――男たちは焦っていた。 とある男を追ってこの遊園地までやって来た彼等三人だが、追跡対象となるその男が 忽然と姿をくらましてしまったのだ。以前にその男より受けた雪辱を晴らさんがため、彼等は地道な下調べを続け、 入念な計画を立ててこの日を迎えた。だが、こうも簡単に肝心の奴を見失うようでは入念な計画も台無しだ。 奴を最後に目にしたのは、入口近くのお化け屋敷前。そこでは奴が彼等の追跡に気づいたような様子はなかった。 連れの娘と黒一色のおどろおどろしい館へ入った男を追うべく、尾行に勘付かれないようにと 少々の間を空けてから、彼等も「怪奇の館」と名付けられたその建物へ踏み込んだ。 ところが細く暗い通路を進み始めた途端に、不慮の事態に襲われた。なぜか彼らの背後から、どどどどどど、と 足音を轟かせるからくりメイドの集団が猛スピードで迫ってきたのだ。群れを成して駆けてきたメイドたちに あっというまに踏まれ潰され、見た目は可愛らしい少女でも重量は相撲の力士級な彼女たちに踏みつけられた痛みに もがき苦しみ、お互いの無事を確かめ合いながら起き上がった彼等は、どどどどどど、と館内を揺らして疾走していく からくり達の様子にどこか異様なものを感じ取った。 これはおかしい、と顔を見合わせ、先を急いでみたのだが―― 時すでに遅しで、男の姿は娘共々消えていた。焦った彼等は手分けしてお化け屋敷の内部を捜索、 と同時に、出口近辺も探してみる。しかし男はそんな短時間でどこへ潜伏したものか、一向にその姿が見当たらないのだ。 「探せ!いくら奴でもまだそう遠くへは行っていまい、敷地内をくまなく探すのだ!」 捜索網はお化け屋敷近辺から広い遊園地の敷地内すべてへと拡大された。 一人は園内に一か所しかない出入口周辺に目を光らせ、残りの二人が園内の東側と西側を分担することとなり、 三人がそれぞれの方角へと散ってから数分。出入口周辺を受け持った男は、アトラクションマップや施設案内が描かれた 大きな掲示板の裏に隠れて入場ゲートを見張っていた。すると捜索を終えたのか、仲間の一人が浮かない顔で戻ってきた。 ――あの顔つきだ。成果はあまり期待できそうにないが、入口を見張っていた男は声を掛けた。 「どうした次郎。奴は見つかったのか」 「いいや兄者。東側は虱潰しに探してきたが、土方の姿も女の姿もどこにもなかった。 西側に回った三郎はまだ戻らぬのか」 「ああ、まだだ」 次郎と呼ばれた男はいかつい顔をしかめて「そうか」と頷き、落ち着きのない視線を きょろきょろと左右に彷徨わせる。ちょうど入場口から入ってきた恋人同士らしい男女が彼らに気づき、 何か異質なものを見る目つきで好奇の視線を送ってきた。視線に気づいた次郎は気まずそうに 背を向け、分厚い肩を小さく竦めて好奇の目線をやり過ごしたが、彼が兄者と呼んだ男はというと ――人目など全くのお構いなしである。楽しげな音楽が流れる入場口前に険しい視線を注ぎつつ、 ぎりぎりと拳を握り固めて憤っていた。 「おのれ土方め・・・!まさかあの男、我らの気配に勘付いて逃げおったのではあるまいな。 こんなことならあの館の出口で張っているべきだった。奴が出てきたところを娘共々斬ってしまえばよかったのだ・・・!」 「しかし兄者、出入り口はこの一か所だけだ。こうして兄者が見張っていた以上、奴はまだ園内に潜伏している可能性が高いぞ。 東を回ってきた儂の目に留まらなかったのだから、三郎が向かった園内西側に居るのでは」 「うむ、そうなるな。ただちに三郎と合流するか」 兄者と呼ばれる男――長兄の太郎は、即座に園内の西側エリアを目指して歩き出す。 次郎も彼の後を追い、やがて言い辛そうに切り出した。 「・・・ところでだな、兄者」 「おお、何だ。奴の姿を見つけたのか」 「いや、そうではない。