ちゃりん、ちゃりん。 それぞれに投げた小銭が、目の前の賽銭箱に散っていく。 右から土方さん、あたし、近藤さん、そして総悟。四人で一列に並んでいるのは神社の拝殿前だ。 ぽいぽいと放られた小銭たちは、軽い音を鳴らして吸い込まれていった。 「今年も健康でいられますように!いいこと一杯ありますように!昨日雑誌で見た可愛いネックレスが買えますよーに! 一年中怒りっぽい土方さんが別人みたいに優しくなりますよーに!一年中煙草臭い土方さんが禁煙できますよーに!それからぁ、」 「邪魔な土方が死んで俺が真選組の全権握って江戸全土が俺のもんになって真選組皇帝として君臨できますよーに」 「ぁんだ皇帝ってのは。バカかてめーは、中二男子の初夢かそいつは。いやそれはともかく最初になんつったお前」 「ははは、そいつは欲張りすぎじゃねーかぁ総悟ォ。さーて俺は何を願掛けするかなぁ。 あ、そーだっ、今年こそお妙さんと結婚出来ますよーに!ってのはどーかなぁトシぃ」 「・・・近藤さん。その願掛けじゃ財布ごとつぎ込んでも神さんに突き返されるぞ」 「バイトの時給が上がりますよーに!屯所のみんなが無事で過ごせますように!今年も志村の姐さんと仲良く 出来ますように!今年こそ姐さんが近藤さんと結婚してくれますよーに!えーとそれと、それと」 「お前は頼みすぎだ。つか最後は何だ、神さんへの嫌がらせか」 がらんがらんっ。 近藤さんが鈴を鳴らして、四人で一斉に柏手を打つ。 早々に願掛けを切り上げたらしい土方さんは、隣でぶつぶつと不満そうに唸っていた。 「・・・ったく。なんだってんだ?新年早々散々だぜ。 訳がわからねえ真似する女はいるわ、脱がされて寒みぃわ、ムカつくバカはついてくるわ」 「そーいやぁ、さっきのあれァどーしたんでェ姫ィさん。何か悪りぃもんでも喰ったんですかィ。つーか死ね土方」 「お前が死ね総悟。そいつの奇行の原因なんざ考えるだけ無駄だぞ。見ろ、人の隊服奪っといて すっかりご満悦じゃねえか」 あたしが羽織っている自分のコートを横目に睨むと、土方さんはそのフードを掴んだ。 ばさっと頭に被せられる。途端に目の前が暗くなって、べしっ、と後ろ頭を叩かれた。 「どーせまた、頭ん中の目出度い花畑にせっせと種でも蒔いてんだろ」 「違いますっ。今日はどーしてもこれを着てないと寒いんですよ心がっっ」 「ざっけんな。寒いお前に付き合わされるたびにクソ寒みぃ思いさせられる俺の気苦労も考えろ」 お参りしてから社務所に寄って、おみくじを引いて絵馬も買ってもらった。 何をお願いしようかな。 筆を片手に迷っていたあたしから絵馬を横取りした土方さんは、真ん中に大きな字で 「下ネタ禁止、汁粉は二杯まで」と書き殴った。

お お か み さ ん の ふ ゆ や す み *5

お参りを済ませたあたしたちは鳥居へと続く石畳を歩いた。細い参道には美味しそうな香りのする白い湯気と 屋台からの呼び声、参拝にに並ぶ人たちの熱気が賑やかにたちこめている。 派手な看板を掲げた屋台の列とそこに集う人たちを眺めながら、近藤さんは口を開いた。 「また冷え込んできたな」 「ああ。この辺りももうじき降るな。今夜は雪だ」 「えー、雪になるんですか。積もるのかなぁ」 「積もるな。つってもこの感じじゃあ、明け方に屋根が白くなる程度だろうが」 真っ赤な鳥居の向こうを見上げて、土方さんは何の造作もないことのように予想した。 お正月の冬空は薄い雲をほんわり被っている。晴れ上がってはいないけれど、ところどころに覗く 雲の切れ間からは、ちらほらと温かな陽射しを差し込ませている。風さえ吹かなければ明るく穏やかないい天気だ。 とてもこれから雪が降り出すようには見えない。けれど、このひとが言うんだから多分その予想通りになるんだろう。 土方さんは天気が読める。真選組の軍師でもあるこのひとにとって、現場の天候を読むのは必要不可欠な 仕事の一部。現場に立った土方さんがその都度下す超局地的予報は、テレビのお天気お姉さん以上に正確だ。 例えば、今、あたしたちがいるこの神社で、雨や雪が何時頃から降り出すのか。その程度のことなら、 頭に入れておいたその日の天気図を基に、雲や風向き、気温、空気の湿り具合なんかを確かめれば簡単に判るって言う。 この境内のどっちが東でどっちが西なのか、それすら怪しいあたしにとっては何が何やら、さっぱりな話だ。 「へー。今夜は雪かぁ。そーなるといよいよこたつの出番だぜ、姫ィさん」 「うんっ。ねえ、いつ買いに行く?」 