『今年最後の日となる大晦日の今日は、この冬最高の寒さがやって参ります。気温がぐんと下がるお昼頃には、各地で初雪が見られるかもしれません。
初詣に行かれる方は温かい格好で出かけて下さいねー』
朝の天気予報で結野アナも言ってたとおり、雪はお昼すぎからしんしんと静かに降り出していた。
あたしが大掃除中の万事屋に三段重ねのお重に詰めたおせち料理を持ち込んだ夕方には、見慣れたかぶき町の景色はどこを見ても真っ白で。
江戸ではめずらしい雪景色にわくわくしてる神楽ちゃんと窓の外を眺めていたら、四人分の年越し蕎麦を乗せたお盆を持ってきた新八くんが提案してくれた。
「たまにはみんなで初詣に行ってみませんか」って――。
「ねぇー。何アルか、甘酒って」
ふわりふわりと雪が舞い落ちてくる夜空にまたひとつ、除夜の鐘がしみじみした音色を響かせてる。新年まであと30分、
初詣客でにぎわってきた神社の境内で神楽ちゃんの目に留まったのは、赤い袴姿の巫女さんたちが無料で配ってる甘酒だ。
『甘酒 無料です』
筆字の張り紙をしたテーブルの上には、真っ白な湯気をもこもこと昇らせる大きなお鍋。そこから
甘酒を掬っては、「温まりますよー、どうぞー」と紙コップを差し出してる巫女さんたち。
お鍋の前にはちょっとした行列が出来ているから、そこも神楽ちゃんの興味を惹いたのかも。
あれあれ、って不思議そうな顔して指を差されて、あぁ、とあたしは目を丸くした。
そうだよね。江戸で生まれたあたしにとっては、神社で飲むお正月の甘酒は当たり前。だけど他の星で育った神楽ちゃんにとっては
未知の飲み物に見えちゃうんだ。
「そっか。神楽ちゃん、甘酒飲んだことないんだね」
「飲んだことないネ。はじめて見たヨ。何アルかあれ、正月用の飲み物アルか?うすめた牛乳みたいな色してるネ…」
興味津々に目を丸くした神楽ちゃんは、たたた、と真っ赤なもこもこブーツで駆けていった。
甘酒のお鍋と巫女さんたちを取り囲んでる人の円の外側で背伸びして、くんくんくん。
大きなお鍋からほわほわと昇ってくる、甘い香りの湯気を嗅ぎ取る。
巫女さんたちは紙コップにてきぱきと出来立ての甘酒を注いでは、初詣のお客さんたちに振舞っていく。
まだこの国のお正月に慣れてない神楽ちゃんの目には、大きなお鍋の中でふつふつ煮えてるとろとろの乳白色が
すごく魅力的に見えたみたいだ。ぱっちりした目をきらきらさせて指を咥えて、「飲んでみたいなー」って顔してる。
「じゃあ飲んでみようよ、甘くておいしいよー。身体がぽかぽかになるんだよ」
「!私も飲んでいいアルか、酒なのに!」
あたしたちがそこで道を逸れて湯気が上る大鍋のほうへふらふら寄っていくと、参拝客の行列の最後尾に並ぼうとしてた
銀ちゃんと新八くんまで戻ってきた。神楽ちゃんが甘酒を知らない、って話をしたら、夜中の寒さで鼻を赤くしてる新八くんが首を傾げて、
「あれっ、知らないんだ神楽ちゃん。前に僕と姉上と初詣に行ったでしょ?あのときも神社で配ってたよ」
「わからないアル。あのころは私、まだこの国の字が読めなかったネ」
「あー甘酒な。あれはまぁ、シャンメリーみてーなもんだわ」
