「――そうかい、出来てなかったのかい。まぁねぇ、どうせそんなことだろうと思ってたけどさ」
カウンターの中で帳簿をつけてたお登勢さんが顔を上げて、嗄れた声で淡々とつぶやく。口許からは吸いかけの煙草の煙が昇ってる。
書き物をするときにだけ使う老眼鏡の奥で目が動いて、銀ちゃんの横にいたたまれない気分で立ってるあたしをちらっと眺める。
でも、反応らしい反応はそれだけ。視線はすぐに帳簿に落ちてしまったから、おかげであたしは助かったっていうか、それ以上気まずい気分に
ならずに済んだ。
――あの騒ぎのすぐ後だ。なぜか銀ちゃんは、あたしの手を引っ張って階下に降りた。どこに行くのかなぁって首を傾げてたら、
まだ暖簾が出てない準備中のスナックお登勢にすたすた踏み込んで行って。――そこに揃ったみんなを前に、堂々と銀ちゃんはぶちまけた。
「あのよーあの話な、こないだちろっと話したあれな。今回は外れだったわ」
その時の普段通りにだらけきった態度や、みんなの反応を見たらあたしもすぐにぴんときた。
銀ちゃんたら、どうやらここにいる全員に「もしかしたら子供が出来たかも」みたいな話をしてたらしい。
その証拠に、銀ちゃんの報告を聞いた神楽ちゃんとキャサリンさんはすぐに目を輝かせて寄ってきた。
二人は銀ちゃんを左右から挟んで、嘲笑うような目つきでにやにや見上げながら、
「そーネ、当然の結果ヨ。しょせんぐーたらで根無し草でマダオな銀ちゃんの子種アル。親父と同じでやる気と勢いが足りないネ。
きっと家を出たはいーけどすぐに寄り道してフラフラしてたネ。目的地にたどり着く前に自滅したネ」
「そうデスヨ、なにしろアホの坂田のタネデスヨ。家出た途端に小汚い立ち飲み屋に引っかかって安酒飲んでるか、
小銭でジャラジャラ玉打ってるかがいいとこデスヨ」
「そうそう、そんなとこだろ。つまりこいつはタネまで根性なしのちゃらんぽらんだってことさ」
帳簿にペンを走らせながら冷静に話をまとめたお登勢さんの口から、ふぅー、と長い煙が上がる。
キャサリンさんにはガンガン肘鉄を喰らわされ、神楽ちゃんにはガンガン膝裏にキックされ、銀ちゃんはすっかりご機嫌ななめのむくれ顔だ。
じとーっとあたしを睨んできて、
「ちょ、何これ。どーいうこと。に殴られてこいつらにドツかれて散々悪く言われてよー、なーんか踏んだり蹴ったりじゃね、俺」
「しょーがないでしょ、はっきり決まったわけじゃないのにみんなに話しちゃった銀ちゃんが悪いんじゃん」
「んだよつれねーなぁ、ここでさりげにフォローしてくれんのが優しい彼女ってもんだろぉぉ。あーもぉいいわ、
今はいーわ。今はいーから、後で二人きりになった時になぐさめてくれる。十発とまでは言わねーから、三発で我慢すっから」
「それのどこが我慢なのっっ」
「まぁまぁ、とりあえず座ったらどうですか二人とも」
両側からドツかれ続けてる銀ちゃんを同じ男として放っておけなかったのか、カウンター席に座ってた新八くんが
困ったような笑顔で助け舟を出してきた。カウンターの隅でお茶を淹れていたたまさんが、お盆に湯呑を二つ乗せてやって来る。
澄みきった大きな瞳を瞬きもなくあたしに向けて、ほんのちょっとだけ首を傾げる。おさげにした明るい緑色の髪がしゃらんと流れた。
「さま。みなさまのお話を要約すると、銀時さまはぐーたらで根無し草でマダオで
アホで根性無しでちゃらんぽらんのタネ無し野郎だと。――そういう事になるのでしょうか」
「うーん・・・残念だけどひとつも否定できないよたまさん・・・」
「っっっちゃああんんん!?そこは少しくれー否定してくれる!?つーかタネ無しとは言われてねーし!!」
「そうですか、タネ無しなのですか銀時さまは。とても残念です。実は私、二人のお子様の誕生を心待ちにしていました」
滑らかな口調でそう言われて、えっ、とあたしは目を見張った。これって目の錯覚なのかな。
