噛んだ薄荷は未だ青く



「クソ不味ィ・・・・」 誰に言うでも無いことを、空へ向かってつぶやいてみる。 まったく気が知れたもんじゃねェ。 あの野郎。こんな葉屑から出る煙の、いったいどこをどう旨ェと思っているのか。 口から喉へと広がっていくのは、煙そのものだけではない。 身を燻らせるようなヤニ臭さと、吐き捨てたくなるようないまいましさも混ざっている。 沖田総悟は眉を顰め、口を尖らせて煙を吐いた。 掴みどころの無い態度で周囲を煙に巻くのに相応しい、少女のように整った彼の顔。 今、その顔には不機嫌そうな影が浮かび、彼の唇から吐きだされる煙のように澱んでいる。 慣れない手つきで指に挟んだ、一本の煙草。 その先から生まれる煙が、彼の座る屯所の縁側の、庭へと開かれた屋根へ向けて白い線を描いている。 ゆるやかに生まれ続ける細い糸は、ゆるやかに青空へ吸い込まれては消えていく。 ささやかすぎる生と滅のループだけを、ただ淡々と繰り返していた。 これを自ら進んで吸いたがる人間の嗜好など、知れたもんじゃない。 もちろんそれ以前に、奴の気の在りようなど、俺はいっさい知りたくもねェが。 飯を不味くさせるだけの、舌に絡みつくような匂いの葉屑の煙。 これで身体を満たすことの、いったいどこに。何に甘露を覚えるのか。 そんな疑問と腹立ちは、こうして煙を口に含むたびに沸いてくる。 だからといって、その理由を問いにあの男の元へ向かう気など、これっぽっちもないのだが。 訊いたところで何の得になりもしないし、奴にしたってどうせ答えやしないだろう。 そもそも断じて、奴にものを尋ねたくなどないのだ。 これが普段なら、自分の部屋に戻るついでにふらりと立ち寄って、 あの男を茶化してから昼寝に入るのもいいか、くらいの気にもなっただろう。 しかし今は御免だ。あの何もかも解りきったような顔をした、無愛想な男の姿など見たくもない。 いや、今だけじゃねェ。出会った最初から、野郎のツラなど見たくもなかった。 もうどうにでもなればいい。 野郎のことなんて知ったもんか。 俺は元から、奴のことなど何ひとつ解りたいなどと思ってはいないのだから。 「ホントにダサダサネ。最悪のダサダサウダウダ警官アル。 私が今まで見てきたポリ公の中で、お前が一番カッコ悪いネ」 さっきからずっと、彼の横では景気良くバリボリと何かを噛み砕く音が鳴っている。 普段の平然とすました顔など、すっかりどこかへ置き忘れているらしい。 沖田はあからさまに荒んだその目を、声のしたほうにじろりと向けた。 「何しに来たんでェ、チャイナ」 「お前だけじゃないネ。ココの奴ら、ポリの中でも最悪のヤツらネ。レディの扱いを知らないアル」 「何しに来たって訊いてんだろ」 「でも女中のオバちゃんたちは気が利くネ、みんな親切ババアヨ。ここで食べる煎餅、いつもメチャ旨アル。 ダサダサ警官には勿体ないネ。全部私が片付けてやるヨ」 縁側に腰掛けている彼の横。 そこには、間に三人は入れるくらいの間を置いて、少女が一人座っている。 菓子鉢を膝に抱え込み、胡坐をかいているこの少女。 余程腹が減っているのか、単に食い意地が張っているのか。 ほくほく顔で嬉しそうに、大きな菓子鉢いっぱいの堅焼き煎餅を貪り続けている。 彼の知り合いが預かっている、夜兎族の小娘。名前は神楽。 どこにあるのかは知らないが、辺境惑星からの家出人らしい。 「・・・答えねーのか」 「お前に命令される覚えはないネ」 「なら、今すぐ失せやがれ。俺ァ今、ガキに優しく答えてやるような気分じゃねーんでィ」 挑発的にニヤっと目を細めて、神楽が笑う。 その白い頬は、縁側に微細に差し込む半日陰の光にさえ透けそうだ。 