手にしているのはピコピコハンマー。 頭に乗せたお椀型の黄色いヘルメットは、ちょっと左へズレている。 その因縁の戦いは、相も変わらず例年通りに。 相も変わらず何も考えていなさそうなこの男の、すっトボけた一声によって幕を開けた。 「皆さん、どちらも準備はよろしいようで。それじゃあいきやすぜ。 お花見恒例、第×回、陣地争奪叩いてかぶってジャンケンポン大会いいいいい!!


花は桜木 男は侍 女は小悪魔


ドンドンパフパフ、と、新春かくし芸大会的な効果音が鳴った。 …イヤ鳴ってない。雰囲気的に鳴っていそうなだけである。 かくして今年も咲き誇る薄紅の下に、まったくもって無用な賽が投げられることとなった。 見渡す限りの一面を満開の桜で染め上げた、かぶき町から程近い公園が舞台。 性懲りもなく毎年繰り返されてきた、花見の場所取り争いだ。 今年もまたここで、しょーもない決戦の火蓋は切って落とされようとしている。 挑むは江戸の治安を護る特別警察。歴戦の猛者を多勢に配した真選組。 対するは少数精鋭、街の便利屋「万事屋銀ちゃん」の面々と 敵味方どちらにも畏怖畏敬の念をもって迎えられる女、キャバ嬢お妙を加えた混成チームだ。 思い起こして数えてみれば、今年ではや×回目となったこの対戦。 ちなみに前年までの対戦成績は、まったくの互角で終わっている。 さて、今回の勝負の行方はいかに。 勝利の女神の微笑みを肴に月下の花見酒を味わうのは、はたしてどちらのチームとなるのか。 花も盛りな桜の樹下にずらりと並び立つ両チーム、真選組対万事屋。 一列並びに向い合い、激しくメンチを切り合っているのが両陣営主要メンバーたち。 当然ほぼ全員が人類である。だが中には一匹の例外として、 ガルルル、と牙を剥いて唸りをあげている巨大ワンコの姿もあった。 そしてここにもう一頭。いや失礼。もう一人の例外がいる。 身内にさえ人類扱いされていないこの男は、最前列の中央に立っていた。 早くもメットを被ってやる気満々。臨戦態勢もバッチリな真選組局長、近藤勲だ。 列から一歩前に進み出ると、彼は高々と宣言する。 「ついに積年の決着をつける時が来たようだな。 おい万事屋。今年こそ、お妙さんだけ残して去ってもらおーか」 「いや今年こそ、お妙さんごと去ってもらおーか」 低くぼそっと発したのは、近藤のななめ後ろに立つ咥え煙草の男。 誰が見てもムカつくこと間違いなしのバカ面で挑発してくる万事屋主人、坂田銀時と真正面から睨みあい 鋭いその目にメラメラと闘志を燃やしている。 局長以上に殺気を放ち、臨戦態勢を構えた真選組副長。土方十四郎である。 ところで。お妙を賭けたこのバトルに、近藤が燃えるような熱意で意気込むのは当然として。 なぜ土方までもが出入り時同然なすさまじい殺気を発し、銀時を睨みつけているのか。 実は、初回は「花見の場所+お妙」を賭けて始まったこのゲームだが。 ある年を境にして、今では賭けの対象が一つ追加されている。 真選組が勝利した場合「花見の場所+お妙」を得る、というのは当初と同じで変わりがない。 違っているのは、銀時率いる万事屋チームが勝利した場合だ。 彼等は花見の場所に加え、追加された賭けの対象を得ることになっている。 そして、新たに追加されたその対象こそが、土方にとっては断固として負けられない理由になっていた。 追加された賭けの対象。 それは、睨みあう土方と銀時にとって因縁の女。元隊士のだ。 花見に相応しくない不穏な空気の原因となっているその女が、その時どこで何をしていたのかというと。 