頭に毛糸の帽子を被って顔から首にはぐるぐる巻きの赤いマフラー、もこもこ分厚くって背中に妙な絵がプリントしてある派手なスカジャン。
そんな完全防備な格好でも寒そうに肩を竦めてる銀ちゃんが、どーでもよさそうにいい加減な相槌をもごもごっと打つ。
寒いのが苦手だからかな、それとも、単にめんどくさがりなせいなのかな。真冬の銀ちゃんて、他の季節に輪をかけた出不精さんになっちゃう。
みんなで初詣に行こう、ってあたしたち三人が年越し蕎麦をつるつる啜りながら盛り上がってたときも、
銀ちゃん一人だけが最後まで反対してた。「初詣ぇ!?ぇえええ行くの、マジで行くのそれ。そんなもん朝でいーだろぉ」って、
子供みたいに口尖らせて嫌がってたし。
「シャンメリーなら知ってるネ。クリスマスにババアが「ガキはこれでも飲んでな」ってくれたやつヨ。
パンチの足りないコーラみたいな味だったネ」
「そーそーあれな、ガキ向けのシャンパンの代用品な。甘酒もあれと似たよーなもんでよー、
酒なんて呼ばれてっけど酒じゃねーの。いわばシャンメリーの正月バージョンみてーなもんだな」
「違うからね神楽ちゃん、信じちゃだめだよ。銀ちゃん、神楽ちゃんに適当なこと教えないでよ。江戸の文化を誤解されちゃうよ」
「あー平気平気、元々間違ってっからよーこいつの江戸文化知識」
「まぁ誤解があるのも無理ないですけどね。神楽ちゃんの江戸文化入門は、教材からして間違ってましたから。
銀さんが見てた「渡鬼」再放送ですからね」
「そーそー、こいつの場合ピン子とハルエが先生だから」
甘酒のお鍋に目を輝かせて見入ってる神楽ちゃんのピンク色の頭をぽんぽんしながら、銀ちゃんは鼻声でごにょごにょっと言う。
ずずず、と啜った鼻の先は新八くんと同じでほんのり赤い。しょーがないなぁ、って苦笑してる新八くんと目を合わせて、
うんうん、と訳知り顔で頷き合って、
「うーん、まぁ仕方ないよね。本人はピン子とハルエに責任転嫁してるけど、いちばん身近な先生が銀ちゃんじゃね…」
「そうなんですよねぇ仕方ないですよね、なにしろ銀さんですから」
「おーいそこぉ、何を意気投合してんの。てゆうかお前らの中の銀さん、どんだけ仕方ない存在なの」
ぅあ〜〜〜〜、っだよもぉぉ、寒っっみー。
なんて唇を震わせてぼやいた銀ちゃんが後ろからべたべたくっついてくる。
横から顔を寄せてほっぺたに、髪を結い上げて素肌が見えてるうなじに、冷たい顔をぺたぺたぺた、すりすりすり。
「〜〜っ、ちょっと銀ちゃん、やめてっ。寒いからっ」
「いや俺も寒みーから暖取ってんだけど。人肌のぬくもりが恋しいんだけど」
「だからってこんなくっつき方しなくてもいいでしょ!?」
「いーだろぉちょっとくれーくっついたって。こんだけ寒みーんだからよー」
そうだよ寒いよ、寒すぎるよ。
銀ちゃんが好き勝手にべたついてくるせいで、こっちは寒さで背筋がぞくぞくしちゃう。
くっつかれるたびにぞわっとして、ひゃあっ、と声を上げてしまう。しかも調子に乗った銀ちゃんがあたしに半分おんぶするよーな恰好で
抱きついてくるから。うへへへへ〜、ってキモい声出して目尻がでれでれのやらしい顔で笑ってるから、
まるであたしの周りにだけ氷河期が来たみたいな寒さだよ・・・!