トレードマークのチャイナ服。その色は、赤を目にすることが多い。 別段、この小娘が何色を好んでいそうか、などと考えたことはないのだが。 しかし沖田が浮かべる少女の印象は、考えるまでもない。白い肌に赤い服だ。 実際に今身につけているものも、深い紅色。 頬と同じに白い脚は、今日もチャイナ服の深いスリットから惜しげもなく飛び出していた。 「私、に頼まれたアル」 バリボリと、勢いのいい音は鳴り続けている。 煎餅の屑を口許からポロポロとこぼしながら、神楽は膨らんだ頬を動かし続ける。 「、スゴく困ってるネ。ドS小僧が突然グレて、どうしたらいいのかわからないって。 ゴリにもマヨにも手に負えないから、私が更生させてくれって頼まれたアル!」 はマヨラーより、私を頼りにしてるネ。 手にした煎餅をはぐはぐと口に押し込みながら、自慢げに話す。 このガキときたら。ある意味、あの野郎より目障りだ。 女と呼ぶには外見も中身も足りなさすぎる、生意気な小娘。 とはなぜか気が合うらしく、妹扱いされ、可愛がられている存在。 甘やかされているのを知った上で、こいつはわざわざ俺に喧嘩を吹っ掛けやがる。 しかも吹っ掛けてくるタイミングは、決まっての目の前だ。 黙って口にした煙草の先。 その先端から上る煙は庭からの風に押され、ひゅるひゅると弱ってはかき消える。 普段ならばの機嫌を損ねない程度に、そこそこに相手をしてやるが。 今は別だ。誰の相手もしたくない。 やたらに元気なガキの顔など、視界の端にも入れたくない。 焦点の定まらないぼんやり曇った目で、沖田は煙を眺めている。 愛刀は横に投げ捨てられたまま。隊服の上着は雑に丸められ、縁側の端に投げ置かれたまま。 シャツの襟元にあるはずのスカーフは灰皿の傍に打ち捨てられて、こぼれた煙草の灰にまみれている。 大きな目を丸くした神楽は、彼の態度に不思議そうに小首を傾げた。 「今のは嘘ネ。ホントは、銀ちゃんに頼んで来たネ。 でも銀ちゃんココに来たがらないヨ。だから私がかわりに来てやったネ。感謝しろクソガキ」 「野郎と顔合わせたかねェんだろ。旦那も意外と、ケツの穴が小せェなァ」 「お前、何をウジウジ拗ねてるネ。お前のせいで、寝不足で倒れそうヨ。目が真っ赤ネ。 どうしてくれるアルか。を泣かせたら私が」 「許さないアル、だろ」 もう聞き飽きたぜ。 煙と一緒に漏れて出た声は、いつにも増して気だるく投げやりなものだった。 「ガキの台詞なんて見え透いてらァ。 そいつを俺に云って、どうなるんでィ。俺じゃねェや。そいつァ野郎に言う台詞だぜ」 「マヨと喧嘩したらしいな、お前」 眉間を曇らせ、神楽は訊き返した。 「家出して三日も行方不明になってたらしいな、お前。 ケータイも通じなくて、ゴリもジミーもハゲも徹夜で探し回ってたって本当アルか。最低ネ。 もしお前が新八でゴリが銀ちゃんだったら、今頃一日電気アンマの刑アル」 菓子鉢を腕に抱えたままで、神楽は自分の保護者が助手に向ける、 描写しづらい体罰の様子をしっかり再現してみせた。 銀ちゃん、自分以外には容赦無いネ。楽しそうに語る無邪気な様子も、今はやたらと鼻につく。 無自覚そうでいてこのガキ、実はよく知っているのだ。 だけではなく、保護者の万事屋にも。万事屋に通う、あの物好きなメガネにも。 周囲を取り巻く他の大人たちにも、自分がいかに大事に扱われているのかを。 だからいつでもあけすけで、飾りがなくて傍若無人。 人を人とも思わないような態度でいるくせに、えらくまっすぐ歩きやがる。 こいつと俺に通じているのは、身寄りの少ない身の上だというところと傍若無人さくらい。 