彼女は万事屋チームの背後で、笑っていた。 赤い毛繊の上に、足を崩した横座りで。 時々倒れそうなほどに頭を大きくグラつかせながら、ヘロヘロに酔っ払っていた。 アルコールに弱いくせに酒好きな彼女は、たった二本の缶ビールで満足に歩けないほどに酔ってしまう。 今日も淡い色の肌を桜色に染め、隣に姿勢正しく正坐する人物の言いなりになっている。 ヘラヘラと笑顔で従う、従順な下僕に。とどのつまりは、完全なパシリと化していた。 奴隷化したこの酔っ払いを、涼しい顔で従えている人物とは。 この場合、敢えてその人となりを説明する意味もないだろう。 可憐で大人しげな容貌に反して両軍のトップに君臨する実力を備えた、涼しい笑顔の女王様である。 「おいパシリ。その目障りな胸ちらつかせて、 そこらの浮かれたエロジジイの財布から酒代巻き上げてこいや」 ヨロヨロしたおぼつかない足取りで、が赤い毛繊から立ち上がる。 謎のダークマター。焼死体化した卵焼き入りの重箱を前に微笑む暗黒世界の女王、お妙に向って 彼女はおでこに指先を当て、ピッと敬礼を向けてみせた。 ふにゃふにゃと緩んだ子供のような笑顔を傾けながら、呂律の回らない口調で命令を復唱する。 「はあぁぁぁいぃ、胸見せてぇ、エロジジイのぉ、財布ですねっ、ラジャっ、お任せくださいいい! ういーっス姐さん喜んでェ!!!、いっっきまーーーす!」 「おいィィィィィ!!!」 いったいどこから飛んで来たのか、一瞬で二人に迫った土方が怒鳴る。 早くもの着物の衿をしっかり掴み、胸元の露出を花魁風に大きく広げようとしているお妙に食ってかかった。 だが、お妙は血相を変えて慌てる彼をあっさりと無視。 何も解らず上機嫌のに、冷たい非難の笑みを向ける。 「さん?何度も言うようですけど。 私、あなたよりも年下ですから。年上の女性に姐さん呼ばわりされる覚えはありませんから」 「はあぁいぃい姐さあぁん、喜んでえェェ!!」 「だから姐さんじゃねーって何度も言ってんだろーが。いい加減にしろよコラ、っっとにムカつく女だなオイ」 「イヤ、あんたもいい加減にしてくれ。 酔っ払いをいいようにこき使うのはよしてくれって、こっちは毎年頼んでるじゃねえか!」 お妙はふたたび彼の声を無視して、の胸を鷲掴みにグニュグニュと揉み始める。 ヘラヘラと笑うは身体を大きく捩りながら、イヤイヤ、と弱った嬌声をあげた。 「イヤぁハハハやーだァ姐さんんん、くすぐったあいいィ!」 「別にいいじゃありませんか。少しくらい見せたって、減るわけでもないし。 このムカつく腫れモノ、こんな時くらいしか役に立たないじゃありませんか」 「見せてたまるかァァァ!!( 同時通訳「っざっっけんな、それァ俺のモンだァぁ!!」)」 「まあ怖い。そんなに怒らないでくださいな」 言葉と態度が完全不一致。 怒鳴ろうが何をしようが一向に笑みを崩さないお妙に、土方はムッとして黙り込む。 出来ることならなんとかしたい。 の胸を。・・・イヤ、の身を護るためにもどうにかしたい。 しかしこの喰えない女に対しては、真選組の頭脳と謳われる彼であっても、どうにかする術がない。 彼にしてみればただの凶暴なキャバ嬢であるお妙だが、彼女は局長近藤の思い人。 隊士たちの手前もある。局長を立てるべき副長という立場において、あまり強くは出られない相手なのだ。 しかも彼をもっと困らせているのはこの酔っ払い、だ。 彼女はなぜかお妙を心底尊敬し、全身全霊賭けてのリスペクトを捧げている。 