思い出すのはいつも、あの夏だ。 故郷で過ごした最後の夏。 帰り道の竹藪沿いに響くのは、宵闇の重苦しさまで掻き消すような、よく通るあの声。 たまに振り返ってはからからと笑う、広い背中を追って歩いた。 ざくざくと、踏んだ下草が足元で潰れていく音。 尖った葉先が下駄の素足を、ひんやりとくすぐる。爪先を澄んだ緑に染め上げていく。 まっさらな夜露を含んだ深い下草は、踏み込むほどに鮮やかな匂いを濃く漂わせた。 水嵩の増す季節も過ぎて、とっくに流れの緩んだ水路を渡る。 欄干の朽ちかけた一本橋のたもとを過ぎたあたりだ。姉上はそこで、ふいに立ち止まった。 そっと着物の裾を押さえ、膝を折ってしゃがみ込む華奢な背中も。衿元からわずかに覗くうなじも。 姿のすべてが折れそうに細い。いまにも闇に紛れて消えそうなその儚さが、時折怖くなることもあった。 『きっとここのお水は、他所よりもうんと甘いのね。』 ふわり、ふわりと手元を泳ぐ光の粒。 白い指先を水辺に伸ばし、柔らかに微笑むあの姿。そして。 少し離れた先に立ち。 頭上を跨ぐ光の河を仰いで。眩しそうに目を細め、どこを見るともなしに眺めていた。あの男の―――


 蜂 蜜 銀 河



「見てたんでさァ」 沖田はぽつりとつぶやいた。 そのつぶやきに呼応するかのように、隣に座った女の指にふっと力が籠る。 握った手がわずかに固くなった。 だが彼は、気づかないふりでわざと続けた。 「まったくあの人ときたら、昔っから面倒くせえ男でね。 顔じゃいつでも『お前なんざ見てねえ』ってふりでいたが、姉上のちょっとした仕草まで気にしてやがった」 「・・・・ふーん」 は気づいているんだろうか。 ぽつりとつぶやき返した声が、まるで彼女らしくない、素っ気ない響きになっていることを。 この話を持ち出すまではにこにこと、機嫌良くこっちを見下ろしていたのが、いつのまにか顔を背けている。 野郎と姉上の話になるといつもこうだ。 姫ィさんは今、どんな顔をしてるんだろう。 あれァ多分、俺に顔を見られたくないんだ。そう思ってなんとなく口許が緩んだのが、自分でも判った。 「あの時もそうだ。蛍が水路に群がってたんだ。 田舎の街道沿いの、外灯もねえ真っ暗れェあたりで、そこだけキラキラ光ってた。 それを姉上が面白がって、橋のたもとに座り込んで、蛍と一緒に水遊びを始めちまった」 頭の下で腕を組み、仰向けに寝転ぶ彼をぐるりと取り囲んでいるのは、無数の灯。 ほんわりと水辺を照らしていたかすかな蛍の光とは、似ても似つかない光景だ。 近所の街にも。目を細めて遠目に眺める、ターミナルを中心に広がる高層ビル街にも。 ネオンの洪水が華やかな江戸の夜を浮かびあがらせている。その光にはあの、線香花火の尾尻にぽつんと灯る火のような 武州の田舎で水路に飛び交っていた蛍の灯のような、頼りなさや儚さはない。 どの光もギラギラと自己主張が強くてわかりやすく、無機質なのにたくましい。色味もくっきりと輝いている。 今、彼がそれを見下ろしている場所も、あの懐かしい武州の町の水際ではない。 緩んだ傾斜のついた屋根の上。蒸し暑くて寝苦しい夏にはもってこいの、夜の避難所。屯所の黒い屋根瓦の上だ。 蚊取り線香を持ち込んでも羽虫はフラフラと飛んでくるし、蚊にも刺される。それでも彼はここをよく使う。 この時期になると毎年決まって「暑い暑い」と呻きながら涼しい場所を求めて廊下をうろつく 他の隊士たちの騒ぎにわずらわされることもない。 たまに流れる都会独特のぬるくて湿った夜風も、慣れてみればそれはそれで心地良い。 そこそこに快適で、他の奴等が来ることもない。ついでに江戸の夜景も独り占め出来る、気に入りの場所だった。 