントを――みんなに祝ってもらえるしあわせなお誕生日を、今日のあたしにくれたんだよ――
「で、どーなんだよ。気に入った?それとも気にいらねーの」
「・・・・・・気に入ったよ。すっごく嬉しい。ありがと、銀ちゃん」
しどろもどろにもごもご言ったら、こっちをじいっと見つめてた顔が可笑しそうに目尻を下げる。
どーいたしまして、ってつぶやいた銀ちゃんは、ほんの少しだけ顔を寄せる。
それだけでおでこにくっついてた癖っ毛がさらりと擦れて、視界が狭まる。
どきっとして身じろぎした瞬間には、もう唇にやわらかい感触が重ねられてた。
「・・・・・・み・・・見られちゃうよ・・・?」
「見てねーだろ、誰も」
そう囁いた銀ちゃんはすぐに離れて、ちゅ、ってもう一度、かすかな音を鳴らして啄んでくる。
二度触れ合ったそこが急に熱くなったような気がして、ほっぺたをぼうっとを染めながら目を伏せた。
「・・・銀ちゃんは、おめでとうって言ってくれないの・・・?」
「んー、そーいうのこっ恥ずかしいんだよおっさんは」
そう言って苦笑いしながらもう一度、ゆっくり大事そうに触れてくれた。あたしは少し迷ったけど勇気を出して、そうっと唇を寄せ返した。
ふに、ってくっついたやわらかさにどきどきしながら、ちょっと強めに唇を押しつけてみる。
銀ちゃん、ちょっと驚いたみたい。隙間なく触れてる唇が、わずかに揺れた。
肌に当たる吐息の感触にもどきっとしながら、もう一度。
頭の芯まで熱くしちゃう恥ずかしさをこらえながら、夢中で舌を伸ばしてみる。
すると銀ちゃんが小さく笑って、舌先をやわらかく絡め取られた。
あとは銀ちゃんの思うままだ。頭の芯まで火照らせながら抱きしめてくる腕に縋りついたら、頭を優しく撫でられる。
お酒の香りの強さにくらっとするけど、今日のキスはなんだか優しい。
ゆっくり撫でてくれる手の動きもうっとりしちゃう甘い感触で、頭の中まで蕩けちゃいそうだ。
ざわざわ、ざあっ。
掠れた音を鳴らしながら、足元の落ち葉が舞い上がってる。吹くたびにふわりと髪を揺らす真夜中の風は冷たいけど、ちっとも気にならなかった。
抱きしめられた腕の中は、ここがどこなのかを忘れさせてくれるほどあったかい。
――どのくらいそうしてたんだろう。
銀ちゃんが離れていったときには、身体がふわふわ浮き上がりそうなかんじのぽーっとした気分になっていた。
自分からこーいうことするなんて、ひさしぶりかも。銀ちゃんどう思ったかな。
目を閉じてても感じちゃう近すぎる視線を気にしながら、ゆっくり、おずおずと瞼を上げると、
「んだよ、どーした。いつになく積極的じゃね」
「・・・っ。ぃ、今のは、あの、えっと、ネックレスのお礼っていうか・・・」
「え、お礼とかしてくれんの」
「ぅ、うん、だから」
「えっマジで、マジでいーの、今日は俺の好きにさせてくれんの?腰がへろへろで動けねーちゃんにアレとかコレとかしていーの!」
べらべらと一気に喋りまくった銀ちゃんの口端がふにゃりと崩れて、うへへへへ、ってだらしなく笑う。
まったく、油断も隙もないんだから。お礼でキスしたって言ってるのに、どこをどーやったらそんな拡大解釈まで持っていけるんだろ。
心の底からしあわせそうな酔っ払いをちょっと睨んで、それからあたしは溜め息をついた。
視線をふらふら泳がせて着物の袖をもじもじしながら弄りまくって、さんざん迷ったあげくに言い出した言葉は、自分でも信じられなかったんだけど――
「・・・・・・い・・・いぃよ。銀ちゃんがしたいこと、させてあげる」
でも、今日だけだからね。特別だからね。
目をうんと逸らしてから思いきって口にしたら、真っ赤に染まっちゃったほっぺたに熱くてやわらかい感触が触れる。
頭の後ろを押さえられて、うつむいた顔を上向かせられる。
髪の中まで潜ってくる、長い指の感触が気持ちいい。
「お前、可愛いすぎ」って、銀ちゃんが可笑しそうに耳の中にささやいてくる。低めな声に混ぜられた熱っぽさに、胸の奥がきゅんとした。
まだ手の中にある銀色の花を、壊してしまわないようにそうっと大事に握り締める。
耳元に掛かった髪を掻き上げられたら、オレンジ色のちいさな花が髪から肩にほろほろとこぼれる。
どこか懐かしくてきゅんとする匂いを胸一杯に吸い込むと、銀ちゃんが顔を斜めに傾けて迫ってくる。あたしはゆっくり目を閉じた。
「――はっぴばぁすでーとぅーゆ〜、はっぴばぁすでーとぅーゆ〜〜〜」
同じフレーズばかり繰り返してる女の子の甘くて舌足らずな歌声を、これからもずっと銀ちゃんと一緒に聞けたらいいなって思いながら。