「――ぁ、あの。・・・・・・ちょっとだけ、いいですか」 「・・・、あぁ?」 それはいつものように二人で副長室に籠り、 いつものように事務仕事やら報告書やらの処理に明け暮れていた午後のこと。 いつになく緊張気味な声に呼ばれ、土方は目を通していた報告書から顔を上げた。

願 わ く ば 花 の 下 で 君 と #3  す い も あ ま い も

背後へと振り向けば、そこにはいつの間にか正座で控えたの姿が。同じ部屋の少し離れた 場所でPCをぱちぱちと打っていたはずの女は、彼の真後ろにそわそわと落ち着かない様子で座っていた。 監察方が上げてきた調査報告書の吟味に没頭していた間に、背後を取られたらしいのだが―― 「どうした。あれぁ出来たのか、さっき渡した月例会議の」 「・・・それはもう済ませて・・・まとめてあります」 「ならそっちに先に目ぇ通すか。おい、寄越せ」 「は、はいっ。・・・・でも、ぁ、あのぉ・・・・・・・」 はなぜか口籠る。まるで逆上せているかのように頬は赤く、大きな瞳はひっきりなしに視線を彷徨わせて 決して彼を見ようとしない。華奢な手がおずおずと背後へ回っていく。そこに置かれた何かを掴む動きで、 かさり、と乾いた音が鳴った。 ――紙の音だ。土方は吸いかけの煙草を指に挟んだ手を、ほら、とに差し出した。 「資料作成でヘマでもやらかしたか。訂正かけてやっから出してみろ」 するとはぶんぶんとかぶりを振って拒んでくる。一体何なんだ、と目を見開き、 やや腰を浮かしかけたが――そのせいでさらに拒まれた。 見ないで、と眉をへなぁっと下げた顔が訴えてくる。なので仕方なく、浮かしかけた腰をまた降ろした。 「違うの、お仕事のことじゃ、なくて・・・!」 「・・・?じゃあ何だ。さっさと言え」 「・・・・・・・あ。ぁあの、あれを・・・今日は、・・・だから、あれですよ、ほら、・・・っ」 もじもじと身じろぎしている女の口調はやけに歯切れが悪い。 あれって何だ、と切れ上がった目元を細めて問い質すと、最初から竦んでいた細い肩はさらに居辛そうに、 きゅーっと小さく竦み上がって。 「・・・・・・・・・・・・・・今日は、何日?」 「はぁ?――」 その時彼女の腰のあたりで赤い何かが見え隠れして、ああ、とようやく気が付いた。 女の手が握っていたのは、ハートの模様の紙袋。まさかあれに作成を任せた会議の資料が入っているはずもない。 土方は今朝見た暦の日付を思い出し、うつむいた女を眺めて微かに笑った。 ――そうか。ここ数日忙しかったおかげで失念していたが、そういやぁ今日はそんな日か。 2月14日。女が菓子屋にわらわらと群がり、彼女たちの挙動に男共が一喜一憂する浮ついた日だ。 「――ああ。あれか」 「は、はいっ。・・・・・ぁ、あれ・・・なんですけど」 話のきっかけを与えてやれば、の表情がぱぁっと晴れる。 しかし、――意図が通じてほっとしたものの、まだまだ恥ずかしさが残っているらしい。そのおかげで、 なかなか後ろ手にしたものを出す決心がつかないようだ。土方がわざと黙って彼女を眺めていると、 あぅあぅ、と唇をぱくぱくと動かして焦りはじめ、終いには耳まで真っ赤に染めて。 「ええと、ぁああ、あのっ、・・・土方さんは甘いものそんなに食べないだろうから、屯所のみんなにあげたのと同じ 小さいチョコにしたんです。でもね、土方さんにだけおまけがあるの。・・・ほんとにちょっとしたおまけなんだけど・・・」 消えそうな小声でそんなことを告白され、土方は他の隊士の前では見せないような、 毒気の抜けた可笑しそうな表情になる。彼女のほうへ向き直り、吸いかけの煙草を口に含む。 とは対照的な余裕の表情で構えると、女の唇から零れる次の言葉を待った。 ――ったく。しおらしすぎてこっちまで調子が狂う。普段は人の倍喋り倒す賑やかな奴が、 まるで借りてきた猫のおとなしさだ。たかだかあれを渡すってえだけじゃねえか。 しかもとっくにそういう仲になった男を相手に、こうも恥ずかしがる女も無ぇと思うが――。 「〜〜あんまりこっち見ないでくださいよっ。・・・は。はずかしいじゃないですかぁぁ・・・・・」 「てめえがやたらに焦らすからだ。おい、俺ぁいつまで待ってりゃあいいんだ」 「・・・っ。ず。