「・・・・・おい。」 ゆっくりと目を開けた彼は、掠れた声で問いかけた。 いつものように鋭いその目の瞳孔は、いつものように物騒に開き気味ではあるのだが。 その表情はどこかぼんやりとしているし、向き合う相手を一睨みで捩じ伏せてしまうような、 彼独特の覇気にも欠けている。要するに、あまり彼らしくない表情だった。 ぼんやりとした表情と同じに、彼の視界もまた、ぼんやりと霞んでいる。 額のあたりから規則正しく訴えてくる痛みを追って手で触れると、指先が赤く染まった。 そこから流れている血が目に入ったらしい。目の前がぼやけて、どうもはっきりしないのだ。 乱れて頬を覆った長い髪もそのままに、心配そうに目を曇らせて彼を見下ろしていた女。 隊服姿の直属部下は、握っていた彼の手を、力を込めて強く握り直す。今にも泣き出しそうな顔になった。 「土方さん!気がついたんですね、よかった・・・!!ああ、痛いところは?どこか折れてませんか? あ、そうだっ、ね、これ、見えますか?これ、何本かわかりますか?」 彼の意識がはっきりしているかどうかを、まず先に確かめたかったのだろう。 彼女は三本指を立てた手を向け、涙声で問いかける。しかし、彼はその手を緩慢な動作で遮った。 目線をぴたりと彼女に据えたまま、呆然として問いかける。 「・・・」 「はい?」 「ここァ、どこだ」


もうすこしだけ、このままで




宴を開くのに必要なもの。それは酒と、ちょっとした口実である。 用意した酒が何であろうが。安かろうが高かろうが、どうでもいい。要は酔えればそれでいいのだ。 それぞれの好みと懐具合との相談さえ決まれば、真の酒好き、いや、真に酒を欲している人達は 文句などつけたりしないものである。 それこそ口実なんて、酒がどうこう以上にどうだっていいのだ。 祝い事だろうが合コンだろうが。歓送迎会だろうが鍋パーティーだろうがパチンコでひと儲け記念だろうが。 フラれた奴を慰めるつもりが余計に落ち込ませたりする残念会だろうが、そんなことはどうだっていい。 酒盛りの口実になれば、きっかけは何だっていい。それはひとつのストレートで純粋な、愛すべき本音だ。 しかし、実際に自分が単なる宴の口実として使われるのが、面白くない人だっていたりする。 呑んで気を紛らわしたい気分になっているのに、自分だけが呑めなかったりすれば、尚更面白くはないだろう。 そんな置いてけぼりなムカつき気分の真っ只中に、今の彼は置かれていた。 ここは街の中心地にあって、数年間使われることもなく廃墟の様相を見せている古いビルの中。 この館全体を秘密のアジトにしていた、浪士たちと密接な関係のあるヤクザたちを、一網打尽に取り締まった後。 近くのコンビニから買ってきた大量の酒を煽りながら、座の中心には大将である局長近藤を据えて。 深夜の廃墟特有の荒んだおどろおどろしさも何のその、広いフロアに輪を作って賑やかに酒宴を楽しんでいるのは 巷ではチンピラ警察と称され、怖れられている特殊警察部隊。真選組の隊士たちである。 「副長ォォォ!!誕生日おめでとーございまーーーす!!乾杯ーーー!!」 誕生日の主役でもある上官は、実はその輪の中にいないのだが。 彼を差し置いて乾杯の合図を野太く叫ぶ声。それに合わせてフロア中に轟く、やはり野太い歓声。 そんな彼等を遠目に睨んでいるのが、今日の主役だったはずの男である。 やりたい放題の馬鹿騒ぎで、呑んだくれ始める奴等を前に。 なぜ俺が。奴等から少し離れた場所でやむなく寝ている、祝われるはずの自分は素面で痛みをこらえているのか。 理不尽だと云わんばかりに眉間を顰め、包帯の巻かれた頭を仰向けにして寝ているこの男。 彼は真選組副長、土方十四郎。 その彼に隊服のミニスカートから伸びた脚を貸して膝枕しているのが、唯一の女隊士であり、 副長直属隊士の。 そしてそこには、もう一人の男がいる。 