「うわぁ・・・!これっ、全部さんが作ったの?あっ、これ!エビフライ?」
開けたばかりのお弁当を前にして、びっくりしている退くん。
夢中で見つめている子供みたいな横顔を見たら、ほわほわと胸の中が弾んだ。
外した重箱の蓋の影で、よっし!と小さくガッツポーズする。
快晴の公園で広げたお弁当は、この天気のおかげで彩りの良さが引き立って見えた。
「うん。前にご飯食べた時に、エビフライ好きだって言ってたでしょ」
「さん、俺の好物覚えててくれたんだあ・・・!あれっ。これも、これも、衣の色が違う!」
「それはチーズ味だよ。カレー味の衣とアーモンドの衣と、青じそで巻いたのもあるんだよ」
「へえぇ。すごいなぁ、どれもすっごく美味しそうだぁぁ」
ちょっと凝ってみたチーズ味エビフライを摘み上げて、退くんの表情はぱあっと明るくなった。退くんのこういうところが好き。大好き。
のんびり屋さんなのに意外と何にでも細かく気づいてくれるところと、素直に喜んでくれる感激屋さんなところが。
まだ付き合ってるわけじゃないけれど、こうして二人で会える時間はいつも楽しみ。たまにくれるメールや電話も待ち遠しい。
・・・もしかしたら、退くんもあたしと同じように思ってくれてるのかな。なんて、誘われるたびにこっそり期待してるんだけど。
「ありがとうさんっ。いただきまーす!」
「いっぱい食べてね。退くん、少し痩せたみたいだから」
「えー。そうかなー」
そうだよ絶対。退くんは首を傾げて頬や顎のあたりを触って、なんだか不思議そうにしてるけれど、
あたしの目には前に会った時よりも、顔や後ろ姿が痩せたように見えるもん。
退くんのお仕事はおまわりさん。先週までずっと張り込み続きで、とても大変な目に遭っていたらしい。
この公園へ来る途中、歩きながらそのお仕事の内容を説明してもらったけれど、
あたしはすごく困ってしまった。退くんのお仕事の話は、いつも聞かされるほうが反応に困るような話ばかりなのだ。
何が困るのかって、全部が全部意味不明だから。あんぱんの大群の幻を見ただとか、
気づいたらインドの街を彷徨っていただとか、上司にスパーキングして危うく殺されかけたとか、肉じゃがで毒殺されそうになったとか。
・・・退くんは優しいし気遣い上手だし、仕事熱心で真面目なとってもいい子だ。
だけど、たまに話してくれるお仕事についての冗談は、そのほとんどが笑えない。
「さんは本当に料理上手だなあぁ。・・・ぅっ、ひっく、ぇぐっっ・・・すっ、すっごく美味しいよぉぉ」
「!?さ、退くん!?え、ちょっと、うそっ、・・・泣いてる!?」
「うくぅぅ、ぐすっ、ご、ごめんんんっ。あの任務が辛かったからかなぁ、何だか涙腺が緩くってさ・・・
こんな美味しいもの食べるの久しぶりだったからあぁぁぁ」
ひっく、ぐすん、ぅぐっ。
嗚咽を漏らして啜り上げる退くん。両目からだーっと涙を流しながら、それでもむぐむぐとエビフライを食べ続けてる。
口に頬張ったあのエビフライ、チーズ味より完全に涙味が勝っていそう。あたしはおむすびをぽとりと落として青ざめた。
周りで同じようにお弁当を囲んでいる皆さんにドン引きした目で眺められているけれど、あたしはそんな皆さん以上にドン引きだ。
・・・まさか自分の作ったエビフライが、とっくにはたちを過ぎた男子を号泣させちゃうとは思わなかった。
「っく、ごっ、ごめんね。・・・・・・でも、・・・いーなあぁ。きっと幸せなんだろうなぁ、さんをお嫁さんに貰える男は」
「え、」
拾ったおむすびをまた落として、驚いて見つめる。
あたしの目線を受け止めて、退くんの顔はお弁当の彩り用に入れたプチトマトくらい真っ赤になった。周りを意味なく見回してから、
たこさんウインナーとブロッコリー、さらにエビフライを三本まとめて口に放り込んで、はぐはぐと頬張りながら首をブンブン振った。
・・・何をしたいのかまったくわかんない。退くんがすごく焦ってるんだってことはよくわかるけど。
「・・・!っっっ、や、っちち違っ違うよ今のはっ、深い意味はないんだよ!!?