「やめてよ寒いっ。ていうかキモい!」
「あ〜〜ぬくいわここ。きもちいーわここ。首や顔はあったけーんだよなぁはぁぁ。手足は一年中ひゃっけーのによー」
なんて気持ちよさそうに言って、ふぁああぁぁぁ〜〜。でれでれに緩んだ顔で溜め息をつく。ああもう銀ちゃんてば、だらしない顔しちゃって。
まるで温泉に浸かったおじいさんが頭にタオル乗せて「あぁ〜極楽極楽」ってご満悦になってるときのあのノリだ。
「あぁ〜〜もぉだめ、もぉ死ぬ。ここで行列なんて並んだら間違いなく凍え死ぬわ。な〜〜〜、さみーよ助けてくれよ〜〜〜」
「っ!?ぎ、銀ちゃんっ」
ふぅ、と耳の後ろに息を吹きかけられた。うわ、くすぐったいっ。肌がざわざわって騒いで、身体が跳ねる。
お正月用の晴れ着に合わせて髪を結い上げてきたから、銀ちゃんの唇や吐息がうなじをふわふわくすぐって・・・!、
「ひ、ゃ、な、なに・・・っっ、〜〜っ!」
「なーなー、ガキどもなんて放っといてよ〜、どっかそのへんのホテルにシケこもうぜ〜。
凍死寸前の銀さんをちゃんの火照ったカラダで温めてくれよ〜〜」
「〜〜っ、ばっっっっっっ、かじゃないの!そんなに行きたいなら一人で行けエロ天パ!!」
「ええぇええええ。っだよぉいーの、銀さん凍え死んじゃってもいーの!?」
「死なない、死なないからっ。賭場で負けて身ぐるみ剥がされてパンイチで帰ってきたときも風邪引かなかった銀ちゃんがこのくらいの寒さで死ぬわけないぃっ」
「そうですよ、銀さんならパンイチで水浴びてそのまま冷凍されたって死にませんよ。ていうか神前で女性にセクハラするのはやめてください」
不謹慎ですよ、と新八くんが銀ちゃんをたしなめる。「あんなコップ一杯じゃ足りないネ、私なら鍋ごとイケるネ、楽勝ヨ!」なんて
すっかり張り切っちゃって、今にもダッシュして甘酒の鍋に飛びつきそうな神楽ちゃんをあたふたと引き止めながら、
「あのねえ銀さん、せめて今日くらいは煩悩を捨てて清く正しく過ごせないんですか。
新しい年の幸せを祈願するのが初詣ですけどね、大晦日に除夜の鐘をつくことで一年分の煩悩を祓う、心の穢れを祓う、っていう意味もあるんですよ?」
「そうだよ新八くんの言うとおりだよ。あたしは一年中煩悩まみれでも平気な銀ちゃんとは違うの、
元日くらいはきちんとお参りして清々しい気持ちで新年を迎えたいのっっ」
「いーじゃねーかよぉ煩悩まみれで、何が悪りーんだよぉぉ。ガキ産める女はともかくよー、ヤローは煩悩にまみれてナンボなんだよ。
いやいやあれだわお前ら、よーく考えてみろって。男が煩悩まみれだからこそ人類の繁栄は成り立ってんだよ?イブの誘惑に逆らえなかった
煩悩まみれのヤリチンアダムの存在無しには人類補完計画は成り立たねーんだよっ」
「違うから。そんなただれた人類補完計画、碇指令が許さないからっっ」
「そーネ、だいたい銀ちゃんじゃアダムにはなれないアル。煩悩まみれなヤリチンモジャ男のタネからは劣性遺伝子という負の連鎖しか生まれないネ、人類滅亡決定ヨ」
「ちょっっ、神楽ちゃん!!?ダメだよそんなこと言っちゃ、女の子がヤリチンとか言ったらダメだからね!〜〜ああもう二人ともいい加減にしてくださいよっ、神前だって言ってるでしょ!?」
みんな先に並んでてください、甘酒は僕が貰ってきますから。
銀ちゃんと神楽ちゃんの暴走っぷりに疲れきってる新八くんは、それでも神楽ちゃんとあたしのために甘酒の列に並んでくれた。
ほんとに気遣い屋さんだよね新八くんて。なにかと女の子を大切にしてくれるっていうか、なにげに紳士なんだよね。これってお妙さんの教育の賜物なのかなぁ、
