「――おーい、失礼するぞ。銀時ー、銀時は居らぬか」
「はぁ――い。いますー、奥に居ますよー」
朝から晴れ晴れとしたいい天気で干した布団がふかふかになったその日は、慢性的なお仕事不足で依頼人が寄り付かないどころか閑古鳥すら寄り付かなくなってる万事屋にしてはめずらしく訪問者が多い日だった。
残念ながらその人も依頼人じゃなかったんだけど、今朝から数えて6組目のお客さん。
がらがら、と玄関を開けて慣れた様子で声を掛けてきたのは、ちょっと時代がかった口調が特徴的な銀ちゃんの古いお友達。
よりにもよって「攘夷志士」なんていう、銀ちゃんのお友達の中でも一、二、を争うあぶない肩書をお持ちの桂さんだ。
台所で洗い物をしてたあたしは、蛇口をきゅきゅっと捻って水を止める。
今にもこぼれそうなくらいたっぷり水を張ったボウルの中でぷかぷかくるくる泳いでるのは、頂き物のつやつやとまぶしい高級葡萄。
桐箱入りの超贅沢フルーツを、ざざーーーっ。ざるに開けて水を切った。
水滴で輝く大きな粒は色鮮やかな青紫色。洗っただけで爽やな香りが台所中に広がっていく。
葡萄を布巾で包んで軽く水気を切りながら、入り口のほうへ耳を澄ます。
ここからじゃ玄関先の様子は見えないし、向こうからは何も物音がしない。
面倒くさいことが嫌いな銀ちゃんのお友達とは思えないくらい礼儀作法に厳しい桂さんのことだから、中には入らずに玄関で立ち往生してるのかな。
「おひさしぶりです、桂さーん」と、玄関まで届くように声を大きめに張り上げてみた。
「どうぞー、中に上がってくださーい」
「ん、その声は殿だな。そなたも来ておったのか」
「はい、ちょっと色々あって昨日から居るんですー。あのー桂さん、葡萄はお好きですかー?九兵衛さんからの頂き物なんですけどよかったら」
「いやいや、お気遣いなく殿。最近寄っていなかったのでな、ちょっと奴の顔を見に来ただけだ。先を急ぐ故ここで失礼す、・・・・・・・〜〜〜〜〜っっ!!??」
ぱたぱた、ぱたぱた。ちょっと急いで小走り気味に玄関に出る。あたしを目にするが早いが桂さんの様子が一変、
黙っていれば非の打ちどころのない正統派イケメンが涼しげな目をかぁっと見開いて絶句。
予想外なものを目にしたショックで背後の玄関扉によろっと倒れて、
「〜〜〜〜〜っっっ殿ぉおおおおお!!!??」
がっっっしゃああん!!とぶつかって、古い硝子戸を割りそうな勢いで派手に揺らした。
そんな某新喜劇ばりのオーバーリアクションを披露した桂さんの隣には、いつも桂さんが連れてくる白い着ぐるみを被ったあの人が。
こっちの人はいつもと変わりなく、まったくの無表情+ノーリアクションだ。驚いてるのかどうかすらわからない。
ていうか、ぽかんと丸く開いたあの目がこっちを見てるのかどうかすら不明だ。ていうか正直、あの目が苦手だ。
あはは、とむりやり笑った顔の筋肉をぴくぴく引きつらせながら「ええとあの・・・い、いらっしゃいませ」っていちおう挨拶だけはしてみる。
ぺこり、と無言のお辞儀だけが返ってきて、お互い顔を逸らせないままの気まずい沈黙がずーーーんとのしかかってきて。
・・・やっぱり苦手だよ。存在自体がこわいよこの人。裾からちらちら、肌色とスネ毛見えてるし。
「殿!!ななななな何事だその格好は!!!!!」
「ぇ、ええと、あのぅ・・・いろいろ事情はあるんですけど話すと長くなるんで・・・とにかくどうぞ、上がってくださぁい」
「断わる!ぃいいいいっっいかなる事情があろうと、武士がそのような身なりの婦女子と同席するわけには・・・!!」
驚愕さめやらぬかんじで「〜〜ぅ、おっ、っっっななな、っななななな!」って意味不明にうめいてた桂さんの顔が、かぁーっと一気に赤くなる。