人に気を許すなんて気が知れないと決め込んだ、ひねくれ曲がった俺とは違う。 やっていることは同じようでいて、中身はまるで違うのだ。 「俺がこの先いなくなろうと。の先に変わりはねェさ」 云ってしまえば、口はすっきりと軽くなる。 なのに胸の奥は、何かをぎっしり詰め込んだかのように重苦しく騒いだ。 「まァ、しばらくは塞ぎ込むかもしれねェな。・・・けど。 泣いてるうちは、どうせ野郎が離れやしねェんだ。ひと月もすりゃあ、俺のことなんて忘れちまう」 どうにかしている。 解りきっていることに、何をいまさら。重くなったり、暗くなったりする必要があるってェのか。 口にこそしなかっただけで、ずっと思っていたこと。取るに足りないが真実だ。 俺にしてみれば隠す必要も無い、ただの本音。ひねくれ者のやっかみだ。 近藤さんは嫌がるだろうが、聞いているのはこのガキだけ。口にしたって障りは無ェ。 総悟、と呼んで笑いかけてくる声。あの声が耳に蘇える。 勝手に立てた壁のような、彼のちっぽけな猜疑心や強張りなど、いつでも軽く溶かしてしまう。 柔らかなあの笑顔が、目に浮かぶ。 彼が思いを寄せる女。の後ろには、相変わらずあの気に食わない男がついている。 「あの男と同じ匂いネ」 重苦しさに黙り込む沖田のことなど、意にも介していないらしい。 宙に漂う匂いを嗅ぐような仕草を見せると、神楽はふふん、と小馬鹿にした笑いを浮かべた。 「ちっともわからないアル。こんな煙、どこが旨いアルか」 「こう離れてても解るのかィ。さすがはバケモンだぜ。嗅覚まで、桁外れに尖ってやがる」 笑顔の挑発へのお返しに、わざと意地の悪い軽口を叩く。 すると神楽の手は、ずっと抱えていた菓子鉢を縁側の床板に置いた。 尋常でない腕力を秘めているはずの白い手が、力無く膝へ戻される。 それから、見慣れないほど神妙な顔になる。萎れたようにうつむいた。 「・・・私、バケモノじゃないネ。ただの夜兎ヨ」 黙ってしまった神楽の姿をちらりと眺めると、沖田はもう飽き飽きしたような顔で再び空を見上げた。 自分以外に対しては、容赦も遠慮も無ェくせに。 こうして自分が言われるとなると、いっぱしに傷ついたような顔をしやがる。 もう沢山だろ。さっさと消えろ。萎れる様子を見せびらかすな。 まるで自分を見ているようで、目に障る。癇に障る。 所詮ガキなんて、単純なもんだ。 バケモン扱いに落ち込んだって、一晩眠れば。どうせお前も、俺の言ったことなんて忘れちまうんだろう。 強めの風に吹かれた雲が散り散りに途切れ、空からは陽が射してきた。 見上げた空の眩しさに目を細める。細めた瞬間、青空で埋まっていた視界を他の何かが塞ぐ。 それは一瞬にして立ち上がり、間を詰めてきた、敵意剥き出しの神楽の顔だ。 不意を打たれてしまった沖田は、目を見開いて黙り込んだ。 「マヨの真似か。コレ、マヨの真似アルか小僧。ふっ、これだからガキは」 咥えっぱなしの煙草を指して、憎たらしい口調で指摘する。 「・・・うっせェ。」 言われた沖田も睨み返した。だが、返事にも視線にも、普段ほどの毒が無い。 どこかふてくされて、感情的だ。 「図星ネ。図星突かれて傷ついてるアルか、サド男。 打たれ弱いサドなんてただのヘタレネ。ただの情けないウンコタレネ」 吸いかけの煙草を沖田から取り上げ、神楽が自分の指に挟む。 上がってくる煙の匂いが気になるのか、やたらと腕を伸ばし、身体から離して持っている。 それでも神楽は、高笑いしながら厭味を返した。 「お前なんか格好だけヨ。葉っぱ吸って大人ぶっても、しょせん中身はクソガキネ。 もしかしてドS、お前も童貞アルか?チェリーボーイか?新八の仲間アルか!」 