兄者は気にしておられぬようだが、その、この格好についてだが・・・儂はどうも 人目が気になってかなわん。いくらあの男の目を欺くためとはいえ、何もこんな、女装までせずともよかったのでは…?」 「何を言うか次郎。だからお前は甘いというのだ!」 振り返った太郎が女物の真っ赤な振袖をひらりと揺らし、骨太な拳をぎりりと握り締める。 ホットピンクの紅を塗りたくった唇とブルーのアイシャドウを施した目元を悔しげに歪め、 ゴルゴ13ばりに太い眉をきりりと引き締めて、 「お前はもう忘れたのか?我らは先ほど、例の娘のかどわかしに失敗したのだぞ。 奴は我々を女をナンパしにきた軟弱者と勘違いしておったようだが、あれで完全に面が割れてしまった。 こうなった以上は、計画に多少の変更が出るのは必定よ。変装くらいは致し方なかろう」 「ああ、兄者の言うことはもっともだ。しかし、しかしだな・・・」 次郎は途中で口をつぐみ、またか、という顔でうなだれる。仁王立ちした兄の背後では ソフトクリームを手にした幼女が目を丸くして立ち止まり、彼女の手を引く母親に不思議そうに尋ねていた。 「ままー、どうしてあのおじちゃん女のひとのかっこうしてるのー?ねぇあのおじちゃん、どっちなのー? おじちゃんなのー?おばちゃんなのー?」 次郎はがくりと肩を落とす。――が、そう言われるのも無理はない、とも思うのだった。 いや、まだ純粋な年頃の子供に疑問を持たれても当然だった。今の彼等は顔つきや身体つきこそ男であれ、 一瞬では「男」とは言い切り難いような様相をしているのだ。 派手な色合いの振袖、きらびやかな帯。頭にはかんざし付きの女性用鬘を被り、顔にはむさ苦しい目鼻立ちを ごまかすための濃い化粧。いくら好意的な目で見たとしてもせいぜいがおカマバーからの出張営業にしか見えない、 場違いで不気味なおっさん二人連れである。そんな彼等が、幼い子供の母親にはよほど物の怪じみて見えたのだろう。 「しぃーっ!目を合わせちゃだめよ!」と青ざめた顔で言い聞かせると、その子を抱いて走り去る。 それを見た次郎はさらに肩を落とし「攘夷志士とは辛いものよ…」と沈痛な声で嘆くのだった。 「兄者!兄者ー!!」 ――そこへ黄色い着物の裾をがばりと掴み上げ、毛深い脚を剥き出しにして駆けてきたのは三男の三郎。 ぜぇはぁと息を切らしている弟に二人がすぐさま駆け寄ると、 「居たぞ、奴がいた!女も一緒だ!」 「そうか、やはりそちらに居ったか!」 「三郎、奴はどこだ!また逃げられたのではなかろうな!?」 「いいや、逃げられてはおらぬ。奴は今、逃げようにも逃げようがない場所に籠っているのでな」 「逃げようにも逃げようがない・・・?一体どこだ、それは」 あそこだ、と三郎は顔の汗を拭いながらはるか上を指す。 広い園内を一周する回転式ジェットコースター、スクリューコースターの線路が横切る向こうには、 色とりどりのゴンドラを時計回りにゆっくりと巡らせている大観覧車が。これから頂点へと昇っていく 左側のゴンドラのひとつを三郎が指し、兄たちがそこに目を凝らす。 ――目視するにはあまりに遠くて、姿かたちまでは判別出来ない。だが弟が指した白いゴンドラには、 確かに二人の影があった。 「つい今しがた、奴と女があれに乗るところを発見した。あれを動かしている係員が言うには、 一周して降りてくるには十五分ほどかかるらしい」 「でかしたぞ三郎!兄者、これで望みは繋がったな!」 「くくく、しくじったな土方め。我等がつけ狙っているとも知らず、自らあんな鳥籠めいた場所に籠るとは。 袋の鼠とはこのことではないか」 白粉を塗ってもうっすらと青い顎に手をやってにんまりと太郎が笑い、次郎と三郎も同じような笑みに表情を崩す。 ――ついにこの時が来た。ついに機は熟したのだ。 いつぞやは我々を散々な目に遭わせてくれたあの男、真選組副長、土方十四郎。 