年越し蕎麦と恋敵は新春までに片付けろ
お正月、といえば国民的祝日。 その過ごし方は人それぞれとはいえ「寝正月」という言葉もあるくらいだ。 厳しく気忙しい現実を、わずかな数日だけでも頭の片隅に追いやって、 のんびり過ごすのが本来の正月らしい過ごし方、というものかもしれない。 そうは言っても、正月といえど休みたくても休めない、多忙を極める人だって多かったりする。 たとえばこの一年も、休むことなく仕事漬けな日々を送ってきたこの仏頂面の男。 土方十四郎は、どんな新年を迎えたのか。 その瞬間は言うまでもなく、普段通りに仕事漬けだった。 現場の煩雑さを厳しく仕切りつつ、年末疲れの見え隠れする渋面に、普段通りに煙草の煙を漂わせていた。 けれど実のところ、彼の機嫌は渋面な見た目ほどには損なわれていない。それはいったい何故なのか。 その理由は至極単純、まったくもって判り易い。これが終われば休みだから、である。 しかも元日二日と、多忙な彼には貴重な二連休でもあった。 その貴重な休みには、女の家に泊まる約束が交わされている。 本人以上に彼の休みを楽しみにしている可愛い女が、この日を心待ちにしていたのだ。 大事な女の笑顔を思えば、些細な不始末もつまらない諍いごともほんの日常茶飯でしかない。 たとえ目を離したスキに局長が「困ったわ、年末だっていうのにご指名が少ないんです。 ゴリラとはいえ局長ですもの、近藤さんもお忙しいんでしょうねえェェ」と悪辣キャバ嬢に脅され、忽然と姿を消しても。 たとえ目を離したスキに一番隊隊長が「初日の出が俺を呼んでるんでさァァァ」 と無意味にナチュラルハイで湾岸暴走小僧的な捨てセリフを吐いて、忽然と姿を消しても。 機嫌の損ねようもなかった。 気の休まる暇のない彼にしてみれば、の存在は唯一の息抜きだ。 無邪気に喜ぶ女の顔を眺めながら、一晩とはいえ静かな夜を明かすことが出来る。 それだけで、彼にとっては上々な休日といっていい。 屯所を離れて羽を伸ばし、正月らしい雰囲気を味わうのも、良い憂さ晴らしになるはずだ。 ・・・・いや、はずだった。そうなるはずだったのだ。 屯所に戻ることも無く、まっすぐ彼女の許へと向かった朝早い時間。 いつものように合鍵を取り出し、彼がアパートの扉を開けるまでは。 「・・・なんだこの、小汚ねえ靴は。」 扉を開けたその瞬間、訝しげにつぶやいた彼の足がぴたりと止まる。 見開かれた目が、狭い玄関の叩きにだらりと伸びた形で投げ出されているものを凝視している。 彼がそこに見たモノ。それは見慣れた女物の草履。 そして、どう見ても彼女のものではない二組の黒いブーツ。 玄関を凝視していた男が、ぴくりと片眉を吊り上げる。 元旦の、しかもこんな早い時間から、俺以外の誰が。 友達を呼ぶなんて話は聞いていない。だいたい、どちらも女物にしちゃあデカすぎる。 とすれば、残る可能性は ――― 。 不快な疑念が浮かびあがるよりも早く、彼の足は行動に移っていた。 素早くブーツを脱ぎ捨てると、短い廊下をドカドカと突進。突き当りのドアを撥ね開ける。 こたつや点けっ放しのテレビの置かれた室内を見回しても、女の姿は見当たらない。 食べ散らかされたスナック菓子の袋や、空っぽの酒瓶が転がってはいるのだが。 ここにいないとなれば、奥の寝室で寝ているのか。寝室に続く襖を引いて、彼は中へと踏み込んだ。 カーテンを閉じた薄暗い室内。 その壁際にある彼女のベッドは、掛けられた毛布がなだらかに膨らんでいた。 近寄っていくと、気持ちよさげな可愛らしい寝息が聞こえてくる。 毛布に手を掛け、土方は頭まで引き被っているそれを捲り上げた。 「。おい――」 問いかけた彼は絶句した。言葉を失くして立ち尽くした。 咥えた煙草の吸い差しが、ぽろりと床にこぼれ落ちる。 彼が目にしたもの。捲り上げた毛布の下から現れた身体は、一糸纏わぬ裸身だった。 