「・・・そうですか。私の出自は賊共にも知れているわけですな。 これで彼奴らが私を生かしておいた理由が分かりました」

入口前に立つ沖田に背を向けている、浅黒い肌の痩せた老人――国賓として迎えられた某星の皇子に付き従う従者は、重苦しい声でそう口にした。
背筋をまっすぐに伸ばした状態で椅子に腰掛け、硬い表情でうつむいている。 沖田が廊下へ出て行った2、3分前とほぼ変わらない姿だ。 薄灰色の衣服の膝上に置いた拳をきつく握り締め、千切り取った衣服の裾で止血された足元を睨むようにして見据えているところまで同じだった。

『あなたの国の国王さまから、あなたを救出し保護してほしいとの要請が出ています』
音響調整室のむごたらしい光景にも眉一つ動かなさかった天人は、が彼にそう伝えるや否や、初めて動揺らしき感情の気配をその表情に上らせた。
(自分がなぜ賊に殺されなかったのかが判った。)
そう答えた口調は毅然としており余裕を感じさせるものだったが、それ以上の事をこちらに説明する余裕はまだ無いらしい。 どうやらこの見た目以上に食わせ者な爺さんにとって、国王自らの保護要請は思いもよらなかった事態のようだ。 老人の背中を見つめつつ、沖田は無線機を隊服の懐に戻す。 彫りの深い顔立ちに隠しきれない苦悩を浮かべて黙考し続ける老人の姿に、薄笑い混じりの、けれど興味深そうな視線を注いだ。
宇宙の涯にある天人の星の――しかも王族さまのお家事情なんてもんには、別段興味を惹かれない。 事件の黒幕がこの爺さんをどう使うつもりかにも興味はないし、一国のお世継ぎ騒動などという御大層な揉め事は俺に関係のないところで勝手にやってくれとしか思わない。 だが、王族かどうかは抜きにしても只者では無さそうなジジイがこうも狼狽えちまってる姿は、ちょっとした見物だ。面白れぇや。 そんなことを考えながら部屋の中を見回せば、先ほど腕を落とされた賊の一人を手当てしているも、老人の膝元で彼の右足を手当している一番隊の新人隊士も、お互いにちらちらと顔を見合わせながらも黙りこくっていた。 深刻そうな老人の態度に、口を挟むことすら憚られたらしい。
「・・・・・・しかし、先王も崩御されて久しい今になって・・・誰がどこから嗅ぎつけたものか」
後悔の念を噛みしめているような苦い表情でつぶやくと、老人はようやく顔を上げる。鋭さが増した目つきを沖田へと向けた。


「――確かに私は先王の血を引く者。我が王とは血縁上の繋がりがございます。
ですが賊共もあなた方も、大きな誤解をしておられる。私は王族の出身ではない。 他国の方にわざわざ救出していただくような身分など持たない、王室に仕えるただの老僕です」
「そうは言ってもねェ、爺さん。裏で糸引いてる奴はそう思っちゃくれねーようですぜ」

沖田は老人の傍を通り過ぎながら、飄々とした口調で言い返す。 部屋の奥へと向かっていき、床に横たわる太った中年男の死体をひょいと飛び越える。 血溜まりの中でぶるぶると震えて着信を報せ続けていた誰かの携帯は部屋の隅へと蹴り飛ばし、乾いた血がこびりついた音響調整卓の端に腰を下ろした。
分厚いカーテンの影から視線を向けたのは、一階大ホールの観客席だ。
惨劇の舞台となった格調高い場内はどこも血飛沫に色を塗り替えられ銃弾に穿たれ、国一番の大劇場から血生臭い廃墟へとすっかり変わり果てている。 襲撃者たちに占拠された場内の中央をステージへ向けてゆっくりと、通路を幅一杯に埋める銀色の砲台が運ばれていく様子が目に入った。

「下にいる連中は、皇子の次に迷わずあんたを狙ってきた。てこたぁ、賊共の雇い主は最初から確信してたんじゃねーですか。 皇子の御守り役の爺さんは王様にとってはただの老僕じゃねぇ、身分が王族であるなしに関わらず大事な身内で、密かな泣き所だ、ってね」
「・・・」
「まぁ、そいつらの読みは大当りだったわけだ。 現にあんたの弟さんはこの国の警察に王室専用の極秘回線で繋ぎをつけて、国王様御自らあんたの保護を頼み込んだそうですぜ」

近藤との無線連絡で聞いた話を告げてやれば、視線を逸らした老人は無念そうに唇を噛む。
白髭を蓄えた口許はそれきり動かなくなり、割れずに残った窓ガラスの端に映り込んでいる薄灰色の姿を沖田はそれとなく確かめた。 彼の傍に立つ女隊士――曇った表情で話を聞いていたは、さっきから何か言いたげな様子をしている。 先刻会ったばかりのこの異邦人に、何か思うところがあるらしい。それが沖田には意外だった。
体調が悪いせいで普段よりも生気に欠ける大きな目は、老人が語り出す前には見られなかった強い感情を浮かべている。
(俺だけじゃなく姫ィさんも、このジジイに興味があるらしいや。)
そんなことを思いながら、ひらり、と隊服の裾を舞わせてコンソール上から飛び降りた。

