「稀にみる変人だから」
――なんて食わず嫌いな理由だけで遠ざけるには、惜しい逸材だと思うのだ。
「・・・。もうすぐ四時だぞ。何分かけてるんだこの程度の基礎計算に。このままでは五時からの志村どうぶつえん再放送に間に合わないではないか」
問題集を見つめてうんうん唸っているあたしをうんざりした目で眺めながら、桂は読んでいた雑誌から顔を上げた。
その唇から出てきたのは、15分前に言われたそれとほぼ同じ台詞だ。
ぇえ〜、と小声で控え目なブーイングをしながら、隣に座るクラスメイトにちらりと非難の視線を送る。
白皙、なんて辞書の中でしか会ったことのない言い回しがぴったりきそうな、彫刻像みたいに優美な横顔。
長くてびっしり生え揃った睫毛。うっとおしいほど長い黒髪は濡れたような艶を放ち、
真面目でものものしい口調や落ち着いた仕草が、その印象に大人びた雰囲気を纏わせている。
教室の中では少し時代錯誤にも思えるような姿が、本で埋め尽くされたこの図書室の静けさや、古くなった紙独特の匂いが漂う空間にはとてもよく馴染んでみえる。
本人は図書室に通う趣味も本を読み漁る趣味も無いらしいのに、それでもこの場に溶け込んでみえるから不思議だった。
――こんな桂を見ていると実感してしまう。人が抱く第一印象なんて、つくづくあてに出来たものじゃない。
毎日クラスで発揮している変人ぶりを一旦頭から追いやって、改めてこの姿を眺めてみる。すると、
昨日駅前の本屋で購入したんだと自慢げにしていたペット雑誌「肉球ニャンニャン大行進」を見つめる影のあるまなざしまで、耽美で優雅な視線に見えてくるのだ。錯覚って何ておそろしいんだろう。
そうも思うけれど、学ランを着た高校生男子には似つかわしくない美辞麗句ばかりがついて回る容姿をあろうことか1%も有効活用出来ていないこの男を見ていると、こんなことも思っていつも首を傾げたくなる。
どうして皆はこいつを遠巻きにしたがるんだろう。勿体ないと思わないんだろうか。
いくら変人とはいっても、桂は性根が曲がった変人じゃない。むしろまっすぐすぎるくらいに真正直で、虚栄心なんてものとはあまり縁が無さそうな性格をしている。
マイペースすぎる言動のせいで変人扱いされることがあっても、堂々と周囲の反応を受け止めている。
こいつってある意味大物なのかも、なんて思うこともあるくらいだ。
そんな「意外とお買い得」な性格をした、映画や小説の中でしかお目にかかれないくらいに綺麗な男の子が同じ教室にいて、
クラスメイトのよしみという大義名分のもと、近くで眺めてその容姿の麗しさを十二分に堪能できる機会がいつでも目の前に転がっているのに――
――ああ勿体ない。こんなチャンスを自分から放棄するような真似、あたしだったらしないけどな。
そんなことを考えて、クラスの子たちへの優越感を感じて舌を出したくなる。
こういう自分の性格はあまり誉められたものじゃないな、なんてことも思うけれど。
「――。どこを見ている」
「えっ。・・・ええと、あれっ。ごめんどこだっけ」
「ここだ、ここ」
自然とにやにやしていた顔をあわてて引き締めて、男の子にしては白くて綺麗な長い指がとんとん叩いてる部分に目を戻す。
何度計算を繰り返しても正解に辿り着けなかったその数式と目が合った瞬間、30分前から直面している現実の厳しさに肩を落とした。
隣から呆れたような溜め息が漏れる。
やばい、変人に呆れられてしまった。シャーペンの頭を意味なくノックしてかちかち言わせながら焦っていると、「・・・判らん」と、桂が一言つぶやいて。
「まったく判らん。腑に落ちん。これは我が校の七不思議に数えられるべき事態だぞ。
お前、この程度の問題も解けないくせによく三年まで進級できたな」
「ちょっとー、そんなに嫌そうにしなくてもいいじゃん。困ってるクラスメイトを助けるのがクラス委員の仕事でしょ。
あんた数学は出来るんだからこのくらい簡単に教えられるでしょ」
「馬鹿を言うな。他の奴に教えるならまだしも、お前の頭に何かを叩き込もうなど・・・クラス委員の仕事の中で一番の重責ではないか」
「せめて中3の問題集にしてほしかった」と形のいい眉をひそめて愚痴る男に何か言い返してやりたい。
けど、悲しいことに言い返せるほどの自信も実力も実績もあたしは全く持ち合わせていない。
図書室に併設された自習用スペースで横並びに座るあたしたちの間には、「これはおんし用の特別メニューじゃー」と坂本先生から渡された高1用の数学問題集が。
先週のテストで目も当てられない赤点をとった「クラスで指折りの選ばれたおバカさん」だけに託された、特別課題の3ページ目。