そそそのほらうううらやましーなあって!!こんな美味しいものっ、毎日食べられたらいーなーって!」
「そ、・・・そうかなぁ。ありがとう、・・・あ、ええと、はいこれ。涙拭いてね」
「う、うんっ。ありがとうぅぅ」
涙を腕でごしごし拭ってる退くんに、まだちょっと顔を引きつらせながら、どうぞ、とハンカチを差し出す。
渡してしまってから、あっ、と気づいた。
やっちゃった。失敗しちゃった。今の答え方は間違いだった。ああっ、どうして言わなかったんだろう!
ここで「退くんさえよければ毎日食べられるんだよ」って逆告白しちゃえば、退くんだってその気になってくれたかもしれないのに!
「・・・っっ。あのっ。さんっっ」
「う、うん?」
「だだだだだ、・・・・だめ、かなあっ。おっ、・・・・・俺じゃだめ?」
「え?」
「あ。あのさ。張り込み続きで会えなかった間に、ずずずずっと、思ってたんだっ。
もしっ、俺でよかったら、さん、と、おつ、お付き合いっ。したいんだけどっ」
何度もどもったり、つっかえたりしながら、それでも退くんはあたしの目を見てはっきり言ってくれた。それを聞いて、
え、とつぶやいたきり、あたしは何も言えなくなってしまった。喋ろうにも何も言葉が出てこない。
だってものすごく突然だったから、・・・頭の中が真っ白で。
真っ赤だった退くんの顔色が気まずそうにさあーっと醒めていくのが判っていても、まだ何も言えなかった。でも。
「いいいい!いいんだ!いい嫌ならはっきりここっ、断って!!」
「・・・。嫌じゃないよ」
「そそそっっそっかああぁぁ!そーだよねやっぱり嫌だよね俺なんかじゃ!――って。・・・えぇっ」
予想外だった答えに混乱しているのか、目を丸くしている退くんにすっと近付く。
赤くなってるほっぺたに顔を寄せて、ちゅ、と唇を落としたら、全身をびくっと震えさせた。
「・・・。はい。取れたよ。エビフライの衣」
「・・・・・・・・・・・・・へ?」
「退くんが慌てて食べるからだよ。さっきからほっぺたにくっついてたんだよ。気づかなかったでしょ」
「・・・・・・・・っ。」
なんて言ったけど、ほんとは嘘。衣がついてたのは着物の衿のところ。
今のは、なんていうか、・・・・・・何だったんだろう。本当を言うと自分でもよくわからない。
ただ、どうしても今キスしたくなったから。ただそれだけで身体が自然に動いちゃったから、咄嗟にエビフライのせいにしただけ。
あたしってこんな大胆なこと出来るんだなあって、自分でもびっくりしてるくらいだ。
退くんは夢の中にでもいるようなぼんやりした顔で、まじまじとあたしを見つめていた。
しばらく経ってから急に意識が戻ったみたいにはっとして、膝に置いたあたしの手をぱっと掴んだ。じりじりこっちに迫ってくる。
「え、い。いいの?さんんん、おおっ俺でいいの!?」
「・・・うん。でもね。退くんでいい、・・・じゃないよ。退くんがいい、だから。ね?」
「マジで!!???」
「うんっ。じゃなくて、あの。・・・はい。これからよろしくおねがいします」
「ここっこちらこそ!!あっ、そうだ、あのっ、じゅ、順番逆になっちゃったけど・・・すっ、すすっっ好きですっっ」
手をきゅっと握られ、真面目に言い切られてしまった。顔だけじゃなくて胸の中までぽうっと温かくなってくる。
こういう時にまっすぐに見つめられるのってなんて恥ずかしいんだろう。
・・・でも。うん。あたしも好き。大好き。
「さんっっっ」
「は、・・・はい」
「おお、お返し!に!!おおお俺からっキスっっし、しししてもっ、いい!!?」
「へ、・・・っ!?ちょ、っっ」
退くんに肩を掴まれる。そのままビニールシートに、ぱたっ、と倒され、四つん這いになった人影が目の前に。
真っ赤になった退くんはごくりと息を呑んでいて、喉が大きく動いたのがはっきり見えた。
・・・何これ。なんなのこの生々しさは。今って昼間だよね。ここって公園だよね。しかも周りにはお弁当中の家族連れとかカップルがわんさといるんだよね。
てゆうかあたしはこんな中で一体どうされちゃうの。こんな人前で、しかも押し倒されて初キスなのマジで!!?
