いつも思うの。夢中になって考えるの。
銀ちゃんも、あたしのことばっか考えるようになればいいのにって。
わざと耳に唇を掠めさせながら、小さな声でささやいた。
あたしを背負った銀ちゃんの肩が、少しだけ揺れる。声を出さずに笑っていた。
「てことはよー。はいつもそーやって、俺のことばっか考えてるってこと?」
振り向いた銀ちゃんの、いつも気抜けしている顔がだらしなく笑う。
銀ちゃんのこんな笑顔が好き。
少し迷惑そうに寄せられた眉に、本音がちらっと見え隠れしている。曖昧な笑顔。
酔ったふりで呼び出して「歩けない」と言い張る女を、持て余しても切り捨てられない。
駄目なあたしを振りきれない、優しいひとの笑顔。
銀ちゃんの表情は、いつでも少しだけ嘘つきで。
いつでも誰にでも大っぴらにすべてを見せているようで、実はたいして見せていない。
銀ちゃんがいつも身体のどこかに、大事にしまっている何か。今までに目にしてきた何かに憶えた感情とか、
人とのつながりを巡る記憶とか、誰にも話す気の無い大事な思い出とか。
銀ちゃんの顔は、そんなものをたくさん身体の奥に抱え込んでいるひとの顔。抱えたすべてを手離せずにいるひとの顔。
誰にも見せないように抱え込んでいる、銀ちゃんの奥のほうから漏れてきた、感情のかけら。
そのかけらが、たまに銀ちゃんのほんのちょっとした表情の隙間から、緩んで崩れて、こぼれ落ちてくる。
その瞬間の笑顔の曖昧さが好き。たまにしか見れないこの顔を偶然目に出来たときは、あたしはいつもほっとする。
この顔を見ると、何度酔っ払って呼び出して迷惑をかけても、そんなに嫌われてはいないのかなって思う。ほっと出来る。
あたしを安心させてくれる表情だ。
「そうだよ。あたしは銀ちゃんのことばっかり考えてるよ。悪い?」
言い返したら、なんだか微妙な空気が流れて。あっそ、と気のない相槌で顔を逸らされた。
「ねえ、銀ちゃん。ねえ、それだけ?何よ、あっそ、って。もっと他にないの。他に言うことないの。
今、何思ってるの。それよりも、あたしのことどう思ってるの。てゆうか聞いてる?あたしの話、聞いてるの?」
首筋にぎゅっと抱きついて、背中にぴったり身体をくっつけた。どんどん、と草履の先で乱暴に蹴りを入れる。
「痛てっ。ばーか、痛ってーよ。やーめろって」
すぐに文句が返ってきた。ほんとに痛がっているのかどうかも怪しい、だるそうな声だった。
「あのよー。知ったよーなこと言うけどな。こーいうんじゃねーんだよ。
破れかぶれっつーか、いちかばちか、乗るか反るかの一発勝負、みてえんじゃねえんだよ。
違うだろ?惚れた男に大事にされるってーのは。」
違うんだよ。
そう言って、銀ちゃんは少しだけ神妙そうな表情になって。
街を照らすネオンの光でぼんやりと赤く曇った、真上に広がる夜空を見上げた。
違うんだよ。
お前が欲しがってるのはよー。違うだろ。
こーいうその場の勢いから始まっていいことじゃねーんだよ。
違うんだよ、誰かと一緒になるってーのはさあ。
毎日一緒にいりゃあどんな奴にだって飽きるだろ。
最初は刺激になってもすぐに退屈になるし、顔も見たくねえ日もあんだろ。
いちいちめんどくさくって、いちいちカッコ悪くってよー。恥ずかしくって痛てえ思いの連続なの。
けどまあ。惚れたやつと二人で、痛てえ想いとか、恥ずかしい想いとか分け合って。
ケンカしながらちょっとずつ乗り越えていけるってのはよー。
なんつーか。・・・幸せなんじゃねーの。
いいんじゃねーの。羨ましいと思うけどねえ、俺は。
遠い誰かの姿を思い出しながら喋っているような横顔を、後ろから眺めて。
あたしは、ふん、と鼻先で笑い飛ばした。わかってないね、と自分を背負った男の脚をドカドカ蹴った。
モジャモジャ白髪を鷲掴みにしながら、銀ちゃんの背中から無理やりに飛び降りた。
背中から胸へ腕を回す。思い切り身体を押しつけて、見た目以上にがっしりと引き締まった背中に抱きついた。
「銀ちゃぁあん。ね。ぎゅーして」
「・・・やーめろって。」
「やーだぁ。やーですー。ぎゅーしてくれないとやめませんー。銀ちゃん、つーかまぇたぁ」
「・・・少しは聞けや人の話を」
顔が見えないからわからない。
銀ちゃんは困っているんだろうか、それとも呆れているんだろうか。