かと思ったら、「ぬォォおおお!!!」って大慌てで目を覆って、
「頼む殿、これ以上は近づかんでくれ!むむむ胸が見え・・・ではなくてだなそのっふふふ婦女子がひひひひ人前でそのように肌をっっっけけけけしからんんん!!」
「そ、そうですよね、見苦しいですよねごめんなさい。でも、あの、これにはやむをえない事情があって・・・」
長髪をぶんぶん振り乱して拒否ってくる桂さんの前で、しょぼんと力無くうなだれる。
うつむいた途端にばばーんと目に入るのは、普段着の着物じゃなくてメイド服。
自分でも笑っちゃうくらい可愛い服が似合わないあたしに、地味でかわいげがなくて十人並みでどこにも見どころのない容姿のあたしに、
よりにもよって萌えと可愛さの象徴みたいなメイド服。
ひらひらでふわふわでフリルだらけで、しかも、何も知らずにやって来た桂さんを絶叫させてしまうくらいにいかがわしいメイド服だ。
あたしは銀ちゃんの要望に従って昨日からこれを着てるんだけど、自分の姿を確認するたびコンプレックスを刺激されちゃって辛くて辛くてしょーがない。
着ているだけでちょっとした拷問気分だ。
鏡で見たら落ち込むからなるべく自分を見ないように避けてるんだけど、
洗面所の鏡とか、窓ガラスとか、家事をしてるとうっかりそういう場所で目にしてしまう。
そのたびに自分が情けなくって、どーしてこんなことになっちゃったの!?といちいち泣けてくるからヘコんでしまう。
だけど脱げない。すっごく不本意だけど、いやでいやでしょーがないけどこれは脱げない。銀ちゃんと約束しちゃったから。
とある事情で昨日から「銀ちゃん専用メイド」と化してるあたしにとっては、これが現在の制服っていうか、銀ちゃんへのせめてものお詫びだから。
それにしても・・・・・・うううううううう・・・・・・バカ。銀ちゃんのバカっっっ。
それは、まあ、・・・・・・言ったよ?場の勢いもあったけど、心の底から銀ちゃんに悪いと思ったから言ったよ?
あたしに出来ることがあれば何でもしてあげるって。思ったよ?銀ちゃんが怪我したのは全部あたしのせいだって。
だって目の前で見ちゃったんだもん。昨日の定春のお散歩帰り、定春に飛びつかれてバランスを崩したあたしが階段から落ちそうになって、
庇ってくれた銀ちゃんがあたしの代わりに定春もろとも階段を転がり落ちるところを。
あの時はびっくりして息が止まって、心臓まで止まっちゃいそうだった。
巨体なペットの下敷きになった銀ちゃんはしばらくの間ぴくりとも動かなくて、もしかして死んじゃったんじゃないかって、本気で怖くて身体が震えて。
でもそれは銀ちゃんが脳震盪を起こして気絶してたせいで、その後すぐに病院に行って、幸いなことに全治三週間の診断で済んだけど。
――ヒビが入った右足の脛のところにぐるぐるぐるぐる、包帯を巻いた銀ちゃんが杖をついて診察室からひょこひょこ出てきたときには、ほっとしすぎて泣いてしまったくらいで。
――そう、その時だった。今思えば自殺行為にも等しいことを、あたしが口にしてしまったのは。
今となってはそんな迂闊な自分が怖いっていうか、銀ちゃんの怪我で動揺しすぎて魔がさしたとしか思えないけど――よせばいいのに言ってしまった。
えぐっえぐって泣きじゃくりながら「ごめんね銀ちゃんごめんね、怪我させちゃったお詫びに何でもするからぁぁ」って。
その時は本気で思ってた。
あたしが悪かったんだから、呆れるくらい図々しい銀ちゃんにちょっとくらい無理言われても頑張ろうって。
だけどまさか、こっち方面の無理をさせられるとは思わなかった。
だって彼氏がなぜかこんな服を押入れに隠し持ってて、それを着ろって強要してくるなんて誰が思う?