いよいよもって憎たらしい笑い声に、憎たらしい顔で笑う。 やっぱりこいつはただのガキだ。 懲りるってことを知らねェってのも、立派なガキの特性のうち。 まったく癪に障る。生意気だ。 だが、生意気さを懲らしめてやろうにもこの図太さだ。 減らない口が凍るほどに痛い目でも見ねェ限りは、どうせ改めやしねえだろう。 しょうがねェ。 いっそ悪役に徹してやるのが、立派なオマワリさんの務めってェもんだ。 神楽が指先にちょこんと摘まんで持っていた、吸いさしの煙草。 素早くそれを奪い取ると、沖田はさらりと普段の澄ました顔を装った。 彼の変化に気づいた神楽が、カチンときたのか口許をぎゅっと引き結ぶ。 煙草を奪い返されたことよりも、取り繕われたのが気に入らないらしい。 「言わないってコトはやっぱり図星ネ。口で言うほどモテないアルかお前」 大きな瞳を瞬かせることもなく、神楽は睨みがちに突っかかってくる。 フン、と軽くせせら笑った沖田が、奪い取った煙草を唇に押し当てた。 口に含んで軽く吸うと、目の前の顔めがけていきなり煙を吐き出した。 「な・・・っ、っっ」 飛び退く間もなく、煙を思いきり吸いこんでしまった。 その香りの強さと煙たさに、神楽はゲホゲホと咳き込む。 苦しげな様子をにやついて眺めてから、沖田は口許を覆っている彼女の片手を急に引いた。 咳き込んでいた不意を突かれ、神楽の身体が引かれる方へと倒れ込む。 途端に視界がぐるりと半回転して、縁側の床へと押し付けられる。 咳き込み過ぎて涙の滲んだ目を凝らしてみれば、薄ら笑いを浮かべた沖田に圧し掛かられていた。 少女の声で賑やかだったはずの屯所の庭が、しんと静まる。 神楽もさすがに驚いたのか、咳までぴたりと止まってしまった。 「小便臭ェガキから誘われたって、ちっともそそられねェや」 煙草を挟んだ沖田の指先。挟んだ同じ手の甲で、するりと神楽の頬を撫でる。 近くなった嫌な匂いと、醒めた笑顔の裏から匂う、沖田の悪意にムッとする。 今にも噛みつきそうな目で、ぎろっと睨みつけてきた。 何をしようとどうなろうと、お前なんかに屈したりするもんか。 意志の強そうな大きな瞳が、はっきりと彼に叩きつけてくる。 無言の反抗を投げつけられ、持ち前の嗜虐心はことさらに強まる。 嬉しさにも似た高ぶりを覚えながら、沖田はにやりと楽しげに笑う。 さっきまで被っていたはずのとり澄ました笑顔など、いつしか自分から脱ぎ捨てていた。 「そんなに知りてェんならよォ。お前のカラダで試してみやがれ」 「フン、お笑いネ。女の口説き方も知らないクソガキが、ナマ言ってんじゃねーヨ!」 馬鹿にしきって言い張る神楽が、小気味良く笑う。 圧し掛かられて抑え込まれた、一方的に不利なはずのこの状態。 それでも少女はまっすぐに見返してくる。 暴れて抵抗こそしないものの、一歩も退こうとはしなかった。 いつ会っても気に食わない、生意気なガキ。 けれど、こういうときは別だ。こういう顔は嫌いじゃねェ。 この小娘の、少女らしからぬ肝の据わり方。 世間の目には子供らしくない、可愛げが無いと叩かれそうなこの振舞い。この生意気な表情。 それがかえって沖田には、いつ見ても好ましいものに映っていた。 いよいよ楽しくなってきて、沖田はチャイナ服の胸元に触れた。 指の感触にふっと息を詰まらせたものの、神楽の表情は萎えることがない。 試しにホックのひとつに指を掛け、パチンとそれを外してみせた。 続いて上のホックを、もうひとつ。 深紅の布が細く割れて、白く透きとおる素肌が現れた。そこをつうっと撫でてみる。 びくり、と神楽の肩が揺れた。 楽しげな顔で、沖田がそこに唇を這わせようとした。