姫 さ ま お 手 を ど う ぞ言うんじゃなかった。 困った。どうしよう。こんなつもりじゃなかったのに。 さっきまで座っていたテレビ前からズリズリとお尻で這って引き下がり、 ついには箪笥の前まで追いつめられ、情けなく顔を引きつらせたあたしは、どうしようもなく困っていた。
「・・・で。この先どうすんだ」 「さ・・・・・・・・。先、って、言われてもぉ、・・・・・」 こっちへ身体を乗り出してくる土方さんは、深くうつむいている。 屯所の外を覆った暗闇と同じ色をした頭が、目の前で深く下げられている。その表情は見えない。 たまに思い出したかのように顔を上げる。あたしの反応を見るためだ。 事の始まりは、テレビで流している大昔の映画を見ていたあたしの独り言だった。 主人公のお姫さまの社交界デビューを祝う舞踏会が始まり、「姫、踊っていただけますか」と跪いて差し出された手。 お姫さまが手を預けると、男のひとはその手をさりげなく引き寄せ、滑らかそうで真白な手の甲に 触れるだけのキスをした。 そういえば、小さかった頃に大好きだった学園ものの少女マンガにもこれによく似たシーンがあった。 ヒーロー役の、凛々しく優しい留学生の王子さまは、その頃のあたしの憧れのひとで。 子供心に、主人公の女の子の手にキスを落とすその絵に胸をドキドキさせてたなー、・・・なんて、 小さかった頃の淡くて可愛いときめきをなんとなく思い出していた。 で、テレビの画面をうっとり眺めながら、ついぼんやりと口走ってしまったのだ。 「いいなあ。手を取ってキスなんて。・・・されてみたいなぁ」と、まるでしてくれと要求しているとしか思えない一言を。 口にしてしまった、と気付いた時にはもう、呆れすぎて口から煙草が落ちそうになってるひとと目が合っていて。 恥ずかしすぎて真っ赤になって固まってしまった。ところが、それがなぜか土方さんをその気にさせてしまったらしい。 まったく男のひとなんて、何がどういう理由で火が点くものなのか。女にはさっぱりわからない。 素早くあたしの手を取って指を握ると、喉の奥で笑いを噛み殺しながら顔を近づけて。 あっというまに、手の甲に唇を落とした。 ちゅっ、と音を立てていつもより弱めに吸いついたその暖かい感触で、あわてふためいたあたしは声にならない悲鳴を上げた。 ただ手に軽くキスされただけなのに、喉から心臓が飛び出しそうなくらいどきっとした。 あんまり身体が熱くなって、顔なんて自然発火してめらめらっと燃え上がるんじゃないかと思ったくらいだ。 そこから握った指の関節のあたりへ、丸めた指先へ、手首の裏へ。 移っていった唇は何度も同じように吸いついて、吸いつくたびにあたしを戸惑わせて。 頭の中を一杯にした恥ずかしさで眩暈がして、頭をグラグラ揺らしているうちに、 いつのまにか箪笥の前まで追いつめられていたのだ。 「・・・さ、先は、・・・・・やっぱり、ええと。 な。何かこう、歯の浮くよーな甘い台詞で、褒めまくって、・・・ダンスを申し込むんじゃ、ない、・・・・ですか」 「はァ?・・・・・・・・・・本気か。お前、俺にあれを踊れってえのか」 「う。・・・・・いや、あのぉ。だからぁ。土方さんに踊れっていうかぁ、・・・・・・・・」 「お前と、ここでか?」 「・・・だってぇ。この映画は舞踏会のお話なんだもん。自然とそーいう流れになるじゃないですかああぁ」 怪訝そうな瞬きをした土方さんが、絢爛豪華なパーティ会場を映したテレビに鋭い目を戻す。 しばらくそのまま画面に集中。男の人が笑顔でスラスラと並べ立てる甘くて口当たりのいい台詞や、どこもかしこも キラキラな舞踏会の絵面がどうにもむず痒いのか、たまにボリボリと首筋を掻いたり、けっ、と呻いて背中が寒そうに疼いたりする。 数分眺めてから眉を顰めてこっちに振り返った。 冷えきった半目がげんなりした色を浮かべて訴えてくる。ていうか、目だけで問答無用にきっぱり拒まれた。 「・・・。おい。正気か。あんなぞっとしねえ真似がしてえのか、お前」 「ううん。