あの男を確実に殺るためにと、我等三兄弟がどれだけの情報収集を重ね、どれだけ計画を練り直してきたことか。 兄弟の総力を結集したこれまでの努力や苦労が、走馬灯のごとく浮かんでくる。太郎は決意を滲ませた表情で弟たちを見回し、 「覚悟は出来ておるな、二人とも。奴に面が割れてしまった以上、当初の予定通りとはいかぬが・・・、 なに、ここで怯むことはない。今こそ土方暗殺計画を実行に移す時だ。松村や出川に引き続き、先月は同士山崎まで 捕縛された。このまま真選組の跳梁を許しておけば、いずれ我等も先の三人と同じ命運を辿ることとなろう」 兄と瓜二つないかつい顔に、これまた兄とよく似た濃い化粧を施した弟たちがうんうんと頷く。 次第に気分が昂揚してきた太郎は、大真面目顔で目を輝かせてこう説いた。 「よいな次郎、三郎。 我らが狙うは真選組の事実上の壊滅。それにはあの男――副長の土方を潰すが何よりの近道。 今日こそは奴を仕留めるのだ。奴の弱味となるあの娘、を使ってな・・・!」 うむ、と頷き合った異様な女装姿の男たちは、派手な振袖の袂をそれぞれにひらめかせ走り出す。 彼等の名は八留虎三兄弟。 暗殺計画など企てているわりにはどこかマヌケで憎めない、「自称」憂国の士たちである。
L O V E & R O L L *6
集団で追ってきたからくりメイドさんたちはしばらくあちこち探し回っていたけど、じきに捜索を諦めたみたいだ。 ざっざっざっ、と軍隊みたいに動きが揃った隊列を成して、お化け屋敷のほうへ戻っていった。 こっそり隠れてたソフトクリームのお店の裏からメイドさんたちを見送ると、あたしたちは観覧車へ向かった。 本命のジェットコースターを後回しにして観覧車を選んだ理由は、すごい勢いで煙草を ふかし続けてるひとの表情がすっかりげんなりしてたから。四人乗りの小さなゴンドラの中なら 人目を気にせず休んでもらえるし、お疲れ気味な土方さんも少しは気が晴れるかなぁって思ったんだけど―― 「土方さん、あっちが屯所の方角みたいですよー。どこかなぁ、ええとあそこが公園だからー・・・」 ゴンドラの機内に貼ってある簡単な江戸の地図によると、あたしの真後ろが屯所の方向に当たるみたいだ。 座ってるシートの上で振り向いて、まぶしい日差しを透かしてる窓ガラスにおでこをくっつける。 屯所はどの辺りかな。お城の位置から見ると・・・あっちかな。 近藤さぁーん、総悟ー、と名前を呼んで手を振っていたら、向かいのシートに座ってるひとがふっと笑って、 「屯所ならここからは見えねぇぞ。城の影になってんだ」 「え、そうなんですか」 ――そんなことまでよく判るなぁ。あたしなんて地図を見てもわからないのに。 すごーい、と目を丸くしていたら土方さんが眉をひそめて、 「まさかお前、地図もろくに読めねえのか」 「・・・。ま、まさかぁ、読めますよ、ちゃーんと読めますよ!?」 「フン、怪しいもんだな。顔が引きつってんぞ」 「ちっ、ちがいますよこれはほら、外が寒かったからですよ!それよりもねぇどうですか、ちょっと楽しくないですか? ほらほらあそこ、さっき歩いた商店街ですよー。ここから眺めると別の街みたいじゃないですかぁ」 笑顔をびくびく引きつらせながら、あわてて話題を変えてみる。ああ危ない、ここでもし「判らなかった」なんて 答えたようものなら、教え方が厳しいと評判な鬼講師の「地図の読み方集中講座」が始まっちゃう。 土方さんは怪訝そうな目つきであたしの態度を探っていたけど、じきに窓辺に頬杖をついた。ざっとガラスの向こうを見渡して、 「――まぁ、悪かねえな。・・・悪かねえが煙草が吸いてえ」 「ええっ、またですかぁ?さっきも吸ってたのに。それにここはだめですよー」 ほらほら、とドアの上を指す。