している間も、終わってからも、総悟はやたらに「好きだ」って言う。熱っぽくて息の弾んだ声で名前を呼んで、何度も繰り返して口にする。
そういう声はあたしに入ってくるときの総悟の火照りきった熱さとよく似てる。
同じくらいの高い温度で耳の中に残るから、言われるたびにその瞬間の息が止まりそうなかんじをお腹の奥で思い出してしまう。
好きって言われるのはいやじゃない。天の邪鬼で人をからかうのが大好きな幼馴染みの口から、まっすぐに目を見つめて言われるその言葉は、
あたしが総悟のとびきり大切な子になったんだって教えてくれる特別な言葉だ。
だけど言われるたびに恥ずかしい。何度言われても心臓がとくとく弾む。息を詰めて我慢するから呼吸までおかしくなってくるし、すごく変な気分になる。
それ、やだ。やめてよ。
そんなに言わなくていい。わかったから、そんなに何度も言わないでよ。
頭の中に火が点きそうなくらい恥ずかしい思いをさせられるたびに、あたしはいつもそう思う。今言おう。今度こそ言おう。
恥ずかしさとほんの少しのはがゆさに似た気分をこらえてそう思う。
なのに、結局一度も言えてない。だってそんなの言いづらいし、好きだ、って男の子に言われることに全然慣れていないから、
言われただけで戸惑って、しどろもどろになってしまう。それに、もし、それを聞いた総悟がほんのすこしでも
傷ついたような顔をしたら。・・・どうしよう。
ただの幼馴染みだったころには遠慮しないで言えていたことも、今のあたしには重大な悩みで。だから今まで、ずっと、言えなくって我慢してきたんだけど――。
――そんなことを、今日。ついさっき。やっと口にした。
総悟はあたしの顔をぱっちり開いた薄茶色の瞳できょとんと見ていた。見飽きるほど見てきたはずのあたしの顔を、まるで初めて見るものみたいな、
不思議そうな表情で眺めていた。ちょっと言葉にならないくらい、何か驚くことがあったみたいだ。
それでも黙って最後まで聞いてくれた。あたしは何でもないような態度で話し始めたつもりだったけど、実は緊張していたから、
総悟の表情を見ているうちに言葉がちっとも出て来なくなって、身体を小さく竦ませて、たどたどしくつかえながら話し終えることになった。
聞きながらベッドにうつ伏せになって、枕に半分顔を埋もれさせてこっちを見ていた総悟は、「ふーん」と鼻にかかった、言葉と吐息の中間みたいな曖昧な声で笑った。
ああ。やだなあの顔。
なるべく目が合わないように、胸元で抱き締めた毛布に顔を半分潜らせてから後悔する。笑った表情は可笑しそう。
だけど細めた目元が微妙に冷えていて、笑うと見せかけて何かを探っているようにも見える。
「やめてやってもいーぜ。が言ったら」
「・・・・・?何を?」
「も言えばいーんでェ、俺に」
「だから。・・・何を?」
言えばいいって、何。それだけじゃわかんないよ。
用心して毛布を引っ張りながら、このベッドの端――窓際まで逃げようとしたら、すいっと腕が伸びてくる。すかさず手を突いて止められた。
「ほら、言ってみろィ。好きだって」
「・・・!」
やだよ。そんなの言えない。
困りきって口籠っていたら、シーツに突いていた右腕に肩を抱かれた。あたしの胸に覆い被さった男の子の肩は、冷えはじめた汗で
うっすらと濡れている。華奢な見た目なのに硬くて重たい。ぐっと体重を掛けられたら、身体が簡単にマットに沈んだ。
肩口に、ぽん、と軽く指の先が触れてきた。人差し指の先。手のひらも腕にもまだ熱が残ってるのに、そこだけはなぜか冷たい。
冷たい指先は肌の上をゆっくり滑っていって、毛布の中まで入り込んでくる。つぅっ、と下へ這っていく指の感触を追っていくうちに、
それだけで身体が火照ってきた。心臓がとくとくと、何かに追われているみたいに焦って弾んでくるから落ち着かない。
「・・・・・・っ、やだよ、」
「お前が一度も言わねーから、足りねーぶんを俺が補ってやってんじゃねーかィ」
・・・そんなのあたし頼んでないし。ていうか、なに、補うって。
