誰 が た め には 舞 う

12日24日、クリスマスイブ。 その夜、華やぐ江戸の街は光で溢れ返っていた。 冬の街を覆った寒々しい暗闇を、ひとときの夢を浮かび上がらせる光の氾濫が照らし出している。 街中に飾られたツリーに輝くオーナメントも。ショーウインドウを彩る、色鮮やかに瞬く星のような光も。 ひんやりと凍てついた大気の粒を溶かして潤ませるような、暖かく和らいだ外灯の光も。 このにぎやかな街の大通りも、どこまでも続く光の洪水が埋め尽くしている。 街を彩る光の目映さが、通りを行く人々の心に魔法をかけているのだろうか。 どの人の顔にもかすかな笑みが浮かび、今夜限りの特別な夜景を眺めながら歩く姿も、どことなく満ち足りて見えた。 そんな夜景のとある一角。 金銀に光る星のオーナメントや、真紅のリボンで飾り付けたケーキ屋のショーウインドウ前に座りながらも、 クリスマス気分に酔えずにいるのがこの男。 真選組副長、土方十四郎。 おそらくこの通りにいる人々の中で、彼ほどクリスマス気分の恩恵に浸りづらい男もいないだろう。 まばゆいオーナメントの発光も、きらめくショーウインドウの装飾も。皮肉気味な彼の眼を通せば、 それは単に電気代の無駄な浪費にしか見えず。街全体を包むにぎやかさも浮足立った雰囲気も、 彼の日常には何ら有難い恩恵やらお楽しみやらの華を添えることがなかった。 この「冬場最大の祭り騒ぎ」が、彼の日常にどんな影響をもたらすかといえば、スリや引ったくりなどの軽犯罪が 管轄地域で急増したり、幕府の行う祭礼や年末行事の警備に駆り出される機会が増えたりで、ここ一週間は ちょっと一服する暇にも事欠く始末だ。まったく、有難くもなんともない。 特別警察のNo.2という立場にある彼の忙しさは、いつもこんなふうに祭りの賑わい度上昇に比例して拍車がかかる。 江戸の市民が呑気に浮かれはしゃいでいる時ほど、彼ら真選組の仕事は増えるように出来ているのだ。 人が遊んでいる時ほど遊べない。いや、遊ぶどころの騒ぎではない。そういった面でもなかなか因果な商売といえたが、 彼がそれを苦に思ったことは無かった。子供騙しの空騒ぎには、今まで興味を持ったことがないからだ。 クリスマスに限ったことではない。祭りとは、すべて遠目に眺めるだけのもの。彼とは縁が浅いもののはずだった。 祭りと名のつくものすべてに浮かれてはしゃぎたがる、流されやすくて単純な女を拾うまでは。 今夜の彼は早々に仕事を切り上げ、ケーキ屋のショーウインドウ前に立つ売り子の背中を浮かない顔で眺めている。 指先で膝をトントンと弾きながら、咥え煙草の口許をだるそうに開いた。 「おい。。わかってんのか。いや、わかっちゃいねえな。ぜってーわかってねえだろ」 「はいっ、ブッシュドノエルをおひとつですね、ありがとうございます!お会計が3500円になります」 煙草の煙と一緒に不服を漏らした、彼のボヤきを全面的に無視。 目の前のお客に満面の笑みでケーキの箱を差し出したのが、元真選組隊士の。 時間厳守に人一倍煩い真選組鬼の副長を、かれこれ三十分以上は待ちぼうけの目に遭わせ、背後に放置している女だ。 クリスマスイブまでの三日間、ケーキ屋の店頭で売り子のバイトをしているの制服は ブーツと同色の赤に白いファーで縁取られた、サンタクロース風のミニスカワンピ。 笑顔で仕事に精を出す本人は気付いていなかったが、道行く人々の目線は、どちらかといえばケーキよりも その脚線美と淡い色をした素肌に集中していた。集客のための広告塔としては効果覿面、客の目を惹くいいアピールだ。 だが、土方にしてみればその効果的なアピールぶりこそが面白くない。 周囲の目線にたまりかねて、パン、と自分の膝を手で打ち鳴らす。身を乗り出して抗議した。 「お前な。俺がこの半月、どんだけあくせくと働き詰めで仕事したと思ってんだ?」 「どうもありがとうございました―――!!良いクリスマスを――!」 