ずるいですよぅ・・・そんなこと言われたら、もっと出し辛いじゃないですかぁ・・・」 が赤らめた頬を膨らませて拗ねる。にやりと意地悪く笑った土方が、口許から紫煙をくゆらしながら わざと彼女を覗き込む。その時だった。 ばたばたと落ち着きのない足音が、廊下からこちらへ近づいてきて。――そいつは許しを乞うこともなくがらりと戸を開け、 「失礼します副長ー!例のアレ、お届けに来ましたぁー!」 両手に大きな紙袋を提げた山崎は、締まりのないにやけ顔で踏み込んできた。 唐突に現れた監察にあっけに取られる二人を前に、彼は何かを袋から出して。 「いやぁ〜〜〜今年も大漁ですよ!さっき沖田さんにさんが外出したって聞いたんで、今のうちにと 急いで持ってきたんですけど・・・ほら、チョコがこんなに!さすが副長、今年もモテまくりですねぇ〜〜!」 「――!」 ――ハート型のピンクの箱。その上に飾られた真っ赤なリボンと、可愛らしいメッセージカード。 の目はその箱と、それを持つ山崎の浮かれた笑顔に釘付けになる。一方の土方は、げっと呻いて歯を食い縛る。 ひどく気まずそうに目を逸らした。 ・・・・・・やばい、の前でこれはやばい。土方の周囲に群がる女たちの影に不安な思いをしてきたせいか、 はこの手の事にやけに敏感だ。「やめろォォ!」と心中で叫びながら必死に山崎に目配せをしたが、 なぜか浮かれきっている監察は鬼の副長の眼光鋭い合図にさっぱり気付かない。それどころか、 「ほらこれ見てくださいよ〜」などと、二つの大きな紙袋を逆さに持ち上げるから大変だ。 ばさばさばさ、ばさあぁぁっ。 「おいィィ!」と怒鳴った土方の制止も間に合わず、の目の前で大量のチョコの雨が降る。 手作りらしきものにはどれも女性らしい細やかなラッピングが施されており、市販品らしきものは ――贈り主の女性たちがそれぞれに土方の好みを推し量っての結果だろう。有名なチョコレートショップの、 シンプルかつ大人っぽい箱が多かった。山崎は畳にばら撒いたチョコたちを一つずつ指して、 「これはうちの女中の子から。これが定食屋の看板娘で、こっちは本庁の子、こっちは隣の屋敷の女中です。 煙草屋と飲み屋と花屋の子と…、ああ、どれも巡回中の奴に「副長さんに渡して」って預けてきたやつだそうですよ。 あとはこれとこれとこれと・・・十個くらいですかね〜、局長がすまいるのキャバ嬢たちから預かってきたそうで」 「〜〜っもういい判った、判ったからてめえは出てけ、山崎!」 「それとですねー、帰りに『ぱぴよん』の前を通ったんですけどー、ちょうど皆さん御出勤の時間でして。 ほら、あそこに超色っぽい美人がいるじゃないですかぁ。前にとっつあんのお供で店に入った時、 副長に猛アプローチしてた女優みたいな美人!ええと何て名前でしたっけ、No.1の!」 「・・・・・・茉莉花さん」 「〜〜〜っ!!」 土方が喉に何か詰まらせたような顔で絶句し、おそるおそる隣を見る。 松平行きつけの高級会員制クラブのNo.1ホステス嬢。 その名をぼそりと口にしたのは、すっかり顔が強張っているだった。 「そうそう、茉莉花さん!このデカい箱が茉莉花さんからです」 中身はチョコとライターだそうですよー。 ブランド品が入っていてもおかしくなさそうな高級感溢れる箱を手に、山崎はのほほんと付け加えた。 つーっ、と冷汗を滴らせた土方は、眉間を一層険しくする。ぎりぎりと歯を噛みしめながら山崎を睨むが、 「いやぁ〜〜すごいや、あんな店のNo.1まで射止めちまうなんて! ところでこのチョコ、値が張りそうですよねぇ。どこの店のもんなのかなぁ、いかにも高そうな箱だよなぁ〜」 「・・・この前江戸に初出店した海外ブランドのお店。・・・・・・バレンタイン用のギフトセットが人気なんだって。 グッズもチョコも超高級なんだって。ライターだけで三万円以上だって、雑誌に書いてあったよ・・・」 「へぇ〜〜そうなんだぁ、そーいうの詳しいよねぇさんて!へへっ実はさ〜、俺も副長のおこぼれに 預かったっていうかぁぁ、チョコ貰っちゃったんだ!あの人「副長さんに届けて頂くお礼です」って俺にまで用意してくれ――、」 件の美人ホステスに貰ったというチョコの箱を見せびらかしつつ、うきうきと喋りまくっていた山崎だったが、 そこでようやくの存在に気が付いた。 