筆不精にもほどがある




その夜。巷では鬼と呼ばれる特別機動警察のNo.2、真選組副長土方十四郎さんは いささかお疲れ気味だった。その日の彼は一日中予定が詰まっていた。朝から近藤と二人で 本庁での定例幹部会議に出席、会議がようやく終わった夕方からは事件現場の検分に向かったり、 監察に張らせている浪士の溜まり場を見廻ったり。 そうこうしているうちに日も暮れたので、そろそろ屯所へ戻ろうかという時のことだ。 事情を知らない第三者にその過程を説明するのも馬鹿馬鹿しいような、しょーもない事件に巻き込まれた。 その事件が起きた発端には彼も多少の関わりがあったため、屯所に待たせている 女のことを気にしつつも、土方はやむなく事件後の現場撤収に奔走した。 顔も見たくない腐れ白髪天パ馬鹿が窓を破壊した高層ビルの所有者に話を通したり、 事件を引き起こしたメガネっ子少女の身柄を地元へと輸送する手続きを取ったりもした。 その間、何度も何度もムカついていた。 「・・・畜生、何なんだこんな日に限って。今日は早く帰ってあいつを飯に連れて行くつもり だったってのに、あぁ納得いかねぇ、どーして俺がこんな青臭いガキどもの色恋沙汰に 振り回されなきゃならねーんだ!?」 ――という、大人気もなければ身も蓋もない本音が、頭の中にはメラメラと湧き上がっていたのだ。 普段は表情が薄く冷静そうなその面立ちは約一分間隔でぎゅーっと眉間が狭まり、 青筋が浮いたこめかみはほぼ三十秒置きにぴくぴくと疼いていた。だがしかし、そこは大人の態度を通し、 任務に徹することだけに集中した。 とにかく早く現場を撤収したかった。朝から始まった長時間の会議で疲れていたし、 腹も減っていたし煙草も切れていた。いや、正直に白状するなら、この後で何がどうなろうと どーでもいいから早くここを切り上げて屯所に戻り、の顔が見たかった、 ・・・というのが、何かとキレやすい鬼の副長が文句も言わずに黙々と事後処理に徹した 最大の理由である。ここを片づけて一刻も早く屯所に戻りたい。「おかえりなさい」と 満面の笑顔で部屋の戸を開け出迎えてくれる、可愛い女に会いたかった。 俺がちょっと話しかけただけで嬉しそうに笑う素直なを眺めたり、 ちょっとからかっただけでむくれる単純なを眺めたり、風呂上がりでぽうっと頬を染めている 眠そうなを眺めたり、不意に唇を塞がれてびっくりしているを眺めたり、 布団に押し倒されて恥ずかしそうにこっちを見ているを眺めたり、浴衣を脱がさ、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや。兎にも角にも、 この珍妙な終わり方をした一日の、むなしくも馬鹿馬鹿しい疲れをあいつの隣で癒したい。 その一心で彼は現場のすべてを仕切りまくり、現場で働く隊士たちを怒声で追い立て、 この夜の現場は真選組史上最速の速さで撤収された。まったく、自分でも感心するほどに 頑張ったものだと思った。ビルから飛び降り、高層ビルの超分厚い防音窓を割っても怪我ひとつせず、 「あぁ?ガラス代の弁償だぁ?冗談じゃねーや俺ぁ尊い市民の生命を護ったヒーローだぜ、 感謝状と金一封百万円くれーのもんはよこしやがれ税金泥棒」とにやついた顔で詰め寄ってくる ふざけた白髪天パ馬鹿をばっさり斬り殺したい誘惑にも負けずに頑張ったのだ。その直後、 飛び降り騒ぎに集まってきた群衆の前で奴と掴み合いの殴り合いになったことくらいは 許されたっていいくらいの働きをした。…と、彼は内心、ひそかに自負しながら屯所へと戻ったのである。 ――ところが。