「先生。いつになったらあたしは女ですか。」
「・・・。おかしくね、その日本語」

あーあァ、ビール飲みてえ、と頭の後ろで腕を組む。
タイル状の防音壁の貼りめぐらされた白い天井を見上げて、俺は軽い伸びをする。 白衣の腕に触れ、背伸び気味に顔を覗き込もうとしたに背を向けた。

単なるポーズだ。この状況で、俺の側から拒否の姿勢を崩すわけにもいかねーだろう。 照明の消えた暗い教室に、担任教師と女生徒が二人きり。とはいっても俺に非はない。 これから何をしようというのでもないし、校内ではまずいあれやこれやを大胆にしでかした事後でもない。 そこは断言出来る。
この二人きりの音楽室に、教師と生徒の不祥事なんてだいそれたスキャンダル性はない。 ただ、夜の校舎の見廻り中に突然腕を掴まれ、ズルズルとここに引きずりこまれただけ。 何か言いたげな目でひたむきに見つめられただけだ。 そこまでならまだ反撃する取り返しもついたが、そこで言われたことがいけなかった。 「聞いてくれないと大声出します 制服脱いで 非常ベルも押します」と、笑顔で宣言された。 おまけに鍵まで閉められた。完全な確信犯だ。

さあ問題だ。ここで俺に何が出来る。この言い訳不能な状況下で、俺がこうしてこいつから目を逸らしたところで何が変わる? そんなことを言ったところで、答えてくる奴すらここにはいないわけだが。俺の答えは既に出ている。何も変わらねーだろ。 さっきから首のあたりに湧いてくる、このどうにもならないむず痒さから解放されるもんでもない。
ぼりぼりと、後ろ首あたりを引っ掻き回した。やめときゃよかった。治まるどころか、むず痒さが本格的になってくる。

「あのさ。俺、帰ってビールが飲みたいんだけど。水中戦に出たいんだけど。海で仲間が待ってんだけど」
「いいよ。一緒に帰ろ?銀八先生がビール飲んでゲームしてる間に、あたしがご飯作ってあげる」

「カレーとオムライスは得意なんだけど。先生は何が食べたい?」と、しれっとした口調で訊かれる。 オムライスよかカレーだな。肉多めの中辛にしといて。一瞬だけ素に戻ってそんなことを考えた自分にも、 まるで毎日俺のアパートで飯を作ってますという顔で訊いてくるにも、腹の底から溜息が湧いた。
ポケットに手を突っ込んでグランドピアノの前に立つ。 そこに置かれた長椅子に腰掛けるの、こっちを見上げている、大人びて澄ました笑顔を眺める。 やめときゃよかった、と再び肩を落としてうなだれた。 暗闇で浮かびあがるセーラー服の白さと、その襟元から覗く肌の白さに、いたたまれなくなった。

「・・・俺よー。 お前だけは他のバカどもと違って、手のかかんねー賢いヤツだと思ってたんだけどなぁ」
「今日までは?」
「そ。今日まではな」
「今日までは、夜の学校で先生を待ち伏せするような生徒じゃなかったのにね」
「だよなァ。三年間ずっと学年五位内キープで、一番乗りで音大推薦決めて。  何で3Zにいるのか不思議なくれーだったのによ。それが。決まったとたん、どーしてこんなにグレちまったんだ」

もしここで口煩い校長あたりに見つかったら、最悪俺は首が飛ぶわけだが。 まあ、最悪でも、こいつの進路くらいは護れるだろう。 ただでさえ低い有名私学への進学率。それを自分の一存でいっそう下げるような愚行を、あのジジイが選ぶことはない。
だいたいうちのクラス委員にしたって、予定では当然こいつにやらせるつもりだった。 頼みもしないのに立候補した混沌バカがもったいぶった演説をぶつのを、こいつは机に頬杖をついて顔を傾げ、 面白そうに目を細めながら眺めていた。

