男はそれを我慢出来ない

4

煙草の灰が、パサリと軽い音をたてて灰皿に落ちる。 その音で、彼はようやく我に返った。 こんな時に俺は何を。 感傷に無駄な時間を費やしたところで、何の足しにもなりゃしねえ。 小さく舌打ちして、迫り来る焦燥感に頭痛を覚える。 まだ気づいていないのだ。 傍から見れば、これがまったく無駄な焦燥感だということに。 そのときだ。 突然部屋の障子戸が、パァンと派手な音を鳴らして横っ飛びに弾かれた。 音に反応した彼は障子戸に強張った顔を向けた。 派手な音とともに、全開になった障子戸の向こうに現れたのは。 「ひーじかーたさぁーーーん!検温のお時間でーーーす!!!」 彼は驚きに目を剥いた。 手にした煙草が、灰皿に落ちる。 淡いピンクのナース服。ミニスカートの美脚を包むのは白いストッキング。 指に挟んでひらひらと、楽しげに笑う顔の前でちらつかせてせているのは体温計。 元カレの検温に来たナースが、開けられた障子戸のむこうに立っていた。 「どう?可愛い?てゆーか可愛いって感想以外は受け付けないけどォ。ね、似合うでしょ?」 まるで撮影現場のグラビアアイドルがシャッター音に合わせているかのように さまざまな悩殺ポーズを作ってはけらけらと笑い、は土方に披露し続ける。 「小菊姐さんがね、宴会の余興で使った服なんだけど。 せっかくだからみんなにも見てもらおうかなって思って。土方さんに最初に見せに来たの!」 彼女に着てほしいコスプレランキング第一位。 驚きに声も無い彼の脳裏を、このフレーズが砂煙をあげて駆け抜ける。 男の無邪気さの詰まったフレ−ズが猛スピードで駆け抜けていった時点で、 彼はやっと、あることに気がついた。はっと息を呑み、座る自分の足元を見下ろす。 しかしこの時すでに、何もかもが遅かった。 部屋の入り口に立っているも、もちろんそれを目にしている。そう、ここにあるはずのない自分の隊服を。 じりじりとした焦燥感が、バスドラ連打のごとくはやる鼓動が、いたぶるように刺すように彼を襲う。 きっとは呆れるに違いない。 「いやああああぁあ!!何してんのよこの変態ぃぃ!!」くらいは吐かれるだろう。 それで済むならそれでもよかった。 誓って俺は身に覚えが無い。だが、そのくらいは甘んじて受けてやる。 その程度ですべて収まることならば、俺はハナからここまで悩んだりしない。 ついに。ついにこの時が来たのか。 いや、「ついに」というより、なぜこんな時に、この瞬間が来てしまったのか。 俺はいよいよに愛想をつかされるのか。しかもその理由が、こんな馬鹿げた濡れ衣だとは…! やりきれないにも程がある。もう駄目なのか。間に合わないのか。 最悪の場合、こいつの顔すら見れなくなってしまうのか。 だが、返ってきたのは意外な反応だった。 「あれっ。どうして、これ・・・」 最初にぽつりと、はつぶやいた。 それから首を傾げて、不思議そうな表情を廊下のほうに向けた。 「総悟ってば。どうして土方さんに渡すのよ。あたしに直接返せばいいのに」 総悟ってば。 今、彼女は確かにそう言った。 彼は呆然とそれを聞いた。 はこの現場を見ても彼を咎めることもなく、ただ平然と沖田の名を口にしたのだ。 「ほんっと何考えてるんだろあの子。ねえ、土方さん?」 「・・・・・・・」 「・・・土方さーん?」 「・・・・・・・あ?」 「オイ土方。何をボケてるんですか。これですよこれ、あたしの隊服。 総悟が置いていったんでしょ、これ」 「・・・・・あァ?」 「あァ?じゃなくてぇ、総悟が置いていったんでしょ。違うんですか?」 眼光鋭く目を見開き、黙りこくっている彼の態度を、どうやらは無言の了承と誤解したらしい。 開けられたままの入り口から廊下のほうに目をやって、総悟ったらもう、とこぼした。 土方の前で行儀良く膝を折ると、ちょこんと座る。 