今日は待ちに待ったお給料日。
うんと奮発して、すき焼き用のお肉(国産牛・グラム500円)を買いました。
「・・・ははは、あっというまになくなっちゃいましたねぇ、牛肉。僕まだ三枚しか食べてないんだけどなぁ・・・」
「ぼーっとしてるおまえが悪いネ新八。この世はなんでも早いもの勝ちの強いもの勝ちネ、すべてが弱肉爆食アル!!」
「イヤ、それを言うなら弱肉強食だからね神楽ちゃん」
「なーー、豚も買ってきたんだろォ?豚入れて、豚」
「!?銀ちゃんっ、あれだけ食べといてまだ食べる気!?」
「いーじゃねーかよ肉の十枚や二十枚。普段ろくなもん食ってねーんだからよ。あーあー、ったくよォ。
大喰らい二匹のおかげで家主の口には何も入りゃしねーよ。稼いでも稼いでも我が暮らし楽にならず、ってか」
「フン、言うほど稼いでないアル」
「あーあー、毎日たらふく食いてーなァ牛肉っ。銀さんまだまだ育ち盛りの伸び盛りだってーのによー」
「何言ってんの。いい年こいたおっさんのどこがこれ以上育つってゆーのよ」
「どこってそりゃーお前、ここじゃ言えねーよ?ガキどもの前だからよー」
どう見ても何かよからぬことを考えていそうな、にやにやと緩んだ顔をしている銀ちゃんが、かちゃん、とテーブルにお茶碗を置いた。
隣からすーっと伸びてきた腕が、あたしの頭を絡め取って引っ張る。ぎゅっと腕の中に抱かれた。
ちらりと目線を上げるとすぐそこに銀ちゃんの顔が。
「こいつらが寝たら、にだけ見せてやっから。伸び盛り育ち盛りでたくましく成長中の銀さんを」
「結構です」
ぐいーーーっ。
銀ちゃんの顎を押して離すと、暑苦しくぴたっとくっついてたにやけ顔がやけに不満そうに曇る。
「別に見たくないし。それに今日はあたし、神楽ちゃんと寝るし」
「ぇええええええええええええぇぇ」
憐れさたっぷりな泣きが入った悲鳴はバッサリ無視した。ちょうどいい温度に冷めたお豆腐を口に入れて、ほくほくと頬張る。
うん、美味しい。すき焼きには焼き豆腐が定番かもしれないけど、あたしは絹ごしも好きだな。このつるんとした甘辛いお豆腐と生卵の
まろやかさ、なんとも言えない組み合わせだよね。
ちろっと銀ちゃんを盗み見ると、ぐじぐじとすすり泣きながら腕で目元を擦ってる。・・・いい年こいたおっさんが泣き真似ですか、情けない。
それでも銀ちゃんに甘いあたしは、こんな姿を見ちゃうと「ちょっとだけなら構ってあげてもいい、かなぁ」なんてことを思っちゃう。
だけどこういうときはダメ。構っちゃいけない、とにかく無視。何があっても無視に限る。
あんな捨てられた犬みたいな涙目でこっちを見てるときは特に要注意。だって、
もしここで一瞬でも「かわいそうだったかな」なんて甘い顔をしようものなら、
図々しい銀ちゃんはその小さなスキを全力で鷲掴みにして、あの冗談みたいな馬鹿力でメリメリこじ開けてつけ入ってくるんだから。
「んだよォォ、なんで神楽ァ!?お前っ明日休みなんだろォ!?メシ食って泊ってくっつーから、銀さん昨日からすげー楽しみにしてたのにィィ!!」
「あ、ごめん新八くーん、卵とってくれるー?」
甘い匂いの湯気が昇るすきやき鍋の向こうにある、卵のパックを指した。
肩に縋って甘えてくる銀ちゃんの手を、素っ気なくぺしっ、と払う。
「なーなーちゃんんん〜、考え直してくれよォォ〜。今日は普段の三割増しで可愛がってやっから銀さんと寝よーぜ?なっ、いーだろォ〜〜」
「ダメ。絶対やだ」
「ぇええええええええぇえええ〜〜〜」
「だーめー、泣き真似してもだーめー。食事時に、しかも新八くんと神楽ちゃんの前でそーいうこと言うなんて。ほんっと、銀ちゃんさいってー」
「そーですよ、食事中の下ネタとセクハラはやめてください銀さん。あ、野菜も足しましょうかさん」
「うん、そーだね、そろそろ足していーよね。ああ、割り下も足しとく?味薄くなってるし」