「明日がいいんじゃねーですかィ。初売りセールったって、狙い目はやっぱ初日だろ」 うん、と笑って頷き返す。今年のお正月をこたつで楽しむ。これは年末からの総悟との約束だ。 「今年のお正月は二人でお金を出し合ってこたつを買って、短いお正月休みをぬくぬくと過ごそう」 あたしたちは顔を合わせるたびに、まるでそれだけがお正月の楽しみかのように何度も言い合ってきたのだ。 明日の今頃は二人でこたつに入って、のんびり昼寝でもしてるのかな。 あったかいこたつで過ごすのほほんとした休日を思い浮かべると、なんだか嬉しくなってきた。 ふふっ、と自然に顔が緩む。ほんとうに楽しみだなぁ、こたつ。 「いいよねーこたつ。テレビ見てぬくぬくしながらさー、居眠りしてうとうとするのが気持ちいいんだよねー。 暖まりすぎて足が痒くなるってわかってても気持ちよくって昼寝しちゃうんだよねー」 「買ったらさっそく昼寝しねえとなァ」 「うんうん、やっぱりお正月はまったり寝正月したいよねー」 「ああ、がよく眠れるよーに俺が腕枕してあげまさァ」 「へ」 きょとんとしていたら、総悟がこっちへ寄ってきた。あたしの顔を覗き込んで、大きな瞳を細めてにっと笑う。 こんなふーに、と潜めた声で言いながら腕が伸びてくる。肩の上に何気なく乗っかった細身の腕を眺めて、思わず目が点になる。 「・・・・・・・ちょ。なに、これ」 「寒がりの姫ィさんをあっためてやろーかと思ってねェ」 「は?いや寒がりって、・・・え、ひゃ、っ」 ぐいっ。冷たい手に引き寄せられる。ふらついたあたしの身体は、とん、と隣の肩にぶつかった。 総悟が顔を近づけてくる。何か企んでいそうな笑みを浮かべた目元を、蜂蜜色の前髪が半分隠している。 首を傾げるとさらりと揺れた。 「まーまー、遠慮すんねィ。その煙草臭せー服ぶん取りたくなるくれー寒かったんだろ」 「へ?・・・それは、まあ、寒かったには寒かったんだけど。でも違うよ、これはぁ」 そこであたしたちは、どん、と壁みたいな何かにぶつかった。見上げるとそれは、急に足を止めた土方さんの背中だった。 「なんです土方さん。何か文句でもあるんですかィ」 土方さんが無言で振り返る。いまいましげな目つきであたしの肩に回った腕を眺めると、総悟を眼光鋭く睨みつける。 どんどん眉間が険しくなっていく土方さん。そんな土方さんに見せつけるかのようにあたしを抱き寄せる総悟。 ほんとに迷惑な人達だ。通り過ぎる参拝客と屋台に囲まれた神聖な神社の参道が、二人の放つ物騒な空気で澱んでいく。 メンチを切り合う視線の間にはバチバチと目には見えない火花が散っていそうだ。険悪さの真っ只中に置かれたあたしは、 口許に巻きついている総悟の腕の影で、はぁ、と呆れきった溜め息をついた。 ・・・なんで毎回毎回、そんなにムキになるかなぁ。土方さんってこういうところはすごく子供だ。 土方さんがムキになればなっただけ総悟は喜んじゃうのに。このひとが思ってるようなこととは違うのになぁ。 違うのに。別に総悟のこれは、決してあたしに気があるとかそういうことじゃないのに。 わかってないなぁ土方さんたら。なんやかんやとヒネたことは言っても、総悟はね、土方さんと張り合うのが大好きなんだよ。 今のだってあたしに構いたいというよりは、あたしに構うことで間接的に土方さんを怒らせてじゃれ合いたいとか、 暇潰しにからかって遊びたいとか、どうせそれくらいのことしか考えてないんだよこの悪戯好きなドS星の王子さまは。 まあ、いつもこの二人の間に挟まれて困らされる立場としては、あんまり面白くはないんだけれど、つまりあたしは、 この二人が心置きなく派手に喧嘩するための理由というか――この見た目によらず血の気が多い二人組が ガキっぽくて物騒なチャンバラごっこに没頭するための、都合のいいダシにされているようなものなわけで。 「・・・・・・。あーあ、バカバカしいっ」 「「はぁ?」」 白けきった半目顔になってつぶやくと、二人が同時にこっちを向いた。 お互いの衿首を掴み合っている土方さんと総悟の間に、口を尖らせながら割って入る。 「はいそこまでっ、今日はもうケンカ禁止! 総悟もやめてよね、いくら土方さんと遊びたいからってあたしをケンカに巻き込むのはぁ。土方さんと二人で遊んでよ」 「あぁ?ぁんだこの野郎。喧嘩の原因が舐めくさった面しやがって。誰のせいで揉めてっと思ってんだ」 「そーでェ。大体こんな仏頂面野郎と遊んだって、俺ぁ面白くもなんともねーや」 「だって本気で止めるのもバカバカしいんだもん。 