時刻は深夜零時過ぎ。 店先は扉やシャッターで閉ざされ、人影もなく物音もなく。 静まり返った路上がほんわりと届く月明りで照らされている、小さな街の商店街。 買い物客で人通りが絶えない昼間とは別の顔を見せている暗い道で、黒い隊服姿の男は足を止め、佇んでいた。 あまり人には言いたくない「所用」を終えて帰路につく途中の真選組副長、土方十四郎。 見廻りに出る、と断って屯所を抜け出した彼だったが、実はちょっと、 ・・・いや、その冷然とした見た目にこそ表れてはいないが、実はちょっとどころではない量の酒が入っていたりする。 目からはいつもの鋭さが抜けているし、隊服の襟元に巻かれたスカーフを緩める仕草も どことなく気だるげで覇気がない。 煙草を咥えたお疲れ気味の顔が見上げているのは、この商店街では古株な老舗鯛焼き屋の看板だ。 店名が横書きに深く彫られている煤けた看板を、眉間を寄せ、頭に浮かんだ別の何かにためらっているかのような、 複雑そうな目つきで眺めている。 先が赤く灯された短い煙草を指に挟み、白々とゆらめく煙を細く吐きながらしばし黙考。 それから、何か心が決まったのか、それとも何かに仕方なく諦めをつけたのか、歯痒そうな舌打ちで目を逸らす。 吸殻を足元に叩きつけ、ザッ、と八つ当たり気味に蹴散らして火を消し。宵闇に溶けてしまうような小声で独り言を漏らした。 「ったく。・・・・・ガラにもねえこたァ、思いつくもんじゃねえな」


無礼講にもほどがある  〜 * 片恋方程式。 11.5 *

『死屍累々』 ――平和に暮らす江戸市民であれば、一生に一度口に出す機会があるかどうか。 まあ勿論、なければないに越したことはないだろう。日常で使うには適してない、極めて物騒、 かつ非日常的な四文字である。そんな物騒で大仰な四文字で頭を一杯にした土方は、再びぴたりと立ち尽くしていた。 商店街で足を止めていたわずか十分後。 屯所へと帰り着き、玄関先に立った彼は、無言の出迎えを受けていた。 それは報告のために彼の帰りを待っていた山崎でもなければ、局長の近藤でもない。思い浮かべるだけでムカついてくる あのクソガキの姿でもなければ、帰り道を歩く最中に嫌というほど目に浮かんできた女の姿でもなかった。 見渡した廊下の先々に、ぽつりぽつりと物騒な小山が出来ているのだ。 どいつもこいつも気を失い、ぐったりと動かない隊士たちが折り重なって出来た山が。 「・・・・・・・・!?」 廊下の惨状を声もなく見据え、静かに息を呑む。 無意識のうちに刀に手を掛け、周囲の気配に注意を払いつつ玄関に上がり。 次々と沸いてくる疑問に表情を引き締めながら廊下を急いだ。 奥にある広間から聞こえてくるのは、弱りきった男の悲鳴と情けない泣き声、 そしてバタバタと走り回る集団のざわついた足音と、彼等を指揮しているらしい近藤の声だ。 その焦り気味な早口に意識を集中させながら足を速める。 何だこれは。どうなってんだ、このざまは。 俺が留守にしていた間にいったい何があったのか。 こいつらを一瞬にして薙ぎ倒し、なお余力を残していられるような、余程手強い賊に押し込まれたとでもいうのか。 いや、それとも――倒れた隊士たちの姿を横目に確かめ、否応もなく緊張感を高めながら広間の襖戸に辿り着く。 「近藤さん!!どうし――」 ぱんっっ、と戸を開け放つと同時に彼は叫んだ。しかし叫んだままで固まった。 襖の向こうから流れ出た異臭――強い酒臭さに驚き、そこに広がる予想外の光景に目を見張る。 広間の中央ではとある二人が酒を酌み交わしている。 そして、その周囲をぐるりと、近藤を始めとする隊士たちが取り巻いているのだが・・・どうも様子がおかしい。 誰も彼も見るからに切羽詰まった表情だし、しかも顔中に冷汗をダラダラと流しながら息を殺して構えているのはなぜなのか。 