「・・・・・いいよ。そんなのわざわざ言わなくても。口で言わなくたってわかるじゃん」
耳たぶに齧りついてきた総悟の唇を、手でぐいっと押しやった。
そうだよ。あたしは総悟の気持ち、いちいち口にしてもらわなくたってわかってるもん。
肌が自然と空気を吸い込んでいるみたいに、あたしはいつも知らないうちに総悟の気配を感じとってる。
二人で帰る放課後の道でも。ミツバちゃんがお仕事から帰ってくる前のこの部屋でも。好きって囁かれたときの声にも。
唇の感触も、手の感触も。二人で籠る総悟のベッドの中の匂いや、ちょっと湿った熱さにも。
総悟の「好きだ」は場所や時間なんておかまいなしで、いつでもあたしの身体に入り込んでくる。だから、総悟と離れて
自分の家に帰っても、いるはずのない総悟がまだ隣にいるような気分がずっと続いてる。ご飯を食べて、お風呂に入って眠るまでずっと、
噛まれた感触は耳の端にじんわり残ってるし、耳の傍で囁かれているみたいで、何をしていても気になって困る。
感じるたびにこそばゆくって恥ずかしい。耳や首筋がざわざわして落ち着かないし――
「わかってねェ・・・」
「わかってるよ。・・・もういい、もうやだこの話。総悟しつこい」
「わかってねーや。お前がどんだけわかってても、俺にはあんまお前の気持ちが伝わってこねーんでェ」
「・・・・・・、」
・・・・・・・・・そうなの?
「ヤってるとき、がどうなのか、とか。いいのかいやなのか、とか。
俺のことほんとに好きかどーか、とか。お前ってそのへんなんにも言わねーから、ぜんぜん俺には伝わってこねーし」
あたしはぽかんと唇を横開きにして総悟を見つめた。
冗談めかして不満そうに眉を寄せて言われた言葉の前半分は、考えるだけで顔が火照ってくる。
だから聞かなかったことにして忘れよう。でも。
・・・・言われてみれば、そうかも。一度も総悟に「好き」って言ったこと、ない、かも。
「・・・違うよ。一度くらいは。・・・言ったよ?」
「言ってねー」
「言ったってば」
「言われてねーし」
言った。言ってねェ。言ったってば。言ってねーって。
お互いに退かないムキになった押し問答が続いて、十回くらい往復して。
それでも総悟はあたしの「言った」を飄々と淡々とかわし続けて、最後にうんと強めた声で「言われてねー」と言い張った。
表情は半笑いなのに視線がめずらしく本気だ。あたしは何を考えているのかわからない大きくて透明感のある瞳を見つめて、ごくんと息を呑んで、
「・・・、言ったよ。言った、と思う、・・・けど、・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
総悟が枕の上を少しずつ滑らせて、黙って顔を寄せてくる。じわりじわりと、けれど確実に、あたしたちの間は詰まってきていた。
唯一の逃げ道になってた方向は腕で遮られたままだから、ベッドの端に閉じ込められっぱなしだ。
こんな時の総悟に勝てたためしなんてないし、どう見てもあたしの劣勢。あまり強く出られないっていうか、ついつい逃げ腰になってしまう。
だって正しいのは総悟のほうだ。今、頭の中にある総悟との記憶を全部ひっくり返して一つずつ確かめてみたけれど、・・・
あたしから総悟に「好き」って言った記憶は、どれだけ探しても見つからなかった。
「い。言った。言ったし。・・・ええとあのほら、いつだっけ、あの時、あの時だよ。総悟、忘れちゃったの?」
あわてて言い足すと、醒めきった視線が無言の非難を向けてくる。
ああ、もうやだ。変な汗が出てくる。眉がぎゅっと寄ってきて、唇を噛んで焦っていたら、
総悟の脚が太腿の間を割って絡まってきて、
「・・・っ、やだ、ぁ、ばかぁっ」
「俺にだけ言わせといて自分はだんまりかよ。一度くれーいーだろィ、ケチくせー」
「言った。言ったし!ていうか、やだ。総悟しつこい。この足やだ!」
「俺も嫌でェ。に待たされんのはもう懲り懲りだぜ」
「い、いいじゃん、少しくらい待ってくれたって・・・!」
