はやたらと寝起きが悪い。 それが、始終彼女と寝起きを共にしている土方の感想だった。 彼が日課にしている早朝稽古を終えて部屋に戻り、顔を洗い、稽古着から隊服へと着替え、 これもまた日課としている朝の一服を終えたころに、はようやく起き出すのだ。 一旦起きてもまた布団に倒れてころんと丸くうずくまるのだが、むにゃむにゃと寝言をつぶやきながら 猫の顔洗いのように両手で顔を擦っていることもあれば、団子虫のような妙な姿勢で二度寝に突入してしまうこともある。 本人が真剣な顔で主張するには「起きる気はあるんですよぉ。ただ、身体がついていかないだけなんです」だそうで、 呆れる土方に苦しい言い訳をし続けながらも、なかなか起きようとしないのだった。 若い女性にはありがちな話で、も朝には弱いらしい。 コスプレカフェのバイトが休みの日などは、土方が朝飯を食べ終えても起きてこないことも多かった。 そういう時は仕方なく土方が布団を剥ぎ、「おい、食いっぱぐれるぞ、起きろ」などと呆れ気味に促すのだ。 そう、この日もそんな日だったのだが―― 土方が近寄って布団をぺらりとめくってみれば、中の女は枕を抱きしめ、すうすうと気持ちよさそうな寝息をたてて眠っている。 ふわりと唇を緩めた幸せそうな寝顔。着崩れて胸元が覗くしどけない浴衣姿。 寝相悪く割った裾からは、淡い色をした柔らかな素足がとろりと横たわっている。 どちらかといえば朝というよりは夜のほうに相応しいかもしれない、なまめかしくて刺激的な光景だ。 年中無休で女に飢えた屯所の初心な連中ならばもれなく鼻血を噴きそうな寝姿だが、 ここにいるのは彼らではない。女に慣れた「真選組一のモテ男」だ。本命にはなぜか奥手になるという妙な初心さこそ 持ち合わせてはいるものの、土方はその手の初心さに関してはさっぱり無縁の男なのだった。 咥え煙草の煙を細く吐きながら目を細め、眠るを憮然と眺めた土方は、フン、と鼻先で笑うだけ。 何の躊躇もなさそうな手つきを、浴衣の衿へと伸ばしていった。 こんな姿を見せつけられたのだ。些細な悪さのひとつふたつはしでかしたくもなるだろう。 なんて言い訳を頭の隅には浮かべつつ、開いた胸元に指を這わせた。 「おい。。起きろ」 「ん、・・・」 指先で軽く撫でると、それだけでぴくりと肩が揺れる。ひらいた唇からかすかな声が漏れた。 枕元に手をつき、に覆い被さるような姿勢で身体を倒していく。咥えていた煙草を指先に挟み、口から外す。 さらに近付いて唇を重ねれば、の背筋がわずかに跳ねた。 薄く開いていた隙間から舌を差し入れ、濡れて柔らかな中を探ると―― 「ん、・・・・・っ、」 目を覚ましつつある身体がぴくんと弾んだ。 いやいや、と固く目を瞑ったままで首を振り、はだだをこねるように身じろぎしている。 薄目を開ければ視界いっぱいに映る、子供染みて苦しげなその表情が可愛いが―― なにやってんだ、時間もねえのに。 自分で自分に失笑しながら、土方はの髪を額に撫でつけた。煙草を挟んだ手を器用に使って、 押し返してくる腕を布団に抑えつける。唇を塞がれて息苦しいのか、ぱたぱたと布団を打って足が暴れる。 こうして逆らう仕草もいつものことだ。息を乱して苦しげにしているから顔を離すと、ふぁ、とせつなげな吐息がこぼれる。 それもいつものことだった。もう一度頭を下げ、今度は逸らされた首筋や肌蹴た胸元に唇を落とす。 ・・・・・・そう、いつものことだと思っていたのだ。あのふざけた寝言を聞くまでは。 「あー!おっぱいぃぃ!!」 「っっ!?」 素っ頓狂な声がして、彼の身体はどんっと突き飛ばされ、ごろりと布団に転がされた。 組み敷いていた女がいきなり起き上がったのだ。