「神楽ァ、割り下よこせ。イヤそっちじゃねーよ、ソースの横。そーそー、それだそれ」
「さすがネ銀ちゃん、すごい立ち直りの早さヨ。潰しても潰してもガサゴソ動き回るゴキブリ並みの渋太さネ。
・・・あれっ。これもう入ってないヨ。空っぽアル」
ラベルで覆われた割り下の瓶を、神楽ちゃんが耳元で振って確かめる。
「銀ちゃん、割り下の買い置きってある?」
「んなもんねーよ。うちじゃすき焼きなんてパチンコで大勝ちした時くれーしか食えねーんだから」
「銀ちゃん。せめて「大口の仕事が入った時」くらいのこと言えないの。・・・うーん、そっか。じゃあお醤油とお酒と砂糖で、関西風にしよっか」
「私持ってくるネ!ねーっ、台所にある「お肉屋さんの特製コロッケ」あれも食べていいアルか?」
「うん、いいよー」
「あ、僕も食べたい。美味しいよねあそこのコロッケ」
「何を贅沢いってるアルか。お前に特製コロッケは勿体ないネ、ほら、そこの煮過ぎてグズグズになった茶色いネギでも食べてろやダメガネ。
特製コロッケも100グラム500円の国産牛肉も食後のアイスも酢昆布も、この世の美味は全部私のものネ!弱肉爆食ヨ!!」
「ややっ、やめてよ神楽ちゃんんん!レンズ曇るうぅ!」と、神楽ちゃんにメガネのレンズを箸先でグリグリ押されて嫌がる新八くん。
横暴な「食卓のジャイアン」神楽ちゃんは、言いたいことを言いたいだけ言ってしまうと、ぴゅーっ、と台所に走り去った。
いちおう大人の努めというか、ちょっとたしなめるつもりで、居間を飛び出した後ろ姿に「ダメだよ神楽ちゃん、ちゃんとみんなで分けないとー」と
声を掛けてみたけど、・・・たぶん聞いてないよねあれは。コロッケ目指して一目散に消えちゃった。ちなみにあたしの隣の銀ちゃんは、
二人がご飯を前に揉めようと罵り合おうと、たいていは知らん顔してご飯をガツガツ掻き込んでる。
たぶんこういう騒ぎが日常茶飯事すぎて、また子犬どもがじゃれあい始めやがった、くらいにしか思わないんだろう。
「ん?あれっ。豚肉って冷蔵庫に入れたんだっけ」
きょろきょろっ、とテーブルを見回してから、買ってきた豚肉がどこにもないことに気付いた。そういえば入れたかも。
だってまさか、あれだけ沢山買ったお肉がこんなに早くなくなるなんて思わなかったし。
「ああ、いいですよさん。僕が持ってきますから」
「え、いいよいいよ、あたしが」
「いえいえ、さんは座っててくださいよ。今日のスポンサーなんだから」
「新八ぃ、ついでにお茶漬けの素持ってこい。梅茶漬けなー。あ、あとお湯沸かしといて」
「え。お茶漬けの素?そんなのありましたっけ」
「あるって。たしかババアに貰ったやつが、流しの上の棚か流しの下か食器棚の引き出しか食器棚の上の海苔の缶の中か」
「…よーするに、どこに入れたか忘れたから探して来いってことですね」
はいはい、探してきますよ。
汚れたメガネを外して拭きながら、新八くんは諦め顔で立ち上がった。出ていく背中を見送ってから、くるりと銀ちゃんに振り向く。
「ねえ、なんでお茶漬けなの」
「・・・別にいーじゃん。俺は茶漬けが食いてーの」
「だって銀ちゃん好きでしょ、すき焼きの最後のシメのうどん。お肉の味がする、甘辛ぁーい煮汁の染みたうどん」
「あー、俺いーわ。ガキどもにでも喰わしとけば」
「じゃあコロッケは?ほら、この前さ、すごく美味しいって喜んで食べてたじゃん」
「んぁー。そーだっけ」
空のお茶碗に箸を置き、テレビのCMを半目でぼーっと眺めながら、興味なさそうに銀ちゃんは答える。
・・・なんだ。つまんない。
あれを美味しそうに食べる銀ちゃんが見たくて、うどんもたくさん買ってきたのに。
神楽ちゃんが走って取りにいった「お肉屋さんの特製コロッケ」だってそう。
この前お土産で持って来たときに、銀ちゃんが目の色変えて「うぉっ、何コレ!マジでうめーわコレ!」って夢中でバクバク食べてたから、