土方の額に手際良く止血の手当を済ませ、救急箱を持って立ち上がった局内一器用な隊士。 監察の山崎退は、念を押すようにして繰り返し言った。 「それじゃ副長。俺、他の奴の手当もあるんで外しますけど。 何度も言うようですけど、これはあくまで応急処置ですからね。立ったり歩いたりしないでくださいよ?」 「うっせえ。医者でもねえ奴に指図されたかねえってえんだ。さっさと行って来い」 寝たままの土方の足が、山崎の足を払おうとして鋭く横に振り抜かれる。 山崎は器用に跳ねて蹴りをかわしながら、この様子なら大丈夫だろう、と苦笑いして走って行った。 少し離れた場所に寝かされている、土方と同じに負傷した隊士へと駆け寄っていく。 その姿を眺めながら、土方は納得がいかなさそうにつぶやいた。 「山崎の野郎。人が動けねえとなったら、偉そうな口叩きやがる」 「偉そうなのはどっちですか。丁寧に手当してくれた人に、その言い草はないでしょ? どうしてそこまで感謝知らずなんですか、土方さんは。 たまにはありがとう、くらい言ってあげたっていいじゃないですかぁ」 「フン、冗談じゃねえ。何で俺が。んなもん言ってたまるか。言うかバーカ。 ぜってーー言わねえからな俺は。あいつがミントン辞めねー限り言わねーからな」 「つまり一生言う気がないってことですか。・・・子供の意地の張り合いみたい」 呆れて笑いながら、は周囲の隊士たちに目を向ける。楽しそうな仲間の様子に、にっこりと嬉しげに目を細めた。 たぶん以前は、オフィスとして使われていたのだろう。 埃を被ったコピー機が隅に残されている以外、一階のフロアをほぼ占めたこの大きな部屋には、何も無い。 がらんとして真っ暗なフロアの中央を陣取った大勢の仲間たちは、誰かがパトカーから外してきた 提灯型のライトにほんのりと照らされながら、殺伐とした廃墟の空気も無視でガヤガヤと、呑気に盛り上がっている。 酒宴の輪を成すどの顔も、灯りを映して柔らかい。ここへ踏み込んだ時の、張り詰めた表情は誰にも残っていなかった。 ただ一人、自分が膝枕している上司を除けば。 「おい、山崎のこたあもういい。さっさと説明しろ。どういうこった、これは」 「だからー、言ったじゃないですか。ここに怪しい奴等が出入りしてるって通報が」 「いや。そこは覚えてんだ、そこは。判らねえのはその後だ」 「ほんとに何も覚えてないんですか、土方さん。」 「ああ。徐々に思い出してきちゃあいるが・・・・ここへ着いて、中に踏み込んだあたりまではな。 頭ん中がぼやけて霞むっつーか、どうも記憶がはっきりしねえ。目ェ覚めた時よりはマシな程度だ」 包帯に隠れた傷のあたりを軽くさすって顔を顰め、土方は、ちっ、と小さく舌打ちした。 血はすでに止まっているようだが、傷口は熱っぽいし、痛みの波はまだ引いていかない。 眉間あたりに残った疼きのおかげで、意識はまだぼんやりと朧げだった。 「えっ、もう思い出してきたんですか?さっすがー、やっぱり頑丈ですよねー副長さまは。 あんなに何度も頭打っちゃったら、普通は目も覚めないですよ?てゆーか即成仏?」 「あァ?・・・俺ァ、そこまで打ったのか」 「はい。そこの階段から落ちたんですよ、思いっきり。見えますか?」 彼女が指で差したのは、ガラス張りの入口からも見渡せる細い螺旋階段だった。 階段に目を向けたは、気落ちしたような、しゅんとした顔になる。 包帯を巻かれた土方の額あたりに目を戻し、じっと見つめた。 「・・・・・なっ。何だ、てめ。じろじろ見やがって」 何も答えないに、うんと近くから覗きこまれている。 睨みつける土方の目には、徐々に焦りの色が浮かびつつあった。 の大きな瞳が泣き出しそうに潤んでいる。いや、それより何より、彼女の顔があまりに近すぎた。 のことを局内以外の、外部の人間に訊かれるたびに。 土方はこう返している。 『真選組に連れてきたのが自分だった縁もあり、直属隊士として手元に置いた』 誰に問われても面倒そうに、判で押したような同じ答えを返している。 