「あれっ。土方さんじゃねーですか、今頃お帰りですかィ。どこをほっつき歩いてやがったんでェ」 広間の中央に陣取る二人が、土方の声に気付いて目を向ける。 日本酒「鬼嫁」の空瓶を周囲にゴロゴロ転がし、頬を赤く染めた顔をにやつかせて彼を眺めたのは一番隊隊長、沖田総悟。 そしてその沖田と向き合い、ごくごくと、まるで水でも飲み干す勢いでコップ酒を煽っていた女がくるりと振り向く。 「!?・・・・・・なっっ。っ。・・・・・・おっ。お前、・・・何を・・・・・・・、」 そこにいたのは土方の直属部下、だ。 目の幅一杯に涙を溜めた彼女はちいさく首を傾げ、絶句して立ち尽くす彼をとろんとした表情で見つめた。 本来は淡い色をしている顔も首筋も真っ赤なら、横座りして着物の裾が捲れ上がっている素脚も真っ赤。 どこもかしこも茹で蛸のような赤さである。しかも彼女の下ではなぜか、十番隊隊長・原田が座布団代りの下敷きにされている。 畳と女の尻に挟まれてじたばたともがく巨漢の男のつるっとした頭には、なぜかボコボコと腫れ上がった青紫色のコブが。 「うううっ・・・・ち、畜生ううう!情けねえええ・・・!!」と、豪快に溢れる涙を拭いながらすすり泣いていた。 「やっと出てきやがったなあああ、ひいいぃ〜〜〜〜じ〜〜〜〜か〜〜〜〜〜たあぁぁぁ〜〜〜〜〜!!」 「はァ?」 咥え煙草もぽろっと落とし、土方が間の抜けた声で呻く。そんな彼を焦点の定まらない目で恨めしげに睨みつけ、 見るからに泥酔しているは着物の裾をがばっと割って膝を立てる。傍に置かれた稽古用の木刀をひしっと掴んだ。 万事屋の助手、新八が某所で披露した「酔剣」さながらの危なっかしい動きでゆらりと立ち上がると、 彼に向って一直線に走り出す・・・つもりだったらしいのだが、そこは酒に弱い彼女の仕業である。普段通りに走れるわけがない。 数歩駆けたとたんによろっとして畳目に蹴躓き、顔から一気に、ざざあ――っっ、と勢いよくスライディングして突っ伏した。 「今だっっっ、飛び込めえええ!!!総員でを確保ォォォ!!」 「はぁああァ!!?」 「うおおおォォォォ―――!!!」 唖然と叫んだ土方が止める間もなかった。緊迫感漂う局長の号令一下、怒涛のミッションが遂行される。 男たちは野性味溢れる雄叫びの大合唱を上げて突進、猛然と飛び込み、倒れっ放しのはたちまちに抑え込まれ、 その騒ぎを酒気に潤んだ目でぼうっと見届けた沖田は、突然、彼の身体を吊り上げていた糸がぷちっと切れたかのように 仰向けでばたりとひっくり返って昏倒。一方、その傍で女に押し潰されていた「人間椅子」原田はというと ――あまりの情けなさに起き上がる気力も湧かなかったらしい。バシバシと拳で畳を打ちながら号泣し続けていたのであった。 「いや〜〜。おっかしいなァ。何でこんなことになっちまったんだか・・・」 へらっと情けなさそうに笑いながら、監察山崎は飲みかけの缶ビールを口に運んだ。 酒の肴用に配られたポテチを足元の紙袋から取り出し、パリポリと頬張り始める。 ここはついさっきまで、酔っ払い女捕獲の緊迫感に包まれていた件の広間である。 それぞれが酒を手にして顔を揃えた奴らをよく見れば、誰もがどこかしらに青あざを作っていたりはするのだが、 賑やかしくも和やかな宴会が始まり、場の雰囲気はすっかり一変していた。 さっきまでの切羽詰まった緊迫感はどこへやら、どの顔もくつろいで楽しげな表情だ。 倒れたが隊士総出で捕獲された、その直後。 我に返った土方は当然のごとく怒鳴りかけ、を庇って割り込もうとした。 無理はない。外廻りから戻ったばかりの彼にしてみれば、それは無抵抗のに野郎どもがこぞって群がり、 よってたかって抑え込もうとしている、・・・という、まったく許し難い状況にしか見えなかったのだ。 だが「やっっべえええ!」