これほどまでに驚いたのは、不意打ちで女の裸を拝んでしまったから。いや、そうではない。 そもそも彼はおまわりさん。職業柄、非常事には滅法強いわけだし、加えて生来不遜な性質でもある。 彼にしてみれば、女の裸程度は非常事と呼べない。まして目にしたのが、惚れた女のしどけない姿だったなら。 むしろ手も出さずに黙っているほうが難しい。 違うのだ。問題は裸ではない。驚きの元は他にある。いや、驚きどころの騒ぎではない。 由々しき事態。青天の霹靂。彼にしてみれば大問題だ。 毛布にくるまれ眠っていたのが、柔らかな肢体を晒す女ではなく、男だったのだから。 「・・・んァァ・・・・よせやい。寒みィじゃねえか。 さあ、早くこっちに来なせェ、・・・・・・」 寒そうに身を縮めた沖田が、枕を抱きしめ戯けた寝言を口走る。 見たくもない野郎の裸。しかもうんざりするほど見慣れた面の、目を汚すだけの素っ裸。 眼前に広がっているのは、もはや不愉快どころの騒ぎではない。とうてい我慢ならない光景だ。 咥え煙草も落としたままで、まさに呆然自失の驚愕ぶり。青ざめかけた土方は、そこではっと我に返った。 いや。おい。待てよ。ちょっと待て。 ・・・我慢だ?我慢だと? そいつはいったい、誰の何のためのどんな我慢だ? ありえねーだろ。無ェだろそれは。クソガキの不埒な悪ふざけに、なぜ俺が我慢してやる必要が? イヤ無い。どこにも無えぞ。断じて無えぞ畜生! 「あってたまるかァァァァ!!」 まどろみから醒めかけた沖田が、不気味なアイマスクを額へと押し上げた瞬間。 怒りにまかせて刀を抜いた土方が、猛然と彼に躍りかかる。 その渾身の、いや怨念の一撃は、寝起きの男の素手によって見事に頭上で止められた。 「・・・あれっ。誰かと思やァ、土方さんじゃありませんか。 なーんでここにいるんでェ、アンタ」 「放せオルァァ!!テっっメェ、今年こそ殺ってやる!!!」 新年いきなりの死刑宣告、いや殺人予告。 まあ、この二人が交わす元旦の挨拶としてはまったく例年通りと言えるのだが。 受けた当人は、ビリビリと緊迫した場の空気にも飄々とトボけた態度を崩すことなく 半目で眠そうに彼を見上げた。 「おっと、こいつァいけねえや。うっかり新年の挨拶を忘れてましたぜ。 あけましておめでとうごぜえやす土方さん。 今年こそのこたあ俺に任せて、心おきなく死んで下せェ。死ねや土方ァァァ」 「どんな新年の挨拶だァァァ!!」 寝惚け顔の沖田が、物騒で率直な呪いを寿いでくる。驚くどころか悪びれた風もない有り様で。 一方、刀には今や尋常でない土方の怨念、いや、尋常でない力が籠められていた。 ジリジリと間合いが詰まりつつある中、目も覚めてきたのか、沖田がにっ、と挑発的な笑みを当てつける。 その余裕ぶりにムッとして硬く唇を噛むと、土方は刀に込めた力を抜いた。沖田も自然と手を離す。 「現場で消えたと思やぁ、とんでもねぇとこから出てきやがって! てっっっめえ、人の女の寝床で何してやがる!!」 「何って。やれやれ、そいつを聞きてぇんですか」 胡坐をかいて沸いた欠伸を噛み殺すと、だるそうに片耳に指を突っ込む。 煩せェなァ、とでも言いたげな顔だ。 「これだから無粋な奴ァ困る。 男と女が布団ひとつに籠ってたんですぜ。他に何があるってんでェ」 「ぬかせ!お前なんざ、あいつが相手にするかァァァ!!」 「まァまァまァ、気持ちは判りやすぜ土方さん。あんたは認めたかねえでしょうが、事実は事実だ。 除夜の鐘が鳴り終わる頃には、はとっくに俺のモンになっちまってたんでさァ。 ま、鐘の音どころかテレビの音も、あのようすじゃ一切聞こえてなさそうでしたがねェ」 見ただけで癇に障る馬鹿にしきった顔で、くくっ、と沖田がせせら笑う。 顔前でパンと手を合わせ、愉快そうに目を細めた。 「年明けの初モノは、縁起がいいって言いますからねェ。