いつになく嬉しそうに顔をほころばせ、は愛想たっぷりに手を振って客を見送る。 度重なる無視にいっそう表情を強張らせた土方の文句など、さっぱり聞いちゃいなかった。 悪気こそないのだが、元々が注意力散漫な性格というか、何度痛い目に遭っても懲りることを知らない女というか。 目の前のことに夢中になったら最後、他のことが目に入らなくなる猪突猛進癖も、今年も結局治ることはなく。 それが元で土方とのケンカに明け暮れる日々も相変わらずのままに、この年末を迎えているのだった。 「それもこれも全部、お前がどうしてもイブの晩に飯食いに行きてえってしつこくゴネたからだろうが。 おい。聞いてんのか。わかってんのか、こ・・・」 ふいに黙った彼の口から、っっくしっ、と、大きなくしゃみが飛び出した。 それに気づいてくるっと振り返り、目を丸くしたが指を差す。 「あーっ。ちょっとォ。今ので三度目のくしゃみじゃないですかぁ。やっぱり寒いんじゃない!」 ホールケーキの箱が積まれた長いテーブルの前を離れ、赤いロングブーツを履いた売り子が突進してくる。 一歩踏み出すごとにスカートの裾がふわりと翻り、赤い帽子に付けられた白いファーのボンボンが揺れる。 は彼の隊服の襟元を掴んでぱっと開け、裏ポケットに使い捨てカイロを押し込もうとした。 「だからー。さっきから言ってるじゃん、このカイロ貸してあげるって! ほらぁ、意地張らないで使って下さいよォ。これ一つ入れてるだけで結構あったかいんだから」 「うっせえな。だからこっちはさっきからいらねえって言ってんだろ。今のぁただのくしゃみだ、別に寒かねえ」 「ダメ!もし土方さんに風邪ひかせちゃったら、あたしが近藤さんに会わせる顔がないもん」 暖かい感触を女の手ごと掴んで、彼はそっけなく押し返した。 まったくこいつは。自分のこたぁ棚に上げて、余計な世話ばかり焼きやがる。 んなもん、何を言われようが受け取るか。こっちは要らねえったら要らねえんだ。 もしもこれが原因で、こいつが風邪でもひいてみろ。俺が風邪をひかせたようで気分が悪りい。 がっちりと腕を組み、を無視するかのように顔を逸らし。土方は拒否の意を態度で示す。 ところがはそんな彼の気も知らず、寒さでほんのり染まった頬をぷーっと大きく膨れさせていた。 右手に使い捨てカイロ、左手にはバッグから出した自分のマフラーをブンブンと振りながら迫ってくる。 「ほらぁ、入れて入れて。これも巻いて!」 「勝手に入れんな、しつけえぞコラ。つーか、どうしても俺に風邪ひかせたかねえんならなぁ、 今すぐお前がその浮かれたナリを着換えて来りゃあいいじゃねえか。雪が降り出す前に飯食って帰るぞ」 「無理ぃ!仕方ないじゃん、この時間に入る子が急に休んじゃったんだからぁ。 いくら短期のバイトでも、これだってれっきとしたお仕事なの。無責任に放り出したり出来ないよ」 「なら、今すぐそいつを売り捌け。残ってんのはたった三個じゃねえか。パッと売り切れ、五分で終わらせろ」 ケーキの残りはあと三箱。 夕方頃まではスローペースながらもボツボツと、地道な売上を重ねていたのだが。イブ当夜のこの時間になれば 立ち止まる客も減ってくる。しかも売り子の背後には、何の罪もない通行人にすら拳骨をお見舞いしてしまいそうな 物騒なオーラを放つ男が居座っているのだ。実は、さっきのブッシュドノエル一箱が一時間ぶりの売上だった。 「・・・・・ったくよォ。っとにお前、わかってんのか?いや、わかってねえな。わかってねーだろ。だいたいてめえは」 「土方さんこそわかってるんですか」 「ああ?」 「だからぁ。今日が何の日なのか知ってるんですか。クリスマスイブがどんなに素敵な日か、ほんとにわかってるんですか」 「んなもん決まってんじゃねえか。菓子屋がひと儲け企む日だろ」 「違うよォ。どこのお店がひと儲けとか、そういう夢のない話じゃなくてぇ」 ああ、と土方は上を見上げた。見上げた先にあった何かを顎で指す。 