それもこんなに際どくって刺激的な服を・・・!!
もちろんあたしだって訴えた。これはない、無理無理無理!!ってあわてて銀ちゃんに訴えたんだけど、
・・・・・・えっちなことになると目の色変えて生き生きしてくる銀ちゃんが、こんなビッグチャンスをみすみす逃すはずがない。
結局、あの人一倍良く回る口車に乗せられて、あっという間に押し切られて。
有給を貰った今日から3日間の休みの間、あたしがこの服を着て銀ちゃんをお世話することが決定してしまった。
だけど――銀ちゃんてば、どうやってこれを入手したんだろ。ドンキで売ってそうなパーティコスプレ用とは物が違う。
コスプレ好きさんたちが通うお店で売っていてもそんなに浮かなさそうっていうか、本格的に作り込んだメイド服だった。
服だけじゃない。小物までしっかり揃ってる。全体が白、ピンク、黒の三色でデザインされてる、メイド服の一式セットだ。
頭に付けるカチューシャ的なものと、ふわふわ薄い素材の袖が短いブラウス、ガーターベルト付きのニーハイストッキングは白が基調。
エプロンドレスのほとんどは、淡い色遣いのピンク。
カチューシャにもワンピにもガーターやストッキングにも、あちこちにワンポイントとして黒いリボンがあしらわれてる。
ベルベットの細いリボンで、そのワンポイントが全体に統一感を与えてる。
他にも付属のアクセサリーとして、首に巻くリボン状のチョーカー。同じ素材のブレスレット。
このアクセサリーやカチューシャや、リボンやレースやフリルなんかの細やかな装飾部分からは、眺めていてもあまりいやらしさは感じない。
素材もいいし、これなら見た目安っぽくならないよね。
こういう服に免疫がないあたしから見ても「自分じゃなくて、他の子が着てるなら・・・うん、可愛いよね」って思えるくらいだ。だけど、
――そうじゃない、問題はそこじゃなくて。根本的なデザインの大胆さ、露出度の高さがヤバすぎで。
中に重ねたパニエでもこもこに膨らんだスカートは、下着がぎりぎり見えるか見えないかくらいの丈。
太腿にぴったり貼りつくガーターベルトは妙に生々しいかんじだし、ちょっと屈めば、あたしの後ろに立つ人には完全にお尻が見えるはず。
胸元にギャザーがたっぷり入った白いブラウスは、濃い色の下着ならくっきり透けちゃいそうな薄さ。衿口はカッティングがやたらと深いU字開き。
おかげで女子の平均サイズと比べると明らかな残念さが漂うあたしの胸が、ギリギリすれすれラインまで拝めてしまう。
これじゃまるでかぶき町の大通りに乱立してる、風俗店のおねえさんたちと変わらない。
ああいうお店のお姉さんたちなら、きっと可愛く色っぽくこれを着こなすんだろう。けど、残念なことに着るのはあたし。
色っぽさも女の子っぽさも足りない、この手の服を着ようものなら、身体を張ったギャグかせいぜい何かの罰ゲームにしか見えないあたしだ。
調子に乗った銀ちゃんが喜び勇んで押入れの中を探り出して、えっちなDVDとかえっちな本に混ざってたこれを見せられた瞬間は、
すーっと意識が遠のいたくらいだ。なのに拒む間もなく無理やり着物を脱がされて、無理やり試着させられて、
全身メイド化した姿を自分の目で確かめたときは、
――悪寒が走った。絶句するどころか息が止まった・・・!
まずえっちすぎるし、えっちすぎるし、えっちすぎるし破廉恥だし、いかがわしいし!