白いストッキングに包まれた脚の上で、自分の隊服を畳み始めた。 「宴会で使うって言うから貸してあげたのに。どうして土方さんに渡すのかなあ。ねえ?」 『総悟ったらもう』 『宴会で使うって言うから貸してあげたのに』 彼女の言葉を、土方は心中で繰り返した。 そして彼の中で、すべての符合がぴたりと揃った。 偉大な名探偵を祖父に持つ高校生探偵の言葉を借りるとするならば「謎はすべて解けた」のだ。 彼の中で、何かがぷちんと音をたてて切れた。 この場合の何かとは、俗に言う「堪忍袋の緒」である。 横に置いてあった刀を、奪取の勢いで掴み取る。 彼はおもむろに立ち上がった。怒りに強張った表情で、刀の鞘に手を掛ける。 この剣幕ぶりを目にすれば、すべての隊士が蜂の巣をつついたような騒ぎで逃げ出すに違いない。 そんな鬼の豹変に驚いたのは、隣にいたである。 怒気を撒き散らしながら仁王立ちする彼を、は唖然と目で追った。 「えっ!?ひ、土方さん!?」 怒りにかられ、今すぐここで抜刀して沖田を探しに暴走する勢いで立ち上がった土方。 だが、そこでの声が耳に入り、彼女の存在を思い出した。 そしてさらに思い出す。は、自分の隊服がなぜここに置かれていたのかを知らないのだ。 「土方さん?どうしたの・・・?あたし、何か悪いことでも言った?」 そう言って首を傾げ、瞳を曇らせ気遣うような表情で彼を見上げる。 彼女の表情に縛られたかのようにしばらく固まっていた土方は、渋々ながらも腰を下ろした。 ブツブツと沖田への負の呪文を唱えながらも、彼女のためにもこの苛々を沈めようと煙草を取り出す。 正確なところ、彼女のためだけに、とは言えないが。 単にナース服の誘惑に折れただけ、というのもあるのだが。 「・・・何も無え。あるわきゃねえだろ。あってたまるか」 「えー。うそぉ。なんでもないひとが、刀握って飛び出して行ったりしないでしょ。 ねえ、もしかして。これのこと?これ、総悟に渡されたの?」 「・・・・勝手に入れやがった」 「勝手に、って。どこに?」 無言の土方は、鋭い目線で箪笥を指し示した。 指し示された箪笥は、彼がの隊服を出したときのまま。引き出しは開けっ放しのままである。 「ええー?じゃあ、黙って土方さんの箪笥に入れておいたってこと?」 が呆れた顔で、肩を大きく落とす。 首を傾げながら立ち上がり、問題の箪笥の前へと歩いていった。 「もう。どうしてそういうことするかなあ、あの子、・・・・は・・・・・」 開けられたままの引き出しを閉めかけたの手の動きが、ぴたりと止まる。 動きが止まると同時に口籠もる。 引き出しの中に見開いた目の焦点を据えたまま、無言で立ち尽くしている。 彼女の異変に気づいた土方は不思議に思い、立ち上がってその傍へ向かった。 「おい。どうし・・・・・」 言いかけて引き出しに目を向け。 土方は絶句した。 再びの、ベタでプリミティヴな、ヒトの自衛の本能に基づいた条件反射に沿った反応。 彼は今、見てはいけないものを目にしてショックを受けている最中。 中につまっているものが、そこには決して有り得ないものだったからである。 「・・・うそ・・・・なに・・・これ・・・・」 呆然と立ち尽くすが、震え気味の声でつぶやく。 そいつぁ俺の台詞だってんだ。 拳を硬く握り締め、歯軋りを起こしそうに唇を噛み締めて唸りながら、土方は思った。 もし今この場で隊士の誰かが、二人のようすを、そしてこの箪笥の中身を目にしたら。 誰であろうとそのヴィジュアルインパクトに凍りついたはず。 激怒に身を震わせる真選組鬼の副長、土方十四郎。 その隣には、呆然と立ち竦む白衣の天使・・・ではなくピンクのミニスカ天使、ナース姿の。 そして二人が無言で立ち竦む箪笥の中には、引き出し一杯に詰まった女性用コスプレ衣装が。 