こんな初歩の初歩で躓いているんだから、呆れられても当然といえば当然だけど。
「いーじゃん助けてくれたって。あたしの友達の中ではヅラが一番教え方が上手いんだしさ」
「友達?・・・・・いつから俺とお前が友達になった」
眉間を寄せた桂が心底不思議そうな顔できっぱりと、あたしの目を見つめながら言い切った。読んでいたペット雑誌を閉じながら、
「俺にはそんな覚えはないぞ」
「はぁ?何言ってんの、友達じゃん」
「いいや、違うぞ」
「・・・・・・うそでしょ。えっ。あたし、あんたの友達じゃないの?」
「ああ、違う」
こくり、と大真面目顔で桂が頷く。あまりにも潔く言い切られた言葉を数秒遅れで呑み込んで、おもわずばたっと広げたノートに突っ伏した。
「どうした」
「・・・・・・・・・いや胸が痛くて。今のあんたの言葉が胸にグサッと」
「何故だ?俺は事実を客観的に述べたまでだぞ。ほら起きろ、お前はいつも反応が大袈裟すぎだ」
「・・・・・・」
・・・違う。違う。違う、違う。
たいしてショックも受けていないのにわざと大袈裟に反応したとか、そんなんじゃない。
そんな女子特有の小技が利いた演技力を、おバカなあたしは残念なことに持ち合わせていないんだから。
違う。今のはそういう「ばたっ」じゃない。かなり本気で傷ついた。本気で胸が痛かった。なのに・・・!
「サボるな。今日の志村どうぶつえんは録画予約していないのだ」
あたしが無事高校を卒業して進学できるかどうかよりも志村どうぶつえん(しかも再放送)を優先したがってる肉球マニアは、セーラー服の肩を掴んで揺さぶってきた。
その手が意外なまでの力強さで、服越しの指の感触にどきっとして顔を上げたら、
「女子がこのような人目の多い場で寝るんじゃない、はしたないぞ」
きっ、と凛々しく眉を寄せた無駄に真摯な目つきで諭された。あたしはがくりとうなだれて、もう一度ノートに突っ伏した。
がっかりしすぎて力が抜けてしまった手から、シャーペンがころころ転がっていく。
・・・・・・違う。その反応違う。
違う、そういうの欲しくない、違う違う、違――う!と叫んで学校中のどの女子よりも艶やかなあのロン毛を鷲掴みにしたら、こいつはどんな顔をするだろう。
また「はしたない」って叱られるだろうか。
ああ、だけどだけどだけど・・・・・・こんなのってない。あんまりだ。女の子が起き上がれそうにないダメージを負った直後だっていうのに、この超鈍感男ときたら・・・!!
「何をふざけている。起きろ、遊んでいる時間は無いぞ、志村どうぶつえんが始まってしまうではないか」
「・・・ふざけてるのはあんたのほうでしょ。・・・・・・何それ。いいじゃん友達で。席近いし毎日話してるしメアドも知ってるでしょ。それって友達って言わない?」
「言わないぞ、俺は」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そう。 あたしはついさっきまで、そうだと信じてたんだけど。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桂くん冷たい」
「くんなどと呼ぶな。ヅラ呼ばわりする奴にくん付けで呼ばれると気色が悪い。それよりも早く解け」
「やだ」
「は?今何と言った」
「やだ。解く気しない。・・・あんたのせいで傷ついたからちょっと休憩する」
「どういう理屈だそれは。よくわからんが俺をサボる理由に使うな」
「やだ。無理。・・・・・・かなり傷ついたし・・・ちょっと泣きそうだし」
はーっ、って脱力しきった溜め息をついて、ほんの少し気を抜いただけでじわじわ目の奥が熱くなる顔にむりやり力を籠める。
机の下でプリーツスカートの裾が皺になるくらいに強く握りしめて、きゅ、と唇を噛みしめた。
――こんな投げやりな態度を取っていいはずがない。少なくとも、あたしに教えるために残ってくれた相手に取るような態度じゃないことは確かだ。
そう思って胸の奥がもやもやしても、素直に謝る気分にはなれなかった。これで傷つかないほうがおかしいと思う。
特別な気持ちなんてものは持たれていないだろうけど、せめて友達と呼べるくらいの間柄にはなれたはずだと思ってた…、というか、せめて友達の一人だと思っていてほしかった。
なのに真顔で「いつから俺とお前が友達になった」だ。
こんなに堂々と「友達じゃない」宣言されるショックなんて初めて味わったし、胸は痛いし、頭の中は問題集にずらりと並ぶ意味不明な数式と混ざってぐちゃぐちゃで、もう何が何だか――