新年早々、ゴチでしたァ」 「んだとこの野郎ォォォォ!!!」 ギリギリと歯を食い縛った土方が、刀を天井に振り上げる。切先がキラリと鈍い光を放つ。 と同時に、ガチャンと何かが割れたような音が。 「きゃあぁっ!!」 構え合う二人の耳を、うろたえた女の悲鳴が引き裂く。部屋の外からだ。 その声に弾かれたかのように走り出した土方は、バタバタと騒がしい音のする方へと向かう。 リビングを横切り、台所へ続く扉をガラリと引いた。 「っっ!!」 「・・・・えっっ、ひ、土方さん!!!?」 「あれっ。何だよ、誰かと思えば土方くんじゃねーのォ。あけおめェ。」 口ほどには驚いた素振りも見せずに、流しの前に立つ銀髪の男が眠たげな顔で振り向く。 万事屋の坂田銀時。彼にとっては沖田以上の天敵だ。 なぜかエプロンをつけた彼は、なぜか背中から覆い被さるような格好で女に迫っていた。 流しの水道から、水が勢いよく流れ続けている。銀時に掴まれた女の手が、溢れ続ける流水を弾いている。 足元の床には、割れた茶碗が転がっていた。 「ひ、土方さん?もう仕事終わったの?はは早かったんだねお疲れさまっ」 空気のマズさを読み取ったのか、女は引きつり気味な笑顔を浮かべた。 銀時にされるままに、手を流水に浸されているのがこの小さなアパートの住人。 真選組は辞めたものの、土方との説明しづらい微妙な関係は続いている元隊士、。 「・・・おい。放せ」 「え?」 「その汚ねェ手を放せェェェ!!!」 叫ぶ土方が万事屋の背中に向かって踏み込む。手にした刀が横一文字に、鋭く大きな弧を描く。 バコンッッ。 討ち込まれた一撃は、マヌケな金属音とともに鍋の蓋で受け止められた。 銀時はいかにも面倒そうな表情で、盾代わりにされてひしゃげた鍋蓋を眺めている。 「オイオイ朝からテンション高けーなァ。つか煩せーよ、こんな早えー時間から喚いてんじゃねーよ。 正月早々近所迷惑だろーが悪徳警官」 「ああァ!!?テメーこそ早すぎんだろ。まだ正月だぞ。害虫が這い出してくるにはまだ早ェだろ。 それをどいつもこいつも人の目の前ウロウロしやがって!目障りなんだよ!!!!」 殺気混じりの表情も険しく、刀で圧してくる土方。一方、エプロン姿に鍋蓋ひとつでダルそうに立ち向かう銀時。 ジリジリと迫ってくる鍋蓋と銀時の間に挟まれてしまったは、二人をおろおろと見比べていた。だが。 ふと目を移した瞬間、土方の背後に立つ三人目の男に。沖田の姿に気づいてしまった。 飄々とした表情もやる気のなさそうな風体も、何ら普段の彼と変わりはない。 服も下着も一切身につけていないこと以外は。 「ひいィィやあァァァァ!!!」 顔を真っ赤に染めたが、声を震わせて叫ぶ。 がしっと側にあったおたまを掴むが早いが、一直線に投げつけた。 「ちょっ、やだっ、総悟ォォ!やめてよその格好!!!」 おたまに続いて、箸が飛ぶ。 次いでボウルが、水切り用のザルが、フライ返しが。 手当たり次第に手元のモノを掴んでは投げ、ギャアギャアと悲鳴を上げているをよそに 男二人の戦いも続いていた。 銀時は、いまだにの手をしっかり掴んだままだ。 片手の鍋蓋で刀を防ぎ、もう片手ではの手を掴み。憤る土方を眺めながら、醒めた半目顔でにやっと笑う。 「っっの野郎、いつまで掴んでやがる!!放せ!今すぐ放しやがれ!!」 「んだようっせーなァ、俺ァ今、忙しいの。オメーと遊んでやるヒマなんてないからね? 文句あんならよー もっとこう解りやすくかつコンパクトによー、一度にまとめて言ってくれる。 忙しい現代人にはなー、その場に合わせた柔軟性っつーか、フレキシビリティってモンが必要なんだよ? 文句も一言にまとめてみろや。書いてみろや標語的なアレを。ついでに書き初めでもしとけや正月だし。 あー、コレ正月休みの宿題な、全員提出だからなー。