あれ以来、武州で夏を送ったことはない。 故郷で過ごしたあの夏もずいぶん遠くなって、記憶も少しずつぼやけてきたような気がする。 けれど本当のところは、今でも手を伸ばせば届くほどの近さにいて 何も言わずに自分を見つめているような気もした。あの夏の夜の思い出も。今はもういないひとの、懐かしい姿も。 「身内の贔屓目じゃねーが、あん時の姉上はきれいだったなァ。 無邪気に蛍と戯れて、水に潜らせた真白い手がぽうっと光ってて。それこそ夢ん中みてーにきれいだった。 それをときたま俺らの様子を窺うふりをして、実は土方さんもちらちら見てやがる。あの人の得意技だ」 短い着物の裾から伸びた淡い色の脚が、時々動く。 今も腰を揺らして横座りになって、瓦の上で居辛そうに佇まいを直している。 何度座り直しても、は落ち着かないらしい。ぎこちない身じろぎをずっと繰り返していた。 聞きたくない思い出話を聞かされているのに「もう止めて」ともいえずに、光で色づく街を憮然と見下ろしている。 そんな彼女を横目に盗み見ながら、薄明るい夜空を何気ない様子で見上げて。沖田は意地悪を続けている。 誰にも向けようのない嫉妬にかられている女を眺めていると、普段閉じ込め、抑えている彼女への思いを 少しだけ解放出来る。好きな女を苛めてみたい嗜虐心も満たされて、ちょっとした憂さ晴らしにもなった。 楽しくもあり、虚しい行為。嫌がられていると知った上でこれを繰り返してきた自分を、我ながら幼稚だとも思う。 だが、こうしてに武州の話をして、彼女が態度を硬くするたびに、彼の胸の内でどこかが躍る。 他の奴等は遠慮があるから、の前で姉上の話を出すことはない。あの野郎にしたって同じだろう。 だからこれは、俺だけが目にするの姿。 胸の中でもやもやと渦巻くものを納めきれずに、つい態度や仕草に出してしまう瞬間。 いつもの周りを取り囲んでいる澄んで朗らかな空気が、さあっと醒めて強張るような嫉妬心を孕む瞬間。 それを感じるのが自分だけだと思うと、胸が躍る。含み笑いでもしたくなるくらいに嬉しさを覚えた。 「・・・・ねえ、総悟。何か欲しい物とかないの」 「またその話ですかィ。姫ィさんは、こーいうことに関してはやたらにしつけーなァ」 話題を変えてきたに向って、その話ァもういいや、と小さく手を振り返す。 額にあったアイマスクを目元まで手繰り寄せ、狸寝入りに入ろうとしていた。 この話に関しては、何度訊かれても彼女を相手にしようとしないのだ。 は着物の襟元から、すっと何かを探り出した。出てきたのは、沖田が彼女の誕生日に贈ったネックレスだ。 贈ったときも嬉しい、ありがとう、とはしゃいで飛びつかれたし、今でも毎日のように身につけている。 今日も着物の衿に隠れた胸元で、小さな星のチャームが揺れていた。 「だってー。あたしはこんな素敵なの貰っちゃったのに、誕生日にひとつもお返しが無いなんて。 いくら何でも、それはダメだよ。ねえ、ひとつくらいあるでしょ?欲しい物」 元々彼がひとり占めしていたこの「夏の避難所」にが自分で梯子を掛け、珍しく上ってきたのは この話をするためだった。 今日は七月七日。誕生日はもう明日に迫っている。なのに、何度訊いても沖田は話をはぐらかすばかり。 何度訊いても、一度も真剣に問いかける彼女を相手にしない。 自分が貰った誕生日プレゼントのお返しをしたがっているは、根っから義理堅い性格をしているおかげもあって ここ数日、顔を合わせるたびにこうして食い下がっていた。 欲しい物なら、当然ある。 けれど、自分がそれを言ったところで、手に入らないことも知っていた。 他に出来ることといえば、寝転ぶ彼のすぐ目の前まで無邪気に覆い被さるような姿勢になって 勝手にアイマスクを取り上げ、不用心に迫ってくる女を茶化してみるくらいだ。 