「てぇ訳なんで、俺達ぁ命張ってあんたをここから脱出させなきゃならねぇ。外に出るまで大人しく護られててくだせェ」
「・・・異国の徒にも救いの手を差し伸べてくださる、貴国のご厚情には感謝します。だが先程申し上げたとおり、私にそんな価値は」
「さっきも言いやしたが、そう思ってんのはあんただけですぜ」

暗く沈んだ老人の声を、沖田は強い口調で遮る。
老人の元へ歩み寄りながら背後のホールをちらりと見遣ると、赤く汚れた抜き身の刀の切っ先で舞台の辺りをひょいと指し、

「下の連中も今はあのデカい大砲を引き回すのに忙しいようだが、あれが終わればまたあんたを狙ってくるはずだ」
「・・・ですが、私は」
「爺さん、いくらあんたが「王族じゃねぇ」って主張したって無駄ですぜ。 あいつらの目的は、あんたを捕らえて雇い主に引き渡すこと。王族かどうかなんて二の次でェ」
「・・・・・・そうですか。このままでは皇子のみならず、私の存在まで王の足枷となってしまう訳ですな」

「そんな・・・」と言いかけた小さな声が、沖田の背後で悲しげに響く。
見ればはいつのまにか彼の傍まで近寄っており、深い苦悩に肩を落とした老人を心配そうに見つめていた。
そんなの様子を、沖田は明るい色の瞳を細めて注意深く探る。 間近で目にした女の肌は、気のせいかここに突入した直後よりも青白さを増している気がした。 薄く開いた紅い唇からかすかに漏れている呼吸も、ここで斬った男を手当てしていた時よりも心なしか苦しそうで弾み気味だ。
なるべく早くケリをつけちまいてぇな。姫ィさんをさっさと休ませるためにも。
澄ました表情の裏で沖田は考え、窓のほうへと視線を向ける。 眼下に広がるホール内を一通り見回し、賊たちの動向に変化がないかを細かく確認していく。 こんな地道でつまらない役目は普段なら他の隊士に丸投げするが、今日はそうもいかなかった。 何しろこの場にいる彼以外の隊士は、どちらも現場経験が皆無に等しいド新人だ。 ボリュームを最大に解放した煩い歌で空気が揺れっ放しなホール内では、通路や舞台のそこかしこで賊が数人ずつが固まっている。 全体の人数はさっきまでとそう変わりがなく、それぞれの動向にもあまり目立った変化はない。 唯一大きく変わった点といえば、ガトリング砲がステージ上まで運ばれたことと、その砲身交換が行われているところか。 砲台の整備を薄暗い観客席の中央から眺めているのは、他よりも頭一つ分背の高い男。さっきも目にした賊の頭目だ。 奴は分厚い肩に携帯を挟んでおり、どこかに連絡をつけているようだが――

「――判りました。こうして皆さんにお力添えを頂く以上、私は脱出に全力を尽くします」

沖田が頭目の姿に意識を集中させているうちに、渋々ながらも決心をつけたらしい。
それまで沈黙を守っていた老人は、重い口をようやく開いた。

「しかしお恥ずかしいことに、賊から逃げきる自信がない。館内を出るまでこの足がもってくれるかどうか・・・」

血で裾が赤く染まった丈の長い民族衣装を、老人は膝上まで捲り上げる。
そこから現れた脚を目にしたが口許を押さえ、新人隊士は「うっ」と慄き、二人とも驚きに息を呑む。 沖田はそれほど驚きはしなかったが、丸い瞳をぱちりと見開きその脚をしげしげと覗き込んだ。
――やっぱり只者じゃねぇらしいや、この爺さん。
声や顔つきこそ年相応に老いている。しかし、長い衣服に隠された身体は年相応な見た目ではなかった。 いまだに鍛錬を積んでいるのだろう。 右足首に巻かれた血の滲む包帯こそ痛々しいし、関節部は骸骨のように骨張ってはいるが、老人の脚は見た目の印象に反して衰えを感じさせない逞しさだ。 だが、負傷したほうとは逆の脚――左足の膝から上には、腿の肉をごっそりと抉り取られたような深く生々しい傷跡があった。

「なかなか派手な古傷じゃねーですか。やっぱあんた、軍人さんか何かですかィ」
「はい、この傷を負って退役しましたが。今もあまり長くは走れません。 ですので、あなた方にはここでお願いしておかねばなりません」

そう前置きすると、静かな決意を湛えた老人の目が沖田をまっすぐに見上げてきた。

「もし私が逃げ遅れ、賊に捕らわれるようなことがありましたら――その時は、見捨ててくださって構いません」
「・・・!そんな、見捨てるって・・・!」

そんなのだめです、と青白かった顔をいっそう青ざめさせたが、老人の足許で跪く。 「そんな、だめです、考え直してください」と真剣な眼差しで薄灰色の衣服の端を握り締めた。 「やれやれ、面倒な爺さんだぜ」と頭を掻きつつもけろっとしている沖田の前で、必死なの説得は延々と続く。 しかし老人の決意は固いようで、何を言われても決して頷こうとはしない。 頷く代わりにに対して小さく微笑みかけた後は、頭の中で何か思索を広げているのか、どこか遠くを見つめるような目つきをじっと床に注いでいた。 と老人、とぼけた顔で頭を掻く沖田をそれぞれ何度かおろおろと見回し、新人隊士が強張った表情で耳打ちしてくる。