忘れたヤツはァ、休み明けに先生にパフェ奢るよーに」 「オメーが長げーよ!!つか誰に言ってんだ誰にィィ!!?」 「そーだそーだ教室の後ろの壁に書き初め貼っとけや土方ァ。忙しい現代人にはフレキシビリビリビリビ」 「テメーは一生ビリビリゆってろやァァァ!!」 「その前に何か着てよォォォ!!!!」 自分の着けていたピンクのエプロンをあたふたと外すと、は沖田に投げつける。 投げつけられたエプロンを片手で受け止め、当然のようにそれを身に着け。 手にはおたまや箸を持ち、頭にはボウルやザルを被った裸エプロンの男は そのおバカな格好にはまったく相応しくないふてぶてしさで笑った。 「何をいまさら、照れるこたァねーだろ。こいつはが脱がしたんじゃねェか」 「だっ、だってアレは!」 眉間も険しく睨みつけてくる土方に気づき、が口籠る。 ばつの悪そうな顔で彼を見上げると、すぐに目を逸らした。 「だっても何もありゃしねーぜ、姫ィさん。おかげで俺ァ、ほとんど寝てねェってえのによォ。 一晩で何度天国まで行きかけたんだか、わかりゃしねーや」 「イヤイヤそれを言うならよー、俺だって全然寝てないからね? もォ何回付き合わされたんだかわかりゃしねーよ。全然寝かせてくんねーんだもんなァ」 「もうっ、旦那も総悟もやめてくださいっ。どーしてそう紛らわしい言い方するんですかっ」 「紛らわしいも何も、そのまんまの意味だしよー。なァ、土方くん」 薄笑いを浮かべた銀時が、当てつけるようにの髪に顔を寄せる。 土方の不機嫌さにすっかり気を取られているは、背後の気配には気づかない。 困った顔で、違うの、と何度も首を横に振った。 「土方さぁん。違う、違うの、これはね」 「もういい。馬鹿女の言い分なんざ知るか」 「でもォ!・・・土方さん、誤解してるじゃないですかぁ」 「・・・どこが誤解だ」 「ほらぁ!やっぱり誤解してる!」 「誤解でもねーだろ。どう見たって、お前もまんざらじゃなさそうに見えるぜ」 誤解されたくねえんなら、なぜそいつの手を振り解こうとしないのか。 沸々と湧き上がる苛立ちを噛みしめて、土方は刀を振り下ろした。 こいつに言われるまでもない。野郎二人の企みくらい、知れている。 奴等も奴等でムカつきはする。だが、腹が立つのはこいつのほうだ。 不用心にも程がある。どうしてこの油断ならない奴等を、女一人の家に上がらせる。 どうしてこいつはいつまで経っても、いくら言い聞かせても身に染みねえのか。 たまには頭冷やして考えろってえんだ。 害虫どもがうろつく度に、こっちがどれだけ気を揉まされているのかも。 下ろした刀を鞘に納めると、土方は無言で台所を後にした。 来た時と同じように廊下を突進する。 玄関に着くと、脱ぎ散らかされたままの二足のブーツを腹立ち紛れに蹴散らした。 「え、ちょっっ、土方さん、・・・土方さんっっ」 の声が追いかけてくる。 近づいてくる軽い足音を振り切るように、彼はさっさとブーツを履いて玄関を抜ける。 アパートの扉を音を響かせて閉めると、足早にそこを立ち去った。 「ちょっっ、土方さあん!待って、待ってよ」 朝早く人通りもまばらな、下町風情の残る町。 肩も表情も強張らせた土方は、大通りに出る道を脇目もふらずに進んでいた。 背後から、ぱたぱたと慌てた草履の音が駆けてくる。 すぐに彼の背後に追いついて、待って、と袖を掴んできた。 「どうしたの、ねえ。どこに行くんですかっ」 「・・・・屯所に決まってんだろ」 「えっ、やだ、うそっ、待って!だって、・・・だって約束したじゃないですかぁ! 連休だから泊るって。明日の夜までウチにいるって。言ってたじゃん!」 「うっせえ!ついて来んな、っっっ!?」 怒鳴る彼の背中に、強烈なタックルが喰らわされる。 背後からの攻撃に思わずフラついた彼の胴に、女の腕がぎゅっと巻きついてきた。 ふえぇぇぇぇん、と号泣しながらが飛びついてきたのだ。 