ぎょっとして固まった彼の手から、ぼとっ、と高級チョコの箱が滑り落ちて。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、 あ。あれっ。さん?〜〜るっっ、留守じゃなかっ、」 「・・・よかったですねぇ大漁で。すごいですねぇぇぇ。さっっすが副長さまはおモテになりますよねぇぇぇ〜〜。・・・へぇ〜〜、 そーなんだぁ。あの芸能人みたいに綺麗なホステスさんが。しかもライター付きって。それって絶対本命チョコですよねぇぇ・・・」 すっかり生気をなくしてうなだれたが、棒読み声でぼそぼそとつぶやく。 山崎がダラダラと全身に汗を流し始めるが――今頃気づいてももう遅い。 人が変わったように表情を硬くした女がいきなり怒り出すのではないかと、男二人はごくりと息を呑んで身構える。 ところが――そんな彼等の心配に反して、は無表情に黙りこくっていた。 やがて男二人の注目を浴びる中、隠していた紙袋をぐしゃっと掴む。ふらぁ〜〜っと、力無く立ち上がると。 「・・・ちょっと失礼します」 「おい待てどこに・・・、つーかお前、どーすんだそれ」 慌てて腰を上げた土方に、は恨めしそうな顔で振り返る。 紙袋が潰れるほどぎゅっと抱きしめ、よろよろと後ずさると、 「・・・・・・自分で食べます」 「はぁあ!?」 「だって、そんな高級本命チョコに勝てる気しないし・・・」 「ちょっっっ、ちょっと待ってさん落ち着いて!違う、違うよ、本命とかそーいうアレじゃないからさコレは!」 「そーだ何が本命だ勘違いすんな!いいかおい聞けっ、向こうさんは営業でやってんだ、 どーせ今日一日で店の客に同じもん配りまくってんだぞ!?つまりこいつは体の良い賄賂みてーなもんでだな!?」 部屋を出て行こうとするに血相を変えた男たちが、二人がかりでおたおたと左右から詰め寄る。 誤解だ。誤解も甚だしい。当事者である土方どころか、この二人のじれったい恋の一部始終を 陰からこっそり観察してきた監察だって知っている。密かにを思い続けてきた土方にとって、 が贈るそれこそが正真正銘の大本命チョコだということを。 「だって。・・・いりませんよねあたしのチョコなんて。・・・手作りでもないし、高級チョコでもないし。 土方さん、甘いもの好きじゃないし。・・・こんなにあるのにあたしのチョコまで食べきれないですよね。貰っても迷惑ですよね」 「いやまぁ確かに甘味なんざそうそう食わねぇが。・・・っておい、誰も迷惑とまでは言ってねえだろうが!」 「そーだよさんっ、考えすぎだよっっ。ていうか考え直してお願いぃぃぃ!」 「・・・いいですもう、無理しないでください。これはあたしが」 「俺が食う!!いいから寄越せって言ってんだ!!!」 話の進まなさに業を煮やした土方が、紙袋をわしっと掴む。するとはぷーっと頬を膨らませて、 「どーして怒るんですかぁ。こんなにあるんだから一つくらい減ってもいーじゃないですかぁ。 土方さん、甘いの苦手なくせに。・・・別にいーのに。無理して食べてくれなくても・・・」 「〜〜い、いやそのあれだ、年中金欠なお前のこった、チョコったってどーせあれだろ、ガキ向けのちんまりしたアレで 誤魔化そうってんだろ!?いいから出せ、チ×ルだのビッ×リマンだのの駄菓子程度なら我慢して食ってやらねえこともねーから!」 「・・・・・・そーですよ駄菓子レベルですよあたしのチョコなんて。・・・我慢してまで食べて貰う価値、ないもん・・・!」 「――お、おい待て、っっ」 丸々と頬を膨らませたが二人の腕を振り払い、泣き出す寸前のぐしゃぐしゃな顔で部屋を飛び出す。 ・・・・・・しまった。完全に墓穴を掘った。あいつが妙にゴネやがるせいで、こっちも要らない見栄を張ってしまった。 ああ畜生、どうしてくれる。『が外出した』などと偽情報を流した沖田の魂胆にも、 空気を読めない監察のうっかりすぎる軽率さにも腹が立って仕様がない。だが、 ――だが、俺にも多少の落ち度はあった。不用意だった自分の一言が悔やまれる。 黒のワンピース型隊服に身を包んだ女が、ぱたぱたと廊下を駆けて去っていく。 苦々しい顔で彼女を見送った土方は落胆の溜め息を吐き、そろーっと忍び足で その場から逃げようとしていた奴の首根をがしっと掴んだ。