フリルやレース尽くしな女の子らしいデザインなんて、あたしには絶望的に似合わないし。
あたしの人生これで終了!?って泣きたくなるくらいの衝撃を受けた。仕方なくメイド生活二日目に突入した今日は、
さすがに昨日よりは落ち着いてきたけど。それでもやっぱり辛いけど・・・!!
――という馬鹿馬鹿しすぎて口にしたくないような事情を、数分かけてよーやく桂さんに釈明し終える。
今思い返してみても、あまりにとほほな情けない事のなりゆきだ。はーーっ、とあたしは諦めの溜め息をついて、短すぎるスカートの揺れるフリルをきゅっと抑えた。
「・・・あたしってこういう服全然似合わないし、自分でも見苦しいって思うし、・・・だからほんとはやめたいんです。
でも、銀ちゃんが怪我したのってほとんどあたしのせいみたいなものだから、だから・・・・・・。すみません、不愉快な思いさせちゃって」
「いっっ、いや違うぞ、不愉快などでは・・・!
む、むしろその、露出が多い破廉恥な衣装を殿が全く見苦しくなく着こなしておられることが問題なのであって!
だから困るのだ、その、せせせせ先週行った店でもこのようにレベルの高いイメクラ嬢はいなかっ・・・、
〜〜〜〜っっいや、いやいやいや!違う俺は何も見ておらんっっ、見ておらんぞォォォォ!!!」
「・・・・・・。そ、そうなんですか。それはそれでこっちも何て言ったらいいか、こ、言葉を失うんですけど。・・・・・・はは、ははははは・・・」
あわてふためくイメクラ常連客を白い目で眺めながら、冷えきった声で笑ってみる。
「見ておらんぞォォォォ!!!」とご近所中に突き抜ける声で絶叫した桂さんは、いちおう目元を覆ってはいた。
いたんだけど、――指と指の隙間から覗く血走った目がこっちをガン見してるようにみえたのはあたしの気のせいじゃないみたいだ。
ははは。はははははははは。呆れすぎてもう笑うしかないよ。まさに「類は友を呼ぶ」だよね、ははははは。
坂本さんといい長谷川さんといいスーパーでよく会う忍者さんといい、銀ちゃんのお友達ってえっちなことに目がない人オンリーで構成されてるの?
それとも男の人って見た目はどうあれ中身はみんな似たり寄ったり、みんなえっちなことに目がないものなの?
あたしが知らなかっただけなの?世界中の男の人が?あははははははやだなぁ勘弁してほしいよそんな世界、
――・・・・・・って、あれっ、
「・・・?なに、この音・・・・・・?」
何だろ、これ。ほんのかすかに、小さーーーーーくなんだけど、変な音が耳に引っかかった。ていうか、今も鳴り続けてる。
じーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いつのまにやら鳴っていた音のする方を見たら――、
目を疑う光景がそこにあった。ちょっと、え、待って、何これ、何で、いつの間に!?
例の白い着ぐるみの人が、いつのまにか横に座り込んでる。しかも、かなり幅がある白い肩にビデオカメラを担いで。
わりと本格的な仕様に見えるそのカメラは「撮影中」を示す赤いランプがばっちりついてて、レンズがスカートの中に向いて・・・!!
「!?どっから出したんですかそのカメラっっ、ってぎゃあああこっち来るなぁあああ!!