仕方なく目を開け、目線を伏せると、淡い色をしたの胸元が目についた。 さらにどうしようもなくなって、目の前にある顔を半笑いで見据える。 「そりゃあひとつと言わずにあるさ。けど、の少ねー時給でも買えるよーなモンとなると・・・」 「なによォ、悪かったねえ、誕生日のお返しにまで気を使われちゃうくらいビンボーでっっっ」 夏の夜に屋根の上で二人きり。他に誰の目があるわけでもないし、ここでが身の危険を感じて叫んでも、 ただでさえ賑やかな屯所の連中は、たぶんその声には気づかないだろう。 男と二人でこうしていれば、何をされてもおかしくはないのに。 沖田を弟同然に思っている彼女は、自分の不用心さにすら気づいていない。 拗ねた顔で、間近から彼を見下ろしている。 そんな彼女を沖田は鼻先でせせら笑うだけで、何も言わなかった。 仕様がねえなあ、と思う反面、半分呆れてもいた。それこそ顔には出さなかったが 何も気づかない彼女にちょっぴり腹も立っていた。 には、良くも悪くも、いつまで経っても世間知らずの「姫ィさん」なところがある。 土方が拾って屯所に連れて来た頃の、あの何を言ってもうんともすんとも言わない、黙りこくって高飛車そうだった態度。 それを皮肉って沖田がつけた呼び名が、いまだにどこかしっくり来るのは、 この隙だらけで人を疑うことをしない、箱入り娘のような危なっかしさが、治ることなくそっくりそのまま残っているからだ。 「ビンボーだから事前にリサーチしようと思って、訊いてるんじゃない。 少ない生活費を切り詰めて作った、貴重なバイト代で買うんだし。要らないモノ贈ってハズしたくないのっ」 「欲張りすぎでィ、は」 「え?」 「それこそ贅沢ってもんじゃねェですか。 あんたは自分の選んだモンで俺を喜ばせたい。喜ぶ俺を見て、自分も満足したい。 一挙に両方叶わねェと、気が済まねェのさ」 「・・・・なによォ。反抗的なんだから。最近可愛くないよ、総悟」 「そりゃあそうだ。こっちだっていつまでもガキじゃねえんだから、いつまでも姉さんぶっていられても困る。 可愛いなんて言われて喜ぶような年でもねェや」 「え?・・・・・ちょっ、総、っっ!」 彼は突然起き上がった。 そして起き上がった勢いのまま、素早く腕を伸ばして。 驚くの手を掴む。背中を思いきり抱きしめた。 胸元にわざと顔を埋めて、深く息を吸い込む。びくっ、との背中が大きく跳ねた。 首筋から甘い香りがする。の肌から漂ってくる、今までにも何度か嗅いだことのある香りが。 柔らかな弾力に包まれた華奢な身体は、声も出ないくらいに驚いていた。 強引に腰を引き寄せてみても、どうしたらいいのかわからないらしい。彼に抱かれて動かなかった。 「そこまで言うなら教えてあげやしょーか。俺が一番欲しいと思ってるモンを」 弟扱いされて何の警戒もない立場にいるだけに、普段だって彼女に触れることは多いのだが。 普段はムカつく野郎への当てつけと悪戯半分だし、力の加減だってしているつもりだ。 だけどここまですりゃあ、いくら姫ィさんだって引くだろう。 そう思いながら、最後のとどめにひとつ、念を入れておく。釘を刺してみるつもりで、耳許に顔を寄せる。 首筋にかかっていた彼女の髪を指で掻き上げながら、吐息を吹き込むような柔らかさで囁いた。 「毎日毎晩、あいつのことしか考えてねェあんたが。俺のことしか考えられなくなっちまう夜がほしい」 顔を離して正面から向き合うと、は呆然と彼を見た。 何も言えない。返す言葉が出てこない。そんな表情をしていた。 「・・・・・そんなの。あげられないよ」 ぎこちなくて真剣な表情で、は答えた。 