とすごく困ってるのになんとなく拒めなくて、見たことない必死な顔で迫ってくる退くんが全然嫌じゃなくて逆にドキドキしてしまって、
ええっ、あたしってこういうシチュエーションOKだったの!?なんて本来は後回しでもいいはずのことをやたらと気にしながら、頭が破裂しそうになりながら目を瞑ったんだけど、
・・・いくら大胆とはいえ相手は退くんです。心配したほど大胆なことになるわけがないんです。
頬を両手でそっと覆われて、おでこに軽く、ちゅっ。この程度で済ませてくれました。
・・・なんだろう。なぜかとっても複雑なんです。ほっとしたよーな残念なよーな。
おでこに残った温かさに手で触れて確かめながら、ちょっとうらめしい気分で見上げる。
退くんは自分のしたことが信じられない、って顔で呆然とあたしを見ていた。
「!!ご!ごごごめっ、俺っ、ついっ、む、夢中で!!」
「ぇ、う、あの。・・・・さ、退くん、起きて?これ、ちょっ、はっ、恥ずかしい、からっ」
「ごっっ!ごめんんん!いい今っ今すぐ起こすからあっっっ」
「う、うん。・・・て、え?や、っっ」
ほっとしていられたのはたったの三秒程度だった。退くんに肩から抱き上げられて起こされて、当然、周りの視線は抱き合うあたしたちに集中したまま。
こうなると恥ずかしさもとっくに限界を超えて、だんだんわけがわからなくなってくる。
ああ、今ならあたし、どこかの怪獣みたいに口から火を噴けるなあ、なんて普通に思うようになってしまう状態だ。
こっちに固定された周りの皆さんの目線を気にしながらうつむいてもじもじしていたら、なんだか退くんの様子がおかしいことに気付いた。
グルグル目を回した今にも倒れそうな顔で、あわあわと何かを口籠っている。突然何を思ったのか、がばあっ、とカラフルなビニールシートに正座、手を突いて叫んだ。
「こここの後っっさんのおおおお部屋に行きたいです!!!!」
「はぁ!!!??」
「っっ、いいいい!いいんだっ、いいい嫌ならこここっ断って!!!」
「こ、断るって、だって、ぇええ、・・・ここで!?」
反応に困ってたじろいだ。
どうしようどうすればいいの。退くんはすっかり見えていないみたいだけど、あたしは周りの皆さんのあっけにとられた視線が
激しく気になる。ああ困る。ここは頭でもゴツンと殴って、このおかしな興奮ぶりを冷ましてあげたほうがいいのかな。
思いがけない大胆さを発揮してくれた退くんは、目を潤ませた泣きそうな顔でじいっとこっちを見てる。
「待て」されたわんこみたいにいじらしく返事を待っているから、そういうことはもう少し場所を考えて言ってよ!と
叱りたくなった。正直ちょっと引いてもいる。なのについ顔が笑っちゃう。
こんなに明るい、人目の多いところで口説かれるのは恥ずかしすぎる。だけど、ドン引きするには嬉しすぎるんだもん。