しかも、がばっと身を起こしての第一声が「おっぱいぃぃ!!」だ。 身体を起こした彼はに目を見張ったのだが、その姿を見てさらに驚きを増した。 「・・・・・・・・おい。何をやってんだ、何を」 怪訝そうに眉間を顰めながら、おそるおそる聞いてみた。が妙な真似をしているのだ。 手のひら一杯に掴んだ自分の胸を、むにむにとわしわしと、まるでゴムボールの弾力でも 確かめるような無造作さで揉んでいるではないか。 ぱっちり開いた大きな目は、なぜか心底不思議そうに胸元を見下ろしている。 まるで自分の身体についているそれが、見たこともない異物であるかのように。 「おっぱいー!うわぁああ、おっきいぃ!ぷにぷにー!ぷにぷにだぁああ」 「・・・?お前、寝惚けてんのか?いや、つーかやめろ、おい待て、揉むな(…見てるこっちが妙な気分になるじゃねーか)」 「・・・・・・・・・?おじちゃん、だあれ?」 「んだとコラ誰がおじちゃんだ。寝言にしたっていい度胸じゃねーか、ぁあ!?」 「俺ぁまだ二十代だ、てめーらバカどもに囲まれてるせいで顔に苦労が出ちまうだけだ!」などと 実は思いのほか気にしていたらしい隠れた悩みをブチブチと垂れる彼をきっぱりと無視、は きょろきょろと視線を彷徨わせはじめる。頭にきた土方は掴んだ枕を布団にべしっと叩きつけたのだが、 そんな土方のことなどは目にも入れていなさそうだ。ぽかんと口を開けた妙にあどけない表情で 部屋の中を見回すと、大きな目をぱちぱちと瞬かせながらこう言った。 「おじちゃんだあれ?ねえ、、どうして知らないおうちにいるの?」 「はぁ?」 「ねえ、とうさまは?・・・・・・・・おにいちゃんはぁ?・・・なんでいないのぉ。とうさまぁ、どこぉ・・・?」 どことなく強張っていたの顔に、涙の粒がぽろりと転がる。 再び部屋中を見回した彼女の表情は見る間に崩れ、心細げな泣き顔へと変わっていった。 ふえええぇ、と目元を擦って大泣きしている、姿は色っぽいのに仕草はやけに子供っぽい女を唖然と見つめて、 土方は吸いさしの煙草をあやうく布団に落としかけたのだった。

おおかみさんとちいさなこいびと *1

「やだぁぁ、おうちに帰るぅぅぅ!とうさまぁぁ〜〜、おにいちゃぁああんんん・・・!!」 ・・・頼む。一体こいつに何か起きたのか、誰か俺に説明してくれ。 布団にぺたりと座り込み、涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠すこともなく泣き声を張り上げ続ける。 そんな彼女を前にうんざりしきっていた土方は、とりあえず新しい煙草に火を点けた。 義父と義兄をひたすらに呼びつづける女は、まるで子供のような途方の無さで泣きじゃくっている。 いや、「子供のような」どころではない。これは完全に子供の態度だ。少なくとも普段のではない。 苦々しい顔で煙草を吸いながらの黙考を終えると、間もなく彼は気を取り直した。 異常事態には呆然とさせられたが、このままにしておいても埒があかねえ。 まずはに診察を受けさせるか。そう考え、病院に連れていこうと思い立つ。 しかし目の前のはといえば、浴衣の衿がずり落ちたあられもない姿など気にすることもなく泣き続けているのだ。 これでは着替えさせて外へ連れ出すにも一苦労しそうだ。そこで屯所まで呼び出されたのが―― 「ふむ。おそらくこれは、ワンフルエンザウイルスA‐アンドロメダ型。 ようするにのう、天人どもが江戸に持ち込みおった流行感冒じゃ」 聴診器を首から外しながら答えたのは、屯所の近所に住む老医師だ。 元々小柄なうえに腰ががっくり曲がった、怪談に出てくる妖怪じみた容貌の老人なのだが、 皺だらけで干からびた見た目の割には元気というか、威勢がよくて口やかましい。 