と全員が鬼の副長の怒号を覚悟してびくっと肩を竦めたところを制し、 すかさず仕切り直しの声を上げた男がいた。近藤である。 「よーし、集まりついでに皆で飲むか!今日は無礼講で行くぞ、無礼講で!なっ、トシ!」などと 鷹揚に笑って肩を叩かれてしまえば、この男の笑顔に滅法弱い土方に否があるはずもなく。 不承不承に怒号を収めた彼をも巻き込み、久々の大宴会は奇妙なきっかけで始められ、早くも盛り上がりを見せている。 そして今。広い宴会場を出てすぐの廊下――廊下と広間を仕切る襖戸の前に並んで、山崎と土方は酒を手に語り合っていた。 いや、実質上は、この大騒ぎに至った過程を、山崎が土方に詳しく説明しているところだ。 「・・・おっかしいなあ。俺の立てた計画じゃ、今夜、さんは部屋で大人しく寝てるはずだったのになァ。 それが仕事終わりに酒屋に直行して、店の発泡酒とチューハイ全部買い占めるなんて・・・一体何があったんだか」 「もういい。山崎」 「はい?」 「そこはいい。んなこたぁ、を見りゃあ大方当たりがつく。俺が訊きてえのはそこじゃねえ」 「はあ。じゃあ、どのへんを詳しく説明しましょーか」 廊下で胡坐を組んだ土方は、手にした缶ビールを、コン、と床に置く。 上着を脱いで襟元の窮屈なスカーフも外し、口端からは煙草の煙を細く昇らせている。 眉を顰めて眠たげな表情ではあるものの、多少はくつろいだ気分でいるようだ。 背もたれにしている襖戸は少しだけ開いていて、そこから届くざわめきへと呆れ返った目を向けた。 「原田の泣き言じゃねえが、・・・ったく、情けねえにも程があらァ。 うちの奴等はどいつもこいつも、学習能力ってもんがありゃしねえな」 「はァ。学習能力・・・ですか?」 「男どもがこれだけ雁首揃えてたってえのにこのざまじゃねーか。何で一人も、こいつが飲み出す前に止めねーんだ? これの酒癖の酷さは俺ら全員、嫌ってえくれー学習済みだろォが。ァんで酒持った時点で止めに入らねーんだァコラ!?」 「俺に怒らんでくださいよー。俺だって留守にしてたんですから。つーかァ、 さんが自分から言い出したらしいんですよ。みんなで一緒に呑んでくれ、って」 言いながら紙袋からポテチの袋を取り出し、山崎は土方へと差し出した。 勧められた土方はいかにも不愉快そうな、ムカつきを噛み締めているような顔で手に取り、バリボリとそれを噛み砕く。 その表情を横から眺めてくすりと笑い、山崎も袋に手を突っ込んだ。 「今夜は部屋に一人でいたくない、さみしいから一緒に呑んでくださいってね。女の子にうるうるした目で誘われたら、 あいつらの誰がどう断るっていうんですか。鼻血噴いて喜びこそすれ、拒む奴なんてうちには一人もいやしませんよ」 そう、最初のうちは確かにそうだった。屯所のアイドルの誘いに浮かれた男たちは、よせばいいのに 競い合うかのようにに酒を勧めまくり。勧められるままに飲みまくったは、最初のうちこそ沈んだ表情で 黙々と飲んでいたのだが、ある時ふと、ぷちっと理性の箍をぶち壊して豹変した。たまたま傍らにあった木刀を引っ掴んで 「オルアァァァ!!出て来いや土方ああァ!!!」と叫びながら部屋を飛び出したのである。 そこから先の彼女は、まさに屯所に降臨した鬼神さながらだった。 どうやらこの酔っ払いは土方のみをターゲットにしていたらしいのだが、誰が誰と判別がつかないほどに酔っていたために 屯所中を練り歩き、のべつ幕無しの無差別攻撃、酔っ払いとは思えない俊敏さで目についた奴を片っ端から木刀で仕留めて回り。 結果、屯所の廊下には理不尽にも倒された隊士たちの小山がぽつぽつと築かれ、緊急事態勃発に近藤が自ら指揮を執る始末だ。 山崎の話を聞いているうちに、土方は自然と狭まった眉間を抑えていた。 頭痛がするのは俺の気のせいか。いや、いっそ頭を抱えたい。 