酒は抜きでも絶対服従、酒が入ればなおのこと。 彼女のお妙に対する、まるで犬のような忠義は年々エスカレートするばかり。 今となっては二人の屈折した主従関係は固く結ばれ、とうてい土方の手に負えるものではなくなっていた。 「鬼の副長と畏れられるお方が、ちゃんちゃら可笑しいわ。っとに未練がましい方ですね。 さんがどうしようと、あなたに関係無いでしょう?とっくに別れた方には関係ないじゃありませんか」 「っっ、いや、俺は・・・その、こいつの元上司としてだな、監督責任を」 「ゴチャゴチャ言ってんじゃねーよテメーは黙って指でもくわえて見てろやニコ中おっぱい星人よォ」 「んァァ!!?」 刀に手を掛けダンッと踏み込み、こめかみに青筋を立てた土方がお妙に迫る。 しかしその凄さまじい剣幕は、そう長くは保たなかった。 お妙の暴言が半分以上は図星だっただけに、彼は目を逸らしモゴモゴと口籠る。 「だっ、だだ誰がおっっ、・・・星人だとォ!?んのアマァァ!!! 女と思って言わせておけば、ぁァんだテメっ、やんのかコルァァァ!!」 「そーだそーだ、おいお妙!文句あんならオメーも胸をデカくしてから言いやがれ!」 そこへ当然のような顔で土方を押し飛ばし、割って入ったのは銀時だ。 銀時に手をがしっと掴まれ、の胸から問答無用に外されて。 それでもお妙は、氷のように張った笑顔を崩そうとはしなかった。 「まあ、いやだわ銀さんまで。いい度胸じゃありませんかダメ人間。やんのかコラ、おっぱい星人2号」 罵倒された銀時はピクリと眉を動かし、珍しく真面目な表情を見せた。 ふんぞりかえって堂々と胸を張り、大声で返す。 「ああそーだァ!俺ァおっぱい星人だあああ!!それが何か!!?」 「やめんかいィィ!この全日本腐れ大人代表がァァ!」 ハイジャンプで飛び込んできた万事屋の助手、新八が銀時をハリセンで殴り倒す。 どいつもこいつも目を離せば真っ先にボケたがる中に於いて、貴重で稀なツッコミ体質の持ち主である彼。 登場してすぐさま己の役割に忠実な、ベタで重要な仕事ぶりを発揮する。 「見てるこっちが恥ずかしーわァァ! てゆーか姉上も!嫁入り前の娘がおっぱい星人とか言っちゃダメだからァァァ!!」 「ごめんなさい新ちゃん。でもね、私、今年こそこの勝負に勝ちたいの。 いいえ、勝つわ。たとえどんな手を使ってでも、確実に勝ってみせるわ」 ふふっ、と柔らかく微笑んだお妙の表情に、新八はぞくっとするような戦慄をおぼえた。 いくら普段は敬愛してやまない姉とはいえ、恐ろしいものは恐ろしいのだ。 どうしたんだろう。姉上がここまで意気込んでいるなんて。何か企んでるみたいだし。 …まさか。今年こそ、近藤さんを亡き者にするつもり!?などと、不吉さに青ざめてはみるのだが。 お妙には訊けない。疑問を口には出来なかった。 こういう瞬間のお妙には、弟である自分すら寄せ付けないような迫力を感じてしまう。 そんな新八の怯えをよそに、ゲームは始まろうとしていた。 真選組の監察山崎が進み出て、例年通りに司会を務める。 「では今年も、俺ら真選組が勝ったら花見の場所とお妙さんを。 万事屋の皆さんが勝ったら、お妙さんに代えてさんを。ということで、よろしいですか?」 「ええ構いません、でも。私たちが勝ったら」 すっと立ち上がったお妙が、前へ進み出る。 新八はいいようのない緊張を感じ、ゴクリと息を呑んだ。 「コレよ!」 叫んだ彼女が、高々と頭上に指し示したモノ。 それは、一巻きの白い反物。いや、よく見れば真っ白なサラシだ。 