の隊服で一杯になっていた土方が確認もせずに見逃したものが、そこにはびっしり詰まっていた。 呆然として言葉も無いものの、がこわごわと引き出しの中に手を伸ばす。その中から一枚を摘み上げた。 ぱらりと広がって二人の前にお目見えしたそれは、紺色の襟に白地のセーラー服。 その隣に仕舞われているものは広げてみなくてもわかった。某航空会社のマークが刺繍されている。 あれはおそらくスッチー、キャビンアテンダントの制服だ。 そしてそのまた隣にあるのは体操着。その奥にあるヒラヒラしたエプロン付きはたぶんメイド服。 引き出しの端に埋め込まれた薄地の紺色は生地からしてスクール水着、通称スク水か。 銀行系のお堅いながらも清楚な制服。某コンビニの制服。某ファミレスの制服。 「・・・・あのォ・・・土方・・・さん?」 先に口を開いたのは。おずおずと、怒りに震えを起こしている土方を見上げた。 「あのね、・・・あの、ほら、いいんだよ?あたし、あの。 その、だから、ほら。誰にも言わないよ?うん、黙ってるよ?ほ、ほんとだから、ね?」 良くねぇ。ちっとも良かねえ。 お前が良かろうと誰が良かろうと、俺は全然、どっこも良かねぇ。 そう彼が反論しようとしたところを、は慌てて手を振り、遮った。真っ赤に頬を染め、うつむいて。 「い、いいの!いいの、言い訳しなくたって、言わなくたってわかってるから!ね?ほら、よく言うじゃない、 男のひとはみんな制服好きだって、あの、そ、それはほら、あたし、わかってるから。 趣味はね、あの、だから、趣味は人それぞれに自由だよね!世の中にはいっ、いろんな趣味の人が、ね? だからね、いいんだよ土方さん!!いいの、いいから!ね?」 「いいわけねーだろぉぉぉ!!!!」 土方が叫ぶ。当然である。よりによって惚れた女に、にそんな誤解をされてはたまらない。 ところがは彼の絶叫が耳にも入らなかったらしい。 小さく首を振りながら、落ち着かない様子で口許に指を当てた。 「・・・・・だから。あのね。・・・いいんだよ?」 「だから良かねえっつってんだろォがァァァァ!!! おいィぁんだその顔っ、聞いてんのか!?人の話聞いてんのかてめええええ!!」 「いいの。・・・だから、あの。言ってもいいんだよ?土方さん」 が再び小さく首を振る。 お前はどうしてそうも勘違いが過ぎるのか。聞け。まず俺の言い分を聞け。 だからこうしてさっきから良くねえって言ってんじゃねぇかよ!? 土方の声にならない不満が、怒りが、心の中で吐露される。どんどん膨らむ、破裂寸前に。 ところが。 抑えが効かなくなってきた彼の不満が爆発する寸前で、なぜかは彼の手を取った。 土方はそれに不意をつかれた。 の小さく柔らかな手の温もりに一瞬怒りも忘れ、何事かと目を見張る。 手を取ったものの、ナース姿のは土方の顔を見ようとしない。 頬を真っ赤に染めてうつむきながら何度も瞬きを繰り返し、 指を当てた唇から絞り出したような、小さくか細い声を漏らした。 「言ってもいいんだよ・・・?あの。・・・・・・着てほしいなら。 あっ、あたし!!土方さんが着てくれって言うなら頑張るから!!!」 「そんな頑張りいらねェェェェェェ!!!!!!」 冗談じゃねえ!もしそんなことになってみろ。 そんなことになってはたまらない。色々な意味でたまらないのだ。 何があたし頑張るだ!?お前が頑張ってどうする。それこそたまらねえ。 彼女は気づいていない。だが、もしもに見当違いの頑張りを発揮された場合どうなるか。 ――結果的に夜を徹して頑張らざるを得ないのは彼女ではない。間違いなく土方のほうである。 「いいの、土方さん。隠さなくたって大丈夫だよ、あ、あたし引いてないよ? 全然引いてない、ぜんっっぜん引いてないから!!」 「おめーがどーでも俺が引く、俺が!!!つーか!!聞け!!人の話を聞け!!!」 