「た、隊長。王様の兄上ってことは国賓も同じじゃないんですか。そんな人の救助が失敗に終われば外交問題になるのでは・・・」
「まぁそうなるんじゃねーかィ。下手すりゃ近藤さんの首が飛びかねねぇや」
「〜〜っ!?そっっ、そんな、どうすれば・・・!」
「さぁ、どうしたもんかねェ。こりゃあ埒が明かねぇなぁ。爺さんは食わせ者だしは頑固者だし、どっちも譲りそうにねーや」

・・・どうにも面倒な雲行きになっちまった。
これじゃあ近藤さんと焼肉どころか、を屯所に戻すだけでも一苦労しそうだ。 どうやら俺達はこの強情な天人を助けちまったばっかりに、この劇場内で最大の面倒事に―― この国の国交に関わる事件の渦中に巻き込まれちまったらしい。
他人事のような醒めた目つきで二人の遣り取りを眺めながら、沖田は手にした刀を肩に担ぐ。 薄赤く汚れた刀身をゆらゆらと揺らしながら老人をどう説得しようかと考えるうちに、ふと背後からの気配を感じた。 少年めいたか細さを残した端正な顔から、すっと表情が消えていく。 黒の隊服を纏った背筋を、電流にも似たびりっとした感覚が走り抜けていった。

――感じたのは視線だ。
牙を剥いて襲い掛かってくる獣のような殺気を孕んだ、後ろ首あたりが勝手に怖気立ってくる強い視線。 普通の奴らが放つそれよりも格段に猛々しく凶暴で、それでいて冷えきった視線だった。 他とは異質な荒々しい存在感を放ちながら、その視線は彼の背中を射程上に捉えている。 まだ背後を視認したわけではないが――それでも猛獣じみた視線の主が、この室内にいる奴のものではないことだけは確かだった。 背後にはすでに事切れた男が二人と女が一人、後はに腕を斬られたネクロフィリア野郎が痛みに唸っているだけだ。 振り返ってみれば案の定、割れた窓の向こうの景色にはわずかな変化が生じていた。 ホール中央に佇んでいた頭目だ。あの男の姿が消えている。 視線を感じる方向を辿っていけば、思った通りに獰猛な表情で笑う長身の男と目がかち合う。 男は舞台奥に据えられている異国の建物を模したセットに昇り、純白の窓部分から灰色の短髪頭を突き出してこっちを見ていた。
どうやら向こうもこっちの動向を観察しているらしい。沖田はフンと挑発的に鼻先で笑い、わざと勝ち誇った表情で微笑みかけた。

「・・・どうもこっちに興味津々らしいや、あのおっさん。そろそろ下へ降りねぇとヤバそうだ。 おい新人、えーとお前何て名前だっけ、山田だったか?」
「いえ、自分は山本です」
「田中ー、先に通路に出て賊が上がってきてねぇか見て来てくれィ」
「いや山本です、山本ですから。ていうか隊長、昨日も同じこと言ってましたよね。俺の名前覚える気全然ないですよね…」

情けなさそうに肩を落としつつも「見張りに行ってきます」と敬礼した新人は、外の通路へと駆けていった。 足早な靴音が遠ざかっていくと、
「皆さんにはご迷惑をお掛けすることになってしまい、まことに申し訳なく思っております。しかし・・・」
老人は謝罪の言葉を口にしながら、薄灰色の布が幾重にも重なる民族衣装の袖口へと手を差し入れる。 かと思えば瞬時に指先が滑り出て、そこには銀色の大きな針のようなものが握られていた。
柄の部分に彫刻が施された、長さは10センチほど、幅は数ミリ程度の細く薄い刃物。 かつては国王の護衛兵だったと老人は話していたが、その頃から手に馴染ませてきた得物だろうか。 皺だらけの痩せた手元で光るそれは、武人が護身用に隠し持つ暗器と呼ばれる類の武器に見えた。
流れるような手つきで尖った先端を翻すと、老人は孫娘に向けるような表情でに語った。

「前々から決めておりました。このような事態が引き起こされた場合は、潔く自害すべきだと」
「で、でも、お爺さん・・・!」
「助けてくださったあなた方にはお詫びのしようもありませんが・・・年寄りの最期の願い、どうかお聞き入れいただきたい。 私が死を選んだ場合は、自ら望んだ結果だと王にお伝えください。きっとあの方も納得して下さいます。それと、皇子にも――」

王族としての誇りを忘れず、父君や兄上の支えとなり、ゆくゆくは国の礎となってくださるようにと。
老人の話を黙って聞いていた沖田は、刀を乗せた肩を軽く竦めて溜め息をつく。 細い眉を片方だけ吊り上げ、呆れきった顔つきで口を開いた。