どれだけ屈強な強者を揃えてみたところで、たった一人の女、・・・しかも酔っ払いに敵わないとは。 「それにしてもさん・・・あんなに大暴れするなんて。一体何があったのかなァ。 沖田さんと俺が黒鉄組から戻った時にはもうべろべろに酔ってて、酒瓶抱えて広間に籠城してましたからね。 止めようとして近寄った奴は全員副長と勘違いされて、木刀で張り飛ばされて、全員が一発でダウンですよ」 「・・・奴らがダメでもあいつがいんだろ。総悟の奴なら充分渡り合えんだろーが」 「いや〜、ことさんに関しちゃあ、屯所一の使い手の腕もさっぱりあてになりませんよ。 あの人は「姫ィさんに傷つけやがった奴ァ俺が殺す」って宣言して、自ら酒瓶持って説得に入りましたからねー」 広間に籠城したの元へ、酒瓶を抱えた沖田が一人で向かった時には、 全員がこれで一体どうなることかとはらはらしながら見守っていた。人をいたぶることにかけては類稀なる天賦の才を 発揮する沖田だが、人を宥めたり説得する役なんて、今までに一度としてまともに取り組んだためしがなかったからだ。 だが、沖田は意外なまでにを上手く扱った。暴走する酔っ払いに近付いて声を掛け、自分は沖田だと認識させ、 木刀を手から離して彼と飲み比べをするまでに懐柔してみせた。土方が帰ってくるまでの場繋ぎの役目を、 意外なまでにきちんと果たしてみせたのである。いつもは屯所を壊滅させかねない騒ぎを起こしてばかりいる爆弾のような男だが、 今回ばかりは屯所壊滅を救った功労者と呼ぶべきだろう。 そして今、沖田のおかげで屯所はなんとか平和を取り戻し、誰もが楽しげな様子で酒に興じている。 酔ったに運悪く捕まり椅子にされ、脱走を試みるもその度に木刀でボコ殴りにされ、彼女の下で号泣していた原田も 今ではすっかり立ち直り、他の隊士たちと酒を酌み交わしながら談笑している。そして近藤はというと、 彼は誰よりもいち早く、この無礼講宴会のおおらかで開放的な盛り上がりぶりを、その身を以て体現していた。 …開始5分にして隊服を脱ぎ捨てトランクスも放り出し、いわゆる「生まれたままの姿」に戻ったのである。 ところで。暴れるを宥めるために一人彼女に立ち向かい、酔っ払いに迫られた飲み比べ対決を受けて立ち、 身に合わない過剰な飲酒量で潰れた沖田がどうしているかといえば。彼は相変わらず昏倒したままだ。 あろうことか素っ裸局長近藤の胡坐をかいた股間に頭を乗せられ、世界一寝心地の悪そうな膝枕を強要されていた。 端正に整った少女のようなその寝顔を引きつらせ、時折ひどく苦しげに唸っている。 「うぅっ、・・・・やめてくだせェ近藤さああんん、・・・さっ、佐介がァァ・・・・・ボッスンがああァァ〜〜〜!」 ・・・どうやら悪夢に脅かされているようだ。 いったいどんな夢なのかが気になるところだが、その明らかな内容については表現が非常に困難なため割愛させていただきたい。 「・・・ところで副長。ひとつ言わせてもらっていいですか」 「ああ?」 「んなこと聞く前に俺に聞いてくださいよォォォ。お前何でこんなことになってんだ、って」 山崎はぐすっ、と悲しげに涙を啜り上げ、拗ねた顔でちびちびとビールを呑んでいる。 訴えられた土方はちらりと彼を流し見て、ああ、と今やっと異変に気付いたような表情になった。 鋭いその目に意外そうな色を浮かべて彼を見つめ。しかし、すぐに何事もなかったかのような涼しい顔でビールを飲んだ。 「いや。別に興味ねーし」 「おいィィィィィ!!!!」 そう、特に怪我こそしてはいないのだが、山崎にも酔っ払いの魔の手は襲いかかっていたのである。 襲いかかった木刀をひょいと器用に避けた沖田とは対照的に、唖然として逃げ遅れた彼は即座にの餌食とされた。 彼女の奮った木刀に一閃され、頭から襖戸にダイヴした山崎は見事に襖戸に大穴を空けて突き刺さり。 