「・・・もういーよ。あたしがこれ以上ひどいこと言わないうちに帰って、ばいばい」
「そういうわけにもいかんだろう。途中で放り出して帰っては後味が悪い」
溜め息まじりに言い終わると同時で、立ち上がる気配がした。がたん、と椅子の脚が鳴る。
「・・・なんだ。やっぱり帰るんだ」
「違う。気分転換に飲み物を買いに行くだけだ」
「・・・・・・あたし紅茶がいい、甘いミルクティー。すみっこのカップの自販機のやつ」
「誰がお前に買ってやると言った」
「冷たいのやだ。あったかいのがいい」
顔を少しだけ上げて涙目で頼んだら、付き合っていられない、って仕草を見せつけてから図書室を出ていった。
かと思ったら、全校のどの男子よりもかっちりと学生服を着込んだ細身な姿はすぐに戻ってきた。
その手は片方しか塞がっていなくて、しかも持っているのは購買で1パック90円のヨーグルトドリンクだ。
あたしは絶望しきった気分で(本格的な絶望なんてしたことがないから、あくまで気分だ)もう一度ばたっと机に伏せた。
「・・・・・・ミルクティーは」
「俺が行ったのはここの隣の購買だ。お前が言う自販機は体育館裏のあれだろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだけど。・・・・・・」
・・・・・・そうだけど。ここから体育館に行くには校舎を二つ縦断することになるから、購買よりもうんと遠いけど。
「友達じゃない宣言」されたばかりだし、あまり贅沢なことは言わないけど。
だけど今のあたしに対して――「泣きそう」なんて言ってる子に対して、この気遣いの無さは何。
こんな奴とまぁまぁ仲良くなれたと思っていたあたしって、何。
クラスの子たちにこいつの良さなんてわからない、なんていい気になってたあたしって何だったの。
というか、それ以前に、――今までのあたしって、こいつにとって何だったんだろう。
それを思ったら悲しすぎて、出かけていた溜め息すらも引っ込んだ。
「まだ機嫌が悪いな。どうした、何があった」
「・・・あった。あったよ。あんたに話しても判ってもらえなさそうなことが」
「何があったか知らないが早く機嫌を直せ。それと、早く続きに取り組んでくれ」
「あたしの機嫌が治るといいことあるの」
「あるぞ。俺が早く家に帰れる」
・・・・・・本当に何なの、志村どうぶつえん再放送にすら勝てないあたしって。
もう口を開く気にもなれない。完全にふてくされたあたしは、何を言われても肩を揺さぶられても突っ伏したままでいた。
すると桂はヨーグルトドリンクに付いてるストローをパックに刺しているのか、かさついた音を立てながらしばらく黙って。また椅子を、かたん、と鳴らして。
「少し待っていろ」
そう言い残して、もう一度図書室を出て行った。
「明日からどんな顔して話せばいいんだろう」なんてことで頭を一杯にしてノートに額を擦りつけてる間に、桂はさっさと戻ってきた。
女の子に無視されてもちっとも堪えた様子がない男子の手には、湯気が昇る紙カップが握られている。
桂はあたしの目の前に黙ってそれを差し出した。体育館裏からこの図書室まで、急いで戻ってくれたんだろう。
ゆっくりと開いた唇から漏れた息遣いは弾み気味だった。
「ひとつ訊くが、俺がミルクティーを奢ってやったらお前の機嫌は治るのか」
「・・・ねえ。友達だったら文句言わないで教えてくれるの」
「うむ。まあ、そうかもしれんな」
「友達だったら取引無しでミルクティー奢ってくれる?」
「・・・、親しい友達なら奢るかもしれないが。いや待て、話を擦り変えるな」
「帰って、今すぐ帰って。今までありがとね、ばいばい」
「・・・。。お前が傷ついた理由について、俺なりに考えてみたのだが」
涙目で自分を睨んでくる女の子と向き合ってもまったく怯まない超鈍感男が、椅子を引いて隣に座る。
うーん、と唸りながら腕を組み、何か考え込むような表情でうつむくと、つやつやした濡れ羽色の長髪が透けそうなくらい白い頬へ流れた。
軽く握った手を口元に当てて、こほん、と一度咳込んで、流れた髪を払うようにして顔を上げる。あたしの目を見てずばっと切り込んできた。
「お前、俺と友達になりたいと思っていたのか」
「〜〜〜〜〜〜っ」
「痛い。痛い痛い痛い、痛いぞ。物を投げるな、おい待て、」
問題集に参考書にノートにシャーペンに消しゴム、ペンケースに下敷き。
机の上に並べたものすべてを投げつけて、ばしばしぶつける。何度もぶつける。
だってこのくらいのことはしてやらないと、きっとこの超鈍感男は気が付かない。あたしが今にも声を上げて泣き出しそうなくらい傷ついてるって・・・!!