「だからね、いいんだよ、言って?ね?あの、だから。・・・どれ?」 「あァァァ!!!?」 険しい顔で唸る土方。 その剣幕ぶりに押されて肩を竦めつつも、は困ったような顔で上目遣いに彼を見上げた。 それから引き出しの中を振り返る。 再び土方と目を合わせると、手にしたセーラー服を顔の前に持ち上げ、恥ずかしそうにささやいた。 「だから、あの。・・・どれがいい?」 「っっっ!!!!」 呻いた声は、言葉を成さず。か細いのささやきは、彼の動悸を急激に早めさせた。 しかしその問いかけは勘違い以外の何物でもない。いったい何を言い出すのか、この女は。 どうしてこんな、俺の弱味を狙うような言い方で。 しかもこんな格好で、開き気味の胸元を誇張するようなポーズまで作って、 どうしてこんな可愛い仕草で、可愛いことを言い出すのか。 「てめぇ・・・やる気か?」 「え?」 もしかしてこいつは俺を殺す気か。ヒットマンか。殺し屋なのか。惚れた女は殺し屋だったというのか。 だとしたら、えらく質の悪い殺し屋じゃねえか。 気づかぬうちにじわじわと締め上げ、すっかり俺を骨抜きにしたところで一発で仕留めようってのか。 …そうか。そういう魂胆か。どうやら俺は今まで大きな勘違いをしていたらしい。 こいつの思い込みの激しさや早とちりを、呆れながら眺めている場合じゃねえ。 それこそがこの女の罠。まったくどうにもならねえもんだ。 惚れた弱味ってのは、こうも恐ろしいものなのか。冗談じゃねえ。それこそたまらねえ。 とにかく俺は間違っていた。沖田よりも引き出しの中身よりも、攘夷浪士よりもテロリストよりも。 俺が真っ先に始末をつけるべきは、奴等じゃねえ。こいつのほうだ。 「・・・畜生ぉぉ、上等だ、こっっの野郎ぉぉぉ」 「え?土方さん?・・・え、あの」 「るせェ。ちっ。もうお前には騙されねえからな。 オラ、やれよ。やってみろ。やれるもんならやってみろってんだ」 「え?え?な、ななな、なんで・・・?なに?なんでおおお、怒ってるの・・・・?」 キレた。彼はついにキレた。 そうとしか言いようのない極限状態に陥った。格好つけを自ら投げ出し、かなぐり捨てて。 実も蓋もない言い方をするならば「トチ狂った」という状態か。 日常的には、自覚の薄い悪質なストーカーや、自覚たっぷりで暴走するドSを抑え込む役目を担っている彼。 だが、それはこの血気盛んな野郎集団内におけるブレーキとしての役目を忠実に果たしているからに過ぎない。 怜悧な顔はあくまで組織の中での役割にすぎないのだ。その本性はといえば、生粋の喧嘩好きなのだから。 小学生の喧嘩でも、チンピラ同士の喧嘩においても、世界情勢を左右する大戦の終極においても、 戦いの大小や利害や使命の有無、品性を問わず、喧嘩の基本はみな同じ。 生来の喧嘩師土方十四郎。彼の本能に火がついた。 その火種、発火点はナース服姿も艶かしく恥じらう。 彼女が見せたいじらしさゆえの勘違いが引き起こした破壊力。 そしてもうひとつ。喧嘩における彼の信条。 あらゆる喧嘩の基本を端的に表したこの言葉「殺られる前に殺る」これである。 そして土方は、すみやかに実行に移した。彼の信条そのままに。 無言での腕を引き、強引に抱き寄せ。 いつにない性急さと粗暴さで、の唇を強く塞いだ。 「っっ・・・・!!」 驚いて硬くなったの唇を無理に通して、奥へと舌を這わせていく。 彼の動きに絡めとられた彼女の舌を、咥内を、土方の荒々しさが掻き乱す。 「っっ、・・・・んっっ・・・・・・・・」 繰り返される無造作で一方的な、執拗なまでに追い求める口吻け。 ナース服の胸元のボタンを苛立たしげに弾き、開いてゆく彼の大きな手。 唇を塞がれたは嫌がる声すら上げることが出来ず、ただされるままに乱されてゆくしかなかった。 力無く彼の胸を叩くだけの、弱々しい抵抗を繰り返していた彼女の手。 