「安心していーよ、先生。うちらは誰もグレたり出来ないよ。立派な反面教師がいるから」

くすくすと笑いながら、目を細めたは首を傾げて俺を見上げる。
艶のある黒髪を指先にくるくると絡ませている。その表情も仕草も、俺の反応を試して遊んでいるように見えた。 そうか。思い出した。気づいた俺の中で、何かがぞくりとこみあげる。 これは風向きが悪い。今のの表情は、見れば見るほど桂を眺めていたあの時のこいつによく似て見える。

「淋しい?あたしたちに置いていかれて」
「いや嬉しいね。清々するね。やっとバカどもから解放だ」

何言ってるの、とは可笑しそうに肩を竦めた。

「解放なんてしてあげないから。卒業しても毎日来てあげる。先生があたしと付き合ってくれるまで、毎日」
「やめてくれる。それただのストーカーだからね。猿飛じゃねーんだから。 なに、お前らいつからそんなに仲良くなったの。タッグ組んで毎日俺を追い回す気か?」
「ううん。さっちゃんや他の子とは別。あたしはひとりで来るよ」
「だーよなぁ。一人だよなぁ。お前友達少ねーもんなあ。クラスでもどっか浮いてるもんな」

途端に表情を消して、少しいじけたような目で睨んできた。意外だ。今日のこいつはころころと、よく表情が変わる。 背筋を伸ばして髪をなびかせ颯爽と廊下を歩く、普段の印象が崩れてくる。 出来すぎるが故にクラスの大半に疎遠にされる、澄ました優等生の顔とはまるで別人だ。

「先生。それって担任が絶対言っちゃいけないことじゃないの。  もしここが高校じゃなくて小学校だったら、イジメの引き金になってるよ」
「いんじゃね別に、平気だろお前なら。イジメられて黙ってるよーなタイプでもねーし。  だいたいうちのクラスでイジメとか、ありえねーし」
「ひどーい。冷たい」

責める言葉とは裏腹に、あはは、と声を上げて心底楽しそうに笑う。 長椅子に腰掛けた脚が交互に大きくスイングする。軽く俺の脚を蹴った。

「ってーよ」
「クラス担任ってみんなに平等じゃないといけないのにね。先生は、あたしにだけ無意識で引いてるんですよ。」
「んだよ、無意識って」
「いいから、先生。あたしを呼んでみて」
「・・・
「ほらあ」
「ほらあ、って。何だよ」

どん、どん、どん、と三回連続、無言のきつい爪先蹴りが返ってきた。
すねに青アザが出来そうだ。何がイジメの引き金だ。これこそ教師イジメじゃねーのかよ。 まったく。こんなやつに、やる気のない教師のいい加減な発言が招くイジメ対象の是認なんてもんを指摘されたくはない。

「ほらあ、やっぱり無意識なんだ。それ先生の癖だよね。先生はね、あたしを呼ぶ時は必ずちょっとためらうの」

顔を指で差され、無遠慮な指摘を受ける。 迷いなく一直線に点いてきた指先を見つめて、俺の呼吸が一瞬止まる。つい返す言葉に詰まった。

「・・・・・偶然だろ」
「違うよー。それにね、他の子にはしないの。あたしだけなの。あたしに困ってるんだよね。先生は」
「ああ。困ってる。困ってるよ今」

言いながら長椅子を避けて踏み出し、ピアノの鍵盤を覆う蓋に触れた。
避けたのは長椅子だが、避けたかったのはの視線だ。 指先まで絡みついてくるような、探るようなこの視線を払いたかった。見られるほどに自棄になりそうだったからだ。
グランドピアノの蓋に手を掛ける。鍵は開いていて、暗い中でも黒光りする蓋は軽く持ち上がった。 中から現れた鍵盤の一番端。白鍵に指を置く。

