こたつ。 それは厳しい真冬の寒さを凌いできた先人たちの、知恵と苦心の結晶。 こたつ。 それは誘惑の化身。どうにも抗いがたい魅力を秘めた冬のお茶の間の必需品。 屋外の寒さ(と、世間の冷たい風)に凍えて帰ってきた人々の身体と心に官能的なまでの幸福感と癒しをもたらし、 その幸せの代償として、足を踏み入れた万人の自堕落さや怠惰さを揺り起し、持って生まれた本性までをも揺り起こす。 こたつの中でほんわり色づく暖色のライト。あれが生み出す温もりは、普段は個々に隠している 人間のだらしなさとかどーしよーもなさとかをあっさりと暴き出してしまうのだ。 入った途端、家事だ勉強だのを一切放棄したくなったり。あまりの心地良さにうっかり居眠りして 顔に畳の跡をつけてしまったり。そのまま一晩を過ごして自業自得な低音火傷を負ってしまったり。 あまつさえこたつの魔力の虜となり、半径1メートル位内に生活必需品をあれこれと常備、まるで殻を背負った かたつむりのように、こたつと一体化してひと冬を越そうとする剛の者まで現れる。 いやまあそれはさておき、炬燵、と書いてこたつと読む。こうして見ると簡単に読めそうな気もするが 真夏の暑い盛りにぱっとこの字を出されるとこれが案外と読めなかったりして・・・、いや、そんなどーでもいい話こそさておいて。 寒い冬を快適に過ごすための家電機器にすぎないこたつ。だが、そこには他の家電にはない、ある種の魔法が隠されている。 例えば――同じこたつを囲んで暖を取り、お母さんがスーパーで買ってきた特売のみかんなんかを味わいながら 冬の夜をまったり過ごすことで、お互いの足がぬくぬくと暖まる頃には「今日学校で友達が」「会社で部下が」「隣の奥さんが」 などという他愛のない話も何気なく弾み、そんな会話が増えることで家族関係もじわじわと円滑に暖まったりするのだ。 そう、こたつは家庭円満を生み出す不思議な暖房器具。 冷えかけた親子の間に会話する機会を授け、近年失われつつある家族の絆までをもその温もりで繋いでしまう 先人の知恵が生んだ元祖コミュニケーション支援ツール。それこそがこたつなのである。 それに加えて、冷めかけた恋愛関係や微妙な距離感の人間関係にもその効果を発揮することがあるのだから優れもの。 ああなんと素晴らしいこたつ。素敵なこたつ。たかがこたつ、されどこたつである。 一度味わったら離れがたくなるその心地良さについては、殊更に説明するべくもないだろう。 そこに足を突っ込んだことのある方であれば誰もみな、言わずもがな、その身をもって御存知だろうはずだから―― 「――っつーことで、昔の人は言ったんでさァ。こたつ恐るべし、侮りがたし、ってね」 と、手にしたポテチをぱりぽりと食しながら、至極適当、かつ長ったらしいうんちくを奮うのは、一番隊隊長の沖田総悟。 今日は一日中某所で張り込み番のはずな彼は、人を食ったような半笑いを浮かべていた。 そんな沖田にしかめっ面で対するは、障子戸の桟上に「副長室」と書かれた木札を掲げたこの部屋の主。 戸口の前で仁王立ち、一歩も退かない気迫を漲らせている目つきの鋭い男。彼が真選組副長、土方十四郎である。 片手には事件の報告書類、口端には噛みしめられて折れ曲がった吸いさしの煙草。 年末の忙しさで溜まりに溜まった書類の始末を邪魔されて、鬼と恐れられるこの男の不機嫌さはピークに達していた。 しかし沖田は、どちらかといえば男というより少女寄りな、華奢な造りの顔をほころばせてにっこりと微笑む。 彼の腹黒さをまだ知らない新入りの女中たちが喜びそうな、いかにも邪気のない表情で。 「そーいうことで土方さん、こたつ買ってきたんであんたの部屋に置かせてくだせェ」 「断る、出てけ」 「ぇえええええぇええええええ〜〜〜〜」 不満たっぷりに叫んで口を尖らせたのは沖田ではない。彼の後ろに並ぶ三人だ。 こたつ用の大きな布団を両腕一杯に抱えた唯一の女は、元隊士で土方の元カノでもある。 片腕で軽々とこたつ本体を持ち上げているのは、今日が非番の局長近藤勲。 そしてこたつの天板を抱えているのが、近藤と同じく今日が非番な監察の山崎退。 三人揃って今日が休み、しかも三人揃って暇を持て余した奴らだ。 