上半身は廊下に突き出し、下半身は広間に置き去りのまま、・・・という、実に不自然、かつ情けない体勢でこの宴会に臨んでいる。 いや、もちろん彼も、襖に刺さって動けなくなった時にはさすがに「助けてええぇえぇ」と憐れみを誘う声で泣きじゃくり、 じたばたと手足を暴れさせてもがいていたのだ。しかし、その悲痛な叫びは誰からも何のリアクションもなく黙殺された。 ただでさえ存在感が希薄で忘れられがちな彼である。普段とは明らかに違うというのに、その姿はなぜか同僚たちの脳裏に 1ミリたりとも疑問をもたらすことがなく。「普段通りの山崎」として、襖戸ごとそっくりそのまま認識されたのだった。 いや凄い。地味もここまで来ると特技に等しい。 生来の地味さが生みだした奇跡の大技、いっそ地味イリュージョンと呼べなくもない気もするが …兎にも角にも、相も変わらず、目立たず地味な不幸が根っからお似合いな彼だった。 「ところで山崎」 「はい?何すか」 「んだよ計画ってよ。さっきお前、こいつと計画がどうとか言っただろ。何をどうやってたぶらかしやがった」 「こいつって?誰の話ですか」 「あァ!?・・・・・・・っ。い。いやだから、これったらこれだ。これしかいねーだろ。ここでくたばってる馬鹿だろォが」 「あァ」と、向けられた方がなんとなく腹を立てそーな生温い笑みを浮かべ、山崎は土方の隣にいる女に目を向ける。 は土方の肩にこてんと頭を乗せ、シャツの腕にくったりと寄りかかって眠っている。自分が身体を預けているのが 誰なのかに気付くこともなく、気持ちよく熟睡しているようだ。 一方、そんな彼女に身体を預けられた男は、顔にこそ出さないが頭の中は困惑で一杯だった。 隊服の上着を彼女の肩に掛けてやったために、の温かさや柔らかさがほぼ直に伝わってくるのがやりきれない。 こうしているだけでももどかしさが湧き上がってくる。思い出さなくていいやましさまで思い出してしまいそうだ。 そんな彼の様子を逐一観察して面白がっている、ムカつく笑いを浮かべた監察も横にいる。いや、正直こいつが邪魔だ。 今すぐ殴って眠らせてしまいたい。が、それも出来ない。今立ち上がればが起きてしまうかもしれない。 立ち上がる気にはなれなかった。複雑な彼の心境が、それはそれで嫌だと拒むのだ。 野次馬の目は気になる。だが、出来ればもうしばらくこのままでいたい。せめてこいつが目を覚ますまででいい。 土方は苦笑いで右肩を見下ろす。置かれた女の温かな頭は、すう…、すう…、と静かな呼吸を繰り返している。 立ち上がって部屋に戻ろうとも思う。なのに、腕に伝わってくるかすかな吐息の心地良さに惹き込まれて、 ふんわりと柔らかな温もりに惹き込まれて。どうにもここから動く気がしなかった。 昼間は自分から距離を置き、意識的に遠ざけるようにしているが。決して、したくてそうしている訳ではない。 せめて今くらいは。が眠っている間くらいは傍にいたい。 身勝手なもんだ。こいつの前では突き放した体ばかり繕っているくせに。 「・・・・・・・」 パリポリとポテチを噛み鳴らしながら、山崎はそんな土方を興味深そうに眺めていた。 土方は彼女がもたれている右肩をなんとなく気にしながら、たまにぎこちなくゴソゴソと身じろぎしている。 その様子や、咥えた煙草や缶ビールをやたらと持ったり手放したりする仕草は、らしくないほど落ち着きがない。 見慣れないその姿が山崎の目には可笑しかった。 笑いながら紙袋に手を伸ばし、ガサゴソと中を探り出す。どうやら他にもつまみが入っているらしい。 「・・・そーですねぇ。まあ、さんと計画っていうか、俺が入れ知恵吹き込んだっていうかァ・・・」 「んん・・・・・、」 ゆら、との頭が揺れる。長い髪がさらさらと、土方の肩を滑り落ちていった。 