表向きにはそれで済ますし、それだけの理由なら良かった、とつくづく思ってもいるのだ。 手元に置いた理由がそれだけだったら、ここまでやましい気持ちにはならなかったはずだ。 実際には、事あるごとにに振り回され、しかもそれが苦にならないどころか いつのまにか自ら顔を突っ込んでは彼女を甘やかしている自分を、もてあましてばかりいるのだから。 彼の頭には、やわらかな弾力に富んだの素足の感触と、その肌の温かさが直に伝わっている。 これは直属の部下だ、女じゃねえ、と毎日自分に言い聞かせながら、にはぶっきらぼうな態度を通しつつ やや無理やりに仕事に励んできた(と自分では信じきっている)彼にとっては。 こうして彼女の膝を借り、大きな瞳で見つめられているのは、なんと言うかその、かなり酷な状況だった。 ・・・と、いうような。 周囲にしてみれば「ええ加減にしなさい」と冷めたツッコミでも入れてやりたくなるよーな理由上。 彼女の手前、慌てた態度を晒すことは意地でも出来ない。土方はさりげなく彼女から目を逸らした。 「ヤクザ追いかけてたら、積もった埃でブーツが滑っちゃったんです。そこを、土方さんが。」 「そこを、俺が。何だ?」 問いかけられたは、なぜか目を思いきり見開いた。 突然何かに気づいたような、はっとした表情で瞬きを繰り返す。 「・・・・・あのう。副長さま」 「その呼び方やめろっつってんだろ。様はよせ、様は。てめえが言うとなんかムカつく」 「・・・覚えてないんですよね、落ちたときのこと」 「覚えてねーよ。落ちたどころか、ここに踏み込んだ直後から記憶が飛んでやがる」 「お。覚えて・・・・・ないん・・・・です、よね?ほんとにほんとに、覚えて」 「ねえよ」 「ほんとに?神に誓ってほんとですか!?じゃなくて、マヨに誓えますかマヨに!」 「だからねーって言ってんだろ。何なんだよお前!しつけえぞ」 ある意味神への冒涜とも取れるバチあたりな例えを振りかざし、しかしはいつになく真剣に彼に迫る。 無表情ではいるが内心焦りで一杯な土方は、乱暴にの顎を押し返した。 「痛ぁひいぃぃ!ちょっ、何するんですかぁ!!」 「お前がウゼぇ真似すっからだろーが!」 これ以上迫られてはたまったものではない。 迫ってきたに、違う意味で手を出しそうになってしまう。 押し返した手の影から盗み見ると、はムッとして口を尖らせていた。 頬には赤みが差しているし、剣を手にしたときの凛とした顔や ふとした瞬間に見せる、気品が薫るような表情とは別人のように子供っぽい。 けれど今となっては、いつも見ているこの表情のほうがらしく思えるし こうして拗ねている顔のほうが、澄ました顔よりも可愛気がある、と思うようになっていた。 直属隊士と上司として行動を共にするようになって、しばらく経つ。 隣にいれば、つい目で追ってしまう。それはに惹かれているからなのだと、判ってもいる。 けれど彼は未だに、を真正面から見ることが殆んど無かった。 鮮やかに変わっていく彼女の表情を追いかけ、つい目を留めてしまう自分を咎めて釘を刺す、もう一人の自分。 そんな自分も彼の中には存在していてる。だから「拾ってくれた恩人」である土方に安心しきって 無邪気に近づいてくるを、いつもこうして素っ気なく拒むことになるのだが。 「ったく、面倒臭せェ奴だな。いーから要点だけ掻い摘んでさっさと話せ。で、俺ァ何で落ちたんだ」 「・・・・・・・・知りません。あたし、見てなかったし」 はそう言ったきり、口を尖らせた顔を背けた。 その頬はなぜか、さっきよりもいっそう赤みを帯びて桜色に染まっている。 怪訝そうな土方が、おい、と呼びかけても返事をしないし、こっちを見ようとしない。 何か気に食わないことでもあったのか、このままシラを切り通そうとしているらしい。 「おいコラ。てめ、さっき何つった。