その時だ。 「ギャーーーーっ!!」 耳鳴りがしそうな金切り声が、屯所の庭いっぱいに鳴り渡る。 青白く血相を変えた、女が一人。 縁側の床板を踏み鳴らしながら、こっちへ向って走ってくる。 見上げた沖田の首を掴むなり、神楽の上から問答無用に引きずり下ろした。 されるままに床に倒され、沖田は目を丸くする。何も言えずに女を見上げた。 弁解の余地もないままに数発、泣きそうな顔の女に勢いの良い平手打ちを食らう。 「バカっ!!バカバカバカっっ、やだもうっ、アンタ何してんのォ!!?」 「何でもないネ、。このクソガキが私のセクスィーさに血迷っただけアルヨ」 「総悟ォォ!!」 衿元をぐいっと持ち上げられ、喉が詰まる。 うっ、と呻いた彼の声など耳に入っていないのか、はブンブンと沖田の首を振り回す。 「あんたっ、やっと帰ってきたと思ったらーー!! 自分が何したのかわかってんの!?もし神楽ちゃんに何かあったら、どうするの!! あんただって、・・・・あんただって」 そこまで言いかけて、がきゅっと紅い唇を噛む。赤く腫れた目で、じろっと彼を睨んできた。 怒っているのに泣きそうにも見える、どこか悲しげなその表情。 それでもまっすぐに彼を見つめる真摯さに、沖田はぐらりとたじろいだ。視線を下げて、目を逸らす。 するとは、突然彼をぎゅっと抱きしめた。 「・・・ねえ。土方さんと、何があったか知らないけど。もう少し自分を大事にしてよ」 幼さの残る神楽とは違う、柔らかな感触。肌から匂う甘い香り。 の身体が、二の腕が。彼の身体をぎゅっと締めつける。 求めても手の届くことのない、焦がれてやまない女の温もり。 それが向こうから飛び込んできた。のすべてが、手の内にある。 嬉しいはずだ。高鳴るはずだ。 拘ってきた鬱屈も、わずかな躊躇もかなぐり捨てて。求めるはずだ。 なのに、今。 どうして俺は、泣きそうに醒めているんだろう。 あの男が無造作に撫でるのを、ただ見ているしかできなかった女の髪に。 ずっと触れてみたかったの髪に、手を伸ばすことすら出来やしない。 咥えたままになっている煙草の煙が、涙で滲んだの顔を遠ざける。 いまいましい。 あの野郎。俺の邪魔ばかりしやがって。 あの男と同じ匂いが、を俺から遠ざける。 やたらと目に染みてくる。染みる匂いが、泣けてくる。 「もし総悟に何かあったら。近藤さん、絶対大泣きするよ。きっと毎日泣きっぱなしだよ!! あたしだってそうだよ。毎日泣いて暮らすよ! ・・・もし、ここに総悟のお姉さんがいたって。・・・きっと・・・」 ばんっ、と強く胸を叩かれた。 止まらなくなった涙に声を詰まらせて、泣き顔のが絶句している。 ぽたぽたと、途切れることなく。 彼の頬に、温かな涙が落ちてくる。 落ちては冷えて、頬から流れる女の涙。 浮かび上がってきた既視感にとらわれ、ふと気づく。 そうだ。あの時と同じだ。 姉上が亡くなった、あの時も。 人前では泣けなかった俺の代わりだと言い張って。こうしては、泣いていた。 心の内じゃあ、野郎の様子が気になって仕方がなかっただろうに。俺の傍を離れようとはしなかった。 そうだ。 あの時と同じなのは、じゃねえ。俺だ。 情けねえ。惚れた女をどうやって泣き止ませたらいいのかすら、いまだに解っちゃいねえんだ。 「ばかっ。あんたがいきなりいなくなったら、皆がどんなに悲しむと思ってんの。 ねえっ。ちょっとでいいから、そーゆーことも考えてよォ・・・!」 「違うネ。今のは練習アル」 「それをあんたは、・・・あんたってコはァァ!!」 「私、こいつの練習台になってただけヨ」 「どーすんのォ!?もし神楽ちゃんに何かあったら、あんた旦那に顔向け出来るの!?」 