廊下に投げ出されたままだったすらりとした脚が膝を曲げ、腕が動き、ふぁあああ、と口を抑えながら小さく欠伸をする。 げっ、と気づいた男二人がぎくっとして身体を固まらせる。いや、これはまさか。再びの、酔っ払い鬼神さまの御降臨か。 しかしが暴れ出すことはなかった。自分がもたれていた男の肩に気付き、その顔を寝惚け眼で見上げ。 とろーんとした眼差しでしばらく見つめてから、ぱああぁっ、と表情を輝かせた。 「あァ〜〜!ひじかたさんらあァ〜〜、おかえりらさぁああいぃ!」 「っっっ!!」 そう言って、子供のような無邪気さで身体ごと彼の胸に飛び込む。 何のためらいもなく、心から嬉しそうに顔をほころばせて。 突然がばっと胸に抱きつかれてしまい、土方は心臓を射抜かれた思いがした。唖然と彼女を見下ろし、言葉もない。 「・・・あたしぃ。ずっとぉ。待ってたんれすよぉ。ひじかたさんにぃ。聞こーとぉ。おもってぇ。 なんれすかぁ。なんれ避けるんれすかあぁ?こんなのぉ、いやれすようぅ。さみしいらないれすかぁあぁあ」 がじいっと見つめてくる。ひどく悲しげに目を潤ませて、頼りなげな上目遣いで。 焦った土方はうろうろと視線を泳がせ、やり場のない両腕をフラフラと宙に彷徨わせる。 やばい。今のはやばかった。まだ心臓がバクバクと鳴っている。 もしも隣からの視線が無かったら理性もすっ飛ばして抱きしめたくなるような、やばい、と焦ってしまうほどの可愛さだ。 ところが最初は可愛らしくひしっと縋り、悲しげな声で訴えていた女の気配が、なぜか少しずつ様相を変えていく。 土方は怪訝そうに片眉を吊り上げた。いや、具体的に何が違うかといえば、の口から洩れてくる声がさっきとは違うのだ。 「・・・ふ。ふふ〜〜。へへ。えへ。えへへへぇえ〜〜〜…」と、いつのまにか不気味な忍び笑いにすり変わっているのである。 すると彼の反応など待たずに、は早くも次の行動に出る。突如として両手で彼の肩に組みつき、 あ?と目を点にした土方ににっこりと笑いながらおもむろに首に手を掛け、ぐぐうーーーっっっ、と一気に全力で振り絞った、 まるで鶏の首でも捻って殺す勢いである。言うまでもなく土方は叫んだ。というか、悶絶して絶叫させられた。 「ぐ!!!ぅごおおおおぉぉぉぉっっっ」 「や〜〜〜〜らぁああ、なんれすかぁああもぉお、なんれすかぁああああのひとぉおお。ぁのおしとやかそ〜〜なぁああ・・・ えへへへへ〜〜。やーらぁあァ!男のひとってぇ、みぃ〜〜んなあーいう清楚なびじんにぃ、よわぁああいいんれすよれぇええ!!」 「ばっっ、や、てめっっ、殺す気かあァァァ!!!っておいっっっ、ぐおっっ、っってっっめっコルァアア離せっっ」 「やーれすよぉうぅぅ。い〜〜じゃないれすかぁあひじかたのケチ。ドケチいぃ。いっぺんくらい死んれみせてくらさいよううぅぅ」 「みせられるかあああァ!!!!!」 「ね、ねえっ、さんっ!!」 と、そこへ青ざめた山崎が割って入る。 いくら頑丈な土方とはいえ、首は人体の急所である。まさしくこれは上司の生命の危機。 最初こそ「うわあ、いいなぁああァ」と指をくわえて羨ましがっていたが、あわてて足元の紙袋を引っ掴み、に示す。 「ほらっ、こっち見て見て!今から面白い手品見せてあげるからさっっ」 「や〜〜らァ、山崎く〜〜ん、それも手品ぁあ?すご〜〜いぃ!何れえぇ。何れ山崎くん、襖から生えてるのぉぉ?」 「そうそう、面白いでしょ?こっちもすごいからねー、よ〜く見ててよ、・・・はいっ!!」 ばさばさばさっっっ。 勢いよく上下反対にひっくり返された紙袋から、おつまみやらスナック菓子やらがバラバラとこぼれ落ちる。 対処に詰まった山崎が、紙袋を土方の頭からズボッと被せたのである。突然紙袋で顔を覆われ、無言で殺気を発している男を 手品を披露したマジシャンよろしく両腕を広げて指し示し、山崎は強張り気味な笑顔をピクピクと引きつらせる。 