階段だのヤクザだのブーツがどうとか言ってたじゃねえか」 「たまたま近くにいただけですよ。・・・その時あたし、近藤さんより大きいヤクザ相手にしてたし。 そいつが目の前塞いでたし、自分のことで手一杯だったから。土方さんが落ちた瞬間なんて知りません」 「嘘つけ。見てただろ。お前、絶っっ対見てただろ」 「見てないです。見てませんよ。見てませんってばマヨに誓って!」 「んな白々しい嘘で軽々しくマヨに誓われたかねーってえんだ。つーかてっめえ、マヨネーズ馬鹿にしてんだろ!」 「マヨは馬鹿にしてませんよマヨは!マヨを馬鹿にしたよーな食べ方してる人を馬鹿にしてるだけですっっ」 「んだとコルァ。女だと思って大目に見てやりゃあ、生意気な口ばっか覚えやがって!」 「はァあ!!?あたしが生意気なのはぁ、朝から晩まで暴言吐いてる上司を見習ってるからですーー!!」 ・・・と、膝枕する女とされる男が、人目も恥もかなぐり捨てて怒鳴り合っている時。 ヒートアップしていく一方の口喧嘩を眺めながら、少し離れた場所に並んで立っている男が二人。 片手におつまみの乾き物やスナック菓子を、もう片手には缶ビールを持った山崎は、隣の男を見上げて話しかけた。 「・・・・わっかんねーよなァ。難しいですよねえ、女心って。 どーして黙ってるんだろ、さん。あんたはあたしを庇って落ちたんだって、言っちまえばいーのに」 話しかけられた局長の近藤は、両腕に缶ビールを十本近く抱えている。 酒を土方に差し入れるつもりだったが、同じく差し入れにやって来た山崎と二人で 言い合いの勢いが収まるのを待っているところだ。 「何だ山崎。お前、トシの階段落ちを見てたのか」 「はい、俺もあの時階段下にいましたから。一部始終、しっかり見てましたよ」 ほう、と興味深げに相槌を打った近藤に、山崎は目にした「一部始終」を語って聞かせ始めた。 山崎はその時、土方が落ちた螺旋階段の真下にいた。 捉えたヤクザに手錠を打っていたら、上からの声が聞こえてきた。 近藤よりも大きな相手に苦戦していたは、狭い階段の踊り場に追い詰められていたのだが 体格差に油断した相手を上手くかわし、相手の背後から斬りつけ、蹴りで階段から突き落とした。 痛みに呻いていたヤクザは、フラつきながらもその場から逃げようとする。 それを追いかけ、は階段を降りようと足を踏み出し、階段の縁で足を滑らせたのだ。 「副長もよく間に合ったなァ。俺が、あっ、と思った時にはもう、さんが宙に浮いてたのに。 その時ちょうど、副長が階段降りてきてたんスよ。すげー勢いでさんに飛びついて頭抱えて、 そのままあの狭い中をポールにガンガンぶつかりながら、下まで落ちちゃって」 口におつまみのスルメを押し込んだ山崎が、ちらりと階段へ振り向く。 彼の持っていたポテチを口にした近藤も、つられてそちらに目を向ける。 一階から三階までの吹き抜けになった螺旋階段は、周囲をぐるりと細い鉄製のポールに囲まれている。 細い階段は二人がすれ違うのがやっとの幅しかない。下から見ていた山崎の話によると 土方は二階と三階の間にある踊り場から、を庇って抱いたまま階段を転げ落ちた、 ということになる。自分ではなくの頭を庇っていたのだから、頭を打つのも道理だった。 「副長が動かなくって、さんがすぐ飛び起きて。ずっと半泣きで呼びかけてたんですよ。 俺もこれはマズいと思って走って行ったんですけど。そこで副長が、突然目ェ覚ましたんですよね。 さんに『お前、どこも怪我ァねえか』って。さんがボロボロに泣いてるの見て、珍しく笑ってましたよ」 「あァ?トシの奴、落ちた時には意識があったのか」 「ええ。まあ、そこも記憶がなくなってるみたいですけどねェ。で、それから、・・・・・」 頬張ったスルメで口をモゴモゴ言わせながら、山崎はふと話を止めた。 口から半分出たポテチを咥えている近藤は、妙に思って彼を見下ろす。 「局長。