表情がほとんど無いはずのたまさんの顔が、なんとなくがっかりしてるみたいに見える。
それに、からくりのたまさんが自分の感情を口にすることなんてめったにないし。
「そうなの・・・?そんなに期待してくれてたんだ」
「はい。育児についての情報収集は完璧に済ませております。出産後でお疲れになったさまのお役に立てるよう、
ミルクの飲ませ方からおむつの換え方、赤ちゃんが泣き出した時の対処法に上手な寝かしつけ方などをシュミレーション出来る
育児メイド専用ソフトもインストールしました。ちなみにすべて習得済です」
このような資料も入手しました、とたまさんがカウンターから本を数冊出してくる。付箋が何枚も貼ってあって
随分と読み込んだ跡がある雑誌のタイトルは「たまぴよ」。本屋さんでもコンビニでもよく見かける子育て雑誌だ。
すると椅子を回してこっちへ振り向いた新八くんが、
「あはは、気が早いなぁたまさんは。でもわかりますよ、実は僕も銀さんに話を聞いた次の日から似たようなことしてたから」
「えっ。新八くんも・・・!?」
「ええ、とはいっても僕の場合、たまさんほど実用的じゃないんですけどね」
それを聞いて、たまさんの育児雑誌をぺらぺら捲り出した神楽ちゃんとキャサリンさんが、
「何を用意してたアルか新八」
「どーせろくなもんじゃねーダロ。メガネがガキの頃使ってたオモチャとか三輪車とか、ゴミみてーなアレダロ」
「ああ、おもちゃっていうのは近いかもしれませんね。ほらうちは道場やってたから、子供用の竹刀や防具も結構残ってるんです。
それを持ち出して磨いたりしてたんですよ、もし生まれてくる子が男の子だったら一緒に稽古出来るかなぁ・・・なーんて」
新八くんが頭を掻き掻き、へへ、と照れたみたいな顔で笑う。・・・そ、そうなんだ。たまさんも新八くんもあたしには何も言わなかったけど、
陰ではそんなこと考えてたんだ。――知らなかった。ぜんぜん気付かなかったよ。
「何を先走ってんダヨダメガネが。そーいうのはガキがデカくなってから用意するもんダロガ」
「うーん、そうですよね、まだ生まれるって決まった訳でもないのに浮かれすぎかなぁって、自分でも思ったんですけどね」
「まあ別にどーでもいーケドナ。
ワタシはお前らみたいに、アホの坂田二世をちやほやしてやる気なんてさらさら無いからナー」
「あはは、アホの坂田二世って。僕と違って反応がクールですねぇ、キャサリンさんは」
「いいえ、そんなことはありません。みなさまには内緒にしておられますが、キャサリンさまも用意していらっしゃいます。ほらここに」
「ぴぎゃーーーーー!!!!!」
ここに、とたまさんがカウンターから持ち出してきたのは大きめな紙袋だ。店中の視線がそっちに集中した瞬間、
目を剥いたキャサリンさんが猫耳をぴーん、と逆立てて絶叫。「ぎゃーーー!!ヤメロ!!」って声を震わせてたまさんに
掴みかかろうとしたんだけど、たまさんのほうが早かった。カウンター席に座った銀ちゃんと新八くんの目の前に
広げられたのは、白い何か。よく見るとそれは服で、しかも布で作られたものじゃない。毛糸で作った編み物だ。
サイズはすごく小さかった。どう見ても、生まれたての赤ちゃんしか着れないような――
「何やってんダこっっっのポンコツからくりがぁあああ!!お前なんかお前なんか粗大ゴミに出してやるぅううう!!」
「・・・?なぜ隠そうとなさるのですか?毎晩お店が終わった後に、あんなに楽しそうに編んでいらしたのに」
「ふんぎゃーーーーーーーーー!!!!!」
取り乱したキャサリンさんが耳をつんざく大声で叫ぶ。ぴゅーっ、とお登勢さんがいるカウンターの中に戻って隅でしゃがんで、
頭を抱えてオロオロしてる。我関せずを装うつもりがとんでもないタイミングでバラされちゃって、もう身の置き場もないってかんじだ。
あたしは銀ちゃんのほうに寄って行って、肩越しにキャサリンさんの力作ベビー服を覗き込む。じーっとそれを見ていたら、