その指が、びくっと震える。 開かれた胸元に彼の手が伸び、着けていた下着を払い除けるように押し下げたのだ。 「っっ、やぁ・・・・だめっ、土方さ」 喘ぎ混じりのの抗議は、ふたたび唇を奪われたことで途切れてしまった。 あらわになる淡い色の肌。こぼれた胸が、強く掴まれる。 驚きに固まっていたの身体の強張りが、しだいに力を失くして緩んでいく。 彼の手が大きく動くにつれて身体がしなり、時折びくっと弱々しい震えを起こす。 塞がれた唇から切なげな吐息が、途切れ途切れの喘ぎ声が漏れてしまう。 我慢しようにもこらえきれなかった。 強引に掻き乱していくその手の動きに、奥まで伸びて荒らしてゆく口吻けに翻弄されてしまう。 知り尽くした女の身体の、感じやすいところばかりを攻め立てながら。 土方はふと可笑しくなった。 とうに吹き飛び、消え去ったはずのの被っていた猫は、未だにこんなところでその姿の名残を現すのだ。 暇なく与えられる刺激につい漏らしてしまう、喉を啼らすような喘ぎ声。 身を捩って彼の腕から逃れようとする肢体の、弾んで伸びるしなやかな動き。 爪を立てるように彼の胸を引っ掻くものの、その濡れた瞳は拗ねたような甘さで彼を求めてくる。 「んん、っ・・・」 身体の芯が溶けそうに熱くなって、疼き出す。 は力の抜けてしまった腕で彼の首に縋りついた。 先端を攻め立てる彼の指。その乱暴な動きに感じてしまい、身体が仰け反る。 「・・・ゃ、ぁんっっ!・・・・・」 こらえきれずに嬌声を上げ、その細い腕がだらりと落ちた。 まるで身体が砕けてしまったかのように彼の胸へと力尽きてもたれる。 土方が腕から畳に抱き下ろしても、声も無く。 隊服の襟元を崩しながら迫ってくる彼を、伏せた目をとろりと潤ませてみつめるだけ。 土方はよく知っていた。こうなってしまえば、こいつは俺に逆らえない。 幾度となく繰り返されてきたこの頼りなげな乱れよう。幾度と無く目にしてきたのこの表情。 鮮やかな桜色に染まるの頬。 大きな瞳が、熱にうかされたようにぼんやりと潤んで自分を映す。 幾度となく抱いた愛しい女の身体。 彼はの身体を、よく知っていた。 彼女本人よりも細やかに、すみずみに渡って知り尽くしているはずだった。 なのに、幾度抱いたところで知り尽くした気がしなかった。 「・・・・や!やだ、土方さ・・・!だめぇ!だめだってば!!」 彼がふたたび唇を重ねようとした瞬間、異変は起きた。 とろりと目を潤ませていたは、突然何か思い出したかのように目を見開き。 慌てて乱れた胸元を腕で隠し、身体を起こそうとした。 しかし今更そんなことをされては、彼も面白いはずが無い。暴れられようと謝られようと、 ここまできたら譲れない。誰が自分に、勘違いの頑張りとやらで不要な火を点けてくれたのか。 「黙れ。誰が悪りぃんだ誰が。んなもん着てヘラヘラ来るお前が悪りぃ。 なぁーにがコスプレだ、こんなもん脱がされるためにあるに決まってんだろ」 「ぁあああ、あたしじゃないもん、総悟があ!!!総悟だもんっっ!」 「うるせえ黙れ。このままじっくりいたぶってやるから覚悟しろ。 お前の『頑張り』とやらが当分発揮出来ねぇようにしてやる」 「きゃっ、やあっ、やめっっ、土方さんっ!ちょっ、・・・・やだぁあああああ!!そーごっ!!」 「あァァ!!?てっめ、この期になって・・!! 野郎の名前呼ぶたぁどういうことだ!!喧嘩売ってんのか!!マジで殺されてーのか!!?」 「違ぅう、違うのぉ!!マジでいるの!!いるの、総悟がほんとにいるのっ、そこにぃ!!!」 怯えきって泣きそうなが、障子戸に指を向けブンブンと両腕を振り回す。 その必死の抵抗ぶりに目が醒めた土方は、たちまち正気を取り戻した。 の上から飛び退くと、焦りの表情で障子戸へと鋭い視線を向ける。 すると。 「ちぇっ。