銀ちゃんなんて頼んだって並んでくれなさそうなのに、・・・なんて感心しながら、参拝の行列の最後尾まで
嫌がる銀ちゃんの背中を押しながら歩く。
ざく、ざく、ざく、ざく。
神社の祭殿に続く石畳に積もってる雪のせいで、足元はちょっと滑り気味だ。
気をつけないと転んじゃうかな。いつもよりも慎重に、ゆっくり踏みしめながら歩いていくと、こんな雪道でも普段通り身軽に歩いてる神楽ちゃんが、
「ねえねえ、甘酒ってどのくらい甘いアルか?銀ちゃんが飲んでる焼酎いちご牛乳割りみたいなものアルか?」
「んぁー、まぁアレとどっこいだな」
「どっこいって・・・。どんだけ甘いの飲んでるの銀ちゃん」
さっみー、さっみー、って口癖みたいに連呼しながら背中を丸めてる銀ちゃんを呆れた目で眺めていたら、すぐに新八くんは戻ってきた。
両手に持った紙コップを高めに上げて、
「はい神楽ちゃん、さん、どぅぞ――っっぶふぉっっっ」
上げた瞬間、べしゃっと足元の石畳に突っ伏した。石畳のくぼみにつまずいたみたいだったけど、
――そんな瞬間をしっかり目撃していたあたしの視界は、そのわずか一秒後には閉ざされて何も見えなくなった。
ばっ、と素早く遮ってきた銀ちゃんの腕が、なぜかあたしの頭を抱きしめたから。目の前を真っ暗に塞いだからだ。
ばしゃっっっ。
頭を抱きしめられたことに驚く間もなく、真上から飛沫を撒き散らしながら何かが落っこちてきた。
つまずいた新八くんの手を離れて、ぶわっと宙に浮いていた紙コップが二つ。それから、
熱くてどろっとしたもの。それは頭の天辺から顔を流れて首筋まで、たらたら――っ、と一瞬で伝い落ちていって――、
「〜〜っ!」
「っっぅあっっっっつ!あちっ、〜〜〜〜ぁにしてくれてんだ新八ぃ、てっっめええ!」
「す、すいません銀さん、さん!どどどどうしようっっ、思いっきり顔にかかりましたよね!?さん、やけどしてませんか!?」
「大丈夫アルか!!顔がドロドロネ、ヒリヒリしないアルか!?」
眼鏡を鼻までずらして起き上がった新八くんは、あたしたちの惨状にうろたえておろおろしてる。
心配そうに顔を曇らせた神楽ちゃんがチャイナ服風の赤いコートの袖であたしの顔を拭こうとするから、あわてて「大丈夫だよ」って断った。
「あたしは大丈夫だよ、ちょっと熱かっただけだから」
「いやいや大丈夫じゃねーって、女が顔に火傷したら一大事だって!おいそこの手水場で冷やすぞ、ほら、顔見せ・・・」
そう言ってあたしを振り向かせた銀ちゃんは、
「・・・・・・・・・・・・・・」
なぜかかぁっと目を剥いて、あたしのほっぺたを両手に挟んだままびくりとも動かなくなった。
どうしたんだろ。あの銀ちゃんが、何かといえば喋り倒してくる銀ちゃんが、ぽかーーーんと口を広げて絶句してる。
「――銀ちゃん?どーしたの、ねえ、ちょっと、聞こえてる?」
「どどっ、どーしたんですか銀さんんん!まさかさんにひどいやけどが・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・なにこれ。なんなの、これ。いったいどーいうことなの、これ。
あたふたと割って入ってきた新八くんまで、あたしの顔を見た途端に、銀ちゃんと同じにぽかーーーんと口を広げて絶句してしまった。
しかも、眼鏡の向こうの目がなぜか点になってるんだけど・・・・・・?
「何をボケっとしてるアルかお前ら、こんな時にレディにハンカチの一枚も貸さないってどーいうことネ!