ほら、と銀ちゃんが手渡してくれた。
真っ白な編みかけの赤ちゃん用ケープに触れてみる。・・・うわぁ、近くで見ても綺麗な編み目。レースみたいな透かし模様まで入ってるよ。
細い毛糸のふわふわ優しい手触りは、肌にここちよくってあったかい。
――キャサリンさんたら。アホの坂田二世、・・・なんて言ってたのにな。
口は悪いしちょっととっつきにくいところもあるけど、根は優しい人なんだよなぁ・・・なんて思ったら、胸の中がじーんとした。
「すごーい。かわいー・・・。銀ちゃんすごいよこれ、編み目とかちょー綺麗だよー。あたしこんなの編めないよ・・・」
「おーい聞いてっかそこで漬物石みてーにうずくまってる猫耳ババア、お前の数少ねー特技をうちのちゃんが絶賛してっぞー」
「ちょっと、こんな凝ったもの作ってくれた人に対してそんな言い方ないでしょ、失礼だよ銀ちゃん。
・・・あの、ごめんなさい、ありがとうございますキャサリンさん。これ、いつから編んでくれてたんですかぁ?」
「〜〜〜っかかっ勘違いするナヨ、ち、違うっっこれは別にお前とアホのために編んだとかじゃないからナ!!?」
「へへ〜〜ん、笑わせるネどこがクールネ、かっこわり〜〜ドロボウ猫。ババアがはしゃいでんじゃねーよ」
「うるせークソガキ!違うこれはあれダヨ、店で使うナベ掴みダヨ!」
顔中真っ赤にしながら苦しい言い訳をするキャサリンさんがたまさんに、がばっ。
後ろから飛びついて、たまさんの真っ白で綺麗なほっぺをぎゅーぎゅーぎゅーぎゅー引っ張ってる。
あれってたまさんへのお仕置きのつもりなのかな。痛覚がないたまさんは、顔をおもちみたいにびよーんと伸ばされても
普段通りに無表情なんだけど。
「――でも、ちょっと意外だったなぁ。僕、さんに子供が出来たら神楽ちゃんがいちばん喜ぶと思ったよ」
「そーいやぁ大人しかったよなぁ、こいつにしてはよー」
「そうなんですよ。銀さんから話聞いたときも「ふーん」ってかんじだったし。
そのうちさんに「ねえねえ、いつ生まれるの?来週?来月?」なんて尋ねちゃうんじゃないかってひやひやしてたけど、案外冷静だったよね」
もう一つあった編みかけのベビー服を手にした新八くんが、その時のことを思い出したみたいにくすくす笑う。
神楽ちゃんがピンクのチャイナ服の肩を竦める。やれやれ、って小馬鹿にしたような笑顔とポーズを作ると、
「お前らと一緒にしないでほしいアル。クールな私はお前らみたいにかっこ悪くフライングしないネ。
そもそも天パで目が腐ったガキが生まれるだけで大はしゃぎするお前らの気持ちがわからないアル」
「か、神楽ちゃん?天パで目が腐ってるって、そこ確定?確定なの???一応あたしの遺伝子も混ざるんだけど・・・!?」
「そこは涙をのんで諦めるネ、。の遺伝子が生き汚い銀ちゃんのゴキブリ遺伝子にかなうわけないアル」
「いやぁああ!!そんなのいやぁあああ!!」
「ぁんだよいーだろぉぉ、銀さんそっくりの可愛い天パ家族に囲まれて暮らすのも悪かねーだろぉぉ」
「目が腐った天パなんて銀ちゃん一人で十分ヨ。それに赤ん坊なんてぎゃーぎゃー泣いてうるさいだけネ。
もし生まれても私はクールに知らんぷりを決め込むアル」
「――こんにちはー。神楽ちゃんいますかー?」
からからから。
ゆっくり開いた扉から、神楽ちゃんと同じ年頃の髪の長い女の子が。
みんなの視線が一斉にその子に向いて、女の子ははにかんだ笑顔で「こんにちは」と頭を下げた。たたっ、と駆け出した神楽ちゃんが
その子に飛びつく。あの子って、神楽ちゃんのお友達だよね。前に公園で一緒に遊んでるとこ見たなぁ、・・・なんて思い出してたら、
「さきちゃん!どうしたアルかー?」
「あのね、小春ちゃんとマリッペとひなちゃんとゆきちゃんと愛ちゃんから聞いたんだけど、神楽ちゃん、弟か妹が出来るんでしょ?