「嫌っ。やだやだ、やだあっっ!帰っちゃやだっっ」 痛ェ、と呻きそうになるほどの力で締めつけられる。 振り解こうとして、彼は泣きじゃくる女の腕に手を掛けた。そこで、ふと目が止まった。 「ひどいですよぉ!帰っちゃうなんて。あたし、・・・・ずっと楽しみにしてたのにっ。 だって、・・・・だって、屯所にいたころはこんなこと考えられなかったもん。 お正月はいつも仕事で、いつも誰かと一緒で。二人きりでいられるなんて、一度も無かったじゃないですかぁ」 「・・・・おい。どうした。これァ、何の・・・」 しげしげと見入ってから、胴に回された腕を掴んで引っ張る。 痛っ、とが小さく悲鳴をあげた。 傷だらけなのだ、両手とも。 手の甲にも指にも、絆創膏がいたるところに貼られている。火傷らしい跡も何箇所か残っている。 掴んだ袖を捲ってみると、そこにもうっすらと赤く腫れた肌が見えた。 「何だよ、こりゃあ。・・・お前、何やって・・・」 呆れたような口調で言いかけて、さっき見た不愉快な光景に思い当たる。 どうやら誤解をしていたらしい。 万事屋が流水を当てていたのは、多分これだ。この火傷を冷やしていたのか。 がされるままにじっとしていたのも、火傷の痛みと大きさに驚いたからなのだろう。 それにしても、この怪我の酷さは。言葉に詰まらされるものがある。 さっきまでの苛立ちなど、最早どうでも良くなっていた。 黙り込んだ彼を、は拗ねたような顔で見つめていた。唇を尖らせ、頬に流れた涙を拭う。 「・・・食べたいのかなあって、思ったから・・・・」 何を、と問い返すと、は視線を彷徨わせ始める。 しばらく返事をためらっていたが、やがて口を開いた。 「言ったじゃないですかぁ、この前。 ここ数年お雑煮なんて食べたことがない、って。たまには喰いてえ、って」 彼は無言でわずかに頷いた。いや、実のところ、決して頷いたわけではないのだが。 ただ、言おうにも言えない本音をぐっとこらえたのが、たまたま不幸な偶然でそう見えただけなのだが。 土方に食べてもらいたい一心で練習を重ねてきたのだろう。 傷だらけの手もそう語っている。彼のためとなれば、どこまでも一途でひたむきな女なのだ。 しかしこと料理に限っては、このひたむきさこそが脅威だった。 彼女の手料理。それは料理であって料理ではない。あえて例えるならば、それは兵器だ。 彼も、そして女の手料理という言葉に弱い屯所の面々も。もう何度、見なくていい彼岸を拝まされたことだろう。 「お節料理は無理だけど、お雑煮くらいなら作れるかもと思って。 この前、屯所で作り方を教えてもらったんです。でも。・・・ぜんぜん上手く出来なくって・・・・」 黙って聞いている彼のこめかみあたりに、薄気味の悪い汗が沸き始める。 「雑煮が喰いたい」 言った。そんなことを口走った覚えがある、迂闊なことに。 たしかに雑煮が食いたいと言った。言ったかもしれない。 だが俺は、お前の作った雑煮が食いたいとはひとっっっことも言ってねえ。 「昨日ね、練習用の材料買いにスーパーに行ったら、万事屋のみんなに会ったんです。 上手くいかないってグチってたら、旦那が特訓してくれるってゆーから。 じゃあウチでお料理教室しようってことになって。神楽ちゃんと新八くんに、味見してもらってたんですけど」 思い出したくない何かを思い浮かべたらしく、ぴたりと口籠る。 ミニ丈の着物の裾をもじもじと引っ張りながら、は言い辛そうに目を逸らした。 「・・・・・・ええと。あの。二人とも・・・真っ青な顔して帰っちゃって。 それで、あの。・・・途中で総悟が来たから、また味見してもらったら、 ・・・・・・・ずーっとトイレで吐きまくりで。・・・・・一晩ずーっと寝込んでたの・・・」 吐いたら隊服も汚れちゃって。今、洗って乾かしてるんだけど。 しどろもどろに小声で白状すると、は土方の隊服の裾をきゅっと引いた。 