――待ってなにこれ、わかんない。どーしてこんなことになってるの。
じりじりじりじり後ずさりながらこうなった原因を考えてみるけど、焦りと疑問がぐるぐる渦巻いて混乱しきってる頭の中には答えなんて浮かばなかった。
自分を混乱に陥れてるその人の顔はあっというまに接近してくるっていうのに、いまいち状況を理解できない。
ていうか目の前で起こってることが信じられない。
――ハロウィンイベントで大勢の人が詰めかけた屋外ステージと鬱蒼とした樹林の間にあって、人がほとんど寄りつかないプレハブ倉庫の裏手側。
日当たりが悪い場所だからか、背中を預けてる倉庫の壁はすごく冷たい。
ゆっくり距離を詰めてくる男の子を見上げて呆然としてるうちに、変な寒気が這い上がってくる。
なのにマントの薄い生地で覆われた背中には汗がじわじわ滲み始めてて、視線を逸らさずに迫ってくる綺麗な顔をたじたじで見上げる。
左右はとっくに白いボアコートを羽織った腕で塞がれて、どこにも逃げ道がみつからなくて――
「〜〜〜ぉ、おおぉおおぉお沖田、さん・・・・・・?」
「はは、一体どうしちまったんです。えらくキョドってんじゃねーですかさん」
「こっ、こんなことされたら誰だってキョドるんじゃないですか。な、ななな、なんですか、なんなんですかこれっ」
「何って、聞いてなかったんですかィ。言ったじゃねーですか、トリックオアトリートって」
いやいやいやいやいやいやいやいやいや、違う違う違う違う違う。
精一杯の否定を目で訴えながら、帽子を素早く取り上げられたせいで髪が乱れてぼさぼさな頭をぶんぶんぶんぶん振りまくる。
とはいってもこの否定は、トリックオアトリートを言ったかどうかへの反応じゃない。
訳が判らない行動に出た沖田さんに対する、純然たるツッコミだ。
この異常な状況をまるごと無視して話を進めようとしてる人への、「違う違う違うそっちじゃないから!それ以前に一目瞭然な問題があるから!」っていう、全身全霊を賭ける勢いのツッコミ、なんだけど――
「違いますっそーいうあれじゃなくてっ、〜〜ど、どうしてこんなこと」
「こんなこと、ねェ。何です、こんなことってぇのは」
はぐらかすようなことを言いながら挑発的な笑みを浮かべた人が、じわりと間を詰めてくる。
倉庫の壁に密着させた身体をさらに退いてめいっぱい縮めて、首もうんと竦めてみる。
それでもどうにか確保できたのは、ちょっと身じろぎしただけで肩や腕がぶつかっちゃうような満員電車並みに狭苦しいスペースだけだった。
・・・・・・なにこれ。なにこの圧迫感。なにこのありえない状況。
目の前で小首を傾げて笑う男の子は銀ちゃんよりもうんと細身で、あたしの両脇に何気なく突いたしなやかそうな腕だって、あまり力が籠ってなさそうなかんじだ。
なのにどうしてだろう、ぜんぜんこの人から逃げられる気がしない。
だって、沖田さんの目がそう言ってる。
たまにぱちりと長い睫毛を震わせて瞬きしてる飴色の瞳が、視線で語りかけてくるんだもん。
逃げられるもんなら逃げてみやがれ、って嘲笑ってるみたいに見えるんだもん・・・!
「で、さっき言った「取り引き」はどうします。そうですねェ、菓子くれたらプラス10点でどうです。
それともサービスして20点にしときやしょーか」
「・・・・・・」
「どうしたんです、顔が固まっちまってますぜさん。
俺ぁあんたが審査員席に回ってきた時に言いましたよねぇ、全部あんた次第だって。それとももう忘れちまったんですかィ」
・・・なにそれ。ほんとにこの人ってわかんない。
四方を塞がれて絶体絶命、すっかり弱気になりかけてたのに、わざとらしい口調にかちんときたあたしは思わず沖田さんを睨みつけそうになった。
だけど寸前で思い直して、うつむいて軽く呼吸してから目の前の人をまっすぐ見上げる。
白いフードと淡い栗色の髪の影からこっちを眺めてる男の子はじっと目を見つめてきて、表情からあたしの反応を読み取ろうとしてる。
でも本当は、こんなふうにあたしの様子を窺う必要はないはずだ。
沖田さんはもちろん知ってる。コンテストの最中に言われたことを、あたしが忘れるはずなんてないって。
「ところでほんとに一人で来たんですかィ。
こりゃあ意外だ、てっきりあんたは旦那に泣きつくと思ってましたぜ。旦那には話してねーんですかィ」
「話してません。銀ちゃんには内緒にしろって、沖田さん言ったじゃないですか」
「そーでしたかねぇ、覚えてねーや」
「・・・。沖田さんは、人をからかうのがお好きなんですね」
「あぁ、嫌いじゃねーですぜ。まぁ相手にもよりますけどねェ」
「じゃあ今のお話も審査員席でのあれも、冗談のつもりでふざけて仰ったんでしょうか。でも、わたしには・・・、」
(とても警察の方の発言とは思えませんでした。)
・・・ってだめだ、だめだめだめ。仮にもお得意先の人だもん、言っていいことと悪いことがあるよ。
つい漏らしそうになった厭味を口の奥で噛みしめて、目の前で微笑む綺麗な顔を気まずい気分で見つめ返す。
こんなことしても平然と笑ってるような図太い神経の男の子には何の効き目もなさそうだけど、これは沖田さんへのせめてもの抗議っていうか、ほんのちょっとした抵抗だ。
勝手に話を進められてひたすら慌てさせられてばかりで、こっちは何の主張もできないまま振り回されて終わり…、なんてことになるのは、いくら相手のほうが立場が上で逆らえないとはいえ理不尽だと思うし。
ほんのちょっとだけでもいいから、自分の意思を態度で示しておきたいんだよね。
ここには言われたとおりに来ましたけど、あたしは何もあなたの脅しに屈したわけじゃないんです――って。
――そう、脅し。相手に弱みを握られて、脅されてる。そういう状況なんだから、今のあたしは沖田さんに脅迫されてるって言っていいと思う。
だけどこんな物騒な言葉を使ったら、この意地悪な人は笑って首を振りそうだ。
まさか、そんなつもりはありやせんぜ。とんでもない誤解でさァ。
屯所で呼び止められて挨拶する時と同じような淡々としていて掴みどころのない態度で、そんなふうに否定しそう。
だけど仕事上のお付き合いもあってこの人に逆らえないあたしには、あれは脅されたとしか捉えられなかったし、沖田さんにあたしを脅すつもりが少しもなかったとは思えない。
そんな脅迫まがいの話を持ちかけられたのは、仮装コンテストの本番中。
ステージ上では神楽ちゃんとたまさんがこの日のために覚えた流行りの曲を歌い踊ってて、その後ろでは銀ちゃんたちがこの日のために練習したジャグリングを披露してた時だ。
陸奥さんとあたしは審査員さんたちにお菓子を配って回る係で、舞台袖からも見えた会場右側の審査員席には陸奥さんが、あたしは舞台からは死角になってて見えなかった左側の席を回ることに。