いやああっぎぎ銀ちゃんんんん!!へへへへへヘルプっっっ、ヘルペスミー!!!」
「いや、それを言うならヘルプミーではないのか殿」
「どーでもいい!そんなの死ぬほどど――でもいいぃぃ!!ちょっっ見てないで止めてくださいよ桂さんっっへへへへヘルペスミー!!!」
「〜〜っだようるせーなぁヘルペスヘルペスってどーしたよォ、またヅラがどこぞの店で性病でも貰ってき、
・・・・・・〜〜〜〜っっっっておいィィィィ!!に何してやがんだエロオヤジいぃぃ!!!」
面倒そうに杖を突きながらのっそのっそ出てきた銀ちゃんが、人が変わったよーな剣幕で怒鳴る。
どどどどど!と怪我人とは思えない怒涛の速さで突進してきて片足踏み切りで高々とジャンプ、例の白い人の顔面がひしゃげる飛び蹴りをぶち込んだ。
おかげで白い人が吹っ飛んで硝子戸ごと外へ放り出されて、「エリイィィィィ――!!」って桂さんの悲痛な叫びがご近所中に響き渡ったけど、
唐突に始まった許可なし違法撮影会はそれでどうにかお開きになった。
「・・・〜〜〜あ〜〜痛てぇちくしょー、何しに来やがったんだよヅラの奴。あいつらのせいで余計悪化したじゃねーかよおぉぉ・・・」
「・・・ごめん銀ちゃん、呼ばなきゃよかったよ。これじゃ治るの遅くなっちゃうよね」
「いーって、こんなもんすぐ治るって。がその格好でお宝ビデオ撮影させてくれたらよー、三週間と言わずすぐに治るから。
スカート捲ってちょっと足開いてえっろいポーズとってくれるだけでいーから。銀さん明日にも完治するから」
「やっぱり今のなし。明日と言わず今すぐ死んでいーから。ていうかしねエロオヤジ」
――その後。
桂さんたちが帰って、没収したビデオカメラを後生大事にしまい込もうとした銀ちゃんからさらにカメラを没収してから、洗った葡萄をようやく食べる。
二人でたまに話しながら、銀ちゃんが食べるぶんも皮を剥いてあげながら、もぐもぐもぐもぐ。
舌が蕩けそーな美味しさの爽やかな秋の味覚を頬張ってると、家の中の静けさが気になってくる。
ちょっと違和感あるっていうか、普段がにぎやかなだけに不思議なかんじだ。
今日の万事屋には銀ちゃんとあたしの二人きり。
神楽ちゃんはお昼過ぎまで一緒にいたんだけど、さっきお見舞いに来て下さったそよ姫さまの姫専用公用車で江戸城へ。
前からお泊り会の約束をしていたそうで、定春もいっしょに今夜から二泊三日。
庶民には一生縁がないはずの、江戸で一番由緒正しい名所に泊まる豪華ツアーに出掛けてしまった。
「女子会ネ!パジャマパーティネ!」って、二人仲良く手を繋いで、うきうき気分で行ってしまった。
新八くんからは朝に電話があって、これから数日お休みしますと断られてしまった。欠勤の原因はあたしのこの衣装、
・・・というよりは、この衣装を喜んで所構わずあたしにべたべたしたがる銀ちゃんの態度だ。
「――銀さんの世話を全部押しつけることになっちゃって、すみませんさん。だけど無理です、僕には刺激が強すぎます・・・!」
・・・絞り出すような切実な声で訴えられてしまった。
そんなふうに言われたら、こっちだってもう新八くんの倍謝るしかない。
通話が切れても、あたしはしばらく電話の前でがっくり肩を落としたままだった。
・・・・・・そうだよね。出勤拒否くらいしたくなるよね。昨日一日、いい年こいたおっさんのなりふり構わないアホな所業ばっかり見せられてたんだもん。
怪我してるくせにやたら元気で、隙あらばあたしに襲いかかろうとする銀ちゃんとか、
スカート捲ったり後ろから飛びついて胸触ってくる銀ちゃんとか、そのたびにジャンプで殴ってもフライパンで殴っても顔面に蹴り入れて撃退してもちっとも懲りない銀ちゃんとか。
きっとがっかりしたよね。あんなところ見せられたんじゃ、思春期真っ盛りの男の子がドン引きするのは当然だ。
頻発するセクハラ三昧(と、否応なしに見せつけられたあたしの下着)のせいであまりに気分が悪かったのか、
夕方には顔を青ざめさせてふらふらだった姿が申し訳なくて忘れられない。あの時の新八くんのいたたまれなさを想像すると、もう返す言葉もないよ。