「菓子屋が違うなら、あの手の店か」 指しているのは、向いのビルの屋上に掲げられた大きな看板だ。つられてもそこを見上げた。 するとそこには、「ご休憩二時間◎千円 一泊☆千円」と書かれた、せわしなく瞬き続けるピンクの電飾付きの看板が。 派手な電飾のウインクを醒めた目で見据えながら、土方がしれっと口を開く。 「あの手の宿が一つ残らず満室になる日だろ」 「そーいうことでもないのっっっっ」 顔を赤くしたは口を尖らせ、「ほんとにもう。夢ってものがないんだから、土方さんはっっ」と、 憤慨して彼の頭にグリグリとカイロを押しつけるのだが、相手にしない土方にカイロを奪われ、 逆にスカートのポケットに捻じ戻される。それならこれだけでも、と無理やりに巻こうとしたマフラーはもぎ取られ、 「いつまで遊んでんだ、さっさと売って来い」と冷たく足蹴にされ、追い払われる。しかし懲りることを知らない彼女は、 それでも悔しそうに負け惜しみを漏らした。 「あーあ。かわいそうな、つまんない人生ですよねえ。 クリスマスイブが存在する、素敵な理由を知らないなんて。人生半分損してるようなもんですよっ」 「おい。今何つったコラ。てめえが偉そうに人の人生を断言すんじゃねえ。つか、てめえに人生語られたかねーんだよ」 「えーっ。なんだぁ、ほんとは知りたいんじゃないですかぁ。もう、仕方ないなあ。じゃあ教えてあげますね」 祈るように胸の前でぎゅっと手を組み、うっとりした眼差しで冷えきった江戸の夜空を見上げる。 はしみじみと語り出した。・・・別に聞かれてもいないのに。 「小さい頃にね、近所にあった教会の神父さまに教えてもらったんですけどね。クリスマスイブの晩は 世界中の誰にでも、どんなに人でも、神様がささやかな贈り物を届けてくれる日なんですって。 みんながいつもよりもちょっとだけ幸せになれる、一年の中でも特別な、素敵な日なんだよ、って」 寒さに澄んだ冬空を仰ぐ大きな瞳は、キラキラと輝いている。 多分、クリスマスの思い出に夢を馳せている彼女の目には、見えてすらいないのだろう。 目の前のビルを見上げて黙り込んでいる男の、憮然とした顔も。自分の背後で放置されたままの、売り物のケーキの箱も。 「あたしね、ずっと憧れてたんです。一度やってみたかったんですよこのバイト。 だって、あたしが売ったケーキを持ち帰った人達は、みんな今頃、誰かとこのケーキを囲んで幸せな時間を過ごしてるんですよ。 素敵ですよねぇ。考えるとわくわくしませんか?恋人とか家族とか、友達とか仲間とか。大切な人と楽しい時間を過ごす にぎやかな場所の中心に、あたしが売ったこのケーキがあるなんて!」 「いや、全員ってこたァねーだろ。一人侘びしく貪り食ってる奴もいんだろ」 ボソッと漏らした土方の指摘も、の耳には届かない。 いったい何の想像に浸っているのか、相変わらずうっとりと空を見つめたままだ。 そんな彼女を横目に眺め、目を伏せた土方が眉間を抑える。悩ましげな顔で煙を吐いた。 あまりに毎度のことすぎて、今さら目くじら立てて怒る気にもなれないのだが。こういう時の、こいつの神業じみた 切り替えの素早さにはついていけない。あっという間に頭の中が満開の生温いお花畑、つまりは妄想ゾーンに突入しやがった。 「想像したくなりませんか。あたしが手渡したこのケーキを、どんな人達のどんな笑顔が囲むのかなあって。 このケーキを買ってくれたお客さん全員が、今夜素敵なイブを過ごせてたらいいなあって思うじゃないですか。 まるで今日一日だけは自分が天使になって、神様が色んな人に幸せを運ぶお手伝いをしてるみたいでしょ? ささやかな幸せを配ってるみたいで、あたしまで幸せな気分になるじゃないですかぁ」 「配ってねーだろ。売ってんじゃねーか。浮き足立ってる奴等から3500円ずつ巻き上げてるだけじゃねーか」 馬鹿馬鹿しい、何が幸せを運ぶ手伝いだ。浮かれ騒ぎに操られるのも大概にしろ。 どうしてこいつは気付かねえのか。