同じ半被で揃えた町内会のおじさん達が居並ぶ右側席とは対照的に、そこに並ぶ顔ぶれは見た目も立場もてんでばらばら、やたらと個性豊かで騒々しい審査員席で。
――ええと、手前からメンバーをご紹介すると――
「――なぁ姉ちゃん、あんた万事屋の女なんか。よう二人で歩いとるやろ」
なんて興味深そうに言いながらずいっと身を乗り出してきたのは、コンテストのスポンサーでもある泥水一家代表ってことなのか、ハロウィンらしく黒の羽根つきお洋服を着た愛犬メルちゃんを膝に抱えた黒駒の勝男さん。
「あーらちゃん、似合うじゃないその格好。ほらほらこっち向いてちょうだい、あんたのお父ちゃんに送ってあげるわ」
なんて言いながら携帯電話でパシャパシャと写真を撮りまくってたのは、実はうちのお父さんの飲み友達だったりするかまっ娘倶楽部の西郷さん。
ちなみに衣装はお店のお姉さんたちとお揃い。紫色のアザや傷口や流血までペイントした、本物のゾンビも迫力負けして逃げ出しそうなゾンビナース姿だ。
「・・・お世話になってる人に「審査員席に華を添えてほしい」って頼まれてしまって・・・私じゃ華にならないのは解ってるけど断れなかったんだ・・・」
恥ずかしそうに肩を竦めてもじもじしながら審査員に選出された理由を語ってくれたのは、林檎入りのバスケットを持って頭には赤いリボンを巻いて白雪姫風のワンピースを身に着けた刀鍛冶の鉄子さん。
「え?露出が多すぎて落ち着かない?そりゃあそうよねぇ、ちゃん短い着物だって着ないもんね。でもこんなに肌見せられるのって若いうちだけだしひらひらしてて可愛いわよ、銀さんも喜んでたでしょ」
含み笑いでにやにやしつつも魔女っ娘コスプレを誉めてくれたのは、銀ちゃん行きつけのラーメン屋さんの店主さんで、青いチャイナドレスのスリットから引き締まった美脚を披露してた幾松さん。
本当は面倒だから出たくなかったけど、特別賞のひとつ「錦屋賞」の高級反物セットと「参加賞」北斗心軒ラーメン5杯無料券を提供してるから仕方なく参加してるんだそうだ。
それからなんと、万事屋のご近所に住んでるお花屋さんの屁怒絽さんまでにこやかに鎮座されていた。
ご本人から聞いた話によると、商店会の役員さんにスポンサーと審査員の両方を頼まれたみたい。
(後でその話を銀ちゃんに説明したら「はぁ?屁怒絽にスポンサ−依頼!?マジかよ誰だよその役員、ハゲ散らかったジジイの中にとんでもねー勇者混ざってんじゃん」なんてとんでもなく失礼なことをほざいてた)
仮装なんて一切してないのに審査員の誰より目立ってる強面のお花屋さんをチラ見しつつ顔を引きつらせて煙草を吸っていたのは、どういう経緯で審査員を引き受けたのかがまったく謎な真選組の副長さん。
――そして、審査員席最後尾の机に頬杖をついて、退屈そうにあくびばかり繰り返してた沖田さん。
この人の前に立つと無条件で引きつり始めるほっぺたの動きをこらえながら、あたしは固い手つきでおそるおそる、それでも何とかジャック・オ・ランタンの形に作ったクッキーの袋を差し出した。
そしたら大通りで会ったときと同じようにマントのリボンに指を掛けられて、くい、って前へ引っ張られて。
何を考えてるのかわからないあの笑顔が上目遣いに覗き込んできて、隣の副長さんにも聞こえないくらいに小さな声がこそっと耳打ちしてきた。
「さん、俺と取り引きしやせんか。あんた次第で点数上乗せしてやってもいーですぜ」
「審査会議の前に休憩があるんで、そん時に裏の倉庫んとこで。ああそうそう、旦那には内緒で来てくだせェ。
バラしちまったり時間までに来なかった時は0点にするんで」
――なんて言われちゃったら、立場の弱いあたしには言われたとおりにここへ来る以外の選択肢がない。
ステージ上で頑張ってくれているみんなも、反対側の審査員席を回ってくれている陸奥さんも、あたしが欲しがってる優勝賞品のために協力してくれてるんだもん。
なのにあたしのせいで0点にされて、みんなの頑張りが無駄になるなんて・・・そんなことになったら申し訳なくて、どう謝ったらいいのかもわからないよ――
「――・・・さん。おーい、どこ見てるんでェ。つーかいつまで黙りこくってる気です、さん」
「・・・っ!」
焦点の合わないぼんやりした視線を落としていた先に、ふっ、と白っぽい何かが割り込んでくる。
そう感じた時には、蝶々結びを作ったマントのリボンに男の子の指が絡みついてた。
はっとして顔を上げてみれば、澄ました笑顔の沖田さんがこっちをじいっと眺めてる。
あたし、どのくらいの間考え込んでたんだろう。
コンテスト中のやりとりを思い出すうちに、周りの音が耳に入らなくなってたみたいだ。
審査会議が終わるまでの休憩時間に入った屋外ステージではBGMが流れてて、さっきまで聞こえてた数年前のヒット曲はいつのまにか子供に人気のアニメの歌に変わってた。
「で、どうなんでェ。くれねーんですかィ菓子は」
「ぉ、お菓子ならあげたじゃないですか。沖田さんにも配りましたよね、あたしたちの出番の間に!」
「あぁ、あんたが審査員に配って回ったあれのことですかィ。あれぁもう食っちまったんでもう一個くだせェ」
「えっ。あれは・・・もう、残ってなくて」
「なんでェ、もうおしまいですかィ。旨かったからもう一個食いたかったのに」
「・・・っ」
淡い薄紫色になってるマントの衿の裏側を指先でつうっとなぞってる人を、眉を八の字に下げた情けない目つきで睨みつける。
・・・この人って何があっても表情変わらないなぁって思ってたけど、表情に出ないだけあって嘘をつくのも上手いみたいだ。
よくまぁこんなにすらすらと、澄ました顔で言えるよね。もう一個くれ、だなんて、そんなの無理難題だって知ってるくせに。
あのクッキーをひとつ残らず配ってしまったことは、沖田さんだって見てたはずだ。
審査員席の端に座ってたこの人に配ったあれが最後の一袋で、沖田さんの前に立った時にはあたしが腕に提げてたバスケットはすっかり空になってたんだから。
「残ってねぇならしょーがねーか。いいですぜ、そんなら代わりに他のもん食わせてもらうんで」
「は?」
「そーですねェ。例えば――あんたがいつも旦那にやらせてることを、俺にもやらせてくれたら30点アップ。ってことでどうです」
マントの衿元から上ってきた沖田さんの手が、ふにっ。
何の遠慮もためらいもなさそうな仕草で、半開きになってたあたしの下唇を指先で押した。
ほんのちょっと目線を落としただけで視界に入ってくる、男の人の手。
その手が銀ちゃん以外の人の手だってことに少しの怯えとものすごい違和感を感じながら、薄笑いで目を合わせてくる沖田さんをまじまじと見上げた。
「他のもの・・・?」
なんなのそれ、何の謎解き?