「そうだよ!思ってたよ!悪い!?」
あたしの攻撃をペット雑誌一冊で器用に防ぎきっていた桂が、はっとしたように目を見張る。
「そ、そうか・・・」重々しくつぶやきながら盾にしていた雑誌を下ろして、ひどく気まずそうに視線を逸らした。
うーん、そうか、そうだったのかと困惑した様子で繰り返しながら物が散乱した机に向き合う。
深刻そうに顰めた眉間を押さえて、うーん、と悩ましげな顔で何度か唸ると――
「それは困ったな」
「そんなに深刻に困られちゃったらもっと傷つくんだけど!?」
「そうか、それはすまん。いや、だがな、うーん・・・」
きつめに目を閉じて本気で悩んでる奴の頭めがけて、ばしっと消しゴムを投げつける。ああ最悪だ、唇を噛みしめてないと涙が出そうだ。
うっかり泣いたりしないように、涙ぐんでるせいで視界が二重三重にブレてる目で自分の手を睨みつける。
――すると――3秒も経たないうちに、その手の上に何かの影が重なってきて。上から覆うみたいにして握られて、机の上に押えつけられて――
「――聞け、」
「――っっ!?〜〜〜〜〜なっっっ。な、ぇ、なっ!ななな!な!な・・・!」
「何してんの!」と叫ぶつもりだった。だけど叫べない。声が出ない。
どう頑張っても頭の天辺から突き抜けたような甲高い「な!」しか出てこない。
・・・・・・熱い。握られた手がかーっと火照っていく。同時に、顔や耳にじわじわと血が昇っていく。
女みたいな顔してるし「貧血気味です」って言われても不思議じゃないくらい色白なくせに、この人、意外に体温が高い。
そんな事実を唐突に知ってしまって、頑なに握っていた手の力がおもわずへなへなと抜けていって。
「・・・少し落ち着いてくれ。周囲の迷惑になるぞ」
こんな時でも平然としてる綺麗な顔が左右を眺めて、背後へも目を向ける。すぐにこっちへ振り返って、見ろ、という目で諭された。
出来れば忘れたままでいたかった状況を思い出してはっとして、おどおどしながら首を回して周りを眺める。
全員が教科書や問題集と睨み合ってる。こっちを見ている人なんて誰もいなかった。
――それでも、誰かが耳を欹ててあたしたちの会話を聞いているような気がしてしまう。
触れられたところがすごい速度で熱を上げていって、とくとくと心臓が弾みだして――
「。俺が思うに、俺の考えはお前にはまったく通じていなかったようだ」
「・・・ちょ・・・ちょっとそれよりもあんた、こ、これ・・・なに、この手!」
「普段から俺なりに意思表示していたつもりだったが・・・どうやら相当に鈍いようだなお前は。
だからな、これからはお前との間に誤解が生まれないよう、俺は何でも率直に話そうと思う」
「〜〜っっそ、それよりも、手!そーいう長そうな話は後で聞くからとにかく手を・・・!」
「後では駄目だ。今がいい」
ちょっと指を動かそうとしただけで、女性的な見た目の指に上から力を籠められた。
意外なくらいの力の強さに肩が跳ねて、ひゃっ、とひっくり返った甲高い声が喉から飛び出す。
どうしてこんなことをされるのかもわからなくて、おそるおそる視線を合わせたら、
――高校生の男の子にしては肌が白くて綺麗な手が、握りしめていたあたしの手をゆっくり開く。
指を開ききった手のひらに、熱いカップを握らせて。
「――聞け、。俺はお前の友達などという曖昧な立場に甘んじるつもりはないぞ。俺が目指しているのは、お前の友達以上の立場だからな」
「・・・・・・・・・・・はぃ・・・?」
「そうなることを許してくれるなら、これはお前に奢ってやろう」
目の前にふわりふわりと白い螺旋を描きながら、ミルクティーの湯気が立ち昇ってくる。
「どうなんだ。答えてくれ」
顔を寄せながら問い詰められる。甘すぎるくらいに甘ったるい香りにのぼせたみたいに、困惑しきってる頭がくらりと揺れた。
「・・・・・・ち・・ちょっ・・・あんた、カップ一杯80円のミルクティーであたしを買収するつもり?」
「ああ判っている、交換条件がこれだけでは不足だと言うのだろう?