よーするにあれじゃん。二人にとってのあたしって、あれと同じなんだもん。ほらあれ」 「・・・?あれってえのは何のことでェ」 「だーからぁー。あれだってばぁ、あそこの射的屋さんに並んでるあれ」 あたしたちが歩いている参道を両側から挟んで立ち並ぶ屋台の列。 その中に、真っ赤な看板が目立つ射的屋さんがある。並べられた景品をおもちゃの銃で狙って倒すあれだ。 そこの店先で他の景品と一緒に並べられたあるものを、あたしは指で一直線に指してみせた。 もし弾が当たっても誰も喜んで持っていきそーにない、縁起もののタヌキの置物を。すると土方さんが あたしの身体を一通り眺めながら、ふーっ、と大量の煙を吐き出し、眉ひとつ動かない無表情さでぼそっと言う。 「まあ間抜け面が似てねぇこともねえが。ああ、そーいやぁ最近微妙に太ってきてねえかお前。食い過ぎだろ」 「そーいうことじゃなくてえぇ!」 隊服の衿をひっ掴み、上下にブンブン振って抗議する。言ったよこのひと、言ってくれたよこのひと!! クリスマスやら忘年会やら、美味しいものを食べる機会が目白押しのイベント続き、さらにお正月に待っている おせちやお雑煮の美味しい誘惑に勝てなかった自分をこっそり悔やんでる女の子にとって最大の禁句を! どーしてくれるんですかこのこのこのっっ、悔しさのあまり涙目になっちゃったじゃん! 「ちょっとぉぉぉ! こんな人気の多い場所で何てことを言い出すんですかこのヤロー、実はすっごく気にしてたのにぃぃ!」 「はぁ?ざっけんな。正月太りを気にした女が汁粉七杯平らげるかってんだ」 呆れを通り越して驚きだ、とでも言いたげな顔で土方さんが呻く。そこへなぜか、総悟が興味深そうな顔をして寄ってきた。 顎に手を当てた、何かを考え込んでいる人がよくやるようなポーズになり、あたしの顔をしげしげと眺めて、 「あー。そういやぁ姫ィさん、最近ほっぺたの肉付きが良くなってねーかィ」 「いや顔だけじゃねーぞ。実は腹や二の腕も」 「あれっ。よく見ると太腿もヤバくねーですかィ」 「殺されたいの!?二人とも殺されたいのかコノヤロー!!!・・・いやだからそうじゃなくてえぇ! だからねっ、総悟があたしに構いたがるのは土方さんとケンカするのが目的なのっ、あたしじゃなくて!」 そう、結局あれと同じなんだよ。要するにあたしの立場って、そこの射的屋さんで景品として並んでいる 招き猫やタヌキの置物みたいなものなんだ。コルク弾でパチパチ狙い打ちして、一緒に来た友達なんかと 「どっちがあれ倒せるか競争しよーぜ」「おう、お前には負けねーぞ」なーんて言い合いながら競り合うことが目的で、 けして景品そのものが欲しいわけじゃない。そう説明したら総悟は目の色を変えて黙り込んで。 顔が見えなくなるくらい深くうつむいて、面白くなさそうに食い縛った口許から一言、ぽつりと漏らした。 「・・・・・どこまで鈍いんでェ」 「え?」 総悟がくるりと踵を返す。長いコートの裾がさあっと大きく翻った。 先を歩く近藤さんの背中を追いかけ、ざっ、ざっ、ざっ、と石畳を荒い足取りで踏み鳴らしながら行ってしまった。 その後ろ姿を見送りながら唖然とする。・・・えっ、何で?何が気に食わなかったの?いつもの気まぐれ? それともプライドの高いドS星の王子さまは、正月早々から女にお説教されるのがお気に召さなかったんだろーか。 「ねえ、総悟ー、・・・・・どーしたの急に、・・・・・・あたし何か悪いこと言った?総悟ぉー?」 「あれぁ完全にヘソ曲げたな。フン、ざまーみやがれ」 愉快そうに歪んだ咥え煙草の口端が、どっちかといえばおまわりさんより犯罪者寄りな人相の悪い笑みをこぼす。 大人気ないなぁもう。呆れた目で睨んであげたら、澄まし返った視線がすいーっと屋台のほうへ逃げていった。 「土方さんも土方さんですよっ。副長と隊長が率先して真選組のイメージ悪くしてどーするの。 もういいでしょ?あれだけの人前で派手にやったんだから、二人とも今日は大人しく、・・・」 言いながら目についたのは、数人の参拝客が手を清めている手水舎の奥。 あまり広さのない境内と、それに見合った広さのこぢんまりした鎮守の森とを仕切って、低い垣根が張り巡らされている。 垣根に沿って深緑の庭木が並んでいて、さみしくなりがちな冬の景色に彩りを添えていた。 そこになんとなく目が止まる。ふとあることを思いついた。 「土方さん」 「ああ?」 