よかったね神楽ちゃんおめでとう!前から言ってたもんね、一緒に遊べるきょうだいがほしいって!」
無邪気な笑顔で祝ってくれたお友達の腕を、顔中を林檎みたいに真っ赤に染めた神楽ちゃんがわしっと掴む。
そのままお店の外まで連れていって、ぴしゃんっっっっ。扉をびしっと閉めてしまった。
「か、神楽ちゃん?ねえ神楽ちゃん開けてよー、どうしたのー?」
外からは急に追い出されちゃったお友達の声が響いてるけど、神楽ちゃんはそれどころじゃないみたいだ。
――さっきのキャサリンさん同様、カウンターの中に引っ込んで隅っこにしゃがんで頭抱えてるし。
そんな神楽ちゃんの頭上から、仁王立ちしたキャサリンさんは仕返しとばかりに意地悪く追い打ちをかけていた。
「おーいクソガキ、誰がクールだって?めっちゃはしゃいでるじゃねーかヨ。伝言ゲーム並みに出回ってるじゃねーかヨ。
いったい何人にガキが生まれるって自慢して回ったんだヨ、お前ヨー」
「〜〜〜ぅうううぅるせー妖怪猫ババアっっ、お前だって人のこと言えないネ!!」
「・・・ちょいと、そのへんにしておきなよ。あんたたちがそうやって騒ぎを大きくしたら、ちゃんが気まずくなるだろ」
そこでお登勢さんが帳簿から顔を上げて、睨み気味に釘を刺す。
ぎゃーぎゃー喚きながら掴み合ってる神楽ちゃんとキャサリンさんに視線を送って、
「大体これは、生まれてくるかわかったもんじゃないのを外野が勝手に期待して勝手に浮かれてたってだけの話じゃないか。
子供なんてもんはね、あれは天からの授かり物だからね。喉から手が出るほど欲しがったって出来ない夫婦は幾らでもいるんだ。
ましてやこのひねくれた天パ馬鹿の子供だよ?そうほいほいと、素直に生まれてくるたぁ思えないね」
ふわりと細い煙を上らせたお登勢さんは、悪いね、と眉をひそめてあたしに微笑んでくれた。
さすが万事屋のゴッドマザーだ。影響力たっぷりなその弁舌が効いたのか、神楽ちゃんはぶーっとむくれた顔のまま
キャサリンさんから離れる。お登勢さんを尊敬してやまないキャサリンさんは惚れ惚れした様子でこくこく頷いて、
「さすがお登勢サン、大人の対応デスネー」
「そりゃあそうさ。あたしゃもう、あんたたちみたいに何かってぇとはしゃぐような年でもないからねぇ」
「ちわーっす、大江戸急便です!寺田綾乃さんのご注文でベビーベッドとベビーバスのお届けですー、ハンコ貰っていーっすかぁ?」
帽子を取ってにこやかに入ってきたのは、宅配便の制服姿のお兄さんだ。
「へ?ベビーベッドぉ?」と店の中にいる全員が顔中に疑問を浮かべてそっちを向いた瞬間、
――たった一人だけ、お兄さんめがけて無言で猛ダッシュした人がいた。お登勢さんだ。
「いっっ、今は取り込み中だよ、出直しとくれ!」なんて血相変えて怒鳴りながらお兄さんを追い出して、ぴしゃんっっっ。
まるでさっきの神楽ちゃんみたいに、「準備中」の札が出てたお店の戸口を閉め切ってしまった。ど、どうしたんだろう・・・?