また買って行ったら喜んでくれるかなって思って、わざわざ遠回りして買ってきたのにな(・・・そんな自分は、まるでヒモにあれこれと
貢ぐダメな子みたいで、ちょっと、・・・いや、正直言うとかなり複雑だったんだけど)。
銀ちゃんはあたしがいるのも忘れちゃったよーな顔して、お笑い番組を流してるテレビばかり見てる。
あたしはお箸をテーブルに置いて、お肉が一切れ入ったままの、茶色っぽい生卵のお椀を見つめてうつむいた。
くつくつくつ。テーブルの真ん中で、お鍋が柔らかい音を立てながら煮立ってる。ちょっとわざとらしいくらいに大きい、
テレビの笑い声がうるさい。銀ちゃんが握ってるリモコン。あれを銀ちゃんから取り上げて消してやりたいな、とか想像して、
卑屈っぽさの滲み出た意地悪な気分になった。
悔しいからやらないけど、口を尖らせて拗ねたい気分だ。
・・・まあいいけど。別にいいけどね気にしないし。こーいうの、初めてじゃないし。
銀ちゃんが妙な気まぐれを起こすのもよくあることだし。何もこだわらないようでいて、実は意外とこだわりだらけなのも知ってるし。
そんなのあたしはもう慣れてるから、別にいまさら気にしない。こーいう空振り感でちょっとがっかりしても、いちいち落ち込んだりしない。
もう全然慣れてるから、いいけどね別に。うどんがいっぱい余っても、神楽ちゃんが片付けてくれるし。コロッケだって、
「・・・・・・・つーかァ。ありえねーだろ」
「え?」
「ぁんで俺を差し置いて神楽なんだよォ」
「はぁ?」
「・・・なに、お前さ、そこまで嫌なわけ。俺と一緒に寝るのが」
面白くなさそうな、ちょっとひがんでるような口調で銀ちゃんがぽつりと言う。
ちぇっ、と舌打ちして口を尖らせて、テーブル下にだらりと投げ出していた脚をソファの上で縮めて抱いた。
顎を膝の上に乗せて背中を猫背に丸めちゃって、なんだか叱られて拗ねてる子供がやりそうな姿勢だ。
ずっとテレビに固定されたままの目も、つまらなさそうに細められてる。
ふふっ、と自然に笑いがこぼれた。口を抑えてくすくす笑うと、銀ちゃんの横顔はふてくされたしかめっ面になった。
なんだ。そっか。銀ちゃんが急にこんな態度になった原因って、あたしなんだ。
テレビから目を逸らそうとしないこの素っ気なさは、さみしさの裏返しで。急にお茶漬けなんて言い出したのも、多分あたしへの当てつけで。
・・・あーあ。なんて子供っぽい彼氏だろう。これであたしよりも年上なんだから呆れちゃう。
だけどその半面、ちょっとだけ嬉しかったっていうか、安心してる。あたしと同じような気分になってたんだね、銀ちゃんも。
「そんなことで機嫌悪くしてたの、銀ちゃん」
「そーだよ?でもよー、今夜が一緒に寝てくれたら機嫌直すけど?」
「・・・・・・銀ちゃんこどもみたい」
「俺が?イヤイヤ、どっちが?俺じゃねーだろォ、ガキはお前だろォ」
こっちを向いた銀ちゃんは、まだ拗ねて怒ってるような、拗ねてたことにちょっと照れているような、
ちょっと気恥かしそうな顔をして近付いてきた。ソファに手をついて身体を傾けると、あたしの耳元まで素早く顔を寄せる。
え、と急接近されたことに驚いて銀ちゃんのほうを見ようとしたら、大きな手にほっぺたを抑えられて、ぺろっ、と――
「っっ!」
「顔に豆腐の屑くっつけたおこちゃまが、いい年こいたヤローをガキ扱いするんじゃありません」
不意打ちで舐められた口の右横あたりに、銀ちゃんがもう一度顔を寄せる。ちゅっ、と軽い音を立ててキスされて、
どきん、と心臓が高く弾む。肩がびくっと飛び跳ねた。
驚いて真っ赤になったあたしに、銀ちゃんは目の前で「ほら」とにんまり笑いながら舌を出してみせた。
ほ、ほんとだ。舌先にちいさいお豆腐のかけら、いつのまに。
・・・・・・・・って、あれっ、銀ちゃん?
なんであたしの肩を掴むの。なんでそんなに楽しそうな顔してんの。え、やだ、ちょっ!!