意味わかんないよ、どうしろっていうの。何か他のお菓子を食べさせろってこと?
クッキーが無いなら他のもんさっさと用意しろや、ってこと?
糖分が切れたら死ぬ、とまで豪語してる超甘党の銀ちゃんが欠かさず携帯してるお気に入りのお菓子、昔懐かしいアポロチョコでも奪って持ってくればいいの?
・・・いやでもそれ以前に、沖田さんの行動が謎なんだけど。どうしてあたし、つんつんされちゃってるんだろう。
まるで唇の柔らかさでも楽しんでるみたいに、たまに親指で撫でたりしながら、人差し指の先でふにふにふにふにふに、って・・・・・・
「あ。あのぅ・・・」
「何です、さん」
「やめてください」
「はぁ。何をです」
「だ、だからこれっ。手です、この手っ」
真下に見える真っ白な手首を、遠慮がちに両手で掴む。
あまり強く引っ張らないように注意しながら、やんわりと自分から引き離した。
だってこんなふうに触られてたら、いくらあたしがモテない手のひらサイズ女でも誤解しそうになっちゃうし。
なんだか変な気分になるし。
まぁ、女の子なんて選び放題なこのイケメンさんがあたし相手にそんな気になるはずないから、これもどうせふざけてやってるだけなんだろうけど。
「へぇ、いいんですかィ断っちまって。万事屋チームに付ける俺の採点は自動的に0点になりやすけど」
「・・・、は?ことわ・・・???」
「ちなみに満点は100点でさァ。ここであんたが断れば、旦那たちがどれだけ不利になるか・・・わかりやすよねェ、さん」
いやいやいやいや、解りませんけど。心の底から理解できませんけど。
断ったって何を?あたしがいつ、何を断ったっていうんですか?何をどうしたらそういう解釈になっちゃうんだか、これっぽっちも解りませんけど。
「はぁ?」って拍子抜けした声を漏らしてまじまじと見つめ返してみれば、意地の悪い男の子の表情は満足そうに瞳を細めた。
一度は大人しく離れてくれた白い指がもう一度、さっきも弄ってた首元のリボンにするりと絡みついてくる。
・・・うーん、どうしよう。話がまったく見えないよ。
沖田さんの発言がどれもこれも謎すぎて意思の疎通が図れないっていうか、話が通じる気がしない。
それどころかこの人と話せば話すほど袋小路に追い詰められていくようなかんじがしちゃうのは、あたしの気のせいなんだろうか。
こんなことなら一人で来るんじゃなかったよ。銀ちゃんに話して一緒に来てもらえばよかった。
行けばどうにかなるかなぁって思って、誰にも言わずにここまで来ちゃったけど・・・甘く考えすぎてたみたい。
いくら年下の男の子っていっても、この人はあたし一人で太刀打ちできる相手じゃなさそうだ。
ここはひとまず逃げ出して、助けを呼びに行ったほうがいいかも。ああ、でも、どうやって?
どこからどうやって沖田さんの包囲を潜り抜けたらいいんだろう――
――なんて考えて焦った目つきできょろきょろきょろ、縋るような気分で突破口を探して左右をしきりに見回してたら、
――ぱさあぁぁっ。
何かと何かが擦れ合ったような、乾いた音が鳴り響いた。
すごく軽い音だ。
イベントに集まってきた人たちの声やステージで流してるBGMは倉庫の向こうからかすかに漂ってきてるんだけど、そのざわめきに埋もれちゃうくらいに、軽くて小さな――
今のって、何の音だろう。
沖田さんの肩の向こうに見える背の高い木陰や、屋外ステージの裏に繋がる通路のほうにも顔を向ける。
するとなぜか全身がすーーーっと肌寒さに包まれていって、
「・・・・・・・・・・・・ん?・・・あれっ、」
違う、肌寒い、なんて程度の寒さじゃない。すっっっごく寒い。いきなり真冬が来たみたい。
まだ10月末なのに、まさか雪でも降ってきたの?背筋から上ってきた悪寒にぶるっと震えて、咄嗟に真上を見上げてみる。
だけど朝から鮮やかに輝いてた秋晴れの空に、季節外れな白い雪の粒が躍ってるわけがない。
だから疑問で頭を一杯にしながら、今度は真下――つまり、自分の身体を見下ろしたんだけど――
「〜〜〜〜っ!!?」
見下ろしてみたらぎょっとした。ていうか、頭の中がブリザードが荒れ狂う極寒の地みたいな真っ白になった。
マントが――マントがない。なぜか地面に落っこちちゃってる。首から下をすっぽり覆ってた、魔女っ娘衣装の膝丈マントが。
表が黒で裏は薄紫の大きな布はなぜか地面に滑り落ちちゃって、足許に扇状に広がってた。
〜〜〜う、うぅうううううぅぅうそっ、てことは――
はっとして自分の身体に視線を戻したあたしは、即座に目を覆ってしまった。
予想どおりに露出多すぎなビスチェ型ワンピは丸見えで、肩も背中も、腕も脚も
――隠したいところが多すぎて途方に暮れそうになるくらいに露わになってる。
だけど少女漫画における伝統の必殺伎「壁ドン」まがいなこの状態じゃ、屈んでマントを拾うことすら不可能で・・・・・・、
・・・ん?マント・・・? ・・・・・・待って、ちょっと待って。
マントはどうして落っこちたの。
首のリボンはしっかり蝶々結びになってた。沖田さんが弄ってるところをこの目で見たから間違いないよ。
てことはあの後で解けたか、もしくは誰かに解か・・・・・・・・・・・・!?