「あのっ、今年は間に合わなかったけど。・・・あたし、一年かけて練習するから。 また屯所のおばさん達に教えてもらって、来年のお正月には美味しいのを作れるようになるから」 「イヤいい。やめろ」 「えェ、でもォ」 「出来損ないの雑煮くれえ、あとで喰ってやる。とにかくやめろ、いいな」 冗談じゃねえ。どんな無差別長期テロだそれは。 それともお前は最終兵器か。最終的には屯所を殲滅する気なのか。 飛び出しそうになる罵声をぐっとこらえ、胸の奥に放り込む。 一杯は無理でもせめて一口は、と決死の覚悟をした途端にこみあげてきた、身に覚えのある吐き気も一緒に。 それに、こうもボロボロになった手を見せられては、屯所に戻る気も失せる。 何より怒る気が失せてしまった。 もういい。仕方ねえ、腹は決まった。 奴等のふざけたツラを見るのは癪に障る。だが、を独占させておくのはもっと癪だ。 いっそ雑煮で道連れにしてやる。 奴等をこいつの傍に残しておくくれえなら、小汚ねえ雁首二つを引きずって三途の河を渡ってやる。 彼は無意識に刀の柄に手を掛けて目を光らせ、口元に不気味な笑みを漂わせた。新年早々殺る気満々である。 世間ではこれを「煮ても焼いても喰えない男の嫉妬」と呼ぶのだが。 どうやら彼にその呼び方を認める気は無いようだ、今のところ。 「・・・・おい。喰ってやる代わりに、お前もひとつ呑め」 その一言でにも、彼にはもう屯所に戻る気が無いことが伝わったのだろう。 ほっとしたように表情を和らげて、はい、と大きく頷いた。 「俺がいねえ時に、他の野郎を部屋に入れるな」 「・・・絶対?」 「絶対だ」 迷うことなく、真顔で断言する。 ところがは不思議そうに首を傾げ、屈託もなく訊き返してきた。 「土方さんがいるときなら、いいの?」 それも微妙だ。 いやそれ以前に、こんな質問をされる自体が納得いかねえ。 首を振り、彼はきっぱり否定した。 「駄目だ」 「えぇ!ダメなの?なんで?」 「何でも何もあるか」 「ええー。それ無理ー、無理無理っ、無理だよォ。バイト先の友達だって来るし、総悟や近藤さんだって」 うちで飲んだりお茶するくらいいいじゃない、と口を尖らせたが不服を唱える。 「バイト先の友達」という下りで、土方の眉間が険しく寄ったことにも気づかずに。 誰だそれは。いったいどこの害虫だ。初耳だぞ。 万事屋と悪ガキに加えて、見覚えの無ぇ虫まで隅をコソコソとうろついてやがったのか。 気に入らねえ。これだから、こいつを屯所から出すのが嫌だったんだ。 だが、万事屋や沖田ならともかく、一捻りで済むような羽虫の一匹二匹程度。 貴重な休みを棒に振ってまで、害虫駆除に出向くこともない。 それよりこいつだ。こいつをどうする。 さすがに唖然とさせられた。 どういうことだ。何がどうなってここまで通じねえんだ? 俺が何故こう口煩くなるのか、解らねえのか。 それどころか、俺が何にどう気を揉んでいるのかすら通じねえのか、こいつには。 困惑しているうちに、腕に重みを感じてふと見下ろす。 いつのまにか、きつく袖を掴まれていた。 彼が袖を上げても、軽く振ってみても、はまるで離そうとしない。 さっき屯所に帰ると拒まれたのが、相当に堪えたのだろう。 帰らないで、とでも言いたげな目で彼を見上げた。今にも泣き出しそうに瞳が曇っている。 この涙には弱い。しかも不思議だ。 泣かれるたびに弱りはするが、なぜか泣き顔を眺めるのが苦にはならない。 濡れた頬を見ればつい触れたくなる。慰めてやりたくなってしまう。 しかも、こうしおらしく出られては埒があかない。どうにも萎える。 きつく言い聞かせようと構えたはずの勢いが、波が砂を削るように引いていく。 人並み外れて強固なはずの自制と理性まで、勢いの波と一緒に削られ、引いていく。 隊服の袖がきゅっ、と引かれる。 