普段のそれよりも威力十倍増しの鉄拳が山崎を襲う。 「ふごおおおぉっっ」と呻いた不幸な監察の頭は、廊下の床板をばきっと突き破って沈んだのだった。 * * * ――逃げるようにして副長室を出たは、他の隊士たちの部屋からは離れた棟にある自室へ戻った。 昼間は通いの女中たちの声が絶えないこの離れも、夕暮れ時を迎えた今は人気が無い。 庭から薄赤い夕陽が射し込む静まった廊下を歩くうちに、自然と彼女の表情は曇っていた。 静かすぎて心細いのだ。なんだかとても人恋しかった。土方に思いを受け容れてもらってからというもの、 は週の半分以上を副長室で過ごしている。自分の部屋で一人きりで過ごす時間なんて、ごくわずかだ。 常に土方の気配が傍にあることに慣れてしまった今、煙草の匂いもしなければ 「おい」と素っ気なく呼びかけてくる声もない静かな場所は、やけにさみしく感じられた。 障子戸を開けて暗い室内へふらふらと入り、部屋の中央に置いたテーブルの前にへなへなと座る。 ぐしゃっと潰れてしまった紙袋を開け、中を見た。 値段のわりに美味しい市販品のホワイトチョコレートは、近所のスーパーで大量買いしたもの。 ニコチン中毒な土方のために1カートンごと買った煙草は、彼がいつも愛用している銘柄のもの。 それから―― 「・・・・・・・どうしてあんなこと言っちゃったんだろ・・・」 袋の底に貼りついていた封筒を――チョコと一緒に渡すつもりだった、手紙を取り出す。 『 土方さんへ 』 淡いピンクの封筒に綴った宛名を、今にも泣き出しそうな目で見つめる。しょんぼりと肩を落とした。 ・・・どうしよう。とても理不尽な怒り方をしてしまった。 いくら土方さんが女の人にモテるひとでも、バレンタインデーに沢山の綺麗な人から沢山贈り物を貰って、 それを見たあたしがやきもきさせられても ――あのひとは少しも悪くない。土方さんのせいじゃない。 なのにあのチョコの山を目にしたら、すごく、たまらなく不安になって。 言わなくていい厭味を言って、不愉快な思いをさせてしまった。素直にチョコを渡せなかった。 そんな自分が恥ずかしい。あのまま副長室に残ったら泣き出してしまいそうだったから おもわず逃げてしまったけど・・・・・・どうしよう。どんな顔をしてあの部屋に戻ればいいんだろう。 ちくちくと胸を刺す自己嫌悪に苛まれながら、ぺり、と糊付けした封筒の口を開く。 紙袋を力任せに抱きしめたせいで、封筒も便箋も皺が寄ってぼろぼろ。・・・こんな手紙じゃ、もうあのひとには渡せない。 開いた便箋を呆然と見つめていたは、ぽろぽろと大粒の涙をこぼす。 濡れて滲んだ文字に広がっていく染みを見ていると、声を上げてわんわん泣いてしまいたくなった。 きゅっと唇を噛みしめて、泣きたい気持ちを必死にこらえる。ぱたり、とテーブルに突っ伏した。 (これで土方さんに嫌われたら・・・・・・・・・・どうしよう。) 滲んでいく文字を潤んだ目で見つめていると、どうしても悪い方向にばかり考えてしまう。 不安に押し潰されそうになる。こんなことがあるたびに不安になって当り散らしてしまう、弱い自分が嫌になる。 「・・・・・・はやく、謝らなきゃ・・・・・・・・」 ――駄目。だめだよ。こんなことくらいで泣いちゃだめ。 こんな弱虫で甘ったれなあたしのままじゃだめだ。あたしは変わるの。土方さんに相応しい女の子になるんだから。 は力の無い仕草ながらも、突っ伏していたテーブルから顔を起こした。 泣き止め、と自分に自分で喝を入れるつもりで濡れた頬をぺちぺちと叩き、それから、 文字が滲んだ便箋を見つめて考え込む。間もなく部屋の隅の棚からレターセットとペンを持ち出し、 テーブルに淡いピンクの便箋を広げた。 ――何も渡せなかった。チョコも煙草も、一晩かかってようやく書き上げた手紙も、 その三つを入れた袋に籠めたつもりだった、ありったけの土方さんへの思いも。まだ何一つ渡せていない。 それに・・・謝りたい。今すぐに副長室に戻って謝りたい。けれどまだ、土方さんに面と向かう勇気が湧いてこないから―― 「・・・・・・・土方さんへ。 ・・・さっきは、すみませんでした。ぜんぶ、が、悪かった、・・・です。 