ごめんね。お通ちゃんのぱんつならともかく、とっくに二十歳超えた色気のない女の色気のないぱんつなんて見たくなかったよね。ごめんね夢を壊すよーなもの見せちゃって。
だけどそれもこれも、どれもこれも、朝からお見舞いに来てくれたお妙さんを一目で失笑させたのも、純情な九兵衛さんを玄関先でたっぷり一分間硬直させたのも、
鉄子さんがお見舞いのお菓子をぼとっと落として絶句したのも、次に来た月詠さんが目を点にして「すまん、店を間違えた」って一度出ていっちゃったのも、
その次に現れた西郷さんに「ちゃんあんたその格好でうちで働いてみないかい」なんて複雑な気分になるスカウトされちゃったのも、
いつものように天井から現れたさっちゃんさんがなぜかあたしとほぼ同じメイド服で落ちてきて銀ちゃんにボコボコに蹴られてたのも
さっきの桂さんの騒ぎも全部、ぜーーーんぶひっくるめて、
――全部まとめて、諸悪の根源はこの人。
ソファに座ったあたしの太腿に頭乗せて気分よさそーにごろごろごろごろ、次から次へと惜しげもなく高級葡萄をもぐもぐしてる白髪天パのせいなんだけど・・・!!
「ぅうううう・・・ばかぁ、銀ちゃんのばかぁぁぁ。銀ちゃんのせいで世界中から露出狂扱いされてる気分だよ。すごく申し訳ない気分だよ。世界中に謝りたいよ・・・!!」
「まぁそう気にすんなって、あのくれー平気だって。それによー、がド変態露出狂呼ばわりされても銀さん捨てたりしねーしぃ」
「うるさい黙れ誰のせいだと思ってるの。とにかく銀ちゃん、新八くんが戻ってきたらあたしのぶんも謝ってよね。あたしは当分会わせる顔がないから」
「はぁ?わかってねーなぁちゃん。逆だろぉ逆。俺ぁ出血大サービスでチェリーくんには勿体ねーもん拝ませてやったんだぜ?
銀さんありがとうございますって礼でも言われて然るべきだろぉ、〜〜〜っっ、ちょ、やめっっぐふぉくるひふごごごっっ」
図々しいことを堂々とほざく呆れた口は、大粒の高級葡萄をめいっぱい詰め込んで塞いであげた。
「ちょ、やめっ、やめてちゃふがもごごっっ、くくくるひぃ喉詰まっっしししぬぐぐ、」
腕を振り回しながら訴えてくるいつになく瀕死で切羽詰まった顔を、さらに葡萄を押し込みながら醒めきった目でじとーっと眺める。
呆れすぎていっそ尊敬するよ銀ちゃん。よくもまぁそこまで図々しいこと思えるよね。
「ばっかじゃないの、そんなはずないじゃん。あたしのこんな姿見て喜んじゃうのは銀ちゃんくらいだよ。
新八くんは軽くトラウマになっただろーし、桂さんだって内心迷惑だって思ってたよっっ」
「っぐむむむむ〜〜〜!ふごぐぐぐぐ、っっっごげふぉっっっ」
葡萄責めで窒息させられかけた銀ちゃんは頬をめいっぱい膨らませて涙目になってたけど、口の中の甘酸っぱい拷問をどうにかこうにかごくんと呑み干す。
ゲホゲホ咳込んで声を枯らしながら睨み返してきて、
「っだよお前ぇえ、まーだそんな事思ってたのかよぉ。・・・・・・あーあーあー。っっとによー、わかってねーなぁこの子はあぁぁ」
なんて呆れきったみたいに言ってたけど、
――わかってるよあたしは。自分の身の程くらいわかってるよ。わかってないのは銀ちゃんのほうじゃん。
「もういいよ、やめよ、この話。葡萄まだあるよ。食べる?」
「んー、食う」
テーブルには葡萄を盛ったガラスのお皿が。夏場にそうめん用として使われてるそれに指を伸ばして、摘み上げた紫色の粒を剥く。
中からつるんと飛び出てくるのは、みずみずしい感触の翡翠色。
つーっと指まで滴っていく爽やかな香りの果汁ごと、はい、って口に入れてあげようとしたら、
――その瞬間、銀ちゃんが舌を伸ばしてきた。
果汁で濡れた指を、味を確かめるみたいにつうっと舌先で撫でられる。やけに思わせぶりな目つきで顔を見ながら、ぱくん。
指先を咥えられて、ちゅう、ってキスするときみたいにやわらかく吸い上げられて、舌の熱で包まれて舐め回されて、
「・・・っ!」
仕掛けられたいたずらにどきっとして、あたふたしながら指を引いた。ああ、これだから銀ちゃんは。油断も隙もないんだから・・・!