いつになく真剣な表情のお妙が、くるりと背後を振り返る。 火花を散らして睨みあう土方と銀時に挟まれたを、ビシッと指差した。 「その女の目障りな腫れモノを、コレを巻いて今年一年抑え込んでもらいます!」 「イヤ姉上ェ!?勝ちたい理由ってソレだけェェ!!?」 「ういーっス姐さん喜んでェ!、巻っっきまーーーす!!」 「巻くな!!つかオイテメ、っっバっカヤロォォ、っんなとこで脱ぐんじゃねえェェェ!!」 土方が目を剥いてに飛びつき、あたふたと肌蹴た着物の衿を抑え込む。 それを眺めながら頬に手を当てたお妙が、納得のいかなさそうな顔で首を傾げる。 「あら、巻くじゃなくて膜の方が良かったかしら女だけに」 「姉上ェェェ!!違うソレ違う!ヤバいから、そのネタはココと設定も違うからああ!!」 「いやヤバいのはそこじゃないよ新八くん」 と、怪訝そうな顔をした山崎が、新八のツッコミに地味なツッコミを重ねる。 険しい顔での着物の乱れを直してやる土方と、彼にしっかり抑え込まれ、嬉しそうに笑っている。 両方を面白くなさそうに半目で見比べると、銀時はいまだに首を傾げて悩んでいるお妙に向き直った。 「おいおい、何言ってんだオメー。バカ言ってんじゃねーよ。サラシ巻けだァ? のデリケートでスイートなチャームポイントが潰れちまうじゃねーか」 苦言を呈した銀時は、彼が言うところの「チャームポイント」をスパッと差し、声を張り上げる。 「ざっけんじゃねーよ、それじゃ俺がナマで触る前に形が崩れて台無しだろーがあァァ!!」 「っっとに自分の欲望しか頭にねーなアンタはァァ!!!」 ハリセンを振り上げ叫ぶ新八には目もくれずに、銀時は立ち上がった。 冗談じゃねえ、とでも言いたげな顔だ。不満たっぷりに口を尖らせ、ボリボリと腹のあたりを掻いている。 「ったくよォ。バカ言ってんじゃねーぞこのヤロー。 それこそ貧乳のヒガミだよ、ヒガミ。冗談じゃねーよがサラシなんてよー。 ったくしかたねえなァ。ここはひとつ俺が、天然記念物並みに手厚く保護しとくとするか」 言いながら、背後の土方に抱きかかえられているの前に回る。 その両手が何の躊躇もなく、前にぬっと伸びた。 「んじゃ、ここは間を取って折衷案といこうや。俺が手ブラで」 「どこの間だァァァ!!!(同時通訳「テメーに触らせるかァァァ!!」)」 「チャームポイント」到達寸前で、血相を変えて叫ぶ土方に手を叩き落とされる。 ブチ切れた銀時が彼に無言で掴みかかったその時、後ろで気の抜けた声がした。 「やめて下せェ旦那。そりゃあ酔っ払いジジイのセクハラと同じじゃねえですか。 ったくしかたねえなァ。んじゃ、ここは間を取って折衷案といきやしょう」 目を丸くして騒ぎを眺めている神楽の真後ろから、沖田がぬっと両腕を前に突き出す。 「俺が手ブラでチャイナの」 「それ何の間ァァ!?つかテメっ、ァあにやってんだ総悟ォォ!!?」 「この程度で慌てるねィ土方ァ。やられたからにはやり返したまででさァ。目には目を、歯には歯をでさァ」 「バッッカヤロっっ、それァ痴漢だ痴漢んん!思っっきり不祥事じゃねーかァァァ!!」 「銀ちゃーん。手ブラって何アルか? ・・・おいドS、この手は何アルか。何で指がワシャワシャ動いてるアルか」 「ちょっとォォ!?何やってんのォ沖田くんんん!? テメーウチの神楽ちゃんに何してくれちゃってんのォォ!!?」 ダッシュした銀時がニヤけ顔めがけて跳び上がり、ヒネりを効かせた両足蹴りをお見舞いする。 