土方さんはここに入った瞬間から、そこに貼られた禁煙マークのステッカーを 恨めしそうに見上げていた。だけどゴンドラが地上と天辺の中間くらいの高さまで上がってきたら、 外の景色にはたいして興味もなさそうだった視線が、もっと遠くの眺望を追いかけるみたいに、少しずつ先へ先へと伸びていく。 そのうちにくつろいだ気分になってきたのか、座っている二人掛けのシートに 背中を深くもたれさせるようになった。そんな様子を見たらあたしもなんだかほっとして、窓の外へと目を移した。 今日の天気はすごく穏やか。冬らしい薄曇りの空は、ところどころに澄みきった青の切れ間を覗かせてる。 ゴンドラの上半分はすべて窓になってるから、肩や背中に浴びる日差しの暖かさが気持ちよかった。 外の景色は遊園地のどのアトラクションもすべて見下ろす高さだ。もう30メートルくらいは昇ってるんだろうか。 360度、パノラマで広がる景色を端から端までゆっくり楽しむ。 うんと高いところから見下ろす江戸の街は、中心部に建つターミナルや高層ビル街が 真冬の弱めな日差しをきらきら反射させてとっても綺麗だ。人も建物も多くてゴチャついた街も、 こうして見るとなかなかの絶景だなあって思う。緑が多い田舎の景色に比べると ちょっと見劣りするのかもしれないけど、・・・でも、色んなものや大勢の人がぎゅっと詰まったこの街の おもちゃ箱をひっくり返したような景色だって、これはこれで素敵だよね。なかなか捨てたもんじゃないよね。 ――まぁ、とはいってもあたしはほとんど江戸を出たことがないから、田舎の景色がどんなかんじなのかは テレビで見る程度にしか知らないんだけど。ちらり、と外を眺めてるひとの目元を細めた横顔を窺う。 ――どんな景色が広がってるのかなぁ、土方さんが育った武州って。 「おい。飲むか」 「はい?」 振り返って目を合わせた瞬間、何かをぽいっと投げられる。 あわてて両手を伸ばして、弧を描いて落ちてきたものを受け止める。 ずしりと重くてかなり熱い。何だろう、とキャッチしたものを見てみると、 ――いつのまに買ったんだろう。ホットミルクティーの缶だった。 わぁ、と思わず声を上げてしまう。嬉しいなぁ、何か飲みたかったんだよね。お化け屋敷で変な目に遭ったり メイドさんたちから逃げ回ったりしたせいで、ちょっと疲れてたし。 「わー、いいんですかぁ。ありがとうございます」 「いちいち礼なんざいらねえよ。いいから飲め」 羽織の袂を探りながら素っ気なく返してきたひとに、はい、と顔をほころばせてこくこく頷く。 いただきまぁす、とクリーム色の小さめな缶のプルタブに指を掛けながら、 「でもこれ、いつ買ったんですか」 「自販機があった。売店の裏手だ」 「そうなんですかぁ、気づかなかったですよー。あたしね、このメーカーのミルクティーが一番好きで」 「ああ」 「んなこたぁとっくに知ってる」って顔して平然と受け流すから、不思議に思って首を傾げた。 ・・・どーして知ってるんだろ。そんなこと話した覚えないんだけどな。 黒い羽織の袂からはもう一本缶が出てきた。一目でブラックコーヒーだと判る黒い缶だ。 プルタブを手早く開けて、すぐに口に運ぶ。あたしも開けようとしたんだけど――、 「・・・えっ。あれっ?」 ・・・・・・・・・・開かない。プルタブ、上がらない。 端に指を引っかけようとするんだけど、引っかからない。ちょっと引っかかったと思ったら つるんと爪先が滑っちゃう。ずっと外にいたせいかなぁ。すっかり手がかじかんでしまって、うまく指が動かない。 ・・・あれっ、おかしいなぁ。ほんとに開かない、こういうの結構得意なのに。困った顔で何度も何度も 缶をかしかし引っ掻いてたら、短い溜め息が聞こえて。 「お前、不器用さが悪化してねえか」 「違いますよ指が動かないんですよー、外寒かったから」 ああ、と納得したような顔で土方さんがつぶやく。 