全力で騒ぎを鎮静させて帰ってみれば、部屋で待っていたのは「おかえりなさい」と 笑顔で迎えてくれる女ではなかった。涙が滲んだ目元を真っ赤に染め、頬をぷーっと膨れさせ、 無言のうちにも「あたし怒ってるんだからねっっっ」と拗ねた目で土方に訴えかけてくる、 最悪に不機嫌そうな女なのだ。 は彼が部屋の戸を開けるなり、だだーっと走って詰め寄ってきた。驚いて立ち竦んだ土方が お疲れ気味なその顔をぴくぴくと微妙に強張らせ、「何事だ!?」と戦々恐々としていると、 彼の目の前数センチの近さにばばっと何かを突き付けてくる。 「ひ。土方さんっっっ。あたしにも書いて。書いてくださいっっ」 「・・・、はぁ?ぁんだ、書けだぁ・・・・・?」 彼が眉を潜めて半ば呆れ気味につぶやくと、はさらに不満そうになる。 最初から膨れていた頬にさらに空気を詰め込んで「お前はフグか」と馬鹿にしたくなるほどの 膨れ顔になって睨んできた。さらには手に持っていた紙と筆を、ぐりぐりと無遠慮に 土方の顔に押しつけてくるのだ。 「っっぐほっっっいや待てぁんだてめ、何なんだおい、人が遅くまで働いてきたってのに こんな出迎えがあるかコルぁぁあ!」 「つべこべ言わずに書けや土方コノヤロー!!!!」 「うぐぉをををっっっ」 土方が腰からくの字に身体を曲げた格好で吹っ飛び、どごっっ、と障子戸に衝突する。 の頭をわしっと掴んで説教モードに入った彼の腹に、強烈なスクリュー入りの渾身の一発が 打ち込まれたのだ。背中にごおっと怒りの炎を噴き上げさせたは彼の前に立ちふさがり、 背筋が冷えるような恨めしげな声でぼそりと言った。 「――・・・・・そんなに?そんっっっなに嫌なんですか?」 「・・・ってえなぁぁ。ぁんだコルぁあああ泣かすぞこの野郎ぉぉ!」 「へーえ。そうですか。知らない女の子には書けてもあたしには書けないっていうんですか・・・・・!」 「うるせぇ黙れ!何だ?何なんださっきからてめーは!! 人が帰るなり書くだ書かねえだと、つーかおい何だ、一体何の話だ!?」 「えっ、ロリコン?やだなぁもしかしてロリコンなんですか? どーなんですか白状しろやこっっのニコ中変態マヨラーがああぁ!!」 甲高くわめいたの声の最後は、なぜか涙声になっていた。 目尻にうるうると湧いた涙を溢れさせた彼女を怪訝そうに眺め、土方は衝突した障子戸から起き上がる。 痛そうに腰をさすりつつ、の元へと寄ってきた。 「おい。今の一発は水に流してやる。まずは落ち着け。 いいか、せめて俺にもてめえが何にヘソ曲げてんのか判るように話せ」 「・・・・・・・〜〜〜っ・・・」 「疲れてるし聞きたかねーけど聞いてやらねーと収まりがつかねえ」とでも思っていそうなのが 丸判りな、見るからに不平そうな仏頂面で土方がの前にどさりと座る。 畳にぺたんとへたり込んで泣き出した女の頭を、これまた仕方なさそうに、不平満々な顔つきで撫でた。 すると。 「・・・・・・・・・・・・か。・・・書いて」 「〜〜〜さっきからそればっかじゃねえか。 だから何をだ。何を書けってんだ?もっとはっきり言いやがれ」 「・・・・・・・・き。聞いたの。し、新八くんから、聞いたのっっ。 女の子への手紙を代筆したときに、土方さんが・・・書いたって・・・!!」 目元の涙を拭いながら悲しげに言われ、土方はふっと息を呑む。 急に焦った顔になり、ごくり、と唾を飲み込んだ。 「・・・・・・いや、それはその。そっ、それはあれだお前・・・!」 ――やばい。 自分にとって不利そうな雲行きのあやしさに勘付き、土方がしどろもどろに の口を止めようとする。しかしはすーっと息を吸い込み、赤く染まった大きな目で 縋るように彼を見上げる。