ぞわぞわーーーっと一気に這い上がってきた肌寒さ以外の何かで全身が震え上がって、思わず自分を抱きしめる。
身体中の肌を粟立ててぶるぶるぶるぶる震えながら、動揺してるのが丸判りながちがちに強張った顔で沖田さんを見上げた。
ところがあたしをここまで追い詰めた人ときたら楽しそうにくすりと、吐息めいた柔らかい声で笑って――
「どうして隠すんでェ。その格好、似合ってんのに」
「っっ!?」
ぐ、って右の手首を掴まれて、そのまま引っ張り上げられる。抵抗する間もなく上げさせられた腕を、頭の横に縫い止められた。
日の当たらない場所に建ってる倉庫の冷気が、壁に押しつけられた手の甲から伝わってくる。
氷みたいなその冷たさのせいでびくんと反射的に腕が跳ね上がったら、力を強めた男の子の手に強く握り直された。
銀ちゃんよりも薄くてひんやりしてる手のひらと、銀ちゃんと同じくらい硬くてごつごつした指。
知らない感触に拘束されてる自分の腕を、あっけにとられて見つめて――それから数秒経ってから、あたしは「ぎゃーーー!!!」って叫びそうになった。
なぜって、数秒遅れで思い出したから。
捕まえられた右腕に反対の左腕、丸出しになってる肩、ブラをつけてないせいで上から覗けばしっかり確認できてしまう胸の膨らみの輪郭。
沖田さんの前で、よりによってこんな満員電車並みな近さで、こんなにあられもなく肌を晒してる自分を!
「〜〜っっぅうぅううううぅぅうそっやだっっっゃややはは放し放してっ」
「そっちの腕も退けちまっていーですかィ」
「はぁ!?どっ、どけるって、なんで、」
「何でって、そらぁもっとよく見てーからにきまってらぁ」
「・・・・・・、は?」
は?・・・・・・見たい?
軽く首を傾げて視線の高さを合わせてきた男の子が、ぽかんとしてしまったあたしに微笑む。
沖田さんはあたしの返事を待ってるみたい。
瞬きひとつしない透き通った瞳にじいっと覗き込まれたら、コンテストが始まる前、通りで会ったときと同じようにあたしは目が逸らせなくなってしまった。
前を塞いだ細身な身体がゆっくり屈む。血飛沫がペイントされたダメージTシャツの胸元を、ざわ、って肌に擦りつけられる。
もこもこしたボアコートの袖も上げられた二の腕にざわりと擦れて、間近で響いた衣擦れの音に胸の中までざわついてきた。
「はは、見た目よりもずっと抜けてんなぁ、あんた。俺のこたぁやたらと警戒してるくせに、近づいてみりゃあ案外と無防備だし」
「へ?ぬ、ぬけ??〜〜って、そうじゃなくてちょっ、沖田さん手っ、手はなしてくださ――っ!?」
高く上げられちゃった腕をどうにかしたくて身体を捩ったら、今度は左肩を壁にぐいっと押しつけられる。
自分が何をされてるのかも信じられなくて沖田さんを見上げて唖然としてたら、お人形みたいに綺麗な顔が大きな瞳を光らせる。
楽しい遊びを思いついた瞬間の小さな男の子みたいな、無邪気そうな笑顔を覗かせた。
「そういやぁ、通りで会ったときのこたぁ旦那に叱られなかったんですかィ。
他の野郎にあそこまで迫らせといて、しかも面ぁ付き合わせたまま固まっちまうってのはどういうことだって」
「・・・?ぎ、銀ちゃ・・・?」
「・・・。ふーん、その顔つきってぇこたぁ、旦那からは何もお咎めなしか」
「ぇ、なっ、ひゃ・・・っっ!」
肩を掴んでた手にぐっと力を籠められて、びく、って背筋が跳ね上がる。
肌に指先が食い込んでくる感触にびっくりしたし、こわかったからだ。
銀ちゃん以外の男の人の手の感触なんて知らない素肌に、他の誰かの指がゆっくり、ゆっくり、沈んでいく。
逆らっても無駄だ、って教え込もうとしてるような動きにぞくりと首筋が粟立って、うろたえたあたしはぎゅっと目を瞑って唇を噛んだ。
〜〜〜うそ、やだ、なにこれ、なんなの、わかんない!