「貸してみろ」って手を出されたから、シートを立って土方さんのほうへ行こうとしたら―― 「――ひゃ、っっ」 あたしが急に動いたせいで重心が片寄ったゴンドラが、ぐら、と大きく傾く。前のめりに倒れそうになったら、 無言で黒い羽織の腕が伸びてきた。咄嗟に肩を支えられて視線を上げたら、目を見張って驚いてる顔がすぐ目の前で。 ひゃあ、ってもう一度声が出た。慌てたせいでがくっと膝が折れて、身体が勝手に黒い着物の胸元に飛び込んでいく。 どさっと着地した脚の上で、背中に腕を回されて。目の前で煙草の匂いがふわりと香る。ゴンドラの揺れが収まるまで、 そのまま横抱きにされていて―― かぁーっと顔が熱くなった。これじゃああたしから抱きついたようなものだ。太腿に当たる着物越しの体温と、 しっかり受け止めてくれた腕の力強さにどきどきしてしまう。 「〜〜〜ご、ごめんなさ・・・っ」 「ああ。てめえの危なっかしさにはもう慣れた」 顔のすぐ横で、くくっ、と可笑しそうに笑われた。 あわてて降りようとしたら、身体に回された土方さんの腕に力が籠る。ふわっ、と腰が浮き上がって、 まるで子供でも抱き下ろすみたいに楽々と、空いている隣へ移された。 「ぁ、ああのっ、す、すいませ・・・っ。ぉ、重かった、です、よね・・・?」 「まぁ、それなりにな」 「〜〜ちょっっ。そこは「そんなことない」って否定してくださいよっ。それが女の子に対する礼儀じゃないですかっっ」 「はぁ?・・・面倒臭せぇ奴だな。ああ重くねえ重くねえ。――よし、これでいいな」 「よくないぃ!そんなに投げやりに、しかも「こいつ馬鹿じゃねえか」って顔して言われても喜べませんよっっ」 「煩せぇ、耳元で喚くな。おら、それ貸せ」 大きな手がミルクティーの缶を掴んで、かしゃ、と甲高い音を鳴らしてプルタブを開ける。 開けた缶は無言であたしに差し出された。両手でそれを受け取って、うつむいてもじもじと肩を竦める。 ・・・・・・どうしよう。隣に座るなんてよくあることなのに、・・・緊張してきた。 ここが密閉された狭い空間だからなのかな。そわそわしちゃう。しかも、緊張の裏返しで色々文句つけちゃった。 あたしから抱きついちゃうなんて・・・はしたないって思われたかな。・・・どうしよう。心臓のどきどきが止まらない。 抱き止めてもらったときの土方さんの腕の感触が、まだ背中や肩に残ってて、・・・・・・ああもう、恥ずかしくって顔が見れない。 「あ。ありがとぅ・・・ございます」 「礼はいいって言ってんだろ。つーか、任務中以外はいちいちかしこまる必要はねえんだ。もっと気楽にしてろ」 「・・・・・・は。はぃぃ。でも・・・っ」 腰を浮かせてちょっと離れて、土方さんから間を取った。 なんとなく不服そうな目つきで睨まれたけど、こんなにくっついたままじゃ土方さんばかり気にしてしまう。 これじゃあとても外の景色を眺めるどころじゃないよ。 「――おい。付いてんぞ、後ろ」 「え?」 「まだ気づいてねえのか。後ろだ、後ろ。背中に貼りついてんぞ」 なんだろ、後ろって。貼りついてるって・・・? ゴミか何かがくっついてるのかと思って、紅茶の缶を脇に置いてから 背中や後ろ頭を触って確かめてみたけど、・・・何もない。え?ともう一度、ぱちぱちと目を瞬かせて尋ね返す。 すると醒めきった仏頂面の土方さんがあたしの背後を指して、どうでもよさそうにボソっと、 「だから例のアレだ。コタツん中から出てきたハゲ親――」 「っっぃやぁあああああああ!!!」 泣き叫んで土方さんに飛びつく。歯をがちがち言わせながら「やだ、やだやだぁっっ怖いぃぃぃっ」って 啜り泣いてたら、・・・抱きついた身体が、ふっ、と小刻みに揺れた。 あれっ。土方さんの肩、揺れてる。っていうか、背中まで揺らして何かをこらえてる。 