「まったく、年寄りは我儘でいけねーや。爺さんあんた、俺達に陳腐な遺言だけ運ばせる気ですかィ。 悪りーけど俺ぁそんな長ったらしい台詞覚えられねーんで、出来ればそいつは自分で伝えちゃくれやせんかねェ」
「申し訳ありません。ですが、遺言だけお運び頂ければ十分です。 私のごとき老兵など、盤石な地位を築かれた今の王には足手纏いにしかならない存在ですから」

・・・いっそ皇子を護るための盾とでも思い、見捨ててくださればよかったのですが。
そうつぶやいた老人が、皺が寄った目元をふっと細めて苦笑した。 まるでこれまでの彼の苦悩など最初から無かったかのような、どこか清々しくも見える顔だ。 穏やかすぎるその表情を、沖田は冷ややかな目つきで眺める。 彼の膝元に縋りついていたは、青ざめた顔を深くうつむかせて唇をきつく噛みしめていた。 やがて表情を失くした顔を上げて老人を見据え、その唇をわずかに開く。 そこから漏れた声も唇も、どちらも微かに震えていた。

「・・・・・・出来ません、そんなこと」
「不快なお願いをしていることは重々承知しております、お嬢さん。ですが」
「いやです、出来ません・・・そんなこと、出来ないんです・・・!」

困ったような笑みを浮かべる老人の膝元に縋りつき、が何度も、大きく、長い髪を振り乱しながらかぶりを振る。
そんな態度に、沖田は明るい色の瞳を丸くする。きょとんとした子供のような表情で首を傾げた。
弱い者や困っている人間を放っておけないお人好しの彼女が、この爺さんに対してやけに感情移入していることには気付いていた。 だが、どうも妙だ。いくら爺さんを心配しているからといって、どうしてここまで取り乱すのか。
いっそう青ざめたの頬には艶やかな髪が乱れ掛かり、震えが止まらない唇はきつく引き結ばれている。 ただでさえ華奢で頼りなげな隊服姿の背中には、見ている沖田まで表情を曇らせてしまいそうになる痛々しさすら感じられた。

「・・・・・・出来ません、きょうだいを見捨てるなんて。 そんなの出来ない。助けたいんです。何があっても・・・どんなことを、しても・・・」
「・・・?どーしたんでェ、姫ィさん」

女の口からぽつりぽつりと漏れてくる声は、どれも独り言めいていた。
誰かに語りかけているのではない。激しい感情の揺らぎを感じさせる不安定な声音、くぐもった響き。 彼女の内側の深い部分に閉じ込められたもう一人の自分に、もしくはこの場には居ない何者かに必死で言い聞かせているかのようだ。 その証拠に、の瞳はこの場にある何物をも映していない。
沖田の知り及ばない遠いどこかを虚ろに見つめていた彼女の目が、ふっと我に返ったように瞬く。
それまでのの変化を不思議そうに見ていた沖田は、訝しげに目許を細めた。
人形めいた生気の無い表情も、血色を失くした肌の病的な青白さも、どれもこれまでと変わらない。 けれど老人を見つめて大きく開かれた吊り上がり気味な目は、先程までの彼女からは失われていた強い輝きを取り戻していた。
暗器を握った浅黒い手に、爪先まで血で汚れた白く細い手が重ねられる。 震える女の唇は、ひどく小さな、けれど固い決意に満ちた声で老人に告げた。

「約束します、お爺さん。あたしが必ずあなたを脱出させます。 お爺さんの無事を願ってる人の元に必ず帰します。だから諦めないでください。 逃げ遅れたら見捨てていいなんて・・・お願いですから、そんなこと、言わないで・・・!」







『・・・・・・から、諦めな・・で・・・・・・たら、見捨ててい・・なんて・・・お願い・・から・・・そ・・なこと、言わな・・で・・・!』

無線機器が拾い上げた感情的な女の声は、耳障りなノイズとハウリングによる途絶を繰り返しながら通信車内に響き渡っていた。
音量が乱高下するためひどく聞き取り辛いその音声を歯痒い思いで耳にしながら、土方は眉目をきつく顰める。 10分ほど前に状況報告を寄越した沖田は、報告後に無線機の発信スイッチを切り忘れたらしい。 そのために劇場二階からの音声は、臨時の作戦本部ともいえるこの車内にも筒抜け状態で届いていた。

「・・・・・・ったく何やってんだあの馬鹿、完全に頭に血が昇っちまってんじゃねーか・・・!」
「トシ。・・・なぁ、トシ」
「あぁ!?何だよ!」
「いや、お前も頭に血が昇っちまってるみてーだからよー」