ぷーっと頬を膨らませたぶーたれ顔を見合わせると、土方を恨めしそうな目つきでじとーっと眺めた。 「ぇええ〜、じゃねェェェ!!ぁんだてめーら、近藤さんまで!いいか、俺ぁてめーらと違って非番じゃねえ。 呆けたツラでこたつ浸かって正月ボケしてる場合じゃねんだよ。見ろ、ここに仕事の山が」 「うーす、失礼しやーす」 と土方が文机を指したそこへやってきたのは、どう贔屓目に見てもムサ苦しい、男臭さが服を着て歩いている野郎どもの集団だ。 足先で器用に障子戸を開け、湯気の立つ大きな土鍋を抱えて登場したのは白い割烹着姿が妙に板に着いた十番隊隊長の原田。 彼を先頭にいそいそと、へらへらと隊士たちは流れ込んできた。どいつもこいつも揃いに揃って、緊張感のない顔つきで。 「局長ォ、出来ましたぜー鍋が。どーすかこれ、注文通り塩味鶏鍋にしたけどよー。 お?山崎ィ、ここにいたのかよ。あのよーお前、調理場から卓上コンロ探してきてくんね」 「沖田隊長ォー、御注文通りにみかん買ってきましたぁ箱買いで!」 「酒も用意出来てますー。ビールに日本酒、焼酎もありますぜー」 ミカン箱、酒瓶、箱買いした缶ビール、鍋の具材を盛った大皿、炊飯器まるごと、食器、菓子の袋、酒の肴用の乾きもの。 鍋を中心にした宴会に必要と思われるあらゆるものを抱えた奴等が、次から次へと雪崩れ込んでくる。 あっけにとられて言葉もない土方の前を右へ左へ。楽しげに和気あいあいと準備を進めていくではないか。 「ぁあ!?鍋だぁ!?ぁにやってんだてめーら!抜け抜けと踏み込んでくんじゃねえ!!」 「なーなー何にする最後のシメ、うどんか?雑炊か?それとも餅にすっかぁ?」 「ラーメンってのもありだよなー」 「ラーメンでキムチじゃね」 「餃子は?餃子入れよーぜ」 「わかってねーなぁおめーら。うどんにチーズが意外にイケんだよ」 屯所の誰もが震え上がる鬼の副長の怒声だというのに、誰一人として振り向かない。どいつもこいつも聞く耳持たず。 ・・・なんだこの浮かれポンチどもは。 口をあんぐり開けた土方が大人数の勢いに呑まれ、誰一人顧みてくれない怒りをなし崩しにうやむやにされ。かくして 局長と一番隊隊長主催による「こたつで鍋を囲む会」は、この部屋の主の意向をまるっと無視した体で始められたのだった。 「てなことで新年会のはじまりはじまりィ〜〜〜。あー姫ィさん、俺の取り皿に肉盛っといてくだせェ、メガ盛りで」 「はじまりはじまりィ、じゃねェェェェェ!!」 轟いた土方の怒号には「さっそく始めるかァ、かんぱぁーーいィィ!」と呑気そのものな近藤の声が重なった。

其 処 に は 魔 物 が 棲 ん で い る

近藤が乾杯の音頭を上げ、土方の怒号が虚しくスルーされた一時間ほど後。 くつくつと煮立つ土鍋の中には早くもうどんが投入され、最後のシメへと突入していた。 スープは濁ったミルク色。卵とごはん、刻んだ浅葱を加えれば、コクのある美味しい鶏雑炊も 楽しめそうなかんじである。宴会のメイン料理として持ち込まれたこの鍋は超ハイペースで減っていき、 部屋に持ち込まれた最初の状態を第一ラウンド開始とするならば、今は第三ラウンド突入といったところか。 近藤の一声を開始のゴングとして、あれよあれよという間にメインの鶏肉がなくなり、追加の具材も食べ尽くされ。 いい具合に酒も回り、満腹になって正月気分を満喫する隊士たちはどの顔もだらしない締まりの無さだ。 鍋から昇る白い湯気とほろ酔い気分で充満した場はどんどん盛り上がる。「さあ呑め、がんがんいけ」と 局長自ら酒を勧めて回る近藤を中心に、賑わいは広まっていく。各隊の任務中に起きた笑い話や、何隊のどいつがどうしたとか 特ダネスクープ的な逸話も飛び出してきたり、某隊隊長の物真似を披露する奴もでてきて、室内が笑い声に包まれる。 この分では、何かにつけては全裸になりたがる局長が恒例の「初脱ぎ」を披露するのもそろそろ時間の問題か。 とまあそんなこんなで、気の置けない奴らで集まったとき特有の天井知らずなハイテンション無限ループを迎えた一同は 場の座興にと、危険極まりないゲームを開催しようということになった。さて、そのゲームとは。 「王様だーーーーれだーーーーー!!」 