「少しどころじゃねーや。俺がお前に好きって言えるようになるまで何年かかったと思ってんでェ。十年だぜ」
総悟はふっと目を細めて。綺麗にほころばせた作り笑顔で、にっこり笑った。
「十年」のところにさりげなく籠められた皮肉が耳に痛い。おずおずと首を引っ込めて毛布に隠れようとしたら、手が腰に回ってきて、ぐい、と引かれて。
「がいつまでたってもガキくせーから、俺は仕方なく十年も我慢して幼馴染みごっこ続けてやったんじゃねーか。
ここまで我慢したんだ、あとは全部俺の好きにしたって何もバチは当たんねーや」
「・・・!」
怯んだあたしに、こん、とおでこで頭突きして。何の引け目も感じていなさそうな、あっけらかんとした態度で言いきった。
「なー。言えって。言わねーともっかい襲う」
「やだっ、もう帰るっ。もう六時だよ、ミツバちゃん帰ってきちゃう、」
「今日は残業。あと二時間は帰ってこねーぜ」
「・・・っ。やだ。もう無理、」
泣き出したいのを我慢して毛布から腕を出して、耳たぶを少しだけ引っ張った。
近づいてきた顔は斜めにあたしを見下ろしている。「何でェ、無理って。そこまで嫌ってどーいうこってェ」と不満そうに口を尖らせてる。
ばか。違うのに。誰も総悟がいやなんて言ってないじゃん。
男の子ってむずかしい。どうしていつもこんなふうになっちゃうんだろう。女の子なら雰囲気と態度で感じとってくれることが、どうして通じないんだろう。
じわっと涙の浮いてきた目で眉を寄せて睨んでみた。総悟はあたしにむくれられる理由がわからないって顔で、片方だけ眉を上げて睨み返してくる。
仕方ないから、ず、ず、ず、と少しずつほっぺたでシーツを擦って、顔を近づけていって。
「・・・だって。やだよ。そういうのって、死ぬほど恥ずかしいんだもん・・・。言おうとしただけで、勝手に、泣けて、くるし・・・・・っ」
どうしても言えない本当の理由を、こしょこしょ、と引っ張った耳の中に小さくつぶやく。
話すうちにじわぁっと涙が湧いてきて、顔がかぁーっと赤くなっていって。恥ずかしくって熱が出ちゃいそうだ。
「・・・・・・・、ふーん。」
鼻に抜ける声でつぶやいた総悟の口角が、あたしを見つめながらじわじわと吊り上がっていく。薄い唇がにんまりと笑う。
「まぁ、いーぜ。そこまで言いづれーんなら、言わねーでも」
ん、と言いながら肘を立てて、ベッドに沈んでいた身体を起こした。肉付きの薄い長い指に、
くい、と顎を持ち上げられた。息が止まりそうな近さと圧迫感で目の前が影に染まる。栗色の頭がゆらりと傾いて、
目元を半分遮っている柔らかい前髪が、あたしのおでこにもさらさらと流れ落ちてきて―――
「・・・この様子なら、あと一押し、ってとこかねィ」
目の前を塞いだ総悟の顔は、屈託なく笑っていた。
見たことがないくらいに珍しい、素直な嬉しさが伝わってくる表情で。
(十年も待たされた甲斐があったってもんだぜ。)
くすくす笑いながらつぶやいて、すっと寄せた唇で塞がれる。かすかな笑い声と熱い吐息を、口の中に流し込まれた。
すぐに顔を離されたけれど、心臓の響きが苦しいくらい昂って、胸の中で跳ね上がっている。
呼吸も苦しい。ちっとも言うことをきいてくれない心臓がうらめしい。心底楽しそうな総悟が心底憎たらしくって、
なのに、こんな総悟を見つめていられることがどうしようもなく嬉しくなるのはどうしてなんだろう。
いろんな思いが涙と一緒にせり上がっていって、目の中で滲んだ熱さがどんどん膨らんでくるから、
最後には、可笑しそうににやにやしてる顔もはっきり見えなくなった。
あぁ、だから。こうなるってわかってたから、いやだったのに。
たちまちに膨れ上がった涙の粒が目の中一杯に広がっていく。重なってきた総悟の笑顔が、海の中にいるみたいに揺れている。
骨張った腕に頭を抱えられて、髪を撫でられて。目元をぺろりと舐められて、ベッドの真ん中まで抱きかかえて戻されて。ぐしゃぐしゃでしっとり濡れたシーツの
波に押し込められながら、涙の味がするキスをした。