「あのね、あたし、ちょっと寄りたいところがあって。すぐ戻るから先に現場に行っててください」 ちょっと不思議そうに頷いた土方さんの前から、踵を返して走り出す。 初詣客の混雑の中に飛び込んで、どこにいるのかな、と境内を見回していたら 拝殿の近くにその姿を見つけた。参拝客のおじさんと親しげに話している背後に駆け寄る。 「あのっ。すみません」 「はい?」 穏やかな笑みを浮かべて振り返り、あたしを目にした神主さんが言葉に詰まる。 こんな時ってどういう顔をしたらいいものなんだろう。気まずいなあ。 困りながらも「さっきは本当にすみませんでした」と深く頭を下げてからにっこり笑ったら、 頭のてっぺんから爪先までを一通り、どれだけ控え目に見ても不気味がられてるとしか思えない態度で眺められた。 ・・・自業自得とはいえ困ったなぁ。思いきり警戒されちゃってる。笑顔を軽く引きつらせながら、あたしはもう一度頭を下げた。 「お騒がせして申し訳ありませんでした。・・・あのぅ、実は。お願いしたいことがありまして・・・」 「土方さぁーん」 ぐしゃ、ぐしゃ。 足元で踏みつけた燃え残りの木材が、乾いた音をたてて崩れていく。 コンクリートの塊や、どこかの梁だったらしい鉄骨、長い角材を踏み越えながら、五十メートルくらい先に立つ 土方さんの背中を目指して事件現場を進んでいった。近藤さんと総悟の姿は見えない。聞き込みに回っているんだろうか。 ぐしゃ、ぐしゃ。ぺきっ。ぱきっ。 踏み込むたびに音が鳴る。炭化した木材。建材の屑。割れた硝子片。足場が揺らいで歩きづらい。 一歩踏み出すたびにブーツのかかとが敷き詰められた瓦礫にめり込む。なかなか先に進めない。 苦労しながら一歩ずつ踏みしめていくと、瓦礫とは違う、柔らかい感触が足裏に当たる。 どこかの店から吹き飛ばされてきたらしい、小ぶりな水色のうさぎのぬいぐるみだった。 割れた硝子の破片が刺さって腕から中綿がはみ出ていて、泥と砂塵で灰色に変色している。 どうしてだろう。事件現場でこういうものを見てしまうと、ひどく悲しい気持ちになるのは。 こういうものを見つけると、なぜか自分が体験したわけでもない爆破テロのむごたらしさを疑似体験しているような気分になる。 昨日の爆破に巻き込まれた人達が、一瞬にして平和な日常から引き離されてしまった瞬間。 その瞬間の残虐さを、小さなぬいぐるみの汚れた姿から垣間見たような気分になるのだ。 拾い上げて軽く泥を払って硝子片を引き抜いて、コンクリートの塊の上にちょこんと座らせて。 持っていた巾着の中から取り出したものを、その横へ添える。しばらくじっと見つめてから、また先へ踏み出した。 瓦礫に突き刺さった背の高い壁の前で立ち止まる。 すっかり変色して半分以上黒焦げだけれど、大きな花柄の壁紙が貼ってあるのがわかる。どこかのお店の壁だったみたいだ。 回避しようか乗り越えようか、迷って足を止めた時に、頬にふわりと乗った冷たさを感じた。 なんだろう、と触って確かめる前に、肌の上でじわりと溶ける。雪だ。もう降ってきたんだ。 見上げてみると、白いものがちらちらと揺られながら落ちてきていた。 こうして見上げていると、あの真っ白な一粒ずつが風の流れに任せてふわふわと踊っているみたいにも見える。 空は見渡せる限りにどこまでも、青みがかった色の分厚い雲に覆われていた。 「ごめんね土方さん、待っ」 「遅せぇ。どこで油売ってんだ!」 振り向いたひとの鋭い視線とばちっと目が合う。思わず、ぷっと吹き出した。 すごく寒かったみたいだ。姿勢が猫背気味になるくらいにがっちりと腕が組まれているし、 ぎりっと煙草を噛みしめた口の中では、ガチガチと盛大に歯が鳴っている。 「ぁんだてめ。人の面見て笑ってんじゃねえぞ」 「だってぇ。誰でしたっけ、武州の寒さはこんなもんじゃないとか言ってたのは」 「うっせぇ。、お前それ脱げ、返せ」 「え?わ、ちょっ、」 がばっ。迫ってきた土方さんがあたしが借りているコートの衿元を掴んで広げた。 途端に肩口から背中に寒さが侵入、背筋がさあーっと冷えていく。 「!ひぁぁああっっ!」と裏返った変な悲鳴が飛び出て、少し離れた場所で撤去作業中の人達が、何だ何だ、と振り返る。 「ばっっ、妙な声出すんじゃねえ!見ろ、注目集めやがって!」と目の色変えた土方さんに叱られた。 無理!そんなこと言われても、無理!てゆうか誰がこんな悲鳴を上げさせたと思ってんの、誰が! 横暴な手から衿を奪い返そうとするけどなかなか離してくれない。