大丈夫アルか、早く冷やしたほうがいいネ!」
「うん、ありがとね神楽ちゃん。でもやけどはしてないみたいだし、もう冷えちゃったから大丈夫だよ」
ぷりぷり怒ってる神楽ちゃんを宥めながら、巾着袋に入れておいたハンカチを出す。
顔を拭く前にふと気づいて、頬や唇にべっとり貼りついた甘酒の残りを指先で撫でる。指先にまとわりついた白いとろみを、ぺろりと舐めた。
うん、美味しーい。すっきりして自然な甘みも、麹の香りもいいかんじだなぁ。
「ん、おいしー。なんだかもったいないね、こんなにおいしいのに飲めないなんて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「それより新八くん、怪我しなかった?大丈夫?」
ちょっと心配になって顔を覗き込んだら、なぜか新八くんが耳まで真っ赤に。目を剥いて鼻と口をがばっと覆うと、
ずざざざぁああ〜〜〜っと一瞬で後退、5メートルも距離を置かれちゃった。
「し。新八くん・・・・・・?」
・・・かなりショックだ。まさかここまで過剰反応されるなんて。これじゃ笑いかけてた顔の引っ込めどころがないよ。
どうしていいのかわかんなくって、目元がひくひくしてしまう。うぅぅ、傷つくなぁ。そんなに嫌だったのかなぁ、甘酒被った小汚いあたしに近づかれるのが。
新八くんはわりと大人だし気遣い屋さんのやさしい子だって思ってたけど・・・難しいなぁ、年頃の男の子への接し方って。
「〜〜〜〜ぎぎっっっ、銀さんんんんっっ。僕もう駄目です限界ですっ!さっきコケたときに思いきり鼻打ったんですけどそれとは違うアレで鼻血が出そうです・・・!」
「おっっっ、落ち着けぱっつあんんんん!言っとくけどにはそんなつもりは微塵もねーぞ!?あいつこっち方面に関しては相当お子ちゃまだからっっ」
「ですよね、そーですよね!?さんは純粋に心配してくれてるのに、なのに僕はなんて不純なことを・・・!
痛いです銀さんどーしましょう、打った鼻も痛いけど、それより罪悪感で胸が痛いです・・・!」
「忘れろ、今見たもんは忘れろ!忘れられねーんなら俺が強制的に忘れさせてやるから!!」
「何をブツクサほざいてるアルか役立たずども!いいから早くをエスコートしろヨ、ヤリチンモジャ男!!」
「ねぇ銀ちゃん、銀ちゃんも頭から被っちゃったんでしょ?残念だけど一回帰ろ?」
あたしを庇って二杯ぶんの甘酒を被っちゃったせいで、銀ちゃんのふわふわ天パはへなへなに萎れてる。
いくら銀ちゃんが丈夫でも、あれじゃあ頭から風邪を引いちゃいそうだ。
それに庇ってもらったとはいっても、あたしも顔が結構べとべとだし。新八くんが気にするだろうから言わないけど、
実は顔に流れた甘酒が衿元から入り込んできて、胸やお腹もべとべとだ。今日はお泊りするつもりだったから、万事屋には着替えも置いてあるし。
「ね、一緒に帰ってシャワー浴びよ?これ、べとべとしてきもちわるいもん」
萎れて癖が落ちた前髪に手を伸ばして、ハンカチで拭きながら頼んでみる。そしたら、――なぜか銀ちゃんの目が、きら―――んっと不吉に輝いた。
あたしの両手をわしっと握ってぶんぶん揺すって、
「行く!行く行く行くうぅぅ!!今すぐ帰るっ、一緒に帰るぅぅ!!新八っっ、神楽のこたぁ頼んだぞっっ」
「はいィィィ!!さんっ、本っっ当にすんませんでしたぁぁああっっ」
「ううんこちらこそごめんね新八く・・・ってちょっとぉぉ、なんで土下座!?なんで泣いてるの、新八くんんんん!?」
いきなりの土下座にぎょっとして叫んだ。でも、地面にひれ伏す新八くんにはあたしの声が届かなかったのかもしれない。
頭を下げたまんまの新八くんが、こっちに手を振る神楽ちゃんの姿が、絵馬や御守りを売ってる社務所や参拝客の行列が、
みるみるうちに遠ざかっていく。
銀ちゃんがあたしの手を握って、周りの参拝客さんたちが怖れをなして避けるくらいの猛スピードで走り出したから。
「っっ、銀ちゃ、っ、ちょ、こ、転ぶ、転んじゃうってばぁぁっ」
かたかたかたかた、と急かされた下駄が足元で甲高い音を立てる。
声を張り上げて頼んだのに、銀ちゃんたら振り向きもしない。なに、なんなのこれ、わけがわかんないよ・・・!