俺ねえ、副長のあんな顔初めて見ましたよ。」 「あんな顔って。どんな顔だったんだ」 「いやァ。どんなって言われると説明しづらいんスけどねェ。副長らしくないっつーか、あんた誰?っつーか。 とにかく俺なんかが見たことねえ、緩んだ顔で笑ってたんスよ、あの副長が。 さんの頭撫でて『泣くな』とか何とか、ぼそっと言って。そこでまた、気ィ失っちまったんですけど」 返答に詰まった近藤は、困ったような笑いでその場を濁した。 山崎を驚かせた土方の笑顔に、彼には覚えがあったのだ。 ただ、彼が目にしたのはかなり前の話になる。武州の田舎にいた頃で、相手もではない女だ。 珍しく険しさの抜けた目をして笑う土方を垣間見た覚えが、その頃には何度かあったのだが。 江戸に出てきて以来目にすることはなくなって、近藤もすっかり忘れかけていた。 「そりゃあ、・・・・そうだなァ。の面見て、トシも気が抜けたんじゃねえのか」 けれど最近、といる土方を目にして、突然思い出したのだ。 あの頃俺が見ていたトシの表情も、こんな顔ではなかったか。 そして、こういう柔らいだ表情をこの男に取り戻させたのが、この新入りの女隊士なのではないか、と。 「副長も判んねー人だよなあ。いつ万事屋の旦那や沖田さんに掻っ攫われたっておかしくねーのになァ。 あれだけ騒いで沖田さんと張り合って、さんを自分の下に就けたくせに。 すぐ手ェ出すのかと思ったけど、ありゃあ、どう見ても何もしてないですよねえ。いつもあの調子だし」 ああ、と苦笑気味に近藤は頷く。 山崎の手前では口にも出来なかったが、武州での土方を知っている彼には そうなってしまっただろう経緯には、なんとなく察しがついていた。 「さんだってさあ。あれァ多分、待ってるんじゃねーんですか?」 「まあ、そうかもしれねえが。そこに俺らが首突っ込むのもよォ、野暮ってもんだろ」 「いやいや、そうかもじゃなくて、絶対そうですって。 あそこまで言い合いになってまで大人しく膝枕なんて、しないんじゃないですか普通は」 「あそこまで」と指摘されるほどに盛り上がっている二人の口喧嘩は、今やフロア中に響き渡っている。 中には可笑しそうに肘を突いて「見ろよ、あれ」と隣の仲間を促す奴まで出てきた。 二人の口喧嘩は「土方ドツき漫才」として、土方と沖田の毎日が命賭けな攻防戦に次ぐ 屯所名物に成り下がりつつある。土方だけはその呼ばれ方に対して 「順番が違げーだろ。俺がツッコミであいつがボケだ」とズレた不服をこぼしているものの 今もほろ酔い加減でいい具合に酒の回った宴の席の酒の肴として、和んだ笑いを生んでいた。 至近距離で言い合う二人は、自分達が周囲の興味を惹きつけているとは気づいていないらしい。 痛む額を抑える土方は、近すぎるの表情にどぎまぎしていたことなどすっかり忘れ 顔を顰めて「それがパシリの言い草か」と説教モードで怒鳴り散らしている。 は彼の声が煩いのか、怒鳴られるたびにしっかり耳を塞ぎ、むくれた顔でそっぽを向く。 それでも彼女は土方の頭を膝に乗せたまま動こうとはしないし、土方は土方で どれだけ彼女に怒鳴り散らしても、頭を上げようとはしないのだ。 話が局中法度にまで及びつつあった中で、土方が、いてっ、と呻いて眉間を寄せる。 痺れる頭を数回、大きく振って痛みをこらえた。 喋りすぎたせいなのか、ズキッ、と頭の奥を刺すような痛みが起こったのだ。 「っ、痛ってェ・・・・・・」 「!土方さん、大丈夫ですか?駄目じゃないですか動いちゃ!」 苦しそうに呻く土方に驚いて、手が動いてしまった。 慌てたは彼の額に手を当てようとして、それからはっとした。 額を抑えた土方の手に、自分から手を重ねてしまっている。 何も考えずにしたこととはいえ、いや、何も考えずにしただけに気まずかった。 頬が一気に熱を帯び、瞬間で真っ赤に変わってしまったのが自分でも解る。 辛そうな土方の様子に取り乱して、心配になって。思わず触れてしまった手。 