王様ゲーム。よりによって合コンの定番、王様ゲーム。女子もいないというのに王様ゲームである。 傍から見れば男所帯のわびしさが漂ってくる、なんともとほほな話ではないか。ところが、やってる奴らはわびしさなど 微塵も感じちゃいなかった。酔いの回った男たちがわらわらと集まって割り箸を引き、王様役から指令が下されるたびに 野太い爆笑が巻き起こる。なぜかといえば、下される指令はどれもこれも、もしもここにごく普通の感性と恥じらいを 持つ女性がいたら、十人中九人が「あんたたちばっかじゃないの!?ちょっ、やめてェェ!」と 目を覆って嫌がるだろうくだらなさ&えげつなさだったからだ。 「☆番がズボンと下着を脱いで四つん這いになり、××に挟んだポッキーを☆番が手を使わずに食べる」だの、 「☆番と☆番が全裸で二人三脚、女中頭に見つからないように屯所一周」だの、 「☆番が☆番の脱いだパンツを頭に被る」だのといった無茶ぶり指令が飛ぶのだが、 宴会中の意味なしハイテンション効果もあってか、どれもこれもマジで嫌がり拒む奴もなく着々と遂行されていく。 そのたびにゲラゲラと、腹の底から楽しげな野郎どもの笑いと卑猥な野次が渦を巻く。 ・・・むせび泣き笑っているこいつらのどいつもこいつもが皆、江戸の良識を護るおまわりさんのはずなのだが。 動物園のサル山にだってもう少し品がある。ほとんどの女性がそう思うだろう羽目を外した騒ぎの中、 元隊士の紅一点、はこの手のバカ騒ぎにも慣れているためか、にこにこと楽しそうに立ち振る舞っていた。 割烹着姿もいかつい「鍋奉行」原田のアシスタントとしてシメのうどんを全員に振る舞ったり、近藤たちにお酌をしたり 酒が切れた奴らのところにビールを運んでみたり。その合間を見ては、こんな騒ぎの中で一人机に向かっている 男のもとへぱたぱたと走る。部屋の片隅で山と積まれた書類とにらめっこで格闘しながら、多量の煙を モクモクと噴き上げている男。言うまでもないが土方だ。 彼を斜め後ろから覗き込んだは、へなぁっと眉を下げて困ったような顔で笑った。 「ねー土方さぁん。土方さんもどうですか?原田さんのお鍋、すっごく美味しいよ?」 「・・・・・・・・・・」 「えーっ、いらないんですかぁ?じゃああたし食べちゃお。あーあー、いいのかなぁ味見しなくて。こんなに美味しいのにー」 と皿を持ち上げ箸で鶏肉をつついてみせるが口はつけない。きっぱり無視されても文句は言わず、困った笑顔のままだ。 名称こそ元カノとはいえ、屯所中の誰からも「副長の女」として扱われる彼女ならではの遠慮もあるのだろう。 仕事中の土方をよそに自分が宴会を楽しむのはさすがに悪いとも思っているのか、こうしてせっせと貢ぎ物を運んでくるのだが。 土方の背後を囲んでずらーっと並べられた貢ぎ物たち。 酒にビール、スナック菓子に酒のつまみ、マヨネーズ特大ボトル、みかんを積んだ小山、鶏鍋を取り分けた小皿。 どれも手つかずのままである。 「ねえみかんは?甘くて美味しいですよこのみかん。皮剥いてあげるー」 「少し休憩したほうが仕事もはかどりますよ!」 「ねえねえ、お茶は?熱いお茶、淹れてきましょーか」 一日中さえずり続けるにぎやかな雀に背後からピィピィと鳴かれている気分の中、 文机の端に並び始める、ちまちまと一房ずつに分けたみかん。それが終われば熱いお茶が差し出される。 土方はそれらをちらっと横目に盗み見はしたのだが、不機嫌さ剥き出しでそっぽを向いた。 「土方さーん、食べないのみかん。折角剥いてあげたのにー」 書類を睨む男を眺め、剥いたみかんを眺め、はつまらなさそうに口を尖らせた。 ところが何を思ったのか、その頬がぽーっと染まり始める。妙に恥ずかしそうにうつむき、 着物や帯をやたらに弄ったりしてもじもじしてから、放置中のみかんにそーっと手を伸ばしていった。 「・・・え、これって、もしかして。・・・そうなの?土方さん、あたしに食べさせてほしい、とか・・・? えぇえ〜〜〜〜っ!やだなぁもうっ、みんな見てるのにぃぃ!しょーがないですねぇえ、はいっ、あーん!」 がしっっっ。 みかんを「あーん」しようとしたの手。その手が土方の口に届く寸前で掴まれ、 ぐるりと方向を変えて彼女の口にぼすっと飛び込んだ。 