これぞ捨て身の地味イリュージョン。たとえ土方にどつかれようがタコ殴りにされようが、後は野となれ山となれ、だ。 「じゃじゃーん!!ほ――らっ、副長が別の奴と入れ替わったでしょ!?彼は新入り隊士の紙袋さんだよっっっ」 「…おい。ネーミング最悪じゃねーかそれ。んだよ紙袋さんてよ。つか怪しすぎんだろこんな奴!」 「新入り隊士 紙袋さん」こと土方は腕を振り上げ山崎を殴ろうとする。が、スカッ、と思いきり空振った。 袋に覆われたおかげで辺りがさっぱり見えないのだ。頭にきてすぐに外そうとしたのだが、 その手は他者の手によって遮られた。 「いーんですよォ紙袋さんで。さんまだ酔ってるし、今ならあんたの怪しさにも気づきませんよ! それにこの名前のどこが最悪なんですかァ。いーじゃないですか紙袋さんで、なんか沖縄に行ったら沢山いそうな苗字だし」 「いやそれ島袋さんだろ」 「いーじゃないですかんなことはどっちでもォ!俺だって恥ずかしいんですよォ、細かいことはこのさい見逃してくださいよォ! つーか誰のためにやってると思ってんですかっ、誰の!!あんたのためだろーがァァ!!!」 「ぁあ!?あんだコラ逆ギレかコルァ!誰もてめーに助けてくれたァ言ってねー!つか、もっとマシな助け方があんだろがああ!!」 視界不全だというのに腕を振り回して暴れ出す土方と、彼と揉み合いになって頬を掴まれ、半泣きで逆ギレする山崎。 二人をとろーんとした目で眺めていた酔っ払いはなぜか急にはっとして土方から離れ、まじまじと彼を見つめる。 「ええー!!そーなんれすかぁ、新人さんなんれすかあぁ、知らなかったぁああ!」 と、ぱぱっと正座し床に手をつき、不審な紙袋男に向かって律儀にも深々とお辞儀してみせる。 「紙袋さんはじめましてえぇ、れすううぅ。犬の餌マニアなニコ中副長の直属隊士れすうぅぅぅ、どーぞよろしくうぅ」 「おい待て。おめーも少しくれーは疑いってもんを持て!!つーか誰が犬の餌マニアだあァ!?」 「ほら挨拶して!挨拶ですよ紙袋さんっっ、先輩に挨拶!!」 ここぞとばかりに嘲笑気味な山崎に「ほらほら」と促され、ぐっ、と土方は息を呑む。 あ、そーだ、と気づいた山崎が紙袋に手を伸ばし、指で二つの小さな穴を開けた。それはちょうど土方の目の部分で、 明るく拓けた視界の中に深々とお辞儀している女の姿が映る。は一向に頭を上げる気配がない。 「てっめええ・・・覚えてろよ」 横目にぎろりと山崎を睨みつける。だがやむをえまい。ここで袋を外せば俺はまた悶絶する破目になる。 メラメラと燃え上がる腹立ちを噛み殺しながらも、妙なところで律儀な彼はしっかりと正座し直して手をつき、挨拶を返す。 渋々ではあったが重い口を開いた。 「・・・どーも。始めまして。・・・か。紙袋、です」 それを聞いた山崎がプ―――ッッ、と盛大に吹き出す。 バシバシと襖を殴り倒し、ぶくくくくくくっっっ、と頬を膨らませて泣きながらむせび笑っている。 顔を上げたは二人を不思議そうに眺め、それからきょろきょろと、あたりをさかんに見回した。 「山崎くーん。ねえぇ。土方さんはぁ・・・?」 「えっっ!?っや、ふ、副長はァ、どどど、・・・どこ行ったのかなああ!ははは、ははっ」 するとは眉を八の字に下げ、大きな瞳を曇らせる。 悲しげにうつむき、しょんぼりと肩を落とした。 「何らぁ・・・・もう行っちゃったんらあぁ・・・・」

「 無礼講にもほどがある (前編) 」 text by riliri Caramelization 2010/05/05/ -----------------------------------------------------------------------------------            next