黙って見上げてくるの瞳には涙が溜まっていて、今にも溢れ出しそうだ。 土方はもどかしい頭痛を覚えながらも、渋々で悟った。 休みは二日きり。二日しかないのだ。 普段より長いとはいえ、こいつと過ごせる貴重な時間。思う以上にあっという間だろう。 折角の時間なのだから、余分な手間は省けるだけ省いておきたい。 それにはこいつの考えを改めさせる前に、俺が出方を改めるしかないのだ。 「あのな、。家に入れるなってえのはな。 見せなくていい隙を、わざわざてめえから作るなってことだ」 普段よりも穏やかめに声を抑え、土方はを言い含めようとした。 こっちが多少折れてでも、確実に言い含めるしかないだろう。二度とこんな目に遭うのは御免だ。 それに何より、女の部屋で野郎の素っ裸だのエプロン姿だの裸エプロンだのを眺める趣味は、俺には無い。 「だって。・・・隙くらい出来るよ。だって友達だもん。 誰だって友達といたら気がゆるむでしょ。隙くらい出来るでしょ?」 単純すぎてあっけにとられ、彼は目を見張った。 間の抜けた脱力感を背負わされ、珍しく猫背気味に肩を落とす。 何てことのない話だ。すべては単なる行き違いだったのだ。 俺は友達とは言ってねえ。野郎は駄目だ、野郎を家に入れるなと言ったのだ。 なのにこいつはなぜか「野郎」のひとことにだけ、間違った変換をかけている。 「野郎」を「友達」と置き換えているだけの話だ。馬鹿らしくなって、腹の底から溜息が湧いた。 「・・・そりゃあ、お前がダチだと思ってるだけだ。奴等はぜっってェ思ってねえぞ。 どーせ裏じゃ、どいつもこいつも鼻の下伸ばしてニヤついてんだ。決まってんだろ」 「はあ?何それ。違うもん、あたしはねえ、土方さんと違って友達も人付き合いも大事にしたいのォ! みんなと仲良くしてるのっ、友達なのっ。今のバイト先のコたちもすっごく仲良くしてるんだからっ」 「うっせえ。つーか頼む。頼むからせめて年明けくれえ、その乏しい頭振り絞ってよーーく考えてみやがれ! だいたいてめえの言う「みんな」ってえのは、どこからどこまでだ?友達の括りがデカすぎなんだよ!」 「・・・やっぱりわかんない。わかんないよ。友達に隙を見せるな、って。何がそんなに」 「だァァァ!!」 だんっ、と地面が揺れるほどに踏み締め、彼は怒鳴った。 たまたまその瞬間に傍を通りかかった通行人が、怯えて走り出すほどの剣幕で。 「誰が友達は駄目だと言った。俺ァ、男は駄目だ、って言ってんだ!」 彼の言い分を反芻しているのか、は黙り込んで考え始める。 すぐに、あ、と唇が半開きになった。 丸く見開いた目は忙しく瞬きを繰り返しながら、驚きを隠そうともせず土方を見つめている。 苦労の甲斐はあったらしく、彼が何を心配していたのかは通じたようだ。 淡い色の頬にはほのかに赤みが差して、見開かれた目はさっきまでとは違う表情を帯びている。 「・・・ごめんなさい」 小声でぽつりと漏らし、上目遣いに困ったような顔で土方を見上げる。 それは困る。こっちが困る。 とうてい彼には直視できない、しおらしくて頼りなげな姿なのだ。 動揺して幾分目を逸らしつつ、彼はに手を伸ばす。黙って肩を引き寄せた。 往来の人目を気にしながらも、彼女は素直に寄り添った。それから、心配そうに土方を見上げる。 照れ隠しの不機嫌顔はあさっての方向を向いたままで、通りの向こうをじっと睨んでいた。 自分でも解らないのだ、未だに。 この姿を目にするたびに抱きしめたがっている自分は、何なのか。 戸惑い訝しみながらも、いつも腕は女の肩へと伸びていく。 柔らかい体に触れてみれば、もっと触れたくなる。髪が甘く香ってくる。 この匂いにも柔らかさにも、何度触れても未だに慣れない。未だに測りかねる。 こうするたびに、この女に触れるまでは味わったことのなかった戸惑いが、彼を苦笑に誘いこむ。 