抱きつかれても黙っている銀ちゃんと、抱きついたあたしの周りには、また微妙に張りつめた空気が流れ出した。
胸に伸ばした指先で、呼びかけるように線を描いて撫でてみる。
それでも銀ちゃんの身体は動かない。けれど、嫌がられている気配はなさそうだった。
そっか。今までずっと、好き好き、って、口でばかり煩く訴えてきたけれど。
このほうが銀ちゃんには効くのかも。こうやって身体に訴えてあげたほうがいいのかもしれない。
それに。こうしていられるのは、あたしもすごく気持ちがいい。
「ね。銀ちゃん。」
「んー」
「あたしはね。そういう銀ちゃんが好きなの。
お持ち帰りOKの、据え膳状態で抱きつかれても、そういうもっともらしいこと言って断っちゃう。
自分が振った女でも大事にしてくれる。銀ちゃんがそういうひとだって知ってるし、そういうところが好きなの。
そういうひとだってわかってるの。わかってるから、だから、・・・・・・・・・・・」
言いながら、ちょっと違うかも、と気付く。
銀ちゃんの着物に縋る自分の手と、着物に出来た皺を見つめながら。あたしはぱちりと大きく目を瞬かせた。
彼女でもないあたしを迎えに来てくれるのは、何だかんだ言っても結局は銀ちゃんが優しいひとだから。
あたしが銀ちゃんを好きなのは、そんな優しさにすっかり参ってしまったから。
なのに、そんな銀ちゃんを思うあたしの中には、ぐちゃぐちゃして不純な、優しさには程遠い矛盾がいっぱい埋まってる。
優しい銀ちゃんだけじゃない。いつもと違う顔をしている銀ちゃんも知りたい。
優しい顔だけを見せてもらうのは嫌。銀ちゃんのもっと近くに行きたい。
他の顔だってもっと知りたい。
さっきの銀ちゃんが言ったような。カッコ悪くて痛くて恥ずかしいことを、このひととしたい。
他のひととじゃする気になれないような、すごく面倒くさいことをしてみたい。
楽しいだけの恋じゃなくていい。痛い思いがしたい。このひとにも、痛い思いをしてほしい。
傷だらけになって立ち上がれなくなるような恋でもいい。それでもいい。
優しい銀ちゃんも、怖い銀ちゃんも、冷たい銀ちゃんも。最高な銀ちゃんも、最低な銀ちゃんも。
全部。全部知りたいから。
「・・・わっかんねえ奴だなァ。」
ずっと黙っていた銀ちゃんが、舌打ち混じりにそう言った。どうでもよさげな、突き放すような声だった。
胸に触れていたあたしの片手を握って「やーめろって」と、真上に勢い良く引く。
吊り上げられた片手を空へ向けてバンザイさせられて、あたしは銀ちゃんの目の前へよたよたっと、前のめりになって辿り着いた。
見上げた顔は、今までにあたしが見たことのない含み笑いを浮かべている。
目の奥に見慣れない冷たさがある。いつものようにだらしなく笑う口端には、いつもとは違う圧し迫ってくる気配があった。
もしかしたら、しつこいあたしに少し怒っているのかもしれない。
そう思ったら嬉しくて、背筋がぞくりとするほど怖くて。
冷えた視線に射竦められた身体が内臓ごとバクバクと波打って、奥から疼いている気がした。
握られた手のひらを、長い指が爪先で圧してくる。肌に食い込むくらいに強く握って、無言の脅しを掛けてきた。
「俺さあ。酔った勢いで抱いた女なんて大事にしねえぞ。お前、それでもいいの」
「いいよ。あたしね、大事にしてもらう自信はあるの」
自分でもよく笑って言えるなあと思う。
こんなの真っ赤な嘘だ。自信なんて、本当はどこにもない。
こうして逃げ場なく詰め寄られただけで怖い。
膝ががくがく震えて、逃げ出してしまいたくなるくらいに、目の前で笑う男が怖かった。
それでも逃げたくない。このひとが欲しいから。このひとをもっと知りたいから。
そう言い聞かせて、自分で自分に暗示をかけて。行け行け、行っちゃえ、って、自分を励ますしかないじゃない。
勢いと身体の繋がりだけで終る、つまらなくて浅はかな恋かもしれない。
何度抱いてもらったって、ちっとも好きにはなってもらえないかもしれない。
だけど、それでもいいの。それでもあたしは、あなたを知りたい。
その見慣れない、無言で追いつめてくる表情の先にある場所が、天国なのか地獄なのかはわからなくても。
天国より地獄
text by riliri Caramelization 2009/12/29/ → *re; 2010/05/21
過去clap。ちょっと書き足しました