意を決して涙声で叫んだ。 「書いて。あたしにも書いてっっ。・・・・・・・・・・す、好きだ・・・って。書いて・・・!!」 「・・・・・っ!」 痛いところを突かれてしまい、土方はごくりと息を呑む。 妙な緊迫感を孕んだ沈黙の中、ぐぐーっと口端を食い縛り、やがてこめかみからつつーっと汗を流し始め、 妙に苦しげに顔を歪め、悲しげに潤んだの目に縛られたかのように動かなくなる。 向き合った女の表情は、困ったことに真剣そのもの。絶対に逃がすものか、とでも思っていそうな勢いで、 彼の隊服の腕にむぎゅっと身体を押しつけて縋ってくるのだからたまらない。 ――やばい。こいつ本気で迫ってきやがる。 最初はこめかみに一滴程度だった汗の流れは、今や全身に滝のごとしの勢いだ。 の目を振り切るようにして右へ左へ視線を往復、土方は猛然と立ち上がる。目の色を変えた ががばっと彼に飛びついて、 「書いてくださいぃぃぃっ!ひとことでいいからっ、おねがいぃぃぃ!」 「〜〜〜〜きっっっ、今日は無理だ!も、もう時間も遅せぇしな! い、いやその、あ、あれだお前先に寝てろ、俺はその、ふ、風呂に行っ」 と、ぼそぼそと歯切れ悪く言いながら出て行こうとする煮えきらない男の脚に、 はラガーマンのタックルの勢いでがしっと縋る。隊服にぐりぐりとおでこを擦り付け、 「いやです、今がいいのっ、今書いてぇぇ!」 「〜〜〜っっっそ、そおいやぁあれだ、飯!飯がまだだったな!」 「ごはんなんて後でいいじゃないですかぁっっ!」 「っっ〜〜〜〜っそ、それぁそうだが、い、いや待て、急かすな、 そ、その前にだな、あれだあれ何だそのほら、・・・・・・ちょっと一服!」 「煙草なんて一晩吸わなくたって死にませんよっっいーから書いて!どーして?どーしてだめなんですか、 たった三文字じゃないですかぁっ!子供だってほんの十秒、じゃなくて二秒で書けますよっっ」 「〜〜〜〜〜っっ・・・!」 きっ、とを睨み下ろし、土方はぎりぎりと歯を食い縛る。 ・・・この野郎、さも簡単そうに言いやがって。 二秒だ?二秒だと?冗談じゃねえ、二秒で書けるはずがねぇだろぉが。 部下だったこいつをてめえのもんにしちまってから、思い返すも早×年。 その間一度として口に出せなかったもんを、たった二秒でそうやすやすと…! 「〜〜っ解った、お前の言い分はよーく解った!だがここはまず離せ、 俺ぁちょっと急用を思い出してな、出掛けてくる!」 「こんな時間に何の急用ですか!ちょっ、どこに逃げる気ですかぁぁ!」 「だっっっ、誰が逃げるだ、逃げてねーよ!こっっっっこれはだな、違げーぞ逃げてねーぞあれだあれ、 …まっっ、幻のマヨネーズ王国を探しにだな!!」 「・・・ずるいですよ土方さん。ずるいぃ!」 「ばっっ、だからてめっ、違うって言ってんじゃねーか!俺ぁ別に逃げてんじゃねえ、 十年に一度、深夜零時に現れるというマヨネーズ王国の入口を探しにだな!?」 「・・・し。新八くんが。言ってましたっ」 彼の隊服をきゅっと握ると、は何か思い出したように目を曇らせる。ぽつぽつと小さな声で話し始めた。 「新八くんの文通相手に出した手紙、・・・土方さんが一瞬で書いてくれたって。 女の子が新八くんに心を開いてくれるようにって、内容もちゃんと考えて書いてくれたって。 素敵な手紙だったって言ってましたっ、かっこつけすぎててちょっとクサかったけど、って!」 「うるっっっせぇ放っとけ!〜〜〜畜生っっのメガネ、余計なことをペラペラと・・・!」 「ずるいですよぅ土方さん。どうしてぇ・・・?