「!ふぐっほごっっ」 「うぜぇ黙れ」 「くるひひくるひいぃい!」 「けっ、何があーんだ。てめーじゃねーんだ」 誰が喰い物程度で懐柔されてやるか。 心の声で意固地につぶやく。そう、要するに彼は面白くないのだ。拗ねているのだ。 自室を勝手に宴会場にされ荒らされて、しかもこいつまで――まで、浮かれた奴らの尻馬に乗っかりやがって。 「つーかおい、どうしてわざわざ俺の部屋だ」 「へ?・・・ふぇ、えーほぉ、ほれはぁ(え、えーとぉ、それはぁ)」 「宴会なら会議用の広間でも使やぁいいだろうが。他の空き部屋だってあんだろーが。 それをお前らときたら、何がどーなって俺の部屋だぁあああ!?」 「ひぃだだだだだだだひ土方さっ、ギブ!ギブぅうぅ!もげる、頭もげるぅぅ!!」 が畳をベシベシ殴って暴れる見事なヘッドロックが決まったところへ、みかんがごんっ、と土方の頭へ直撃、 さらに「ー」と呑気な呼び声が。 土方がむっとした顔を上げてみれば、みかんをぽいぽいとお手玉のように操っている沖田がにやにやと彼を眺めていた。 その頬はほんのり赤く、明るい髪色の頭が左右にふらふらと揺れている。よく見てみれば、目もなんとなく据わっている。 すでに相当出来上がっているようだ。 「そんな仕事馬鹿の石頭のこたぁ放っときゃいーんでぇ。こっちに来なせぇ姫ィさん」 「総悟ぉ!笑ってないで助けてよぉぉ!って土方さっ、やめ、ちょ、くるしっ、死ぬぅぅ」 「何を言ってんでェ。簡単だろーそのくれぇ。あんたの得意の回し蹴りでもかまして沈めてやりゃーいーじゃねーか」 「んだとコラ。てめーこそ沈められてーのか?三途の川に重石抱かせて沈められてーのか」 「その前に俺があんたを庭の井戸に沈めてあげますぜ土方さん」 「その前にあたしが沈むうぅぅ!ギブ!土方さんっっ、ギブぅぅぅ」 「姫ィさーん。いつまでも遊んでねーでこっち来て俺にもみかん剥いてくだせェ」 「フン、誰が貸すか。てめーは山崎の剥いたやつでも喰ってろ」 「嫌でさァ。俺ぁ姫ィさんの剥いたみかん以外を食うとじんましんが出るんでェ」 「嘘つけェェ!!」 張り合いたがりな二人の喧嘩は口だけに留まらず、土方と沖田の間をびゅんびゅんと、みかんが雪玉のように飛びまくる。 するとそこへ、全裸で急所だけお盆を宛がって隠すという、どこから見ても警察組織の長とは思えない姿の男が 「、俺も俺もー!俺も剥いてー!」と裸踊りを披露しつつ名乗り出て「局長、ちゃんに何を剥かせる気だよ何をぉ!」とか 「いやぁあんたのはみかんじゃねーだろ腐ったバナナだろぉぉ」とかいうしょーもない野次を浴び、隊士たちの卑猥な爆笑を誘う。 さらに、王様ゲームの指令が運悪く当たってしまい、近藤の脱ぎたてほやほやトランクスを被らされてヤケ酒を煽っている山崎が 「いーなぁあ俺も食べたいなぁー、さんの剥いたみかん!」と半泣きで頼む。 普段であれば土方の目を気にして遠慮するはずの山崎まで言い出したことで、他の奴らも勢いづいた。 「俺も」「俺も」と便乗してくる奴らが続出、の前には「女の子が剥いてくれたみかんが食べたい」見た目に反して 甘えたがりな強面男どもの、なんとも不気味な行列が出来ていく。 人数にして十余人。一個二個ならともかくこの数になると、はっきりいって手間である。しかしは笑顔で引き受け せっせとみかんを剥きにかかった。いかつさ満点のさみしんぼ野郎たちに甘えられるのが、なぜか彼女は嬉しいらしい。 一個ずつ丁寧に皮を剥き、土方にしたのと同じように一房ずつに分ける。それをでれでれと崩れた笑みを浮かべた奴らが お礼を言って受け取り、どさくさ紛れに手なんか握ったりするものだから、土方は癪に障ってしょうがない。 「はいっ、どーぞ!」 「ありがとぉぉさんんん!俺っこのみかん保存するからっ。大事にするからねっっ」 「あはは、やだなぁ大袈裟なんだから。みかんが可哀そうじゃないですかぁ、美味しいうちに食べてあげてくださいよー」 「ちゃん!次は俺な、俺っっ。食用と保存用と観賞用と実用用で四個っ」 「?実用用ってなんですかぁ?よくわかんないけど、どんどん剥くから待っててくださいねー」 アイドルのサイン会かよ、と頬杖で半分隠した視線でその様子を盗み見て、土方は冷やかに皮肉った。 