怖さのあまりガチガチに強張った泣き顔をおそるおそる上げていくと―― 「はっっ、」 可笑しすぎて目を合わせられない、ってかんじで顔を逸らされて、唖然とする。 ・・・笑ってる。笑ってるよこのひと。うつむいてるから表情は前髪で隠れちゃって見えないけど、 口元をしっかり手で覆って、声だけ殺してむせび笑ってるよ・・・・・! 「〜〜〜っっ、ひっっ。ひどいぃっ、ばかばかばかぁっ。本気で怖かったのにぃぃぃ!」 「あぁ、いや、まぁその何だ、そうむくれるな。・・・・・・しかしお前、・・・っ、まさかこうも簡単に引っかかるたぁ・・・・・」 これで適度に離れたはずの距離も、あっという間に逆戻りしてしまった。 涙で潤んだ情けない目で睨んでみる。べしべし胸を叩いてみる。それでも土方さんはたいして悪びれた風もなくて、 あたしの肩にどさりと腕を落としてきた。その腕が頭まで上がってきて、大きな手で髪をぐしゃぐしゃに引っ掻き回す。 せっかく丁寧にブローしてきたあたしの髪は、みるみるうちにぼさぼさになった。 自然にぷーっと、頬が丸く膨らんでくる。ばか。土方さんのばか。怖すぎて心臓止まるかと思ったのに・・・!! 「そーいう冗談はやめてください身体に悪いからっっ。〜〜ああもうっ、まだどきどきしてるし・・・!」 「うっせえ、てめえが要らねえ真似するからだ」 「ちょっ、なにそれっっ。どーしてそう横暴なんですかっ。 何なんですかもうっ、今の土方さんて職務中より横暴ですよ!?真選組副長どころかもう立派なジャイアンですよっっっ」 はーっ、と小さな溜め息を漏らしながら、肩に置かれた腕をじとーっと眺める。 あたしがちょっと逃げる仕草をするとすぐに抑え込んでくる黒い羽織の腕は、もうここから動く気はないみたいだ。 「・・・・・・・・。あの〜、土方さぁん?・・・できればもうちょっと離れてくれると、いいかなぁ、なーんて・・・」 「はっ、っだコラいい度胸じゃねえか。ここでジャイアンリサイタル始められてーのか」 「・・・・・・・・・」 ・・・ジャイアンさまったらすっかり喧嘩腰だ。仕方ない。仕方ないよね、もう諦めよう。 またアレが貼りついてる、なんて脅されたらかなわないし。 ――なんて、無理やりに自分を納得させる。まだまだ収まりそうにない心臓のどきどきに困り果てながら、 開けてもらったミルクティーに口をつけた。 こくん、と飲み込んだ甘い温かさは喉に優しくて、いつも飲んでいるものと同じ味。 ――同じ味なはずだ。なのに、こうして土方さんの腕の中に収まって、隣のひとの気配や熱を感じながら飲むと、 いつもとはどこか違う味みたいに思えて。頭に血が昇ってきて、頬がかーっと火照ってくる。 そわそわと落ち着かない気分になってくる。・・・ああ、もう紅茶の味なんてわかんないよ―― 「・・・・・あ。あのっ。・・・・・・ぶ、武州ってどっちですか」 ・・・何で訊いちゃったんだろ。自分でも「唐突すぎる」って頭を抱えたくなるようなことを訊いちゃった。 だけど、緊張してるせいで他の話題なんてまるで浮かばなかった。 ・・・土方さん、変に思ってないかな。 指先で缶を弄りながらおずおずと顔を見上げてみたら、――やっぱり不思議そうだった。 向かいのシートの方向に見える江戸城を指して、 「城から見て東北だ」 「そ、そーなんですかぁ」 「そーなんですかってお前な、…やっぱ地図読めてねぇんじゃねーか」 「東北っていうとあっちですよね、・・・天気悪いのかなぁ。霞んじゃって何も見えないですねぇ、ここからじゃ…」 「・・・?何だ急に。武州がどうした」 「ええと、あの・・・、土方さんが生まれたところってどんな町かなぁって思ったから。ちょっと見てみたかったんです」 いつか行ってみたいな。 独り言のつもりでそう口にした。肩を竦めて笑ってみせたら、 土方さんの表情がまた変わる。