「いーだろ別に、俺じゃなくても。つか、俺じゃねーほーがいいに決まってるんだって」

ポーン。押された鍵盤を通して、ピアノの低音が静まった室内に響いて広がる。 指を離すと、独特の重みを持った鍵盤が跳ね上がる。隣の鍵盤と水平に並ぶ頃には、天井あたりで反響していた音も霧散して消えていた。
一階の職員室にはまだ数人教師が残っているが、この程度の小さな音なら聞きつける奴もいないだろう。 この時間にこの階まで上がってくるのは、今日が見廻り当番の教師だけ。つまり俺だけだ。 扉は前後に鍵がかけられているし、窓もすべて閉まっている。防音設備もそこそこに良いはずだ。 と、不確定要素をひとつひとつ確かめながら虚しさに襲われる。 窓のひとつくらい開いていたほうが良かった。今はこの完璧な密室性こそがやばい。
ポン、ポン、と音を荒く刻みながら鍵盤を弾く。指が勝手に動いていた。

「目ェ覚ませって。同じ学年にだってそれなりの奴がいるだろ。あー、あれは?あれはどーしたんだよ。 告られたんだろ、A組の学年トップ。アレでいいじゃん。ちょっと暗れェけど真面目だし」
「あの子はだめ。いい人だけど、ぜんぜん話が合わないの。・・・ねえ、先生。どこから聞いたの、その話」
「どこも何も、職員室でも噂になってるっつーの。じゃあ、あれはどーよ。うちの土方とか。 あれならいーじゃん。あれならお前ともまあ、釣り合うんじゃねーの。よく話してんだろお前ら」
「別に仲は悪くないし、よく話すけど。マヨを中心に世界が回ってる男なんて嫌です」
「マヨ中心がダメなら俺もダメだろ。俺の世界は糖を中心に回ってる」

ここを起点に突き放しにかかろうと、わざと語気を強める。ところがはひるまなかった。 間髪入れずに振り向いて俺の袖をぎゅっと掴み、追い打ちをかけてきた。

「先生はいいの。先生は特別だから許してあげる」

肘から強く袖を引かれる。鍵盤から指が離れた。 ずれかかった眼鏡越しにじろりと見下ろしても、無言でひたむきに見つめてくる。袖を掴んだ手も離れなかった。

「・・・じゃあ、あれはどーよ。ほら、お前と一緒にピアノ科受けた奴。推薦滑った、D組のあれ。 お前らよく一緒にいるだろ?俺見たし。修学旅行のときだってよー、・・・・・」
「旅館の庭で、こっそりキスしてた。でしょ」

キス、ねえ。まあ、そうとも呼べないことはないが。
いい年こいた男の目からすれば、あんなもんをキスとは言わねーんだけどなあ。 暗い天井を見上げながら、修旅の夜に偶然見てしまった、大人と呼ばれる奴等にしてみれば誰の目にも青くさく懐かしい 、その光景を思い返す。
あれはおそらく、男の方は初チューだったんだろう。どう見ても野郎はテンパっていて、 唇を奪うというよりは、の唇にタックルをかました、と言った方が正しいがむしゃらさだった。

「あれはね。彼には悪いことしちゃったけど、試してみたんです。・・・本当は先生が良かったんだけど。 キスも知らない子供は、先生は相手にしてくれないのかと思って」

あんなこと、しなきゃよかった。沈んだ声でつぶやいて、重たげに伏せた目を曇らせる。 ひらきかけた唇を、手の甲で拭うようにきゅっと擦った。
そうか。こいつもあれが初チューか。そう思ったら、奇妙に疼いた。

「先生。どうして見てたの。あのとき。」
「どーしてって・・・誰でも見んじゃねーの、普通は。キスしてる奴等がいたらよー」
「ずっと見てたよね。最初から最後まで」
「・・・・あれは、・・・・・・・・・・・」

あーあーあー。やーめてくれって。つい気押されて口籠っちまったじゃねーかよ。
勘弁しろって。そういう切なそうな、熱い期待の籠った目で見るな。
そういう期待は担任教師にかけるもんじゃねーだろ。いや、俺にかけるくれーなら、せめてご飯にでもかけてやれって。 十代の瑞々しい感性とやらを武器に出来るお前に相応しい、多少の脂っこさはあってもまだかろうじて瑞々しい感性を保ってる、 同世代のヤローどもに向けてやれって、そーいう目は。
こっちはもうとっくに卒業してんだよ、おっさんには恥ずかしくってついてけねーんだよ。
ガラス細工のように繊細な、脆く輝く日々なんて。