『わしの専門は内科と小児科だ、お前ら悪ガキどもの怪我の面倒まで見ちゃおれん』 診療所に押しかける隊士たちにはそう言い張るが、外科的な知識も実は豊富で、 軽い病気や怪我ならこうして往診に出向いてくれるし、手に負えない症状の時には専門の病院を紹介してくれる。 いわば真選組全体の主治医を務めているような存在だ。 診察し終えたばかりの患者――浴衣姿のを布団に入るよう促すと、老医師は看護師からカルテを受け取って つらつらと症状を書き込んでいく。その手許を背後から覗き込む男が数人ほどいた。 さっき起きたばかりでいまだ寝間着姿、髪はぼさぼさで眠たげに目をこすっている沖田。 既に隊服を着込んではいるがシェーバー片手に髭剃り中の近藤。口端から白い泡をこぼし、歯ブラシをくわえた山崎。 部屋の隅にある小さなテレビでは結野アナの星座占いコーナーが終わったところで、時間はまだ朝八時すぎ。 全員が全員、朝の支度中なのだった。 「感冒ってこたぁ、風邪ですかィ?」 「・・・?つまりは、どこかで天人の風邪をうつされたってことですか、松本先生」 「そうじゃ。症状の軽い宇宙風邪の一種じゃのう」 レンズの分厚い重そうな眼鏡越しにカルテを見つめながら、松本医師は淡々と答えた。 「こいつの症状としてはまず、幼児退行が起こる。四、五歳くらいからの幼少時以降の記憶が一時的に消え、患者は 子供に戻った行動を取るようになる。おかしな症状だが治りは早いぞ。通常は二日ほどで快復し、注射も薬も無用の病よ。 後遺症も残らんから安心せい。ああ、それとな」 と言いかけて、周りを囲んだ皆の様子を布団の中から不思議そうに眺めているの額に手を伸ばす。 「発症時に軽い発熱が、・・・ふむ、くんはまだのようだが」 額に触れた手が冷たかったのか、は肩を竦めてくすぐったそうな顔になった。 よしよし、と子供をあやすように撫でる皺の多い手をじいっと見つめる。不安そうに口を開いた。 「ねえせんせい。おねつないよ?病気じゃないよ?ねー、どうして寝てなきゃいけないの?」 「ははは、そのうち出るから大人しく寝ておれ。よく寝て熱が下がったらな、こいつらに好きなだけ遊んで貰うといい」 「いやいやいや、何でそんなに呑気なんですかぁ、笑いごとじゃありませんよォ先生〜」 口一杯の泡を飲みそうになってふごふごと口籠り、山崎はこぼれた泡をあわてて拭いながら続けた。 「なんとかしてくださいよォ。何か対処方はないんですか、予防薬とかワクチンとか。 だって、これが俺らに伝染したら俺らもさんみたいになるってことですよね?」 右に近藤、左に沖田、そして背後の襖戸の影から副長室の様子を伺うその他大勢。 ぐるりと周りを眺めた山崎は眉を曇らせ、げんなりした口調でさらに続けた。 「考えてもみてくださいよ、俺らが集団感染したら屯所中で野郎どもの幼児プレイが横行するんですよ。 もし外にバレでもしたらいい笑い者じゃないですか。てゆうか俺、そんなキモい光景見たくないんですけど」 「集団感染かァ、・・・うーん、それはまずいな。おい、もし伝染ったらどーする総悟」 「安心してくだせェ近藤さん。あんたの痴態は俺がばっちりビデオに収めて志村の姐さんに送ってあげますぜ」 シェーバーを止めて困った様子で尋ねてくる近藤に、沖田は寝惚け眼でしれっと答えた。 何食わぬ様子でお茶を啜っているのだが、実はそれは彼のものではない。土方が自分で飲むために淹れたお茶だったりする。 「いやいや、お前らに伝染ることはないぞ。これに感染するのは主に地球人の女でな、男には滅多に伝染らん」 とはいえ、女でも発症は稀だと聞くがなァ。