軽く面食らったような顔であたしを眺めた。 切れ上がった目元がちょっと困ってるみたいに眉を寄せて、微かに笑う。 ターミナルやその周りに群れてる高層ビルを一望できる右側の窓へ視線を向けて、 「・・・見てぇんなら連れてってやるが」 「え?」 「いや。・・・・まあ、あれだ。町っつーか村だな、あれぁ。 あるもんったら山と川と田畑くれぇで、若い女が喜ぶもんなんざひとつもねえぞ」 「田畑って…水田ですかぁ?いっぱいあるんですか?うわぁすごーい、見たーい!!あたしテレビでしか見たことないんですよー」 「――ああ、そういやぁお前、江戸を出たことがねえんだったな」 はい、と頷き返すと、土方さんは少しためらったような間を空けてから、ぽつぽつと武州のことを話してくれた。 どれも聞いたことのない話ばかりだ。近藤さんの道場のこと。長い間そこに居候していたこと。 遠い目をして窓の外を見つめる土方さんの口から、短く簡潔に、たまに懐かしそうな笑みを混ぜながら、 途切れ途切れに漏れてくる話。どの話をしていても土方さんの表情はいつになく和らいでいて、 どの話にも近藤さんや総悟や井上さん、永倉さんたちの名前がひどく自然に混ざってくる。 その話はゴンドラが天辺まで昇って、地上へ向けてゆっくりと下降し始めるまで続いた。 ――昔のことを話すのが照れ臭いのかな。 外からの光を浴びてまぶしそうに細められた目は、ずっとターミナルのほうに向けられたままだ。 「お前ん家はどっちだ」 「え」 「古りぃがべらぼうに広れぇ屋敷だって、とっつあんが言ってたぞ」 あたしはちいさく息を呑んだ。 喉をやんわりと締めつけられているような、弱い息苦しさで胸が詰まる。 土方さんの体温が移って温かいはずの肩や背中が、すうっと冷えていくのがわかった。 「人には喋らせといて手前のこたぁだんまりか。・・・おいどうなんだ。親父が道場やってんだろ」 「・・・・・・・・もう家じゃないです。親って言っても義理の親だし。 あたし、うんと迷惑かけて家出してるし。・・・・・・だから向こうだって、もうあたしを娘だなんて思ってないですよ」 「さぁ、どうだかな。・・・・・・少なくともあれぁ、娘を見放そうってぇ親の態度たぁ思えなかったが」 「・・・?何の話ですか、それ」 「いや。・・・まぁ、いいから指してみろ。どっちだ」 少しの間ためらってから、外を指した。 ゴンドラのドアがある右側の眺望。ターミナルを取り巻くようにして大きなビルがそびえ立つ、さらに向こうを。 「・・・・・・あっちです。ターミナルの向こうの。・・・もっと向こう」 「――」 「はい・・・?」 「いいのかお前、このままで」 「・・・・・・」 動揺を押し隠すために軽く唇を噛んだ。はい、と目を細めてにっこり笑う。 無理に取り繕ったその笑顔は、きっと目も当てられないぎこちなさだったんだろう。 土方さんがそんな不味さを見逃すはずもなかった。 お前、帰りてえんだろ。 低めた声がつぶやいた。光を強めた鋭い眼差しが、じっとあたしを射竦めてきて。 「屯所の位置さえ覚えてんだか怪しい奴が、手前ん家だけは迷いなく指してんだ。家が恋しい証拠みてえなもんだ」 「・・・土方さん、深読みしすぎ。やだなぁ、そんなはずないじゃないですか。だって、・・・」 胸がちくりと痛んで軋む。何も言えないまま黙り込んだ。 なんだか沈んだ気分になって、顔を背けて視線を逸らす。ガラスを透かして浴びる陽射しの柔らかいまぶしさ。 その向こうには、綿のような雲をうっすらと被った冬曇りの空が広がってる。そこへぼんやりした薄い影のように、 もう二度と見ることはないかもしれない人たちの姿や面影が混ざってくる。浮かんでは消えて、消えては浮かんだ。 「――また話せ」 「え・・・?」 くしゃ、と肩に落ちていた髪を握られる。 そこからすうっと降りていった手は、長い指でその流れを梳いてくれた。 