したくない」 ブンブンと大きく首を振って、真剣な顔で否定する。 まあ、そうは言ってもほんのちょっとだけ、怖いもの見たさでウズウズしてはいるんだけど。 タキシードか何かを着て、煙草を咥えてふてくされながら踊る土方さんを、面白がって眺めてみたい気はする。 いくら中身が怒りっぽくて荒っぽいニコ中マヨラーでも、黙ってるぶんにはそんな残念な気配は一切感じられないんだし。 普段だって、ただそこにいるだけで周りの女の子をそわそわさせちゃうようなひとだ。タキシードだって何だって 衣装負けしないで着こなすだろう。で、あたしはきっとその姿のかっこよさにぼうっと見蕩れるだろう。・・・まあ、もしもこの先、 そんな姿を目にすることになったとしても、見蕩れるよりもまず先に「笑ってんじゃねえ」って拳骨で一発殴られるんだろうけど。 点けっ放しのテレビと向き合った土方さんは腕を組んだ。 納得がいかなさそうな、怪訝そうな顔で首を捻っている。 多分、このひとにしてみれば、最初は軽い悪戯のつもりで始めたんだろう。 日頃から考えが足りねえだとか浅はかだとか言われ続けている「バカ女」のあたしが なんとなく思いつきで口にしたような、くだらない独り言をからかってやるつもりだったのかもしれない。 乙女の甘美な妄想なんてたわけた馬鹿話は、冷えた顔であっさり一蹴。 蹴ったそれがゴロゴロと転がっていくところを皮肉な半笑いで背を向けるような、現実第一の甘くないひとなんだから。 「・・・しっかしまぁ。あんな窮屈そうな裾の長げぇもん着て踊り回って。よくも転ばねえもんだな」 「へ?あ、ああっ、そうですねぇ、ほんとだよねっ。もしかしたらお姫さまって、意外と足腰が逞しいのかなぁ」 焦って声がひっくり返ったあたしの返事なんて聞いてもいない。 華やかな音色に包まれて軽やかにステップを踏むお姫さまを、呆れともつかず、感心ともつかない微妙な目で眺めている。 よかった。興味の矛先が舞踏会のお姫さまに逸れた。 ほっと胸を撫で下ろしていたら、思いついたような声でぼそっと言われた。 「そういやあ。お前も総悟に言わせりゃ「姫ィさん」だったな」 「えー。うん、まあ一応、そうですけどぉ。あたしの場合、あのお姫さまと違って何も意味はないですけどねー。 あーやってへりくだったような口聞いて、あたしをからかって面白がってるだけだもん、あの子は」 「にしたって、だ。人を舐めきったひねくれ者のクソガキに、姫とまで呼ばせてんだ。それだけでも捨てたもんじゃねえだろう」 「!?」 驚いて顔を上げると、土方さんはこっちに背を向けてテレビに意識を集中させている。 まだ半信半疑というか、自分の耳が信じられない。あたしはドキドキしながら訊き返した。 「へ、へえ、そ。そう・・・・・なの・・・かな、ぁ」 「ああ。・・・あの馬鹿の暴走に多少なりとも抑止が効くのは、近藤さんとお前だけだからな。 陛下でも女王でも姫でも何でも、いい気になって堂々呼ばせておけ」 「う、うん。・・・・・・・」 全身をうずうずさせて、今すぐ飛びつきたくなるのをこらえながら、目を丸くして背中を見つめる。 飛びついて背中を揺さぶって「ワンモアプリーズううう!土方さんお願いっっ、今の、もう一回言って!!」と叫んでしまいたい。 だって、言い方は遠回しだったけど。たいした注意を払わずに聞いただけじゃ、遠回しすぎて判りづらいくらいだけど。 もしかして。ひょっとして。あたし、今、土方さんに褒められたんじゃないの? 嘘。どうしよう。すごく嬉しいよ。だって、こんなの初めてだもん。飛び上がりたいくらい嬉しいよ。 自分にも他人にもめっぽう厳しい土方さんに。口が悪くて皮肉屋で、滅多に人を褒めたりしない土方さんに、 目の前で直々に褒められるなんて・・・!!! ――と、感動のあまりに目までうるうるさせて、胸の前でぎゅっと手を組んで背中に見蕩れていたのに。 土方さんは素っ気ない口調で付け足した。 「―まあ、姫は姫でも毛色はえらく違ったもんだな。