「だからコレは、こいつが惚れてる女に迫るための練習ネ。 酢昆布奢ってもらうかわりに、付き合ってやっただけアルヨ」 「神楽ちゃんは、まだ子供を産むような年じゃないんだよ!?そういう子に悪さするなんて!最低だよ! 出来ちゃったから責任取ります、じゃ済まないんだよ!?どう責任取るってゆーのォ!」 「全然聞いてないネ。全然聞こえてないアルか」 「言い訳なんてちっとも通用しないんだからね!旦那に殺されたって文句言えないんだからァ! いくら総悟が強いからって、間違いなく神楽パパと旦那に殺されちゃうんだからァ!!」 「おい、馬鹿女」 何やってんだ、と上から気に入らなさそうにぼやく声がした。 その声の主が、彼からの身体を引き離す。 それからまるでついでのように、沖田の襟首を掴んで引き起こした。 いつのまにか縁側に現れた男。 土方は、不服そうな顔で見上げる沖田をちらりと眺めた。 それからこちらも不服そうなに向き直ると、耳を掴んで引っ張った。 「何度言わせんだテメ。 あのフザケた野郎のことなんざ、口にすんじゃねえっつってんだろ」 「だって総悟が!神楽ちゃんに」 「出来やしねーよ。どーせこいつのアレぁ、フリだけだ。これと同じだ」 すっと沖田に手を伸ばし、土方が吸いさしを奪い取る。 奪ったそれを咥えると目を細め、見透かしたような表情をして口許を緩めた。 「・・・何すんでェっ」 声を荒げた沖田の口に、ポイと何かが放り込まれる。 入れられたものをつい飲み込みそうになり、沖田の肩がわずかに竦む。 その隙を突き、放り込んだ男の指は彼の額をパチンと弾いた。 「諦めろ。てめえにゃまだまだ、こっちが似合いだ」 すっきりと冷えた薄荷の匂いが、口の中を埋めていく。 放り込まれたのは、メンソール系のガムらしい。噛みしめると、冷えた甘味が広がった。 奪った煙草を手に取ると、土方は側に置かれていた灰皿へと落とした。 「部屋で一晩謹慎だ。明日から戻れ。 近藤さんには俺から言っといてやる。・・・それと」 沖田の隊服に手を伸ばすと、土方はその懐を探った。 見つけ出した煙草の箱から一本引き抜くと、咥えたそれに慣れた手つきで火を点した。 それから、見上げる沖田の頭をコツンと叩く。 その叩きぶりには、いつものような荒さも鋭さも見受けられなかった。 「あの人やこいつに、あんまり心配かけんじゃねェ」 言った途端に踵を返し、土方は縁側を戻って行った。 つられるように後を追いかけていったが、彼の背中をバシバシと叩いている。 「もーっ、土方さあん!それじゃちっとも言葉足りてないよ? そうじゃないでしょ、違うでしょ?『俺にも心配かけんじゃねえ』でしょ?」 「フン。てめえらじゃあるめえし。俺が知るか。 大袈裟なんだよ、ガキの家出にいちいち大騒ぎしやがって。 バカがどこで何してくたばろうが、自業自得じゃねえか」 「ああっ、なにそれ酷っ!何よォ、 自分だって昨日の夜中、一時間置きに玄関覗きに行ってたじゃん! どーして素直に言えないの、総悟がいないとさみしいって!」 「うっせェ。あれァ、近藤さんの帰りを待ってただけだ」 ぎゃあぎゃあとやかましく言い合いながら、角を曲がって二人が消える。 それまで黙って見ているだけだった神楽は、何気なく彼の隣に腰を下ろした。 「アレもゴリも、パピーと同じネ。宇宙一の親馬鹿アルな」 悔しさやもどかしさをぶつけるかのように、ガムをがりっと噛み砕く。 沖田はばたりと床に倒れた。 両手を頭の後ろで組むと、ふてくされたような顔で目を閉じる。 ふふん、と馬鹿にしたような笑いを浮かべて、神楽は沖田の顔を覗き込んできた。 「おい、お前。