隊服の懐へと潜り込ませた彼の手を、近藤が苦笑いで指してくる。
「ちょっと外で一服してきたらどうだ」
そう言われた土方は言葉を詰まらせ、気まずそうに顔を逸らした。 無意識のうちに力が籠った指がぐしゃりと握り潰している紙の箱は、仕方なく懐の奥へ押し戻す。
普段使うパトカーや指揮車などと違い、通信車として用いられているこの大型トレーラー内は禁煙が徹底されている。 火の気や煙に滅法弱い情報解析用の精密機器――大人の背丈と変わらない高さの筐体が、何台も搭載されているためだ。 土方の横に居るもう一人のヘビースモーカーも、それは心得ているらしい。 随行者二人を引き連れて車内に乗り込んできた時には、口端の咥え煙草は消えていた。 朝から晩まで紫煙を吐いている年季が入った愛煙家の親父も、さすがにここでは「吸わせろ」などとごねるつもりはないようだ。
居心地が悪そうに腕を組み直す土方を、隣に立つ近藤はこっそり笑いをこらえるのに苦労しつつも愉しげな目つきで眺めていた。 彼の背中に「局長」と、控えめだが通りの良い声が投げ掛けられる。 耳元にインカムを装着してモニター前に着席している、細身で理知的な印象の隊士――通信室の室長だ。

「井上隊長より通信です。準備は完了、今から屯所を出るとのことです」
「そうか、なるべく早く頼むと伝えてくれ」
「了解しました。――井上隊長、至急現場へ直行してくれとのことです。・・・はい・・・・・・はい、では最短ルート候補と現在の交通情報を送信しますので・・・」

壁一面を占拠したモニター画面のひとつに視線を据えた室長が、手元の通信機器の操作も難なく同時進行させながら近藤の指示を伝えていく。
彼と同じくモニター前に着いたオペレーター達が本庁との連絡やデータ処理を行う一方で、土方を含めた数人が据え置き型の大きな無線機を囲んでいた。 無線機前に陣取って腕組みしている近藤と土方、その背後に控える監察の山崎。 彼等の横でパイプ椅子に座り二枚の図面と睨み合っているのは、さっき車両内へ入ってきたばかりの松平。 松平の斜め後ろに公安部の女性警官と並んで座っているのが、江戸に滞在中の国賓であり、劇場に潜伏する一味に狙われていた某星の皇子だ。 この襲撃事件における最重要保護対象でもある彼は、松平に耳を掴まれ痛みに泣き叫びながら地面を引き摺る格好で運び込まれる、…という、国賓への待遇とは思えない乱暴な方法で車内へ連行されてきた。 黙って微笑みかけるだけで多くの女性を虜にしそうな美貌を備えた青年は、先程から純白の衣装の袖で顔を覆ってひたすらに号泣を続けている。 とはいっても千切れそうな勢いで引っ張られていた耳の痛みで泣いているわけではなく、ノイズが多く不安定な劇場二階の音声に、彼が救出を懇願していた老人の声が紛れ込んでいたためだろう。 老人の無事に安堵した皇子は一気に緊張の糸が切れたようで、女性警官に何を話しかけられてもろくに答えない有様だった。 感情が昂りすぎてしまい、何も言葉が出ないらしい。 今も麗しい面立ちと目映い金髪を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らし、時折両手を顔前で組んで神に祈るようなポーズを取ったりしながら、子供のように泣きじゃくっている。 その様子を気の毒に思ったらしい女性警官はハンカチを手渡したり背中を撫でてやったりと、皇子の世話を焼くのに忙しそうだ。
そんな二人をちらりと見遣った土方は、彼等の前にどかりと居座る白髪の男に鋭い視線をじっと凝らす。
警察庁で長官席に座るときと同じように悠々とふんぞり返っている松平の手元には、二枚の図面が握られている。 一枚は劇場の館内図、もう一枚は劇場周辺の地図。 それら二枚を交互に眺めてはリーゼントの頭を抱え込み、眉間の皺をさらに深めた顰めっ面でひたすらにブツブツと唸っていた。
・・・どういうこった?何を考えてやがる、この狸ジジイは。
どう聞いても平静そうには思えなかったの声は、たった今流れてきたばかり。あれがとっつぁんの耳に入らなかったはずがねぇ。 だってぇのに何だ、この反応の無さは。 地図に気を取られて聞いていなかったと言われちまえばそれまでだが、それにしたって釈然としねぇぞ。 あいつを総悟の相方として最前線へ出したってだけで、血相変えて掴みかかってきた親馬鹿ジジイが――

「ん〜〜〜〜、なーんだっけなぁ、思い出せねーなぁぁ、このへんまで出かかってんのによぉ〜〜〜」

赤のストールを緩めに巻いた首元をむず痒そうに引っ掻きつつ、松平が「うーん」と頭を振っては低く唸る。 「もうお手上げだ」と言わんばかりに頭上でひらひらと地図を振った白髪親父が腕を組み、サングラスで覆われた目を天井へ向けて黙り込む。 やっぱり釈然としねぇ、と土方は胡乱げな目つきで松平を睨んだ。 あれほど心配していたに対しては、ここまで何の言及も無しときている。 そんな親父の「我関せず」な態度が却って怪しい気がして、無線機の音声に聴覚を集中させる一方で、松平の表情にもついつい目を配ってしまっていた。