焦った仕草の意味はすっかりお見通しだったみたい。すっとぼけた目つきに愉快そうな色を浮かべた顔が、葡萄をむぐむぐ噛みながらこっちを眺める。
「見るな」ってその顔をむぎゅっと押したら、肩を揺らして笑ってた。
それがなんだか悔しくって、でも、悔しい以上にどきどきしちゃって。
・・・こういう時ってどうしたらいいの。
こういういたずらをさらりと受け流せるような余裕なんてあたしにはないから、むっとしたふりで横を向いた。
すると銀ちゃんは「んだよ、どしたぁー」なんてわざとらしく尋ねてくる。にやにやと目を細めた顔が下から覗き込んでからかってくる。
あたしが黙って無視してたら、もっと調子に乗ったみたいだ。太腿をすりすりなでなでしてきたから、
図々しい痴漢の手はべしっとひっぱたいて退散させた。
自分でもわかるくらいに、顔にぽーっと血が昇っていく。さっき舐められた指の先が熱い。
・・・ばか。調子に乗るな。恥ずかしいことするな、銀ちゃんのばか。
「あーあー・・・・・・・あいつらいねーし静かだし、依頼も全くこねーしよー。暇だよなぁぁぁ」
「・・・銀ちゃん。新八くんたちがいなくてさみしいんでしょ」
「んーや、別にぃ。・・・・・・まぁ、たまにはいーか、こーいうのもよー」
さっきのお返しとばかりに言ってあげたら、銀ちゃんはぼそぼそ言い訳してた。もぞもぞ動いて寝返りまで打って、顔を背けて誤魔化してた。
二人がいなくて物足りない、ってしっかり顔に書いてあるんだけどな。素直に認めないところが銀ちゃんだ。
――ちく、たく、ちく、たく。
壁に掛けた時計の音が、今日はいつもよりもはっきり耳につく。
子供たちが居なくて静かなせいで普段よりも時間がゆるやかに流れる今日の万事屋だったけど、この家の外では普通に時間が過ぎてたみたい。
そろそろ夕陽が落ちてきた。窓に映る穏やかな小春日和の景色は、うっすらオレンジ色に染まりかけてる。
ジャンプがぽいっと放られた銀ちゃんのお仕事机にも、あったかそうなオレンジ色がぽつりぽつりと落ちている。
外ではお豆腐屋さんの呼び笛がぽーっとのんびりした音色で鳴ってて、その音に耳を傾けていたら急に眠くなってきた。
ソファまで届く夕陽のまぶしさに目をぱちぱちさせながら、ふぁぁ、って小さなあくびをひとつ漏らす。
銀ちゃんの頭を乗せてるうちに、太腿が温まってきたせいもあるんだろうけど。
――どうしてなのかな。
夕暮れって毎日やって来るものなのに。毎日のように見てるはずなのに。たまに、すごく久しぶりに見たような気分になる。
あのオレンジ色をじっと眺めているだけで、すごく懐かしいかんじがする。
心のどこかにしまったままにしていつのまにか忘れかけていた、すごく懐かしい景色を眺めているような気分になる。
そんな理由のわからない懐かしさのおかげなのか、なぜかいろんなことを思い出した。
初めて会った頃の銀ちゃんのこととか。ここに来たばかりの頃の新八くんや神楽ちゃんとか。
まだ銀ちゃんに片思いしてた頃の、ここへ来るたびに嬉しくって、でもそわそわしてた頃のあたしとか。