主人の命に従って着物を脱ごうとする笑顔の酔っ払い、を羽交い締めにした土方が、ギロリと辺りを見回す。 眉間も険しい鬼の怒号が、のどかな花見の宴席を揺るがせた。 「黙れテメーら空気を読めェェェ!!このまま行きゃあ下ネタ一直線じゃねーかァァァ!!」 「あのー土方さん。気持ちはわかりますけど、ツッコミはほどほどにしてもらえませんか。 僕と山崎さんの出番が少なくなるんで」 「まあ、よく言ったわ新ちゃん。それぞツッコミの心意気ね」 「まったくですなァお妙さん。さすがは我が弟だ、新八くん!!ウハハハハハ!」 「イヤだわ、空耳かしら。動物園でもないのにゴリラがウホウホ啼いてるわ」 肩に置かれた近藤の手をがっと掴み、お妙が小気味良い切れ味の背負い投げを浴びせる。まさに瞬殺の技である。 ドオォォォン、と轟音とともに真っ赤な鼻血を撒き散らし、真っ赤な毛繊に沈んだ彼に ガツガツと鋭い蹴りを打ち込みながら。彼女はにっこり微笑んだ。 「皆さん。この勝負は私が進行させてもらいます。番外編で一話完結の都合上、一本勝負よ!」 「姉上ェ!?それってもォ姉上のセリフでも何でもないんですけど!?」 「いいのよ新ちゃん、都合の悪いことは深く考えないのがここの夢小説のルールというものなの」 「さりげに何を言わされてるんですか姉上ェ!!」 「それじゃさっそく始めましょうか。両軍の代表者、前に!」 最凶の女王、お妙に笑顔で促される。 誰が逆らえるはずもなく、両軍はそれぞれに顔を突き合わせ、代表を決める話し合いに入る。 話し合う、というほどの間もないうちに、万事屋チームは代表者を決めたらしい。 メットを被り、ピコピコハンマーを受け取った銀時の背中を横目に眺め、沖田は何食わぬ顔で言った。 「ここは一話完結の都合上、あんたに華を持たせてやらァ。オラ逝ってこいや土方ァ」 「んだとコルァ。テメーを先に逝かせてやろーか、あァ!?」 沖田の襟首を掴み上げて土方が迫る。 ピコピコピコピコピコピコピコピコピコ。 ピコピコハンマーを手にした沖田は、彼の額を軽快な16ビートで飄々と叩き続けている。 顎に手を当て真剣な表情で考え込んでいた近藤が、重々しい口調で切り出す。 「しかしだなァ、トシ。の手ブラがかかってる以上、お前が」 「かかってねえェェ!!」 と掴みかからんばかりの全否定はしたものの、ぐっと怒りを呑み込んだ土方は足元を見下ろす。 そこでは山崎に介抱されているが、ふにゃふにゃと寝言のようなつぶやきを繰り返していた。 はしゃいでさらに酔いが回ったのか、大きな目をトロンと潤ませている。 呆れ半分怒り半分に睨みつけている男の視線に気づくと、不思議そうに彼を見つめて瞬きを繰り返し。 何がそんなに嬉しいのか、と叱る気も消え失せるほどにあどけない、無防備な顔で笑ってみせた。 「ひじかたさあぁん」とつぶやいて寄り添うと、彼の足に身体をもたれさせて目を閉じる。 人の苦労も知らねえで。なんだその緩みきった、幸せそうな面は。 怒鳴られてえのかこの酔っ払い、と頬をつねってやりたくなったのだが。 実際には拳を硬く握りしめるだけに留まった。 ふざけんじゃねえ。何が花見だ。 ここ数年、花の色などじっくり目にした試しがあったのか。 いや、無い。桜の花どころか、酔って無防備になったこいつに鼻の下を伸ばしているあの野郎の、 ムカつくツラしか思い出せねえ。 見下ろせばそこに、くったりとしなだれかかってくる、肌を桜色に染めた女がいる。 眺めとしては悪くない。嫌ではないのだ。 満開の桜も。酔って身を預けてくるの姿も。 薄紅に色づいた女の肌を目にするのが、自分一人であれば。