『・・・いえ、自棄になってい・・・わけ、では・・・お嬢さん・・・この老いぼれに、そこまで・・・』
『でも、でも・・・!・・ゃです、そんなの、できませ・・・・・・いさんを・・・まってる、ひとが・・・るのに・・・』
『ええ、ですが・・・・・・お気持ちは・・・・・りがたく・・頂戴、します、しかし・・・』

響きが掠れて弱々しいくせに意固地になっているのがありありと判る女の声と、感情の揺らぎなど微塵も感じられない闊達な声。 劇場二階では、互いの感情に大きな温度差がありそうな老人と娘の押し問答が未だに続いている。 二人の声の合間には、沖田が鳴らす衣擦れの音やら靴音やら外にも流れている煩いロック調の音楽やらが入り混じり、しかも頻繁に入るノイズ音まで邪魔をしていた。 土方は一歩前に出て無線機に近づき、スピーカーから流れ出す焦れったい会話に耳を澄ます。 聞けば聞くほど組んだ両腕に力が籠り、眉間にも自然と力が籠る。 次いでびくびくとこめかみが引き攣り始め、何かをこらえるようにぐっと引き結んだ口端も不満そうに下がっていき、顔中があからさまにうんざりした表情になっていくのが自分でも判る。 それでも聞かずにいられなかった。スピーカー越しの女の声音が気になって仕様がないのだ。

――駄目だな、こりゃあ。天人の爺さんが「逃げ遅れたら見捨ててくれ」と言い出したあれから、ずっとこの調子じゃねぇか。
かれこれ数分はこの状態、さっぱり話に進展がねぇ。まったく無駄な堂々巡りだ。 総悟は一体何やってんだ、こいつらの側に居るならさっさと仲裁に入りやがれ、と土方は歯痒さをぶつけるように靴先で床を打ち鳴らす。 大国の君主となった弟のために死ぬ覚悟を決めた頑固ジジイと、数月前には死ぬ覚悟を決めて路上で行き倒れてやがった頑固な娘。 どういう因果か知らねぇが、相性最悪の組み合わせだ。 お互いに主張を聞き入れる気などないだろうし、いくら問答したところで時間の無駄ってもんだろう。つーか総悟の奴ぁ何してんだ? 人が好すぎて危なっかしいあれが余計な事に首を突っ込まねぇよう誘導してやるのも、相方のてめえの役目だろうが・・・!
苛立ちを増幅させる聞き取り辛さと、無線機の向こうの停滞しきった会話がもどかしい。 はぁっ、と苛立ちを紛らわせるために荒い溜め息を吐いてみたが、腹立たしいことに効果は無かった。 それどころか腹の辺りにもやもやした不快な気分が膨らんできて、その結果、より一層煙草が吸いたくなった気がしてならない。 じきに劇場二階からの音声に宥めるような沖田の声が混ざり始めたが、娘と老人の押し問答はそれでも続いた。 老人がの熱意に気押されて困っているような雰囲気が、口調の端々から感じられる。 スピーカーから漏れ出す女の声は息が上がり気味で苦しげなのに、相も変わらず感情的だ。

「・・・〜〜っ、何をちんたらやってんだあいつら。ジジイの言い分に耳貸してる場合か、無理やりにでも引き摺って撤退させりゃいいもんを・・・!」

鬼気迫る凄まじい形相で唸った土方の足先が、タン、タン、タン、タン、と靴音を鳴らしてテンポの速い足踏みを始める。
焦れったそうな彼の仕草にいち早く気付いた山崎が、いつになく冷静さを欠いているらしい土方の横顔や足許を物珍しげにしげしげと眺める。 しかし興味津々な監察の視線に、普段は周りの気配に人一倍敏い鬼の副長は気付かない。 らしくもない足踏みの音を響かせながらうつむき、苛立ちと焦りの色が滲む視線を床に落として思考の迷路に嵌まり込んでいった。
(・・・ちっ、しくじった。今すぐを撤退させろ、と総悟に命じるべきだった)
そう後悔したのは、彼が感じた直属の部下の兆候があまり良いものとは思えなかったためだ。 何かひどく危うい気がするのだ。 無線機越しに感じた今のが、普段に輪を掛けて危なっかしい状態にあるように土方には思えた。
(これまでは暗く沈みがちだったあれの声音に、急激な変化が生まれている。)
息が弾み気味で苦しげな女の声に籠められているのは、それまでは殆ど感じられなかったあいつの意志だ。 誰にどう言われようと、何があろうと、自分は決意を曲げたりしない。絶対に諦めたりしない。 そう言わんばかりの、頑ななまでの覚悟が滲んだ響き。 あの響きには何度か聞き覚えがある。 最初に聞いたのは、あれを隊士として採用する前。 あいつの入隊を渋った俺に、拾ってもらった恩返しをさせてほしいと直談判してきた月夜の晩に。 次に聞いたのは、入隊して暫く経った祭りの日だ。 日に日に萎縮していくあいつの態度を見兼ねた俺が、他の部署への異動を持ちかけた土砂降りの雨の中で。 そしてごく最近、たった2時間前にも耳にしたばかりだ。
――さっきの声は、あれと同じだ。 出動前に聞いたの声。
屯所の縁側で俺の腹を蹴って逃げる直前。 どんなに反対されても自分は絶対に現場に出るのだと、泣きじゃくりたいのを我慢している子供のような表情で猛反発しやがったあいつの声と――