最後の一票、回収しそこねたィ」 闇も深みを増して暗くなった廊下から、ひょいと顔を出した男が一人。 「ちょっと総悟ー。協力したんだから忘れないでよ、さっきのあれ。奢る約束〜〜」 口を尖らせ頬を染めて、覗き込む沖田には背を向けた。 乱れた胸元を早く直そうと、口調も仕草も慌て気味。 そんなのぎこちない仕草を楽しげに眺めてから、沖田総悟は土方を見下ろした。 驚きを隠すことも出来ない土方をにんまりと眺め、悪びれることもなく腕組みをし、 障子戸にもたれている沖田。その表情のふてぶてしい挑発を見取って土方は察した。 騙されていたのだ。この二人、最初からグルだったのである。 「・・・・・てっっめえらああああああァ!!!!!」 「ごめんね土方さん。総悟がどーしても聞き出せっていうからあ!! コスプレランキングがね、もう全員投票済みであとは土方さんの一票だけなんだって」 乱れた長い髪を撫でつけながら、は恥ずかしそうにしている。 その表情には申し訳なさそうな、頼りなげな気配が浮かぶ。 怒りと失望に満ちて言葉すら無い土方を気遣うように、ちらちらと目線を向けていた。 「土方さんの好みはよーーーーくわかりやしたぜ。けどねぇ、コスプレランキングには入れられねェや。 こいつァ無効票でさァ。女にゃ何にも着させねーのが趣味だなんて、ランキングの趣旨に合わねェや」 喉の奥からこみあげた籠もった笑いが沖田の口から漏れてくる。 その笑いの声音には悪意や挑発や蔑みや憐れみや愚弄や・・・・ とにかく何に怒りをぶつけたらいいのかわからない土方の失望ぶりに、 これでもかと追い討ちをかける成分がぎっしりと詰まっていた。 詰め込み可能な限りに、ぎっしりと。 彼の箪笥に詰め込まれた、色とりどりのコスプレ衣装のようにぎっしりと。 「もおっ、いいから総悟。それよりもあれは?約束は?イタリアン!!いつ?いつ行く?」 乱れた姿を見られたのは、さすがに恥ずかしかったらしい。 声を張り上げたは無理に話題を逸らし、沖田の隊服の裾をぐいぐいと引いた。 「は失敗したじゃねェですかィ。イタリアンからラーメンに格下げでさァ」 「ええーー!やだぁ!やだやだぁ!!ラーメンなんて飽きちゃったもん!! 土方さん、ラーメンか牛丼かファミレスか定食屋しか連れてってくれないんだもん。 たまにはお洒落なお店に行きたいの、パスタが食べたい! 表参道のリストランテのカルボナーラが食べたいぃ!!!」 「しょーがねェなァ。っとに我侭な姫ィさんだぜ。まあいい、それで手を打ちやしょーか」 「いいの!?ほんとに!?」 「いいさ。俺ァ元々どっちだっていいのさ。とデートできりゃ文句はねぇ。 ねえ、そーでしょう?土方さんよォ」 わざとらしくにっこり笑う。 その整った顔を覆う微笑みの邪気の無さが、かえって憎たらしさを煽る。 しかし土方は、己の甘さと無様な敗北を認めるしかなかった。 やられた。 勝負も何も、初めから勝敗は決まっていたようなものだ。 彼の一等攻めに弱い部分。惚れた女から抜きざまに衝かれては、たとえ生来の喧嘩師とあっても勝ち目を奪うのは難しい。 「やったああーーー!!!ね、総悟、いつ?いつ行く?」 文字通り諸手を上げて喜ぶ、無邪気な。 その悪気の無い姿を半ば睨みながら、土方の手はすでに隊服に煙草を探して伸びていた。 最早、彼が信じられるものはこの一本のみ。禁煙派の白い目線と戦いながら、常に懐にしのばせてきたもの。 死線も難局もともに潜り抜けてきたこの友人だけが今、彼にとっての心の拠り所。 これを楽しむつかのまの平穏だけが、彼に唯一残された干上がりかけたオアシスなのか。 畜生。ふざけんな。 カルボナーラだかコパカバーナだか知らねえが、女ってのはどうしてこうも、小洒落たもんにつられたがるのか。 どうしてこいつぁ気づかねェのか。てめえがまんまと餌に釣られた魚だってことに。 ・・・総悟の野郎と二人だと。 冗談じゃねェ。行かせるか。ぜってェ邪魔してやる、阻止だ阻止。このガキ今夜こそ殺ってやる! と、執念深くも恐ろしい決意を胸の奥深く秘めながら、彼は青筋をこめかみに浮かべ 鋭い目を復讐と嫉妬に光らせた。 「ああ、そうそう。近藤さんが呼んでやしたぜ。 のナース姿が見てェって、さっきからずっと待ってんだ」 「うん!すぐ行くから先に行ってて?」 ひらりと手を挙げ、廊下の暗闇に消えた沖田の姿を見送ると、 はくるっと振り向いた。 ふてくされて目も合わせようとしない土方の真正面に、視界を塞いで座り込む。 「ねえ。土方さん、土方さん」 じっと土方の目をみつめるナース姿の。しかし彼は顔を背けて黙したまま。 「ねえ。ねえねえ。土方さんってばぁ」 頬を膨らませたはその肩を押し、ゆらゆらと身体を揺さぶった。 ねえねえ、と甘えた声でしつこく迫るにムッとして、つい土方は大声で本音を晒す。 「るっせえ!!!裏切り者に用は無ぇ、出てけ!!」 「あははっ、ごめんね?もしかして傷ついちゃった?」 けらけらと笑われ、土方はいよいよ機嫌を損ねた。 くるりと向きを変えて座りなおし、拒むように彼女に背を向けた。 「ね、土方さん。あとで聞かせてね」 そんな彼の姿に怯えるどころか、はひるむ気配を見せることすら無い。 笑顔で彼の肩に手を置き、ポンと叩く。この男の素っ気の無さと、少し怒りっぽい気質には慣れているのだ。 「言わないから。総悟にも誰にも。絶対絶対、誰にも言わないから」 「あァ!!?何がだ!?」 苛々と、強張った背中越しに返される土方の怒声。は目を丸くして口を尖らせ、黙り込む。 畳にいたずら書きでもするように指を走らせながら、うつむいた顔を赤らめた。 「何って・・・・・だから。あの。さっきの、・・・・・どれがいいのかなって・・・」 強張っていた隊服の背中が、わずかにぴくりと肩を揺らした。 けれど返事は返って来なかった。畳に走らせていたの指が、ぴたりと止まる。 「ちぇっ。・・・お詫びに頑張ろうと思ったのにぃ」 としては、恥ずかしさをこらえながらのお詫びのつもり。 その精一杯の申し出に何の反応もなかったのだ。 土方に悪いことをしたとは思っていても、つい拗ねた態度になってしまう。 …このひとの機嫌は直りそうにもないし。そろそろ近藤さんのところに行こうかな。 背中の拒絶に気を落としたは土方のご機嫌取りをすっかり諦めた。 気恥ずかしさに口を尖らせたまま、膝を揃えてすっと立ち上がる。 「もういい。もう見せてあげないもんね。どーせあたしが何着たって」 「待て。」 背中越しに、声だけで呼び止められた。 返ってきたのは動揺と焦りの混ざった低い声。 背中越しに振り返った無表情な横顔は、目線がいつになく揺らいでいた。 「・・・・だから・・・・その、アレだ・・・いやその・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・見たくねえとは言ってねえ・・・・」 彼がこのあと何を所望したのか。 それは笑顔で彼の背に飛びついた、のみが知るところとなった。 真選組を陰から牛耳る男、策師土方十四郎。どんなときでも格好つけたがりな男。 しかし、そんな彼にも弱味はある。 察するに、そこだけはどこにでもいる普通の兄ちゃんと変わらない模様。 それも男という生き物がどう足掻こうと逃れられない、無邪気な性質のひとつなのかもしれない。

「 男はそれを我慢出来ない 」end  text by riliri Caramelization 2008/08/10/ -----------------------------------------------------------------------------------        next