「いや。あれはまあだから、あれだよ、お前がすっげーエロい顔してたから。 偶然よー、服部先生に借りたエロビデオの女優に似てたんだよなァ。なーんか目ェ離せなくって」
「だから自分もしたくなったの?」

ぐっ、と俺は呻いて息を呑んだ。

「あのさ。お前さあ。少しは教師のセクハラ発言に引いてくんね?」
「したじゃない、キス。あたしが風邪で熱出して、保健室で寝てたときに」

肩を竦めて背を向けた。 したね、しましたね。あー、そういやあ、したよなぁー。したした、したわ、そんなことも。
・・・・・・とは口が裂けても言えないが。まあ、事実には違いない。一瞬の気の迷いから出た結果ではあるが。
ないとは言わない。俺は、あの小生意気な唇に触れた覚えがある。

「しましたよね。・・・あたし。あのときは結構ぐっすり眠ってたから、顔はわからなかったけど。 あれ、先生だよね。煙草の匂いが同じだったもん」
「・・・何それ。何の話。言っとくけど、俺は知らねーよ。煙草なんて、他に隠れて吸ってたヤツがいたかもしんねーだろ」
「途中で目が覚めたの。見たんです。そーっと出ていく、シワシワの白衣着た背中。 あのね、先生。もっと言い訳される前に言っておくけど。あたしは先生の背中を見間違えたりしませんから」

ふーん、と俺は皮肉ったらしい面を作って、鼻先で笑って返した。
あーあーあー。わかってねーなあ、小娘ちゃんは。んなとこから大人を突き崩そうったって、無駄だっつーの。 迫られようが言い詰められようが、それでも嘘を嘘で通し抜くのが大人の態度ってもんなのによー。
まあ、そこを小娘に判ってくれとは思わないが。 ピアノばっか弾いてねーで、少しはそーいう勉強もしといたほうがいんじゃねーの。



「先生。どうしてキスしたの?」
「・・・・・・・・・どう、って」

・・・だーからー。大人には色々あんだよ、人には説明できねーなんやかんやが。 つーかよー。口で説明出来んなら、あんな真似するかっつーの。

「なに、そのしらばっくれた顔ぉ。開き直ったってだめです。ねえ。どうして?どうしてキスしたの」
「追い込まれるなァ・・・・なに、なにコレ。尋問?何の査察?査問会?教育委員会の回し者かよお前」
「ねえ先生。どうしてここから逃げないの。どうして明りを点けないの」
「・・・いや。だからよー。やーめろって。それが説明出来たら、俺はとっくにここから出て、・・・・・」
「ねえ、先生。あと何年後ですか。あたしはあと何年経ったら、女として見てもらえますか」
「はぁ!?いやだから、何年も何も」
「どんなに勉強が出来ても、かっこよくてもだめなんです。あたしより上手くピアノが弾けても、だめなの。  他の人じゃなくて、あたしは先生がいい。先生が好きなの」
「いやいやいや、待て、待ーてって。だーからよー。それ全部お前の都合だろォ。お前がどーだろーとよー、俺はぁ」
「これからもずーっとお砂糖を愛していいよ、先生。でも。これからはあたしを、先生の世界の中心にしてください」

駄目だ。やってらんねーわ、これは。
夢中になった女子高生のなりふり構わず体当たりな勢いを殺すのは、こいつらの熱しやすさにはほとほと慣れさせられた高校教師といえど、 手の焼ける面倒なミッションなんだが。ここはとにかく、主導権をこっちに取り戻さないことには話にもならない。 ごほん、ともったいぶった咳払いで話を遮り、俺はの肩にポンと手を置いた。

「あー。あのなー、。今から先生、真面目なこと言うから」

四年に一度見せるかどうかという、オリンピック並みにレアで真剣な表情を繕い、俺は目の前の小娘を宥めにかかろうとした。 ところがは、まるで他の何物も目に映っていないかのような顔で、じいっと俺を見つめてくる。
あーあーあー。嬉しそうなのが丸分かりな、素直なツラしやがって。 んだよそれ。キャラに合わねー真似しやがって。んなもん見せられたらどきっとすんじゃねーか。可愛いじゃねーかよコノヤロー。