その時の彼女の表情や、逃げる女を引き止めようと咄嗟に二の腕を掴んだ時の驚いた顔を思い出す。
ぐいと力ずくで腕を引き振り返らせたあの時の、あのの表情。あれがまだ目に焼き付いたままだ。 涙に潤んで輝く瞳を最大限に見開いて俺を見つめたあいつの頬は、たちまちに真っ赤に染まっていった。
・・・これだから扱いづれぇんだ、女ってのは。それまで煩いくらいにびーびー喚いて反抗しやがった奴が、急にかちんと固まって耳まで赤くしやがって。 あんな無防備で隙だらけな、急に思考停止しちまってどうしたらいいかと困ってるような顔をほんの目の先に差し出されてみろ。 こっちが反応に困るだろうが。こっちまで調子が狂っちまって、頭ん中が思考停止しちまうじゃねぇか――
その直後に女の回し蹴りを腹に食らって屯所の廊下に転がされた自分の無様な姿も思い出し、そこで多少むっとしたものの、無線機を睨む土方の胸にどうにも落ち着かない気分が湧いてくる。 すると今も右の手のひらに残ったままの柔らかく甘ったるい女の腕の感触まで意識してしまい、もっとそわそわした落ち着かない気分になった。 ちっ、と土方はぎこちなく顔を逸らして舌打ちする。そんな彼の傍では、分厚い上背を屈めた近藤が松平の手許を覗き込んでいた。

「どうしたとっつぁん、唸りっ放しじゃねぇか。館内図に何かひっかかるもんでもあったのか」
「ん〜〜〜・・・・・それがよー、何か大事な、思い出せてねーことがあるよーな気がするんだがよ〜〜。 あとちょっとなんだよ、このへんまできてんのによ〜〜」

このへんまで、と言いつつ、松平は喉の上部を指してみせる。
かと思えば頭を傾げてうーんと大きく唸り声を上げ、もう一枚の地図をサングラスがくっつきそうな近さからかぁっと凝視し、

「なーんだっけなぁ、忘れちまってることが有ったよーな無かったよーな、無かったよーな有ったよーな」
「ああこれ、ここら一帯の地図ですね。どこから持ってこられたんですか」
「さっき運転手に調達させた。いや、ここに着く前からどうも気になってな」

後ろから寄ってきた山崎に答え、松平は地図の一枚をぱらりと大きく広げてみせる。
劇場周辺を指先で円を描くようにして示し、

「この辺りはガキの時分の俺の庭でな。 今は高層ビルだらけで街並みも様変わりしちまったが、そこそこに土地勘は残ってんだ。 だがあれだ、なーんか忘れちまってる気がしてなー。その頃世話になった年寄りから、なーんか大事な話を聞かされたよーな聞かされなかったよーな」
「聞かされたのか聞かされてねーのかどっちだよ。つーか、その大事な話とやらとこの劇場に何の関わりがあるってぇんだ?」

殺気立った目つきで無線機を見据えながら、刺々しい口調で土方が尋ねる。
・・・とっつぁんがガキの頃に聞いたならば、それは少なくとも半世紀以上前の話。 つまりはとうにカビが生えた昔話だ。 それをなぜ今、どうしてかこのおっさんは、あれだけ気に掛けていたの変調には目もくれることなく拘ってやがる。 せめて何かあいつに関して一言くらい無ぇのかよ、などと土方が隠しきれない不満にこめかみの辺りをびくびくと痙攣させていると、
「そこも含めて思い出せねーんだよなぁぁ。何だっけなぁ〜〜、忘れちゃいけねー話だったよーなそーでもなかったよーな〜〜」
まるで酔っ払いが鼻歌でも歌っているような呑気そうな調子で返され、思わず目の色を変えた彼はぎろりと松平を睨みつける。 殴りてぇ、一発でいいから殴りてぇ。今すぐあの白髪頭に後ろから一発ぶちかましてぇ。 しかし相手は、彼ら真選組の親玉でもある警察庁長官。いくら腹の立つおっさんだろうと、殴るなど言語道断な相手だ。 仕方なくぎりぎりと歯噛みしながら目の前の親父の白髪頭をがしっと鷲掴みしたくなる衝動をこらえ、「だからどっちだよ!」と見た目に違わない曲者な親父を心中で怒鳴りつけるだけに留めた。
ふざけやがって、狸ジジイが。 どっちなんだよ、勘付かれたくない何かから俺達の目を逸らそうとしているのか、それとも、すべてが俺の思い過ごしなのか。 ――いよいよ釈然としねぇな、と彼はもやもやとしたままの腹の奥に烈火のような憤りまで感じつつ思う。 そしてそれと同時に、そんなことに腹を立てている自分自身にも呆れと苛立ちを感じていた。 これがもし他の隊士の話であれば、俺はここまで不満を持ったり感情的になったりはしないだろう。 いや、しないと言い切れる。現に今まではそうしてきたのだ。 どの隊士に対してもある程度平等に接し、あまり感情を挟まずに対処しねぇことには、組織の掌握なんざ出来たもんじゃねぇ。 なのに何だ、今の俺は。 とっつぁんの何を不満に思ってんだ?どうしてあれに対してだけ、過剰な身贔屓や過保護さを発揮してんだ。全く、なっちゃいねぇ。
ああ、またこれだ、と土方は黒髪に半ば隠された眉間をぎゅっと押さえる。
ここ二時間ほどきつく狭まったままのそこからは今にもずきずきと痛みが湧いてきそうで、目を伏せて溜め息を吐きたい気分になった。 あいつを拾ってきて以来、俺はおかしな自分ばかり目撃している。今も二度ばかり見たところだ。 総悟がの面倒を十分に見てやらないことに腹を立てた自分。 とっつぁんがそれほどの身を案じていないらしいことに憤りを覚える自分。 どっちも同じくらい馬鹿馬鹿しく、どっちも今までならありえなかった自分だ。 まぁ、多少は「直属の部下を見守る上司としての身贔屓」なんて感情も混ざっちゃいるかもしれねぇが――あくまで雀の涙程度のもんだろう。 俺を振り回すほどにまで肥大したこの感情の質量は、部下への身贔屓、なんてものの範疇をおそらくはとっくに超えちまってる――