日頃のお前に何の縁も所縁もねえ、見も知らねえ奴等に「幸せ」とやらを配るくれーなら 日頃からお前の馬鹿さ加減に振り回され、さんざん手こずらされている俺に配れ。真っ先に寄越せ。 他の奴等に笑顔振り撒いて癒すくれえなら、まず俺を癒せ、真っ先に。 ――――と、あまり恰好のつかない本音をぶちまけそうにもなったのだが。 口端で咥えた煙草を歯痒そうに噛み潰しながら、かろうじて彼は黙ってこらえた。 そう、はわかっていない。彼の苦労を知らないのだ。 イブの晩に自由な時間を得るために、土方がこの半月の間、いかに働き詰めてきたのかを。 今日は今日で、ちょっと目を離せばいなくなる近藤を宥めに宥めて屯所に籠らせ。ちょっと目を離せば 彼との間を邪魔しようと余念のない沖田には、上官特権をここぞとばかりに行使、お忍びで夜遊びに出掛ける 上様の警護班へと放り込み。万全を期して万難を排し、貴重な時間を捻り出して、なんとかここに駆けつけたのだ。 それもこれもすべて、惚れた女の嬉しがる顔が見たいがため。珍しい彼女のおねだりを、叶えてやりたい気になったからだ。 ところが、着いてみれば当のはまだバイト中。 彼との約束など二の次で、上機嫌の笑顔を浮かべてケーキの売り子に励んでいる。 しかも、折角彼が来てやったというのに、バイト時間を延長して働くとまで言い出したのだ。 3500円の幸せか。 と、ふてくされた半目顔で、八つ当たり半分にケーキの箱を睨みつける。 「フン。・・・・・・・・・・何が幸せだ」 つくづく見通しの甘い、考えの足りねえ奴だ。 色々考えは巡らせているようで、いつも肝心なもんが頭の中から抜けている。 天使気分とやらに浸っているお前は、それで満足かもしれないが。俺はどうなる。 この寒空の下、したくもない我慢に腹の中を煮えくり返らせて。それでもお前を待っている、俺の幸せはどうなるのか。 女ってえのはどいつもこいつも。皆同じだ。ちょっと甘やかしてやっただけで、どこまでも調子づきやがる。 冗談じゃねえ。やってられるか。こっちだって暇じゃねえんだ。 あと十分待っても終わらねえなら屯所に戻る。こいつが泣こうが縋ろうが、振り払ってでも置き去りにしてやる。 もう知るか。売れ残りの菓子でも齧って一晩中泣いてりゃあいいんだ。 モヤモヤと湧き上がるムカつきを胸の内で噛みしめている土方は、眉間も険しく黙りこくったまま動かない。 すると頭上で、ふふっ、と軽い笑い声がした。 顔を上げると、口許を手で覆ってクスクスと、が笑っている。 寒さにかじかんで赤くなった指の隙間から、白い吐息が広がっては消えていった。 ムッとして土方は彼女を睨む。その口許では、下がった口端に咥えられた煙草の煙が細く揺らぎ続けていた。 「何が可笑しい」 「違うよぉ。可笑しいんじゃないの。そうじゃなくてね。すごく嬉しいの」 ショーウインドウ前に座る彼の隣に、も並んで腰を下ろそうとした。 脚が窓枠に触れた瞬間、冷たさに驚いて腰が浮きかけた。レンガ造りの窓枠は、凍りつきそうに冷えている。 しかし、座れる場所はここしかない。脚を震わせながら冷たさに耐えていると、頭にふわりと何かを被せられた。 掛けられた布の端を引っ張る。落ちてきたのは、さっき土方に奪われた淡いピンクのマフラーだ。 腕組みして肩を強張らせ、痩せ我慢で寒さをこらえている隣の男を眺めた彼女は、大きな目を細めて嬉しげに微笑んだ。 「さっきはあんなこと話したけど。ほんとはね。あたし、クリスマスにいい思い出なんて、ひとつも無いの」 首元にマフラーを巻きつけながら、は冷えた夜空を見上げる。 浮かんでくる思い出が懐かしいのか、ゆっくりと大事そうに語り始めた。 「小さかった頃はね。毎年、12月が来るのがすごく嫌だったの。 家ではクリスマスなんて祝うことなかったから。プレゼントもケーキもツリーもなくて、全然楽しくなかったんですよねえ。 友達が新しいおもちゃや着物を貰ってるのが羨ましくって、陰でこっそり泣いてたし。