「あのな。何年後なら、とか、そーゆーのねーから。一生無しだ。生徒は一生生徒だし、俺の世界は一生糖で回る。 お前の世界だってお前だけのもんだろ。これからお前が自分で作っていくもんなの。お前が自分で回すんだよ」
「もう回ってるよ」
「は?」
「あたしの世界はもう、回ってます。 ここに先生がいるから。あたしの世界の中心にはもうずっと前から先生がいて。先生で回ってる。」

間髪入れずに即答され、何か言いたげなあの目でうっとりと見つめられる。
口端をわずかに上げて嬉しげに微笑んだ唇には、俺を無様に陥落させるための殺し文句が待ち構えているはずだ。
ああ、聞きたくねえ。

「はぐらかさないで。先生が正直に言ってくれないと。あたし、どこにも行けない。立ち直れないよ」

気丈な凛とした声で言うと、はにっこり笑った。
よっぽど俺に本気を示してみせたいのか、制服のスカーフを解こうとして手を掛ける。 結び目の隙間に差し入れた指先がか弱く震えたのを、面倒なことに、抜け目のない俺の目は見逃さなかった。


何だよ、何だよコレ。いよいよむず痒いじゃねーかよ。
いたたまれなさにも痒みにも耐えきれなくなって、ボリボリと雑に後ろ頭や襟首を掻き毟る。
こっちをひたむきに見つめている「むず痒さの原因」は、焦らすようにゆっくりと結び目を緩めていく指先の 動きで、無言の脅しと挑発をかけてくる。 思いっきりガシガシと頭を掻きまくった後、俺は恨めしさを全身から漂わせてを睨んだ。

「・・・大人がみんな、わかりやすい答えをくれるなんて思うなよ」
「子供がみんな騙されやすいなんて、思わないでください」

瞬きもなしに俺を見つめているの目は、曇りなく透き通っている。逃げがなかった。怯むことを知らない目だ。 女子高生とは思い難い、大人びた決意を秘めて輝くその目に、あやうく吸いこまれそうになった。


そうだ。お前が勘付いてる通りだ。答えはしないが否定もしない。もう判ってんだ。どうせ避けられない。
ここに連れ込まれた時には、さすがに俺にも判ってた。嫌々ながらも自覚があった。 いや、判っていたのは、あの時からだ。あの保健室で、こいつの蕩けるような柔らかな寝顔に惹き込まれて、 つい年甲斐もない悪さに及んだあの時には。俺の運命はとっくに決まっていたのかもしれなかった。


こいつには、俺を一担任教師でいさせてくれる気なんてない。
こいつが求めているのはたったひとつの言葉だけ。どうせそれ以外は聞く耳持たねえんだ。

お前は俺に、白状させたいんだろう。
折角受かった名門の推薦を無駄にしてでも。三年間守り通した優等生の座を投げ出してでも。 震える指でスカーフを解いて、白く穢れのない制服を惜しげもなく脱ぎ捨てて。 すべてを曝け出して、まだ誰にも染められていないこの身体を張ってでも。俺に言わせてしまいたいんだろう。
待ってるんだろう。
『ずっとお前が好きだったんだ』と情けなく言い出して、我を忘れた俺が、重ねた唇に溺れていく。 その瞬間を、息を詰めて待ち望んでいるんだろう。

――ああ、これだからガキってえのは嫌なんだ。
ここで俺がどれだけ言葉を尽くして説明したって、恐さ知らずの女子高生には理解しがたいんだろうけどな。汚したくなかった綺麗なもんを、うっかり この手で汚しちまいそうになってるしんどさに躊躇う、小狡い大人の感傷なんて。
そうだよな。当然だ。そこそこにひねた目で世の中をなめくさって見ていた十年前の俺からしたって、今の俺の心境は理解不能なはず。 それをこの優等生育ちなお姫様に、何の言い訳も無しに判れと求めるほうが無理ってもんだ。 こいつに判るはずがない。俺が今どれだけ後悔しているのかも、自分が大人どもの目にはどれだけ眩しく見えるのかも、 今のには判りようがないだろう。どっちがどっちも、常時学年五位内の利発な頭を駆使して判ろうにも判らない、 未知の代物に違いない。そりゃあそうだ。そこにあるのは十年分の経験値の差。 こればっかりはどれだけ利口なガキだって手に入れようがない。