全力でコートの引っ張り合いになった。 「ししっ、信じられないぃ!寒がりな女の子に譲ろうって気はないんですか!?鬼ぃ!人でなしいィィ!」 「ぁあ?何を抵抗してやがんだコルぁ。 こっちはなぁ、バカ女が来ねえおかげでこの吹きっ晒しの中で二十分以上つっ立ってんだぞ!」 「ぇえ〜〜、やだぁああ!いやですよぅ、今脱いだら風邪ひいちゃうじゃんっっ、寒いぃ!」 いやだいやだ、ともがいているうちに袖丈が長すぎて指の先すら出ていない両腕の袖口を掴まれ、 そこからずるーっ、と一気に腕を引き抜かれる。ぬくぬくだったコートから外気の中へぽいっと放り出され、 その勢いでよろよろっと地面に崩れ落ちた。へたり込んだ瓦礫は氷みたいな冷たさで、全身にぞぞーっと寒気が。 ひいぃぃっ!と甲高く叫んだあたしを気に掛けることもなく、冷酷無情な鬼の副長は悠々とコートを羽織っている。 寒い!冬だからとか雪が降っているからとかそういう諸々以前に色々と寒い!なにこれっ、北極?北極なのここは!? そこへ、降ってくる雪と瓦礫に積もった砂塵を巻き上げながら、びゅうぅううっ、と強いビル風が通過。 全身に鳥肌を立て、自分で自分をがちっと抱きしめながらあたしは絶叫した。 「っっ〜〜〜!!ささっ、寒ぅっっっ!ぉおお鬼いぃぃぃ!土方さんの鬼いぃぃ!」 「何とでもほざけ。車に戻るぞ」 「えぇええええ。も、戻るってぇええ。ど、どこか確認するんじゃ、なかった、のぉお?」 「とっくに済んだ。そこの火元の確認だけだからな」 「ふーん、・・・・・あ。山崎くんだぁ」 爆破と火災で姿を変えてしまったこのショッピングモールでどうにか原形を留めている、ビルの土台だった部分の中。 瓦礫になって半分崩れ落ちている、真っ黒に煤けたコンクリート壁の向こうに、他の隊士よりもちょっと小柄なあの姿を見つけた。 山崎くーん、と大きめな声で呼びかける。けれどあたしの寒さで震えた声じゃ聞こえなかったのか、 消防隊らしき制服の数人と何か真剣な表情で話しながら、コンクリート壁の影に消えてしまった。 「・・・行っちゃったぁあ。聞こえなかったのかなぁ山崎くん」 「お前に構うどころじゃねえだろうよ。今回、ここの実地検分はあいつが仕切ってんだ」 「えー、そうなんだぁ。すごいなぁ。さすが山崎くん」 寒さで鳴る歯をガチガチ言わせて、それでも心底感心しながらつぶやく。 すると、当然だ、と何の感慨もなさそうな素っ気ない声が返ってきた。 「あれぁうちの監察の要だぞ。そのくれぇ出来ねえでどうする」 だってすごいよ。こんな大事件の現場を任されるなんて、各隊の隊長さんたちにだって滅多にないことなんだから。 いつもは地味だとか存在感が空気以下だとか頼りねーとか使えねえだとか、とにかく土方さんは山崎くんをボロクソに言うけれど 副長直属とはいえたいした役には立てていなかったあたしなんかとは、信頼度が全然違うんだよね。 そういえばまだ、山崎くんには新年の挨拶をしていない。昨日も今朝も忙しかったみたいで、屯所では姿を見かけなかった。 今も忙しそうだけど、・・・いいよね、遠くから一声掛けるだけなら。そのくらいなら仕事の邪魔にはならないだろうし。 一歩踏み出したら、おい、と呼ばれて、後ろから肩を抑えられる。 振り向いて眺めたひとは山崎くんにも負けないくらいの真剣な表情になっていて、思わず面食らってしまった。 「待て。お前は入るな」 「えー。どうして」 「・・・あの奥には」 あまり言いたくなそうに切り出して、土方さんが口をつぐむ。 どこか遠くを見つめる表情――あの向こうにある何かを思い返しているような顔で、コンクリートの壁に目を向けた。 「ガキ向けの遊技施設があった。火の回りがどこより早かったせいで、どこより酷でぇ有り様だ」 短くなった煙草を揺らしながら喋る土方さんは、そこから厳しい目線を逸らそうとしなかった。 さっきの汚れたうさぎのぬいぐるみや、瓦礫に混ざっていた子供の下駄が頭に浮かんでくる。 なぜか心細いような気持ちになって、いつのまにか掴んでいたコートの袖をきゅっと握り締めた。 しばらく間があってから、土方さんが口を開く。細かな雪が舞う中に、白い煙がゆらりと流れた。 「車ぁ表に回してある。戻るぞ」 「・・・・・。うん。でも、ちょっとだけ待って」 巾着の口を広げて、貰ってきたものを中からそっと取り出す。 二輪の白い椿の花。ちょうど今、空から降っている雪と同じような純白だ。 「これをね、お供えしたいの」 つぼみからようやくほころびはじめたばかりのころんと丸い花。 