不満を覚えることもなかっただろうに。 無防備に身体を預けて、眠る女を眺めながら。 誰の目にも触れさせずに、二人きりで過ごしたい。 どこかひっそりと静かな桜花の下で、のんびり杯でも傾けたい。 心のまた一方では、そんなことを望んでいる自分がいるのも事実なのだが。 それはそれで認めたくない。 認めてしまえば、負けが込んできたような気になってしまう。 女にすっかりほだされてしまった自分を、すんなり認めて呑み込む。 これがどうにも性に合わない。何を置いても意地が先立つ、彼生来の性分には。 飛び出しかけていた文句も説教もぐっと呑み込み、土方は難しい顔で黙り込んだ。だが。 「っっ、もういい、てめえらに任すくれえなら俺が出る!!」 半ばヤケクソ気味に言い出した彼を、に付き添っている山崎がニヤニヤと見上げる。 眠りかけていたに近寄ると、何かをコソコソと耳打ちし始めた。 「・・・・えェえええぇーー!!やァーらぁやまざきくーん、はうかしいぃィ!」 「ね、さん、わかった?ほら、出陣前に言ってあげなよ」 「はあいぃ!!」 先生に応える小学一年生のように元気な挙手と返事を返し、は満面の笑顔で土方を見上げた。 「あのね、ひじかたさああん。のためにぃ、がんばってくらさあいぃ」 「・・・んだと、テメ。誰のせいでんなことになってんだコラ。判っ」 「はああぁいぃ。ひじかたさんがあぁ、ヤキモチやひてるからぁあ!って、やまざきくんがいってましたぁあぁ!」 「やァまあァァざきいいいィ!!」 ムカつく入れ知恵をした部下に飛びつき、暴れる首を締めかけた土方の足に、が縋りついてくる。 振り払う気にもなれずに、ふてくされた顔で見下ろすと。彼女は首を傾げて問いかけてきた。 「ねえねぇ。ひじかたさあん、かって、ね?」 酒気に潤んだ大きな瞳が、頼りなげな色を帯びて揺れている。 彼の足に柔らかく弾む身体を押しつけて、ぎゅっと抱きついてきた。 はあっ、と面倒そうな顔で短く息を吐くと、涙目の山崎に一発喰らわせて。土方はに手を伸ばした。 桜色の肌よりも鮮やかさを増した、赤い唇に触れる。親指の先でぎゅっと押した。 「ぁんだと。お前、俺が野郎に負けるとでも思ってんのか」 どうなんだ、と無言で押してくる土方を、は蕩けそうな視線でぼうっと見つめていた。 嬉しそうに目を細めながら、ううん、と小さくかぶりを振る。 女の笑顔に満足を覚えて、土方もわずかだが毒気の抜けた苦笑を洩らした。 周囲の人目も忘れかけ、笑顔の二人は見つめ合う。 ところがその背後には、おどろおどろしい影が迫っていた。 「天魔外道皆仏性四魔三障成道来魔界仏界同如理一相平等・・・・・」 これは何だ。念仏か。いや呪詛か。 低く這うような禍々しい女の声が、背後から響いてきたのだ。 寒気のするような嫌な気配に、目の色を変えた土方が振り向く。するとそこには、阿修羅がいた。 ピコピコハンマーを手にした銀時が。新八からハリセンを奪ったお妙が。 轟々と燃え上がった怒りに目を光らせ、今にも襲いかからんばかりに構えた二体の阿修羅がそこにいた。 頭上高く振り上がったそれぞれの得物が、目には留まらない音速レベルの早さで打ち込まれる。 「うゴををっっっっ!!!」 顔が地面にめり込むほどの打撃を喰らい、うつぶせに倒れた土方はビクリとも動かない。 目を細め、大きくニタァーっと笑った銀時が、ボキボキと手指の関節を鳴らしながら彼の頭に鋭い蹴りを入れる。 ドス暗い笑みを浮かべたお妙は、背中をグリグリと草履で踏みつけていた。 