そーだよな。にしてみれば、どーやったって判るはずがねーんだよ。自分が俺にとって、どれだけ眩しくて冒しがたい存在なのかも。 ただでさえてめーの教師失格な倒錯っぷりに気が滅入ってたってのに、十も年下の生意気な小娘にトドメさされて、 もう後にも引けないないとこまで追い込まれちまったおっさんのやりきれなさも。 ガキどもよりも多少の苦い思いを知っちまってる「大人」って呼ばれる奴等が、知ってしまった苦さゆえに、 案外と情けねー、怖がりの臆病者になっちまうんだってことも。


「・・・・・わーった。もういい。もういーから、そーいうの。降参。降参すっから。認めるわ、先生が悪かった。だからもう無理すんな。な?」

スカーフの結び目を解きかけた細い指を、上から閉じ込めるかのようにぎゅっと握った。 硬く握り締めてから、そういえばこれはピアニストの卵の繊細な指だよな、と思い出す。 なのに、手はこいつを掴んだままで離れようとしない。

やれやれ。何をやりてーんだか、俺は。
いや、何をやりてーかって、そんなもんは自分に問うまでも無く、 とっくに自明のもとに晒されているわけだが。

よーするに。触りてーわけだよな。
いや、いやいやいや。それどころじゃねーな。
触りてーっつーか。もう、触りてーどころの騒ぎじゃねーよ。
どう考えたって、担任教師が生徒に思っていいことじゃねーんだ。
こいつの心も身体も全部、俺のものにしちまいたい、なんて。

あの赤くなった頬にキスして。
今も何か言いたげにぼんやりと開いている、あの桃色の唇にキスして。
抱き締めて首筋にキスして、制服を剥いで、身体中にキスして。 こいつの白雪みてーな肌に手で触れて、舌先で確かめて、たっぷり印を刻みつけて。 まだ誰も知らない、一人として踏み込んでいない熱いところまで、うんと深くまで圧し入って。 痛がられても埋め尽くして。泣かれても乱して。好きだの可愛いだの綺麗だのと、甘ったるい本音を恥ずかしげも無く、薄く色づいた 耳の中に降り注いで。俺の欲で奥まで濁して。 無茶苦茶にしてやりてーっつーか、―――――。



「・・・・・あーあァ。何やってんだかなあああぁ、俺はあぁぁ」

自分のことは棚に上げて、教育界の未来を嘆きたくなった。何が「教師は聖職」だ。 どっかの鬼畜系エロゲーとか満員電車にはびこる痴漢どもの腐った妄想とそう変わらねーよ、これじゃ。
眉を寄せた諦め顔で、溜息混じりに手を放す。すると、は不満そうに赤らめた頬を膨らませて睨んできた。
へえ。こいつでも、こんな子供っぽい顔すんの。手ぇ離されただけでこれかよ。 意外と甘えたがりっつーか。判りやすい拗ね方するなァ、オイ。
つーか・・・やべ。なーんか可愛いくね、この甘え顔。ストライクゾーンど真ん中だわ、この顔。

「もう、はぐらかさないで。」

担任教師の抑えがたくも後ろめたい欲情には、さっぱり気付いていないのか。抱きついてきたが、俺の白衣に顔を埋める。
背中に腕を回して、ここまで来たら逃がすもんかという勢いで胸を押しつけ、必死に縋って抱きついてきた。