目を閉じてる間にさらに距離を詰められちゃったのか、吐息の感触が耳元をふわりと掠めていく。
「〜〜〜っっ!」って半分パニック状態になってるあたしがそのぞわぞわしたかんじに盛大に震え上がったら、面白がってるような気配を含んだ声がそっとささやきかけてきて。
「・・・まぁあの人ぁ、あんたのこういうところが気に入ってんのかもしれやせんけどねぇ。
にしたってちったぁ注意してやりゃあいいのに、旦那も趣味が悪りぃや」
「〜〜っゃ、ちょっ、沖田さっっ。ゃやゃやめっ」
「――趣味が悪いだぁ?」
わりと間近から聞こえてきた声にどきっとして、いつのまにか涙が滲んでた目をあわてて見開く。
ゆっくり顔を上げていったら――視界に映った沖田さんの肩を、見慣れた大きな手が掴んでて――
「まぁそれ言われちまうと否定しづれーけど、おめーも人のこたぁ言えねーんじゃねーの」
――圧し掛かるみたいにして迫ってきてる白いコートの肩の向こうに、輪郭だけを現した黒いマント。
日の当たらない倉庫裏にいても、木陰から射し込む弱い光を集めてちらちら光る銀色の髪。
投げかけられただるそうな声にほっとして、一気に足が脱力しちゃって。
ずずず、ず、って背中で壁を擦りながら地面にぺたんと座り込んだら、肩からもがくりと力が抜ける。
何も言葉が出てこなくてぱくぱく動かすだけだった唇からは、自然と長い溜め息がこぼれた。
うそ。なんで。どうして来てくれたの。誰にも、何も言わずに抜け出してきたのに――
「・・・ぎっ、銀ちゃ・・・?ぇ、ど・・・、どーして」
「どーしてって、そらぁ探しに来たにきまってんだろ。お前が急にいなくなっから」
「・・・〜〜っ」
しどろもどろに尋ねたら、返ってきたのはそんなこと当然だろって思ってそうなとぼけた口調だ。
今にも凍りつきそうなくらい冷えきってたはずのほっぺたや耳が、じわじわ熱を帯びていく。
・・・うわぁ、どうしよう。嬉しい。一番助けてほしかった人が、ほんとに助けにきてくれた。
勝手に溢れてきた涙で両目を潤ませながら、沖田さん越しに見える黒い影みたいな姿にぽーっと見惚れる。
ほっとして気が緩んだら涙腺まで緩んじゃったみたいで、ぐすぐす涙声を漏らしながら銀ちゃんへ手を伸ばそうとした。
なのに沖田さんの頭の斜め上からひょいっと顔を覗かせたヴァンパイアの顔ときたら、そんなあたしを意地の悪い目つきでじろじろ眺めて。
かと思えば唇の端を片方だけ上げて、醒めきったかんじの失笑を浮かべて、
「え、なにこれ。浮気?浮気現場?マジかよやべーよ結婚前から浮気してんの俺の嫁」
「〜〜〜っ!っちちちちがっ、違ううぅぅぅっっ」
「あー大丈夫大丈夫、冗談だって判ってるって。はいはい沖田くんもストーップ、おふざけはそこまでな。
おらおら返せようちの子を、つーか見ろよの顔ぉ、動揺しすぎてすっかり血の気引いちまってんだろぉ」
近寄ってきた銀ちゃんに腕から引っ張り上げられて、ぱっ、て目の前が暗くなる。
次の瞬間には冷えきった肩や背中がヴァンパイアの長いマントで覆われて、ふわ、って鼻先を掠めた知ってる匂いと、あったかい空気に全身が包み込まれてた。
肩を抱いた熱い腕があたしを軽く引き寄せて、ぽふ、って白いシャツにほっぺたが埋もれる。
腰に回されたもう片方の腕が、ぽんぽん、ぽん、て宥めるみたいに背中を叩いて――
・・・もう、銀ちゃんのばか。人前でこんなことするな、恥ずかしい。
そう思うしちょっと呆れてるのに、あたしは赤らめた顔を隠したがってるようなふりをして自分から銀ちゃんの胸に顔を埋めた。
そっと腕を伸ばしていって、引き締まった背中を覆ってる黒いベストの端っこを握る。
だって、もうすこし甘えていたい。まだ銀ちゃんから離れたくない。
こんなことしたら何かと人にくっつきたがる変態ヴァンパイアが調子に乗るのは目に見えてるけど、怖い思いをさせられた後だからもうちょっとぎゅってされてたい。
耳の奥までざわざわと埋め尽くす衣擦れの音にもほっとしちゃう。腰を抱えて放そうとしない腕の力強さが心地いい。
・・・ああ、そっか。そんなふうに感じちゃうなんて、あたし、よっぽど心細かったんだ。
分厚い胸に凭れかかってそんなことを考えてたら――しばらく黙ってた沖田さんが、そこでようやく口を開いた。
「なんでェ、もう来ちまったんですかィ。
そこそこ長げー付き合いだけど初めて知りやしたぜ。旦那がここまで女を束縛したがるウザい男だとはねェ」
「・・・は?そ。そくば、く?」
「だってそうでしょう、あんたがここに来てからたった数分ですぜ。
たった数分で女探しに来るなんざ、いくら付き合ってるたぁいえ過保護すぎやしませんか」
「いやいやそりゃーねーだろ、過保護になってんのは誰のせいだと思ってんだよ。
ったくよー、油断も隙もねーよなぁ沖田くんは。つーか人の女を遊びで口説こうなんざ趣味悪りいぜ」
「えっ」
もぞもぞ動いて身体を捩じって、胡散臭いうすら笑いで牙の先を覗かせてる銀ちゃんをぽかんと見上げた。
あ、遊び?今のが全部、遊び?