それに。家を出てからは、・・・・・・・・」 途中で急に黙り込み。は、はっとして顔を強張らせた。 やってしまった、と青ざめながら、目を見開き、スカートの裾の白いファーを握り締める。 地雷を踏んでしまったのだ、破壊力抜群の地雷を。二人の間では口にするべきではない禁句を口にしてしまった。 気まずさに頬をひきつらせながら、隣に座っている土方へとおそるおそる目を移す。咥え煙草もポロリと落とし、 額から汗を滲ませて動かない、自分の十倍は気まずそうにしている彼の横顔を見るや、うろたえて隊服の腕に飛びついた。 「ちっっ。違うからね?今のはね、あ、あれだよほら、違うの、そういうあれじゃ。だからその、・・・・・・責めてるとかじゃ・・・」 「・・・・・・・・いや。いい。続けろ」 腹の底から絞り出したようなどんよりと低い声で、土方が促す。 の踏んだ地雷の直撃がよほど堪えるのか。膝を鷲掴みに握り締め、地面の一点を凝視したまま動かなかった。 開けた口をパクパクと空回りさせて焦っていたは「うん、うん」と何度もコクコクと頷いた。 マフラーの端を手に取ると、巻いたばかりのそれをクルクルと、逆回しに外し始める。 「・・・・・え、ええと。だからね。今までは、クリスマスに楽しい思い出がなかったから、今日もほんとは 期待してなかったの。約束出来ただけで満足っていうか・・・ほら、年末は事件も多いし、屯所は毎年忙しいから。 期待しすぎて結局会えなかったら、後がつらいじゃないですか。期待したぶんだけがっかりしちゃうでしょ」 は土方の傍に、そろそろと遠慮がちにすり寄った。 彼の頭の上からマフラーを掛け、長めのそれを慌てた不器用な手つきでグルグルと、何度も首に回す。 巻き終わって端を結んでも、女物のマフラーを分厚い包帯のように巻かれた土方からは、文句一つ無く。 未だに立ち直れずにいるのか、無言で地面を睨んでいる。その気落ちした姿が可笑しくて、ぷっ、と吹き出しそうになった。 眉間を寄せた硬い表情の男に、柔らかなペールピンクのマフラー。この組み合わせは、何ともいえず不釣り合いだ。 「でも。本当に来てくれたから。・・・・・・・あのね。さっき土方さんが来た時は。 なんて言ったらいいのかわかんないくらい、すごく嬉しかったの。あんまり嬉しすぎて、神父さんの話まで思い出しちゃった」 握っていたマフラーの端を、そっと放す。 は何か言いたそうに土方をじっと見つめてから、目を伏せてうつむいた。 土方の隊服に手を伸ばし、裾を摘んできゅっと引っ張る。 「こんなに嬉しいクリスマス、初めてなの。街も人も、みんなキラキラまぶしく見えて。寒いのに、不思議なくらい暖かそうに見えて。 あの神父さんが言ってたみたいに、今日はみんなが幸せでいられる素敵な日だといいなぁって、・・・心の底から思えるの。 ・・・・・・でもね。もし、土方さんが来てくれなかったら。あたし一人だったら、こんな幸せな気分にはなれなかったよ」 伏せられていた瞳がおずおずと、はにかみながらも一途に、まっすぐに。彼だけを見上げてくる。 そのあどけなく柔らかな表情に惹きつけられて、土方も目が逸らせなくなった。 無言で見つめ合った二人は、そこだけが時間を止めたような、緩やかな感覚に包まれていた。 手足を痺れさせる寒さまで忘れてしまいそうな、不思議な錯覚に。一度囚われてしまえば、近いはずの車道からの騒音も なぜか少しずつ遠くなっていく。頭の奥まで埋め尽くしていくのは、酔った時に感じるような微熱を帯びた眩暈だ。 自分でもそうとは気づかないうちに。いつのまにか土方の腕は、の背中へと伸びていた。 肩を無造作に抱き寄せると、華奢な身体はためらいながらも彼の胸に寄り添ってくる。 腕の中で恥ずかしそうにしている女の、冷えた髪や肌の感触が、分厚い上着越しに伝わってくる。 その感触をもっと生々しく感じさせるのは、の身体から漂ってくる、嗅ぎ慣れたほのかな甘い匂いだ。 