――あれっ。そういえば、今・・・・・・、
「ねぇねぇ銀ちゃん。誰、寺田さんて」
「あーそっかお前知らねーんだっけ。ガキが産まれるってんで年甲斐なくはしゃいでる妖怪ババアの本名だよ」
「ぇえ!?」
「っっっっな、なに言ってんだいそんなわけないだろ!?ちょっとあんたたちっ、誤解するんじゃないよ!?
今のは何かの手違いだよ!!あ、あたしがそんな」
「ちょいとお登勢、いるかい?あんた孫が出来るんだって?」
がらっっっ。
閉め切った扉が勢いよく引かれる。そこへ現れたのは、全開にした玄関口をどどーんと塞ぐ巨体のオカ・・・、じゃなくて、
ちょっと逞しいお姐さん。かまっ娘くらぶの西郷さんだ。
どーすりゃいいんだ俺、ってかんじでおろおろしてる宅配便のお兄さんを後ろに従えて入ってきて、
「さっきそこで惣菜屋の女将に聞いたんだけどさぁ、・・・おや、銀時。ちゃんもいたのかい」
話についていけなくてぽかんとしてるあたしの手を取ると、西郷さんはグローブみたいに分厚い両手で握手する。
握った手を力一杯ぶんぶん振って、極太の眉を心配そうにひそめて、
「なんだか複雑な気分だよ。こんなろくでなしのガキなんざ産むには、あんたは勿体ないくらいの子だけどねぇ・・・。
とりあえずおめでとう、式には呼んでおくれよ。ああ銀時、あんたもね」
「んだよ俺はついでかよ」
「あんたなんてついでで充分だよ。それよりちゃん、これからは身体を大切にしてさ、元気な子を産むんだよ?
ここのばーさんも相当期待してるみたいだからさ。無事に産んで喜ばせてやっておくれよ」
「え、えーと、でもあの、・・・・・・・お、お祝いして下さるのはありがたいんですけど、でも、その」
「ちょいと西郷っっ、あんたいい加減にしておくれよっ。あ、あたしゃ別に喜んでなんてっっ」
「何言ってんだい、随分と喜んでるそうじゃないか。惣菜屋の女将が言ってたよ、あんな嬉しそうなお登勢を見たのはかれこれ三十年ぶりだって」
「へ〜〜〜。だとよババア聞いてんのかよ、おーい、赤ん坊好きの妖怪ぬらりひょんー」
こっちに背を向けて頭を抱えてカウンターの隅にうずくまってしまったお登勢さんに、意地悪く目を細めた銀ちゃんがニヤニヤとツッコミを入れる。
「・・・?どうしたのさお登勢、そんな隅っこに隠れちまって」と怪訝そうな西郷さんに、神楽ちゃんとキャサリンさんが説明を始める。
「あの〜〜お取込み中すんませんけど、ぅ、受取印貰えないっすかねぇぇ・・・?」みんなに無視されてすっかり及び腰になってる
宅配便のお兄さんに、新八くんが寄っていく。店の奥からハンコを持ち出したたまさんが、その後に続いて――
・・・気づいたら、カウンターに残ったのは、あたしと銀ちゃんの二人だけ。
「――ったく、しゃーねーなぁどいつもこいつもぉ」
うんざりだぜ、ってかんじで醒めた溜め息を混ぜて銀ちゃんが言う。ん、と隣の椅子を目で指すと、あたしのために引いてくれた。
あたしが黙ってそこに座ると、たまさんが出してくれたお茶をずーっと啜って、天井のあたりをやる気のなさそうな半目で見上げて。
「あーあぁ、面倒くせーことになっちまったなぁ。この分じゃ明日っから拡声器持って街中に触れ回らねーとなぁ。
ガキも何も出来てねーからお前ら勝手にはしゃぐんじゃねーぞ、ってよー」
「・・・銀ちゃん、気づいてたの?みんながこんなに盛り上がってたこと」
「んー、気づいてたっつーかぁ。なーんかよー、ガキどもが妙に浮ついてんなーとかぁ、
下の奴らが隠れてコソコソやってんなぁとは思ってたけどな」
どいつも隠しきれてねーんだよなぁ。揃いも揃って馬鹿ばっかだからよー。