と、首を傾げる医師の横では、 携帯を耳に当てた土方が小声で何やら話し続けていた。 ああ、どうも、と素っ気ない礼を返すと、しかめっ面で通話を切る。誰に言うでもなくぼそりと告げた。 「判ったぞ。十中八九、あの店だ」 ぱちんと折った携帯を、畳にぽいっと投げ出した。 電話先は近所のコスプレカフェ。つまりはのバイト先だ。 「先週だが、はとバスツアーの団体客があったそうだ。 狛犬星の奴らが押しかけてきて、そいつらの数人がいやに咳込んでたらしい。マスクも着けてたって話だ」 「うむ、それが感染源と見て間違いなかろう。このウイルスが発祥した星は、たしか狛犬星と同じ星系じゃからの」 形の崩れた古い鞄に診察用の器具を戻すと、松本医師は立ち上がる。 「熱が下がらんようだったら電話を寄越せ」と言い残し、腰の曲がった小さな白衣姿は看護師を従えて出て行った。 その背中が廊下を遠ざかっていくのを見送ると、土方は疲れた溜め息をついた。 「・・・俺らに伝染らねえのがせめてもの救いってことか。それにしても面倒くせーもん持ち込みやがったなぁ、てめえは」 「てめえじゃないよおじちゃん。だよー」 舌足らずな声で当然のようにおじちゃん呼ばわりされても、枕元に座った土方は 醒めた目つきでかったるそうに見つめ返すだけ。何を言われても何も言い返す気が起きなかった。 ――朝っぱらからこうも気力が出ねえたあ、俺もいよいよ重症だ。つーか疲れた、休みが欲しい。 そんなことばかり思いながら顰めた眉間を抑えた。 一日二日の短期とはいえ、てめえの女がガキに変わっちまうとは誰が思うか。 何よりショックだったのはあれだ。まさかこいつに冗談抜きで「おじちゃん」などと呼ばれる日が来るとは、 ・・・・・・・・・・・・・・いや違う。そうじゃねえ。別に俺ぁそこまで自分の老け具合を気にしている訳ではなくてだな、 なんつーかその、あれだあれ。馬鹿馬鹿しすぎて言葉もねえってやつだな。すべてを諦めつくした気分ってやつだ。 はーっ、と大袈裟なくらいに重たい溜め息を、煙草の煙と一緒に吐き出す。すると問題の子供に指を差された。 「あーっ、また吸ってるぅ。 だめだよー、たばこはいけないんだよおじちゃん。あれはからだに悪いんだぞってとうさまが言ってたもん!」 「うっせーな。俺ぁおじちゃんじゃねーって言ってんだろ」 「だめだよー、そういうこわい顔したらだめなのー。怒ってばっかりだとお顔に皺できちゃうんだよおじちゃん!」 「んだとコラ。おじちゃんじゃねーって言ってんだろコルァ。ったくよォ、 三つ子の魂百までってか。ガキんなってもその煩せえ口は一向に減らねえってわけかコルァァァ」 「いだだだだ、いだぃいい!いたいようっっ」 がじたばたと手足を暴れさせ、悲鳴を上げる。 おじちゃん呼ばわりについにキレた土方の指が口の端に引っ掛けられ、ぐいーっと容赦なく引っぱられたのだ。 「あーあぁ、痛がってるじゃねーですかィ。やめなせェ」 骨張った細い手に手首を抑えられる。 を寝かせた布団を挟んだ向かい側から伸びてきた手が、彼の手を止めていた。 その手を伏せた目で嫌そうに眺めると、土方は乱暴に振り払う。 彼を眺める沖田の顔には、普段から顔に貼りついている考えの読めない薄笑いが浮かんでいた。 「酷でぇなァ土方さんは。 見た目はでもこいつの中身は五歳のガキなんですぜ。少しは優しくできねーんですかィ」 沖田は枕元に腰を下ろし、に顔を近づける。 ひりひりする口端を押さえて泣きそうな彼女を覗き込んで、彼にしては珍しいくらい穏やかな、刺の無い表情で微笑んだ。 「気にするこたーねーぜ。あの煙草くせーおっさんはなァ、忙しくて気が立ってんでェ」 「んだとてめぇえええ。