顔に近付けると、ほんのかすかな香りが広がる。花芯にはまだ露が残っていた。 「咲いたばかりの花ですよー。ね、真っ白できれいでしょ?」 「・・・・・おい、まさかお前。どこの庭からかっぱらってきた」 「はぁ?」 ぱちぱちと目を瞬かせながら、怪訝そうに眉を寄せた土方さんを見上げる。 なに。何がですか。かっぱらうって、何のこと。 疑念たっぷりな目で見ていたら、わしっ、と肩を手で抑えられる。深々と長い溜め息をつかれて、 このうえなく残念なものを眺めるよーな目つきで見下ろされた。 …いや、てゆうかこれ、完全に見下されてるよね。蔑まれてるんだよね!? 「勘弁しろ。他の何を盗んでもこれだけは罪にならねえとは言うがな。 それにしたってお前、元警官が花盗人たぁ笑えねえぞ」 「はぁ!?違いますよ!」 肩に乗った手をぺしっと払い、ちーがーうぅ!と地団駄踏んで訴える。それでもまだ疑っているらしい。 こっちを眺めている目がまるっきり罪人を咎める目つきだ。なにさもうっ、失礼な! 「ちーがーうぅぅ!これは貰ってきたの、神主さんに分けてもらったの!」 「・・・?貰ったって、あの神社でか」 「そうですっ。とにかく置いてくるからちょっと待っててくださいっっ」 ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃっ。 まだ疑いの眼を向けてくる土方さんの前から回れ右して、足元の瓦礫にムカつきをぶつけながら歩く。 割れずに残った分厚いコンクルートの壁を、大きなテーブルのように据えた場所を目指した。 そこには遺族や市民からの献花やお供え物が集められていて、殺伐とした現場の中ではぽつんと浮いた雰囲気だ。 爆破の衝撃に耐えた大きな瓦礫を間に合わせで据え付けただけの、即席の献花台。 砂塵を被ったその上には彩りの鮮やかな花束が並び、小さな子供向けのカラフルなお菓子の袋や可愛い玩具も並んでいた。 その可愛らしさがかえって痛々しく思えた。落ちていたうさぎのぬいぐるみを目にしたときと同じ気持ちになる。 ここが爆心だったんだろう。黒く焦げた地面がうっすらと見えている部分を中心にして、全ての瓦礫が放射状に倒れている。 大きめな足音が背後から近付いてきた。 椿の花をコンクリートの献花台の隅に供え、手を合わせて黙祷する。 胸の中で祈りの言葉をつぶやいてから、隣に立ったひとの気配に喋りかけた。 「ここに来たら、思ったの。せめてお花くらいは供えたいなあって。でもお財布は持ってこなかったし、 土方さんにお金を借りて買おうかと思ったんだけど、・・・今日って元旦じゃないですか。どのお花屋さんもお休みだから」 「それで神社の庭木か」 「うん。でね、事件現場に供えたいってお願いしたら、社の花が亡くなった人達の供養になるなら、って 神主さんが快く切ってくれたんですよー。だけどほら、ただでお花を貰うもの悪いじゃないですか。 神聖な場所のお花を特別に貰ったわけだし。だから巫女さんたちに混ざって境内の掃き掃除をお手伝いしてきました」 椿は花がぽろっと落ちちゃうから、こういう場所に持ってきていい花じゃないのかもしれないけど。 でも。ここに来たら。何かしたくなった。 ・・・・・このお花で何かが変わるわけじゃないけれど。それでも何かしたくなった。 今日飾られたばかりの鮮やかな花たち。その隅に添えた純白の椿を見つめるうちに、思ったことがそのまま口からこぼれた。 「・・・もう二度と起きないといいのにね。こんなこと」 さっき、神社の拝殿でも同じことを祈った。 もうこんな事件が起きませんように。大事なひとを突然奪われて、悲しい思いをする人が増えませんように、って。 「さっき願掛けしたときにもお祈りしたんですけどねー。聞いてくれたかなぁ、神様」 「無茶言うな。元旦だぞ。向こうさんは年に一度の掻き入れ時、猫の手も借りてぇ忙しさだ。 お前の願掛けなんざ無視だ無視。賽銭まで人の金に頼ろうって奴の頼みにいちいち耳貸していられるか」 「神様がそんなケチくさいこと言いませんよぉ」 土方さんじゃないんだから。 くすくす笑いながら、そう言おうとした。なのに唇が、何の前触れもなくぶるっと震えて。喉が詰まった。声が出ない。 息を呑んで黙り込む。自分でもびっくりすることが起きた。 唐突に目元に湧いた熱いものが、つうっと頬を伝っていったのだ。 ――なんで。泣いてる。あたし、泣いてる。 涙が勝手に溢れてくる。 