口では反抗してばかりいる。しかしその手こそがの、土方に対する本心だったのだが。 説教モード突入中、しかも額の痛みに気を取られている鬼の副長は、そんな複雑な女心には疎かった。 「てっめえ・・・誰が悪りィんだ誰が!元はといえば、ヨロけて階段踏み外しやがったてめえが」 「えっ。」 目を丸くしたに疑問符付きで返され、そこで初めて土方は異変に気がついた。 思わず呻いてしまったほど強烈な痛みが引いた後の頭には、今までになかったはずの映像が残っている。 短刀をがむしゃらに振り回していたところを、斬り倒して片付けたヤクザの姿。 それを踏み越え、狭くて降りづらい螺旋階段を走って下った記憶。 階段を踏み外したの背中。落ちる女の身体に飛びついて、咄嗟に頭を抱いて目を閉じて。 次に目を開けた時には。身体中がみしみしと、軋みを上げて痛んでいた。 最初に目に入ったのが泣き顔のだ。 子供のように崩れた泣き顔が。ぽたぽたと落ちてくる温かさが、何か無性に愛おしくなって。 頭を撫でた。声を掛けた気もする。そう。確か、『泣くな』と。 ・・・・・・いや、それだけじゃねえ。その後に、こんなことを言ったはずだ。 『そういう面ァ、他の奴等に見せんじゃねえ』 「・・・・土方さん。思い出したんですか・・・?」 「・・・・思い出したって、・・・そりゃあ、お前、・・・・・・・・」 ぼんやりとつぶやく土方は、ぼんやりと頬を染めたを見上げ。そして、舌打ちを噛み殺した。 意識が定かでなかったとはいえ、うっかり本音を口走ってしまった自分に舌打ちしたくなったのだ。 とはいえ、言えるわけがない。 ここで正直に「思い出した」などとは、意地でも、いや、口が裂けても言えるものか。 焦りと気恥ずかしさで背筋に妙な汗を流しながら、けれど表向きには出来得る限りの無表情を被り。 彼は不自然なほど冷ややかに言い返した。 「何の話だ」 「うそォ!だって今」 「・・・う、うっせえ、黙れ。てめえがグダグダ言うたびに頭に響くじゃねえか」 「・・・ちょっ、えええ、まさか、・・・まさか、忘れたフリでごまかす気ですか!? てゆーか全然ごまかせてないしっ。無理ですよ無理、無理すぎ!」 「無理も無茶も何も知るか。こっちァ記憶が飛んじまってんだ。ったく、わけが判らねえ」 「ごまかそうとしたってダメですからね。今、はっきり言ったじゃないですか! 絶対思い出しましたよね今。あたしが階段踏み外したこと、思い出したんですよね!?」 「だから何の話だ、何言ってんだてめー。知らねえったら知らねんだよ。 つか、あれだ、さっきの頭痛でよ、痛みが酷ぇから何かこう、うわ言口走っちまったよーな気がしねえでもねえが」 「何それェ!それでごまかせてるつもりですか? それが今日で2◎歳になるいい年こいた人の言い訳ですか!?もう少しマシな言い訳出来ないんですか!?」 「うっせえバカ、年ァ関係ねーだろ年は!つか、俺ァ覚えてねえって言ってんだろォーがァァァ!!」 「じゃあ誓えますか、誓えるんですか!?マヨに誓って覚えてないって言い切れますか!?」 「あァ覚えてねえ!誓って覚えてねえ!んなもん何にだって誓ってやらァ! マヨだろーが鰯の頭だろーが大仏の頭だろーが何でも来いってえんだ、根こそぎかき集めて持ってきやがれ!!」 いつになくうろたえた口調で、勢いと地声のデカさだけを頼りに怒鳴り倒す土方。 対するは叱られても堪えることもなく、遠慮なくギャアギャアと言い返している。 それでも二人はお互いに離れようとはしない。 土方の額で重ねられた手も、まだそのままになっていた。 スルメの足を口に突っ込み、口をモゴモゴさせている山崎が呆れ気味にこぼした。 「あーあァ。どうせ誓うんならさあ。 お前が好きだぁ!とかさあ。他のことを誓ってやりゃあ、さんも喜ぶのにねェ。」 「トシの奴。思い出したな、ありゃあ」 「そうみたいですねえ。どうします?」 「そうだなあ。