変な、意地を、張って、しまって、・・・・・・本当に、ごめんなさい・・・、」 便箋に書きつける文面をいちいち口に昇らせながらペンを走らせる。 怖気づいている自分を勇気づけるつもりで、はわざと声を大きく出すことにした。 今この棟には自分以外に誰もいないんだし、少しくらいなら外へ響いても構わない。そう思いながら、 胸の中のもやもやした暗い気持ちを言葉に変えていったのだが―― 「・・・・土方さんを、思ってる、人が、・・・・・・あんなにいるって、しったら、 ・・・・・・・・・・なんだか、・・・すごく、いやで、・・・・・心細くて。・・・心にもないことを、言っ・・・・・・・・・・・・・・、」 そこまで書いてはっとする。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、便箋に綴った文字をまじまじと見つめた。 ・・・何これ。 ・・・ううん、これって紛れもないあたしの本音なんだけど、・・・・・・・・とても人には見せられない。 ましてやこれを土方さんになんて、とんでもない。ああでも、それよりも何よりも、 ・・・・・・・・・・・・なに、この本音。信じられない。自分で自分にびっくりしちゃう。 土方さんに思いを寄せる人が沢山いることが、いや、・・・なんて。 ――何言ってるの。何様のつもり?こんなの思い上がりもはなはだしいよ。ああ、なんて心が狭いんだろう、あたしって・・・・・! 「〜〜〜だめっ、だめだめぇ、こんなの絶対見せられないぃぃっっ」 調子の外れた声で叫び、ぐしゃぐしゃっと便箋を丸める。 これを早く目の届かない場所へ遠ざけたい。部屋の隅のゴミ箱へ投げ入れようと、腕を大きく振り上げたのだが、 「待て、まだ途中までしか読めてねぇ。続きも見せろ」 「――っ!!?」 後ろからぱしりと手首を掴まれ、反故にした手紙を手の中から抜き取られる。 ここには滅多に来ない男の声に仰天して、はくるりと振り返った。 ――何の音もしなかった。いつの間に部屋まで入り込んだんだろう。 目の前を塞いだ漆黒の陰のような姿を、ぱくぱくと口を空回らせながら見上げて―― 「ひ!土方さっ、〜〜〜ぃいい、いつのまに、っっ」 「今頃気付いたのかよ。だから用心が足らねぇってんだ、てめーは。つーか部屋の戸くらい閉めろ」 口端を深くひん曲げ、ひどくむっとした様子の土方がそこに居た。 やや腰を屈め、の手元を覗き込む格好で彼女の真後ろに立っている。鋭く切れ上がった愛想の欠片も無い双眸は、 手にした紙屑をいたく不満そうに眺め下ろしていた。 「なっ・・・ななっ、なんで、」 「何で、だぁ?んなもん決まってんだろ。仕事放棄してトンズラこきやがった馬鹿に一発入れるためだろーが」 「〜〜〜〜す、すいませんごめんなさいぃぃっ。今っっ、今すぐ戻りますからぁぁっ」 「――ってぇのは口実だ」 「・・・ふぇえ?」 「泣きっ面で出てった馬鹿がどうしてんだか気になったから来た」 そんなことを言いながら、出来そこないの手紙をがさがさと広げ始める。 えっ、とは目を丸くした。 「・・・え、ちょ、・・・・・・な。何して・・・」 「てめえのこった、どーせさっきのあれをグダグダと思い詰めてんだろ。何をそこまで気に病んでんのか見せてみろ」 ・・・見られる!あのとんでもなく傲慢で心の狭い本音を、土方さんに!!! は背筋を跳ね上がらせた。おろおろと立ち上がり、 「〜〜〜!ちょっ、それ、やだっ、見ちゃだめえええ!!」 ぎゃあああっっ、と涙目になりながら、隊服の白シャツを肘のあたりまで捲った男の腕に飛びついたが―― 「うっせぇ邪魔すんな。こいつは俺宛てだろ。つまりは俺のもんじゃねえか」 「違うぅぅぅ!!」 「嘘つけ、文頭に俺の名前があったぞ。おい離せ、それとも一発かまされてーのかコラ」 「だめぇ!だめったら、だめえええぇぇ!!これ失敗作なの、見せられないのっっっ」 「ああ、そーかよ。――なら、こっちにしておくか」 なぜか土方は気を変えたらしく、案外あっさりと引き下がってくれた。丸めた便箋を取り返したは、 ふぅ、と安堵の溜息をつく。ところが、直後に思いもよらない物を掴まれてしまった。 それはテーブル上に投げ出したままになっていた、皺が寄ってぼろぼろの手紙だ。ひぃぃぃっ、とは声を震わせ絶叫した。 