真冬の冷たく澄んだ空気のせいなのか、いつもよりもはっきりと香る気がした。 「だから。・・・だからね。・・・・・・・・・ありがとう、土方さん」 小さいけれどはっきりしたの声が、二人を包んでいた沈黙をそっと破る。 土方はぎこちない声で、ああ、とだけ返した。 その短く素っ気ない返事が嬉しかったらしい。はぱあっと顔をほころばせて、満面の笑みを浮かべた。 「そうだ。ここのケーキね、クリームもスポンジもかなりお酒が効いてるの。 一個取り置きしてもらってるから、屯所に帰ったらみんなで食べよ?そんなに甘くないし、これなら土方さんも好きかなって」 「いらねーよ。明日、総悟の奴にでも喰わせとけ」 「えぇー。いいじゃん、たまには。試しに一口だけでも食べてみてよー。すっごく美味しいんだから」 「いらねえって言ってんだろ」 肩を抱いている手の指に、急に強く力を籠める。艶やかな紅い唇が、戸惑いながらふわりと開いた。 微かな反応に楽しさを覚えて、土方は口許を歪める。一瞬だけ、可笑しそうに笑った。 「俺の分はお前が喰え。俺ぁ、甘ったりいのはてめえだけで十分だ」 大きな手のひらが彼女の頬を覆い、指先で顎を上向かせる。びくん、と大きな目を縁取る睫毛が揺れた。 頬を染めたは、落ち着かない様子で視線を周囲に彷徨わせ始める。弱りきった声で彼を呼んだ。 「・・・・・ひ。土方さぁあん・・・・・?」 「あぁ」 「やっ、あの、だからぁ。・・・・・・・・・もすこし、ひ、人目を、・・・・・・・・気にし、・・・・っ。 ・・・・・そ、そうだっ、ねえ、あたしもう戻らなきゃ!残りのケーキが、お客さんが!」 「どこにいる、客が」 「・・・・・・・・い。・・・いないけどぉ。でも、・・・・・・・っ」 彼を見上げて眉を曇らせ、は責めるような目をしたが。自分を抱いた腕からは、逃れようとしない。 近づいてくる彼を拒むこともなく、自分の背中を押している腕に逆らおうともしなかった。 恥ずかしそうに土方の胸に目を逸らしながら、はゆっくりと睫毛を伏せる。 うつむいた顎を持ち上げようとする手が、彼女の冷えきった唇にそっと触れた。 下唇を撫でた指先のほんのわずかな動きに震えて、白い吐息を漏らして。くすぐったそうに背筋をしならせる。 誘われるままに身体を預けて、土方に引き寄せられていった・・・・・のだが。 互いの吐息が触れ合い、唇がわずかに重なりかけた。その時だ。 放置されたままの売れ残りケーキの前で、恋人同士らしい男女の二人連れが立ち止まる。 手を繋いだ二人ははしゃいだ様子で言葉を交わし、男の方が声を掛けてきた。 「すいませーん」 思いがけなく邪魔が入った。顔どころか耳まで真っ赤にしたは、慌てて土方の腕を振り払い、ぱっと立ち上がる。 まさかの土壇場で振り払われた土方は、ムッとした顔で彼女の背中を眺め。声を掛けてきた客の男を、今にも 腰の刀で斬りかかりそうな殺気たっぷりの目で睨みつけた。 「一つ下さい。これってキャンドル付きですか?」 「は、はいっ。ありがとうございますっ」 スカートの白いファーを翻して駆けていく背中を眺めながら、土方は懐にある煙草の箱を、投げやりな手つきで探し始める。 手にした煙草に火を灯すと、咥えてすぐに深々と吸い込み。白く濁った煙を長々と、細く吐き出す。 ガードレールの向こうの車道を過ぎて行く車の流れへと、つまらなさそうに目を逸らした。フン、と悔し紛れに鼻先で笑う。 しかし、あとちょっとのところを邪魔されて溜まった鬱憤は別としても、さっきまでは悪くなる一方だったはずの機嫌は 自分でも不思議に思うほどに落ち着きを取り戻している。たった数分前まではイラついていたはずの自分が、 今となっては嘘のように思えた。屯所に戻る気まで、綺麗さっぱり失せているのだ。 あれだけ腹を立てて息巻いていたのは、一体どこのどいつだったのか。そう思うと可笑しくなった。 いつもこうだ。結局いつも、あの笑顔に流される。 子供のようにたどたどしく、けれど、ひたむきに語りかけてくる声に気を逸らされて。