・・・・」 あの土方が。 それなりの関係を持つことはあっても、女には決して気を許そうとしなかった土方が。 素っ気ない言い分や態度とは裏腹に、にどれだけ困惑させられても、生意気を言われても その度に眉間に皺を寄せて本気で怒りはするものの、一度として彼女を拒むことがない。 上司と部下という名分がついた今の居場所が、よっぽど居心地がいいのだろうか。 付き合いの長い近藤でも、そんな彼の姿を目にするのは初めてだった。 いつも傍で屈託なく笑いかけてくるに、いつしか気安さというか、安らぎを覚えたのだろう。 路傍の花でも愛でるように、手を出すことなく眺めていたいのかもしれない。 あれにはそういう、見た目に合わない不器用さがある。純なガキのようなところがある奴だ。 トシの奴。 頑固者のあれは、死んでも口にしやしねえんだろうが。を余程大事にしたいのか。 それこそさっきの階段落ちが、その証拠だ。 何の理屈もないのだろう。考える前に身体が動き、自分の身体を投げ出してを護った。 あれは常に冷静に周囲を見極め、組織のために動く男。組織の中での己の役割を忘れない男だ。 No.2でいることの自負、というのもあるんだろうが。 局内を取り締まる規範となり、すべてを見通し目を光らせる仕切り屋を担う自分は、 隊長格や平隊士とは換えが効かないのだと、あいつは胆に銘じているはず。 そのトシが、言わば捨て駒。 腕は立つがたたの隊士にすぎない一人の女を、自分の立場も忘れ、身を挺して庇うとは。 近藤は二人を眺め、ひどく感心しているような口調で言った。 「・・・女に惚れるなんざ、理屈じゃねえからなァー・・・・・」 「はァ?」 「ん?あァ。・・・・・いやいや、何でもねえさ。ただの独り言だ」 訝しがって見上げる山崎に軽く手を振り、近藤は再び土方たちに目を戻す。 惚れた腫れたをてめえから避けて素通りしてきた、あいつのこった。 そりゃあ戸惑いもするだろうし、苦い顔にもなるだろう。 酷薄なまでに冷静であれ、と、常に自分に言い聞かせながら進んできたあいつが。 のこととなると調子が狂っちまう。 考えるより先に身体が動いて、人目も立場も二の次になっちまう。 隣に大事な女がいる心地良さを。頭の中や理屈より先に、身体が覚えちまったのかもしれねえなぁ。 そんな親友の姿がどこかうらやましくもあり、微笑ましくもあり。 我が身よりも仲間が第一、しかもおおらかで人の良い近藤は、自分のことのように嬉しく思った。 にやりと楽しげに目を細める。 「まァ、しばらくはあのままでもいいんじゃねえのか。 トシもも、あれァあれで楽しんでるようだからよ。見ねえフリで放っといてやろうや」 局長の言わんとしているところは、普段のあの二人を見ていれば自然と当りがつくことだった。 プッと吹き出し肩を竦めた山崎の顔も、可笑しさにほころんでいる。 「そーっスねェ。副長も、誕生日くらい好きにしたいでしょうからねェ」 その背後では、酒を酌み交わす隊士たちの笑い声が、廃墟の薄気味悪さなどどこ吹く風と吹き飛ばし。 賑やかに、楽しげに。場の空気を揺らすような渦を巻いて湧き上がっていた。 「そうそう、そういうこった。 折角の宴じゃねえか。馬に蹴られるような野暮ァ、言いっこなしだ。なあ?」 近藤がパン、と豪快に山崎の肩を叩き、爽々と笑った。 宴の輪に戻ろうと彼を促してから、ちらりと土方たちに目を向ける。 そこにはほのかな月灯りが届いていた。 言い合う膝枕の二人を見下ろして、大きな窓から朧げな月が笑いかけていた。

「 もうすこしだけ、このままで 」text by riliri Caramelization 2009/05/02/ ----------------------------------------------------------------------------------- 「夢めくり」さま提出物。ありがとうございました!