ぐいぐい腕を引っ張られて大きな赤い鳥居をくぐって、くぐったとたんに横道へ逸れて細い路地に連れ込まれた。
そこで銀ちゃんがくるっと振り向く。ぽかんとしてるあたしの両側を派手なスカジャンの腕で塞いで、ずんずんって進んできて、
――押されるままによろよろ後ろへ下がったら、ぴた、とひんやり冷たい何かが背中に当たった。
冷たくって固い壁。細い路地に迫るようにして建ってる、高いビルの外壁だ。
「な。なに、え、どうしたの銀ちゃん。万事屋に帰るんじゃ、」
「んー、帰るけど。急いで帰るけどー。・・・けどよー、その前にぃ、」
「――っっ〜〜!?」
ひっっ、と目を見開いてあたしは銀ちゃんを見つめた。がばっ、と襲いかかってきた銀ちゃんに
両腕の手首を掴まれて、噛みつくみたいな荒々しいキスをされたから。強く唇を塞がれてあっというまに舌がぐちゅりと押し込まれて、
昂った息遣いで口の中を奥までぐちゃぐちゃに弄られて、おもわず全身に力が入る。息苦しさに耐えられなくて手足をじたばた
させてたら、凍りついた足元の地面でつるっと滑って転びかけた。よろめいた腰と背中をスカジャンの両腕に支えられて、そのまま壁に押しつけられて、
「っっん、〜〜〜〜〜ふ、っっ、んぅううっ」
「あーはいはい暴れない暴れない。危ねーから、滑って危ねーから」
「っな、や、っっぎ、ぎんっ、〜〜〜〜っ!!」
それからも銀ちゃんはわけがわからなかった。強引に捻じ込まれた舌を一瞬抜かれてやっと息継ぎをしたと思ったら、
悲鳴を上げる間もないうちにまた唇を塞がれる。
熱い舌の先が感じやすいところをざらざらした感触でねっとり撫で上げてくる。その動きにびくびくと身体を揺らしているうちに、
少しずつ頭の中まで熱くなってきて。壁に押しつけられた背中を両腕で優しく抱きしめられて、きれいに結った髪をばらりと解かれた後ろ頭を、
いいこいいこ、って宥めるみたいに撫でられる。なのに口の中では、銀ちゃんの舌は奥まで激しく乱暴に絡みついてくる。
喉の奥まで無理やりこじ開けようとするような、大きくって深い舌の動きだ。めまいがしそうなくらいぐらぐらと頭を揺さぶられて、
もうあたしまでわけがわからなくなってしまった。最初は誰かに見られるんじゃないかって気になって気になって仕方なかったのに、
最後には自分がどこにいるのかを気にする余裕なんてなくなって。銀ちゃんの背中に夢中で腕を回して、もこもこしたスカジャンの背中に
震える手でしがみつくのが精一杯で。
「〜〜・・・・っ、ぎ、・・・・ちゃぁ・・・っ」
「ん。。もぉ少しでいーから。ここはキスだけで我慢すっから。な・・・?」
ん、と涙目で頷いたら、かすかに呼吸を乱してる銀ちゃんがにっと笑う。路地の暗闇の中で見るその笑顔が色っぽくて、どきんと心臓が跳ね上がった。
すぐにちゅうっと吸いつかれて、呼吸を奪われて息苦しくなる。んんっ、とかぶりを振ったら銀ちゃんが口の奥でくくっと笑った。
・・・くるしい。酸素不足で息が上がる。でも、銀ちゃんがすごく欲しがってくれてるのが手や舌の動きでわかるから。だから、
その息苦しさにまで胸が高鳴って、なんだかうっとりしてしまう。おかしいよ。こんなのおかしい。どうしてこんなことになっちゃってるんだろう。ここは外なのに。人が集まってにぎやかな神社はすぐそこで、
除夜の鐘のぼんやりした残響が流れてくるのに。こんな表通りに近い場所でこんなことしてたら、誰かに見られるかもしれないのに。
でも、――うれしい。銀ちゃん、すごくキスに夢中になってる。そう思うと手足の先まで嬉しさが染みていって、嬉しくって震えが起こる。
他のことなんて何もかも忘れちゃいそうなくらいきもちいい。
ああ、どうしよう。キスだけでこんなになっちゃうなんて。
あたし、こんなはしたない子になっちゃったんだ。どうしよう――
「・・・・・ん、ふ、・・・く、ふぁ、・・・っ」
「。もっと口開けて。奥まで舐めてもっときもちよくしてやるから」
「ん、んっ。・・・・・〜〜っ・・・!」
顎の下をつうっと撫でた指の先にくいっと顔を持ち上げられて、もっと深く入り込まれた。
銀ちゃんの舌が動きを変えて違うところを責めてくるたびに、ぶるっ、と自分を支えきれなくなった脚が震える。
かぁっと火照ってきた腰が砕けそうになる。ちょっと気を抜いたら膝がかくんと折れちゃいそうだ。
「なぁ。・・・・・・ちょっとだけ。ちょっとだけ触っても、いい」
「――ぇ、〜〜あっ、や、・・・んんっ」
やだ、ばか。キスだけだって言ったくせに・・・!