その必死さを見るに見兼ねて。
いや、正直言えば、肌の奥から刺激してくるむず痒さとやましい疼きに耐えきれなくなり、俺は外した眼鏡をピアノの鍵盤に置いた。 指がぶつかった白鍵から、ポーン、と大きめな、澄んだ音の不協和音が教室中にうねって響き渡る。 音のデカさをまずいなとは思いながらも、構うことなくそのまま腕を伸ばした。 奪うようにして両手に包んで引き寄せた顔を、じっと見つめる。膨らみきった思いを隠せずに、 大人気も無くふてくされた表情でじっと見つめる。見つめたの瞳は、熱い水面のように揺れていた。 見つめる俺の変化に胸を躍らせて、期待を向けているはずなのに、どこか不安げな表情をしている。

「先生。」
「ん」
「先生。・・・・・・あたしのこと。好き?」
「・・・それさあ。どーしても今言わなきゃダメか」
「だって。・・・・・・・・」
「いや。普通さあ。教師がこーんな危ねー場所で、嫌いな女にこんなんしねーだろ」
「でも。・・・・・・・学校の先生でも。危ない場所でも。どうでもいい女になら出来るんでしょ。男の人は」
「あー。出来るね。さっさと手ぇ出してやり逃げるね、俺なら」
「・・・・・・・・・・・・・」
「あれっ。んだよ。何を真に受けちゃってんの。何で泣きそーになってんの。へーえ。案外な。案外可愛いのな、お前」
「・・・・・馬鹿にしないでよ。・・・・もうっ。どうせ子供だよ・・・!」

判ってねーなぁ。今のはそーいう意味の「可愛い」じゃねーんだって。
笑いながら顔を寄せて、無言で唇を重ねた。 頭の後ろに手を回して、ずっと触れてみたかった綺麗な黒髪の感触を、思う存分掌に味わせて。指の隙間に通して、鷲掴みにした。逃げられることのないように抑えてから、 息も吐けないほどに深く塞いでやった。こいつのしっとりした柔らかさにのめり込むように、埋もれるように、深く。 歯列から割り込んで熱い中に舌を這わせていくと、が初めてためらいを見せた。触れた舌先がびくりと震える。

怖いもの知らずなお姫様はやっと我に返ったらしい。 ここで一気に畳みかけるべく、俺はわざとを追い回した。 これ以上には行為が進まないように、こいつに脅しをかけて怯えさせておけば、 性急に欲しがっている自分にも歯止めを掛けられるはずだ。 ふぁ、ん、と苦しげな淡い吐息を漏らしながら喘ぐ口内を追い詰めて、怯えて逃げるを捉まえた。 女子高生が怖がりそうな、いかにも身勝手な荒い動きに切り替えて、舌を強引に絡め取る。 ところが、びくん、と微かに背筋を震わせたお姫様は何を思ったのか、急にその仕草を豹変させた。
背中に回した腕が俺の白衣を鷲掴みにした。濡れたたちいさな舌先が俺を捉えた。 ぎこちないの動きが甘ったるく不慣れに、それでも、大胆に俺を誘おうとしてくる。 精一杯の拙い乱れぶりで、吐息を震わせながらいじらしく絡みついてくる。

――わっかんねーなぁ、ったく。
何を考えてやがるんだか。どこまで俺を煽る気でいるのか、こいつときたら。

火照りきった頭を制御出来ない歯痒さに揉まれながら、自棄気味に嘆いた。 深く繋がれた口の奥で呼吸を荒げて、緩みかけていたスカーフの結び目をぐいっと引き解いた。それでもは拒まなかった。 右の掌に収めてそっと包んだ制服越しの柔らかさのせいで、薬にでも操られているようなやりきれない痺れが身体に巡ってくる。


ああ。これだからガキは困る。頼むから子供らしく、このくれーで騙されてくれよ。
可愛すぎて止められなくなっちまうだろーが、畜生。







子供は判ってくれない
* L'enfant ne le comprend pas *



text by riliri Caramelization 2010/01/30/ → re;2010/09/23/

10万打御礼配布夢(配布終了) お持ち帰りして下さった方 すみません
半年放置で見直したら一部辛かったんで 恥の上塗りついでに書き足しました;;;
  つくづく痛い3Zが好き 痛いせんせもだいすきです