このしとやかそうな別嬪さんと、お前とじゃ」 胸の前に固く組んでいた手が、自然と脱力して膝まで下がっていった。 へなへなと、がっくりと。今のあたしの急降下なテンションの下がりっぷりと、まったく同じスピードで。 天国から一気に地獄まで。 猛スピードで下降するエレベーターで、一気に最上階から地下牢に突き落とされた気分だ。 つまり、今のは。こういうことだよね。 姫は姫でも、あのお姫さまとあたしとじゃレベルがまったく違うと。姫は姫でもあれとこれとじゃまるっきり別物だと。 つまり、向こうは美しくて香り高くて、一般庶民じゃ容易く触ることもできない、温室育ちの高嶺の花で。 こっちは屯所の門前で雑に咲いては踏みつけられる、丈夫さだけが取り柄のドクダミとかペンペン草の花みたいなもんだと。 同じ花は花でもまるっきり別物、比べることすらおこがましいと。つまりはそーいうことだよね? ・・・・・・って、確認してたらあまりに自分が情けなくって、なんだか泣けてきたんですけど! 「・・・・いつも。」 「ん?」 「いつもいつもいつもいつも。余計な一言が多いんですよぉぉ、土方さんはあああああ・・・!! 姫は姫でもどーせこっちは雑草ですよっ、悪かったですねええぇぇ。おしとやかな別嬪さんじゃなくてえぇぇ!!」 自棄になったあたしは、周りにあったものを手当たり次第に、次から次へと掴んで投げまくった。 コンビニで買ったチロルチョコ、食べ終わったアイスの袋、土方さんがお風呂上がりに放りっぱなしにしていたタオル、 総悟が食べかけで置いていったスナック菓子の袋、お泊りグッズで膨らんだバッグからはみ出していた着替え、 他にもコスメポーチとか携帯とか、片っ端から何でも構わず投げまくる。 だけど力みまくって投げたおかげで、殆どが的(=土方さんの背中)から外れた。家具も物も少なくて 殺風景なくらい整然とした土方さんの部屋が、みるみるうちにゴミを撒き散らした無法地帯に変わっていく。 なのに、背を向けたままのひとはちっとも動じてくれない。返ってきたのは、どこにも気のない面倒そうな呆れ声。 しかもたった一言だけだ。 「・・・はァ?」 「どーせあのお姫さまには見劣りしますよっ、しとやかどころかピイピイ煩くって、何の取り柄もないバカ姫ですよぉぉ!! 同じ姫でもえらい違いだなーとか、こっちの綺麗な姫さんにしときゃよかったなーとか何とか思ってたんでしょっっ」 フン、と鼻先で嘲笑う声がした。 こみあげた笑いで揺れた背中が、くるりとこっちを振り返る。 瞬く間に手が伸びてきて、あたしの耳たぶをわしっと掴む。ぎゅうっっっ、と力任せに絞り上げた。 「っっったぁああいぃぃ!!」 「っせえぞコラ。今ぁ何時だと思ってんだ。つか、何を勝手にねじ曲げて聞いてんだ、この耳は」 痛いし悔しいし涙は出るし、最悪だ。耳を引っ張る腕を掴み、あたしは暴れた。 「放せえええ!!」と半泣きで、自分でも無駄だとわかってるのにもがいていたら、抵抗空しく背中と腰を抑えられた。 ぐいっと引っ張られて、たちまち胡坐を組んだ脚の上に身体を閉じ込められる。真正面からこっちを見下ろす土方さんが、 何か企んでいるような含み笑いを向けてくる。その顔と目が合ったら泣くのも忘れた。どきん、と高く心臓が鳴った。 「おい。誰が言った。てめえがあそこの姫さんに劣るたぁ、俺は一度も言ってねえぞ」 「・・・・・・え、・・・」 「つーか、お前があの女優に見劣ろうが見劣るまいが、構うこたぁあるか」 早口に言い終えると、ぴたりと声が止まる。 うつむいた顔には影が落ちていて、目が面白そうに笑って光っている。どきん、とまた心臓が高く鳴った。 やっぱり駄目だ。もう慣れたっていいはずなのに、この近さで見られるのはやっぱりどうしても恥ずかしい。 不自然に何回も目を瞬かせて固まっていると、すっと顔が重なってきた。 っっ、と声を呑み込んで、土方さんの胸のあたりに掴まって頭を下げる。顔を埋めるようにして身体をきゅっと竦める。 すると、素早くて柔らかいキスが落ちてきた。頭の天辺にひとつ、とん、と軽くぶつかった。 