胸につかえた塊のような何かが震えて、感情をぐらぐらと揺らそうとしている。 こみ上げてくるのは悲しさ。戸惑っているあたしを勝手に感情の渦に呑み込んでいこうとする、強烈で強引な悲しさ。 ・・・どうして。 ぼろぼろと溢れ続ける涙を拭う気にもなれなかった。 わけがわからない。だけど悲しい。すごく悲しい。すごく辛い。身体を引き裂かれるような。胸を焼かれているような。 わからない。どうして。なんなんだろう。震え始めた口を抑える。身体からすーっと力が抜けていく。 困惑して固まっていたら、土方さんの腕がざわりと動く。重たくてあったかい手の感触が肩に置かれた。 あたしの気配を慎重に窺っているような、低めた声が静かに尋ねてきた。 「。おい。どうした」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかんない」 隠れていた何かが――得体の知れない悲しさが溢れ出す。頬を濡らす温かさに変わって、冷えた肌をすうっと伝っていく。 この悲しさがあたしを泣かせているんだ。それは判るのに。判らない。この悲しさの理由が。涙の理由がわからない。 あたしが知らない間にあたしの中に潜んでいた、この感情が。 染み渡っていく。 冷えた氷を抱きしめているみたいに胸の中を痺れさせる、この不可解な悲しさの理由が。 これは何。何なの。 唇が震える。涙が瓦礫に落ちる。強張った肩が小さく揺れている。視界がぼうっと滲む。口許をぎゅっと強く抑えた。 これは何。 どうしてこんな気持ちが、――味わったことがない悲しさが、あたしの中にあるの――? 「ちがうの。これ。勝手に、・・・・・・・・・やだ。なんで、・・・」 ぽつり。ぽつり。足元の瓦礫を涙が濡らす。ふわりと落ちたちいさな雪の粒が、同じ瓦礫に溶けて染みていく。 頬を流れたあたたかい雫が、口を塞いだ手の甲を伝っていった。雫の流れ過ぎた跡が痛むくらいに冷えていく。 はぁ、と深い息を吐いて、少しずつかじかんでいく手を丸めて。擦り合わせて温めようとしたら、とん、と背中に何かがぶつかる。 ざわついた衣擦れの音が身体を包んで、背後からの温かさに覆われる。背筋を凍えさせていた寒さがふっと消えた。 あ、と掠れた声が口から漏れる。後ろから回ってきた腕に引き寄せられる。背中からぎゅっと抱きしめられた。 あたしは肩からコートの中にすっぽりと包まれていた。黙って抱きしめてくれた土方さんの胸が、冷えた背中を覆っている。 雪と冷気からあたしを遮っている。その身体を芯から燃やしているような熱が、冷えた隊服の布地を通して伝わり出す。 肌に慣れた高めな体温だ。その熱さを感じるだけで、胸を一杯にした悲しさが少しずつ薄れていく。言いようもなくほっとした。 頭上一面に広がっている、青みがかった憂鬱そうな空。さっきまでよりもわずかに暗さを増したように見えた。 そこから無数の白い欠片が舞い降りてくる。羽毛のような軽やかさで、目の前でもちらちらと躍っている。 分厚いコートを纏った二の腕が耳を強く塞いでいる。 撤去作業中の車の機械音が、はるか遠くの霞んだような音に聞こえた。 土方さんは何も言わなかった。あたしは何も言えなかった。言うべき言葉をみつけられなかった。 寒さから護ってくれる温かさに背中を預けて、コートの袖の端っこを握りながら目を閉じる。 土方さんの腕で遮られた物音に、じっと耳を傾けた。 広い焼け野原で二人きりになったような気がした。時間が止まっているように思えた。 とても短い時間しか経っていないような気もしたけれど、もしかしたら数分くらいは経っていたのかもしれない。 いつのまにか車の機械音は止んでいて、肌に突き刺さるビル風は凪いで弱まっていた。 その間ずっと、土方さんは黙って抱きしめてくれていた。 無駄に時間を潰すのを嫌うこのひとが。そう思ったら胸の奥をくすぐられるような、居心地の悪い嬉しさが湧いてくる。 ふわりと瞼に乗ってきた冷たさを感じて、目を開ける。 あたしが身じろぎすると、耳の横あたりにくっついた頭がもたれかかってきて、軽く重みを掛けてきた。 ゆっくり吐いた息遣いと、硬い髪の毛先が頬をかすめる。 しっかり抱きしめてくれた腕の中でもじもじと動いて、きゅっと身体を竦めた。煙草の香りまでくすぐったい。 「また冷えてきやがったな」 「・・・・・・。うん」 「空気も湿ってきた。風もじきに止むな。夜明けにはここも真っ白だ」 口を塞いでいた両手が、ごつごつと固くて熱い感触に包まれる。 意味もなく湧き続けている涙がぽろりと溢れた。