なんて、呆れてるみたいに素っ気なく銀ちゃんは言ったけど、
――だけど。お茶を飲む合間に辺りを見回す表情は、――眠たげに、優しげに和んでる。
その表情を隣から眺めていたら、なんだかあたしまで顔が緩んだ。
・・・ほんと、とことん素直じゃないんだから銀ちゃんて。それとも、気づいてないのかな。
今の自分がどんなに満足そうな顔してるのか。どんなに優しい目でみんなを眺めてるのか。
言い方は素っ気ないし態度もいつも通りなのに、いつになく嬉しそうな顔してるんだけどな。
どこか照れ臭そうっていうか、銀ちゃんにしては珍しい表情っていうか、――口が悪くてひねくれ者で、
嬉しい時にもなかなか嬉しいって言わない銀ちゃんの、照れ隠しの笑顔みたいに見えるんだけど。
「で、どーよ。少しは気ぃ変わった?」
「・・・?変わったって、何が?」
「だーからー。さっきは無理だ無理だ言い張ってたちゃんが思い直してー、俺のガキ産んでくんねーかなーって話ぃ」
「・・・・・えっ」
おもわず銀ちゃんに目を見張る。お茶が入った湯呑を持とうとしていた手まで固まっちゃって、あたしは言葉もなく銀ちゃんを見つめた。
ずずー、とのんびりお茶を啜ってる横顔が、――ちろり。瞼を半分伏せた気だるそうな視線だけを、斜め下のあたしに向けて――
「お前もこいつら見て判っただろぉ?がこの馬鹿どもの期待に応えて天パで目が腐ったガキの一人も産んでくれっと、
銀さんの顔も立つっつーか、助かるんだけどー?」
「・・・・・・なっ、た、助かるって。な、なななななにそれっ、・・・・・・〜〜そっ、そんなこと、言われてもっ・・・」
急に動きが悪くなった口をぱくぱくさせながら湯呑の縁を意味なくもじもじ弄る間に、頬がかぁーっと熱くなる。
心臓が飛び出しそうなくらいどきどきしちゃって、椅子の下で意味なく脚を擦り合わせたりした。
・・・だって。だってだってだって。
あっさりしすぎてて却ってびっくりするくらい、さらっとさりげに言われちゃったけど。
・・・こ。これってあれだよね、つまりだからええと、
〜〜〜〜〜っっぅ、うぁわゎわわわわわわわわわわわわわわわわ!!!!!
「うぉーい、ちゃーん?聞いてんのー?ここ重要だよー、大事なとこだよー、銀さん今すんげー大事なこと言ったよー、なのに無視ですかコノヤロー」
・・・こんなに大事なとこなのに銀ちゃんたら意地悪だ。耳も首も真っ赤になったあたしを面白がって、両目を三日月みたいに細めたムカつくにんまり顔を寄せてくる。
そんな銀ちゃんと目が合わないように、ぬるくなったお茶が揺れてる湯呑の中に視線を落とした。ああもうっ、そんなに近づかないでよ、
耳に吐息が当たるからなんだか意識しちゃうじゃん!
――無理、無理だから!ここで返事するとか、無理!だって、こんな時ってどんな顔したらいいの・・・?わっっ、わかんないよ・・・!
「まぁあれだわ、別に今すぐ返事しろとか言わねーからぁ。いつでもいーから考えといてくれる。見ての通り、こっちはいつでも受け入れ体制万全だからよー」
「・・・・・ぅ。うん。それは、ゎ、わかった、けどぉ・・・」
「だろぉ?だから心配しねーで、今夜は一晩中銀さんと子作りに励もーぜー!」
「ぅ、うんわかっ・・・・・・、はぁ!?」
ぱっと顔を上げて横を見上げる。銀ちゃんはカウンターに頬杖をついた猫背気味な姿勢で、ぶつぶつと独り言をつぶやいてた。
黙って口許を引き締めてるとそれなりに格好よくみえる横顔は、今やでれでれにとろけきってる。
ああもう、何、あのだらしない顔。ゆるみきった口端からたらーっとよだれが垂れそうだよ・・・!