あたしはずっと土方さんと一緒にいるのに、 ちゃんとした手紙なんて一度も貰ったことないもん。たまにメールくれたと思ったら用件だけだし。 しかも煙草買って来いとかマヨ買ってこいとか、絵文字も何もないつまんない一言メールばっかりっ!」 「しっっ、仕方ねえだろ!?あの面子だぞ、俺が書くしかねーだろぉが!他は女に股ぁ開かせることしか 頭にねぇ奴と、年中ムラムラしっ放しのストーカーだぞ!?ガキへの手紙の代筆なんざ任せられるかァァ!!」 「〜〜〜〜・・・っ。・・・そんなにいや?だめ・・・?どうしても、だめ・・・?」 「・・・!いっ、いや、違う、違げーぞおいっ、泣くな!早とちりすんなっ、誰もお前、どうしてもとは言っ」 「・・・っく、っ、ど、どーしてぇ・・・?顔も知らない女の子ならよくて、あたしだったらだめなんですかぁぁ?」 「――駄目だとも言ってねえ!・・・・・・ちっ。ったく、・・・」 うぐっっ。ふえぇええっ。ひっく、うぐぅぅぅっ。 はふにゃふにゃと情けなく崩れた顔でしゃくり上げ続け、しきりに目元を拭っている。 そんな可愛らしくも頼りなげな仕草を見せつけられる合間にも、ちらちらと、涙目で恨めしそうに見つめられるのだ。 ・・・駄目だ。さすがに疲れも限界だ。これ以上こいつの不機嫌をこじれさせたくない。となれば、やるこたぁ一つだ。 がっくりと肩を落として腹を括った土方は、奇妙な緊張感たっぷりのぎくしゃくした動きで文机に向かった。 実に嫌そうに筆を持ち、再びがくりと肩を落とすと、はーっ、と疲れ切った溜息を吐く。 ――不本意だ。まったくもって、腹の底から不本意だ。 だが仕方ねぇ。ここは意を決して一筆書いてやる以外にねえだろう。もしこの状況を、 俺が普段の調子で茶化しでもしてみろ。――本格的にヘソを曲げたこいつは、この先半月は俺を無視するだろう。 電話しても着信拒否。会いに行っても追い返されるこたぁ間違いねぇ。 「・・・・・」 本格的に怒った時のの行動。それは、これまでの経験上でも明らかだった。 まるでバケツ一杯ぶんの粉薬でも呑み込んだかのような苦い顔で、土方は最初の線を引く。 まずは「好きだ」の「好」の字から。白紙に筆で一画目を引き、さらには次の二画目を、 「〜〜〜〜っっ。てめっ、気が散るじゃねえか離れてろ!」 「いやですっっ。だって見張ってないと逃げられそうなんだもんっっ」 「逃げねえからやめろ、離れろ!背中にびったり貼りついてくんじゃねえ!ったく、子泣きジジイかてめえは・・・!」 ・・・ああ畜生。何だこの状況は。何の罰ゲームだ!? 背後のプレッシャーたるや半端ねぇ。痛すぎる。後ろからまじまじと見張ってくる女の、 人並み外れてデカい目から放たれる視線が痛すぎる。頬杖をついた手で抑えたこめかみのあたりには、 彼を日に二度も窮地に追い込んでくれた、純朴そうなメガネの少年の姿が浮かんでくる。 ――いや、実際のところ、彼の脳裏にぽわぽわと曖昧に浮かぶ映像はメガネの少年本体ではなく、 何故か彼のメガネだけだったが―― ・・・そんな些末なこたぁどーでもいい。 本人が聞いたら「ちょっとおォォォォォ!!?」と全身全霊でツッコむだろう実に失礼な結論を出し、 土方は半ばヤケクソで机に向き合う。切羽詰まった目つきで紙を睨んだ。その間にも、 我ながらくだらねぇと頭を抱えたくなるような、へなへなと気の抜けた間抜けな焦燥感が募っていく。 やめたい。逃げたい。しかしここまで来て「やっぱりやめた」と言い出すのも何か悔しい。 渋々ながらも筆を持ち直し、土方は三画目を引きに入った。 「好」という字の偏に当たる部分――「女」という字の横線を、若干手を震わせながらも引いていく。 ・・・どーする。もうお茶を濁して逃げられるよーな雰囲気じゃねぇぞ。 どうする、どう書く。つーかおい、マジでか。ここで書くのか?よりにもよってこいつの目の前で、 この臍のあたりが何ともむず痒いこっぱずかしさをこらえながら書くのか?女に向けて好きだと書くのか!?・・・この俺が!? 「〜〜〜・・・っっ!」 んぐぐぐぐぐぐ、と苦しげに悶絶して唸りつつ、ばたっと机に突っ伏した。 ・・・・・・・・・・・・・無理だ。ガキへの手紙を代筆した時たぁ、これは土台、 訳が違う。大体だ、こいつに宛てて書くとなれば、「好きだ」という一言の重みからしてが あの時とはまるで違ってくる。だってえのにの奴、・・・男の微妙な心理にからっきし疎いこいつときたら、 そこいらがさっぱり解っちゃいねえ。 ざっけんな。何が「一瞬ですらすらと書いた」だ、馬鹿野郎。あんなもんはすらすら書けて当たり前だ。 ガキの頼みとはいえ所詮は人事、何の気負いもない口から出まかせだからこそ、すらすらと一瞬で書けるんじゃねーか。 ところがこれは嘘じゃねえ。紛れもねえ本気の一言を、普段見せねぇ腹の底から無理やり絞り出そうってぇんだぞ!? それをお前の目の前でやれたぁ、 ・・・・・・・・・・・・・・一体どんな拷問だ!!? 「・・・・・・・・・・、」 なんてことを思って眉を顰め、筆を持つ腕を小刻みに震わせ。手元を見下ろしはたと気がつく。 ――ん? ・・・いや。おい待て。ちょっっっっっ、と待て。 これが窮地だと? いや違う。窮地じゃねえ、こいつは好機だ。 しかも、考えようによっちゃあ千載一隅の機会ときてる。俺ぁハナから、こいつの言い分どおりに 書かなきゃならねえもんだと思いこんじまっていた。だが、 ――別に他の言葉だっていいじゃねえか。要は俺の書いた言葉で、こいつを納得させられればいいってぇだけの話だ。 どうしてもここで「好きだ」とぶちまけなきゃならねえ、って訳じゃねえ。 そうだ。つまりだ。 ・・・・・・・・・てぇこたぁ、――俺がここで書くべきは。 「・・・・・!」 めきめきめき、めきっ。 筆を持つ手にも力が入る。土方は険しい目元をすっと細め、「女」という文字だけが書かれた紙を見据えた。 最後の一画――横棒を引く途中で止められた筆先を、穴があくほどにじっと見つめる。 ごくり。喉を大きく鳴らして息を呑む。かぁっ、と目を見開き、隊士たちが目にしたら一目散に逃げ出すだろう、 恐ろしい形相で紙を睨んだ。 ――そうだ。どう考えたってこれしかねえだろ。 同じ「女へん」でも「好」じゃねえ。俺がここで書くべきは、どう考えたってこの一文字だ。 「好きだ」なんて軟派にほざいてまどろっこしい手順を踏むくれぇなら、いっそこう書いてしまえばいい。 ・・・やってやる。今日こそはやってやる。 こいつの尋常じゃねえ鈍さのせいですっかり諦めかけていた念願のあれを、ここで一気に押し進めてやる。 そうだ。「好」じゃねえ、「嫁」だ。 「嫁に来い」、これ以外に何がある!!? 「・・・・・・ひ。土方、さぁん・・・・・・?」 「――あぁ!?」 とそこへ、背後から彼の様子を伺っていたがおそるおそる声を掛けてきた。 焦りまくっていた気分も一転、今度こそにプロポーズしようと意気込んでいたところを遮られ、 土方は殺気溢れる凄まじい形相で振り返る。睨まれたはおずおずと、彼の手元を指してこう言った。 「あの。字。字が」 「っせえな何だ。こっちは折角やる気が出たってぇのに挫くんじゃ、」 「えっ。だって。・・・いいの?そんなに横棒伸ばしちゃって」 「・・・!」 困りきった顔でそう言われ、くるっと振り向いて紙を見る。 