あたしの手を覆った土方さんの手が、こぼれた雫で濡れていくのが見えた。 「・・・江戸じゃ滅多に目にしねえ景色だが。武州の初雪の朝は、ガキどもにとっては特別だ」 軽く息を吸い込む気配がして。ぼそっと切り出した低い声に、暖まり始めた耳の奥を埋められる。 「広れぇ河原だの田んぼだの畑だの、そこいら中を犬ころみてぇにはしゃいで走り回る。どいつもこいつも雪にまみれて、 身体中真っ白んなって、頬真っ赤にして転げ回って。普段はスカした面で気取ってやがる、総悟みてえな奴までな」 「・・・土方さんも。そうだった?」 「ああ。石詰めた雪玉で気に食わねえ奴の歯ぁ折ったことがあったな。そん時ぁ、親に嫌ってぇほど殴られた」 いつも通りに淡々と、けれどいつになく饒舌に綴られていくその言葉に内心驚きながら、そっと斜め上を見上げる。 眩しげに細めた視線を遠くの空へ向けている、土方さんの横顔を。 重い口を割って昔話をしてくれるのは、何かの気まぐれを起こした時か、あたしがしつこくねだった時だけだ。 珍しい。仕事第一のこのひとがこんな場所で気まぐれを起こすなんて、すごく不思議だけど、 ・・・もしかして。気を遣ってくれているのかな。 そう気づいたら、胸がとくんとちいさく弾んで。身体の芯からほんわりした温もりが溢れてきた。 「・・・きっと、」 「あぁ?」 「この雪は。きっと。・・・降らせてくれたんですよ神様が。 神社の神主さんがお花をくれたみたいに。亡くなった人たちへの供養に、って」 「・・・。てこたぁ、江戸中に落ちてくるこいつら全部が手向けの花ってことか」 「うん。そう」 あたしがこくりと頷くと、耳の横で、はっ、と乾いた声が笑う。 「豪勢な弔いだ」 「うん。そう思うと素敵でしょ?」 「ああ。とても汁粉七杯ドカ喰いした女の台詞たぁ思えねぇ」 耳たぶをかすめた唇に、かすかな笑い混じりの皮肉を浴びせられる。 脚をじたばたと暴れさせて、後ろに立つひとの脚をブーツの靴底で蹴り上げた。 何度蹴っても全部器用に避けられて、結局一発も当たらないままに終わってしまった。ちぇっ。 「土方さんは、神社で何をお願いしたんですか」 「してねえ」 「へ?」 「神頼みってえのは性に合わねえ。さっきのあれァ、お前らに付き合って頭下げただけだ」 「してないって、・・・ひとつも?何もなかったの、神頼みしたくなるようなこと」 「ああ」 低めた声でつぶやいて、土方さんはやや間を開けてから口を開いた。 「まあ、何もってこたぁねえが。どれもこれも、神仏に縋るまでもねぇことだらけだ」 そう答えて、ふたたび口をつぐんだ。細めた視線が果てしなく遠くを見据えている。 このひとの生まれついた表情の薄さがさらに増して見える、何かを深く考え込んでいるときの表情だ。 「――あぁ。そうだ。どれもその程度のもんだ。てめえでどうにかしてみせるさ」 まるで誰かに言い聞かせているような、確信を籠めた声音で、土方さんはそう言った。 皮膚が分厚く固まった親指の先が、目元を熱くする雫に触れてくる。冷えた肌を擦って拭い取っていった。 その指からこぼれた涙が、ぽつりと足元の瓦礫に落ちていくのが見えて。なんとなく思う。 わけのわからないあたしの涙も、煤で汚れたこの瓦礫を洗い流すひとしずくになればいいのに。 この焼け野原一面に等しく降り注いで、白く清めて覆い尽くす。街中を真っ白に包んでいく、静かな手向けの花のように。 大事なものを奪われたひとたちの涙を浴びた、凍えた焦土を眠らせて。炎に呑まれて消えていったひとたちの 悔しさや悲しさをそっと包んで、春が来るまで眠らせてあげるための、ほんのちいさなひとしずくに。 ごうっ、と強くて耳障りな風が身体を揺らす。冷えた頬を削ぐような勢いで過ぎていく。 乱れたあたしの髪が目の前を舞う。土方さんの長いコートの裾が、ばさっと大きくはためく音が耳を撫でる。 ここに立つ人の虚しさをさらに打ちのめそうとしているかのような荒れた風が、砂塵や建材の破片を巻き上げ、 舞う白雪を薙ぎ払っても、身体を覆った温かさはあたしを抱えたままで動かなかった。

「 おおかみさんのふゆやすみ 」 end  text by riliri Caramelization 2011/01/22/ ----------------------------------------------------------------------------------- おまけの*5.5は大人限定です  *こちら* からどうぞ