「それもだめぇえええ!!」 「何が駄目だ。こいつも俺宛てだろーが。大方、さっきの袋に入れてたってとこだろ」 「そーだけど!その通りだけど!だめなのぉぉ!〜〜あ、あんなことして、今さら見せるなんて・・・っっ!」 顔どころか耳まで真っ赤に染め上げながら、夢中で土方に飛びついた。 持ち前のすばしっこさを生かして滅茶苦茶に腕を振り回し、どうにか手紙を取り返す。 座っていた座布団を素早く捲り、チョコと煙草が入った紙袋と一緒に押し込んで隠そうとしたが、 今度は土方も引いてくれない。「寄越せコラ」と必死で座布団にしがみつくの頭をべしりと叩き、 彼女の腰を後ろから羽交い絞めにしてどうにか座布団から引き剥がそうとする。 それでもがじたばたと抵抗すると、ちっ、と苛立った舌打ちが鳴った。耳たぶが千切れそうな勢いで ぎゅーっと引っ張られる。いだだだだだっっ、と涙目で叫ぶに、凄味を増した男の声が脅しをかけて。 「っだコルぁてっっめぇえ、いい度胸じゃねえか。仕事サボった上に逆らおうってのか、あぁ!?」 「だってぇえええ!!」 「だってもクソもあるか。いーからそこ退け、見せろ」 「やだ、やだやだやだぁあ!〜〜〜〜み・・・見せたら嫌われるもんっ」 座布団をきつく抱きしめ、じわあっと目に涙が湧いて熱くなった顔を埋め、やだやだっ、と拒む。 ふぇえええぇん、とは細い肩を震わせてむせび泣き始めた。声に気付いた土方は、―― 子供のように頼りない泣き声に、すっかり怒気を削がれたのだろう。呆れたような短い溜め息をつくと、 女の腰を引っ張っていた腕から力を抜いた。ぐすぐすと泣きじゃくっている強張った身体を抱き起こし、 無言で彼女に手を差し出す。は涙のしずくを溜めた目元を不安そうに曇らせ、おずおずと顔を上げた。 「出せ」と黒い前髪から覗く鋭い眼が言っている。どうしようか迷ったが、手に握っていたものを仕方なく渡した。 ぐしゃぐしゃに丸めた淡いピンク色の紙屑。 土方への手紙になるはずだったそれが、彼の手によってがさがさと広げられていく。 手紙を黙読している男の気配を気にしつつ、は隊服の短いスカートの裾を握り締める。 じわぁっと目の奥が熱くなる。まるで死刑宣告でも待っているような、絶望的な気分だった。 やがて出来そこないの手紙を読み終えた土方が真横に口を引き結び、軽くうつむいて顔を伏せる。 くっ、と吹き出すのをこらえたかのように肩を揺らし、顔を歪めていた。 「はっ。何だ。これだけか」 「・・・え」 「ああも必死に隠すからには、余程口汚ねぇ罵詈雑言でも吐いてんのかと思ったが・・・」 その予想外な反応に、今にも泣き出しそうだったはきょとんと目を見張る。 「ふぇえ・・・?」と赤く腫れた目をぱちくりさせる女の子供じみた表情が可笑しい。土方の表情も思わず緩んだ。 「――。お前はもう俺のもんだろ」 「・・・っ!」 名を呼んでくれた声はいつになく穏やかで。囁かれた甘い言葉は、迷いなどどこにも無い強い声音で。 聞き慣れない言葉にまんまと心臓を射抜かれてしまったは、顔を赤らめて絶句した。 そんな彼女の初々しさを楽しんでいるのか、土方はわずかに口端を上げる。 濡れて冷たくなった女の顔に手を伸ばし、赤みの差した頬を指先で掠めるようにして撫でた。 そっと触れられたくすぐったさに肩を竦めている女の顔を引き寄せると、甘い匂いのする頬を啄み、軽く音を立てる。 肌を吸った熱い感触に、ひゃああっ、とが悲鳴を上げたが、構わずに腕を回して柔らかな身体を引き寄せる。 首筋に顔を埋める格好で背中から抱きしめる。鍛え上げられた男の胸板が密着してきて、はぼうっと顔を赤らめた。 「どうだ。違うか」 「・・・・・・っ」 横から注がれる土方の視線から逃げるようにして、は深くうつむいた。こんなことをされると何も考えられなくなる。 全身が土方の体温と煙草の香りに包まれたようで、背中や腰からふにゃりと蕩けてしまいそうだ。 顔がぼうっと火照ってきて、心臓がばくばくと、壊れそうなくらい強く脈打ち始める。 ――どうしよう。これじゃあ土方さんに聞こえちゃう―― 「おい。返事はどうした。それとももう忘れちまったか。うちの連中の前で、俺のもんになるっつったのはどこのどいつだ」 じっとしていられないくらいにそわそわしてしまって、どんな顔をしてこの腕の中にいればいいのか 判らなくなって。