あの男になりたいアルか?」 言い返そうとして、沖田は咄嗟に口籠った。 今取り上げられた煙草を買ったときのことを、ふと思い返していた。 何の気も無しに選んだはずの、あの煙草。 考えずに手にしたはず。なのにそれは、いつも野郎が吸っているものと同じだった。 「無駄ネ。お前はお前ネ。いくらあの男の真似したって、お前はお前にしかなれないネ。」 「・・・違わァ。俺ァ」 「でも」 途切れた声が気になって、耳をすます。 しばらく続いた沈黙は、妙に長く感じた。 「でも。お前にしかなれないお前に、いつかなれたら。 あの男よりは、ちょっとはマシな男になるかもしれないヨ」 驚いて目を開けると、神楽はまだ彼を覗き込んでいた。 少し考えるように目を伏せると、声を小さく落とす。 「その頃には私、お前なんて気後れして近寄れないほどいい女になってるヨ。 ・・・そのときは。また、・・・襲わせてやってもイイネ」 「・・・ガキの安請け合いには、乗らねーよ」 「もう気後れしてるアルか、お前。やっぱりガキネ。 いざとなると尻込みするのは、ガキの証拠アル」 「いいのかねェ、そんなに世間知らずでよォ」 世の中にゃ、旦那みてーな男ばかりじゃねェってのに。 そうつぶやく醒めた声に、神楽は頬を膨らませた。 「ガキにガキ扱いされたくない。 お前なんか、どうせ何年経ってもガキのままでチビのままネ。どうせ一生成長しないネ」 「そん時になって嫌がって、泣いて詫び入れたって。俺ァ退かねェぜ?」 「女に二言は無いネ」 いつになく真面目な顔になった神楽が、彼に向けて小指を差し出す。 口許をきつく結んだ、ちょっとムッとしているような顔だ。 黙って彼女を見ているだけの沖田の目の前に、指を出せ、 とでもいうかのようにぐいと指を突き出した。 突き出された白くあどけない指を、しばらく沖田は眺めていた。 そうしている間も目を逸らすことの無い、神楽の顔をちらりと見上げる。 それから自分の指を絡める。軽く握った。 数秒経たないうちに、ぱっと離す。 「いいさ。副長の座も、もオメーも手に入れて。 野郎と旦那に吠え面かかせてやろうじゃねーか」 「調子に乗るなドS。誰がお前のものになるって言った」 私は私だけのものヨ。誰のものにもならないネ。だってそうネ。 意志を込めてはっきり言い切る、澄んで凛々しい少女の声。 それはどこかで感じたことのある眩しさを伴って、彼の耳に印象づけられた。 柔らかでいて凛とした、幼い自分を諌める姉上の声。 懐かしく淡い面影は、いつもこうしてふとした折に浮かんでくる。 今も、見上げた空で、風に千切れてゆく頼りなげな雲たちの狭間から。 自分に笑いかけてくれているような気がした。 弱った自分が望んだ幻とわかっていても、目はその姿を追ってしまう。 儚げなままに逝ってしまった姉上と、どこを取っても頑丈そうなこの小娘。 まったく似てはいないのに。 面影はなぜ重なるのだろうか。しかもではなく、この小娘に。 「やっぱりお前はまだまだガキネ。お子様ネ!」 「知ったよーな口聞くんじゃねーよ、小娘。 ・・・・・どーせてめーら女にゃ、解るわけねェんだ」 取り上げられた煙草の、息苦しさにむせかえるようなあの匂い。 あの男を追って消えた、の後姿。 三日ぶりに戻った俺に無言で背を向けた、近藤さんのさみしそうな顔も思い出す。 ガキだと言われれば、そうだと認めるより他にないのかもしれない。 それでも自分を曲げてまで、野郎に靡くわけにはいかねえ。 あの男にはあの男の目指す、貫く道があるように。 俺の見ている先には、いつだってあの男の背中が素っ気なく構えていやがる。 あの幻を消さないことには、俺のわだかまりは一生溶けやしない。 