「なぁなぁどーする。たまには気分変えてコスプレとかどーよ、水着も裸エプロンもまだやってねーしぃ。あとあれな、
前にアレしたミニスカナース服な!アレ半脱ぎでアレしてくれたときのお前、涙目んなっててえっっっろかったよなぁぁぁ〜〜・・・!」
・・・・・・・・顎まで垂れたよだれをごしごししながら、すっかり目がイッちゃってる銀ちゃんがあらぬ方向を見つめてへらぁ〜〜っと笑う。
飢えた肉食獣が「大好物見つけちゃったよラッキー!」なんて思ってる時みたいな嬉しそうな笑いだ、こわいこわいこわいこわい、こわすぎる!
身体が勝手に震えてくるよ。今、銀ちゃんの頭の中にはどんなあたしがいるの!?
どんな格好でどんなあられもないことさせられてるの!?想像するだけで恥ずかしくって死にたくなるよ!!!
「いよぉーしぃぃ、んじゃーとりあえずんち行ってふかふかベッドで駆けつけ三発な!!」
「いや!絶っっっ対、い、や!!てゆうかその言い方やめてって言ったでしょ!?」
「ぃでっっ、っっいでででででででで!!!」
あたしの肩を抱こうとしてそろーっと伸びてきた図々しい手を、ぎゅ―――っ。
思いっきりつねってあげたら、銀ちゃんの口からやけに甲高い悲鳴が飛び出す。いだいいだいいだいぃぃ、と涙目でわめく銀ちゃん、
超かっこ悪い。まだまだ赤みが引きそうにないほっぺたにうんと空気を詰め込んで、それでもどーにか肩を抱こうとする懲りない手を
ぺちっと払って、
「ずるいっ、銀ちゃんずるいっっ。あたしまだ言われてないっ、一番肝心なことっっ」
そう返したら、急に銀ちゃんの勢いが萎れた。白っぽい前髪で半分隠れた目があたしを恨めしそうにじとーっと眺めて、頭をがしがし掻きながら
尖らせた口の中でごにょごにょつぶやく。何て言ってるんだろ、聞こえないけど。そのうち指でカウンターに「の」の字なんか書き始めちゃって、
まるで怒られて拗ねてる子供みたいな態度だ。かと思ったら、跳ねまくった天パの毛先までへなへなぁっとしそーな落ち込んだ様子で肩を落として、
またあたしをじとーっと眺めて、
「んぁ〜〜・・・、そっちはそのうちっつーかぁ、・・・まぁ、ぼちぼちな」
「そ。そのうちって、いつ・・・?ぼちぼち、って?」
「や、あのよー、・・・前も言ったけどー、あんま真正面からビシバシ追い込まねーでくれる。こっちの事情っつーかぁ、複雑な男心を察してくれる?」
俺Sだからね。Sは意外と打たれ弱ぇーからね。豪快そうに見えて案外気が小せぇっつーかぁ、大事な時ほど勝負に出れねーっつーかぁぁぁ。
ぶちぶちとねちっこく情けないことをほざきまくってから、銀ちゃんは顔を上げてあたしを眺める。
・・・ちょっ、なに、その顔。なに、その不満たらっったらな顔。誰が悪いと思ってるの。あたしじゃないでしょ、銀ちゃんでしょ!?
女の子にとって一番大事な、大好きな人の口から一番聞きたいひとことを、とぼけた顔してぬけぬけとすっ飛ばそーとした銀ちゃんが悪いんじゃん!!