その冷静そうな態度には一見して崩れがない。だが、報告書に綴られた容疑者履歴を追う目にはじわじわと殺気が 滲み始め、煙草を持った手の指先はトントンと忙しなく膝を打っている。いよいよ面白くなくなってきたのだ。 甘えんぼ集団にを持っていかれてしまい、しかも手まで握られているのだから。 あいつら後で全員シメてやる、と心中で物騒な目論見を企てる彼の前を、うきうきと軽い足取りの奴が通りかかった。 が剥いたみかんに気をよくした山崎が。 「あれっ副長。どーしたんです、殺気が垂れ流しになってますよー。あっ、妬いてるんですかぁもしかしてぇええ」 ・・・ことごとく間の悪い、しかもつくづく残念な男である。 気難しい上司の気配に人一倍目敏いはずの山崎は、みかんをもごもごと頬張った顔を向けてそう言った。よせばいいのに。 土方のこめかみがぴきっと大きく引きつる。おもむろに立ち上がり、山崎の頭に被せられたままの例のトランクスを 無言でわしっとひっ掴む。一気に首まで引き下げた。室内をうろたえまくった絶叫が走る。 「ふごぉおおおおおおっっっ」 どんな強力ウイルスも死滅しそうな、しかし世界一不快なマスクで顔を覆われた山崎は苦悶してじたばたと、暴れに暴れて あげくに失神。こうして多少の鬱憤を晴らした土方は何食わぬ顔で仕事に戻り、山と積まれた書類の一枚に目を通し始める。 しかしその澄ましきった横顔をよく見れば、こめかみはまだひくひくと引きつっていたりするのだが。 「いっやー悪りーなぁトシぃ。仕事の邪魔しちまってよぉ」 呼ばれて肩に手を置かれる。振り返るとそこには、素っ裸で股間に申し訳程度のお盆を張りつかせた男が。 ・・・ここには俺を落胆させるバカしかいねえのか。 まったくどいつもこいつも。土方は深々とした溜め息をつき、がっくりとうなだれて額を抑えた。 「悪りぃと思ってんなら出てってくれねーか」 「それはともかくよー、お前もどうだ、王様ゲーム!くじ引いてみねーかぁ?」 「近藤さん。あんた実は悪りぃとか思ってねーだろ!?」 「グズグズ言うねィ土方ァ」 と声を掛けてきたのはこたつに寝そべって全身ぬくぬく状態、に膝枕をさせ、尊大な態度で悠々とみかんを食べている男だ。 周囲には酒だのつまみだのポテチだの、屯所征服を目論むサディスティック星の王子さまが好む貢ぎ物を携えた 隊士たちがかしずく。その姿は言うなれば、王座で美女と侍従を侍らせているアラブの石油王とか古代ローマ王朝貴族とか、 ・・・その手の「庶民がイメージする大富豪」をそこはかとないビンボー臭さで包み、茶箪笥の角に 思いきりぶつけて壊したよーなかんじで。 「あんたが王様引き当てて俺らに「出てけ」って命令すりゃーいーだろィ」 「おめーはクジも引き当ててねーのに王様じゃねーか!つかぁにやってんだっっの野郎ぉぉぉぉ」 にやけた顔で悪びれもせずに土方を見つめたままで、沖田はの脚へと頬を擦り寄せる。 はその仕草に驚いて目を丸くしたが、嫌がる様子は見せなかった。むしろ弟のように可愛がっている彼に 珍しく素直に甘えられて母性本能をくすぐられたらしく、ひどく嬉しそうに沖田の髪をさらさらと撫でてみたりする。 土方は全身の毛を逆立たせて絶句した。 ふざけやがって総悟の奴。あれではミニ丈着物姿のの素足の感触がお試し放題ではないか! 「総悟ー、みかん剥けたよー。はいっ、あーん」 「あーん」 「おいしい?」 「ああ、あんたが食べさせてくれたら何でも旨めェや。もう一個剥いてくだせェ、姫ィさん」 彼女の着物の袖を引き、子供っぽい口調で二個目をおねだりする。が好きそうな弟属性全開、甘えた態度はお手のものだ。 猫被り確信犯の思惑など気づきもせずに「うんっ!」と弾んだ笑顔で頷く。 土方のこめかみがびくびくと、激しく痙攣し始める。ぎりぎりと食い縛った口からはわずかに声が漏れていた。 低く地を這うような呪いの声が。いや、犬が敵を威嚇する時にも似たドスの効いた唸り声が。 しかし握り拳にぐっと力を籠めて、ふざけたクソガキを怒鳴りつけそうになる自分をこらえる。 ここで彼に何が言えるものか。無理なのだ。こんな時に本音など晒せないのだ、骨の髄から恰好つけたがりなこの男は。 (こっっっのクソガキが、俺だってやったことのねえ真似をしゃあしゃあと!!) などという見栄も体裁もへったくれもない心の叫びを吐露するくらいなら、いっそ腹でも割いて死んだほうがマシである。 「・・・・・・・ってやる」 「ん?何か言ったか、トシ」 「山崎ぃ!」 「はっっ、はいィ!?」 唸るような呼び声に条件反射で反応、 ぐったりと畳に伸びていた山崎が、がばっと慌てて跳ね起きる。 「クジ持って来い」 「はぁ?・・・クジって、王様ゲームのですかぁ?」 「ゲームじゃねえ。ガチで勝負だ」 「へ?」 ボキボキ、ベキッ。 組んだ両手で指をベキボキと鳴らしながら土方は立ち上がった。怒りに強張った半笑いの表情が不吉に歪んでいる。 「ゲームだぁ?冗談じゃねえ、こっから先は遊びは抜きだ。勝ってさっさと終わらせてやらぁ! 舐めくさったツラしたそこのバカを追い出して、今日こそ三途の川に沈めてやらねえとなぁああああああああ」 その姿の怖ろしさに凍りつき、周囲の奴らのほぼ全員が顔を引きつらせる。 怯えきった男たちは、彼の背後に地獄の業火を背負った怖ろしい閻魔像の幻を・・・見たとか見てなかったとか。 ――てなわけで、浮かれ騒ぎに興ずる奴らを一人傍観していた土方までもが緊急参戦。 ムカつく沖田に惚れた女の脚を触らせるのが嫌さに、ガチで勝負に出てきた鬼の副長。彼を加えて男だらけの王様ゲームは 佳境を迎え、そこからは空気も一変。妙に気合いの入った、白熱した戦いとなったのだが。 数回目で出された指令「女装した13番が近所の酒屋から買ってきた日本酒一升瓶を9番が一気呑み」で 9番を引き当てた土方が悪酔いし、黙ってこらえていた彼の怒りが爆発。抜刀して沖田に斬りかかり、 沖田の盾にされた山崎をあやうくばっさり殺りかけた。鬼の副長の御乱心はそれだけに留まらず、畳や襖を ザックザクと派手に切り裂く乱れ討ちが部屋中に猛威を奮う。攻撃からひょいひょいと逃れ、すっとぼけた態度で 逃げ回る沖田に、迷惑なことに他の全員が否応なしに巻き込まれた。 こうして副長室には、捕まれば即首が飛びかねない、洒落にならない危険な鬼ごっこが発生。 出入り時さながらに必死な奴らが、血相変えてドタバタと逃げまどう。瞳孔も完全に開ききって目がイッてしまっている土方が、 刀を振りかざして追い回す。あげく全身に酔いが回り、ばったり倒れて意識を失くした。 「・・・え。うそ、・・・・・・、ひ、土方さんっっ」 うつぶせで畳に伏し、朦朧としている彼を呼んだのは、あわてふためいた女の声。 視界に最後に映ったのは、慌てすぎて転びそうになりながら駆けてくるの細身な姿だった。 「――しーっ。総悟、もう少し静かに入ってよ。起きちゃうじゃない」 「何やってんでェ、静かにしろィ山崎」 「ぇええぇえ、俺!?」 聞こえてきたのはぼそぼそと小さく抑えた声。 数人分の、どことなく楽しげな声だ。 閉じた瞼をぴくりと動かした土方は、自分が寝ているのだと気づく。 腰から下がやけに温かい。熱いくらいだ。その熱さと身体に掛けられた布団の感触で、 沖田が持ち込んできたこたつに寝かされているのだと察した。 誰かが間近に座っている。だろう。 ささやくように喋る小さな女の声が、他の奴のそれよりも近くに感じられた。 「どーしてこうムキになりやすいのかねーこの人は。今どき一気呑みとか、マジでねーだろ」 「ムキにさせたのは沖田隊長じゃないすか。「土方さんならこのくれー楽勝でしょう。 それとも勝負から逃げるんですかィ」なんてけしかけられたら、副長も後には引けませんよ」 「そんなもん適当に受け流しゃあいーじゃねーか。いちいち真に受けるほうがどーかしてるんでェ」 急に人口密度が上がったこたつの中が、もぞもぞと騒がしい。 布団を上げて中に足を入れてくる奴、そいつを横から足蹴にする奴。 「いてっ、」と悲鳴を上げたそいつの対面に座る奴が「お前らも呑むかぁ?」と尋ねている。 缶ビールのプルタブを開ける掠れた音が二つ、小さく響いた。他の奴らはどこかへ散った後らしい。 部屋の中は目が覚める前とは打って変わった静けさだった。 聞き慣れた奴らの声に混ざってしゅんしゅんと、火鉢から薬缶の沸き立つ音が微かに流れてくるだけだ。 