「あのよーお前がどう見てんのかしらねーけど、はこーいうからかわれ方されんのに慣れてねぇし、見た目よりもおぼこい子だからね。
だからやめてくんね、そーいうの。本気で口説かれてんじゃねーかって誤解しちまうからよー」
ぽんぽん、ぽん、って肩を叩く手は、大丈夫だ、ってあたしを安心させようとしてるみたいに優しい手つきで触れてくる。
その手つきを感じただけで、まだ強張りが残ってた肩からすうって力が抜けていった。
あったかくて銀ちゃんの匂いがするマントの中で深呼吸してから、あたしは首を巡らせた。
銀ちゃんと向かい合わせで見つめ合ってる男の子を、視界を真っ暗にしたマントの影からおそるおそる覗き見る。
するとそれまでは何が起きてもお人形みたいな表情で微笑んでた顔は、それまでよりも少しだけぎこちなく映る表情で銀ちゃんをじっと見つめてた。
「・・・俺ぁやっぱり過保護すぎだと思いやすけどね。けど旦那がそう言うなら、そういうことにしときやしょーか。今日のところは」
淡々とした口調でそう言うと、沖田さんは顔つきを変えた。宝石みたいな透明感のある瞳を細めて笑ってみせる。
かすかに感情の色をちらつかせたようなさっきのぎこちなさなんて、もうどこにも残っていない。
そんな変化になぜか違和感を感じてしまって、あたしは苦手なはずの男の子の顔にしげしげと目を丸くして見入ってしまった。
屯所で会ったときに何度も見てる隙がなくて冷ややかな笑顔は、あからさますぎるあたしの態度を目の端で捉えてたみたい。
こっちへちらりと視線を流すと、ふっと口許を緩める。
足許に落ちていたあたしのマントと魔女っ娘帽子を次々に拾うと、マントは銀ちゃんに、帽子はあたしの頭にぽんと乗せる。
軽く屈む格好でこっちを覗き込んできた男の子は、愛想笑いを顔に貼り付けただけみたいな無機質な表情で挨拶してきた。
「それじゃあさん、また遊んでくだせェ」
「・・・は、はぁ・・・えぇと・・・」
手を軽く上げながら去っていく白いコート姿の死神さんに、ぎくしゃくした動きでお辞儀する。
まぁ、そんなことしても沖田さんはとっくの昔にこっちへ背を向けてるし、すでに倉庫の角を曲がって屋外ステージの裏あたりまで遠ざかっちゃってるんだけど。
「・・・・・・はぁあぁぁぁ・・・。やっぱりわけわかんないよ。なんなのあの人・・・」
溜め息まじりにつぶやくと、なぜか銀ちゃんの腕に力が籠る。
だけどそんなことを気にする気力もないくらい疲れちゃってるあたしは、そのまま黙りこくって屋外ステージのほうをぼーっと見つめた。
あの人に言ってやりたいことはあるはずなのに、言いたかったはずの文句をひとつも思いつけない。
あんまり誰かに振り回されすぎると、人って怒りなんて飛び越えちゃって何がなんだかわからなくなって、こんなふうに呆然とさせられるものなのかも。
――なんだったんだろう、今のって。
過保護がどうとか言ってたことも、あまり沖田さんらしくない表情を見ちゃったことも――なんだか不気味で気になっちゃうよ。
「・・・・・・あーー・・・でも危なかったぁ。もう少しで沖田さんに騙されちゃうところだったよ」
「んー?」
「そっかぁ、やっぱりあたしからかわれてたんだぁ・・・。
だよねそーだよね、あんなに綺麗でモテそうな人があたしなんて相手にするはずないし」
よかったぁ、銀ちゃん来てくれて。
だって、もし来てくれなかったらあたしはまんまと騙されてたよ。きっと今頃は大惨事になってたよ。ああ、想像するのもおそろしい悲惨な現場が目に浮かぶ。
ころっと態度を変えた沖田さんに「まさか俺に気に入られてるとでも思ってたんですかぃ、手のひらサイズの年増モブ女の分際で」とか勝ち誇った顔で厭味言われて嘲笑われてたに違いないよ。
それでドSって評判の一番隊隊長にねちねちしつこくからかわれちゃって、自分より年下な男の子の演技にまんまと騙された恥ずかしさで悶絶してたかもしれない。
ベストの端を掴んでた手をすこしだけ緩めて、硬い胸板におでこをこつんと押しつける。
火照ってぼんやりしてる頭の中を冷やすためにゆっくり深呼吸しながら、あたしはこっそり心の中で銀ちゃんに感謝した。
まぁ、あくまで心の中でなんだけど。
抱きついちゃってるときに「ありがとう」なんて言うのは恥ずかしいし、こんな時に言ったら銀ちゃん無駄に喜びそうだし。
それに、お礼言われて調子に乗った変態ヴァンパイアにまたスカートの中までもぞもぞ手突っ込まれてお触りされたらたまんないし。
「ちゃーん。そろそろ説明してくんね」
「え?」
ぽんぽん、ぽん。
温まり始めて力が抜けてきた肩を、こっち見て、って合図してるみたいな手つきで叩かれる。
見上げてみたら、銀ちゃんは沖田さんが向かったステージのほうをすっとぼけた半目で眺めてた。
「何なのあれ。なんでお前こんなとこで、沖田くんと二人で会ってんの」
「あ、うん、あのね。審査員席でクッキー配ったときに――・・・」
気まずさに苦笑いしながら、銀ちゃんがステージ上にいた間に起こったことを順を追って話していった。
審査員席に座ってた沖田さんが、あたしに「取り引き」を持ちかけてきたこと。
具体的にはどういう意味だったのかわかんないけど、「あたし次第で」点数を上乗せしてやるって言われたこと。
ここへ来なかったら採点を0点にするって脅されたこと。それから、銀ちゃんには内緒で来いって言われたこととか――
「・・・・・・それでね、あたしもどうしてあんなことになったのかわかんないんだよね。
沖田さんに言われたこともよくわかんなかったし、なんだかへんな雰囲気だったし・・・」
ちっとも意味がわかんなかった謎発言の数々を思い返してたら、ふーん、って銀ちゃんがつぶやく。
どうでもよさそうな相槌を打った横顔があたしのほうへ向き直って、ちょっとだけ眉間を曇らせて。
「・・・トリックオアトリート、だっけ」
「え」
「菓子くれねーといたずらする、ってぇ意味なんだろ」
うん、まぁ、当たってるけど。そうだけど。
ハロウィンのお祭りをひどい方向に誤解してて興味もなさそうだった銀ちゃんが、急にどうしたんだろ。
目を丸くしながら「うん」って頷く。それがどうしたの、って尋ねようとしたら、
「そういやぁが作ったあれな、あのクッキー。銀さん一個も食ってねーんだよな。味見もしてねーんだよなぁ」
「あぁ、うん、あれなら」
「なぁ、あれ食わせて。今すぐ食うから」
「は?」
完全に眉を曇らせた顔にじとーっと、拗ねたような目つきで眺められる。
へ、って間抜けに呻いたあたしは、銀ちゃんと見つめ合ったまま何度もぱちぱち瞬きした。
・・・・・・あれっ。変だ。銀ちゃんが変。