「・・・・・・んじゃーあれな。今すぐってのは無理だけどぉ・・・・」
たっぷり数十秒は黙り込んでいた銀ちゃんは、めずらしく重くなった口をようやく開いた。
何か真剣に決心したみたいな、いつになく真面目っぽく見える顔があたしの手をじっと眺める。
何だろ、と不思議に思いながら待っていたら、急にその手を取られた。え、と目を丸くして見つめるあたしに、
銀ちゃんはちらりと視線を流して――ゆっくりと手を持ち上げていく。やんわり握られながら導かれた手は、ちょうど銀ちゃんの唇の高さまで上がる。
そこで長い指に力を込められて、指先を丸められたあたしの手は、銀ちゃんのおおきな手の中にすっぽり閉じ込められて。
そこでまた何か言いたげな、意味深な視線を送られたから胸の奥がきゅうっとなった。なんだか全身がくすぐったいような、
こうしているだけで恥ずかしいような気分になって――
「一年後。一年後の俺の誕生日な。それまでには言うからよー。もーちょっと待ってくれる」
「・・・ほ。ほんと?」
「んー、マジでマジで。これ、約束な」
「・・・っ!」
止める間もなく顔を近づけて、銀ちゃんは唇を落とした。
――ちゅ、と軽い音を立てて吸いついたのは、あたしの手の甲。左手の薬指の付け根。ふにっとやわらかくって熱い感触に呆然としてる間に、
あたしの体温は頭の中が沸騰するんじゃないかってくらいに上がってく。
「今はここに嵌めるもんもまだ買えねーけどー、・・・とりあえずこれで、ちゃんを来年まで予約ってことで。どーですか」
「〜〜〜っ・・・」
肩と肩をぴったりくっつけて見つめ合ってるあたしたちのすぐ後ろでは、神楽ちゃんにキャサリンさん、西郷さんの笑い声が。
少し遠くでは新八くんと、ようやく荷物を引き取ってもらえてほっとした様子の宅配便のお兄さんの声。
銀ちゃんに塞がれたあたしの視界には入らないけど、カウンターの隅からは「大丈夫ですかお登勢さま」なんて声を掛けてる
たまさんの滑らかな声がした。そんな周りのにぎやかさも、今のあたしの耳にはどこか遠くの音みたいに聞こえちゃう。
ぽーっと頬を染めて銀ちゃんに見惚れていたら、あたしの指にもう一度キスが落ちる。伏せられた顔がゆっくりとこっちを見上げて、
――目尻を下げ気味にして細められた上目遣いの目は、自信ありげににぃっと笑った。
「で、どーよこの一年契約。なぁなぁ、返事してくんねーの」
「・・・・・・・・。さぁ。そんなのしらなーい」
赤くなったほっぺたを見られないように手で覆ってから、あたしはわざと目を逸らす。
さっきから心臓をとくとく弾ませてる「きゃーっ!!」て叫びたいような嬉しさが声に出ないように、わざと冷たく素っ気なく返した。
すると途端に銀ちゃんの顔がこわばる。
すーっと顔色が変わってく。ていうか、変わり過ぎて面白いくらいだ。がばっっ、と椅子を倒しそーな勢いで立ち上がった銀ちゃんが
かぁっと目を剥いてずいっと迫ってきて、
「ぇえええええ!!!?っっだよそれぇええっ、ちょ、っどどどどーいうこと!?銀さんじゃダメってこと!?
この一年で他の野郎に乗り換えるってこと!!?」
「あはは、そーだね、それもいーかも」
「〜〜〜えぇえええええええええっっ」
情けない声上げて涙ぐむ銀ちゃん、捨てられてくんくん鳴いてる犬みたい。眉が下がった泣きべそ顔と目を合わせて、
「そんな顔してもだめだから」って満面の笑顔で突っぱねる。お願いちゃん考え直してぇえ、って、切羽詰まった銀ちゃんは肩を掴んで
ぐらぐらゆらゆら揺さぶってくる。だけど、先に「おあずけ」にしたのは銀ちゃんのほうだ。だからあたしも、
そう簡単には答えてあげないことにしようっと。――ううん、とりあえず、今日のところは黙っておこう。
銀ちゃんお得意の情けない泣き落しを仕掛けてきても、欲しい答えなんて言ってあげない。
(いいよ。銀ちゃんが決心してくれるまで、いくらでも待ってあげる。)
何があっても結局銀ちゃんのすること全部を許しちゃうあたしの、甘やかした本音なんて言ってあげない。
だからね、銀ちゃん。
銀ちゃんがマジ泣きして欲しがってるあたしの返事も、よだれ垂らしそうなうっとり顔で妄想してた「恐怖のケダモノ計画」も、
ぜんぶ、ぜ―――んぶ。
来年のお誕生日までのお楽しみってことで、どうですか。