俺が誰のおかげで忙しくて気が立ってっと思ってんだ、おいィィィ」 お前が言うな、とこめかみにびしっと青筋を浮かせた土方が、数枚の紙を沖田の目の前に突きつける。 鼻先に叩きつけられた始末書はどれもこれも「沖田総悟」のサイン入りだが、 サインしたはずの当人はすべてを空とぼけた顔でスルーした。 に視線を戻した沖田は、長い髪で枕を覆った頭を撫でる。少年ぽさの残る細い指が、宥めるように優しく動いた。 「そーだ、今日は俺の部屋に来るかぃ。こんな奴といたって何にも面白かねーだろ?」 「・・・ねえ、そーごはと遊んでくれる?」 「ああ、一日中遊んでやらぁ」 「うん!、そーごのお部屋でいっぱい遊ぶー!」 わーいっ、と弾んだ声を上げながらは沖田の腕に抱きついた。その様子を肩をわなわなと揺らしながら土方が睨む。 (!!!怒鳴りてぇえええ、「薄着で男に飛びつくんじゃねえ!」と刀抜いて怒鳴りちらしてぇえええ!!) ・・・なんて本音は死んでも口に出来ない。だが我慢は限界だ、いやしかし我慢だ、背後の人目が多すぎる・・・! 渦巻く葛藤に握り拳をきつく固めた土方は歯ぎしりしてこらえる。そんな土方を眺める沖田は にんまりと意地の悪い笑みをこぼす。すると山崎が、もじもじと控え目に言い出した。 「えっと、じゃあさ、・・・今日の夜は俺とご飯食べよーか、ちゃん」 「うん!、さがるとごはん食べるー!」 子供に戻って無邪気そのものながこくんと頷き、にっこり笑う。 ぽっと顔を赤らめた山崎は、「うわぁぁあ、俺っっ、さんに初めて名前で呼ばれたぁああ!」と 歯ブラシを振り上げて嬉しそうに小躍りした。いじましいくらいにささやかな、しかし思いがけない幸せに浸っている 彼は、襖戸からここを覗く男どもの嫉妬に燃える物騒な視線にはまだまだ気づく気配がなさそうだ。 とそこへ、そんな不吉な空気は一切読まない近藤が笑顔で割って入って、 「そうかそうか、よーし明日は俺と遊ぼうな、!」 「うん!、ごりらとお庭の木に登って遊ぶー!」 「何で!?ねえっ、何で俺だけゴリラなのぉぉ!?」 「おい待て。おいぃぃぃ!」 布団に飛びつき涙ぐんでいた近藤を遮ったのは土方だ。 納得いかなさそうにべしっと畳を殴りつける。 「いつの間におめーらだけ名前憶えさせてんだ?なんで俺だけおっさん扱い継続中だ!ぁあ!?」 「だっておじちゃんたばこくさいもんー。たばこすうひとはみんなおじちゃんだもんー」 「違げーだろ、女もジジイもババアも吸うだろが!ちっ、妙な偏見持ってやがんなこのガキ・・・!」 怒鳴りたい。本物のガキならいざ知らず、こいつに言われるとなぜだか知らねえが腹が立つ。 誰がおじちゃんだ。俺ぁお前と十も変わらねえんだ。そう言ってやりたい。 しかしこの程度のことで子供を叱りつけるのは大人気がない。そこはさすがに判っているので、苛々しながらも黙り込む。 悶々とした彼の様子を見兼ねたのか、土方を苦笑いで見守っていた山崎は「あのねちゃん」と口を挟んできた。 「このおじちゃんの名前はね、「とうしろう」だよ」 「おーい今なんつった山崎ぃぃ。おめーがおじちゃんとか言うな、殺すぞコルァァァ」 「・・・・・・・、とうしろー、・・・?」 音の響きを一音ずつ確かめるようにの唇がつぶやくと、ほんのわずかに土方の眉が曇る。 感情をあまり表に出さないその表情が、かすかな戸惑いを見せていた。 その変化に気付いたのかどうか、はきょとんと目を丸くする。 枕元に寄り、寝ている彼女に目線を合わせて山崎は言った。 「そーだよ。とうしろーはね、ここで二番目に偉い人なんだ。俺たちは副長って呼んでるんだよ」 「ふくちょー!とーしろー!」 「・・・!」 