「オイオイオーーイ、調子こいてんじゃねーぞォ土方くーーん?なァにやってんのキミ。 俺の目の前でにベッッタベタ触ってんじゃねーぞコルァ、殺すか?殺されてーのかオラァァァ!!」 「イヤだわ、やめて下さいな子供の前で。ァにをいつまでイチャこいてやがんだ、テメーらは。 オイ。てめ、さっさと脱げや。さっさと腫れモノに巻いとけや、このサラシをォォォ!!」 「ういーーっスねェさんよろこんでェ!、ぬっっぎまーー」 「だあァァァァァ!!!!」 強烈な打撃に地獄を拝みかけた土方が、必死の形相で飛び起きた。 もがくを抑え込む彼の頭上に、再び銀時のピコピコハンマーが振り上がる。 その隣では懲りもせずに抱きついた近藤が、お妙渾身のアッパーカットを顎に受けて宙を舞う。 ハンマーもメットもかなぐり捨てた沖田と神楽は、お互い目も逸らさずに瞬速の攻めを繰り出し合い、 のんびり宴会を楽しんでいた周囲の花見客まで巻き込んで、宴の席をメチャクチャに荒らし回っている。 飼い主に置き去りにされた巨大ワンコは、餌の時間を待ち切れずに隊士の頭を丸呑みしかけている。 そんな中。 上司たちの異様なテンションについていけなかった人達も、勿論いるわけで。 地味なその二人は肩を落とし、ぽつりぽつりと嘆いていた。 「新八くん・・・、俺らも大変だよね、毎年毎年・・・・」 「・・・もう慣れましたよ・・・。つか、いい加減に諦めて下さいよ。 近藤さんはともかく。せめて隊士の皆さんは、姉上のことを諦めてほしいんですけど」 ぐったりした溜息をつく新八の肩をポンと叩き、山崎は済まなさそうに返した。 「イヤイヤ、君には悪いけど。そりゃあ俺達だって必死だよ。 ゴリラの姐さんを迎えるくらいなら、ゴリラに圧勝出来る君の姉上を迎えたいからねェ」 「僕はゴリラの兄なんて欲しくないです。 それに、真選組全員が賛成ってわけじゃないでしょう、土方さんなんか特に嫌がりそうですよ」 「ああ。まあねえ、・・・でも、あのヒトはさあ。お妙さんでも他の誰でも、気に食わないんじゃないの。」 そう言って、誰一人として桜の花など目にも入っていない、騒ぎの渦中に視線を向ける。 つられたように新八も、顔を向けた。 互いの上司が、互いに刀と木刀を振り回していた。 木々の間を縫って暴れ回る二人の周りを、風に荒らされた薄紅の花びらが、雪のようにひらひらと舞っている。 その近くに立つ桜の根元には、眠るがもたれかかっている。 楽しい夢でも見ているのだろう。土方の掛けた隊服に包まれて、降り積もる花びらを浴びながら。 緩んだ笑みに、顔をほころばせていた。 「君のところの大将と同じだよ。ほら、あのヒトも旦那も、女は一人しか目に入ってないからさ」 どこか諦めかけているような、しみじみした口調で言った山崎が、可笑しそうな顔で土方を眺める。 隣の新八は醒めた視線を銀時に向けると「っとに大人気がないなァ」と頭を抑えてかぶりを振った。 「・・・お互い上司には苦労しますね」 「もう慣れたけどね」 顔を見合わせると、クスリと小さく笑う。 とっくに飲み始めている隊士たちの、賑やかな輪に向かって。 二人並んで、風に散り急ぐ桜花の降る中を歩き始めた。

「 花は桜木 男は侍 女は小悪魔 」 text by riliri Caramelization 2009/02/21/ -----------------------------------------------------------------------------------