「何が気に食わねえんだ?お前とあれを比べたところで意味もねえだろ。 俺ぁしとやかな姫さんなんぞに用はねぇし、欲しかねえんだよ。このバカ姫で満足してんだ。それで問題ねーだろうが」 途端にかあっと火照った頬を、伸びてきた親指の先が遊び半分にふにっとつねって。ごつごつと硬い手のひらが覆って包んだ。 顎を軽く持ち上げられて、あと少しでお互いの顔がくっつきそうな近さで視線が重なって。 きゅうっと心臓が縮んだ。頬や耳たぶがぼうっと熱くなって、すごくせつなくなった。 こうして二人きりになって、あたしを前にしたときの土方さんは、いつだって結構ずるい。 だけど、こんなときにそんな顔をしてあたしを見るのは、本当に、酷いくらいにずるいと思う。 細めた目でこっちを眺めているひとは、意地悪そうでどこか子供っぽくも見える、憎たらしい表情をしている。 なのに、どうしてそんな、優しく言い聞かせるような声であたしの耳を一杯にしながら、 手のひらで包んだ頬を大事そうに何度も何度も、ゆっくり撫でたりするんだろう。 目がじわじわと勝手に潤んでいく。ああ、駄目だ、泣いちゃいそうだ。 口を開いただけで泣いてしまいそうで、奥歯を噛み締めたら口が歪んで。すっごく情けない顔になった。 なんて珍しい日なんだろう、今日は。雪でも降るんじゃないだろうか。 ・・・ううん、違った。雪が降るのは当たり前だ。だって今は冬だもん。 もし今ここで、障子戸の向こうにドスドスと槍が降って屋根や庭に突き刺さってきたって、あたしは絶対に驚かない!! これ以上にあたしを驚かせることなんて、他にあるわけがないんだから。 この耳で確かに、土方さんの口から聞いたんだもん。空耳でも幻聴でも何でもないはずだ。 ―このバカ姫で満足してんだ― 土方さんは確かにそう言った。・・・迷いのカケラもなくバカと断言されたのには、ちょっとムカついたけど。 でも、このひとにこんなことを言われるなんて、一生無いと諦めていたのに。 泣きたいくらい嬉しい。今すぐ飛びついて「だいすきっっっ」て叫んで、泣きじゃくりたいくらい嬉しい。 「うぜぇ」って言われちゃうくらいしっかりぎゅっと抱きついて、真っ黒い寝間着の胸に 涙をゴシゴシ擦りつけたいくらいに嬉しい。 どうなんだ、と薄く笑いながら目で催促してきたひとが、ぴたぴたと頬を叩いてくる。 何も言えずにしどろもどろに頷く。すると、土方さんはいつもの冷静で無表情な顔にするりと戻った。 布団の枕元に置かれた煙草に醒めた目を向けながら、あたしを横へ抱き下ろす。まるで何事もなかったみたいな顔をして。 「・・・・・・・、えっ」 あまりの落差と素っ気ない変貌ぶりに、唖然とする。 あたしが戸惑って目を丸くしていても、眉ひとつ動くことがない。 煙草を手に取り、その隣にあった灰皿へと腕を伸ばしながら、けろっとして言い放った。 「どうだ。このくれえで満足か」 「・・・は?・・・・・・・・」 「は?じゃねーだろ。何をボケてやがんだてめーは」 「へ?」 「へ、じゃねえ。お前が言ったんじゃねえか。歯の浮くようなセリフで褒めて、誘ってやりゃあいいんだろ」 自分が何を言われているのかを一瞬考え込んで。 それからあたしは、当たり前のようにこのひとにからかわれていたことに気付く。十秒遅れでカチンときた。 最初から歪めていた口がもっと歪む。言葉にならない不満を一杯に溜め込んで、頬がぷーっと膨らんでいった。 「・・・・・・?」 黙って睨みつけていたら、気配であたしの剣幕を察したらしい。 気付いた土方さんはちらりとこっちを流し見て、また手元の箱に目を戻して。 急に何か思い出したように、可笑しそうにふっと目を細めた。 背中を丸め気味に深くうつむいて、くつくつと籠った笑いを喉の奥で噛み殺し始める。指がトンと煙草の箱を叩いた。 飛び出た一本を咥えても、ライターを取り出しても、まだ背中が小刻みに揺れている・・・可笑しくて笑いが止まらないらしい。 「・・・・・あっ。悪徳詐欺師いいいぃ!!!」 かっとして手許の枕をひっ掴んだ。