抑揚のない声のおねだりはテンションも低くて、あんまり銀ちゃんらしくない。
ていうか変だ。うん、おかしい。銀ちゃんがお菓子でテンションを上げないなんて。
自称糖分王のこのヴァンパイアさんはお菓子の話になればきまってテンションが上がるし、口調だってもうちょっとうきうきしたかんじに変わってくるのに――
「ほらほら、出せって。出してくんねーといたずらするけどいーの」
「・・・?どーしたの銀ちゃん、何なの急に。ていうか出せって言われても持ってないし。さっき配っちゃったし」
「・・・。ふーん、残ってねーんだ。じゃあこっちでいーわ」
面白くなさそうにそう言うと、
ばっっ。
あたしの肩に置かれてた手が、マントを高く翻す。
え、ってつぶやいたあたしは、目の前で舞い上がったそれに自然に視線を釘付けにされた。
まるで羽ばたこうとしてる鳥の翼みたいに黒い布が広がって、頭上の青空を遮って――
――ちゅ。
「〜〜〜〜〜〜・・・ひぅ!?」
真上を覆ったマントを見上げて伸び上がってた首筋に、熱い何かが吸いついてきた。
触れてきたもののやわらかさや濡れた感触にびっくりしちゃって、びくーっっ、って全身が跳ね上がる。
そしたら後ろから伸びてきた腕に身動きできないように押さえ込まれて、
――ちうぅっっ。
「っぅにゃぁああ!?」
今度はうなじに、しかもうんと強く吸いつかれてあたしは裏返った悲鳴を上げた。
あわてて振り返ろうとした首を大きな手のひらに納められて、吸いつかれてるうなじにふっと吐息を吹きかけられる。
ひぁ、って叫んでくすぐったさに竦み上がったら、その隙に銀ちゃんは鼻先で髪を避けながら首筋に顔を埋めてきた。
唇をそっと押しつけてじゃれつくみたいに啄んでみたり、ざらついた舌先を硬く尖らせてきつめに吸ったり。
最後にちゅ、って音を鳴らして離れていったと思ったら、唾液でとろりと濡らされたそこにすぐさま舌先を押しつけられて、
「――ゃ、っっ・・・!」
くちゅくちゅ、くちゅ、ちゅ、じゅうっ。
くぐもった音を響かせる舌先が、同じところを往復する。
あたしの肌を味わうみたいにちゅうって吸ったり、キスしてる時に口の中を掻き乱すみたいなやらしい動きで撫でてみたり、つうってゆっくりなぞったり――
「っゃ、ぅう、ん・・・っ。ゃっ、な、なにしてっっ」
「何って食わせてくれんだろ、クッキーの代わりに。ハロウィンで菓子貰えなかったらいたずらしていーんだろ」
「は?ぃ、いたずら?いたずらって――っっひゃぁっ」
じゅく、って肌に唾液を絡ませるみたいに啜られて、甘い震えがぞくぞくって走る。
勝手に漏れちゃう声が恥ずかしくてあわてて口を押えようとしたら、
――ちくっ。
細すぎて見えない針先みたいなかすかな刺激に肌を刺されて、ひゃあ、って仰け反って震え上がる。
腰を抱きしめた馬鹿力な腕を必死に振りほどこうとするんだけど、それでも首筋の中でも特に感じやすいところをきつめにちゅーちゅー何度も吸われて。
じたばたもがいても仰け反って逃げても、しつこい銀ちゃんは離れてくれない・・・!
「ふぇええ、ゃやゃややだぁぎんちゃっ、っははは放せはなしてぇええっ」
「はいはい暴れない暴れない、銀さんの気が済むまでいたずらさせろって。
なぁなぁそこの林ん中に連れてってもいい、がもっと気持ちよくなっちまうとこもちゅーちゅー吸っていたずらしていい」
「だめえぇぇ!はは林の中ってっそそっそんなことしたらころ、っぁ、ん、ん・・・っ」
ちゅうぅ、ちゅく、じゅう、ちゅっ。
あたしがびくびく震え上がっちゃうような気持ちいい強弱をつけながら、熱い唇が舌を押しつけて肌を吸う。吸いつくのは同じところばかり。
同じところばかり狙いすまして甘い気持ちよさで肌を蕩けさせて、蕩けたそこから中を啜ってあたしを食べようとしてるみたい。
そう思ったらどきどきして、お腹の奥がきゅうって痺れる。
逞しい腕に凭れかかってぞくぞくしてるあたしの身体は、そんなありえない想像のせいで膝が震えて止まらなくなった。
「うぅぅ・・・ぁん、やだぁ、もっ。っち、ちがうのぉ、ハロウィンのいたずらは、子供がっ」
「いやいや銀さん心はまだ少年だからね、まだまだジャンプが読みたいお年頃だからね。いーんじゃねーの、いたずらしても。
沖田くんには食わせてやったのに俺には食わせてくんねークッキーの代わりに、ちゃん食っちまってもいーんじゃねーの」
「くくく食うってちょっ、〜〜っぅぅうぅうそうそっっゃだぁぁあっ」
うそ、やだ、ここで!?やだやだやだやだそんなの無理ぃぃ!
さーーーっと青ざめたあたしのほっぺたに、近づいてきた銀ちゃんの唇がやわらかく触れる。
「心配すんなって、ちょっとだけだから。がちょっとちゅーさせてくれたら銀さん満足すっから」
「・・・っ。ほ。ほんと・・・?もぅ、へんなこと、しない・・・?」
「ん。じゃあ最初はここから、な」
くい、って顎を持ち上げながら振り向かされて、まだちょっと不満そうな目つきになってるヴァンパイアの指に、ふに、って下唇を押される。
しきりにふにふにされるのが恥ずかしくて「ばか」ってつぶやいてうつむいたら、斜めに傾げて迫ってきた顔に塞がれた。
ゆっくり滑り込んできた熱いものに舌先をくちゅって舐められて、何度かそうして触れながら奥のほうまで入り込まれる。
上顎をなぞられてびくって肩が跳ね上がったら、口の奥まで一杯にされて――濡れたやわらかさにくちゅくちゅ食まれてると、昼間の公園でこんなことされてる恥ずかしさで頭の芯までのぼせ上がりそうだ。
でも、沖田さんに唇を触られたときみたいなこわさや違和感はどこにもない。
それをちょっぴり不思議に感じながら、あたしはくったり凭れかかった銀ちゃんの腕をきゅって握った。
んっ、んふ、って喘ぎ声が自然にこぼれる。
熱くて少し乱れた息遣いを直に感じてると、なぜか胸がきゅんとしちゃう。せつなくなってどきどきする。口の中を一杯にした熱さに撫でられるだけで気持ちいい――
ちゅ、ちゅ、ちゅ、って甘い音を鳴らして啄んだ後で、「ん?」ってだるそうな声がつぶやく。
さっきまでさんざん吸いついてたうなじのあたりに何か思いついたみたいな視線を落として、
「あー、ここに付けるとマント着ても見えちまうよなぁ。んじゃこっちにしとくか」
「っえ、ちょ、っっ!?」
腰を掴んだ馬鹿力な手に、くるっ、って一気に180度回転させられる。
驚いてぱちりと瞬きする間にあたしは銀ちゃんと向き合わされて、前へぐいって押し出された。
すると素早く腰を屈めて背中も丸めた銀ちゃんが、すかさず顔を寄せてくる。
――普段は着物の中に隠してるそこに。
薄紫のレースで縁取られたビスチェの上辺からボリューム不足な膨らみを覗かせてる、あたしの胸に――!