ぅうぁうぅ、と裏返った泣き声を漏らしたは、自分を抱きかかえている白いシャツの腕にあたふたと顔を埋めた。 「。違うか」 「・・・ち・・・・・・・違わ、なぃ」 肩を覆うようにして回された白いシャツの袖に、はぎゅっと縋りつく。 小さく、けれど何度もかぶりを振った。 ふ、と頭の後ろで低い笑い声が響く。煙草の香りが染みついた唇がほんの一瞬、そっと耳元に触れてきた。 「だったら隠すな。もっと俺に見せろ。 お前が腹ん中に溜め込んでるもんがどれだけ汚く思えようが、俺には見せろ。閉じ込めてねえで外に出せ」 大概のこたぁ受け止めてやる。 どうということも無さそうに平然と請け負われ、は拍子抜けしたような、けれど、ほっとしたような気持ちになった。 心の中を濁していたみじめな気分がすうっと晴れて、身体が芯から澄んでいく。 頬を寄せてくる男の顔の近さにどきどきと心臓を高鳴らせながら、恥ずかしそうに身じろいだ。 ・・・あたしって呆れるくらい単純だ。ちょっとこのひとに優しくされただけで―― 「判ったか」 「は・・・、はぃ・・・・・っ」 「・・・ついでに白状しとくが。この手の事に関しちゃ、俺もお前と似たりよったりなもん腹に溜め込んでんだ。 この程度で愛想が尽きるこたぁねえから、安心しろ」 「・・・・・?」 の頭をまるで犬猫でも撫でるようにぐしゃぐしゃと掻き回しつつ、土方は語った。 出来ればこんなこたぁ白状したくねえんだが…、とでも思っていそうな苦々しい顔だ。 (・・・何だろう、「この手の事」って。土方さんが言う「似たりよったり」なことって、何のこと・・・?) という、土方が知ったら「・・・どうしてお前はそうも鈍いんだ」と頭を抱えて唸りそうな疑問がの頭には浮かんでいたが、 実際に口にはしなかった。抱きしめられている気恥ずかしさのほうが先立っていて、とてもこの場で尋ねるなんて出来そうにない。 「――で、どうする。お前がどうしても嫌だってぇんなら、あれぁ全部返すが。それでいいか」 「・・・――ぇ。あれって。・・・・・・・・・・えっっ。チョコを、ですかぁ?」 はただでさえぱっちりと大きな目をさらに見開く。ええっ、と顔を引きつらせて固まった。 思いもよらないことを言い出され、自分の聞き間違いかと思ったのだ。ところが土方は何の問題も無さそうに、 ああ、と無表情に頷く。 「えっ。ちょっ。返すって、・・・・・・あのチョコを、全部?」 それでも土方は再度頷く。愕然としたはかぱーっと口を開き、ぶんぶんとかぶりを振りながら彼に飛びつき、 「・・・〜〜だめっ、だめですよっっ、そんなの絶対だめぇええ!! もうっっ何てこと言うんですかぁっ、そんなことしたらあれをくれた女の子全員傷つきますよっっ」 「はぁ?・・・ったく、何だってぇんだ。じゃあどーしろってんだ、あれ全部捨てろってえのか」 「はぁああああ!!?〜〜〜ひ、ひどいぃぃぃ!バレンタインのチョコを捨てるなんてそんなっ、 女の子の気持ちを何だと思ってるんですかぁっっ!鬼っっっ、人でなしっっっ、〜〜最っっっ低っっ」 「馬鹿、素っ頓狂な声で喚くな。てめーの声は頭に響く」 ぎゃーぎゃーとやかましい女の金切り声に眉間を顰め、土方はげんなりした表情で耳を押さえた。 は手近な物を片っ端から土方にばしばしと投げつけ、「信じられないっっ」だの「女の敵ですよっっ」だの 「これだから土方さんは!」だのと、甲高くまくし立ててくる。投げつけられる物をうっとおしそうに 避けていた土方だったが、の私物に紛れて飛んできた赤いハート模様の紙袋を目にした途端、ぱしりと掴む。 袋の口から中身を確認した彼は、「まぁ、悪かねえな」と満更でもなさそうな表情になって―― 「ならあれ全部、お前が俺の代わりに食え。俺ぁこいつだけで充分だ」 「〜〜〜〜っ!!?」 は途端に真っ赤になって、攻撃の手を止め固まった。いきなりがばっと座布団を被って顔を隠し、 「うぁぅわわわわ」だの「きゃああああ」だのと調子外れに叫んでいたが。 ――しばらくすると座布団を下ろし、隊服の胸元をもじもじと弄り始めて。 「〜〜っそ、そぅいうことなら。・・・ゎわわ、わかりましたっ、しょーがないからあたしが食べてあげますっっ。 ・・・・・・で、でも、土方さんも食べてください。折角貰ったんだもん。・・・一口ずつでも、食べないと・・・」 「一口ならな。残りはお前が片付けろ」 「・・・はい。あの。それで。・・・・・・ひとつだけ。・・・お願い、しても、いぃ・・・・・・・?」 「何だ。言ってみろ」 「・・・・・・・・食べて、ください・・・」 「あぁ?」 「ぁ。あたしの。・・・・・・・・・いちばん、最初に、食べて・・・?」 おろおろとうろたえた視線を右に左に彷徨わせながら、は土方が持つ袋の端をきゅっと握る。 真っ赤に熟れた顔はひどく恥ずかしそうで、もし土方に何か言われようものならすぐに泣き出しそうなほどに 大きな瞳は潤んでいた。 「・・・・・・・・・・だめ・・・?」 自信が無さそうなか弱い声に尋ねられる。 土方はそんな彼女を呆れたような目で眺めたが、やがて何か根負けしたかのように溜め息を吐いた。 縋るような目で見上げてくる女から顔を逸らし、肩を揺らして微かに笑う。 駄目も何もあるか、お安い御用だ。――しかし、これだからこいつには手古摺らされる。 散々ゴネて人を振り回したくせに、・・・いざ蓋を開けてみりゃあ可愛いもんだ。たったそれっぽっちが望みとは。 「――ったく。欲があるんだか、無ぇんだか…」 「な、何・・・?・・・・・何の話ですかぁ、それ」 「いや、まぁいい。――お前の言い分は聞き入れてやる。その代わり、お前もひとつ聞き入れろ」 「は、はいっ。何です、か――」 の後ろ頭を手に収め、自分のほうへと引き寄せた。 びっくりして瞬きもなく見上げてくる女の顎を、くいと上げる。 「甘味なら後で食ってやる。・・・・・・・・・だからその前に、こっちも食わせろ」 ぁ、とかすかな声を漏らした半開きの唇をゆっくりと塞いだ。 何度も、何度も、角度を変えながらゆっくりと、唇と唇を重ね合わせてはより深く求める。 べたべたときつい洋菓子の甘さよりも、この唇のほのかな甘さのほうがうんと旨い。俺好みだ。 そんな益体もないことを思いながら、とろけるように柔らかな唇の感触を貪った。 濡れた内側を喉の奥まで撫で、舌を絡め、きつく抱きしめてやると、はおずおずと彼の背中に縋りついてくる。 耳やうなじのあたりに指を這わせれば、華奢な身体はぶるりと震える。んっ、とこらえきれなかった声を漏らしながら、 瞼の端に光る雫を滲ませた目をゆるゆると閉じる。 そんな女の仕草に心中で満足しながら、土方は触れたときと同じようにゆっくりと唇を離して。 「今日は逃げねえのか。・・・いやに素直だな」 「・・・そ、それは、だって、・・・・・・・ぁ・・・あの・・・もう、いい?チョコも、食べて、・・・くれる?」 「ああ。こっちを全部食い終わったらな」 「う、うん、わかった。じゃあ、・・・全部食べてか、ら、 ・・・」 その時何かがふわりと胸に触れて、あれっ、と涼根は眉を寄せる。おそるおそる見下ろすと―― 張りのある丸みを描いて膨らむ彼女の胸は、指の長い男の手に収められていた。 「そうか。なら、今から存分に食わせて貰うとするか」 「・・・・・・・〜〜〜〜っっっ!!?」 隊服の上からやんわりと握られ、まだ仕事中だというのにとんでもないことを可笑しそうに囁かれ、 恥ずかしさのあまり思考が完全に停止してしまう。顔には涼しい笑みを浮かべているくせに、 土方は早くもの隊服の胸元を開いて好き勝手に事を押し進めてくる。そんな男の姿から目が逸らせない。 かぁーっと全身を火照らせ、もごもごとあわあわと口籠っていると、その隙にあっさりと座布団の上に押し倒され、 徐々に熱く深くなっていく強引なキスにわけもわからないまま流されて。 互いの身体がもつれ合って生まれるかすかな声と衣擦れの音に混じって、静まった部屋にがさがさと、乾いた音が鳴り響く。 二人と座布団に押し潰されたハート模様の紙袋からは、心も身体も甘く蕩かす蠱惑的な香りが広がっていった。

「 すいもあまいも 」 text by riliri Caramelization 2013/02/16/ -----------------------------------------------------------------------------------