そこで彼を待ち構えていたのは、何とも残念な結果だった。通算数度目となるプロポーズへの意気込みで 力が入りすぎていた筆先は、つーーーーーーっ、と思いきり滑ってしまったらしい。 「女」の三画目に当たる横棒は、紙からはみ出て机の上まで一直線に引かれていた。 「!!!!!」 「あ。あのぉ。・・・・これ。違いますよね。 「好き」じゃないですよね。な、・・・何?これ、何て書くつもりだったの?」 「――何でェ。そんなことも解らねーのかィ姫ィさん」 俺ァ一目で解りやしたぜ。 ずるずるずる。ずずーーーっ。 緊張感のない声とマヌケな効果音にはっとする。振り向けば、そこにはいつの間にか沖田の姿が。 夜食のカップラーメンを啜りつつ、しれっとした顔で立っていた。プロポーズ失敗に呆然としている 土方の手からにやつきながら筆を奪うと、 「いいですかィ。ここに沿って「女」ってぇ字をぱーっと並べてー・・・、」 ・・・女女女女女女女女女女女女女女女女女女女。 一直線の横棒が引かれた端から端までを「女」の一文字で埋め尽くし、ぽいっと筆を投げ、沖田はけらけらと嘲笑う。 ――まるで悪魔の如しの微笑みで。 「さぁ出来やしたぜ。ねェ土方さん、あんたぁこう書きたかったんでしょ。 いいかい姫ィさん、これはこう読むんでさぁ。「俺は女好き」ってね」 「読むかァあああああああああああ!!!!!」 部屋を突き抜ける声で怒鳴った土方が沖田の胸ぐらをがしっと掴み、沖田もそれを 「待ってました」と言わんばかりの素早さで掴み返す。二人はがっちりと互いの肩を掴み合い、 揉み合い、どたばたと畳に倒れ込み、「死ね土方」「てめえが死ねェェ!」と小学生レベルの罵り合いで 団子になって暴れ出す。深夜の喧嘩に興じる二人のせいで、副長室の襖や障子戸はガタガタと派手に大揺れした。 ―― その一方で。 取っ組みあっている二人をよそに、は例の紙を手にしていた。 なぜかほんのりと頬を染め、失敗作の恋文にうっとりと見惚れる。 ――嬉しかったのだ。 何が書いてあるのかなんて、どうでもいいくらい嬉しかった。 たとえ意味不明な、変な文面だろうと。どう見てもちゃんとした「手紙」じゃなくても。 これは土方さんが、 ――自分の気持ちなんて滅多に口にしたがらない、妙に口下手で意地っ張りなひとが、 あたしのためだけに書いてくれたもの。途中で総悟に落書きされて、もっとおかしな文面になっちゃったけど、 ・・・でも。 あんなに焦った様子で。眉を寄せて、何か必死に考え込みながら、あたしを思って書いてくれた。 あたしだけのために書いてくれた。世界にたったひとつの、土方さんからの―― 「おいィィ!っっだコルぁあああっ、何をこそこそとにやついてやがる! 誰のせいでんなことになってっと思ってんだ、ぁああ!!?」 「・・・?どーしたんでェ姫ィさん。妙に顔が緩んでるっつーか、なんだか嬉しそうじゃねーですかィ」 「なっ。なんでもないっ。なんでもないのっっっ!」 掴み合っている最中の二人に、怪訝そうに眺められる。 はあたふたとあわてふためき、紙を背中に隠したのだった。 ちなみに――、 幻のプロポーズに終わった、出来損ないの手紙。 それをがこっそり持ち帰り、宝物のように大切に保管していることを、土方は今も知らなかったりする。

「 筆不精にもほどがある 」 text by riliri Caramelization 2012/05/07 → 09/ -----------------------------------------------------------------------------------