ライター片手に失笑しているひとに向かって放り投げる。 ぱしっ、と雑作もなく顔の前で受け止められた枕は、ぽいっとそのまま背後に捨てられた。 「はっ。詐欺ときたかよ」 くっ、とこらえきれずに吹き出して、押し殺し気味な笑い声を漏らしながら肩を揺らした。 こういうときだけはまっすぐに躊躇いなくこっちを覗き込んでくるあの目は、完全に「バカ姫」をからかうのを楽しんでる目だ。 悔しくなったあたしは、染まった頬をぷいっと逸らす。近づいてきたひとの胸を両手で押し返して拒んだ。 はっ、と低く笑い飛ばした土方さんが、いかにも情けの薄そうな悪人っぽい半笑いで迫ってくるのが怖い。 何で。どうして。あたしが何をしたっていうの。したのはそっちじゃないですか!! 「詐欺もペテンも何もあるか。嘘なんざ、ひとつもついちゃいねえってえのに」 「はあァァ!!?」 嘘。絶対嘘だ。だってあの意地の悪そうな顔は、明らかに何かを企んでる。 絶対にそうだ。笑うと見せかけてあたしを陥れようとしているに違いない。 うぅっ、いやぁああ、と涙目になって訴えたけど、片側だけ吊り上がった口端はにやついてるし、押した身体はびくともしない。 むきになって押しているうちに、逆に押した腕をそれぞれの手に掴まれた。 ぐうう、と出せる限りの力を籠めて思いきり押し返したけど、・・・・・・・・・。 抵抗しても無駄だった。この馬鹿力に敵うわけがない。半端に万歳した情けないポーズで、箪笥に身体を押しつけられた。 「わからねえ奴だな。これのどこが詐欺だ?ひとつも騙しちゃいねえだろーが。 お前が額面通りに受け取りゃいいだけの話じゃねえか」 「・・・・・・・・・、へ?」 「へ、じゃねーよ。ぁんだそのバカ面は。 ・・・ったく、人が真面目に口説いてやろうってえのに。呆けた面しやがって。こっちの気が抜けんだろーが」 笑い混じりにそう言うと、咥えた煙草も口端で可笑しそうに揺れた。 思いもしなかった答えに涙目を丸くして、あたしはきょとんと見つめ返した。 その顔がまた可笑しかったのかもしれない。 ふっ、と声を漏らして、呆れたみたいに表情を緩めて。咥えていた煙草を畳に放った。 「お前のおかげで虫唾が走る思いはさせられたがな。別に俺ぁ、思ってもねえこたぁ言ってねえぞ」 近づいてきたその顔で、目の前が真っ暗になる。 よく知っている煙草の匂いと、よく知っている高めな温度が、唇にそっと触れてくる。 暗い中で視線が合ったら身体がびくっと震えて、恥ずかしくなったあたしはぎゅっと目を閉じた。 だけど、何も見えなくなったら、唇の感触だけにかえって身体が集中してしまう。 わずかに離れて、また触れて。それから深く吸いついて。あたしの声は土方さんに閉じ込められる。 訊きたいのに訊き返せない。言われたことの意味を確かめる隙もない。 「ん・・・・・・・、っ・・・・・」 強く押しつけられた唇が、あたしの唇を割ろうとする。 抵抗する間もなく開かれる。戸惑うあたしを楽しんでるみたいに、舌先が軽い音を立てて吸いついた。 土方さんの手が動いていく。手を離れて腕を辿って、肩を撫でて首へ届いて。 両側から首筋を支えるようにして指を広げた。 うなじや耳の下を指先が這う。いつになく優しい手つきで肌を撫でてくる。 心地良くてへなへなと身体の力が抜けた。つい甘えた声が漏れそうになる。 でも。なんだか悔しい。 これじゃあたしは、ただこのひとの手の上でいいように扱われて、踊らされているだけみたい。 んんっ、と抵抗して身体を捩った。押し返そうとしたらまた腕を掴まれた。 意固地になって身体を固くしてこらえていたら、舌先の動きが止まった。 その隙を見計らって身体を引くと、唇も自然と離れた。 不満そうに眉を曇らせて追いかけてくるひとの顔を、あわてて手で遮る。 「ね、ねえっ。土方さん」 「ああ」 「・・・あの。ねえ。今の。ほんとに?からかってるんじゃ・・・ないんだよ・・・ね?」 「・・・・・・・ぁんだ、てめ。あれだけ言わせといてまだ言わせる気か」 「だってぇ。あの。ねえ。