ひどく戸惑っているのが、その表情からも、声からもはっきりと判る。 「そうですかィ。それじゃあ来年は短冊に書いて、軒下にでも吊るしておきやしょう」 笑って言い返してはみたが、それは自然と上の空な返事になっていた。 頭でも身体でも、もう後悔し始めているのだ。 軽い気持ちで彼女を抱きしめて、柔らかな感触を味わって。肌から匂うあの香りを胸一杯に吸い込んでしまったことも。 抱きしめた瞬間、その香りと感触の甘美さと淡さに、ぞくりと背筋が騒いでしまったことも。 そして。それが、他の女を抱きしめても感じたことのない、初めて知る手触りだったことも。 「・・・・・、総悟。」 「何でェ」 「今のは。・・・・・冗談、・・・・だよね?」 聞き返した声はひどく小さかった。 居辛そうに脚をずらして座り直しながら、は不安そうに曇った顔を深くうつむけている。 その姿に、心が揺れた。 着物の裾をきゅっと握っている細い指に、触れたくなってくる。 また手を伸ばしたくなった。こらえようとしてつい、唇を噛んでしまっていた。 さっきは何も考えずに、勢いのままに手を伸ばし、触れていた。あの細い指に、もう一度触れたい。 他には何もいらない。あんたが欲しい。そう言って、今俺が、ここで手を伸ばせば。 望めばすぐに、の手が。この柔らかな身体が自分のものになる気がした。だが。 そんなはずはねえだろう。お前だってそいつは知ってるはずじゃねーか。 心の中で、もう一人の自分がつぶやいている。 醒めたつぶやきを漏らして、期待に心臓を高鳴らせ始めている自分に背を向けていた。 そうさ。そんなはずがねえんだ。 そんなこたァ、お前はもうとっくに判ってた。嫌ってえほど判ってたはずだ。そうだろう? どうせそれは、そうなってほしいと願う自分が抱いた、ただの夢。思い上がりに似た幻想だ。 自分にしか聞こえない程度の短くて低い溜息を洩らすと、彼はから離れた。 さっさと一人で瓦に寝転ぶ。さっきまでと同じ恰好になって、頭の後ろに腕を組んだ。 「何が言いてーのさ、姫ィさん。当たり前じゃねーか」 軽い口調で答えても、は怪訝そうに眉をひそめて黙っている。 沖田はさらに、くくっ、と笑い飛ばして見せた。 「冗談に決まってる。冗談でなけりゃあ、何だって言うんですかィ。 それとも姫ィさん。あんたァ今のを本気に取って、真に受けたんじゃねーだろーなァ」 からかい半分に笑いながら見上げてくる彼を、初めはも疑わしげに見つめていた。 相変わらず言葉がない。 しかし次第に、落ち着かない様子だった表情にはちらちらと、不服そうな色が浮かぶようになった。 そつの無かった彼の演技に、しっかり騙されたらしい。 しまいにはすっかり膨れた頬を赤らめさせて、瓦屋根から立ち上がった。 崩れてしまった着物の裾の乱れをさっと直す。それから、あまり迫力のない表情で彼を睨みつけた。 「お誕生日、おめでとう」 「俺が生まれたのは明日ですぜ」 「いいの今日で!あたし、明日は来れないから、当日はおめでとうって言えないもん。 土方さんも明日は出張で朝早いって言ってたし。叩き起こす人が留守だから、どうせ総悟は昼まで寝てるんでしょ」 「へえ。そいつは大変だ。 明日は明け方に雀の声で目ェ覚まして、朝っぱらから姫ィさんの機嫌取りしとかねえと」 それを聞いたは口を尖らせ、「おやすみ」と拗ねたように言った。 挨拶だけを放り投げて、するすると梯子を降りていく。 屋根の下へ消えていく姿を肩を竦めて見送ってから。可愛いもんだ、と沖田は笑った。 のああいう他愛ないところがいい。とても年上とは思えねえし、 からかって苛めるにも屈託がなさすぎて、しかも隙だらけ。こっちが卑屈さを面白がれるような手応えもねえ。 のああいうまっすぐなところがいい。 