呼ばれた土方が妙にぎこちない顔になり、思わず煙草を噛みしめる。あわてた様子で目を逸らした。 ――実は彼も初めてだったのだ、に名前で呼ばれるのが。 「とーしろー・・・?」 表情を読まれたくないがために深くうつむいた土方は、ぎくりと身体を固くする。 不思議そうに自分を呼ぶ、無邪気で甘ったるい女の声がなぜか身体を縛るのだ。 それが普段のから出たものではないとは判っているのに、身体は正直に反応してしまう。 呼ばれるたびにどきりと心臓が弾む。・・・何だこれは。 もしや俺は、あの声だけで骨抜きにされるんじゃねえか。そんな予感がしてきて、頭のどこかがくらりと揺らぐ。 いっそ耳を塞いでしまえたら。そうも思うが、人目の多いここでは無理だ。 ・・・何だこれは。 呼ばれつけねえ下の名前で呼ばれたせいか。それとも、であってではないあのガキじみた声のせいか。 妙に倒錯した気分にさせられる。何だこれは。 握っていた始末書に目を落とすふりで、土方はくるりと背を向けた。 それでもの姿をした大きな子供は、舌足らずであどけない声で彼の名を呼んでくる。 単に彼の名前の響きが子供の耳にはお気に召したのか、はたまた、頑なに目を合わせようとしない彼の反応が面白いのか、 は「とーしろー!」を笑顔で無邪気に連呼した。布団の中で足をぱたぱたと躍らせる。掛布団の端がふわふわと跳ねた。 「とーしろー。がおねつ出たら、あたまなでなでしてくれる?」 「、土方さんは忙しいんでェ。あんたは俺が寝かしつけてあげまさァ」 「やだー。そーごとは遊ぶのー。なでなではとーしろーがいいのー」 「・・・・・・」 どことなく強張ってきた土方の背中を見つめて、はなぜか恥ずかしそうに頬を赤くする。 布団に頭を潜らせたかと思えばもぞもぞと動いて、また顔を半分出す、という子供にはよくありがちな、 あまり意味の無さそうな動作を繰り返した。 ひょこんと顔を出し、にっこりと嬉しそうに目を細めては、自分を無視する男の背中をきらきらした瞳で見つめる。 布団の中でぱたぱたと足が跳ねて、機嫌良く童謡まで口ずさみはじめた。 彼女と土方を意味深な目つきで眺めていた山崎は、可笑しそうに顔を緩めて土方の肩を叩くのだった。 「副長ー、何で無視するんですかぁ。子供が呼んでるんだから返事くらいしてあげましょうよー」 「・・・うるっせえ、放っとけ」 何が返事だ。お前らの前で出来るか。見た目にはでもあれの中身は五歳のガキだ。 それを判っていながらなお、あの舌足らずなガキの声に、不覚にもどきりとさせられたってのに。 ここで俺があいつに構って、ほんの少しでも浮ついた態度を見せてみろ。 そこにいる馬鹿は黙っちゃいねえだろう。…見ろ、今もしれっとした面ぁ被ってこっちを伺ってやがる。 「・・・俺ぁ出掛ける」 傍に放り出してあった上着を引っ掴み、土方は急に腰を上げる。 山崎は目を丸くして彼を見上げた。 「昼には戻る。悪いがそいつはてめえらで見といてくれ」 「はぁ、それは全然いいですけど。どこに御用ですか」 「見廻りだ、見廻り」 逃げたい気分が声に混ざって、ついつい投げやりな言い方になった。 見透かしたような目で睨んでくる沖田を気にしたおかげで、土方は行く気もなかった見廻りで 貴重な午前の時間を潰したのだった。

「 おおかみさんとちいさなこいびと *1 」 text by riliri Caramelization 2011/04/29/ ----------------------------------------------------------------------------------- 祝こどもの日で現在編。一部大人限定です       next