さっきの、・・・・・も、もう一回、最初から、・・・だめ?」 「駄目だ」 「・・・・・・・・ケチ。土方さんのケチ。・・・いいじゃん、もう一回くらい。もうちょっとだけ褒めてくれたって」 「んなもんそう何度もやってられっか。どうせ言ったら言ったで、一言多いだ何だと拗ねるんだろうが」 「言わないもん」 「どうだか」 「言わないよ。・・・それにね。あの。そういうことは。いくらでも、何度でも、・・・飽きちゃうくらい、聞きたいの」 顔を赤らめながらつぶやくと、土方さんの表情が微妙に強張る。 途端にひるんで肩を竦めたあたしにじっと目を凝らして、怪訝そうに眉をひそめた。 「少し甘やかしてやりゃあ、すぐに調子づきやがって。・・・・・えらく我儘な姫さんになったもんだな」 「・・・・・・い。いいじゃない。・・・・・・・・・・だって、お姫さまなんだから。我儘言っても、・・・当然でしょ?」 「てめえが言うな。図々しい」 わざと厳しい口調で叱ってから、土方さんは口端を歪めておかしそうに笑う。 いつも険しさが張り付いているようなその表情が、少しだけ和らいで見えた。 最初にしたのと同じように、あたしの手を取って引っ張った。 指をまとめて握ると、お辞儀するみたいに深く頭を下げる。手の甲に唇が触れる。 軽く吸いついて、くすぐったいくらいに柔らかいキスを落とした。 ぎゅっと握り締めた指の関節にも、丸めた指先にも。手首の裏にも。 そこで終わるのかと思っていたら、浴衣の袖を捲くった。手首から腕を伝って、肘を過ぎて、二の腕まで唇が這ってくる。 恥ずかしくなって「もう、いい、やだ」と身体を捩っても、何度も吸いついて、いろんなところにキスを落とした。 手を入れて広げ崩した浴衣の襟元にも。肌蹴させた肩や胸元にも、首筋にも。 唇が肌に触れるたびに熱くてくすぐったくて、なのに気持ちがよくて、触れられるたびに嬉しくなった。 出さないように我慢していても、触れられるたびに吐息が乱れて跳ね上がる。胸の奥が震えて、小さく声が漏れる。 「我儘ついでだ。たまにはお前の好きにしてやる。どうしてえのか聞かせろよ。姫さん」 頭の中が溶けそうになる深い声でそう囁くと、あたしの頭をしっかり抱いた。 笑いながらふざけて大きな手で髪をぐしゃぐしゃにして、強引に唇を塞いだ。 キスしているのにまだ笑っているひとにつられて可笑しくなって、いつのまにかあたしまで笑い出していた。 身体を押されて、二人でばたっと畳に倒れ込む。 骨っぽい腕が絡まってきてあたしを包んだ。テレビから流れてくるあの映画の音楽やお姫さまの声は、 どんどん大袈裟にドラマチックになっていく。キスしながらそれを聞いていたら、また可笑しくなってきて、また二人で笑った。 けれど、映画が終わりかけた頃には少しずつ可笑しさの波が引いていく。 浴衣の裾が膝でぐっと割られて、脚の間に割り込んでくる。 熱くて煙草の匂いのする、重たい身体が強く絡まってくる。 映画が終わって別の番組が始まった頃には、土方さんとあたしは何も喋らなくなっていた。 お互いの弾んだ息が喉の奥で混ざって。心臓の音が肌越しに響いてきて。 火照った呼吸までリズムを合わせて同調して、ぴったりと絡まり合っていく。 身体を這っていた手があたしの手を掴んでくる。硬い指が優しく宥めるみたいに、指の隙間を埋めて絡みついた。 それから二人で、少しだけくすくす笑って。 王子さまを夢見てた頃の無垢で何も知らないあたしには言えないような、甘くて幸せなことをした。
「 姫さまお手をどうぞ 」text by riliri Caramelization 2010/02/18/ ----------------------------------------------------------------------------------- 10万打企画物。No.5で「土方との大人な甘さの夢」「主人公を甘やかす土方さん」のリクエストを元に 書かせていただきました なーさま 聖さま ありがとうございました!!