「っ!?やっっ、なっ、ちょっ!!?ぎぎぎ銀ちゃんんんんっっ」
「いーじゃん別にぃ、誰も見てねーんだしぃ」
「そそっ、そーいう問題じゃ!!」
ええぇ〜、と眉をひそめた銀ちゃんに、腰の両脇にぱっと手を突かれた。ごそごそっ、と衣擦れの音をさせながら
半分あたしに乗りかかるような格好で迫ってきて、前をしっかり塞がれて。ソファの上で囲われてしまった。
「えぇええええ〜〜〜。何。ぁんだよそーいうって何。そーいう問題ってどーいう問題だよォォ」
「だだっ、だからぁ!新八くんも言ってたでしょ?食事中のセクハラと下ネタは禁止なのォォ!!」
「いーじゃん今なら、あいつら居ねーし。ガキどもは元からねーもん探してんだから、当分戻ってこねーよ」
「は?」
「あー、あれなァ、お茶漬けの素な。嘘だからアレ。新八追っ払うための嘘だから。
で、神楽はコロッケ食うのに夢中で当分帰ってこねーからァ」
「えぇええ、ゃだばかっ、ぎ、ぎん、っ」
「だいじょーぶだって、誰も見てねーから。はぁ、安心して俺に食われていーから」
そう言ってかすかに笑った銀ちゃんの顔が斜めに傾いて、すうっと近付いてくる。目の前が暗くなる。
ああああっ、お願い新八くん神楽ちゃん、まだ戻ってこないでぇぇ!!
心の中で声を限りに叫んで、冷汗もので祈りながらぎゅっと目を瞑った、・・・んだけ、ど・・・・・・・
「っっ、・・・・・・・・・?」
「はい、おしまーい」
・・・なんだ。ちょっと拍子抜けしちゃった。
銀ちゃんがあんなこと言うから、どんなにすごいことされるのかと思ってびくびくしてたんだけど・・・、
されたのは唇に一瞬、ふにっとくっつくだけのキス。たったそれだけ。それだけで銀ちゃんは満足したのか、きょとんと目を開けた
あたしの頭をぽんぽんと柔らかく叩いた。そのまま頭を抱いて自分のほうまでずるずるっと引っ張っていって、
今はもう、さっきまで見ていたお笑い番組に目を戻している。
まあ、いいけど。このくらいで機嫌直してくれるなら、あたしは文句なんてないんだけど。
隣でにやつきながらテレビ見てる銀ちゃん。その横顔をちらっと確かめて、もじもじと着物を弄って、赤くなった顔を逸らした。
・・・なにこれ。肩抱かれてるのに何か物足りない。ちょっとさみしいかも。
いや、いやいやいや、べっ、べつにそういう、ちっ、違うよ!?なんていうかほら、あのキス以上の「すごいこと」を期待してたとかじゃなくて!
ただその、これじゃああたしが、銀ちゃんに上手く肩透かしされてお預けされたみたいじゃない。
そうやって優位に立っちゃう銀ちゃんに、上手いこと振り回されっ放しなのが悔しい、ってだけ。ただそれだけ!うん、そーいうことにしておこう。
「・・・銀ちゃん。うどん、食べる?」
「んー。食う」
「・・・コロッケも食べる?」
「んー。がもっかいキスさせてくれたら、食ってもいーけど?」
銀ちゃんはあたしを見下ろして、どーよ?と目で訊いてきた。
あたしがその目を見て身体を竦ませて、顔を火照らせながらこくんと頷いたら、首を傾げてくくっと笑った。
何かすごくいいことでもあったような、嬉しそうな目をしている。それから二人で顔を寄せ合って、くすくす笑いながら、ちゃんとキスをした。
口の中も顔も、身体中が熱くなるキス。なかなか離れてくれない深いキス。
薄目を開けながらゆっくり唇を離したときには、きっとあたしは、ぼんやりと蕩けた目で銀ちゃんを見つめていたと思う。
あたしの視線を捉えた銀ちゃんは、なぜかワクワクと子供みたいに目を輝かせていた。あの万年死んだ魚みたいな、
やる気の欠片すら浮かばない目が。
思わず目を見張った。「誰!?」と口走りそーになった。口を開いた銀ちゃんは、開口一番にこう言った。
「なぁなぁ。もう気ィ変わった?」
「・・・何が?」
「何ってナニだろ。キス許したってことは気が変わったんだろぉ?あー平気平気、神楽は一晩新八ん家に預けっから。
ちゃんには今夜一晩、グラム500円の牛肉でたくましく成長した銀さんをたっぷり堪能させてやっからあぁ!」
「それしか頭にないのかアンタはああァァァ!!」