「だけどここまでの騒ぎになるとは思いませんでしたねー。・・・つーか俺、まさか宴会で殺されかけるとは思いませんでしたよ」 「まったく迷惑な人でさァ。副長ともあろうお人が酒が回ってブチ切れて、刀振り回してぶっ倒れるたぁねェ。 これで死人だ怪我人だのが出たら正月早々の不祥事だぜ」 「まあまあ、何もなかったんだからいいじゃねえか。さっきのあれぁなかったことにしてやろうや」 「・・・ちぇっ。甘めーんでェ、近藤さんは」 「いやぁ、トシが刀抜いた時には俺もひやっとさせられたがなぁ。・・・まぁ、こんなのもいいだろ。たまにはな」 ふっ、と近藤が籠った笑い声を響かせる。 目を閉じ、黙ったままの土方には、周囲の状況が何ひとつ見えてはいない。 けれどなんとなく、近藤の視線が自分に向けられているように感じた。 「羽目外すとか息抜きするとか、一切頭にねえからなぁトシは。俺らがこうでもしねーとよぉ、ろくに憂さ晴らしもしねーだろ?」 それがこたつなんざ抱えて乗り込んできた理由か。 このお人良しどもの考えだ、どーせそんなこったろうとは思ったが、 ・・・だからってあんたが素っ裸になる必要はどこにもねーだろーが。 目を瞑ったまま話に耳を傾けている土方は、胸の内で呆れ半分にぼやく。 やばい、と続けてつぶやいた。どうもこれは気恥かしい。味わった覚えのねえ気恥かしさだ。 畳の感触を感じている背筋が、なんとなくこそばゆくなってくる。 寝ている間に話題の中心に据えられ、やんやと言い合う奴らの話を一方的に聞かされるというのは、 やりづらいというか、妙にふわふわと浮いた気分で虫唾が走るものらしい。 起き上がるきっかけを掴めずに寝たふりを続けていると、が「ねえ、総悟」と沖田に声を掛ける。 「ありがとね、総悟」 「?俺ですかィ?・・・俺ぁ、礼を言われるよーな覚えがねーんですが」 「だって総悟、土方さんをけしかけてくれたじゃない。あれで土方さんがムキになってくれたから上手くいったんだよ」 「いやぁ。あれぁこの人からかって遊びたかっただけでェ」 ・・・てめえはまあ、そんなとこだろーがな。 けろりとした態度でビールを啜る沖田を近藤が笑い飛ばし、も近藤につられたような、苦笑気味な声を漏らす。 はは、と山崎の気抜けした笑い声がそこに続いた。 「・・・やっぱりいいですよねえ、大勢でがやがや過ごすお正月って。なんだか懐かしい気分でしたよー」 「そーかぁ?俺ぁ静かなほうがいーや。うちは姉上と二人きりで客も少ねぇし、のんびりしたもんだったぜ」 「そんなに賑やかだったのか、の家の正月は」 「はい。今は道場もさびれちゃって、お客様も少ないけど。昔はね、すごく賑やかで楽しかったの。 元旦はね、挨拶に来た門下生の人たちとこたつを囲むんです。大人はお酒で、子供はおせちをつついて」 言葉を途切れさせたは、ほんの束の間、話すのをためらったような間を空けた。 「義父さ、・・・・頑固オヤジとか、お酒呑みに来る松平のとっつあんにお年玉貰ったりして。 元旦だけは稽古も休みで、小さい頃はそれも嬉しかったなぁ。一日中遊んでいられるんだもん」 くすくすと、はしばらく思い出し笑いに浸ってから再び黙り込む。 はぁ、と気落ちしたような短い溜め息をついた。こたつの天板に顔を伏せたのか、こん、と頭をぶつけた音が鳴った。 「・・・あーあ、目が覚めたら叱られるかも。余計なことすんじゃねえって」 「そうかぁ?」 「そうですよー。あたしは楽しかったけど、土方さんは全然楽しそうじゃなかったもん。すごく怒ってたし」 「が気にするこたぁねーや。土方さんのノリが悪りーのはいつものことじゃねーか」 「ああ。本当に嫌なら書類抱えて部屋から出てっちまうだろうよ、トシは」 「そう、・・・かなぁ」 「うん、そこまで嫌そうには見えなかったよ。 これはこれでストレス解消になったっていうか、副長も憂さが晴らせたんじゃないかなぁ。ていうか、そーであってほしいよなぁ」 じゃないと俺、何のために命からがら逃げ回ったんだかわかんねーよ。 と漏らして山崎が溜め息をつく。 やけに疲れてしみじみとしたその響きに、近藤との笑い声が重なった。 「うん。そうだよね。