そこで考えたのだが――差し当たってこれから週三回、放課後に家庭教師をしてやろう」
「・・・・・・し・・・週3・・・?」
「お前にとってもそう悪くない話だと思うのだが。数学の坂本がこの先お前の頭の悪さを見放しても、俺は見放さずに面倒を見るぞ」
どうだ、って得意げな顔で尋ねられて、カップごときゅっと手を握られたけど、
――そんな。どうだ、なんて言われても、・・・・・・わからない。大体、何をどこからどう考えればいいんだろう。
頭が真っ白で何も出てこない。出てこないけど、あるはずだ。いろいろ、たくさんあるはずだ。
手の中のミルクティーの熱さよりも、ミルクティーよりも熱っぽく感じる男の子の手の感触よりも、ずーっと大切なことが。
・・・・・・でも。だけど――
握られた手がすごく熱くて。胸が破裂しそうなくらいにどきどきして。頭がぼうっとして、何ひとつ満足に考えられそうになくて――
「・・・・・・・・・・・・・そんな・・・そんなこと急に、言われても・・・・・・」
あっというまに真っ赤に染まった顔を伏せて、消え入りそうな声でつぶやいた。
――ああ、どうしてこいつはこんなにマイペースなんだろう。
少しはあたしの立場になってみてほしい。
こんなに一遍にあれこれ言われても、頭の中の処理がちっとも追いつかない。高1用の数学問題集にすら手古摺るような頭じゃ、ちっとも話についていけないのに・・・!!
「ただし場所は俺の家かお前の家だ。ここでは志村どうぶつえんも見れないし、人目が多くて色々と不都合だ」
「いっ・・・いろいろ?いろいろって・・・?」
「色々だ。お前が頷いてくれればいずれ意味は判る。さあ、どうする」
「っっ、どうするって、えっ、・・・ど・・・どうしよぅ・・・・・・ぇっと。えっ。だって。・・・えぇぇ!?」
「声が大きいぞ。ふざけずによく考えてくれ」
「ふ、ふざけてなぃ・・・!」
「うむ、そうか」
長い睫毛で縁取られた目が、了解した、とでも言いたそうな色を浮かべて楽しげに笑う。
「――数学だけではなくこういったこともすぐには答えが出ないのだな、お前は」
周囲の邪魔にならないようにひそめた吐息めいた声が、わりと混み合っている自習スペースのしんと静まりきった空間に広がっていく。
こくん、とあたしは息を呑んだ。
とくとくと弾みつづける胸から巡っていく血は煮え滾ったような熱さで、これ以上何か言われたら、熱くなりすぎた心臓が破裂しちゃいそうだ――
「――では、もっと簡単な質問から始めよう。俺はお前が好きだ。お前はどうだ」
やわらかく力を籠められて、握られた手がぴくんと揺れる。
ひとかけらの迷いも躊躇いも感じられなかった声が、まっすぐ胸に飛び込んできた「好きだ」の響きが、身体中を火照らせながらぐるぐると巡る。
熱くなりすぎた血が、すごい勢いで逆流していく。
今までに体験したことのない変な感じが、一気に頭へ昇りつめていく。――ああ、のぼせすぎて倒れてしまいそうだ。
「言いづらいなら言葉にしなくてもいい。頷いてくれるだけでもいいのだが」
潜めた声でささやくと、桂はゆっくりと手を握り直した。端正な造りの目元を細めて、あたしの返事を待っている。
混乱しきって言葉を失っているあたしの後ろを、奥に空席を見つけた二年生らしき子たちが早足に通り過ていく。
目の前に落ちていた問題集が、微風に煽られてぱらりと捲れる。
まるで火が点いたみたいに赤くなってしまった顔を気にしてうつむいて、握られていない方の手でスカートの襞や裾を意味なく触りまくる。
目の前で偶然に開いていた問題集の1ページに、視線を何度も泳がせる。
握られた手の熱さと血が逆流しているような落ち着かない感覚のせいでどこを見てもちっとも頭に入らなかったけれど、それでも目の前に広がったページに視線を何度も彷徨わせ続けた。
あたしにとっては難問ばかりな問題集の、最後のほう
――数字と記号でびっしりと埋め尽くされた巻末の解答例集には、こんな唐突過ぎる告白にどう頷いたらいいのか、なんて答えはいくら探しても載っていないみたいだった。