「っっぎゃぁああぁあぁぁあああ!」
「いーじゃんちょっとくれー食わせろって。今俺わりとマジでムカついてっから、うんと甘いもん食ってストレス解消してーんだって」
「っだだだめだめぇっぜったいだめえぇぇ!だ、だってすぐそこでコンテストがっ」
「大丈夫だって心配ねーって、ここ人来ねーし。審査会議終わるまで1時間くれーかかるらしいし?」
そう言いながら薄紫のレースにくいっと指を掛けると、ビスチェを少しだけ下へずらす。
「ぎゃーーー!」って涙目で叫んだあたしは銀ちゃんの髪をぎゅーぎゅー引いた。
なにこれ、なんなの、生々しいよ!
引っ張られたレースがかろうじて支えてくれてるけど、今にも左胸がぽろっとこぼれ落ちそうだよ・・・!
「つってもこんな旨そうな魔女っ娘、たった1時間じゃ食いきれねーよなぁ。
一番うめーとこはじっくりたっぷり食いてーよなぁ」
「・・・・・・ふぇ、ぇ・・・?」
「んじゃー続きは帰ってからにすっか」
「・・・つ。つづき?・・・ってことは、もぅ」
ここではこれ以上何もしない、ってことだよね・・・?
だけどほっとしたあたしがくたりと力を抜いた途端、それまではかったるそうで眠そうだった銀ちゃんの表情は豹変した。
くく、って喉の奥で笑った唇が、両端を高く吊り上げる。
白っぽい髪の合間から視線だけを上げた目が「…え?えぇ?」ってぱちぱち瞬きしてるあたしを捉えて、可笑しそうに嘲笑う。
ふにふに、ふにっ。
膨らみの上のほうを何度か遊ぶようにつつきながら、銀ちゃんはさらに唇を寄せた。
ビスチェのレースを引っ張られてるせいで際どいところまで露わになってる左胸に、
ちゅ。ちゅ。ちゅうっ。
吸いつかれるたびに肩がびくびく跳ねちゃうようなくすぐったくて熱い口づけを、心臓の近くに落とされる。
すっかり獰猛そうに変わった目つきをふっと細めたヴァンパイアが細い牙を覗かせて、
「とりあえず今は味見だけにしとくわ」
「は!?〜〜ぁ、味見ってなっっぇっやっっ、ひゃぁあぁあああ!」
「さーて、審査の間に思う存分の甘ったりーとこ食わせてもらおっかなー」
濡れた口端を舐めてからにたぁっと笑った唇が、あたしの胸に齧りつく。
胸に届いた牙の先にも、膨らみをつんとつつかれる。
感じやすくてやわらかいそこは甘い刺激にふるりと揺れて、〜〜っ、って唇を噛みしめて飛び出そうになった悲鳴を必死にこらえる。
あんなに冷えきってた身体は今やどこもかしこも茹で上がったみたいに熱くなってて、齧りつかれてる胸だってほんのり色づいたピンク色。
お風呂上りみたいな艶めかしい肌色のせいで生々しさはさらに倍増、自分の身体だとは思えないその光景を見下ろしたあたしは今すぐ死んじゃいたくなった。
・・・ああ、自分の甘さが悔やまれるよ。警戒しなくちゃいけないのは死神さんだけじゃないってことを忘れてた。
ここにもハロウィンの怪物がいた!
ひどいよひどい、銀ちゃんひどい。ちょっとだけだって言ってたくせに!こんなの詐欺だよ、騙された!
銀ちゃんが助けに来てくれた、って喜んでた時は、まさかこんな目に遭わされるなんて思わなかったのに。
ていうか返せ、返してよ。あの時の銀ちゃんがピンチから救いだしてくれる騎士さまみたいに見えてときめいちゃったあたしの、けなげで純情で騙されやすい乙女心を!
「〜〜〜ゃだぁ、やだやだぁっっっ。っこ、こんなとこで、ばかぁあぁっ」
「なーなー、どこから食われたい。ここ?それともこっちからいっちまう?」
「ふぇええん、やぁ、だめぇ、どっちもだめえぇっ・・・!」
ビスチェのリボンを噛んで引っ張りながらにやついてる顔をむぎゅって掴んで、えぐえぐ泣きながらほっぺたを引っ張る。
すると背中から前へ滑ってきた手が右の胸をやんわり掴んで、下からふにゅって持ち上げた。
いやぁああああ!!って屋外ステージのBGMに負けないような甲高い悲鳴を上げたって、まあるく胸を包み込んだ手はやらしい悪戯をやめてくれない。
反対の手も膨らんだスカートをゆるゆる撫で回し始めて、チュールレースの中で震えてた太腿まで図々しく潜り込んできて――
――困ったことにその後も、あたしはびーびー泣かされっ放しだった。
ふつうにおうちでえっちする時でも、やたらとしつこくてやたらと長くてあれこれしたがる銀ちゃんだ。
そんな銀ちゃんの言う「味見」は、もちろん「味見」なんて呼んでいいようなあっさりした悪戯じゃ終わらなかった。
「ししししねしねしんじゃえぇぇっっ」って泣きながら髪を引っ張っても、引っ張りすぎたてっぺんの癖っ毛が何本か抜けちゃっても、銀ちゃんたらちっとも止めてくれない。
止めるどころか余計に面白くなってきたみたいで、「はいはいはい」とか「うんうんうん」とか適当な相槌打ちながらあたしを壁に押しつけて、しまいには肩に担がれて暗い林の中までお持ち込みされて、まるで血に飢えてるヴァンパイアみたいに身体中のあちこちにちゅーちゅーちゅーちゅー吸いついてくる。
こんな時だけやる気と根気を発揮する変態吸血鬼の長すぎる味見がようやくストップされたのは、それからちょうど1時間後。
コンテストの審査が終わってから。
結果を発表する審査委員長のおじさんのかなり長めな挨拶が、屋外ステージのスピーカーを通して公園中に響き渡った頃だった――