「・・・おお!そうだあれだ、思い出したぞ。一区画向こうの、地下鉄出口の隣で酒屋やってた爺さんの話だ」

ぱんっ、と大きく膝を打ち、松平がうんうんと深く頷く。
地図を覗き込んでいた近藤と山崎に振り向いて、

「たしかあの爺さんもこの土地の生まれでなぁ、この一帯の地下に何かが・・・・・何だっけなぁ、うーん思い出せねーなぁ〜〜、何だっけなぁ〜〜〜」
「ははは、結局忘れちまってんじゃねぇか」
「いやいや忘れちゃいねーよ、このあたりまで出かかってんだよ〜〜、このあたりまで〜〜」
「あの〜、爺さんの昔話って言ったらやっぱり埋蔵金伝説じゃないですか? その土地を治める殿様が金銀財宝を地下に隠したって伝説があるとかないとか、よくある定番の昔話ですよねぇ」
「んん?埋蔵金・・・?」

遠慮気味に口を挟んだ山崎の言葉に、松平が腕を組んで考え込む。うーん、と唸って首を捻り、

「埋蔵金なぁ・・・うーんどうだっけなぁ〜〜、ピンとこねぇなぁ〜〜」
「おいとっつぁん、まさかこの辺りに不発弾だの地雷だのが埋まってるって話じゃねぇだろな」

ただでさえ物騒な状況だってぇのに、これ以上物騒な話は勘弁してくれよ。
そう言って近藤が松平に笑いかけたのと、ほぼ同時だ。 現場で何があったのか、無線機の向こうでかすかな悲鳴が上がった。いや、正確には悲鳴らしき声か。 数秒置きに発生するざらざらとしたノイズに聞き取りを邪魔され、はっきりとは判らなかった。 何事かと土方が表情を険しくすると音声がふつりと途切れ、強烈なハウリング音が突き抜ける。 頭痛がしそうな不快な音だ。突然の耳鳴りに車内の誰もが耳を押さえたり呻いたりしている間も、頭の芯まで侵入してくる厄介な共鳴音は絶えずスピーカーから響いてくる。
何かを叫ぶの声、沖田の声、爺さんの声。 それらを掻き消す邪魔なノイズが頻りに入り混じり、何度もハウリングに遮られ、
――大型トレーラーの車内が、突如として起こった異変に震え上がった。

――どどどどどどどどど、どおおぉぉぉんっっっ。


「――○××××○○○〜〜〜っっ!!?」
「――きゃああああっっ!」

鼓膜を貫く爆音がトレーラー内に鳴り渡る。
間近に落ちた落雷のようなその音の大きさにに驚いて、皇子と女性警官が揃ってうずくまり甲高い悲鳴を上げる。
近藤と土方が思わず無線機へと身を乗り出し、表情を変えた松平が地図をかなぐり捨てて立ち上がる。 オペレーター全員が驚きの表情で振り向き、「げ、劇場の様子を確認してきますっ」と慌て気味な山崎がトレーラーからあたふたと駆け出て行く。 車内の空気どころか床や壁まで震わせた今の音は、爆発音に間違いない。 だが、トレーラーの周囲から上がった音ではない。無線機からの音だ。
――劇場二階。総悟やがいる場所が、直接に爆破されたのか。

「・・・・・・・・・!」

背後から松平の声が響く。
娘を呼んだその声は、驚きと衝撃で喉が固まった人間がようやく腹の底から絞り出したような声だ。
この親父のここまで憔悴した声色は初めて聴いた。無線機に目を見張ったまま立ち尽くしている土方は、頭のどこか片隅でそう感じていた――




「 狼と踊れ #03-2 」
Caramelization *riliri 2016/09/18/     next →