まっすぐに見つめてくる 澄んだ瞳に目を奪われて。あの肌から匂う、甘い香りに引き寄せられていく頃には、の何に腹を立てていたのかさえ 忘れてしまうのだ。 女の笑顔一つにあっさり流され、振り回されている自分。そんな自分はどうにも不甲斐無いし、癪な気もする。 だが、同時に。あの笑顔に振り回される厄介な日々が、癪なくらいに心地が良くて、大切で。 二度とを手離す気になれずにいるのも、確かだった。 「・・・・・・あと二個か。・・・・・・・・・・・・・・・・ったく。仕方ねえな」 渋々で待つことに決めた彼が、仏頂面で煙を吐きながら、きまりが悪そうにボリボリと髪を掻き乱していると。 重みを持たない何かが、手の甲にひんやりと触れた。 触れた何かが体温でじわりと滲む。同じ感触が瞼の上にも当たった。 目線を上げると。頭上の空に、ぽつり、ぽつりと舞う何かが見える。 暗い空から何かが迫ってくる。迫ってくるのは、無数の欠片だ。白い欠片が音もなく軽やかに、夜空に螺旋を描き出している。 ただ淡々と、ゆるいカーブを描きながら。旋回しながら舞い落ちてくる。 今年初めて見る雪は、宙を羽根のように舞う粉雪だった。 踊る無数の白い粒。夜空を漂うふんわりとした粉雪。 道を行く人々も、客の二人連れも。赤い衣装を着たも。誰もが雪に目を奪われて足を止め、頭上の空を仰いでいる。 このにぎやかな街の大通りに。どこまでも続く光の洪水が埋め尽くす中に、静かに舞い降りる白い欠片。 光溢れる街の目映さに降りしきる。通りを行くすべての人々に、同じように降りしきる。 この街を歩く誰もが、今、まるで夜空の向こうから語りかける何かに呼ばれたかのように頭上を仰ぎ。 雪が静かに舞い落ちていく様を、呆けた面で眺めていることだろう。 おそらくは、今の俺と同じように。 咥え煙草でぼんやりと、冷えた夜空を見上げるうちに。彼はふと思いつく。そういやぁ、と目を見張った。 思えばこんな夜は、江戸に来て以来、初めてかもしれなかった。 こんなに穏やかな、満たされた気分で。 何かに急かされることも。何かを思い煩うことも。醒めた皮肉を盾にして、自分を装うこともなく。 今はもう忘れかけた、子供の時分に還ったような気になって。ただ無心に見つめている。 星の見えない冬の夜空を。視界一杯に広がる、白く覆われていく世界を。 「・・・・・・・・・・・・あァ?」 引き続き、違う何かを思いつき、彼は唐突に眉を顰めた。 首元にモコモコと恰好悪く巻かれているピンクのマフラーの存在を、今になってやっと思い出したのだ。 苦い顔で煙草を噛みしめながら、固めに巻かれたマフラーをぐるぐると逆回しに外し始める。 これも暖かいには暖かいのだが。女物のマフラーを身に付けた自分のマヌケさを想像すると、それだけで寒気が増してくる。 外したマフラーを掴んだ彼は、金銀の光に彩られたショーウインドウの前に立ち上がる。客にケーキの箱を手渡している の背中へと視線を移した。 「ありがとうございました!!良いクリスマスを――!」 楽しそうに声を弾ませ。赤のワンピースに身を包んだ売り子が、手を振りながら客を見送る。 どことなく和らいだ表情で彼女の姿を眺めた土方は、無数の白い欠片が降りしきる中へと踏み出していった。

「 誰がために雪は舞う 」text by riliri Caramelization 2009/12/23/ ----------------------------------------------------------------------------------- 10万打企画物。アンケートで リク夢はどんなかんじの話にするかを こちらで選択肢を幾つか挙げて お聞きしたら No.5の話をご希望の方のうち ほとんどの方が選んでくださった選択肢が「甘々」でした 甘く甘くと念じながら頭から変な汁出しながら書いてみましたが・・・・甘いんだかグダグダなんだか・・・