無心に見つめてくる小猫のような、きらきらと光る瞳がいい。 あの瞳をいつか、自分だけに向けさせることが出来たら。 もしあの甘く香る柔らかな頬に、しっとりした唇に。好きなだけ触れて、自由に出来るようになったら。俺は―――。 それから先をとりとめもなく思い描けば、それだけで胸が高鳴った。 強まるばかりの高鳴りや、火照った頭の熱さを静めたくて、眩しげに細めた明るい色の瞳を夜空に向ける。 街の光に照らされて薄明るい、江戸の空へ。 厚く横たわる夏雲の、その向こう。そのまた向こうの、もっと向こうに海がある。 『永遠』なんてまやかしは、光の速さで無重力にひしゃげて消える、重い海。 重くたゆたう遠い海。暗く広がる海の果てには、輝く光の河がある。 河の浅瀬に佇んでいるのは、川鳥の背に揺られて飛んでくる女を待っている、年に一度の逢瀬に焦がれる馬鹿な男。 あそこで光る河のほとりには、生きてるうちにはどうしたって行けそうにねーが。 そいつの面構えには見当がつく。きっとどこかで目にしたような、情けねーツラをしてるに違いねェや。 胸のうちではいたって殊勝にうそぶきながら、沖田はぼんやり考える。 武州で見たあの光景のように。夜空に浮かんだ河の流れにも、清水を求める蛍は群がるんだろうか。 透き通って輝くその水は、ふわりふわりと水辺に遊び、気ままに灯る光の粒を引き寄せて。 蕩けるような甘さで惑わせ、光を映してさざめく水面に惹きつけて。 一度味わってしまったら最後、決してそこから離そうとはしないのかもしれない。 水の甘さに魅せられて、囚われて。どこにも行けずに光の河辺をさまよいつづける蛍の姿。 それはおそらく、どうにもならない恋をしている奴に似ていて、傍から見れば愚かなだけのもんなんだろうが。 自分の馬鹿さがわかっていたって、離れられないはずだ。求める気持ちは、理屈だけじゃあ止めようがないからだ。 光を受けてきらきらと輝くあの大きな瞳が、いつも他の男を追いかけていると判っていても どうしたっての甘い匂いに抗えない。判っていても惹かれちまう、俺のように。 懐かしい夏の日。蛍の光に照らされて微笑む姉上の姿に目を奪われていた、あの野郎のように。 開いた右手を目の前にかざす。 しばらくの間動くこともなく、彼はじっと自分の手を見つめていた。 たしかにこの手で触れていた。抱きしめたばかりのはずなのに。 指先に残ったその感触も温もりも、あっという間に薄れて、消えていく。 薄れていく感触を惜しむように、指先を唇に宛ててみる。 それだけで、の素肌に唇で触れたような、痺れるほどの甘い感覚に襲われて息苦しくなる。 思わず深い溜息を吐いた。 「・・・・・・・・・」 苦しげに小さく呼んでから、すうっと目を閉じる。 いつもよりも熱く感じる瞼の裏側に、思い浮かべてみた。 さっき初めて味わった感触。抱きしめただけで身体が蕩けそうな気持ちにさせられた、の感触を。 今、自分の頭上を跨いで流れているはずの星の河。そこを飛び交う蛍が味わう、水の甘さを。 ぱちり、と一回。 長い睫毛を震わせた大きな瞬きをしてから、ふっ、と沖田は可笑しそうに笑った。 誰に聞かせるのでもなく、そうか、とひとりごとをつぶやく。 天上の蛍が求めるその水は、きっとあの肌のような甘さをしているんだろう。 舌までほろりと蕩けそうなほどに、甘美で柔らかで。他の何にも換え難いような、媚薬めいた味がするんだろう。

「 蜂蜜銀河 」text by riliri Caramelization 2009/07/08/ -----------------------------------------------------------------------------------