こうして触れるたびに、甘ったるくて掴みどころの無い、この肌に似た柔らかさが彼の胸を占めていく。 以前なら考えられなかった。 往来でこんな軟弱さを晒す自分を、どう想像できただろう。 らしくもない自分と折り合いをつけて、似合わない真似までして。そこまでしても女を宥めてやりたいなどとは。 こいつを拾う以前の俺なら、思うはずがなかったのに。 「・・・他の野郎の前で、こういう隙を作るなってことだ。解ったか」 「・・・・・・うん・・・わ、わかった、・・・かも。」 潤んだ目を瞬かせて、が恥ずかしそうに彼を見上げる。 その唇に指を這わせてすっとなぞると、土方は不服そうにつぶやいた。 「んだよ、そりゃ。どうも頼りねェ返事だな。」 まだるっこしい真似をするのは御免だ。 だが、同じ轍を二度踏むのはもっと御免だ。 誰が新年早々に女の部屋で、野郎の汚ねえ裸だのエプロン姿だのを拝みたいものか。 アパートに戻れば、油断ならない二匹の害虫駆除が待っている。 徹夜明けの身体には堪える大仕事、まったくたいした重労働だ。 まさか年末を持ち越しした大掃除に、新年早々から振り回されるとは。 失敗だ。どれだけ忙しかろうが、奴等の始末だけは年末中につけておくべきだった。 後悔混じりな自嘲を喉の奥に押し込めつつ、腕の中でじっとしている女を眺める。 彼の言葉の裏から垣間見えた本心が、嬉しかったのだろう。 はにかんだような顔で目を潤ませ、こっちを見上げている。 もう一度ゆっくり唇をなぞると、くすぐったそうに肩を竦めた。 新年早々、先が思いやられる。 こうして今年もまた、俺はこいつに振り回されるのか。 去年までがそうだったように、さぞかし面倒な思いもすることだろう。 しかしその面倒さも、甘んじて受け止める以外になさそうだ。 「・・・土方さん」 「ああ」 「・・・あの。だから・・・か、確認してもいい?外れてても、怒らないでね?」 ぎこちなく前置きすると、は妙にぎくしゃくした仕草でうつむいた。 「ち、違うよね、そういうアレじゃないよねっ、でも。今の・・・って。 もしかしたら。・・・・・・妬いてくれたんですか?・・だったら嬉しいんだけど・・・」 恥ずかしそうに頬を抑えながら、が顔を上げた。 じっと見ていた土方と目が合うと、途端に頬が真っ赤になる。 笑いだしそうになるのをこらえながら、土方はわざと素っ気なく顔を逸らした。 「そっ、そーだよねっ。いやあはははははは、そ、そんなはずないよねっっ。 やっ、違っ、違うのっ、今のはね、ちょっとふざけただけだから、ねっ!?」 違うの、違うからね、と彼の胸を叩きながら、は弱りきった顔で言い訳を繰り返している。 もう一度、念でも押しておくとするか。目を伏せて笑う土方が、身を屈める。 に顔を寄せて、そっと唇を重ねる。それから腰を引き寄せると、柔らかく抱いた。 掻き寄せると指をすり抜けていく、滑らかな女の髪に顔を埋めながら。 ふと彼は思った。 呆れたもんだ。 これからもずっと、こうしてを抱きしめていられるのならば。 それだけで俺にとっては、至極上々な休日なのかもしれない。 「おい。どうする。これでも解らねえんなら、二日かけて教え込むしかねえんだが」 頬を赤く染めた女の手が、ぎこちなく土方の肩に触れてくる。 何か言いたげな表情で袖を引いてから、彼の胸に埋もれるように寄り添って。 こくんと小さく、頷いた。
「 年越し蕎麦と恋敵は新春までに片付けろ 」text by riliri Caramelization 2009/01/06/ ----------------------------------------------------------------------------------- 30,000hitキリリク まみさんへ。 「銀さん&総悟」「怒る土方」「最後甘め」のリクエストでした ありがとうございました!!