そんな燻った人生、真っ平だ。 こんな思いを繰り返すのも。目障りを超えるだけの度量が、俺についていないから。 俺がまだまだ、あいつにゃ及ばねェガキだから。 だから何だってえんだ。 ガキだからどうだってェんだ。 今はまだ青すぎる、馬鹿げた思い込みと笑われても構わない。 それをガキだと言われ、奪われるなら。 俺は俺でなくなってしまう。 ガキ染みたつまらない意地すら、奮い立たせておけないのならば。 この先どうして、俺が野郎を超えられる日が来るというのか。 唇をぎゅっと噛みしめる。 ひょいと起き上がってみれば、横に投げ出したままの刀が目に入る。 それを片手に掴むと、沖田は目の前にかざしてみた。 かざした刀身の向こうには、眩しい青い空。千切れて流れる雲の波。 しかし、ついさっきは見えたはずの懐かしく美しい面影は、既に風に流れ、消え去っている。 今、彼がそこに見るものは。 彼にしか見えないはずの地平の前に、立ちはだかっているあの背中だけだ。 「どんなガキにだって、歯ァ食い縛ってでも張っとかねェといけねえ。 張らざるを得ねー、意地ってもんがあんのさァ。 俺ァ、あんな野郎なんざ一生認めねえ。冗談じゃねェ。認めてたまるかってんだ」 野郎じゃねえ。俺には俺の意地がある。 俺には俺の道がある。 この小娘が言うように、俺にしか見れない景色があるはずだ。 野郎の背中の向こうには、見たことの無ェ景色が広がっているはずだ。 くくっ、と可笑しそうな、笑いを堪えたような声がした。 「やっとガキだって認めたアルな、クソガキ」 「・・・・・だから何だってェんでィ、小娘」 神楽が笑う。 からりと晴れて揺るぎの無い、少女らしくて鮮やかな顔で笑う。 もこいつも、どこか似ている。自覚が無ェ女ってえのは、どうやら癖になるもんらしい。 あと何年、こいつは気づかずにいるんだろうか。持って生まれた最大の武器に。 いつでもこうして、無邪気に笑っていさえすりゃあ。年端の割には鮮やかな「綺麗な女」に見えるってェことに。 まあ、いいさ。 俺もこいつも、そう生き急ぐこたァねえんだ。 こうして誓いまで切った仲だ。あと数年も経ったなら。俺が最初に、教えてやるさ。 含み笑いで見上げた青空に、細く白く煙が上る。 横に置かれた灰皿から、揉み消し忘れた頼りない糸が、するりと逃げて消えていく。 隣で景気良く煎餅を頬張る、まだまだ子供臭さの抜けない少女の顔を眺めるうちに。 彼の中をずっと濁していた、煙のような曇りが逃げていく。 口に残ったままだった、我慢ならないヤニ臭さも。 いつしか薄荷の匂いに包まれて、跡形も無く消えていく。そう感じた瞬間に、沖田の中で何かが解けた。 あの男が煙草の煙を口にした瞬間にふと浮かぶ、満足気に揺らぐ表情の意味が。 ほんのすこしだけ、解けた気がする。 千切れては空に溶けてゆく煙の糸を、一瞬だけこの手に捉えたかのように。 ほんのわずかに、見えた気がした。

「 噛んだ薄荷は未だ青く 」text by riliri Caramelization 2009/01/01/ ----------------------------------------------------------------------------------- 総悟って土方さん大好きだよな 実は近藤さんより好きだよね?とか思ってたら出来た沖神風 沖神風ってゆーかコレ 土沖風じゃん ……(土下座 最後「見えた気がする」と思ってから たぶん「ケッ」て悪態ついてると思う てゆーか 総悟はそうあってほしい ケンカの理由は 多分くだらないです 家出先は遊郭とか万事屋とか 飲み屋で脅した人の家