肩を抱えられて、こっちに来い、って言ってるみたいに土方さんのほうへ抱き寄せられる。 お互いの着物がざわざわと擦れ合って鳴る音は、密閉された静かなゴンドラの中で大きく響く。 斜め上を見上げると、こっちを見下ろしていたひとと目が合った。 普段と何の変りもない表情。あまり感情の揺れが映らない目が、あたしをじっと見つめていて。 「家の話だ。また話せ。・・・お前の気が向いた時でいい。 そんな思い詰めた目ぇして黙りこくってるくれぇなら、話してみろ。存外、楽になれるかもしれねえぞ」 「・・・・・・」 声を出さずに頷き返した。普段なら返事をしないと怒り出すはずの土方さんは、黙って頭を撫でてくれた。 仕草はちょっと荒かったけど、慰めてくれてるんだってなんとなく判った。髪に潜ってくる長い指の感触が気持ちいい。 このまま目を閉じて眠ってしまいたいくらいに。 ――そっか。 こんなさみしい気分のときに、好きなひとに髪を撫でてもらえるって、・・・こんなに気持ちいいんだ。 全身でそう感じてしまう。 すっかり緩んでいた唇からは、消えそうに小さな溜め息が漏れた。 「・・・・・・・・。土方さんも?」 「あぁ?」 「土方さんのことも。武州のことも、近藤さんや総悟のことも。また、話してくれる・・・?」 小声でそう尋ねたら、髪を撫でていた手が一瞬止まった。 「気が向いたらな」 どうでもよさそうに土方さんは答えた。 こんな素っ気ない口ぶりで返してくれたのは、たぶんこのひとの優しさだ。 ――このひとらしい優しさだ。 気遣ってくれてるんだ。自分の些細なひとことが、家や家族のことに触れたがらないあたしの重荷にならないように。 ――その後は、二人で黙って景色を眺めた。 隣のひとにもたれかかってぼんやりと心地良さに浸っているうちに、ゆっくりと観覧車は降りていく。 他のアトラクションはまだ眼下に広がっている。色とりどりの賑やかな景色に、アトラクションからの音や 人の声のざわめき、場内に流れる軽やかな音楽が近づいてくる。でも、まだ空中に浮かんでるこのゴンドラを 取り囲んでるのは、薄い曇をふんわり被った青空だけだ。 肩を抱いている腕に力が籠って、急に土方さんのほうへ引き寄せられる。肩から首筋、耳から頬へと あたしを撫で上げてくる固い手は、何か言いたげに肌を滑る。その動きを感じてるだけで、頭の芯がぼうっと熱を帯びてきて。 心臓がとくとくと弾み出す。頬だけが燃えそうに熱くなる。恥ずかしさがじわじわと募って、落ち着かない。 今すぐ逃げ出したいような、でも、このひとになら何でも許してしまいたいような。 ・・・矛盾したせつない気持ちで身体中が一杯になるのは、どうしてなんだろう。 急に濃くなった煙草の香りを感じて顔を上げれば、目の前はもう影で染まっている。斜め上を塞いでるひとが、薄く口を開いて。 「冷てぇ」 「え・・・」 「冷えきってんな、お前。・・・こんだけ赤けぇのに」 不思議そうにささやいた声音が耳に残る。 頬に触れていた熱くて長い指の先が、肌を掠めるだけの弱い動きで輪郭をすうっと撫でていった。 くすぐったさに震えて肩を竦ませる。感情を押し殺しているような複雑そうな表情が、ふっと湧いた苦笑で崩れる。 戸惑いながら瞼を伏せる。視界が薄明るく閉ざされる間際に、熱がそっと触れてきた。 一瞬で胸まで流れ込んできた煙草の香りが、身体中に融け出していく。 触れるだけの短いキスは、コーヒーのほろにがい味がした。
「 LOVE & ROLL *6 」 text by riliri Caramelization 2012/12/21/ ----------------------------------------------------------------------------------- next