途中で大変なことになっちゃったけど、・・・ちょっとくらいは楽しんでくれたよね?」 ・・・別に楽しかねえっての。 げんなりして土方は肩を竦める。何がストレス解消だ。余計な世話焼きやがって。 あの文机の山をどうしてくれんだ。ノルマは半分も片付いちゃいねえんだぞ。 机仕事に没頭する時間なんてそうそう取れねえってえのに、 てめえらのおかげで無駄に時間潰しちまったじゃねえか。 しかもここまで気が緩んじまってんだ、酔いが醒めたってたいしてはかどりゃしねえだろう。 「・・・・・・・・、?」 こたつ布団の下でだらりと転がっていた彼の手に、少し冷えた何かが触れてきた。 眠る土方を起こすことのないようにと気遣っているのか、それとも、狸寝入りに気づいているからなのか そっと指を握ってくる女の手。細くやわらかな感触に包まれると、消えかけていた気恥かしさが再び活気づいてくる。 握られた指を一度払ってから、わざと強く握り返す。 するとはそわそわした様子で身じろぎを始める。気配が落ち着かなくなってきた。 ・・・やっぱり気づいてやがったか。 探り取った細い小指と、自分の小指を絡める。きゅっと握り締めると、突然の指切りに驚いたは びくうぅっ、と大袈裟なくらい肩を跳ね上がらせた。 「?どーしたぁ、」 「っっななんでもっ、なんでもないですっ!か、風邪でもひいたのかなぁ、急に寒気がしてっっ」 「それぁいけねーや。こっち来なせェ姫ィさん、俺があっためてやらァ」 「あっ、何だよだけ?俺もあっためてくれよォ〜〜、寒みーよぉ総悟ォ〜」 「いや、あんたはそれ以前に服着てくださいよ局長」 つーかあんたの着物と袴はどこいったんです。 しょーがないなあ、とこぼした声がこたつを出て、甲斐甲斐しく世話を焼きに立ち上がる。 どこだっけなぁー、と通りの良い太い声がおおらかに笑う。 細っこくて骨張った男の足が真正面から伸びてきて、脛をどかっと蹴られた。 「総悟っっ」 があわてて沖田を叱る。指を繋いだ女の手が、はらはらしているような彼女の気配を伝えてくる。 心配すんな。何もぶち壊しゃあしねえよ。ここは騙されたふりで乗せられてやりゃあいいんだろう。 喉の奥から湧いてきた笑いが、ふっと唇から零れた。 「山崎ぃー、ビール足りねーぞ、ビール」 「なんだ総悟、呑み足りねえのか?よーし、じゃあ今夜は一緒にお妙さんとこに行くか!なぁ山崎」 「嫌ですよあんなぼったくりバー。局長の奢りでも遠慮します」 「俺ぁ酒奢ってくれるんならどこだって行きやすぜー」 聞き慣れた奴らの騒がしい声音は、耳に心地良い子守唄のように聞こえた。 何故だかやけに眠たいのだ。 どうしてこうも俺は気が緩んでいるのか。部屋に漂う、沸き立つ湯気のほのかな温かさのせいなのか。 一気に煽った酒のせいなのか。ぴったりと横に寄り添っている、の甘ったるい肌の香りが近いせいなのか。 いや。それとも。このお人好しどもの画策にはまって、うっかり毒気を抜かれたからなのか。 ――まあいい。 たまにはこうして乗せられてやるのも悪かねえ。 と、一瞬素直に認めそうになったのだが。次の瞬間には生来の負けん気の強さがめらっと湧いて 彼は意固地に瞑ったままの瞼を力ませ、心の内で一人ごちた。 いいや違う。こうもだらけた気分にさせられてんのは、こいつらの的外れな世話焼きの成果じゃねえ。 そう、こいつぁ所謂あれだ。 物知り顔のクソガキが言うところの、こたつの魔力ってぇことにしておくか。 こたつ恐るべし、侮りがたし。 いかにも深く寝入っているような素振りでの方へと寝返りを打つ。 身体を覆った温かさにうつらうつらと意識を溶かす寸前で、土方は可笑しそうに唱えたのだった。

「 其処には魔物が棲んでいる 」 text by riliri Caramelization 2011/02/04/ --------------------------------------------------------------------------------------------------- 10万打企画物。No.5で「みんなでわいわいほのぼのな話」のリクエストを元に書かせていただきました  匿名リク主さま 大変お待たせして本当にすみません ありがとうございました!