銀ちゃんの手がコートの中にするりと忍び込んでくる。むにゅっと左胸を握りつぶされて、素早く探り当てた先のところを
きゅうっと押される。深いキスで感じやすくなってたあたしの身体には、たったそれだけで背中に弱い電流みたいな痺れが起きた。
ぶるぶるっと背中がしなって膝が折れて、地面にがくんと崩れ落ちる。そこで銀ちゃんがやっと唇を離してくれた。はぁっ、と荒い溜め息を
こぼした唇の端が、つやつやと濡れたピンク色で光ってる。何か違和感を感じたのか、銀ちゃんはそこをごしっと手の甲で拭ってた。
――グロスだ。あたしがつけてるアプリコットピンクのグロス。銀ちゃんの唇に、移っちゃった。
潤んだ目でぼうっと見上げていると、銀ちゃんは脇に腕を入れて抱き起してくれた。憎たらしいくらい嬉しそうな顔であたしを眺めて、にんまり笑って。
「あーあーもぉ、悪い子だよなぁ。ここがどこだか判ってんのお前ぇ、こーんなとこでとろーんとした目ぇしちまってぇ」
「・・・っ。ぎ。銀ちゃ・・・な・・・、なんで・・・?」
「あぁ悪い悪い、びっくりした?けどよーお前、俺だってびっくりしたんだぜー。いやいやいや、アレはねーわアレは。
こーんな顔した姉ちゃんに「帰ってシャワー浴びよ?」なぁんて大胆なお願いされたらよー、そりゃあ男はムラっとくるって」
「ふぇえ・・・?」
「あのさー、気づいてねーんだろーから言っとくけどー。お前、今、見た目とんでもなくエロいことになってるからね」
「・・・・・・・・・・、は?」
「いやアレなアレ、さっきの甘酒な。アレのせいで男のアレを頭からぶっかけられたみてーになってるからね、お前」
「・・・・へ?」
いやだからアレな、アレ。いわゆる顔射プレイ、ってやつな。
軽いノリで言ってのけた銀ちゃんに、ひょいっと肩に担ぎ上げられる。
いつもよりかなり目線が高くなる場所でゆっさゆっさ揺られながら、路地の奥へ奥へとお持ち帰りされた。
すっかり混乱しきって銀ちゃんに言われたことがいまいち飲み込めずにいたあたしは、そこでようやく理解した。かちんと顔がこわばって、すう〜〜っ、と
血の気が引いていく。
・・・・・つ。つまり、あの。・・・・・・・・あの甘酒のせいなの?
急にサカって飛びついてきた銀ちゃんの反応も。
真っ赤になってうろたえていた新八くんのおかしな反応も。
ていうことは、・・・白い甘酒で顔をどろどろにしたあたしって、いったいどんな目で人に見られて――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
「〜〜〜〜〜〜そ、・・・・・・・っ」
「んぁ?なに、何か言ったかぁ?」
「そぉいうことは早く言ってよぉおおおお!!!」
恥ずかしさのあまりびいびい泣きじゃくって叫んだ声が、ものの一秒で掻き消される。
ご――――ん。
神社ではまるでこの世の無常を嘆き憐れむような荘厳な鐘の音が鳴って、白い粒がふわふわと踊るつめたい夜空まで広がっていった。