あの頃のあたしがこの場を見たら、――膝枕でお昼寝する銀ちゃんを見たら、どう思うだろう。きっとびっくりするよね。
昔のあたしにはまだ遠かったはずの銀ちゃんを、こんな近さから見下ろしてて。静かで穏やかな夕暮れを眺めながら、ふたりきりで過ごしてるなんて。しかも、年中騒々しいこの万事屋で。
あの頃はこんなふうになるなんて、――こんな時間を過ごせるようになるなんて、とても考えられなかった。
ずっと片思いしてきた銀ちゃんと、誰もいない家の中。
ソファでのんびりくつろいで、お互いの体温を感じながら。
ありふれたちいさな言葉をぽつりぽつりと重ねたり、砂時計みたいにさらさら流れ落ちていく心地いい沈黙を重ねていく時間。
話題になるのはどこにでもあるような他愛ない話やふざけた話ばかりだけれど、こんな時間って大切だなぁっていつも思う。
新八くんや神楽ちゃんが居るにぎやかで楽しい時間には見過ごしがちな、銀ちゃんの何気ない言葉や気持ちに触れられるから。
大抵の事はふざけた態度ではぐらかしたがるひねくれ者のこころのどこかに、ほんのちょっとだけ触れられたような気分になるから。
だからこれからも、すこしずつ、すこしずつお互いを知って。共有できる思いを増やしていけたらいいな。
大事な気持ちも、大切な思い出も、他愛なくってくだらない話も。銀ちゃんもそんなふうに感じてくれてたら、・・・いいのにな。
「・・・・・・んぁー。なに。なんで笑ってんの。・・・一人で思い出し笑いとかお前ぇ、やらしくね」
「違うってば。あのね。・・・いいよね。・・・たまにはこういうのも、ね」
「・・・・・・・んー。だなー。だーーーよなあぁぁ。・・・くぁぁ・・・・・」
少し間を置いてから返ってきたのは、眠りに落ちる前に漏らすような、あくび混じりの気のない返事。
喉の奥に籠ってはっきりしないその声を聞いたら、なんだか嬉しくなってきた。
あの銀ちゃんが。あたしが膝枕してあげるたびに妙に緊張して、もぞもぞごそごそ身じろぎしてばかりだった銀ちゃんが、
――いつからだろう。こんな風に安心しきって頭を預けて、気持ちよさそうに眠ってくれるようになったのは。
「・・・・・・やっと眠れたね。おやすみなさぁい、銀ちゃん」
膝上にもたれる白っぽい頭を見つめて、見つめるうちに笑みがこぼれる。
来客続きで落ち着かなくて寝付けなかった怪我人は、ようやく寝息を立てはじめた。
一日中寝間着を着たままだった広い肩が揺れる。呼吸に合わせて上下してる。
すーすーと心地良さそうなやわらかい呼吸が、頭の重みや体温と一緒に膝からじんわり伝わってくる。
――いつからだろう。
最初はどきどきしてばかりで落ち着かなかった、だいすきな人の寝顔をひとりじめできる時間。
あたしにとっては宝物みたいなこんな時間を、こんなにしあわせな満ち足りた気分で、ゆったり静かに過ごせるようになったのは。
ふわふわの癖っ毛に指を通す。そっと、ゆっくり撫で続けた。
窓からの夕陽を浴びてちらちら光る銀色は、この街を小春日和に染め上げてる夕陽の匂い。
あたしの心の中までほんわりしたオレンジ色で満たしてくれるような、ぽかぽかとあったかくて懐かしい、秋色の陽だまりみたいな匂いがした。